5 ERROR: Unknown Entity/九重健治郎の怒り
健治郎叔父さんは、とある独立行政法人に準ずる組織で働いています。
厳密にいえば公務員ではありませんが、みなし公務員なのでアルバイト不可です。
普段から有給休暇がなくなるほど休んでいますが、いったい何をしているのでしょう。
8月26日(月)
東京都西東京市 某所
「琴音、千弦の具合はどうだ?」
乱雑に機材が積まれた、研究所のような一室。
部屋の奥で、パイプ椅子に腰かけた少女が顔を上げる。
眼鏡越しの視線は釣り目だが穏やかで、おっとりとした空気を纏っている。
琴音は飾り気のないベッドで眠る、そっくりな顔をしている少女の左手を撫でながら答えた。
「姉さんの左手はしっかりと繋がりましたよ。指の欠損どころか縫合跡もありません。」
彼女の指先の下、びっしりと紋様 の刻まれた包帯に覆われた左手。
そこに生々しい記憶が刻まれているのは間違いない。
だが、琴音は こともなげに言う。
「繋がればいいって問題じゃないんだがな。だいたい、まだお前たちは十六だ、心理的な後遺症だってあるかもしれないだろう。」
「いいえ、健治郎おじさん。二人とも二か月前に十七になりました。」
そうか、と言いながら、そばにあったデスクの椅子を引き寄せる。
ズボンのポケットから煙草を取り出そうとしたが、琴音が、静かに制止した。
「おじさん。けが人がいるので禁煙です。」
ここは俺の家で、その研究部屋をお前らが勝手に占拠しているだけなんだが、と内心では思いつつ、琴音の言うとおり、煙草の箱を懐に戻す。
「で、左手は元通りになるのか?」
「一週間もすれば普通に使えますし、一か月もすれば違和感なく元通り動くでしょう。足りないところもなかったですし、何より切断面がとてもきれいでしたので。なんでしたら、始業式には出席できます。」
琴音いわく、剃刀で切断したかのような刀傷であったそうだ。
一昨日の昼過ぎ、よほどのことがない限り、メールかSNSしか使わない千弦から電話がかかってきた。
「師匠、大怪我しちゃった。車で迎えに来て。」
最初は冗談かと思った。
転んでネイルでも割れたのか?
そう笑いながら車を出したが、数十分後、車のドアを開けて彼女の血まみれの姿を見たとき、全身の血の気が引いた。
左手の肘から先がなかった。
「欠損」という現実が視界に飛び込んできた。一瞬、脳がフリーズする。
よく事故を起こさないで、ここまで連れて帰れたと我ながら感心する。
なんでも、本家が定期的に行っている魔力保持者調査の手伝いをさせられている最中に、女の形をした化け物に襲われたのだそうだ。
調査用のアプリがインストールされたスマホは、その履歴情報を本家の術者が解析をしている最中であり、結果が分かり次第、報告をもらえる。
かわいい弟子で姪っ子の左腕を切り落とした女を、ただで置くつもりは毛頭ない。
「よく寝たー。あれ、ししょー、来てたの?平日なのに暇なの?」
緊張感のない声とともに千弦が目を覚ます。
目つきが悪いくせに、性格は妹の琴音よりのんびりとしている。
・・・いや、のんびりしているように装っているのを知っている。
目つきが悪いのは、近視のくせにコンタクトレンズが苦手でメガネも嫌いだからだったか?
