294 裏切りと喪失/恐怖は無知が生む
ユリアナ
乳飲み子を抱えたエレーナと私は、伯母の助けを得ながら伯父やマティアス、そしてアランの帰りを待っていたが・・・。
クラウディアが泣き始めたのでそっと乳を含ませ、吸い終わったところで背中をやさしくたたき、げっぷをさせる。
《マスター。モリガンです。三人が見つかりました。ですが、申し訳ありません。アランとマティアスは教会の連中に捕らわれているようです。》
《二人のケガの状況は?それと、伯父は見つかったか?》
《二人にケガはありません。伯父上殿は連中に痛めつけられた後、手紙を押し付けられてそちらに戻る途中のようです。・・・申し訳ありません、伯父上殿のケガが酷く、そちらまで持たない可能性がありましたので、勝手ながら回復治癒魔法を使わせていただきました。》
《そうか。すまない。助かるよ。・・・で、奴らの目的は分かったか?》
《残念ながら目的までは。ですが、彼らが叔父上殿に言っていた言葉が気になります。「エレーナとユリアナ、そしてその子供たちを連れて来い、教会の祝福を与える。」と。》
《ふむ・・・困ったな。私やエレーナに化けることができる眷属はいるが・・・キスラやクラウディアに変身できる眷属などいないぞ?》
となると・・・伯父がこちらに到着する前に二人を取り返しに行く必要があるということか。
仕方がない。
乳飲み子がいる身で戦闘するなど、愚かの極みだが・・・。
《・・・マスター。アランとマティアスの移送が始まりました。私は後を追います。座標は共有しておきますが、くれぐれもご無理をされませぬよう。》
モリガンはそこまで言うと、回線を切断する。
・・・どういうわけかこの身体、召喚魔法の適性が低いな?
「お母さん、ちょっと裏で水を汲んでくる。クラウディアをお願い。」
私は我が子をマティアスが作ってくれた小さなベッドに寝かせ、エレーナに声をかけてから裏手の井戸に向かう。
井戸の前に立ち、ゆっくりと魔力を練り、全身の魔力回路に行き渡らせる。
「原初の海原と母なりし大地の子よ。大いなる恵みの河を統べし神暦の聖王よ。我は瞞しの雲を纏いて雄牛、獅子、水蛇の似姿を描く者なり。出でよ。プロテウス。」
井戸水を湛えた水桶の水面から、ふわりと水煙が立ち上る。
ゆっくりと霧が立ち込め、それが晴れた時には、魚の尾を持つ身体から獅子や鹿、蝮が顔をのぞかせている姿の老人があくびをしながら井戸の横にたたずんでいた。
「・・・マスター。随分と可愛らしい身体を選んだようですが・・・。まさか子持ちとは思いませんでしたよ。旦那様は今どちらに?」
相変わらずどうしようもない女好きだな。
こいつ、年頃の女とみれば片っ端から寝床に忍び込もうとする習性があるんだよな。
眷属の身体ではどうせ子供も作れないというのに、なんだってそんな無駄なことをするのか理解に苦しむよ。
しかも・・・こいつ、下半身が魚だから付いてないんだよ。
サケやマスのように体外受精でもしてろよ。ったく。
「私は寝取られるつもりはないし、そもそもお前では私を満足させられるはずがない。くだらないことを言ってないで、とっとと私に化けてくれるか?」
「つれないですな、マスター。儂はマスターの思い通りの男に化けられるのに。・・・・よし、こんなものでよろしいかな?」
プロテウスは一瞬だけ霧をまとい、すぐに私そっくりな姿に変身する。
私が着ている麻の服についた汚れまでそっくりだ。
「よし。お前は今すぐにエレーナのところに戻ってくれ。キスラとクラウディアをよろしく頼む。・・・くれぐれもエレーナやキスラ、クラウディアに発情するなよ?」
「お任せを。それとマスター。いくら儂でも赤子には発情しませんよ?」
はいはい、と適当に相槌を打ちながら私はプロテウスとのパスをつなぎ、身支度を整えて家を飛び出す。
ふもとの村までは長距離跳躍魔法で、そのあとは飛翔魔法で!
