60 南雲家 魔女「仄香」の足跡
懐かしい人、再登場!だれだっけ?という人は21話をどうぞ!
11月6日(水)
仄香(魔女)
琴音の身体を借り、長距離跳躍魔法で南雲家の軒先に直接着地する。
ガルバリウム鋼板に葺き替えられた屋根やアルミサッシにされた窓など、ずいぶんと様変わりしているが敷地内にある母屋や離れ、土蔵などは120年前のままの配置で私を迎えてくれた。
当時、陸軍少尉だった紘一殿は上官の紹介でお見合い結婚をしたらしいが、妻となった紬殿は、精巣性女性化症候群、今でいう完全型アンドロゲン不応症だったため、子を産むことができなかった。
つまり、本来男性として生まれたにもかかわらず、精巣から分泌されるテストステロンをはじめとするアンドロゲンに肉体が一切反応しないため、ほとんど女性と区別がつかない身体になってしまうのだ。
今ならば、子供ができない原因が紬殿の性別にあった、すなわち外見は女性だが遺伝学的には男性であったことが分かっただろうが、メンデルの法則が「再発見」されたのは19世紀最後の年だ。
そんな時代に遺伝子だの染色体だの、わかるはずがない。
紬殿から不妊についての相談を受け、回復治癒系の呪いや魔法で対応しようとしたが、元が男性である身体を妊娠するように改造することはできなかったのだ。
・・・今ならば蛹化術式と肉体改造術式で対応もできるかもしれないが・・・。
石女だのカラオンナだの言われ、生家でも婚家でも針の筵に座らされ、誰にも理解されずにさぞやつらかっただろう。
当時、日清戦争のどさくさで日本人少女の身体を手に入れた私は、女中として南雲家に招き入れられ、紘一殿の母君に気に入られて妾になることになった。
普通なら、反対されていじめられても仕方がないものを、私を妾にすることについて、母君に逆らえなかった紘一殿と紬殿には土下座をされて謝られてしまったな。
それどころか私に身寄りがないことを知ると、二人は、せめて私も南雲の姓を名乗れるよう、必死になって母君を説得してくれた。・・・魔女なんだからそれくらい慣れてるというのに。
・・・あそこだ。紘一殿の妾になって、初めて枕を共にしたのはあの離れだった。
たった120年前だけど、遠い昔のようだ。
◇ ◇ ◇
《仄香?どうしたの立ち止まって。そっちは物置だよ。30年くらい使ってないと思うけど。》
「なんでもありません。あの離れ、昔と変わらないな、と思いまして。」
《ああ、あそこね。あそこで寝ると、将来結婚する相手の夢を見られるってご利益があるから、つぶさないんだってさ。》
・・・なかなか洒落た言い伝えになっているようだ。
言い出したのは紘一殿か、それとも紀一か。
「母屋にも鍵がかかっていますね。琴音さん、鍵はお持ちですか?」
《あ~。しまった。鍵、お母さんが持ってるんだった。どうする?取りに帰る?》
「いえ、ないのであれば強制開錠魔法で開けちゃいましょう。防犯装置とかありませんよね?」
《ないと思うけど・・・それってどんな鍵でも開けられるの?》
「ええ、鍵であれば。日銀の金庫だろうが北米航空宇宙防衛司令部のシェルターだろうが。もちろん電子錠でもOKです。」
《うわあ。・・・あとで教えてくれる?》
「悪用してもいいですけど、危険なことにならないように気を付けてくださるなら。・・・神秘の守護者よ。我は奇跡の言霊を以て汝を解き放つ者なり。・・・はい、開きましたよ。」
《うわ、何の抵抗もなく開いたよ。ピッキング要らずだね。》
琴音とそんな雑談をしながら、玄関で靴を脱ぎ、リビングらしいところに入ると、間取りは同じながらもリフォームされたようで当時の面影は残っていなかった。
まあ、120年前の生活水準じゃ今の人は暮らせないだろうし。
当然、電気も水道も止まっていた。
「暗いですね・・・光よ。照らせ。」
照明魔法で作った光があたりをやさしく照らす。
「ここはいつごろから空き家なんですか?あまり埃もひどくないですし、つい最近まで人がいたような感じがしますが・・・。」
《ああ、去年、三鷹の叔母さんがおじいちゃんとおばあちゃんを引き取ったからね。東京のほうが何かと便利だし。》
「三鷹の叔母さん?」
《ああ、お父さんの妹に当たる人。売れない小説家だけど、まだ結婚してないからね。まだアラサー、だったかな?今一生懸命婚活してるよ。》
「婚活してるのに、両親を引き取ったんですか。」
《家事全般が壊滅状態らしいよ。おばあちゃんが家事全般やってるって。・・・あれ!あそこにかかってる写真、そうじゃない!?》
指を差したりしているわけではないので、「あれ」がどれを差すのかはよくわからないが、照明魔法に照らされたそれらしき額は、確かに鴨居の中央あたりに飾られていた。
念動呪を使い、鴨居から外して丁寧に埃を掃うと、額の中には確かに二枚の写真と一通の手紙が収められていた。
