65 兆候
九重宗一郎伯父さんが初登場です。
ちょびっとだけの出演ですが、後々になって結構やばいキャラとして活躍します。
そんなおじさんいたっけな、と頭の片隅に置いておいてください。
11月初旬 福井県小浜市
その日は秋にしては珍しく曇天であった。今にも土砂降りになりそうな雨雲が垂れ込めていた。
事件の発端は、小浜漁港の沖に流れ着いた一隻の漁船であった。
不審に思った小浜漁港関係者が確認したが、その漁船には誰も乗っておらず、大量の漁獲物が載せられたままであった。
また、操舵室には、床に食べかけのサンドイッチの入ったランチボックスが落ちており、ドリンクホルダーには飲みかけの缶コーヒーが湯気を立てていた。
海上保安庁は通報を受け、ただちに臨場したが、船体に目立った傷もなく、血痕など一切ないことから、乗員が誤って海に落ちたのではないかと推測し、その船の持ち主であり、当日から連絡が取れない佐々木五郎(55歳)と妻の敦子(48歳)、娘の洋子(24歳)について付近の海域を捜索した。
◇ ◇ ◇
事件から二日目
海上保安庁による捜索の結果、小浜市沖合で佐々木五郎氏と妻の敦子氏が発見されたが、遺体に大量の歯形が残されていた。
福井県警察の協力により科捜研が鑑定を行った結果、歯形からは生活反応が確認された。
また、歯形の持ち主は10代後半から30代前半の女性、最低でも4人分によるものと判明し、共通して犬歯が異様に長いという特徴が確認された。
娘の佐々木洋子氏については、遺体が発見されず、行方不明として処理されることとなった。
以降、日本海側の漁港で同様の事件が連続して発生することとなるとは、このとき、だれも予想しえなかった。
◇ ◇ ◇
11月22日(金)
九重 宗一郎
枕元のテーブルで電話が鳴っている。あ、今何時だっけ・・・?もう9時半だと!?
「青木君か!スマン、寝坊した!急いで支度する!」
「おはようございます。社長。本日の予定ですが・・・。会議は午後2時からとなっています。オンラインですし、それほど慌てなくても・・・。」
いや、仕事のこともそうだが、今日は1か月ぶりに本家で会合(という名の宴会)が開かれる予定で、そこに美琴の娘たちと健治郎の息子が来る予定なのだ。
いつものようなむさい恰好では、甥っ子姪っ子たちに愛想をつかされてしまう。特に、琴音はそういったことに敏感だから毎回気合を入れなくてはならない。
「あ~。午前中は美容院に行く予定だったんだ。10時からの予約なんだが、家の前まで車を回してくれるか。急いででシャワーだけ浴びるから。」
「はい、すでに玄関の前にお迎えに上がっております。朝食はいかがされますか。」
「食ってる暇はないな。美容院の後、立ち食いソバでも食うよ。」
「さようでございますか。車内でお召し上がりいただけるようサンドイッチをご用意したのですが。不要でしたら私がいただきますね。」
「・・・気が利くな。いただくよ。また君の手作りだろ?」
「はい。ではお待ちしております。」
まったく、秘書の青木君は痒いところに手が届く。これで男じゃなければ嫁に欲しがる連中が殺到するだろうに。
手早くパジャマを脱ぎ、歯を磨きながらシャワーを浴びる。昨日、深酒をしたからな。同時進行で呪病を使って残留アルコールとアセトアルデヒドを分解しておく。う、トイレに行きたくなった。分解しても二酸化炭素と水にしかならんからな。
シャワー後、トイレに駆け込み、ひげをそり、何とか15分程度で身支度を整える。
「スマン、待たせた。いつもの美容院まで頼む。」
「かしこまりました。予約の5分前には到着できるでしょう。では。」
何とか間に合いそうだ。リムジンの後部座席で青木君が用意してくれたサンドイッチを頬張り、淹れたてのお茶を啜る。さて、きょうのニュースは何があるか。備え付けのPCの画面を見る。
日本海側で複数の船舶が遭難?遺体には複数の歯形?なんじゃこりゃ。まあ、うちの会社には関係ないか。ほかには・・・何々?中国海軍再編、ソ連軍が黒竜江省の一部を完全掌握、か。うーん。すぐに状況が膠着するだろう。その後は情報戦、だな。
「青木君。情報セキュリティ開発部門の担当者たちのスケジュールを確認しておいてくれ。新規で仕事が入るかもしれない。それと、新インフラ基盤の制御ソフト開発の件、少し予定を調整するように相談してくれ。デバッグ時間を少し長めに取りたい。」
「かしこまりました。では、そのように。」
話が終わったころ、車はゆっくりと停車した。お、美容院前か。ちょうど5分前だ。青木君の時間感覚は正確だな。
「終わったころ、お迎えに上がります。では失礼いたします。」
さて、今夜のためにいっちょ恰好つけるか!