「ここは俺の家だ。来た、ではなく帰ってきた、な。それより、具合はもう大丈夫なのか?」
タンスからタオルを取り出し、汗を拭きながら、エアコンの設定温度を5℃下げる。
「多分大丈夫。違和感はあるんだけど、ギプスと包帯でぐるぐる巻きにされているから、そもそも動かせない。繋いでもらってる間は麻酔が効いて眠ってたし、たぶん麻酔は切れてると思うけど、痛いところはない。それとも、私の骨の写真が見たいなら、琴音に聞いてみて。多分、写真くらいは撮ってると思うよ。スケベ。」
術中記録を記念写真みたいに言うな。
琴音のことだから、しっかりと記録はしているだろうけれど。
それから、若い娘の骨を見たがる奴はスケベではない。サイコパスだ。もちろん、俺が煙草好きだからってパイプにも加工したりしない。
「そうじゃなくて、大量に出血しただろ?貧血とかの体調不良の症状は出ていないかと聞いているんだ。回復治癒系の魔法じゃあ、失った血までは補えないからな。」
「そういうことなら、体が重い。だるい。エアコン効きすぎ。お汁粉食べたい。」
千弦は大丈夫だということが分かった。
こいつは放っておいてもいい。
「琴音。千弦の腕の切断跡なんだが、何か分かったことはあるか?」
「切断面に極めて強い呪力が纏わりついていました。およそ人間が発したものとは思えません。」
「魔力ではなく?魔法や魔術が使われたのではないのか?」
魔法というものは、魂あるモノすべてが持っている「魔力」を、修練によって体内に構築した魔力回路で制御して発動するものだ。
簡易なものであれば呪文を、大掛かりなものであれば魔法陣や祭壇を用いて儀式を行い、世界の根源に直接働きかけ、物理法則から外れた何らかの現象を起こすことができる。
ただ、潜在魔力の量は生来の素質に左右され、たとえ魔力があっても体内にその制御を行う魔力回路を構築する必要があるため、魔法を使えない者が大多数だ。
実際にその両方の条件を満たし、魔法が使えるものは「魔法使い」と呼ばれ、この国全体でも千人にも満たない。
琴音はそのうちの一人であり、身体操作系統の魔法の行使が可能で、特に医療系の魔法を得意としている。
一方で魔術とは、魔力が足りない、または魔力回路がなく制御ができない等の理由で魔法を使うことができない者が、魔法と同等の効果を得るために編み出したものだ。
自然界に遍く存在する魔力に類似した力を、魔力を蓄えることができる有機物に込め、魔力回路の代わりに術式を刻みこんで指向性と意味を持たせ、使用者のごく少量の魔力や電気信号をトリガーとして発動する。
才能無き者のために編み出された技術ではあるが、術式の構築が事前にできるため、瞬間的に発動することができ、魔術師によっては才能のある魔法使いを上回る力を持つ。
だが、最大の欠点は、事前の準備が欠かせず、臨機応変に行使できない、そして要求される技術が魔法よりずっと高度である上に情報が秘匿されている。
よって使える人間は魔法と同じように少ない。
なお、魔術を行使するための術式を編むことができる者は「魔術師」と呼ばれるが、術式は誰でも、極端なことを言えば電子回路でも発動させることができるため、術式を発動させるだけの者は魔術師とは呼ばれない。
一卵性双生児であるが、なぜか琴音と違い魔力回路の構築ができない千弦は、10年ほど前から俺が術式を編めるように仕込んだため、まだ未熟ではあるが分類上は魔術師となる。
ただし、潜在魔力量は琴音より千弦のほうが大きいため、千弦は自身の魔力だけで術式を発動できる点が他の魔術師と大きく異なる。
呪力については、検知することが関の山で、再現することも解析することもできない、完全なオカルト的な力としか言いようがない。
おそらくは意志の力だけで、魔力すら介さず思い描いた空想をそのまま具現化して現象を起こす力であるといわれているが、ほとんど超能力の領域である。
いずれも、科学が神秘を駆逐したと信じられているこの世界では、異端であることに変わりはない。
公共の場で魔法だの魔術だのと口にすれば、頭がおかしいか、妄想癖があると思われてしまう。大声で奇跡だの神秘だのと騒ぐ「教会」の連中を除けば。
「お汁粉がなければ、あったかいココアでもいいよ。近くのコンビニで買ってきて。」
千弦が口を尖らせながらタオルケットを体に巻き付ける。
「分かったから。エアコンの温度戻すから。外の炎天下をもう一度歩かせないでくれ。」
エアコンの設定温度を3℃上げながら、小型の冷凍庫から麦茶を取り出した。
「そういえば」と前置きして千弦に確認する。
「千弦は何か気づいたことはなかったか?」
