43 修学旅行 台湾⑤ 暴走
10月21日(月)
久神 遥香
「もしかしてあなたが?・・・あなた、何?」
琴音はシェイプシフターに向かってフレキシブルソードを抜き放ち、魔力をまとわせたまま正眼に構えている。
シェイプシフターのことを「何者」と言わずに「何」、と言っているあたり、かなりキレているようだ。
「コトねん?突然来て何やってるの?」
咲間さんが間の抜けた声で琴音に問いかけたが、それに対する琴音の答えは短い魔法の詠唱だった。
「伏せ!」
その場にいる全員に上から押しつぶすような重圧がのしかかる。
・・・これは!強制身体制御魔法か!なんという短縮詠唱!なんという熟練度だ。
足止めだけなら、私の重力干渉術式といい勝負なんじゃないか?
《シェイプシフター!抵抗するな!》
《エッ!?》
普通の人間にちょっと毛が生えた程度の抗魔力しかないにもかかわらず、シェイプシフターは琴音の魔法に抵抗した。
人間とは違う魔力の波長で抵抗してしまった。
「そう・・・。今の抗魔力、明らかに人間のものじゃないですね・・・。」
琴音の瞳の色が赤い。記憶干渉術式が変に絡まったか。完全に暴走状態だ。
・・・それにしても琴音のやつ、抗魔力が半端なく高い!
あの時は気が付かなかったが、極端に抗魔力が高い人間に、膨大な魔力で無理やり記憶干渉術式を使うとこうなるのか!
視界の端では、咲間さんが椅子からずり落ちるような状態で気絶している。シェイプシフターも転倒しており、抵抗できないようだ。
・・・コイツ、もともと戦闘用ではないしな・・・。
《シェイプシフター!私のことはいいから、全力で逃げろ!》
修復が済んだ魔力回路を一つ活性化する。
「遥香は・・・と。うん、魔力による抵抗は感じられないけど、意識はあるみたいですね。そもそも仰向けになっているとあまり効果はないし、あとで色々と聞きたいことがありますから、拘束だけしておきましょうか。」
琴音がさらに魔法を行使する。
「薬師天に帰命す。我が意に従い彼の者を縛せ。」
詠唱が終わると同時に、目に見えない縄のようなものが幾重にも絡みつき、体を強く締め上げる。
今のは真言?
いや、大和真言か。暗号化部分を限界まで省力化することで魔力の全部を呪縛の出力に回しているのか。
実際、暗号化するだけで魔法の威力は二割強、下がることがあるしな。
「琴音・・さん、何を・・している・・・のですか?」
かろうじて動く口で交渉を試みる。同時に、念話で千弦への連絡を行う。
《非常事態発生だ!琴音にバレた!フル装備で今すぐ来い!》
修復が完了した魔力回路は三つ、うち活性化が完了した一つをシェイプシフターに接続する。
そもそもコイツ、魔力が少なすぎて単体では魔法が使えないんだよな。
《シェイプシフター、魔力回路を一つ繋げたぞ。何かに化けて逃げられるか?》
《やってみマス。無理そうだったラ、そのまま送還してくだサイ。》
《送還は時間がかかる。その場合、ある程度のダメージは覚悟しろ。》
「遥香?遥香はコレの仲間?それとも騙されているだけですか?・・・まさか、姉さんの左手を切り落とした連中の仲間だったりします?」
《バレた!?どこまで!?》
千弦の慌てた声が念話で頭の中に響く。
千弦からの念話が引き金になったのか、シェイプシフターが変身し、琴音の姿から一回り小さな私の姿に変わる。
肉体構造が瞬時に切り替わり、サイズまで変化したことにより琴音の強制身体制御魔法を振り切った。
「逃がしません!」
琴音の意識が完全にシェイプシフターに向かったのと同時に、可能な限りの小声で呪文の詠唱を行う。
とりあえずは常駐式で走らせている魔力隠蔽術式は生きている。琴音程度の魔力感知能力では、魔法の発動は欺瞞しきれるだろう。
この期に及んでは魔女であることを隠す必要もないだろうが。
「永劫を流れる金色の砂時計よ。我は奇跡の御手を持ちてそのオリフィスを堰き止めんとする者なり。」
