44 修学旅行 台湾⑥ 最終日 友達
10月22日(火)
南雲 琴音
あの後は大変だった。魔女、いや遥香の記憶干渉術式が変に絡まったせいで私は暴走状態になっていたらしい。
暴走状態から解放された瞬間、体中の魔力回路を酷使した影響か、ものすごい疲労感が襲ってきてそのまま気絶してしまった。
おかげで、館川君とデートに行けなかった。
・・・信じられないことに、姉さんが代わりに行ったよ。私のフリして。
さらに信じられないことに、館川君は私と姉さんの区別がつかずにキスまで迫ってきたらしい。
姉さんが何とか躱してくれたおかげで未遂ですんだらしいけど、なんというか、幻滅した。
姉さんの話を聞いて、彼氏にするなら私と姉さんの区別がつく人がいいと本気で思った。
「ねえ、遥香。やっぱり死なないってホントなの?」
咲間さんにカメラを持たせて、鼓山洞で興奮して飛び回っている姉さんを尻目にこっそりと聞いてみる。
「ええ、本当ですよ。昨日、千弦さんが話したとおりです。もちろん、まだ話してないことはたくさんありますけど。隠すことでもないので、追々に話していきますし。」
「はあぁぁぁ~。こんなにかわいいのに、人間じゃないなんて。はあ~、悪夢だ。」
・・・天然物の美少女だと思っていたのに、養殖物どころか完全な人工物だったとは。
「私は生まれも育ちもホモサピエンスですけどね。」
表情も変えず、声だけ不服そうに遥香は抗議しているが、ふと気になったことを聞いてみる。
「そういえば、遥香ってあんまり笑わないよね。泣きもしないし、怒りもしない。それって遥香が魔女であることと何か関係があるの?」
ちょっと不躾な質問だったかな。でも、遥香が「お詫びになるかはわからないが、何でも話します。」と言っていたのだから、これくらいはいいだろう。
「お話ししたとおりこの体は借り物ですが、まだ半年ちょっとしか使っていないので表情筋のコントロールがうまくいってないだけですよ。お望みでしたら笑ってみましょうか?」
そういうと、遥香は口角を無理やり上げ、目元を痙攣させながらひきつった笑顔のようなものを作った。
「ブフォッ!やめてよ!夢に見るじゃない。」
突然の変顔に思わず噴き出してしまった。
「そんなに変ですか・・・。結構真面目に笑顔を作っているつもりなんですけど・・・。」
遥香は姉さんと話している時はまるで男のような口調だが、少なくとも外見だけは相当の美少女なので、私としては結構な違和感を感じることからそのままでお願いしてある。
なぜか姉さんは不服そうだったけどね。
・・・まったく。
こんなかわいい子が最新鋭戦闘機相手に箒に跨って空中戦をしたとか、信じられない。
体育館を吹き飛ばしたのも遥香の魔法だって聞いてびっくりしたよ。
あの日、剣道部の部室と一緒に消し飛んだネイルセットとかは日本に帰ったらすぐ弁償してくれるって言ってたけど、同時に遥香の爪を好きなだけ使っていいって言質もとれたし、役得役得。
「話は変わるけど、何とかシフターさんだっけ?ケガは大丈夫なの?ぶった切った私が言うのもなんだけどさ。」
う~ん。本当に相手が人間でなくてよかった。
・・・切られた側はたまらないだろうけどさ。
「シェイプシフターは召喚魔法で喚び出した眷属、いわば、私の魔力で体を与えた幽霊みたいなものですから、痛みはあるでしょうが死にはしません。もう召喚しなおしたし、大丈夫ですよ。」
そう。やっぱり痛いことは痛いんだ。
ものすごく申し訳ないことをしたな。
「そっか。でも今度会ったときに謝っておくよ。」
「おーい、せっかくの修学旅行だぞ~。最終日だぞ~。もっと楽しみなよ~。」
いつの間にか戻ってきた姉さんが、背中から抱きついてきた。
「姉さんははしゃぎすぎ。こんなトンネルのどこがおもしろいのよ。」
実際、そうなのだ。
高さ約3メートル、幅は大人が問題なくすれ違えるくらい、奥行きは・・・200メートルくらいかな?
