57 強制忘却魔法
遥香の不幸は続きます。・・・とことん不幸なんです。こんなにいい子なのに。
え?幸せになってほしいって?そんなの作者に言ってください。
・・・あ、私のことか。
11月5日(火)
南雲 琴音
姉さんが誘拐犯たちを完全に無力化したあと、館川君も含めてそこら辺にあった鉄屑で作った手枷で拘束して、奪われていたカバンやスマホを取り返した。
・・・幸い、スマホは電源が落とされているだけで壊されてはいなかった。
意識がある連中は拘束されて声も出せずにいるが、心底憎らしそうな目でこちらを睨んでいる。なんで私がそんな目で見られなくてはいけないんだ?
「それにしても、早かったね。長距離跳躍魔法って一度行ったところしか行けないんじゃなかったっけ?」
どうせ、姉さんは彼らをそのまま返すつもりはないだろう。だったら魔法のことも秘密にする必要もない。
《あー。琴音、遥香は今、神格を降ろしてるから、あまり深く考えないでもらえると助かるかな。後で説明くらいしてくれるでしょ。それより、今は遥香を何とかしないと。》
・・・!そうだ!遥香を助けないと!
「そうだな。まず遥香を助けようか。・・・さて、お前ら。その目線は少々目障りだ。少し眠っていてもらおうか。」
姉さんが軽く手を振るうと、金色の魔力を帯びた霧があたりを包み込む。
その霧が体に触れると、誘拐犯たちは糸の切れた操り人形のように意識を失った。もちろん館川君もだ。
「さて、気が散りそうな邪魔者は眠らせた。遥香を診ようか。」
再び、姉さんの両手から金色の霧があふれ出し、遥香の身体を包み込む。
「・・・これはひどいな。琴音が応急的に回復治癒を行っていなければ、もう死んでいただろうな。よく頑張ってくれた。ええと、左腕は針金で止血されているが、これは?」
「多分、奴らが・・・」
遥香の左腕には、太い針金が乱暴にまかれている。ペンチ、いや、ボルトクリッパーでもないと外せそうにない。
「そうか。とりあえず外すぞ。」
姉さんが触れると、針金は銀色のしずくになって床に滴り、すぐに固まった。
常温で金属を液化した?あいかわらずとんでもない魔法だが、だんだん慣れてきたよ。
「いかんな。左腕の損傷がひどい。挫滅症候群まで起こしているのか。それだけじゃない、腹のほうもひどい。直腸と子宮がぐちゃぐちゃだ。しかも中から焼かれている。心肺機能に至っては停止寸前じゃないか。足には銃創まであるし、失血死の可能性もある・・・。これは蛹化術式でまとめて治した方が早そうだ。琴音。そこの台の上に寝かせて、着ているものをすべて脱がしてくれ。」
姉さんに言われるまま、意識の戻らない遥香を台の上に寝かせ、ボロボロになったセーラー服などを脱がせる。
「よし。少し離れていてくれ。15分ほどで終わるから。」
姉さんがそう言うと、遥香の身体を白く輝く魔力の糸が覆っていき、いつしか絹色に輝く大きな繭になった。
「これで大丈夫・・・なの?」
「ああ。私も東シナ海では似たような状態になったが、損失した質量はあの時より少ない。体重もほぼ同じに、誘拐される前の状態までは確実に戻せるよ。完璧にな。それよりも・・・」
《身体は治っても、心の方が心配だよ。この子があんな目にあって耐えられるかどうか・・・。》
・・・あんな目・・・。姉さんは、遥香が酷い目にあっているところを撮影したビデオの存在を知っていた。
まさか!?ネット上に流出させられた!?