私は眼下に丘を見下ろしながらふもとの村へ跳躍する。
足を引きずりながら戻る伯父が見えるが、巻き込んでしまったことに申し訳なさを覚え、一瞬目を反らす。
マティアス、アラン。
どうか無事でいてくれ。
◇ ◇ ◇
マティアスとアランを馬車で移送している一団に追いつき、少し離れたところで飛翔魔法を解除する。
どうやらイスまでの道のりを夜通し走り続けるわけではなく、何度か小休止を挟むようだが・・・。
檻のついた移送用の馬車が4台?
護衛を乗せた馬車だけでも2台?
周りを取り囲む騎兵といい、かなり厳重だな?
それに、他の人間も移送しているのか?
そんな私の疑問をよそに、馬車に随伴する騎兵や兵員輸送用の馬車から降りた兵士たちが道端で焚火の石を組み、天幕を広げ始める。
「今夜はここで野宿するつもりらしいわね。・・・都合がいいわ。移送用の馬車を一つ一つ見て回りましょうか・・・。」
私は気配を消しながら1台目の馬車に近づき、檻の隙間から中を覗き込む。
暗がりの中、数人がもぞもぞと動いているのがわかる。
息も絶え絶えなうめき声のようなものが混じっている。
月明りしかなく、馬車の中には明かりもない。
やむなく、魔力検知をされる危険を冒して夜目を強化する魔法を口ずさむ。
「黄昏に飛び立つ暗き翼よ。ミネルヴァの従者にして智慧で夜を照らす者よ。我は闇の中、心理を手探る者なり。なれば今ひと時、梟の如き眼を与えたまえ。 」
一瞬で視界が開け、馬車の中が明らかになる。
だが、そこにいたのは・・・。
「う・・・っ。ぐっ・・・。」
絡み合う半裸の男女・・・いや、これは・・・魔族と、他種族の女たち?
縛り上げられたうえ、猿轡をかまされた女たちが、魔族の男どもに犯されているのか?
狂ったように腰をたたきつける男どもの目には、理性のかけらも残っていない。
女のほうは、その目には何の光も宿っていないかのようだ。
人間だけでなく、エルフやドワーフも含まれている。
中には、すでに腹が大きくなっている女もいるようだが・・・。
ざっと見たところ、マティアスもアランもいないようだ。
では、他の馬車か?
軽い嫌悪感を覚えながら次の馬車を覗き込む。
・・・これは・・・子供?
それも・・・ツタのような植物に絡まれて・・・いや、寄生されている?
ツタのところどころには血のように赤い実がなっている。
だが、見えるのは子供ばかりでアランやマティアスの姿はない。
続けて、3台目の馬車を見る。
縛り上げられた男たちが転がされて・・・いた!
アランだけ?じゃあ、マティアスは4台目の馬車か?
天幕の前で火を焚いて飲み食いしている男どもに気づかれないように足を忍ばせ、4台目の馬車を覗き込む。
そこには、やはり縛り上げられたマティアスが転がされていた。
だが・・・。
鼻を突く死臭。
マティアスは生きているようだが、これは・・・アンデッドか!
やつら、マティアスをアンデッド扱いして運んでいるのか!
・・・マティアスがアンデッドから回復した理由は実際のところよくわからない。
おそらくはクロの魔術によるものだろうが、再び彼が屍霊術でアンデッドにされたとしても、彼女がいないのでは助けようがない。
それにアンデッド化された者を無制限に助けられるはずもなく、時間がたっている場合は助けられない可能性だってある。
では、どちらから助ける?
