66 人魚というモノ
11月23日(土)
南雲 千弦
目の前に広がる冬の海は、朝早くにも関わらす、どこか寂しげで暗く感じる。
こんな時間でも人気のない漁港は、まるで世界が滅びた後のようなイメージがした。
「姉さん、せっかくの土曜なのに、なんでわざわざ長距離跳躍魔法まで使って敦賀まで来たのよ?」
琴音が横で口をとがらせて文句を言っている。
「いや、それ以前になんで琴音がここにいるのよ?それに遥香まで。」
朝、荷造りをして出かけようと思ったら、琴音の部屋になぜが遥香がいて、行き先を聞かれたから北陸と答えたら、遥香が「近江町市場でのどぐろ食べたい!」と言い出して・・・。知らないうちに琴音の長距離跳躍魔法でついてきやがった。
え?この魔法、同行者機能があるの?聞いてないよ。
《えぇ~。金沢には寄らないの?のどぐろ、買って帰るってパパに約束したのに・・・》
・・・止めなさいよ!遙一郎さん!普通に考えて、東京から金沢まで何かの用事込みで半日で往復できるわけないでしょう!
で、仄香に私の身体を貸していたのに、いつの間にか遥香が体を貸している・・・。
どーしてこーなった!?
「ねえ、仄香。なんで遥香の身体をつかってるのよ?」
「いろいろ考えたんですけどね。戦力バランス的にこれが一番いいかな、と思いまして。もちろん、今回使う召喚魔法程度であれば、遥香さんの身体の負担にもなりませんし、何より遥香さんたっての希望だったので。」
《一度、魔法少女になってみたかったんだよね!》
・・・「魔王少女」の間違いだろう。魔法少女は、空母を沈めたりしない。
まあ、もし何かあった場合、「魔女(強)+魔法使い+一般人」よりは「魔術師+魔法使い+魔女(弱)」のほうが安全だとは思うけどさ。
・・・いや、琴音の戦い方だと、むしろ「戦士+魔術師+魔女(弱)」か。
まあ、何が出てきても仄香の魔法一発で終わりそうな気もするけど。
「まあ、いいわ。遥香、終わったら近江町市場だっけ?寄っていこう。北陸は海の幸が安いからね。ししょーにも何かお土産ほしいし。」
《やったー!。ついでに何か食べていこうよ。お寿司とか、東京よりずっと安いんだって!》
「東京のどこの店と比較してるのよ・・・。」
そういえば、仄香が身体に入るたび、遥香の顔色が良くなるのに気付いたんだけど、何か関係があるのだろうか。琴音と遥香がいないときにこっそりと聞いてみようか。
「さて、琴音さん、千弦さん。少し下がっていてください。眷属を召喚します。」
「はーい。」
港の船着き場に降りた遥香(仄香)は水平線を睨み、両手を広げると、召喚魔法の詠唱に入った。
「クラタイイースの子にして海神に見初められし娘よ。キルケの呪いを受け汚されし哀れなる女よ。我は汝を岩礁から解き放たんとする者なり。来たれ。スキュラ!」
仄香が詠唱を終えると、海面から金髪の美しい女性が顔を出した。
・・・水着を着た女性?何の変哲もない、きれいなお姉さんのように見えるが・・・。
うわ!下半身が!犬の・・・頭?それも複数?
「続けてもう一体、召喚します!竜神の子にして清流の主よ。滝を登りて水蟲の神たる龍たらんと欲するものよ。我は一振りの雷霆を以って汝を霊たらしめん。来たれ、蛟!」
詠唱が終わると同時に空から太い雷が落ち、海面から青い蛇のような、それでいて魚の鰭と鱗、そして手足を持った・・・20から30メートルくらいの龍?のようなものが現れた。
《うわー!スキュラと蛟だ!すごいすごい!・・・あれ?蛟って、淡水性じゃなかったっけ?》
「へぇ。遥香さん、よく知っていますね。蛟はともかく、彼女を見て一目でスキュラだと分かった人は初めてです。それと、眷属は淡水でも海水でも大丈夫ですよ。」
仄香が驚いている。・・・最近、結構表情が豊かになったな。いや、そうじゃなくて、なんで遥香はそんなものに詳しいんだ?