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
今夜は、っていうか夕方の5時位から九重の本家に集まって会合という名の宴会がある。
先月の会合は修学旅行中だったおかげで参加しないで済んだけど、今回は参加させられる。
どうせ参加しても何も面白いことないのにさ。まあ、宗一郎伯父さんと師匠がお小遣いをくれるから、何もいいことがないとまでは言わないけど。
それより、今回の会合で宗一郎伯父さんに相談することがある。
冬休みの何日間か、宗一郎伯父さんの別荘を貸してくれるようにお願いするのだ。
もしダメだった場合、スキー場近くのホテルに自腹で泊まらなきゃならない。予算の関係で日程もタイトになるし、スキー板やらウェアやらのレンタル代だって馬鹿にならないのだ。
「は~。毎月毎月、よく大人たちは飽きないよね。姉さんは今回も健治郎叔父さんと銃とか戦車の話でもしてるんでしょ?私はずっとお酌よ。」
「いや、仄香っていうか遥香の件があってからちょっと話し難くてさ。ししょー、遥香とは普通に話しているんだけど、私相手だとちょっと表情が硬いのよね。」
「いいじゃない。姉さんもお酌回りしなさいよ。」
うーん。適当なところで師匠に謝るべきなんだろうな。・・・どうやって謝ったらいいんだろう?危ないことしてごめんなさい?黙っててごめんなさい?何か、違う気がする。
それに、あの後調べたけど、陸軍情報本部二部別室調査部、別名「別調」はかなりヤバい組織のようだ。肉親だからいいようなものの、そうでなかったら秘密を知ったからと消されていたかもしれないのだ。
「うーん、どうしたものか。」
《どうしたもこうしたもない。健治郎殿はお前の叔父で師匠なのだから、もっと信頼したらどうだ。あれほどの男、いつの時代でもそうそういるものではない。》
仄香はずいぶんと師匠のことを評価しているな。なんでだろう?
《ふふ、相手が魔女だと分かってなお、弟子や姪っ子のために私に銃口を向けたのだぞ?無知ゆえの大胆さなどではない。健治郎殿は私の力をかなり正しく認識していた。覚悟の上で私に立ちはだかった男など、健治郎殿より前には一人もおらぬわ。》
そうか。すごいね。ただのオタクで負け組みなし公務員かと思ってたよ。
「そうだね、今夜あたり話してみるか。そういえば昨日、週末の予定聞かれたけど何だったの?体を貸してほしいって言ってたけど、ししょー関連じゃないよね?」
《ああ、ちょっと福井に用があってな。敦賀の港に野暮用だ。先に言っておくが、戦闘はない・・・はずだ。》
「歯切れがわるいなぁ。別に戦闘があっても問題ないでしょう。神格?でもおろせば負ける要素なんてないんだしさ。それとも、あの防御を抜くような相手でもいるの?」
《いや、敵の前に出る予定はないよ。港の近くの堤防あたりで眷属を数体召喚するだけだ。遥香の身体ならともかく、お前の身体なら何を喚び出しても全く負担になるまい。ま、最大でもせいぜい腕立て伏せ2回か3回分の労力だな。》
私の身体が魔女と相性がいいとは聞いていたけど、そこまで相性がよかったのか。
「ふ~ん。まあ、必要ならフルマラソンでもいいけどさ。ところで、前から気になってたんだけど『眷属』って何なの?異世界から召喚でもしてるの?」
《あー。どこから説明したらいいか。まず前提として、人間の先天的無意識が成す集合的かつ普遍的な元型領域があって、さらにそこから個人や個集団の無意識により神や悪魔といった形で浮かび上がってきたものが揺蕩う領域があるんだ。》
ん?急に難しくなったぞ?