強制睡眠魔法はアンデッドには効かないが人間には効く。
・・・よし、アランから助けよう。
私は3台目の馬車に戻り、檻の隙間から手を差し入れ、小さな声で詠唱する。
「タルタロスの深淵に在りしニュクスの息子よ。安らかな夜帷の王よ。汝が腕で彼の者を深き眠りに誘い給え。」
それまでもぞもぞと動いていた男たちが動かなくなり、安らかな寝息を立て始める。
さらに檻の閂にかけられたカギに向かい、再び小声で強制開錠魔法を詠唱する。
「神秘の守護者よ。我は奇跡の言霊を以て汝を解き放つ者なり。」
カチャンと軽い音を立て、錠前が馬車の横に落ちる。
よし、まずはアランを確保した。
・・・お、重い!
やたらと鍛えてるから・・・!
檻の中からその身体を引きずり出し、何とか馬車の隣に横たえる。
続けてマティアスのいる馬車に戻り、強制開錠魔法で錠前を外し、檻を開けようとした瞬間。
マティアスが不意にこちらを向く。
「マティアス。今助けるから。」
わたしはそう、小さく声をかける。
だが、マティアスは慌てたかのように首を振り、何かを訴えようとした。
「マティアス?どうしたの・・・うっ!?」
ドス、という何かが足と腰を貫く感覚。
遅れてくる痛み。
骨盤に当たった感触。
これは槍?馬車の真下から?
「ぐ!まさか、待ち伏せ!?」
慌ててその場を飛びのき、回復治癒呪を発動しようとするが・・・!?
槍の穂先が抜けて身体の中に残って・・・!
しかも、これは・・・刺された箇所の魔力回路が発動しない!?
「ゲラゲラゲラ!娘っ子が忍び込みやがった!男に夜這いをかけるたぁ、いい趣味してるじゃないか!そんなに男が欲しいなら俺が抱いてやるぞ!」
私に気づいた男どもが数人、わらわらと馬車を囲み始める!
すべて瞳が縦に割れている。
鎧を付けていない者の胸元には橙色の魔石が・・・!
「・・・く!マティアス!・・・仕方がない!せめて、お父さんだけでも!」
馬車の檻からもんどりうって転がりながら、魔法で眠ったままのアランに縋り付き、残された4つの魔力回路を全開にして詠唱を始める。
「勇壮たる風よ!汝が御手により彼の者を在るべき処に送り給え!」
アランの身体がふわりと浮かび上がり、空の彼方へと消えていく。
だが、私が詠唱をした一瞬を捉えるかのように槍の穂先が突き出される。
鈍い音とともに右胸に穂先が突き刺さる。
そして、穂先を残して柄が引き抜かれる。
「やはり魔法使いだったか!ヒスイの穂先を用意しておいて正解だったなぁ!」
「く!光よ集え!そして薙ぎ払え!」
下卑た声で笑う男に対し、私は残る三つの魔力回路を用い、光撃魔法を最低出力で解き放つ!
焼けた鉄板に水滴を落としたかのような音とともに、槍の柄だけを持った男は影だけ残してこの世から姿が消える。
「このアマ!確かに魔力回路を貫いたはずなのに!なんで魔法が使えるんだ!?」
そりゃあ、まだ魔力回路が残ってるからだよ!
私は内心で悪態をつきつつ、腰と足からヒスイの穂先を抜こうとするが・・・。
「ぐうぅっ!?返しまでついてるの!しかも、中で割れるなんて!」
腰に刺さった穂先は、パキンという音を立てたかと思った瞬間、割れて中に残りやがった!
それに、右胸に刺さった穂先は、ほぼ水平に乳房を切断していて・・・!
クラウディアに乳をやれなくなったらどうしてくれるんだ!
「雷よ!敵を討て!大地よ、轟け!そして打ち砕け!」
近くの敵には雷撃を落とし、離れた敵には石弾を撃ち込む。
くそ、近くの馬車にマティアスやさらわれた連中がいるから戦いづらい!
いっそ全員眠らせてしまうか!?
あとでマティアスだけ叩き起こせばいいか!?