迷路みたいな構造になっているが、立ち入り禁止の場所が多くて、もはや順路を歩きまわるだけの退屈な作業と化しているのだ。
こんなことなら中学生の夏休みに行った、栃木の大谷資料館のほうが面白かった。
あっちはまるで地下神殿かダンジョンのような雰囲気で、ドラゴンとかの大型モンスターが出ても戦えそうな広さがあったのだ。
・・・あ。
「ねえ、遥香。レヴィアタンとかセイレーンがいるなら、ダンジョンもあるの?」
なんの脈絡もない質問に、遥香が目を丸くしている。
「ええと、それは魔物が徘徊する地下迷宮、とか建造物、という意味でいいですか?」
「うん。できたら財宝とかも欲しい。」
ちょっと贅沢すぎたか。
「財宝・・・遺物が今もまだ残っているかどうかはわかりませんが、かつて存在したものならいくつか心当たりがあります。ここから一番近いのは、・・・ええと、玉山の中腹に一か所、それと、日本国内だと妙高山のあたりだったかしら、あそこは未踏破だったはず。あと有名なのはトルコの中央部に踏破済みが数か所、くらいでしょうか。でも、危険すぎるので絶対に連れていきませんけどね。」
・・・けっこうあるじゃん。しかも、一か所は九重本家のすぐ近くじゃない。
鼓山洞の見学を終え、徒歩で高雄市歴史博物館に向かう途中、姉さんが遥香に抱きついてきた。
「遥香!いま咲間さんと話したんだけど、今年の冬休みはみんなで妙高の伯父さんの家に泊まってスキーに行くことが決まったから!」
「姉さん、二か月も先のことなのにもう決めてるの?その前に期末テスト、それから来年は大学受験本番でしょ?万が一浪人するようなことにでもなったら、九重本家の爺様がうるさいよ?」
私たちの母方の家系は代々、医者や政治家など、結構なインテリを輩出している。
本家の爺様は、現職の内閣総理大臣だ。
高校の誰にも話してないけどさ。
南雲家のほうは民俗学者や考古学者、小説家といった物書きが多く、あまりぱっとしないイメージで精神的負担も少ないのだが、厄介なことに九重本家の跡継ぎである宗一郎伯父さんには子供がいないため、将来的には私か姉さんのどちらかが後を継ぐように迫られているのだ。
「むう。九重の爺様がうるさいことについては同意するけど、なんで私たちなんだろうね。宗一郎伯父さんがもうちょっと頑張るんじゃダメなのかな。スキー場まである大地主で、IT企業の社長だし、お金はあるんだし、何より伯父さんはイケメンじゃん。」
姉さんの言葉に、突然遥香がビクッと体を動かす。
「遥香、どうかした?」
「わかりません。体が勝手に・・・。ところで、その、ソウイチロウさん、ですか?彼はおいくつですか?」
う~ん?年齢的にも職業的にも、宗一郎伯父さんと遥香の間に接点なんてなさそうなんだけどなぁ。
「ええと、たしか今年で46歳になるとか言ってたかな。知り合い?」
遥香は小首をかしげながら答えた。
「たぶん知り合いではないと思います。オリジナルの遥香の知り合いだとしたら、この体の記憶に残っているはずですし・・・。なぜか気になったんですよね・・・。」
いちいち動作がかわいらしい。魔女であることが残念でならない。
しばらく四人でワイワイと話しながら歩いていると、30分もしないうちに大きな川の近くに高雄市歴史博物館が見えてきた。
「お、脇坂先生だ。」
入り口には脇坂先生と他の班の生徒たちがいたので合流し、入館待ちの列の最後尾に並んだ。
◇ ◇ ◇
久神 遥香
高雄市歴史博物館に近づくと、洋風の鉄筋コンクリート造りに東洋風の装飾が施された、いわゆる帝冠様式の建物が見えてくる。
昭和初期にだけ見られたこの様式の建物は、高雄市役所として用いられていた頃から変わらず、また二二八事件の現場の一つであることの資料としての側面からも保護されている。
当時、私はこの国にはいなかったが、同じ時代を生きた思い出があるせいか不思議な懐かしさを覚えた。
それにしても、先ほど聞いた「ソウイチロウ」という名前が妙に耳に残る。
オリジナルの遥香の記憶を検索しているが、なかなかヒットしない。
「どしたの?ボ~ッとして?」
気づけば咲間さんが屈んで私の顔を覗き込んでいる。
「いえ、不思議な構造の建物だな、と思いまして。」
心がざわつくのを抑え、努めて平静を装う。
「おもしろいよね、東洋風と西洋風のミックスみたいで。なんか、上野にある東京国立博物館と似てない?」
