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290 剣聖の矜持と少女の怒り/早すぎる恋人の帰還

 サン・マーリー(初代)


 胸のところでちぎれかけたエドアルドを担ぎ、公園から離れた薬屋のような店の影に走り込む。


 あれは・・・一体何だったのでしょう!?

 少なくとも、魔法ではなかった。

 魔力の流れが一切ない魔法などというものが存在したら別ですが。


「ぐ・・・げぼっ・・・。」


「とにかく、エドアルドを・・・()()()()()癒しの君(エル=ザフィア)()()()()魂の座(魔石)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()微睡(まどろみ)()()()()()()()()()()()()()。」


 回復治癒魔法を唱え、エドアルドの身体を修復する。


「・・・助かった。それにしても・・・ありゃあ、何なんだ。一撃でおよそ5人分も命を持って行かれたよ。」


「一撃で?でも、4発くらい喰らってませんでしたか?」


「ああ。だから実際には21回殺されてるね。ん?ワレンシュタインは?」


「我らの殿(しんがり)を務めました。大丈夫でしょうか?」


 エドアルドでさえこうなのです。

 私などでは一発でも喰らえばひとたまりもないでしょう。

 それこそ、回復治癒魔法を使う間もなく魔石を砕かれてしまうかもしれません。


「ん?音が・・・止んだ?ワレンシュタインが・・・やられたのか?」


 エドアルドの言う通り、あれからあの音はしていませんが・・・。


「我はまだ生きている。あの年増女ならもう殺した。それより、俺の女はどこだ。・・・まだ孕んだかの確認をしておらぬ。」


 三振りの抜身の剣を引き連れ、ぬっとワレンシュタインが顔を出しました。


「さすがはワレンシュタイン。と言いたいところですが・・・ずいぶんと手ひどくやられましたね。」


 ワレンシュタインの頬は抉れ、肩には何か大きなものが通過したような穴が開いています。

 並の弓矢ではこうはいかないはずです。


「これだ。あの女が使っていた魔法の杖だ。マーリー。何か分かるか?」


 ワレンシュタインが差し出した4pes(ペス)(1,184mm)と少しの鉄と木でできた杖を受け取り、その重さに驚きながらも魔力を流してみますが・・・。


「これは・・・魔法の杖ではありませんね。ただの鉄と木の塊です。それにしては・・・ずいぶんと細かい細工?いえ、機巧(からくり)が・・・?」


 あの女がしていたように構え、動きそうなところをガチャガチャと動かしますが・・・何も起きません。

 てっきり、雷神か火神の力を借りる魔法でも組まれているかと思ったのですが。


「ふん。魔法でなければ飛び道具か?それにしても・・・いやなニオイだ。まるで焼けた土か、鉄と硫黄が焦げたような臭いだ。」


「ねえ。あの女が守っていた公園に興味があるんだけど。ちょっと調べてみない?もしかしたら、その鉄の杖みたいなお宝があるかもよ?」


 ワレンシュタインは不機嫌そうですが、エドアルドは興味があるようです。

 死にかけたというのに、これだから命を複数持つ者は・・・。

 ・・・たしかに、この杖以外で何か見つかればよい土産になるかもしれません。


「そうですね。ではあの公園をくまなく調べてみましょうか。邪魔者もいなくなったようですし。」


 私は妙な胸騒ぎを覚えつつも、エドアルドを支えながら立ち上がり、公園に戻ることにしました。


 ◇  ◇  ◇


 ・・・誰かがいたのでしょうか。

 あの女の死体がありません。


 地面にはひきずったかのような跡がありますが、噴水の近くで途切れてしまい、それを追いかけることはできないようです。


「・・・どうした。マーリー。」


「いえ。何も。それより、何か見つかりましたか?」


「ねえ!こっちに小屋があったよ!ん~。何だこれ?死体みたいなのが入ってる。随分と豪勢な棺だね?」


 エドアルドの言葉に、ワレンシュタインと二人で小屋にしてはずいぶんと厳重な扉を開け、玄室のようなところに入ると、その中央に置かれた金銀で飾り付けられた棺が安置されていました。

