35 修学旅行往路4 那覇空港/蛹化術式
もし、人間が生身で超音速機から放り出されたらどうなってしまうのでしょうか。
多分、一瞬でバラバラになってしまうでしょうね。
10月18日(金)
南雲 琴音
那覇空港で国際線に乗り換えるにあたり、東アジアの情勢が悪化していることを受け、夜間飛行ができなくなっていることを聞いた。
そのため、那覇空港近くのホテルで一泊するために移動した後、部屋のカギを受け取り、姉さんと一緒に荷物を置きにそれぞれの個室に向かっているところだった。
「南雲さん、さっきはありがとう。」
同じクラスの館川君が、姉さんと私を一瞬見比べたあと、私に申し訳なさそうに声をかけてきた。
館川君といえば、学年全体でも結構狙っている女子が多いみたいで、剣道部の朝練で早く登校した時に彼の下駄箱にラブレターと思われる手紙を入れる女子生徒を何度か見たことがある。
モテる割には、彼女がいるとかいう話はあまり聞かないんだけど。
そういえばさっき、飛行機酔いがひどいからって背中さすってあげたんだよな。
「田野倉に聞いたんだけど、南雲さんに背中をさすってもらうと、どんなにひどい飛行機酔いでも一発で治るって聞いてさ。」
それはそうだ。だって背中さすりながら回復治癒魔法と解毒魔法を使っているからね。副交感神経遮断と抗ヒスタミン作用で、大体の乗り物酔いは治ってしまうのだ。
「ううん、気にしないで。それより、気分はどう?落ち着いた?」
どうせ魔法で治したと言っても、誰も信じないだろう。
消耗した魔力分、何か美味しいものでもおごってほしいものだが。
まあ、あと30分で夕食だ。それまでに荷物の整理をして、明日の支度もしなくてはならない。
「うん、ありがとう。それで、お礼と言っては何なんだけど、ホテルのすぐ近くに、遅くまで営業していてネットでも美味しいと噂の甘味処を見つけたんだ。ごちそうするから、夕食後の自由時間によかったらどうかな?」
・・・マジかぁー。心の声、漏れてたか~。でもその時間、保健委員の報告書を作成する必要があるんだよな~。
悩んでいると、横にいた咲間さんに脇腹を突っつかれた。
「やったじゃん、コトねん。保健委員の報告書なら私が作っておくから、行っておいでよ。」
「いいなー。琴音は結構モテるんだよなー。顔もスタイルも同じなのになー。」
姉さんがふてくさっている。ふはは。女子力が違うのだよ。女子力が。
「咲間さん、本当にいいの?ありがと~。館川君、ごちそうになるわ。何時に待ち合わせ?」
咲間さんに感謝しながら、館川君の申し出を受けた。ふふ~。使った魔力分、食べてやる。
「よかった。じゃあ、夕食後ゆっくりした頃、8時半でいいかな。ホテルのロビーで。」
「わかった。楽しみにしてるね。」
ウキウキしながらホテルのエレベーターホールに差し掛かったとき、千弦の視線の先の、非常階段の陰の暗くなったところに遥香がいるのが見えた。
・・・あれ?遥香によく似た人がもう一人・・・え?遥香が二人いる?ドッペルゲンガー?
