293 這いよる魔手/帝国の斜陽
ユリアナ
キスラが生まれてから半年、クラウディアが生まれてから4か月。
雪が解け、私たちの村にもいよいよ春が訪れていた。
とにかく人数が少ない村でそれなりの働きをしていたエレーナと私の二人がそろって出産してしまったためか、働き手が足りなくなってしまっている。
その分を埋めるかのようにアランとマティアスはせっせと働いてくれているのだが・・・。
マティアスは目に見えて筋肉質になり、夜のほうもかなり強くなった。
かなり自信がついたようで、毎晩のように迫ってくる。
まだ腹の中が落ち着いていないのに、二人目を仕込もうとするなよ。
あの男とは違ってその手には優しさがあふれてるけどさ。
それに、子沢山なのは大変良いことだが、子供の食い扶持を稼ぐのも結構大変なはずだ。
そろそろ適当な眷属でも喚び出して手伝わせるか?
あるいは、この丘は水はけが少し良すぎるが、土壌を改良して何かしらの作物を育てるのもいいかもしれない。
そんなことを考えていると、伯父が呼ぶ声が聞こえる。
「エレーナ!ユリアナ!そろそろ昼飯にしよう!あれ?アランは?」
「アランなら水桶が壊れたから裏で直してるわ。マティアスは?」
私は朝方、マティアスが水桶をもって家の裏手に向かったことを思い出す。
「あれ?水桶はマティアスが直してるんじゃなかったっけ?ま、いいか。お母さん!一緒にお昼ご飯の支度しよう?」
私はクラウディアを抱いたまま立ち上がり、キスラを抱いて座るエレーナの手を引いて話しかける。
「はいはい。いつもどおり味付けは私がするのね。もう・・・この子が作るとなぜか塩味だけしないのよね。」
二人そろってかまどに向かい、すでに待っていた伯母と三人で食事の準備を整える。
そこには長い旅の中、何度か訪れる凪のような時間がゆっくりと流れていた。
・・・・・・。
昼食の支度が終わり、丘のふもとの村の鐘を鐘番の少年が叩く。
しばらくして伯父一家が、そしてアランがひょっこりと顔を出す。
「お、うまそうだ。・・・あれ?マティアスは?」
「マティアスなら水桶の修理をしてたんじゃないの?」
「いや、水桶の修理は俺が代わりに・・・マティアスには俺の代わりに産婆のばあさんに渡すチーズを届けさせたはずなんだが・・・もう戻ってもいいころだよな?」
アランとエレーナ、そして伯父夫婦が顔を見合わせる。
「どこかで道草食ってるんだろうよ。マティアスの分だけ昼飯は残しておいてやろう。さ、食べようか。」
ここは平和な村で、イスのような魔族も、かれらに阿る市民もいない。
きっとまた、私のためにきれいな花でも見つけて摘んでるのかな、なんて思いつつ昼食を終え、片付ける。
もちろん、マティアスの分はいつでも温めなおせるよう用意しておいた。
だが・・・その日の夕暮れ、そして翌朝。
いつになってもマティアスは帰ってこなかった。
◇ ◇ ◇
マティアスが戻らぬまま、さらに一夜が過ぎたころ。
今度は探しに出たアランが戻らなかった。
エレーナは心配そうにしているが、乳飲み子を抱えているのだ。
何もできるはずもない。
異常に気付いた伯父が農具のフォークを片手に牧羊犬を従え、山を下りる準備をする。
「エレーナ、ユリアナ。お前たちはこの丘を絶対に降りてはいけない。必ず二人は連れ戻す。暖かくして、心配せずに待っていなさい。」
伯父がそう言い、荷物をまとめて丘を下っていく。
マティアスとアランに何かあったのだろうか。
エレーナは不安そうな顔で私を見ている。
もちろん、私も不安だ。
いくら数百人に抱かれ、彼らの子を育て上げてきた経験があろうが、身体を重ねた男のことくらい心配になる。
「・・・モリガン。いるか?」
召喚しっぱなしだった眷属に小さく問いかける。
すると、半分呆れたかのような声が返ってきた。
《いるか、じゃないですよ。いったいどれだけ放置すれば気が済むんですか。おかげで丘の周辺の木の実を食べつくしちゃいましたよ。・・・で、なんです?》
《すまん。召喚しっぱなしで忘れていたよ。突然で悪いんだが、伯父の後を追ってくれないか?アランは昨日の夜から、マティアスは一昨日の朝から戻っていない。》