 中には十代前半の黒髪の少女が眠っています。


 部屋の奥にはいくつもの物入があるようですが・・・物が雑多に置かれすぎていて、すべてを調べるには時間がかかりそうです。


「む・・・魔族ではないようだが・・・顔つきが随分と我らと異なるな。」


「・・・これは・・・初めて見る魔法ですね。それに・・・彼女は眠っているような?」


「魔法を解除できるか?」


「ええ。解除するだけなら。"Odin, qui oculum suum pro sapientia dedit, sub ramis Yggdrasil runas accepit, verbo potentes, vincula, maledictiones, et dolos frange."(()()()()()()()()()()()()()()()世界樹(ユグドラシル)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()(まやか)()()()()()()。)」


 可能であれば解除せずに魔法を解析したいところですが・・・この鉄と木の杖のようなものを持った者が近くにいる可能性は捨てきれません。

 それに、箱より中身のほうが安いということはないでしょう。


 若干の抵抗はあったものの、氷が砕けるような音が響き、何らかの魔法が解除されます。

 ですが・・・。


「目覚めないね?・・・これ、魂が入ってないみたいだ。どうする?いらないなら俺が食べちゃうけど。」


「・・・待て。魂が入ってなかろうが、女は女。我がいただこう。・・・ふむ。珍しい顔立ちだが、存外悪くないかもしれん。マーリー。エドアルド。お前たちは少し外に出ていろ。」


 この、悪食と色狂いどもが・・・。

 ここは敵地ですよ?

 それに、そんなに幼い少女に劣情を催すとは・・・。


「まあ、いいでしょう。手早く済ませなさい。エドアルド。小屋の外を調べます。ついてきなさい。」


「あ~あ。21人分も命を使ったのにさ。どこかにおいしそうな命がおちてないかなぁ。」


 身動き一つしない少女を床に置き、服を脱ぎ始めるワレンシュタインを尻目に、私はゆっくりと小屋のドアを閉めました。


 ◇  ◇  ◇


 南雲 千弦


 ユリアナのことが心配になってこっそりと彼女が逃げ込んだ丘の上の村を遠隔視(リモートビューワー)で覗いていたんだけど・・・。


 アイツら、いきなりおっぱじめやがった!

 

 ・・・いや、分かるよ!?

 男の子のほうは自分の恋人が心配で、寝取られたかと思って必死になるのは。

 でもさ、ユリアナの中身は仄香(ほのか)じゃん!

 それが、何だってユリアナの恋人とよろしくやってるのよ!


 完全な逆ネトラレじゃん!

 しかも、気持ちよさそうに声上げてるんじゃないわよ!

 親の情事を見てるみたいに気まずいっての!


 あんたも気持ちよさそうに腰振ってるんじゃないわよ!

 朝まで盛りまくった挙句、ドロッドロのベタッベタになってんじゃないわよ!

 音声と映像だけですんでほんとによかったよ!


 悶々とする感覚をごまかしながら、長距離跳躍魔法(ル〇ラ)でレギウム・ノクティスに戻る。


 はあ・・・近距離じゃなくてよかったよ。

 この状態でフライングオールになんて(またが)れないよ。

 一応、自転車のサドルみたいなのはついてるけどさ。


 さて・・・レギウム・ノクティスの様子はどうなっているかな?

 デュオネーラ家に警告は出しておいたし、ドラゴパレストの脅威も取り除いたし、たった三人だけなら大丈夫かな?


 なんて思いつつ、遠隔視(リモートビューワー)で様子を見る。

 ・・・なんだ、ありゃ。


 セラフィアが・・・(ブローニング)(オートマチック)(ライフル)を持ち出している!?

 戦ってる相手は・・・ワレンシュタイン!?


「くそ!あいつら!よりによってセラフィアを狙いやがった!くそ、くそ!もう少し速度は上がらないの!ええい、まどろっこしい!」


 遠隔視(リモートビューワー)の視界の中で、セラフィアが戦っている。


 人間でいえばもう50歳を超えた身体を引きずりながら、必死で銃の反動を耐えて・・・くそ!ワレンシュタイン!やめて、やめろって!!


