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3 認識阻害の街角/とある刑事の溜め息

 警察官や警察関係者は主要人物ではありません。

 再登場は予定していますが、名前は憶えていなくても大丈夫です。

 8月24日(土)午後4時


「訳が分からん。」

 不可解な事件だった。


 伊東刑事は、無精ひげを撫でながら深いため息をついた。


 8月下旬、真昼の大通り。

 通行人の多い交差点で、何者かが少女を襲い、鋭利な刃物のようなもので 一瞬にして左手を切断。

 さらに、その被害者である少女が 拳銃のような武器で応戦 した。


 現場にはおびただしい血痕が残されているが、すべて一人の少女が流したものだという。


 それだけでも異常だった。

 しかし、この事件を 「異常の中の異常」 にしているのは——


 目撃者が誰一人として、犯人も被害者もはっきり覚えていない。

 その全員が、顔も服装も覚えていないのである。

 カメラを向けた者はいたが、一人も撮影できていない。


「・・・白昼堂々、人通りの多い場所で刃傷沙汰に銃の乱射だぞ?それなのに、なんで誰も犯人どころか被害者の顔すら覚えてねぇんだ?」


 異常すぎる現場。電柱、ガードレール、店舗の壁。

 十数か所に 弾痕 が確認された。

 それどころか、一部のガードレールには 分厚い金属を貫通した跡 まである。


「・・・どんだけ口径のでけぇ銃使ったんだよ。」


 伊東刑事は呆れたように呟いた。


「それに、薬莢が一つも落ちてねぇってことは、リボルバーか?だが、左手を切断された状態で十数発も撃った上に、リロードまでしたってのか?」


 いや、そもそも 発砲したのは本当に被害者だけなのか?


 銃の破壊力は口径だけで決まるものではない。

 弾薬の種類、炸薬の量、銃身の長さ・・・要素はいくつもある。

 だが彼は、そんな専門知識には興味がなかった。


 ただ、目の前のガードレールの 不自然な穴 を見て、思わず口にする。


「・・・成形炸薬弾(HEAT)でも使ったのか?」


 近くで鑑識が調べていたが、眉間に皺を寄せて首を傾げるばかりだった。


「伊東さん!ダメっすね。防犯カメラ、全滅っす。」


 後輩の刑事が、申し訳なさそうに手帳をめくる。


「・・・は?冗談だろ?」


「いや、マジっす。カメラはちゃんとあるんですけど、どれも何らかの不具合で録画されてません。」


 伊東刑事は舌打ちした。


「田舎じゃあるまいし、何台もカメラあるだろうが!片っ端から確認しろ!」


 苛立ちを隠す気もなく、怒鳴りつけた。

 その横で、定年間近の白髪交じりの鑑識班長が 腰をさすりながら 立ち上がり、つまらなそうに呟いた。


「・・・血痕以外は、何も残ってないな。」


「は?」


 伊東は眉をひそめる。


「派手にやらかしたんだ。何かしら証拠は残ってるだろう?」


 白髪頭を掻きながら、班長は面倒くさそうに答える。


「血痕とゲソ痕(足跡)くらいだな。それも、血液型以外は判別不能なほど変質してる。何か薬剤でもぶっかけたみたいだ。」


「・・・何かって?」


「さぁな。通行人がこぼしたコーヒーくらいしか、まともな痕跡はねぇよ。こりゃあ難儀するぞ。」


「弾痕の周囲、何か弾丸の破片は?」


 伊東が尋ねると、班長は歩道の金属製の箱をじっと見つめながらため息をついた。


「ジフェニルアミン(DPA)反応なし。」


「硝煙反応も?」


「見つからんな。フランジブル弾でも使ったか?」


 フランジブル弾・・・鉛や鉄の代わりに特殊な合金を使い、着弾と同時に粉々に砕ける弾丸か。


「それにしても、現場でしゃがんで発砲してたんなら、トランス(変圧器)の表面くらいに反応があるはずなんだが・・・。」※


「トランス?」


「この箱だよ。都の電線共同溝の地上機器だ。」


 伊東刑事は、ため息をつく班長の横で腕を組む。

 ——どうなってやがる?


 通常の弾丸なら、何かしらの 金属片 が残るはずだ。

 それが 一つもない。


 薬莢なし。

 弾丸の破片もなし。

 硝煙反応もなし。


「この銃弾、一体どこへ消えた?」


 無精ひげの刑事の質問に答えながら、一向に見つからない現場証拠に業を煮やす。


「班長!これ、なんでしょう?」


 若い鑑識係が、ガードレールの弾痕の周囲に付着した 白い粉末 を指差した。


「粉?」


 班長が近づき、指先で軽くこする。


「・・・塗料か? いや、違う。プラスチックの破片のようだな。」


「確保します。」


 鑑識係が慎重に採取する。


 結局、わかったことは——「何もわからない」。

 事件の痕跡は、不可解なほど 綺麗に消されていた。


 防犯カメラはすべて機能不全。

 残されたのは、変質した血痕と血染めの足跡のみ。

 弾丸も薬莢も見つからず、硝煙反応すらなし。

 ガードレールに残された、謎のプラスチック片。


 ここまで証拠が消えていると、 意図的な隠蔽 すら疑わざるを得ない。

 だが、これだけの規模で、こんなことができる犯人が どこにいる?


 伊東刑事は、現場に残された 血痕のシミ を見つめながら、もう一度 小さく呟いた。


「・・・訳が分からん。」







※ジフェニルアミンとは、硝酸塩の検出により硝煙反応を調べるのに利用される薬剤である。

※フランジブル弾とは、目標以外の被害を少なくするため、着弾時に崩壊するよう、金属の粉末(スズ・銅・亜鉛等)を常温で圧縮して製造された弾丸である。

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