モリガンが息をのむ音が念話越しに聞こえ、すぐに引き締まった声で返事が来る。
《・・・分かりました。念のため戦闘要員の召喚をお願いします。それと、万が一の場合は?》
《人は死ぬものだ。それは万が一などではないよ。・・・そうだな。せめて、死んだかどうかだけはわかるようにしてくれると助かる。それと、召喚は渡しておいた召喚符を使え。》
《承りました。では。》
バサバサっと舞い上がる音が聞こえ、念話が途切れる。
ああは言ったが、二人が生きていることが何よりだ。
敵か、それとも獣か。
いずれにせよ、私の家族を害するものがいるならば手加減はしない。
私はすべての男がいなくなり、女と赤子だけになった家の中、冷たくなった指先でそっとクラウディアを抱きしめた。
◇ ◇ ◇
少し時間をさかのぼる。
セヴェリヌス・モルタリエ
儂が作り出した決戦兵器ともいえる「女神」があっさりと敗れてからずっと黒髪の悪魔について調べ続けていたが・・・。
いくつかの文献が出てきたものの、何者かが意図的にその存在を消したのか、その正体はおろか輪郭すらぼやけたままだった。
「超古代文明・・・ナギル文明を生み出した女神・・・決して老いず、傷つかず。天を駆ける櫂に乗り、山を砕き、空を落とす。世の理を知り、魔力もなく雷を起こし、ガラスの筒だけで空のかなたに声を届け、降る星屑さえ打ち砕く・・・か。もはや神話の存在じゃな。」
本来、神話などというものは後世の人間の創作によるものだ。
古代に神代などなく、人類は漸進的に叡智を重ね歩み続けたはずだ。
だが、現に神話の時代の遺物が私の傑作をたやすく打ち破った。
しょせん儂が作った女神「イルシャ・ナギトゥ」は偽物で、黒髪の悪魔こそが真なる女神だとでもいうのか。
あの目に見えぬ戦槌。
何度思い出しても理屈すらわからない。
許せぬ。
わが教皇猊下の教えにない神など、われら魔族の叡智をもって引きずり降ろしてくれようぞ。
そんなことを考え、一人で悶えていると不意に扉をたたく音が聞こえる。
「セヴェリヌス様。逃げ出した女と、紛失したアンデッドについて情報が入りました。」
今更どうでもいいことを・・・。
まあ、アンデッドが制御を外れたことなどないからな。
そっちは少し気になるが。
「言ってみろ。」
「セヴェンヌに続く山間の丘の村に、紛失したアンデッドによく似た青年が妻と生まれたばかりの娘、そして妻の両親と住んでいるとのことです。その名は『マティアス』といいまして・・・紛失したアンデッドと同じ名称です。」
「・・・ふむ。偶然ということはないか?人格情報と記憶情報を汚染しきったアンデッドが人間に戻るなど・・・法理精霊の高位干渉でもない限りはありえんな。女のほうは?」
実際、儂でもアンデッド化した人間を元に戻せたことなどない。
「逃げ出した女の名前はエレーナ。マティアスの義理の母にあたります。エレーナは夫のアランと娘のユリアナとともに、その村で暮らしています。ええと・・・ユリアナはマティアスの妻ですが・・・少し妙でして。」
エレーナ・・・ああ、初夜の務めを果たした時に妊娠が確認された女か。
黒髪の悪魔の襲撃で死んだかと思っていたが・・・。
「要領を得ないな。どこが妙なんじゃ?」
「記録では、ユリアナはエレーナとともに初夜の務めを果たしています。のちに、エレーナは妊娠していたことが発覚し、例の襲撃時に逃げ出したわけですが・・・。ユリアナは務めの時に処女であったことが確認されています。」
「ん?マティアスとユリアナの娘とやらは人間か?・・・初夜の務めの相手に魔族はいなかったのか?」
「いえ、全員魔族だったことが確認されています。それに・・・釈放時に秘所の裂傷があまりにもひどいことから、妊娠不能として烙印を押されているはずですが。」
初夜の務めに来た母娘。
妊娠しており、後日胎児を人工魔力結晶として抽出されようとしていたエレーナ。
魔族に犯され、秘所を裂かれて子をなせなくなり、下腹部に焼き鏝で烙印を押された娘、ユリアナ。
・・・確か、女神「イルシャ・ナギトゥ」と最初に戦っていたのは・・・。
ユリアナとかいう小娘ではなかったか?
