47 ある窓際の風景
姉さん・・・使った術式の回収ぐらいちゃんとしようよ。
そのせいでいつも後々とんでもないことにつながるんだよ。by琴音
11月1日(金)
九重 健治郎
「九重君、またかね!」
昼前のオフィスに総務部長の怒号が響く。
なんでも、うちの資料室が保管している契約書の文書廃棄に不備があったらしい。文書廃棄期限を超えて、廃棄するべき文書が残っていたんだそうな。
そもそも、その契約書を作成したのは契約課だし、契約終了後、廃棄期限を設定するのは原課(契約により業務委託を行う部署)であるシステム管理課だ。
それどころか、その資料を契約成立時に保管し、検印を押したのは前任者で俺じゃない。だが、お上の命令でこの部署にいなければならない俺としては、謝っておくしかない。
「申し訳ありません、長谷川部長。資料室の確認不足でした。今後、保管時に検印を押す際にはダブルチェックを徹底します。」
一向に小言をやめない部長をこれ以上刺激しないように注意しながら、ただ時間がたつのを待っていた。
「まったく、最近の若いもんはたるんどる!軍隊にでもぶちこんで再教育をしたらいいものを!」
終身雇用組で息子もまともに育てられず、軍隊どころ匍匐前進すらしたことないくせによく言う。
何度か教官もやってたレンジャー教練にぶち込んで、20式で後ろから追い回してやろうか。
確か長谷川部長は今年で57歳だったか。12月1日生まれ、いて座のB型。家族構成は80歳になる母親の頼子と、54歳になる妻、美由紀。そして30歳の長男の剛大と同居している。剛大。勇ましい名前だ。完全に名前負けだな。
たしか無職で引きこもりだったな。高校2年の時にクラスメイトの鈴木洋と佐藤陽介にいじめられて自殺未遂、学校にはいじめの事実すら認めてもらえず、ニュースにもされずに引きこもったまま今に至る、だったか。
情報部が持ってきた資料は丸暗記しているが、そんなことに貴重な脳の容積を使わなきゃならないのは少し腹が立つ。
・・・いっそのこと、俺が独自に役立ててやろうか。
「九重室長、外線一番に法務省の高杉様からお電話です。」
おう、高杉か。最高のタイミングだ。次の仕事が終わったら、ビールをおごってやろう。
「お電話代わりました、九重です。」
「九重さん、今お時間よろしいでしょうか。次の法教育の広報資料の件、ご相談いただきたいのですが。」
・・・急ぎの仕事、国内で魔法魔術関連の国防案件。
「いつも大変お世話になっております。お任せください、早速資料を作ります。お打ち合わせをさせていただきたいのですが、ご都合の良いお日にちはございますか。」
・・・了解した、ただちに準備する、集合場所と時間を知らせよ。
事前に作っておいた術式による変換で、スラスラと挨拶の中に必要な情報が流れていく。この術式暗号は俺が原隊にいるときに考案したものだが、まだ使っているのか。
「それでは、スケジュールを確認いたしまして、のちほどメールにて送らせていただきます。」
集合場所はいつもどおり、日時は今夜、終業後すぐ、か。
「お待ちしております。今後ともよろしくお願いいたします。」
さて、本業か。世間様は明日から三連休だってのに、まったくツイてないね。
「部長、せっかくご指導いただいているのに大変申し訳ありませんが、法務省の高杉課長にお渡しする資料を今すぐまとめなくてはなりません。資料室に戻ってもよろしいでしょうか。」
「まったく、あの若造め。俺が話しているのを邪魔しおって。もういい。とっとと出てけ!」
◇ ◇ ◇
部長室を後にし、通い慣れ始めた資料室のドアを開け、名ばかりの室長の席にドカッと腰を下ろす。
「九重先輩、こちら、先ほど高杉様からご依頼いただいた資料です。」
室長補佐の三上君が、いつの間にか完成している資料を差し出した。
盗聴や盗撮をごまかすためのダミー資料だが、まったく仕事が早い。
陸軍参謀部付のころから優秀な女性だとは思っていたが、こんなところに連れてくるのはもったいなかったな。
「ありがとう、定時で上がったらちょっと飲みに行く。予定がなければ君も来るか?」
「ご一緒します。いつものお店ですか?」
当然、飲みになど行かない。誘っているわけでもない。任務の集合場所が居酒屋であることを伝えているだけだ。