 音速の30倍を超える速度でレギウム・ノクティスに向かい跳躍しているのに、信じられないほど世界が遅い。


 ついにセラフィアの胸は剣で打ち抜かれ、彼女はその場に倒れ伏す。


 そして、ワレンシュタインは全弾撃ち尽くした(ブローニング)(オートマチック)(ライフル)を奪い取り、セラフィアには興味を失ったかのようにその場を離れていった。


 フライングオールの推力を調整し、ワレンシュタインたちに気付かれないよう、彼女の隣に降り立つ。

 ぶっ殺してやりたいけど、まずは手当てを・・・。


「セラフィア!・・・セラフィア・・・うっ・・・もう・・・。」


 彼女はその胸を前後から完全に撃ち抜かれ、脈拍も呼吸も止まっている。

 ・・・セラフィア・・・助からないにしても、このままにしてはおけない。

 

 自分の服が彼女の血で濡れるのも気にせず、彼女を抱き上げる。

 ずっと私と一緒にいて、ずっと身の回りのことをしてくれた彼女は、こんなに軽かったのか。


 腰の鞘からオリハルコン製の術式振動ブレードを抜き、彼女の胸を貫いているナマクラを抵抗もなく切り落とす。

 体内にある刃を抜けば、全身から血液が抜けてしまうからだ。


 すぐ近くにある噴水に切断したナマクラを放り込み、フライングオールに彼女を乗せ、デュオネーラ(第二公爵)家へ向かうことにした。


 ・・・・・・。


「すみません!誰か!誰かいませんか!」


 中庭に降り立ち、すぐ近くの使用人らしき人に声をかける。


「・・・!おい!ケガ人だ!これはひどい・・・もう亡くなって・・・ん?彼女は・・・魔族か?医者を呼んでくれ!」


 すぐにデュオネーラ(第二公爵)家付きの医官らしき人がセラフィアの手を取り、脈を計り、そして胸の魔石を確認する。


「ふむ・・・ギリギリで魔石に傷はついていない。肉体の劣化も始まっていない。これは・・・助かるかもしれん。誰か手を貸せ!医務室へ運ぶぞ!」


 ・・・助かるのか?

 何とか自分を落ち着かせているところに、警邏らしき服装をした男性が近寄ってきた。


「魔族でよかった。人間なら絶対に助からないところだが・・・ところで誰がこんなことを?詳細を聞かせてくれるか?」


「ええ。ただ・・・その暇はないの。教会(肥溜め)の三聖者が何をしようとしているか・・・場合によっては私の身が危ないのよね。後で説明に戻るから。」


「あ!ちょっと!待ちなさい!」


 職務に忠実であろうとするあなたには悪いけど、当てにする気はないのよ。


 私は電磁熱光学迷彩(ステルス)術式を発動しながら、再び恩賜公園の管理事務所に向かって飛び上がった。


 ◇  ◇  ◇


 ワレンシュタイン


 微動だにしない黒髪の少女の服を脱がせ、ベンチのような台に横たえる。


「・・・ふむ。死んでいるわけではない。脈拍も呼吸もある。だが・・・魂がない?」


 身体をくまなく調べ、処女であること確認した後、我の怒張をその秘所に押し当て、一気に貫く。

 ぬるりと血がまとわりつき、まるで内臓を内側から撫でているような感覚が背筋を上がっていく。


「・・・なんだ?これは・・・まるで死体か人形を犯しているような・・・これではまるで自慰をしているようではないか。・・・気に入らぬ。」


 残された一振りの剣を持ち、ゆっくりとその少女の胸に当てる。


「・・・痛みを与えたら少しは反応するか?」


 刃を少女の乳房に当て、そのままゆっくりと刃を引く。

 一瞬だけ白い肉が見えるが、すぐに鮮血が噴き出し、少女の全身の筋肉が強張る。


「ふむ。やはり痛覚だけは生きているか。ならば・・・我を楽しませよ。く、ふ・・・ははは!」


 刃をゆっくりと胸に突き当て、あるいは二の腕の皮を削ぎ、あるいは絡めた指をへし折る。

 少女の表情は一切変わらないが、その秘所は我の怒張を強く締め上げる。


「く、くくく!我の子を孕め!くははは!」


 仰向けになり、少女の身体を持ち上げる。

 その乳首を噛みちぎり、乳房の刀傷に指を差し入れ、尻の肉を握りつぶす。

 そして、その中に熱い精を放った瞬間。


「・・・それ、ホムンクルスだから妊娠しないわよ。」


 そう、股間の下・・・いや、部屋の入り口から聞き覚えのない声が聞こえると同時に。

 バン、と何かが爆ぜるような音が響き渡る。


「く!?何者!・・・ぐ、あああああぁぁぁ!?」


 引き剝がされた少女の身体。

 冷たいまなざしで見下ろす、我が抱いていた少女と瓜二つの黒髪の少女。

 その手に握られるのは、先端の穴から白煙を上げる、あの年増女が持っていた何かと同じもの。

 姉妹か!?それとも双子!?