「私にそれ聞く?ししょー、デリカシーなさすぎ。普通ならトラウマものだよ?話してもいいけど、修学旅行のおこづかい、ちょうだい。」
言葉の軽さとは裏腹に、千弦の表情が一気に険しくなる。
「トラウマでもシマウマでも何でもいい、化け物じみた呪いを発するヤツがこの辺りをうろついてるんだ。放置すれば次は殺されるぞ。順番でなくてもいい。覚えていることでも気づいたことでも何でも話してくれ。」
千弦は大きく深呼吸した後、おもむろに話し始めた。
「分かっていることから話すね。声と服装からして性別は女、見た目の年齢は10代後半、高校生か大学生、黒髪、おそらくアジア系、日本語を話していたし、イントネーションに不自然な点はないから、たぶん日本人。痩せ型で身長は私より少し低いくらいだから150㎝くらい。年下かもしれない。顔は逆光だったせいなのか、よく見えなかった。」
遭遇時、相手は認識阻害系の魔法や魔術は使っていなかったのか。
あるいは、ブラウスに刻まれた術式で抵抗できたということか。
どちらにせよ、その手のものはいったん認識され記憶されたものまでは影響を及ぼすことはできない。
「本家に回収されたスマホには、見たこともない警告が出ていた。たしか、『Founder/First Generation』だったかな。それと、計測値は全部『ERROR』だったと思う。
「Founder(始祖)」か。あと、何の「First Generation(第一世代)」なんだ?それにあの魔力測定器はネズミ程度の魔力でも正確に計測できるはずなのに、「ERROR」と表示されるとは。
逆に、数値が大きすぎて計測できないというのも考えにくい。大規模魔力災害にも対応しているモデルだったはずだ。
例え人外・・・怪異だとしても、一個体が持てる魔力量では測定器を振り切ることはないだろう。
「考え込んでるところ悪いんだけど、続き、話していい?」
思案に暮れていたが、千弦の声で現実に引き戻される。
「ああ、続けてくれ。」
「回転ドアのある喫茶店からアレが出てきたとき、頭から氷水をぶっかけられたような、全身の毛が逆立つような感覚がした。林の中で猛獣に出会ったようなもんじゃない、絶望とか闇とかいったモノが人の形をして立っているような感じ。」
千弦は、繋げたばかりの左手のギプスに、跡がつくほど右手の爪を立てる。
「反射的に、L9を抜いて、歩道の植え込みに隠れてサイトを合わせたときには、もう左手が切られてた。」
作業台にあるL9A2を見る。スライドとマガジンが外されているが、トリガー回りは血だらけのままだ。
千弦の右手に入る力とは裏腹に、その表情は無表情だ。
「気が付いたら、アレがすぐ近くに立っていて私の左手を持ってた。パニックになって、トリガーを引き続けたら、至近距離であれだけ撃ったんだ、きっと当たってるはず。なのに全く効果がなくて。ししょーの作った術弾だもん、ヒグマだって数発で殺せる威力があるのに。」
あの術弾が効かないだと?
千弦の左耳のピアスが揺れている。
確か、高校の合格祝いに本家のクソ親父から届いた品だ。
複数のロストテクノロジーの術式がかかった逸品だそうだ。
「なんで助かったかは分からない。アレはいつの間にかいなくなってた。左手はゴミみたいにボロボロになって落ちてた。」
千弦はギプスから出ている左手の爪を撫でた。
「それからあとは、現実感がなくて。自分の左手はマネキンか何かにしか見えなくて。琴音に塗ってもらったネイルをボロボロにされたことだけムカついてた。」
琴音が千弦の頭を両手で抱きしめる。もうこれ以上は聞くな、ということだろう。
「もういい。十分だ。両親には俺のほうで連絡しておく。ゆっくり休むといい。」
ポケットから財布を出し、万札を二枚、琴音に渡した。
「二人分な。落ち着いたら、渡してやってくれ。修学旅行中も、千弦のことを頼む。」
部屋から出て扉を閉めると、部屋の中からくぐもった声とともにベッドかクッションを叩くような音が聞こえた。
犯人は何者だ?本当に人間か?煙草が切れているせいか、妙にイライラする頭で考えたが、考えがまとまらない。
本家からの報告を待つしかない。ああ、くそ。女だか化け物だか知らねぇが、必ずその両手をちぎり取ってやる。
九重健治郎おじさん(師匠)は琴音・千弦姉妹にとって母親の弟、つまり叔父にあたります。
琴音にとってはただのおじさんですが、千弦にとっては術式の組み方のすべてを教えてくれる師匠です。
でも・・・メガネを外されると琴音・千弦の区別がつかなくなるので、いちいち鑑定術式を使って識別しているのは二人には内緒です。
ちなみに。ベッドを叩いたのは千弦で、一万円札を握ってはしゃいでいるだけです。子供は現金なものですね。