68 魔女のアーティファクト②
11月23日(土)
仄香 in 遥香
健治郎殿に人魚の肉を預かってもらえるようお願いした後、魔法陣を広げ、呪歌の詠唱と素材の投入を始めたところで気付いた。
呪歌を歌い終わるまで4時間ほどかかってしまう。
健治郎殿は投入した素材や魔法陣に夢中で、興奮しているが、このままでは説明ができない。
他人様の部屋を占領して、勝手に魔法陣を展開しているだけでも非常識だというのに、このままでは何を聞かれても答えられない。
仕方がない。千弦に通訳をお願いしよう。
この遺物だけは絶対に失敗できないからな。
《千弦、すまないが健治郎殿に説明を頼む。歌いながらだと話せないのでな。》
《詠唱が終わってからでいいんじゃないの?》
《あと最低でも4時間は歌いっぱなしだ。それまでに健治郎殿が飽きてしまうと申し訳ないのでな。》
「あ~。ししょー。遥香はあと4時間以上は歌いっぱなしだって。はいこれ。あとでちゃんと返してよね。ベッチョーの人に渡したりしないでよ?」
千弦が自分のイヤーカフを健治郎殿に渡し、耳につけさせる。
おいおい。健治郎殿のことだから、念話のことも気付いているだろうが、いきなりイヤーカフを渡して使える人間がいると思うのか。
それに遥香のことはどうするつもりだ。彼女は念話でしか会話ができないんだぞ。
健治郎殿は受信は少なくとも問題なく行えるだろう。遥香の思念波が健治郎殿に聞こえないよう、回線を区分する。
《遥香。すまないが呪歌を歌い終わるまで黙っていてくれるか。》
《わかった。千弦ちゃん、もしかして私の存在、忘れてたのかしら。》
「宏介くーん。なにか面白いゲームない~?お姉ちゃんとあそぼ~よ~。」
千弦は宏介君のところに遊びに行ってしまった。どうやら本当に忘れていたようだ。
《なんというか、すまない。この埋め合わせは必ずさせてもらうから。》
《え、いいよ。私が生きてるのは、すべて魔女さんのおかげじゃない。気にしないで。》
《すまない。恩に着る。》
さて、健治郎殿への回線を開くか。
《健治郎おじさま。呪歌を歌い続けていたので、ご説明ができなくなってしまい申し訳ありません。》
「おお、遥香さんの声が聞こえる!すごい!すごいぞ!」
この人、子供みたいに興奮しているな。
《このイヤーカフは、いわゆるテレパシーによる通信を行う術式が組まれています。念話と呼んでいますが、受信するだけならば、それほど難しくありません。発信するためには若干の習熟が必要ですので、健治郎おじさまはそのままお話しいただいて大丈夫ですよ。》
「すごいな、これも。テレパシーってことは、電波的に傍受はできないのか?」
仕事柄か。一番最初に聞くのはやはり傍受される可能性について、か。ふつう聞かれるのは通信可能な距離とか同時通話人数とかそっちのほうなんだろうけどな。
《はい。電波とも脳波とも異なる方法で通信していますので、現代の科学技術による傍受はまず無理でしょう。》
「すごいな。じゃあ、妨害もされにくいということかい?」
《はい。思念をデジタル化した上で高度に圧縮した魔力波長を用いていますので、通常の方法では妨害は不可能です。大規模魔力災害下でも、魔力障壁を間に挟んでいても影響はありません。》
「欲しいな、これ。陸情二部で制式採用したいくらいだ。・・・いっそ本当にお願いしたいな。」
相当気に入ったみたいだな。通信距離とか最大通信時間とか、あと通信速度とかは気にならないんだろうか。まあ、通信距離は冥王星まででも届くし、魔力はフルパワーで50年以上持つし、通信速度は流し込む魔力さえ確保できればGbpsどころかPetaだろうExaだろうがいけるんだが。
《別に構いませんよ。新たに作成する必要がありますし、今手持ちの材料に余裕がありませんから少しお待ちいただく必要がありますが・・・。それと、今更で申し訳ないんですが、私の術式なんですべての会話が私に筒抜けになりますけど、それでもよろしいですか?》
「筒抜けは・・・まずいよな・・・。うん。まずい。」
《うふふ。あ、見てください。そろそろ反応が落ち着いてきましたよ。》
そう言って手元を見せると、全長150cmほどの長杖が形を成し始めている。
柄は漆黒に金と銀の刻印がなされており、杖頭には複数の宝玉と多層の金環が回っている。
そして、ひときわ大きな、涙滴型の深紅の宝石が杖頭の中心で脈動するかのように輝いている。
また、石突には小さな二つの金環と透明な正八面体の結晶があしらわれ、すべての宝玉、結晶の中でチラチラと光が揺らめいていた。
「すごいな。もう完成かい?」
呪歌を歌い続けながら、念話で答える。
《外側はできましたが、今から中に魔力回路を刻みます。あと、1時間くらいでしょうか。》
「魔力回路?術式回路じゃなく?ってことはもしかして・・・。」
《はい。この杖は、生きてるんです。ですので術式回路ではなく、魔力回路を刻んでいます。》
そうなのだ。この杖は分類するならば魔導生命体になる。
通常の生物と違い、食事も呼吸も必要としないし、睡眠も不要だ。魔力さえあればいい。もちろん、自分の意志で動くこともないし、光合成もしないから、動物とも植物とも言い難い。
ただ、私にとってかけがえのないものでできている、いわば息子のような杖だ。
そして、この杖は成長する。今の段階では私が魔法を行使した時に発生する反作用を打ち消すだけのものにすぎないが、将来的には様々な機能、いや能力を獲得させることができるのだ。
「これが生きているのか!・・・魔法陣やゴーレムだってロストテクノロジーだっていうのに、生命を作るなんて魔法使いや魔術師が1000年以上追い続けて叶えることができなかった夢じゃないか!