「姉さん!まさか、遥香の映像、ネット上に流出したの!?」
「いや、そこのバカがクラウドに保管しただけだ。大丈夫、干渉術式で全部削除済みだよ。」
よかった・・・。そんなことされたら、どんな方法でも立ち直れないところだった。
しばらく待つと、繭から放たれる光が少しずつ弱くなり、その一部からピシッという音がした。
「終わったようだ。遥香を繭から出すぞ。」
姉さんが丁寧に繭を開くと、遥香の裸体が見えてきた。
均整の取れた体型、シミ一つない肌、黒く艶やかな髪、そして白魚のような両手の指・・・。
すべて今朝のままだ。
すでにあたりは暗くなり始めており、だんだんと気温が下がり始めている。風邪をひくといけないと思い、繭を取り払った後、ボロボロだけどそっとセーラー服をその胸にかける。
「ん・・・。こと・・・ね・・・ちゃん?」
ゆっくりとその両目が開く。
「遥香!大丈夫?どこも痛くない?」
その無事な姿を見て、つい抱きしめてしまう。
「え?私・・・あれ?え?あいつらに私、・・・いや・・・いやぁぁぁぁぁ!」
遥香は目が覚めると同時に、フラッシュバックしたかのようにパニックを起こしてしまった。
「遥香!もう大丈夫!終わったんだよ!体も治ったんだよ!」
慌てて抱きしめようとしたが、強く振り払われてしまった。仕方なく両手を抑え、羽交い絞めにして抑えるも、暴れ続けている。この細い体のどこに、これほどの力があるのか。
「いやだ!こないで!いたいよ!そんなの、はいらない、さけちゃう!こわれちゃう!もうやめて!なかはやだ!わたしをよごさないで!もうひとおもいにころして!こんなのもうやだ!」
ガラクタだらけの廃工場で暴れ続けるせいで、治したばかりの身体がすぐ傷だらけになる。
あいつら、一体何をしやがった!?
《やっぱり・・・。ねえ、何とかならないの?記憶干渉術式とかで忘れさせるとか、何か方法はないの?》
「・・・記憶干渉術式は、一時的に記憶に蓋をすることしかできない。しかも、遥香は魔力持ちだ。思い出す危険性が高すぎる。ここまでトラウマが強いと、琴音よりひどい暴走をする可能性があるんだ。」
姉さんは悔しそうにそう言った。
「うあぁぁ!みないで!とらないで!いたい!そこはいれるところじゃないよ!うあぁぁん、ママ!パパ!たすけて!おねがい!うちにかえらせて!わたしのゆびが!いたいよ!もうやだ!いっそころして!いやだ!」
遥香のパニックはまったくおさまる様子がない。
「仕方がない。ちょっと眠らせるぞ。」
姉さんがそういうと、まるで電源を落としたかのように遥香の力が抜け、私の腕の中で意識を失った。
《回復治癒魔法で何とかならないの?》
姉さんが念話でそういうが、回復治癒魔法は精神まで癒せるものではない。
・・・遥香の笑顔は、もう二度とみられないのか・・・。言いようのない喪失感があたりを包み込む。
「・・・一つだけ方法があるんだが・・・。」
姉さんがつぶやく。
「どんな方法!?可能性があるなら、お願い、遥香を助けて!」
「・・・強制忘却魔法、だ。」
《記憶干渉術式と何が違うの?忘却って言っても、思い出したら一緒なんじゃないの?》
「・・・強制忘却魔法は、人格情報と記憶情報の両方を同時に消去するんだ。記憶干渉術式と違って、思い出す可能性はないんだ。」
「じゃあ、今すぐそれをやって!思い出さないんなら、問題ないじゃない!」
姉さんは何を迷っているんだろう?完全に忘れさせられるなら、すぐにでも使えばいいのに!
「・・・強制忘却魔法は、微調整が難しいんだ。うまくやれば一日だけ忘れさせることもできるが、失敗したら数年の記憶が吹っ飛ぶ。しかも、もう二度と戻らない。簡単に言うと、脳の記憶領域を物理的に取り払うようなものなんだ。だから危険すぎて、攻撃以外ではここ半世紀ほど使っていないんだ。せめて本番前に何度か試せれば微調整も何とかなるとは思うが・・・」
あたりはすでに暗くなっている。そろそろ遙一郎さんと香織さんが心配し始めるころだ。早く方針を決めないと。
《ねえ、試せれば微調整できるの?だったら、あそこに転がっているやつら、使えばいいんじゃない?》
「そうか!その手があったな。幸い実験台はこんなにあることだし、数回失敗しても構わないだろう。」
姉さんはそう言うと、拘束されて眠りこけている五体満足な男を一人、片手でひょいと担ぎ上げ、ごみ袋でも放り投げるかのように遥香の横に転がした。
・・・姉さんもかなり魔女に染まってきたな。
「ほら、起きろ。まずは一日分、いってみるか。」
たたき起こされた男の頭を掴み、無詠唱で魔法を発動する。