あの魔法は、マティアスとかいうアンデッドを助けるために?
では、黒髪の悪魔は、「イルシャ・ナギトゥ」と交戦するために現れたのではない?
「・・・この話を持ってきたのは誰じゃ?」
「羊飼いの丘のふもとの村の産婆です。先ほど駄賃として金貨を握らせて返しましたが・・・呼び戻しますか?」
「いや、足の速いものに産婆を追わせろ。追いついたら、そのまま村まで同行させろ。そして、そいつらを・・・どんな形でもいい。ここに連れてこい。」
「は。連行するのは、マティアス、エレーナ、ユリアナ。以上でよろしいですか?」
「ああ。・・・いや、他に近親者もいれば、そいつらもつれてこい。人質くらいにはなるじゃろう。特に・・・赤子がいたら優先的にな。」
黒髪の悪魔につながる情報だ。
目に見えぬほど細い糸だが、うまくすれば悪魔の弱点が見つかるかもしれぬ。
「くくく。この儂が魔法で負けるなどあってはならぬのじゃよ。その魔力の秘密をすべて丸裸にしてわがものとしてくれようぞ。赤子は優先的に人工魔力結晶にしてやろう。いや、わが研究の材料にしてやろう!」
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
やっとのことで新しく用意してもらった聖棺モドキの安置場所の整理も終わっていないのに、今私は、なぜ皇宮の謁見室に呼び出されているんだ・・・?
なんでこうなった。
しかも、しっかりと完全に武装解除されてるしさ!
「ノクト・プルビア三世陛下のおなりである。」
ぷぷぷ、バカ殿様のおなりである。
志村!うしろ!うしろ!
喉元までその言葉が出かかる。
騎士団長っぽい人が敬礼っぽい行動をして、そのほかの人たちがそれに倣う。
一応私は外国人という扱いになっているので、適当に考えたそれっぽい姿勢で頭を下げているんだけど・・・。
目線が痛い。
いや、このドレス!
どう考えても似合わないでしょう!?
遥香ならともかく、私だよ?
指輪やらイヤリングやらネックレスやら、ゴテゴテとコーディネイトしたバカの気が知れない!
それも、この義体は私か琴音の小学校卒業当時くらいの姿で作ってあるんだから、平たい顔と胸と相まってどこかのテーマパークで親が無理やりコスプレさせたみたいになってるんだよ!
「んく・・・ゴホン。面を上げよ。・・・その方、名を名乗れ。」
笑うなバカ!
こっちも必死なんだって!
「なぐ・・・アルカム・フィナムと申します。」
やべぇ。
南雲千弦とか名乗ったら歴史が狂う!
いや、もう狂ってるのかもしれないけどさ!
「ん?アルカム・フィナム・・・もしかして、セレネーア大劇場の?『リュキアの花嫁』を見ていた・・・?」
「陛下!・・・ゴホン。」
あわてて近くのおっちゃんが止めたけど・・・。
あれ?もしかして紫雨君、転生してることを秘密にしているとか?
とりあえず私もごまかしておこう。
「いえ、何のことでしょうか。私は演劇など見ませんし、その・・・『リュキアの花嫁』というのも、かなり昔の演目ではありませんか?」
「あ・・・うん。ええと・・・ま、まあ、とにかく本題に入ろう。レイダ・デュオネーラ《第二公爵》から聞いたんだが、君は凄腕の魔法使いなんだってね?そこでちょっとお願いがあるんだけど・・・。」
げ!?
まあ、そんなことだと思ったよ。
でも側室には入らないよ。・・・少なくとも私はね。
・・・・・・。
謁見から馬車でデュオネーラ家に帰る途中。
ほとんど形式だけの謁見と皇帝陛下からの依頼を受け、私は完全に頭を抱えていた。
っていうか、皇帝陛下からの依頼なんて断れるわけないじゃん!
断ったら絶対に死刑じゃん!
しかも、依頼の内容が・・・。
もう一人の協力者と二人だけでイスに潜入しろ!?
私に死ねっていうのか!
AMC-1があるから死なないけどさ!
ってか、AMC-2を押し付けて代わりに行かせようかしら!
私しか起動できないみたいだけどね!