《人間による魔導生命体の成功例は、ホムンクルス程度しか知られていませんからね。》
まあ、今の技術ならそんなものを作るより、クローンを作ったほうが圧倒的に楽だし確実だ。
「・・・?ホムンクルスって成功したのか?フラスコから出すと死んじゃうんじゃなかったっけか?」
《ああ、フラスコの中で作るから問題なんですよ。人体を模したフレッシュゴーレムの中で作れば、体に霊的基質が定着して人間程度の頑丈さになるんです。・・・まあ、当時の錬金術師たちは自分たちが作ったものが霊的基質であり、肉体を別に用意する必要があることに気付いても、フレッシュゴーレムは作れませんでしたからね。》
私の場合、死肉人形は腐るほど作ったからな。自分の予備の身体用に。
まあ、一度も成功しなかったけどさ。
ゴースト系の眷属や他人の魂で試してみると大抵は上手くいくのに、どういうわけか私の魂は死肉人形のボディには定着しないのだ。
「そうなのか・・・。だが魔導生命体一つにしても、我々だけではいくつハードルを越えなければいけないか、想像もつかんな。」
《私でよろしければいくらでも協力いたしますよ。さて、そろそろ魔力回路が組みあがります。・・・これでやっと自分の口で話せるようになりますね。》
魔力回路が組みあがり、出来上がった杖に魔力を通すと、ゆっくりと、だが力強く脈動を始める。
「さて、できました。予定より少し時間がかかってしまいましたが、成功です。これでこの体への負担も軽くなりますね。」
「すごいな。杖頭に嵌っているのはすべて本物の宝石かい?見たところ、ルビーにサファイア、エメラルドにダイヤモンドまであるじゃないか。」
「ええ、ルビーとサファイアは酸化アルミニウムから作りました。エメラルドはベリリウムの入手が面倒でしたので色違いのアクアマリンから再利用しました。鉱物の類いは構造が単純ですからね。ただ、ダイヤモンドのように見えるところはすべてウルツァイト窒化ホウ素結晶です。ダイヤモンドとヒスイは魔法では作れませんからね。」
「そうなのか。ダイヤモンドとヒスイは魔法で作れないのか。」
正確に言えば、作れないのはヒスイだけで、ダイヤモンドは魔法ではなく魔術で作れるのだが。
多分、健治郎殿のことだから金儲けなど考えていないだろうが、この魔法陣は簡単に人工宝石を作れるというだけでも経済に与える影響は大きい。ほかの人間には見せられないな。
さて、一番重要な作業は終わってしまった。150cmの黒い杖を手に、魔力を流したり、回路からの反応などを確認したりしているが、全く問題はないようだ。
出来上がった杖をテーブルに立て掛け、展開していた魔法陣と材料の入っていたバケツを片付ける。いくらか残ってしまった材料は、元素ごとに安定した形でインゴットにしておく。
むぅ。貴金属の類いが随分と余ってしまった。とりあえず取っておくか。イヤーカフも作りたいし。
健治郎殿も手伝ってくれたので、荷物を手早く一つにまとめることができたころ、部屋の扉をノックする音と宏介君の声が聞こえた。
「父さん。遥香さん。もうすぐ食事の支度ができるから適当なところで手を洗ってリビングまで下りてきて。今日は千弦姉ちゃんが手伝ってくれたから、いつもより豪華だよ!」
「はいよ!すぐに行くよ!・・・さて、今日のメニューは何かな?」
杖をその場に置き、二人で部屋を出て洗面所に向かう。途中で健治郎殿からイヤーカフを受け取り、ポケットにしまう。
「宏介君はいい旦那様になりそうですね。この間のカレーも絶品でしたし。」
宏介君をほめると、健治郎殿は満足そうに笑っていた。
◇ ◇ ◇
同時刻 小浜漁港
港の係留杭に座った学ラン姿の少年と、アスファルトの上に仰向けになったスーツの女は困り果てていた。