そう声を上げようとした瞬間、バチっという音とともに視界が暗転した。
◇ ◇ ◇
久神 遥香
魔法の箒ごと田原公園に長距離跳躍を行った後、寿山旧海軍豪の陰ですっかりボロになった制服を脱ぎ捨て、裸になってみると今回の戦闘のダメージの大きさにちょっとびっくりしてしまった。
脳や循環器系などの重要な臓器は回復治癒呪をかけっぱなしだったおかげで目立ったダメージはないように見えるが、それ以外の臓器や手足の骨はいたるところが損傷している。
何より、右手の肘上より先は炭化して完全に欠損し、足は両足ともに指が何本か欠損している。こっちは凍傷か?ミサイルの破片も体の中に残ったままだし、もう訳が分からん。
それだけではなく、髪は焼け焦げ、肌もいたるところが焼けて火ぶくれを起こし、打撲か骨折かいたるところが青く、または黒く変色している。
まるでゾンビ映画の端役の一体のようだ。一糸まとわぬ裸でも、この状態で欲情する男はいないだろう。教会の連中を除けば。
セクシーでもグロテスクでも、どちらでも誰かに見られたらアウトだ。立ち入り禁止の結界を強めに張っておこう。
「部品が足りないのは如何ともし難いな。はあ、仕方ないか。こんなところで使いたくはないのだが・・・。」
回復治癒呪を使おうにも、体を構成している質量が足りていない以上は、どこかから補う必要がある。いわゆる、質量保存の法則だ。最悪、魂が入っている人間以外の肉なら何でもいいんだが、残念ながら近くに野生動物がいるような場所ではない。
とくに、今回は肉体を補うための素材が足りない。全身から肉を寄せ集めて治すのは、よほどのデブでもない限り、難しい。
それに、この恰好では肉屋に行って、回復に必要なたんぱく質やカルシウムなどを調達する前に警察を呼ばれてしまう。
魔法の箒のトランクに荷物を全て納め、電磁熱光学迷彩術式を作動させて空中待機させたうえで、ボロボロになった身体を新調するための術式を発動させる。
「高速蛹化および肉体改造術式発動、終了後直ちに高速羽化術式を発動、タイマーセット、15min。」
かなり昔の話になるが、似たような状況になったときに開発した術式で、脳神経以外の身体をいったん蛹のように分解して、人格や記憶に影響する部分などはそのままに、肉体を組み立てなおす術式だ。
蛹化している間は完全に無防備になるため、それなりに強力な結界の中でしか使えないし、特に教会の連中に見つかる可能性のある場所では使えたものじゃない。
可能であれば那覇のホテルで蛹化したかったのだが、千弦にいらぬ心配をかけたくもない。
術式が発動し、私の身体を白い光の糸が繭のように包んでゆく。同時に焼け焦げ、青黒く変色した肌が光の中で溶けていく。
繭の中で自我を保ったまま、むき出しの脳神経が黄色い体液に浮いている様は、自分で言うのもなんだが、「異様」の一言に尽きる。
15分ほど経過したころ、損傷する前の肉体より一回りほど小さくなった肉体が完成した。
もちろん、髪の長さやキメもしっかりと再生させてある。
光の繭はまるで蚕の繭のような絹色に変化しており、内側からそれを引きちぎって外に出ると、辺りは大きく日が傾き、空が赤くなり始めていた。
もともと胸も小さく、あまりグラマーとは言えない体型ではあったが、それに輪をかけて貧相な体型になってしまった。
150センチほどあった身長は140センチくらいになっただろうか。体重でいうと約6キロ、1割以上失ったようだ。
下手をしたら体重が40キロを切ってしまったかもしれない。
一度失ったはずの右手を握ったり開いたりしてみる。よし、まったく違和感はない。
「ん?修復時に肉体改造系の術式も一緒に組んだはずなんだが・・・?」
あまりにも虚弱な体なので、ついでにカスタムしてしまおうと肉体改造の術式を作動させたはずなのだが、どういうわけか一切の強化がなされなかった。
「この身体の虚弱は病気や遺伝的要素ではない?呪いの類でもなさそうだし・・・。」
少なくとも、損傷する前と同程度までは動けるようになったので良しとしよう。
魔法の箒を呼び戻してキャリーカートを取り出し、予備のセーラー服にそでを通したが、かなりブカブカだ。自由時間に履こうと思って入れておいた厚底のスニーカーも0.5センチくらいサイズが合わない。
厚底だからとりあえず身長は誤魔化せるか?