一応、この身分もみなし公務員であるおかげで、比較的定時に上がれることに感謝しつつ、終業まで世間話とコーヒーを楽しんだ。
◇ ◇ ◇
「先輩、お疲れ様です!」
行きつけの居酒屋の暖簾をくぐったところで、高杉の元気な声が聞こえた。
「おう、さっきは助かったぜ。長谷川部長に難癖付けられてヤバかったんだよ。」
居酒屋の店員はすべて陸軍情報本部二部別室調査部の関係者だ。
ボロそうな外見に想像できないほどの諜報対策が施された個室に案内される。
「総務部長の長谷川大輔ですか?任務の妨げになるようならすぐに消しますが?」
「やめとけ。あんなのでも無能だから役に立つ。」
実際、そうなのだ。自分のことを有能で偉大だと思っている無能ほど、足元で部下が何をしているのかに気づかない。
「そうですか。先輩がそうおっしゃるなら、まだ生かしておきます。」
「さて、今回の任務は?」
「いいえ、任務ではありません。」
・・・何を言ってるんだ?任務でなければ、この個室の使用許可なんて出ないだろうに。
まさか。
「まさか、千弦が府中で計測した、あの魔力波長の持ち主の居場所が分かったのか!?」
「ええ、そのとおりです。コードネーム『ウィッチオリジン』。人類史上最強、国家すらまともに相対することを避けている、例の『魔女』の所在をつかみました。」
「・・・その話がとおっているのは誰までだ。」
「風間大将、九重総理のみです。」
あのクソジジイ、いつから知っていやがった。
「この話が俺に来たということは、殺していい、ってことか?」
「可能であれば。難しいようであれば、懐柔せよ、とのことです。」
高杉が角2封筒を差し出す。
「ふつうは逆だろうが。懐柔できない場合に殺すならわかるが、殺そうとしてから懐柔なんてできるかよ。」
受け取った封筒の中から何枚かの資料を取り出しながら、そんな軽口をたたいていると、一枚の写真が目に留まった。
「おい、嘘だろ・・・?」
確かに調べるようには言ったが・・・。
そこには、琴音の病室に足しげく通い、一緒にリモート授業を受けながら勉強を教えてくれていた、無表情だがどこか放っておけないような雰囲気をまとった、可憐な少女の姿が写っていた。
◇ ◇ ◇
館川 優裕
修学旅行が終わってから一週間以上が経過した。
教室の窓側の席で、ボーッとしながら左の頬を撫でていた。
琴音ちゃんは、那覇では僕に気があるようなことを言っていたから、慣れないけど頑張って考えたデートプランで最高のムードを作って、真愛碼頭で琴音ちゃんに気持ちを伝えたら、たどたどしいながらもオッケーをくれた。
彼女がこちらを向いて目を瞑ったから、キスをしようとしたら、いきなり頬を叩かれた。
何が起こったかわからなかったけど、「あなたには一番大事なものが見えてない。」と言われ、その場に取り残された僕は、一人寂しくホテルに戻った。
デートの前に渡された彼女とおそろいのきれいな刺繍が施されたお守りは、今日までずっと肌身離さず持っていたが、もう心に区切りをつけたほうがいいだろう。午後に授業が終わったら、彼女に返しに行こう。
それにしても、帰ってきてから、いや彼女に頬を叩かれてホテルに戻って後からずっとクラスメイトのみんなに無視をされているような気がする。
なぜか挨拶をしても返事もしてくれず、生徒会の仕事も予算関連のやり取りをするのにうまく意思疎通が図れなくてうまくいっていない。
まさかと思うけど、彼女が僕の悪口を誰かに言いふらしたのだろうか。
でも、彼女はそんなことをする人だとは思えない。普段から保健委員として誰かがケガをするたびに、その手が血で汚れても顔色一つ変えずに甲斐甲斐しく手当てをしている姿を見て、ずいぶん前から好きになっていた。
何か僕に至らないことがあったんだろう。お守りを返すついでに、覚悟を決めて聞いてみることにした。
◇ ◇ ◇
休み時間中、琴音ちゃんはよく久神さんと咲間さんと楽しそうに話しをしていることが多い。何の話か分からないけど、二人のネイルを塗っているのも彼女だそうだ。
意を決して彼女の後ろから近づき、声をかける。
「南雲・・・琴音さん。午後の授業が終わったら、渡したい物があるから校舎裏の花壇のところで待ってるから、来てもらえないかな?」
・・・無視をしているのだろうか、返事をしてもらえない。彼女はこんな性格だったのか?