《へへ。こう見えても結構勉強してるんだよ。スキュラはラテン語で「犬の子」って意味だっけ?下半身に犬の首が6本ついているんだよね。シケリア島の近くで船乗りを6人ずつ襲って食べるんだっけ?それと、蛟は七丈九尺の身体を持つ蛇に似て四つの足を持つ伝説上の生き物なんだよね。》
「本当に詳しいですね・・・。もしかして遥香さん、魔女のライブラリにアクセスできるんじゃないですか?」
《さあ?なんとなく頭に浮かんだだけ。》
頭に浮かんだだけかい。勉強したの関係ないじゃん。
「姉さん、そろそろおなか空かない?近江市場に行こうよ。早くしないとお昼で混み始めるよ。」
「そうですね。午後は健治郎おじさまのところで新しい遺物を作る予定ですし、急ぎましょうか。・・・スキュラ、蛟、あとは手はずどおりに。」
・・・ちょっと待て。まさかと思うけど、その遺物の材料って、琴音が切り落とした遥香の左手じゃないだろうね?そんなもの見せたら、遥香が泣くぞ。
◇ ◇ ◇
同時刻 小浜漁港
人気のない漁港に長杖を持った少年と、長い箒を持った女が立っている。
「さて、空木さん。僕らの敵は人魚って話だけど、どうやって倒そうか。」
少年は背が低く童顔で、少女と間違えてしまいそうな容姿をしている。身長は140にも満たない。学ランを着ていなければ、小学校低学年の少女と間違えてしまいそうだ。
「え、ええと、倒しちゃダメ、です。い、生け捕りにしろ、って言われてます。」
対して空木と呼ばれた女は背も高く体型も整っていて、着ているスーツは年相応の装いに見える。だが、おどおどとしたしゃべり方とその姿勢は、せっかくの容姿を台無しにしていた。
「できるだけ、と言われたよね。それに何匹もいるんだろう?海に向かってぶっ放すんなら、だれにも迷惑かけないで済むじゃないか。たぶん、衝撃で浮いてくるよ。魚みたいに。」
ダイナマイト漁法が禁止されている理由を知ってか知らずか、学ランを着た少年は左手に持った長杖をバトンのように回しながら右手に持ち替え、海に向かって構えた。
長杖にあしらわれた複数の円盤が回り始める。暗号化された文字が刻まれた円盤は、長杖を軸に互い違いに回り始め、色とりどりの光を放ち始める。
「だ、だめです、こんなところで!ひ、人が見ています!」
空木が慌てて止めると、少年はつまらなそうに長杖を下した。
「ちぇっ。久しぶりに魔砲杖の威力を試せると思ったのにさ。まあ、いいや。今回は魔術結社の連中が邪魔をしたら撃っていいって言われてるからね。それまでは我慢してあげるよ。」
「は、はい。あ、ありがとうございます。」
「・・・ところで、空木さん。そのスーツ、全然似合ってないよ。君、まだ高校生でしょう?何かほかに着るものなかったのかい?」
「せ、制服はコスプレみたいになるから嫌なんです。そ、それを言うなら剣崎さんだって、もう45歳でしょう。お、大人らしい格好、してくださいよ。」
「ははっ。僕がスーツを着ると七五三のお祝いみたいだって言われたの、知らないのかい?ランドセルは背負いたくないから、妥協してこの格好をしてるんだよ。」
「わ、わたしは七五三だなんて・・・。と、とりあえず、船が漂流していたところを、見てきますね。」
そういうと空木は箒に跨ると、短い詠唱を行った。
「柔らかき風よ。何人も縛れぬ旅人よ。汝の御手により我を空へ誘い給え。」
空木は軽くアスファルトを蹴ると、勢いよく空に舞い上がる。
「空木さん!GPSと無線の電源忘れないで!それと!スカート押さえて!見えてる見えてる!」
「きゃああぁぁぁ!」
甲高い悲鳴を上げながら特急列車よりちょっと遅いくらいの速度で、空木は沖合へ飛んで行った。
◇ ◇ ◇
空木の箒が飛び立ってから10分ほど経過したころ、剣崎と呼ばれた少年のような男の学ランのポケットから、雷鳴のような音とともに空木の悲鳴が響き渡る。
「た、大変です!剣崎さん!う、海の中で怪獣が!怪獣が暴れまわっています!」
「怪獣だって!?空木さん!そこで何がおきているんだ!」
「バカでかい海蛇が!シーサーペントみたいなやつが人魚を捕まえて食べてます!あ、あと犬の頭みたいなやつが!」
「何が起きてるんだ!とにかく、マーカーをばらまけ!終わったら危ないからすぐに戻ってこい!」
剣崎の指示に従い、空木は緑色の塗料のようなものをばらまいた。
その後、彼女が去った海上には、おびただしい数の女の上半身と魚の尾びれのようなものが散乱していた。
◇ ◇ ◇
仄香
・・・海中では、スキュラと蛟が生き残っている人魚がいないか、海の底まで虱潰しに探していた。
《マスター。ご指示の通り、この海域の人魚の漁獲が終了した。大きな魔力反応はない。・・・死体はすべて持ち帰るか。毒性が強いのであまりお勧めはしないが。》
《いや、すべて持ち帰る必要はない。人魚の肉は猛毒だが、毒抜きをすれば遥香の精気を補う薬効がある薬が作れるんだ。・・・そうだな。一匹分あればいい。あとは好きに処分してくれ。》
《了解した。一匹分を除いてすべてを我々が食べて処分する。》