少し不格好なのはあきらめてキャリーカートを引きずり、カッポカッポと足音をさせながら公園を出てスマホのマップを見ながらふらふらと歩いていると、幸いなことに肉屋が見つかった。
「すいません、骨ごとお肉、ください。」
疲れが出ているのだろうか、場合によっては猟奇的な発言をしてしまったが、肉屋の女将さんは笑いながら対応してくれた。
「あら、見ない子ね。おつかいかしら?なんの肉か聞いてる?」
肉屋の女将さんがまるで小学生を相手にするかのような対応をしている。
肉なら何でもいいんだが、そう言ってしまっては怪しまれること間違いない。それに、今回は骨や血液も失っているから、可能な限り色々な部位が欲しい。
「ええと、豚ロースとヒレと肩と、スネとバラとスペアリブとモモ、それぞれ1キロずつ、お願いします。」
肉屋の女将さんが目を丸くしてびっくりしている。・・・ちょっと量が多すぎただろうか。
「そんなに豚肉ばかり買ってどうするの?お金、足りるの?注文の量、間違えてない?」
いかん、怪しまれてしまった。
慌てて言い訳を考える。
「すみません、豚ロースと豚ヒレと、豚バラと豚スペアリブ、牛肩ロースと牛スネと牛モモでした。」
だめだ。言い訳になってない。体は新品にしたばかりだというのに、精神のほうに相当疲れが出ていると見える。
「全部で7キロになるわよ?持てる?そのカートに縛り付けてあげるわね。」
キャリーカートの中から万札が帯付きで入っている財布を取り出し、支払いを済ませると、肉屋の女将さんは、目を丸くしたまま何も言わずキャリーカートに肉の入った袋を縛り付けてくれた。
肉屋で十分な量の肉を買い、田原公園まで戻ると辺りはすっかり日が落ちて暗くなり始めていた。
急がないとホテルの夕食に間に合わない。
魔法の箒のトランクにキャリカートごと放り込み、それに素早く跨がり、電磁熱光学迷彩術式を展開しながら、宿泊予定のホテルに向けて夜空に舞い上がった。
《マスター。今どこデスカ。あと30分で夕食デス。急がないと間に合いませんヨ。》
《もうホテルの上空だ。ズタボロになった身体を治すのと、足りない質量を補うための肉を買いに肉屋によっていたんだ。》
《マスター!肉!生肉ですヨネ!》
《おまえが食っていいのは、私の身体の喪失した質量を補って余った分だけだぞ。》
《マスター。ダイエットしましょうヨ。》
《あいにくだが、下着を買うときに見栄を張ってワンサイズ大きめのものを買ってしまったんだ。胸のサイズは妥協できんな。っと、そろそろ到着するぞ。》
ホテルの裏手にある非常階段出入り口の近くに着陸し、素早く魔法の箒からキャリーカートを取り出し、認識阻害術式をかなり強めに発動した後、箒を空中待機させる。
そのまま何食わぬ顔で非常出入口からホテルの中に忍び込んだ。
タイミング良く、シェイプシフターがこちらに歩いてくる。
《こっちだ。非常出入口を入ってすぐのところにいる。》
「お肉、お肉!」
完全にお肉のことしか考えていないシェイプシフターは、私の顔のままでスキップをしながらこちらに走ってきた。
「お肉、じゃないだろう。せめて誰かほかの顔になってから来いよ。まったく。」
シェイプシフターから旅行カバン一式を受け取り、靴を履き替えようとしたとき、青い光とともにバチンという音がした。
振り向くと、ドサッという音とともに床に倒れた琴音の傍らで、千弦が右腕に青い雷撃をまとわせたまま、目つきの悪い目をさらにキツくして睨んで立っていた。
実は、遥香の体が虚弱なのは病気でもなければ遺伝的要因でもなく、ましてや呪いでもありません。
これは、魔女ではなく遥香の身体に発生している、ある事実によるのですが、しばらく後になってからその特性に振り回されることになります。主に千弦と琴音が。