スマホで東京国立博物館を検索してみると、いわれてみれば確かに、雰囲気はよく似ている気がする。
本館中央階段の雰囲気は、まるで同じ文化に基づいて作られたようにすら感じる。
だが、遥香自身はまだ東京国立博物館には行ったことはないはずだ。
私自身は、体を乗り換える前に二度ほど行ったことがある。
ふと懐かしくも悲しい記憶が蘇る。しかし、行ったのは今の建物になってからだったか、それともその前だったか・・・。
「そうなんですか?日本にもこんな建物が残っているんですね。帰ったら早速行ってみたいですね。」
遙一郎の予定次第では、家族三人で博物館に行くのも面白そうだ。
《遥香。さっき琴音にダンジョンの話、したんだって?行くんだったら私も誘ってよ。》
千弦からいきなり念話が飛んでくる。
《なんだ、藪から棒に。そんな危ないところに連れて行けるわけないだろう。だいたい、お前らが考えているダンジョンとは全然違うものだ。現実にはダンジョンコアもないし、フロアボスもいない。レベルもステータスもない。魔物よりも、腐り落ちた床やら崩落直前の岩盤やら、物理的に危険すぎるんだよ。》
《え~。そんなのダンジョンじゃないじゃん。財宝もないの?》
《財宝、というか遺物や呪物はよく見つかるがな、大体はすでに知られている術式かガラクタ、ひどいのはクソ益体もない呪いがかかっているモノがほとんどだ。》
《まあいいや。あ、じゃあ一つだけお願い。このイヤーカフ、琴音も欲しいって。代金払うから作ってやって。》
代金・・・ね。
子供のこづかいで買える物ではない。
仕方がない。ただでくれてやろうか。
それに、金銭よりもあのリングシールドに興味があるのだが。
まあ、健治郎叔父さんとやらに許可を得なければもらうことは難しかろうな。
機会があったら二人をとおして健治郎叔父さんとやらに強請ってみようか。
《ああ、わかった。予備はシェイプシフターが持っている荷物の中にあるから、後で渡しておこう。》
「遥香ってさー。よく何もない空間見つめてボ~ッとしてることあるけどさ。何か悩みがあるなら聞くよ?」
咲間さんが唐突にそんなことを言い出した。
彼女は制服着用時もトゲの生えたチョーカーやドクロの指輪、複数のピアスなどを好み、普段から私服はパンクなイメージのものを着用している。
軽音部で活躍しているが、趣味はロック・ミュージックらしい。
もちろん、ジャズやポップスなども嗜むそうだ。
また身長も約170センチと高いことから、生徒達の間では怖がられているが、実際にはとても面倒見がよく、何よりも学年10位以内の成績を入学当初から維持し続けていることから、教師たちからの信頼も厚い。
わが校の校則は服装規定が極端に緩いことも幸いしているといえよう。
それにしても、昨日は私が倒れたせいで彼女の自由時間を奪ってしまい、さらには琴音の暴走に巻き込んでしまっている。
これ以上、迷惑をかけたくはない。
「東京国立博物館に行きたいんですけど、どれくらい歩くのかなって思いまして。体調が良い日ばかりではなくて、途中で倒れたくはないし、何かいい方法はないかなって考えてたんです。」
我ながらスラスラと嘘が出るものだ。自分を隠して長く生きてきたせいか、ためらいもなく嘘をつく自分が時々嫌になる。
「ああ、それなら車椅子で行けばいいんじゃない?あたしが押してあげるよ。・・・でもさ。ホントの悩みはもっと別のことだよね?」
20センチは違う目線を合わせるように、腰を屈めて彼女は言葉を続けた。
「コトねんと千弦っちはさ。なんか変な力を持ってるみたいなのを隠してるみたいなんよ。ときどきマジであり得ないことを平気でやってるからね。そういうのは結構慣れてる。」
「そう、なんですね。」
驚いたことに、自分の百分の一も生きていない子供に気圧されている。
「で、さ。遥香、あの体育館の事件の時、一度死んでるよね?」
・・・見られていたのか。
記憶干渉術式は古すぎる記憶に干渉することはできない。
今まで何度も体を乗り換えてきたが、魔法使いでも魔術師でもない一般人に、こんなに早くバレたのは初めてかも知れない。
昨日の夢といい、いつもの体とは勝手がまるで違う。
やはり、この体に何かあるのだろうか。
「誰にも言わないし、話したくなった時に話してくれればいいよ。悪かったね。修学旅行中に話すべき話じゃなかったかもしれない。忘れて。」
そう言うと、咲間さんはひらひらと手を振りながら、琴音たちのほうに歩いて行った。