「くそう。あの仕込みは失敗だったか。せっかく徹夜で魔導書を仕上げて紫雨君のところに差し入れたのに、それで勝手に戦力強化してくれていればよかったのに!」
ブー垂れながらもドレスの裾をまくって足を組む。
それを見かねたデュオネーラ家の執事長がぴしゃりと言う。
「チヅラ様。はしたないですぞ。」
イラッ。
「うっさい。分かってるかしら?これって契約違反よ?私はナギル・チヅラの建国者の立場からデュオネーラ家に魔法・魔術的アドバイスを行う。ついでにこの世界にはない金属などを供給する。引き換えに、デュオネーラ家は私の身柄を匿い、安全を保障し必要とあらば資金と人脈を提供する。・・・違ったかしら?」
「ええ。ですから、これは人脈の提供でして・・・。」
ムカッ。
「ふっざけんな!・・・わざわざ何度も懇切丁寧に、私が何でコールドスリープを繰り返しているか説明したでしょう?私は未来に帰還する、だから歴史に干渉できない。特に皇帝陛下とは深く知り合うことはできないって!」
「未来に帰還する?何のことです?」
レオ君やメルダさんの世代の時に取り交わした契約だが、当主が代わるごとに必ず契約の更新をして読み合わせまでやってるってのに!
ん?まさかと思うけど?
「まさか、現当主のレイダさんは今夜の呼び出しを知らない、なんてことはないでしょうね?」
ドレスの着付けやら姿勢やらいちいちうるさかった執事長は、ツイっと目線をそらす。
「我が国は帝国です。皇帝陛下のご指示は絶対。チヅラ様には関係ありませぬな。」
プチッ。
・・・ああ、なるほど。
こいつ、私のことを馬鹿にしてるんだ。
じゃあ・・・決まりだな。
「馬車を止めなさい。今すぐ。さもないと大ケガするわよ?」
「何を言っているのです?」
「ふん。警告はしたわ。・・・万象を満たす白銀の波濤よ!我は奇跡の言霊を持ちて汝を束ね解き放つものなり!一柄の箒となりて有象無象の塵芥を薙ぎ払え!」
私は最小出力で音響攻撃魔法を発動し、馬車の屋根を撫でるかのように吹き飛ばす。
音響攻撃魔法。
完全な私のオリジナル魔法だ!
半自動詠唱機構無しだと詠唱が少し長いという欠点があるけどね。
目に見えず、かつ指向性を持った音のビームは堅牢な馬車の屋根をバターをホットナイフで溶かし斬るかのように切断し、余波で破片やら火の粉やらがバラバラとまき散らされる。
「ぐぎゃぁ!?~~耳が、う、ぐ・・・。」
はははは!
ざまぁ!
何が起きたかもわかるまい!
さて・・・バカ執事長の耳から大量の血が流れているのと、少し眼球が飛び出ているのを除けば特に問題はない。
が、ちょっと派手すぎたかな?
こんなことならフライングオールやら各種武装を馬車の中に持ってきておけばよかったよ。
頭を押さえてのたうち回る執事を足蹴にしながら、私は長距離跳躍魔法の詠唱に入る。
「勇壮たる風よ。汝が翼を今ひと時我に貸し与えたまえ。・・・さて、レイダさんは何と言うか。返答次第では・・・この国を出ることも考えなきゃ。」
・・・・・・。
似合わないドレスのまま、デュオネーラ家のエントランス前にスタっと降り立つと、なぜかレイダさんが慌てて出かけようとしているところだった。
「あ!チヅラ様!・・・その恰好は・・・出かけるところですか?それとも、お戻りですか?」
「残念ながら帰ってきたところよ。で?何か釈明はある?」
「申し開きもございませぬ。まさか、執事長のバックスが皇道派に傾倒しているとは思いもよらず・・・。」
皇道派・・・?北一輝かっつうの。
五・一五事件とか二・二六事件とか起こすんじゃねぇぞ!
あれでうちの初代校長が暗殺されたんだからな!?