この魔法、発動までちょっとタイムラグがあるんだよな。
その間に琴音は、脱出しようとしたシェイプシフターを何のためらいもなく、背後から袈裟切りにした。
「ぐぁぁ!」
右の肩甲骨から左の脇腹に向かって切られたシェイプシフターは、青い血をまき散らしながらその場で転倒した。
一拍おいて停滞空間魔法が発動し、弱い光の波が私を中心に広がっていく。琴音はその光に気づかなかったようだ。これで相当の時間が稼げる。
「青い血。・・・やっぱり、人間じゃなかったじゃないですか。」
琴音は私に化けたシェイプシフターの首をつかみ、引き摺り起してその体をベッドに放り投げた。
《マスター。まったくモウ。大ダメージですヨ。脊椎までバッサリデス。一度召喚しなおしてもらわないト、身動きできそうにありマセンネ。》
私の寝ているベッドの上に放り投げられたシェイプシフターは、念話ではそう言ってるものの、虚ろな目をしたまま動かない。
まあ、召喚しなおせば無傷で出てくるんだけどさ。
「琴・・音さ・・ん・・。ゲホッ・・・。」
意識してかどうかはわからないが、どんどん呪縛の力が強くなっていく。胸が強く締め付けられ、食道か肺にダメージが入ったか、口の中が鉄の匂いで満たされる。
・・・千弦との約束だ。琴音を傷つけることはできない。何とかして無傷で止めなくては。
「あらあら。遥香はまだ黒って決まったわけではなかったわ。でも限りなく黒に近い灰色ですけど。」
パチンという音ともに、呪縛魔法が解除される。
「ゲホッ。」
肺に新鮮な空気が入ってくると同時に、口から血があふれて大きくむせた。
だが、呪縛が解けたからと言って、ただでさえ虚弱なこの体で、しかも魔力回路修復中とあっては琴音を傷つけずにこの場を切り抜ける方法が思い浮かばない。
「さて、遥香。あなたは姉さんの敵?それとも味方?」
逡巡している間に、琴音は普段では考えられないような冷たい表情をして、私の首を左手でつかみ、フレキシブルソードの切っ先を押し当てた。
「友・・・だちです・・・敵じゃ・・・ないです。」
・・・うん。まだほとんどがズタズタの魔力回路で微調整の利かない魔法しか使えず、かつ琴音を一切ケガさせずに素手で取り押さえるとか、完全に無理筋だ。ホント、どうしよう。
「そう、でも灰色ですもの・・・やっぱりこれはもらっておこうかしら。」
そう言うや否や、フレキシブルソードの剣閃がひらめく。
左腕に激痛が走り、ベッドの横にボトッと何かが落ちた音がした。二の腕のあたりから切り落とされた左腕が落ちた音だ。
「くっ、あぁぁ!あっ!くっ!」
突然の痛みに思わず声が出てしまう。床やベッドを鮮血が汚していく。
シェイプシフターの青い血液と私の赤い血液が妙なコントラストを描いていて、まるで床が前衛芸術のようだ。
これは後片付けが大変だ。千弦にシルキーでも召喚させるか。
・・・今考えることではなかったな。
「ふふふ・・・。やっぱり、とてもかわいらしい声で鳴くんですね。興奮しちゃいます。」
琴音は、私の頬に飛び散った血を舌で舐め取る。
そのまま、フレキシブルソードの切先で私のショートパンツとショーツを縦に切り裂いた。
そのまま下半身が露わになる。
臍の左横からの左下腿の皮膚までスパッといったため、更に少なくない量の血が、あたりを汚していく。
うわコイツ、こんな一面があったのか。
しかし、密着したこの状態で痛覚鈍化術式を使えば、たとえ魔力隠蔽術式があっても魔力の流れで一発で魔女だとバレるだろう。そうしたら、この暴走はさらに収まりがつかなくなる。
いっそのこと念動系の呪いの類いで張り倒すか。どっちにしろ魔女だってバレるんだったら。
さて、念動衝撃呪か、それともシンプルに念動呪か。どちらも魔力回路を流用するため、この状態だと殺さないように手加減するのが非常に難しい。