「剣崎さん。ど、どうします?あ、あれから半日以上探したのに、一匹も見つかりませんよ?っていうかなんですかあの怪獣は!私、飛ぶ以外は専門外なんですよ!」
スーツの女が地べたでバタバタと手足を振りながら騒いでいるのを放置したまま、学ランの少年はスマホの映像を見ながら思案に暮れている。
「怪獣・・・。これはなんだ?こんなものがこの海域にいたのか?いや、そうだとしたらもっと前から騒ぎになっているはずだ。」
「剣崎さぁん。に、人魚、一匹も捕獲できなかったんですけど、き、協会に何て言ったらいいですかね。」
剣崎と呼ばれた少年はスマホから視線を離さず、ぶっきらぼうに答える。
「空木さん、うるさい。少し黙っててよ。」
「そ、そんなぁ。け、剣崎さん、つめたいですぅ・・・。」
「蛇のような体に魚に似た鱗と鰭、そして四つ足・・・この特徴は、蛟か?だとしたらこの海域にいるはずがない、っていうか何で川の怪異が海にいるんだ?」
空木は仰向けになったまま返事もせず、口をとがらせている。
「この海域にいるはずがない?そういえば、10月中旬にも同じような事象が確認されたな。たしか、セイレーンの歌声だったか。セイレーンは地中海、北大西洋、北海、アイリッシュ海のあたりでしか確認されていないかったはずなのに、中台海峡の南で確認された・・・。超大型の怪獣とともに。」
「剣崎さん、も、もう帰りましょう。あ、あんな怪獣と戦うなんて、無、無理です。」
「いるはずがないならなぜ?まさか召喚魔法?あれだけの質量のものを?人間の魔力総量で一定時間以上、召喚できるものなんてたかが知れてる。・・・まさか!魔女か!?」
「ね、ねえ、剣崎さん?か、怪獣だけならともかく、ま、魔女ですか?わ、わたし、まだ死にたくないですよ。」
剣崎はポケットからスマホを取り出すと、どこかに連絡を始めた。
「・・・はい、空木さんが遭遇した怪獣の映像を送ります。確認をお願いします。・・・はい。おそらくは。その場合は・・・。え?魔女には手を出すな?我々の獲物が奪われたんですよ!?それも目と鼻の先で!・・・はい、わかりました。ただちに帰投します。」
通話を終えた剣崎は、そのスマホを高く振りかざし、地面にたたきつけるかのようなしぐさを取った後、それをやめ、電源を切った。
「け、剣崎さん。も、もう帰ってもいいんですか。」
恐る恐る空木が顔色をうかがう。
「いや。空木さんがバラまいたマーカーを追いたい。反応は残っているかい?」
「ええと、ほとんどありません。・・・い、いえ、微弱ですがここからほぼ真東の方向、350Kmから370Kmくらいのところに反応があります。」
「東に350キロ、だって?・・・それって東京のど真ん中じゃないか。なんでそんなところに・・・。空木さん、そんな距離をマーカーが移動したのに気づかなかったのかい?」
「い、いえ、マーカーに強い魔力が接近したら、す、すぐに反応するようにしてありました。は、反応していない、ので捕まえたあと、し、新幹線か、飛行機で運んだ、と思います。」
「移動に魔法の箒などを使ってないということは魔女じゃないのかな?もしかして、魔術結社か!」
「え、ええと、どうしたらいい、ですか。」
空木は剣崎がどう考えているかなど分かっているだろうに、確認せずにはいられなかった。
「決まってるだろ。取り返すんだよ。ほら、敦賀駅まで行くよ。」
そう言うや否や、剣崎は空木を引きずってレンタカーに向かって歩き出した。
魔法や魔術でヒスイ(ジェダイト:ヒスイ輝石)が作れないというのは、しばらくたってからこの物語の本筋に影響する形で出てきます。
覚えておくと「あ、そんなことあったっけな」と思い出せるかもしれません。