おちけつ、私。
いや、もちつけ、私。
ひととおりレイダさんの釈明を聞いてみたんだけど、レギウム・ノクティスは今、かなり面倒なことになり始めているらしい。
ことの発端は間違いなく三聖者の襲撃でポンタス侯爵家が壊滅したことだろう。
それが原因で帝国の侯爵家以下の貴族に「デケムナリウスに国政を任せるだけでは足りない」という風潮が生まれているんだそうだ。
さらには困ったことにどこから漏れたかは知らないが、ノクト皇帝が転生を繰り返して帝位にあり続けているという噂を広め始めた連中がいるらしく、「皇帝こそが神聖なもの」で「すべての権限を皇帝に戻し、この帝国をより強く生まれ変わらせる」などという思想が蔓延しているという。
うん。
確かに紫雨君が転生を繰り返しているのは事実だ。
だけど彼、私が見ている限りでは国政らしきことをほとんどやってないんだよね。
まさに「お飾りとしての皇帝の器」だ。
話を聞く限りでは、自分をあおっているのが皇道派であることにすら気づいていないみたいだし。
「で、ノクト皇帝は皇道派に踊らされているだけだと。」
「はい。叔母上の行方が分からなくなってから陛下は手当たり次第に軍を動かしていまして・・・足元が見えていないようなのです。」
もはやため息すら出ない。
気持ちはわかるけどさ。
もし現代でも同じ行動をして琴音に何かあったらぶっ殺そうか。
・・・仄香に殺されるからやめておこう。
「とにかく私は聖棺モドキを移動するわ。安心して眠ってもいられないし。」
とはいえ、どこに安置したらいいか・・・。
西暦300年代から2000年代まで安心して安置できるところ・・・。
絶海の孤島?
深山幽谷の奥深く?
はあ。
いっそのことプカプカと移動できる、ひょっこ〇ひょう〇ん島みたいなものがあればなぁ・・・。
◇ ◇ ◇
ノクト・プルビア三世(紫雨)
デケムナリウス以外から起用した文官の一人にデュオネーラ家の執事長であるバックスと縁戚関係がある者がいて、何気なく強力な魔法使いについて聞いてみたら、彼女はまだデュオネーラ家の食客のような状態でいるらしく、あっさりと会うことができた。
それにしても・・・。
アルカム・フィナムと名乗った黒目黒髪の少女は終始不愛想ではあったが、あまり上級貴族との付き合いを好まないのだろうか。
とにかく何とか助力を得ることができそうだ。
僕は早速一通の手紙をしたためる。
内容は、彼女に依頼する仕事の詳細についてだ。
ざっと書き上げて例の文官に渡し、デュオネーラ家に届けさせる。
協力者一人とともにイスに潜入し、僕の叔母上を助け出す。
並大抵の魔法使いでは果たせないだろう。
だから、その協力者というのは僕だ。
あとは指定した日時に、指定した場所で。
高鳴る心を押さえながら、僕は久しぶりにゆっくりとベッドにもぐりこんだ。
・・・・・・。
数日後、指定した日時に、指定した場所に顔を出す。
そこは帝都で一番大きな噴水広場で、若者たちの出会いや逢引に使われている場所なのだが・・・。
すでにその一角に14歳くらいの黒髪の少女が、大きな箱のついた櫂のようなものを真横に浮かべて待っていた。
「やあ。待たせたね。僕がその『協力者』というやつだ。作戦の詳細は読んだかい?」
「・・・ふん。協力者っていうのはやっぱり貴方だったのね。他の人間が来ていたらそのまま帰っていたところだわ。まあ、根性だけはあるみたいね。」
うーん。
やっぱりこの子、あのアルカムさんじゃないか?
だけど、人間みたいだし、全く老化していないどころかむしろ若返っているようにすら見えるけど・・・。
いや、まて。
たしか、アルカムさんはホムンクルスじゃなかったっけ?
でも目の前の彼女はホムンクルスというにしては自然すぎて・・・。
いや、魔力の流れからすると間違いなくホムンクルスだ。
あのあとクインセイラ家の連中を呼び出してホムンクルスについて徹底的に調べたけど、いまだにホムンクルスの自律制御はできないし、ましてや魔法を使わせることなんて夢のまた夢だと言われてしまったんだよな。
一応、ホムンクルス制御用の眷属の召喚契約は済ませたけど。
「なにボーっとしてるのよ。まったく、琴音ったらこんな男のどこがいいんだか。とにかく準備ができたんなら行くわよ。目標地点はイス。作戦の目的は貴方の叔母さんの情報の収集。いい?長距離跳躍魔法で一気に行くわよ!?」
コトネ?何のことだ?
いや、そうじゃなくて、この子、長距離跳躍魔法が使えるのか!?
さすがはデュオネーラ家が秘密にする大魔法使いというだけのことはある!