一瞬のためらいが隙となり、再びヒスイの穂先が突き出される。
ええい!ただの鉄の槍なら、防御障壁術式で弾き返せるものを!
鋭い切っ先が肌をかすめ、何本もの赤い筋を増やしていく。
腰に残ったヒスイの破片が、下半身の動きを邪魔する!
なんとか、立ち位置を調整して・・・。
射線上に、敵以外が入らないところで!
「今!二十連唱!光よ!三界を染めし形なき波よ!集いて万象を穿つ粒となれ!」
視界に全員を捉え、二十発の光の弾丸を解き放つ。
拳ほどの大きさの輝く弾丸が、不可思議な軌道を描きながら男たちに襲い掛かる。
「ぎゃあぁぁあ!?盾が、鎧が効かない!」
「腕が!うぐぅっ!?ぎゃあぁぁ!」
当たり前だ!
光の概念精霊が作り出した、岩石が蒸発する熱と光の塊だ!
男たちの悲鳴が解けるかのように風に消え、ゆっくりと静寂が戻ってくる。
・・・そういえば、マティアスが捕らわれた馬車のアンデッドは、稼働状態ではなかったのか。
それと、獣のように女をむさぼっていた男たちは・・・?
まあいい、とにかくマティアスを助けなければ。
そろそろ腰が限界だ。
私は檻を開き、這うようにマティアスに近寄る。
手枷を手枷を砕き、猿轡を外す。
「マティアス・・・助けに来たわ・・・。」
「ユリアナ、君は一体・・・いや、君は・・・誰だ?」
静止したアンデッドたちの中、マティアスは何か恐ろしいものを見るような目で、私の顔を眺めていた。
◇ ◇ ◇
マティアスの手を借り、近くの草むらに腰を下ろす。
腰の中に残ってしまったヒスイの破片が、どうやら重要な臓器を傷つけてしまったようだ。
先ほどから、腰から下の感触がない。
「・・・マティアス。私がいいと言うまで向こうを向いていてくれるかしら。」
「・・・ああ。」
マティアスは私に背を向け、少し離れたところに腰を下ろした。
あと少しで手が届きそうな距離なのに、その背には普段と違って、かなりの距離を感じる。
まだ敵がいるかもしれない。
いや、馬車の中にはいまだに動かないアンデッドと、狂ったように女を抱き続けている魔族が残っている。
蛹化術式を使っている暇はないし、そもそもヒスイが混入していては術式が正しく動作しない。
やむなく私は男たちが食べていた干し肉の束を左手に持ち、目の前に水筒を置いて右手に魔力を収束する。
「ふう、ふう・・・水よ、集いて一条の槍となれ!ぐぅうっ!」
一瞬で小さな水の槍が形成され、私の腰をえぐり飛ばす。
水の勢いでパチャっと液体をぶちまけるような音がして、ヒスイの破片といくつかの臓器が吹き飛んでいく。
「ユリアナ!?なにをしてるんだ!?」
向こうを向いていてくれと頼んだのに。
いくら私だって、情を交わした男にこんな姿を見せたくはないよ。
「大丈夫、大丈夫だから・・・見ないで。お願い。」
干し肉の質量を使って腰の傷を治していく。
・・・やはり、質量が少し足りない。
だが、動けなくはない。
男たちの食べていた干し肉の一つを拾い、質量の足しにする。
マティアスは目を反らさずに、じっと私を見ている。
そして、かろうじて動けるようになった私の腰に手をまわし、ゆっくりと立ち上がらせてくれる。
「さあ、私たちの家に、帰りましょう?マティアス。どこも痛いところはない?」
私の問いかけに返事はない。