《ええ~。これ、のこり全部食べるの?人間の形したもの食うのは、いやだなあ。ねえ、スキュラ。あなた全部食べてくれない?》
《蛟よ。お前は態が大きいくせに好き嫌いが多すぎる。》
《まあ、そう言うなスキュラ。そもそも人魚は食えたモノじゃないしな。ああ、それとわざわざ別の海域に行ってまで皆殺しにする必要はないぞ。適当に脅しておけば海底に引っ込むだろう。》
スキュラと蛟から報告を受けながら、少し思案する。
人魚は世界中どこの海にもいたが、人間が鉄と火をもって海洋に進出し始めたころから数を大幅に減らしたといわれている。
また、様々な童話に描かれる人魚だが、実はすべてが同じ種類というわけではない。
有名な童話に描かれる人魚は、実は人間ベースの魔法生命体だ。もちろん人語を解し、胎生であり人間と生殖可能で、非常に長命でいくつかの水魔法を操ることができる。ちなみに、殺して食べても何も起きない。
だれが作ったかまでは知らないが、こちらはほぼ絶滅寸前だ。だって雌しかいない上に、人間との間に作った子供は全部人間にしかならないからな。
対して今回漁獲した人魚は、魚類ベースの魔物だ。当然、人語を解することはできないし、卵生で人間と生殖も不可能だ。超音波のような魔法を操り、人間の正常な思考を奪ったうえで襲って食うこともある。
奴らは深海に逃れただけで絶滅するほど数は減ってはいないはずだ。そもそも鰓呼吸だし、人間のように生存に太陽光が必要なわけでもない。だが、深海の生態系が乱れれば、今回のように浅いところまで上がってきて餌を探し始める。
そして奴らは全身に猛毒、というか、人間をゾンビかグールのように変えてしまう呪毒を持つ。この呪毒にあたると、体中が腐り果てて、首を落とさなければ死ねないような状態になってしまう。
ところが、処理さえしっかりすれば、この呪毒は転じて「不老不死の妙薬」となるのだ。
実際には不老不死の妙薬ほど大それたものではなく、「肉体と魂の結びつきをより強固にし、同時に強いアンチエイジング効果を持つ」だけのものなのだが、今回に限っては非常にありがたい存在だ。
まあ、お年寄りに使えば20代くらいまで若返るし、古傷も治るし、寿命も健康なまま500年くらいにはなるだろうけど。
・・・なぜこんなものが必要なのかというと、遥香の精気が残り僅かなのだ。いや、正確に言えば、遥香の肉体と魂を結び付ける力がもう持たないのだ。
このままでいけば、近いうちに魂が肉体を維持できなくなる。私の持っている魔法技術をすべてつぎ込んでも、持って年内、下手をすればあと1ヶ月が限界だ。
しかし、漁船が遭難したニュースを見て、人魚の仕業ではないかと思い、調べた結果、確信した。それにしても、このタイミングで人魚が見つかるとは。千載一遇のチャンスだ。これを見過ごす手はない。
《マスター。回収した人魚の死体を渡したい。人型を使う許可をもらえるか?》
・・・そういえば、漁獲した人魚をどう保存しておくかは考えていなかった。仕方ない。また健治郎殿にお願いするしかないな。
《ああ、人型が必要なのはスキュラだけでいいか?》
《あ!私も人型使いたい!近江町市場でお寿司食べたい!》
食い気味に蛟が念話に割り込んでくる。そんなに人魚が不味かったのか。
《わかった。シェイプシフターをそちらに行かせる。彼の案内で近江町市場近くの武蔵ヶ辻・近江町のバス停前まで来てくれ。お前たち、この国の通貨は持っていないだろう?あと、こちらに来る前に3人で協力して解体しておいてくれ。くれぐれも人魚とわからないようにな。》
《了解した。マスター。》
さてと。同行者が増えることだけ皆に言っておくか。
「琴音さん、千弦さん、遥香さん。ちょっと同行者が増えます。シェイプシフター、スキュラと蛟が人型になって合流するそうです。迎えに行ってよろしいですか?」
「え?眷属って人間にもなれるの?」
琴音と千弦が目を丸くして驚いている。
「ええ。人型になってるときは眷属の本来の力は一切使えませんけどね。」
《ねえ、仄香さん。人型になった時って、洋服とか身の回りの物はどうなるの?》
「基本的に毎回シェイプシフターが準備していますから、人型になった時は基本裸ですね。彼がどこで購入しているかまでは知りませんが・・・。」
そういえば、毎回どこで着替えているんだろう?まあ、いいか。シェイプシフターには予備のイヤーカフを持ってくるように言っておこう。
◇ ◇ ◇
数十分後
合流した二人は意外にもしっかりした格好だったよ。見た目は完全にキャスター付きの旅行カバンを持った、日本人女性の旅行客風の二人連れだった。
シェイプシフターが遥香に化けていることを除けば。
ちなみに。人魚の肉は上半身が牛か豚の肉のように処理されて蛟のカバンに、下半身は魚の切り身のように処理されてスキュラのカバンに入っていた。ご丁寧にビニールでラッピングされて。
旅行カバンとビニールもシェイプシフターが用意したらしい。まったく、変身するモノ以外はよく気の回る眷属だよ。