一枚の写真は紘一殿と帝室博物館、今の東京国立博物館に行った帰りに浅草の写真館で撮影したものだ。
よくぞ120年もの間、残っていたものだ。
残念ながら紘一殿の写真は残っていないようだが・・・。
もう一枚の写真は、紀一が教師を務めた、尋常小学校の集合写真だ。
帝室博物館前で撮影されたもので、薄い色のワンピースを着たあどけない少女が紀一の隣で笑っている。
額を外し、注意深く手紙を開く。
そこには、紀一が寄港していた港から母に送ったであろう言葉が、丁寧な文字で記されていた。
『くれぐれもご案じめされるな 紀一は意気軒昂であります 紬おかあさまにおかれては 色々御心配が夛いだらうが暫くの御辛抱を頼みます
香弥はおかあさんやおばあちやんの 云ふことをよく聞いて 學校からは早く歸へりなさい
仄香おかあさま 忘れようとしても忘れは致しません 紀一はかならず歸へります 面白い藤波の事等必ず 語らひませう 昭和十九年八月七日 門司にて 南雲 紀一』
そうか。紀一は私のことをずっと覚えていてくれたのか。
「駆逐艦、藤波・・・。たしか、門司港を出たのは翌日だったかしら。十月二十六日、サマール沖海戦・・・。帰って来たかったでしょうね・・・。」
《門司港まで会いに行ったの?》
「いえ、仄香は関東大震災で死んだことになっています。語らいましょうというのは、おそらく墓前で、でしょうね。ふふっ、あの子、あっちで私がいないことに気づいたとき、慌てたかしらね。」
《関東大震災のあと、一度も会えなかったんだ・・・。》
「いえ?新しい体を手に入れて、すぐ会いに行きましたよ。『南雲せんせー』って言ってよく懐いてた美代ちゃんが実は自分の母親だった、なんて知ったらあの子どんな顔をするかしら。」
そう言って集合写真を優しく撫でる。
《ふーん。美代ちゃん、って名前もあるんだ。》
美代の家族はその後、空襲で全滅しているからな。まあ、その分大暴れさせてもらったが。
写真と手紙を丁寧に額に戻し、元の場所に飾りなおす。「あっち」が存在するかどうかは分からないが、もし叶うならもう一度会いたいものだ。
「さて、見たいものも見られたし、次は琴音さんの番です。どこに行きたいですか?」
《うーん。どこかに行くより、仄香の魔法とか魔術とか、教えて欲しいかな。》
「じゃあ、千弦さんに内緒で魔法と魔術をいくつか使えるようにしてあげましょう。」
そうだな・・・夢操術式と強制睡眠魔法、記憶補助術式、それから自動書記術式あたりでも教えてやろう。
夢操術式は見たい夢を見ることができる術式だ。それだけ聞けば娯楽用の術式にか思えないものだが、実際には他人に使うこともできる術式で、良い夢だけでなく悪夢を見せることも可能だ。
極めて少ない魔力の消費で、極めれば下手な攻撃魔法よりよっぽど恐ろしい威力を発揮する。
同時に数百人にも使えるし、強制睡眠魔法と組み合わせたら、抗魔力が自分より低い相手には負けることはなくなるだろう。
・・・琴音の抗魔力を上回る魔法使いなんて歴史上でも数えるほどしかいないだろうな。
記憶補助術式は、複雑な数式や画像、長い文字列などを正確に記憶するときに用いる術式で、人が幼少期に失う直感像記憶能力を術式で再現したものだ。
自動書記術式と組み合わせれば、写真のような絵を描くことも、琴音が苦手だと言っていた術式の構造式だって簡単に覚えて簡単に刻めるようになるのだ。
《あ、強制開錠魔法と光撃魔法も覚えたい!》
「・・・光撃魔法はちょっと魔力消費が激しすぎて・・・何かよさそうな攻撃魔法を一つ教えてあげますよ。何がいいかしら・・・。魔力変換効率が高いものがいいですよね。水・・・いや、氷結魔法、とかどうかしら。」
埃を掃った椅子に座り、学生鞄から出したルーズリーフにいろいろな術式や呪文、魔法理論などを書いていく。
照明魔法で作られた柔らかな光の下、琴音と念話で様々なことを語らう。魔法の事、魔術の事、昔の事、今の事・・・。
紀一とできなかったことを取り戻すかのように、時間が溶けていく。
◇ ◇ ◇
「さて、そろそろおなかが空いてきましたね。お昼はどこかで食べましょうか。もちろん、身体を返してからね。」
《静岡まで来たなら釜揚げシラス丼だよ!》
「はいはい。ちょっと季節外れだけど、名産地だから探せばあるでしょう。」
スマホで近くの定食屋の検索をしながら玄関に向かい、引き戸に手をかけようとした瞬間、ガラガラっと音を立てて開いたそこには、金髪でピアスだらけのパンクな女性と、同じような格好でサングラスをかけた背の高いスラっとした男性が立っていた。
「あら。南雲・・・千弦さん?琴音さん?お久しぶりね。元気だった?」
文化祭の翌日、千弦を襲った「黒川」とかいう女が不敵に微笑んでいた。
これはフィクションです。登場する人物、組織は架空のものです。
・・・フィクションじゃなかったらこの世界、終わってるって・・・