彼が私の腰に回した手は、ほのかに温かいのに。
なぜか、彼は一切口を開かず・・・。
いつしか星が消え、東の空が白み始める。
私は彼の肩を借り、ゆっくりと家路を歩いていった。
◇ ◇ ◇
家につき、プロテウスを送還して元の生活の戻ろうとするも、マティアスの様子はおかしいままだった。
私を求めることもせず、ただクラウディアの世話をやきつづけた。
二人一緒だったベッドは、いつの間にか別々になった。
・・・それはそうだろう。
自分の妻が得体のしれない力をふるったのだから。
だが、私は言い訳をしなかった。
いつか必ず知られる日が来る。
ならば、これもよい機会なのだと思っていた。
落ち着いたら、すべてを話そうと思っていた。
だが、ついぞ二人だけで話す機会は訪れず、戻ってから三日目の朝を迎えた。
「ねえ、ユリアナ。今朝からマティアスの姿が見えないの。・・・クラウディアもいないわ。何かあったのかしら?」
「えぇ!?・・・マティアス!?クラウディア!?・・・お父さん!伯父さん!マティアスを見なかった?クラウディアはどこ!?」
慌てて家中を家探しするも、マティアスもクラウディアも、どこにもいなかった。
アランと伯父が家の外を、エレーナが納屋を調べているとき、ふと何かが目に留まる。
「これ・・・手紙かしら?」
マティアスが作り、クラウディアがいつも寝ているベッドの中に数枚の木の板が置かれていた。
そこに書かれていたのは・・・。
『最愛の妻、ユリアナ。君はいつからユリアナではなくなったんだ?・・・俺は、あの馬車につめ込まれたとき、礼拝堂で俺を刺した魔族と再会したんだ。奴は笑いながら言っていた。ユリアナは子供を作れるはずがないって。棍棒を差し込んで、入らないからナイフで切り開いて押し込んだ、ズタズタになったから腹に焼けた鉄ごてで不能の焼き印を押したって。』
・・・しまった。
ユリアナの腰・・・へそから股関節までは馬車に轢かれて大破していたから、完全新規で作り直したんだった。
まさか、そんなことになっていたなんて・・・。
『君を抱いたとき、そんな焼き印は残っていなかった。ナイフの痕も、ましてや棍棒を押し込まれたような痕も残ってはいなかった。でも・・・俺は見たんだ。思い出したんだ。窓際で泣く君の腹に、何かの焼き印が押されているのを。』
くそ・・・だから、マティアスは死ぬ可能性もあるのに礼拝堂に殴り込んだのか!
ただ犯されただけではなく、一生、恋もできない身体にされたユリアナのために!
『チーズの配送先の旦那に聞いたが、俺の母さんと父さんが生きていることが分かったんだ。だから二人と合流して姉のところへ行く。心配しなくていい。クラウディアは俺が育てる。』
そういえば、マティアスには姉夫婦がいたっけな。
確か、今年の初めごろに子供が生まれたはずだとか言っていたっけ。
『俺は、絶対にユリアナしか愛せない。だから君はもうユリアナのふりをしなくていい。義父さんや義母さんにはまだ何も言っていないけど、どうするかは君の自由だ。』
マティアスはユリアナのために命を張ったのであって、私のためではない。
だが、クラウディアはユリアナの娘ではなく、私とマティアスの娘だ。
・・・マティアスは自分が父親である責任だけでも果たそうというのか?