「琴音さん、館川君が何か用事があるらしいですよ?」
久神さんが振り返り、無表情にこちらを見た後、少しめんどくさそうに琴音ちゃんにそう告げると、琴音ちゃんが慌てて今気づいたかのように僕に聞いてきた。
久神さんは、いまこの高校で一番人気がある女の子だけど、いつも無表情で何を考えているか分からない子だ。それどころか、僕の心の中まで見通すようなその瞳が怖かった。
「ごめん、ネイルの話で盛り上がってて気づかなかった。ええと、何?」
「授業が終わったら、校舎裏の花壇のところにきてほしいんだ。渡したい物・・・と話しがあるからさ。」
「いいけど・・・。今日は保健委員の会議があるからあまり長く時間は取れないけど、それでもいい?」
そうか、そういえば毎月の第一金曜日は保健委員会から会議室の使用許可申請が出ていたっけな。
「そう・・・なんだ。あまり時間はかけないからさ。」
「わかった。放課後、校舎裏の花壇で。」
我ながらなんてタイミングが悪いんだろうと思ったけど、一度自分から言い出した手前ひっこめることはできず、放課後の約束をすることにした。
◇ ◇ ◇
放課後になって校舎裏の花壇横のベンチで待っていると、3分もたたないうちに息を切らせながら琴音ちゃんが走ってきた。
「遅れてごめん、渡したい物って、何?」
ポケットからあの日もらったお守りを取り出し、そっと手渡す。
琴音ちゃんは一瞬ビックリしたかのような顔をした後、無言でそれを受け取り、ひもを軽く引っ張った後、何も言わずそれをポケットにしまった。
「話って何?」
「あの日、真愛碼頭で琴音ちゃんに頬を叩かれて『あなたには一番大事なものが見えてない。』って言われてからずっと考えていたんだけど、何が見えてないか分らなかったんだ。もしよければ教えてほしい。それと、琴音ちゃん、僕のこと、嫌いになった?クラス中に無視をされるんだけど、何か知ってる?」
一歩進みながらそう言ったら、琴音ちゃんは口を押えて後ずさった。
・・・そうか、そういうことなんだね。
「ごめん、時間取らせたね。もう話しかけないから、安心してね。」
僕はそう言ってその場から走り出した。明日からせっかくの三連休なのに、人生で一番楽しくない三連休になりそうだ。
皆さん、ご想像のとおり、館川君の頬を叩いたのは千弦です。琴音はそのことを知らないし、ましてや館川君に認識阻害術式がかかったままになっていたことは、全く知りませんでした。
認識阻害術式のせいで、館川君は無視されていたんですね。けっして周りの人間が意図的にシカトしていたわけではありません。
ただ、魔術を知らない館川君としては、シカトされていると思いますよね。普通は。