「ああ。いつでも。」
「・・・勇壮たる風よ!汝が翼を今ひと時我に貸し与えたまえ!」
彼女は僕の手を取って力強い声でそう叫ぶと、一瞬で遥か空の上に駆け上がった。
◇ ◇ ◇
カリーナ・ド・ポンタス侯爵令嬢
帝国郊外
帝国臣民の一部がクァトリウス家の先導で砂漠を進んでいる。
空調術式を施したゴーレム馬車の中にいても、窓から差し込む太陽の光が肌を焼き焦がす。
帝国が近ごろ接収したドラゴパレストに向けてキャラバンを組んで歩いているのだが、まるで牛のような歩みだ。
「カリーナちゃん。大丈夫?顔色が悪いみたいだけど・・・。」
友人のエリシエルが心配そうに私の顔を覗き込む。
エリシエルの祖母のセラフィアはあの事件のせいでいまだに体調がすぐれず、今回、彼女は母親と二人だけで移動することになったのだ。
「それにしても・・・ドラゴパレストを帝国の属領にして開拓しようだなんて。大丈夫なのかしら?」
キャラバンに所属する人々は口々に心配しているが・・・。
私としては願ってもないことだった。
すべての肉親と使用人を失い、さらにはあんな目にあった場所に長く住んでいるよりも、どこか別の場所へ行きたくてたまらなかったのだから仕方がない。
それに、セラフィアさんから聞いたのだけれど、帝国が襲われる可能性が日々高まっているらしく、チヅラ様の勧めでできる限りの帝国臣民を疎開させる必要があるというのだ。
「エリシエル。みんなは必ず私が守るから。もう少しだけ頑張って。」
ポンタス侯爵家は、皇帝陛下の命により辺境伯として再出発することになった。
だから、これからはドラゴパレストが私の領地になる。
・・・辺境伯。
本当なら、もっと戦力を有する有力な貴族にやらせるべきことだ。
一応は、デュオネーラ家とクァトリス家が後見をしてくれるというが・・・。
金と物資と、そして土木の人脈しかない小娘に、そんな大役が務まるだろうか。
しかし、ドラゴパレストがあった場所はチヅラ様が開拓し、岩山を吹き飛ばしたうえで川の流れまで変えてくれたという。
おかげで先行した調査隊によれば、大きな湖を背後に持つ緑豊かな大地が広がっているそうだ。
それに・・・この「羅針盤」とかいう道具はどれほど強い風が吹こうが、たとえ砂嵐の中にあっても、常に北を指し示し続ける。
魔法も魔術もなしに方位を示し続ける針なんて、チヅラ様でもなければ作ることも思いつくこともないだろう。
私は少し方向音痴気味のクァトリス家の人々の案内を務めながら、まだ見ぬ新天地にほんの少しの期待を胸に秘め、ひたすら砂と空しかない道を東に向けてゴーレム馬車を進め続けた。
◇ ◇ ◇
サン・ジェルマン
神の船ナグルファルからイスが誇るゴーレムやアンデッド、そして自動人形を下ろし、死の砂漠を東に向けて進軍する。
いつしか地平線まで見渡す限りの砂漠が広がり、動くものの一つすら見えなくなった。
「この方向であっているのか?先ほどから何も見えないが。それに、連絡はとれてるのか?」
思わず輿の上から近くに控えるエドアルドに確認する。
我々の足跡はあっという間に強い風に吹き消され、どちらから来たのか、そしてどこへ向かっているのかを一瞬で見失いそうになる。
「はい。俺の分身が西の港とレギウム・ノクティスの両方に控えています。それぞれと通信すれば、方位と距離だけなら正確なものが得られます。この方向で間違いありません。」
「そうか。ならばよい。」
総行程は40日を超えるというが、呼吸をするだけで肺が焼けるかのような気温と、唇が恐ろしい速さで乾いていく環境に早くも不快感を覚える。
聞けば、三聖者どもはこの砂漠を徒歩で横断し、再び戻ってきたというが・・・。
大した忠誠心だ、珍しく感心してしまう。
「教皇猊下。まもなく休止のお時間になります。こちらへ。」
「む?歩き始めてからそれほど時間がたっておらぬが・・・?」
「いえ、実際に歩けるのは朝と夕のみです。日中は日の光が強ぎ、夜間は極寒となりますゆえ。天幕を張りましたので夕暮れまでお休みください。」
確かにじりじりと気温が上がり続けている。
これではまるで進まぬではないか。
しかし・・・よくぞこの道を歩いたものだ。
感心から苛立ちへと変わり、だがやがて再び感心へと考えが変わるころには、太陽に照らされた砂が目視できぬほどに輝くを放ち始めていた。