「いや~。本体に被害がないように撃ち飛ばすのって結構難しいわね。ってか、みっともないわね。そのお粗末なモノを隠したら?・・・あはは。隠すどころか根っこから吹っ飛んじゃったか。」


 遅れてくる、股間に煮えたぎる油を流し込まれたかのような、まるで脳を貫くような激痛。

 見れば、やや離れたところに我の、我自身が・・・!


「ぎ、ぐぅっ・・・・!?よくも、よくも!我の、我のイチモツを!許さぬ、絶対に許さぬ!こ、殺してやる!その腹に、股に焼けた刃を挿し込んでやる!」


 我は少女と絡んだまま、思わずその場でのたうち回る。

 く!?今まで動かなかった身体が巻き付くように!?


「へぇー。これ、そんなに大事だったんだ。おっとー。足が滑ったー。ぷちっとな。あ、きったなーい!」


 黒髪の少女・・・いや、悪魔はおどけるかのようにソレを踏みつぶし、さらに小さな炎を生じさせ、一瞬で燃やし尽くす。


 我の、我の!

 奪われた、我の、我の誇りが!


 激痛と混乱で、動くことができない!

 それに、剣が一振りしかない!

 ならば!

 せめてお前の家族の命を!


「・・・く!貴様、そこを動くな!動けば、この娘の命が!」


「あ。そんな汚いのはもう要らないから。」


 黒髪の悪魔は短く言うと、その手にある何かを構え、一瞬であの爆発音を奏でる。

 ドン、ドン、ドン、と腹に応える音。


 一瞬で腕の中の娘の頭に穴が開き、肉が飛び散り、腹が裂け、その子宮が露わになる。

 さらには我の手足が・・・肘と膝から引きちぎれる。


 こいつ、顔色一つ変えずに姉妹を殺しただと!?

 頭を割られ、腹を割かれた少女が・・・力なく倒れ伏す。


「ぎゃあぁぁぁ!?く、だが!」


 我の力は、触れずしても剣を操ることが!


「うん、知ってる。でもね。見えなくてもできる?」


 黒髪の悪魔は一瞬で間合いに入り、我の頭をつかむと、腰から金色の何かを引き抜き、我の顔を撫でるかのように横に振りぬく。

 一瞬で視界が上下に・・・いや、見えない!?

 まさか。

 我の眼を!?


「う、うおぉぉ!ぐ、あぁぁぁぁ!?」


 見えない、見えない見えない!

 見えなければ、我の力は!

 どこだ、我の剣は、どこに・・・!?


「はぁ・・・こんなのでも殺すのだけはダメってどんな縛りプレイよ。あら。安物ね。まあこの時代ならこの程度かな。・・・それにしても脆い鋼ね。」


 キン、という、軽く鉄を叩いたかのような音が何度か響き渡る。

 カラン、カランと何かが床に落ちる音が・・・。

 まさか、我の剣を折って・・・いや、切っているのか!?


 どす、という感覚とともに、尻の穴に何かが突き立てられる感覚が・・・。

 これは・・・我の剣!


「うぐっ!?なんだ、なにをした!まさか!」


「はい。ワレンシュタイン。アンタの最後の剣よ。まあ、頑張って生き抜いて。・・・あー。ばっちい。それにしても・・・ホムンクルスとはいえ自分の身体を犯されるのはいい気はしないわね。思わず処分しちゃったわ。」


 ハラワタが・・・よじれるような怒りが!

 これほどの、これほどの侮辱は初めてだ!


「貴様、よくも、よくも!我をここまで愚弄して、生かしてはおかぬ、生かしてはおかぬぞ!」


「はいはい。せいぜい頑張りなさい。・・・あ、そうだ。残り二人はどこかしら?エドアルドと、マーリーだっけ?」


 悪魔が我の頭をつかみ、軽々と持ち上げる。

 なんという腕力、握力、そして・・・なんという魔力!

 これは、もはや人類などではない!


「話すと思うのか!殺されても話さぬ!・・・ぬ?貴様・・・何を・・・?」


「はあ・・・こいつ、どんだけイキってるのよ。いい加減に己の分をわきまえなさいよ。・・・()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()・・・だっけ?」


 ぬ・・・魔法の詠唱?