男の頭に当てた掌からバチン!という派手な音が響き渡る。
「やめろ!うぐっ!がぁっ!・・・あぁぁ・・・。」
次の瞬間、男は力が抜けたような顔になり、同時に失禁した。
「うーん。一日分のつもりがいきなり全部ゴッソリといったな。神格を降ろしていると出力がこんなに上がるのか。ははっ。魂の一部分まで吹き飛んだな。コイツはもう自分のこともわかるまいよ。」
呆けて動かない男を掴むと、もう興味がなくなった玩具を捨てるかのように片手でガラクタの山に放り出し、すぐ次の男に手を伸ばす。
◇ ◇ ◇
・・・あとは繰り返しだ。
もう一人の無傷だった男と鼻ピアス野郎、眉細女まで実験をしたところで、やっと勘を掴み始めたらしい。
ちなみに、私が天井にぶつけた鼻ピアス野郎は気を失っていただけだったよ。長距離跳躍魔法は派手だけど攻撃には不向きだったかな。
最初の二人は乳児レベルまで退行しているらしく、オギャアオギャアとうるさくてしょうがなかった。
・・・鼻ピアス野郎は5年、眉細女は半年ほどで済んだようだ。
両方とも10歳なる前から不良だった、ということまで分かったが。・・・こいつら、性根から腐ってるのか。
「よし、半分頭。次はお前だ。」
「いや、なにすんのよ!はなせ化け物、くそ!」
姉さんは構わず手を伸ばし、魔法を行使する。
パチッと静電気が流れた程度の音がすると、半分金髪女は、一瞬呆けたような顔をしたかと思うと、あたりを見回し、また騒ぎ出した。
「なにすんのよ!あんたたちだれよ!?・・・なっ!コトネとかいうヤツじゃん!なんで同じ顔?双子?予定は放課後なんじゃなかったの!?」
「ふう、やっとうまくいったようだな。これでだいたい体感時間にしてほぼ半日、だな。いよいよ本番、いってみようか。」
騒ぐ半分金髪女を眠らせてガラクタの山に放り出し、眠る遥香に手をかざす。
姉さんは慎重に、丁寧に遥香の頭をなでている。
パチっという音もしない。細心の注意を払っているのが私にもわかった。
「よし、うまくいった。だが・・・これは・・こんなことがあり得るのか・・・。」
うまくいった、と言ったはずなのに、姉さんは遥香の頭から手を離さない。
どうしたんだろう。うまくいったんじゃないのか?
「琴音、千弦。・・・遥香は魔法使いだ。生まれつきの・・・。それも、魅了魔法を常時発動させているタイプのようだ。」
「え?常時発動の魅了魔法なんてものがあるの?」
《ちょっと待って。私たち、ずっと魅了されてたっていうの?》
念話で姉さんもビックリしている。
確かに、初めて会ったとこから可愛いと思っていたけど、あれも魔法による魅了だったのか。
「いや、遥香はお前たち二人ほど魔力は高くないし、何より琴音の抗魔力は魔女を除けば世界でも五本の指に入るレベルだ。もちろん、千弦の抗魔力だって低くない。ただ、一般人相手となるとな・・・これはこれまでも色々と問題が起きてたんじゃないか?」
「そういえば、今日のお昼休み中、この子から聞いたんだけど・・・。小学生のころずっとイジメられてたって言ってたっけ。何か関係があるのかな?」
《それ、好きな子をイジメたくなっちゃうって心理かもよ。》
「そうだな。一応、対策しておくか。それと、・・・いや、もうこんな時間だ。琴音。まだ長距離跳躍魔法2回分くらい使えるな?遥香を家まで送ってくれ。あと適当な言い訳も頼む。」
「?・・・分かった。二人はどうするの?」
姉さんが何か口ごもっている。まだ何かあるのだろうか。
「ここを片付けてから帰るよ。シェイプシフターに千弦の代役はさせておくから、心配はするな。」
少し何かを言いかけた姉さんをその場に残し、遥香を抱きかかえ、廃工場の地下室を後にした。
人間の記憶については、昨今の研究でかなりのことが分かってきていますが、「忘れる」ということについてはなかなか難しいようです。
現時点での通説によりますと、「記銘」、「維持」、「想起」のいずれかの段階で問題が発生することにより人は「忘れ」ますが、その多くは「維持」の段階で問題が発生することが原因です。
ちなみに「記銘」の段階で問題が発生した場合は、忘れたというより、初めから覚えていない状態のようです。
魔女が使う強制忘却魔法は「維持」された記憶を破壊するだけでなく、その「想起」まで妨害するようです。
・・・これって、もし少年が犯罪行為を行った場合に、彼らを矯正する目的で使ったら相当な効果を発揮すると思うんですが、その場合って被害者や遺族感情ってどうなるんですかね?少年は反省するどころか犯罪事実を「知らない」ってことになるわけですし。