《元型領域についてはカール・グスタフ・ユングによれば、普遍的無意識とか集合的無意識とか呼ばれているな。それと個人的無意識の狭間の世界、これを精神世界、と私は呼んでいるんだが、そこには人間の無意識が作った無数の神話や伝承にある怪物や神獣が住んでいるんだ。》
ユングね。そういえば授業でやったっけな。あれって概念だけの話じゃなかったのか。
《その領域にいる者たちに魔力で一時的に肉体を与えて顕現させるのが召喚魔法だ。だから異世界から召喚しているわけではないんだ。》
「へぇー。じゃあ、二号さんもそこから来たんだ。でも、魔法で肉体を与えるって、レヴィアタンとか大きい眷属だと相当の魔力量が必要じゃない?体積も重量もすごそうだし。いくら魔女でも魔力量が足りなくならない?」
《そこは大丈夫だ。何も魔力だけで肉体を構成しているわけではないからな。こちら側の元素精霊の力も使っている。まあ、それでも足りない分は魔力のごり押しだな。》
「いいなー。私も何か召喚したいよ。ってわけで何か召喚魔法、教えて?」
《「ってわけで」ってどういうわけだ。・・・召喚魔法は燃費が悪いからやめとけ。対象が顕現している最中、ぶっ通しで魔力を消費するんだ。人間の魔力総量だと、・・・そうだな。お前の魔力総量全部つぎ込んで、ヒト型の眷属を30分顕現させるのが関の山だ。そのあとは入院だな。》
たった30分で入院だって?・・・二号さんを召喚して学校をさぼる計画がパアじゃん。
「まあ、いいや。二号さんが必要になったら声かけるからよろしく。」
《二号って・・・。まあ、シェイプシフターなら召喚しっぱなしだからいつでも構わんが。》
召喚しっぱなしって・・・まあいいや、召喚魔法の話よりも師匠になんて言おう。どうしたものか。
◇ ◇ ◇
同日 都内 新宿
オフィスビルの会議室で、六芒星と杖が描かれたピンバッジを胸に付けたサラリーマン風の男女がプロジェクターで投影された資料を見ながら、つまらなそうに会議を行っていた。
一人の若いスーツ姿の男が投影されたスクリーンをレーザーポインターで指し示しながら発言する。
「今月に入ってから福井、石川、富山で漁業関係者が行方不明になる事件が多発しています。いずれも船は傷一つなく、かつエンジンを停止した状態で発見されています。海上保安庁に勤務している協会員の報告によると、人間のものとは違う波長の魔力残滓が計測されたとのことです。」
初老の男が手を挙げ、確認を行う。
「北陸三県以外の被害者は確認されているのか?また、人間のものとは違うといったが、原因が何によるものかわかっているのか?」
若い男が質問に対し回答する。
「被害は北陸三県の沿岸漁業に集中しています。他県では被害者は確認されておりません。また原因についてですが、現場に残された鱗が人魚のものと一致しました。また歯形から複数に襲われたものと推測されます。」
若い男の口から「人魚」という言葉が出た途端、それまで関心がなさそうだった男女が一斉に反応した。
「人魚だと!絶滅したんじゃなかったのか!」
「また貴重なサンプルが得られる!いや、今度こそ捕獲して養殖をしなくては!」
「結社は!?魔術結社の連中はまだ動いていないのか!?」
「みなさん、お静かに。結社の動きはまだ確認できません。それに、今回は複数の人魚が確認されています。前回の魔力結晶のように、結社に独占される可能性は高くはありません。それに、すでに担当者を現地に送り込んでありますので、間もなく収穫が得られるでしょう。」
「担当者は誰かね?」
「最強の矛『剣崎』と魔女帚『空木』の2人です。」
「剣崎はともかく、ウツロギは聞かない名前だな。役に立つのか?」
「彼女の魔力総量と全地形対応能力は魔法協会随一です。魔術結社にも飛行能力を持つ者はいますが、こればかりは生まれ持った魔力が物を言います。結社には負けませんよ。」
会議が終わると、みな一様にスマホを片手に廊下に飛び出していった。