『最後に。君は偽物とはいえ、俺にとってはもう一人のユリアナだった。同時にクラウディアは俺の娘で、そして人の子だ。神の如き君には任せられない。幸せな夢をありがとう。さようなら。クラウディアが大きくなった時には、母親は君を産んだ時に死んだと伝えるよ。』
・・・おい。
「ふっざけんじゃないわよ!助けてもらっておいて三下り半突きつけて娘はもらっていくって!?私の娘を返しなさいよ!毎晩毎晩サルみたいに腰を振っていたくせに!」
頭が真っ白になる。
一番信用していた人間に裏切られた。
一番娘に必要だと思っていた人間に、娘を奪われた。
・・・そして、その人間に、私の嘘を、許してもらえなかった。
思わずマティアスが作ったクラウディアのベッドに拳を振り下ろすが、寸前でそれを止める。
マティアスは、一時は命をかけて愛したユリアナが無事であることに安堵し、その身を抱き、娘まで作った。
だが実際は、私はユリアナの偽物で、本物のユリアナは人知れず亡くなっていたことを知った。
そして、彼はエレーナとアランの手前、それを言い出すこともできない。
・・・なるほど、私は大きすぎる苦悩を与えてしまったのか。
「私の、せいね・・・。」
もし、私がただの人間なら。
もし、私がただ転生したユリアナその人だったら。
「そうは言ってもね。私はクラウディアのことをあきらめるつもりはないのよ。例え何人目であったとしても、私がおなかを痛めて産んだ子なの。」
マティアスの置き手紙を懐に入れ、プロテウスを喚び出す。
「マスター。面倒なことになっているようですな。儂はマスターに化けて家で待っていればよいですかな?」
「ええ。近辺の警戒はモリガンがやっているから。万が一の時は念話で呼びなさい。助けをよこすわ。戦闘は極力避けるように。」
プロテウスは幻惑系の魔法が使え、かつ近接格闘戦能力もかなり優れるが、子を産んだ直後のユリアナが格闘戦などしたらアランやエレーナに何と思われるか。
もう面倒なことはごめんだ。
「ふむ。難儀ですな。だが、任されました。マスターのお気のままに。」
プロテウスの答えを聞くや否や、私は家の外に飛び出した。
◇ ◇ ◇
マティアス
俺は眠るクラウディアを抱き、沸かして冷ましたヤギの乳を皮袋に入れたものを手に、朝早くに羊飼いの丘の村を飛び出した。
ふもとの村に行き、顔見知りになっていた飲み屋の常連に紹介してもらい、近くの町へ行く農夫の馬車に便乗させてもらうことにする。
御者は思わぬ臨時収入があったことに顔をほころばせ、銀貨を懐にしまい込んだ。
ずっと使う機会がなかったが、イスの町で働いていた時に稼いだ蓄えがあってよかった。
ふもとの村で例の産婆に見つからないよう、細心の注意を払った。
それにしても・・・。
ユリアナはいつからユリアナじゃなくなったのか。
俺がセヴェリヌスに直談判に行く前は、間違いなく元のユリアナだった。
手足を斬られ、磔にされていた時・・・。
おぼろげだが、ユリアナの姿を見たような気がする。
朦朧とする意識と光を失いかけた目に映るユリアナの姿は・・・。
どうであったか、あまり自信がない。
次に会ったのはあの羊飼いの丘の村にエレーナさんを連れて逃げて行ったときだから、それまでのどこかでユリアナはすり替わったのだろうか。
「本物のユリアナは・・・今もどこかにいるのだろうか。それとも、あのユリアナは身体だけは本物のユリアナなのだろうか。」
窓際で見た、絶望の淵に沈んでいた彼女の顔を思い出す。
そんな俺の考えていることを知ってか知らずか、クラウディアは小さな手を伸ばし、そしてもぞもぞと体を動かす。
「だあ。だぁ。・・・あう?」
「大丈夫だ。俺が必ずお前を普通の子供として育ててやるからな。予定通りなら、姉さんのところでも子供が生まれているはずだ。何とか助けてもらえれば・・・。」
・・・人任せなのはわかっている。
だけど、俺はユリアナを信用できない。
今もなお、掌の中にはユリアナの柔らかい感触が残っている。
毎晩のように俺自身が求め、飽きることなく抱き続けた白い身体が脳裏に浮かぶ。
でも・・・。
あの柔らかさの中に詰まっているモノを、俺は見てしまった。
水にぬれてこぼれ落ちる、赤黒い何か。
そして、彼女の小鳥がさえずるような歌声とともにそれらが再び身体の中に戻っていく様。
足りない肉を、そこら辺の干し肉で補っていたという事実。
アレは・・・人間じゃあ・・・ない。
俺はもう、彼女に触れても、おそらくは恐怖以外感じないだろう。