「何やってるの!琴音!」
呪いを発動しようと集中し始めた瞬間、バン!という音ともに千弦が部屋の中に飛び込んでくる。
停滞空間魔法のおかげで、千弦が来るまで体感で三〇秒もたっていない。外の世界はもっと時間がたっているだろう。三倍くらい時間が稼げたか。
修復後、試運転なしの魔法回路が暴走しないよう出力をぎりぎりまで絞ったせいで、効果時間が短かったが何とかなったようだ。
「姉さん?何でここに姉さんが?これからこの腕を遥香に突っ込んであげようと思ってたのに・・・そう。まだまだ手駒がいたってわけですか。」
完全に勘違いをした琴音が、私をシェイプシフターの死体の上に放り出し、フレキシブルソードを千弦に向かって構える。
「遥香!これってどういう状況!?」
千弦の問いに、口をパクパクさせながら喉を抑える。
琴音の馬鹿力め。喉がつぶされている。仕方なく念話で状況を伝える。
《千弦、琴音のやつ、シェイプシフターを見たせいで本物と偽物の区別がつかなくなってる。記憶干渉術式で消した記憶が戻った拍子に混乱して暴走している可能性が高い。何とか解析術式を使わせて冷静にさせろ。最悪、私が魔女だとバレても構わん。》
《琴音は魔術師じゃないってのに無茶言うよ・・・。まあ、あの眼鏡には解析術式が搭載されているけどさ。》
まったく、千弦の師匠とやらに感謝だな。
「琴音・・・。あんた、館川君とデート中なんじゃなかったの・・・。」
「ふふ。私に化けただけではなく、姉さんに化けたモノまでいるとは。用意周到ですね。・・・よくも、私の姉さんを汚したな!」
琴音がフレキシブルソードを振り下ろすと、あわてて千弦がリングシールドで防御する。・・・あのリングシールドの障壁、なかなかの防御力だな。
千弦がサブマシンガンのようなものをバイオリンケースから取り出し、腰だめに構え、発砲する。
《待て!炸裂術式はまずい!体の部品がなけりゃすぐには治せないぞ!》
「くっ!」
千弦は慌てて銃口をそらしたが、数発の術弾が琴音のリングシールドの防御障壁ではじかれる。
「あーもう!あんたが私の左手を切り落としたから琴音がキレてるの!寝てないで手伝え!」
その言葉に琴音がびくっと体を震わせ、こちらを見る。
「なん・・・ですって・・・。」
琴音は、千弦のことを放置してこちらに歩き始める。
《いきなり全部バラすやつがあるか!》
琴音は、赤く染まった瞳で部屋の中を見回す。右の眼からは赤い涙まで落ちている。
暴走状態で体が負荷に耐えきれないのか。
「寝てるやつ・・・。寝てるやつが姉さんの左手を切り落とした?コイツ?それとも遥香?まさか・・・咲間さん?」
・・・あ。「寝てるやつ」だと、この部屋にいる双子以外の全員が該当するのか。
「ねえ。姉さんの左手を切り落としたのはあなた?」
一番近くにあったシェイプシフターの脇腹をフレキシブルソードで刺し、続けてその左手を切り落とす。
すでに生命活動を停止しているため、青い血液がフレキシブルソードを汚すだけにとどまった。
「それとも、あなた?」
続けて、私の右肩に向かってフレキシブルソードを振り上げた。
ええい。手加減できるかどうかわからないけど、念動衝撃呪だ。
「琴音!もうやめて!」
琴音に向けて手を翳し、念動衝撃呪を発動する直前で、千弦が悲鳴を上げながら私と琴音の間に割って入る。
「何で邪魔するんですか、姉さん。あれ?あなた、本当に姉さんでしたっけ?」
琴音はそう言いつつ、眼鏡のブリッジを左中指でクイッと押した。
しばらく沈黙がつづいたあと、琴音が間の抜けた声を出した。
「あれ?本物の姉さんだ。こんなところで何してるの?」
そう言ったあと、だんだんと琴音の瞳の色が戻ってきた。
「琴音・・・。黙っててごめん。全部・・・、全部話すから。」
千弦はその場に崩れ落ちるように座り、泣きながら琴音の腰のあたりにしがみついていた。