 初めて聞くタイプの・・・。

 なんだ!?我の口が、勝手に・・・!


「うふふ、あははは!この身体、どんだけ性能が高いのよ!?これ、絶対に持って帰らなきゃ!あ!もう一体作ってもらおうかしら!いや、作り方を教えてもらおう!そうしたら彼だっていつまでも若い私と・・・うふふ、あはははは!」 


 楽しそうに笑う少女の声をよそに、まるで顎だけが別人になったかのようにしゃべり続ける。

 己の生い立ちも、弱点も、教会の秘密も。

 さらにはマーリー、エドアルドの秘密まで!


 くそ、くそ、くそが!

 とまれ、止まれ、止まってくれ!

 もがくも、己の口を押さえる腕もない。


「あはは!自分がしたことを同じようにされた感じはどう!?あ、私がされたのはもっと後だっけ?先にやっちゃうと復讐にならないんだっけ?」


 くすくす、けらけらという声だけが、脳裏に染み込んでいく。

 いつしか意識は暗く沈み、何を言っているのかすら分からないまま、失血と激痛で我の意識は闇に沈んでいった。


 ◇  ◇  ◇


 ???


 現代 10月23日(木)昼前


「やあ。気分はどうだ?いや、体調はどうだ?しっかり食べてるか?」


「俺は脈拍、血圧、体温ともに正常です。本日午前9時時点では身長165cm、体重は59.5kg。朝食はご飯1膳・卵・納豆・味噌汁・複数の果物。摂取カロリーは約700キロカロリー。昨日のカロリー消費量は概算で2400キロカロリーでしたので昼、夕食は1700キロカロリーまで摂取可能です。」


「そういうことを聞いてるんじゃないんだけどな。・・・千弦も会いに来ないし、さみしくはないか?」


「さみしいの定義が不明です。空白時間は学習にあてています。模試を行えば効果が確認できると思います。」


「はぁ・・・人格情報が消えるってこういうことかよ。あ、そうだ。今日もソフィアさんが来てくれたんだ。明日、転勤するから最後になるんだが・・・。」


「ソフィアさん。その節はどうも。おかげさまで十分な栄養を取らせていただきました。」


「・・・これが、人格情報の消去・・・まるで、機械か何かと話しているみたいだわ。まったく・・・見ていられないわね。」


 ふと目を落とす。

 俺は・・・握手を?

 今、ピリっとした感覚が・・・。


 そもそも、俺はなんでこんなところにいるんだ?


 ソフィアさんの手を見る。

 覚えているのは・・・いや、実感があるのは、ソ連のエカテリンブルグとかいう町の、どこぞの・・・。


「健治郎さん・・・なんで、俺はこんなところにいるんでしょう?千弦は?学校はどうなって・・・?うっ!?なんだ、この記憶!?」


 思わず頭を押さえてうずくまる。


(おさむ)君!?君、人格が戻ったのか!?俺のことが分かるか!?」


「ええと・・・千弦の叔父さんで、『ししょー』って呼ばれてる・・・そうだ!千弦は!千弦は無事ですか!?」


 頭が割れるように痛い。

 なんだ、これ。

 気持ち悪い!


「医官を呼べ!それと、今あったことを記録!すべての映像を分析に回せ!・・・ソフィアさん。すまないが少し、付き合っていただけないだろうか。」


「はあ・・・それって強制ですよね?というか・・・もちろん協力はしますけど、私は握手しただけですよ?それで、静電気が走ったくらいで・・・。」


 なんだこれ!?

 知らないことが・・・いや、知っているのに何も感じなかったことが、頭の中を駆け巡る!

 二か月?二か月もの間、俺は何をしていた!?なんで何も感じなかった!?


 朝起きて、飯食って、運動して、勉強して・・・。

 訳が・・・分からない。


 ぺたん、と備え付けのベッドに座り、茫然としている中で、俺の周りを何人もの医者、係官みたいな人が走り回っていた。


 ◇  ◇  ◇


 仄香(ほのか)


 午前中の授業が終わり、昼休みを(おさむ)殿の姿をしたドモヴォーイとともに戦技研(サバゲ同好会)の部室の裏で弁当を食べようと席を立ったところで、いきなり校内放送が響き渡る。


 『ピンポンパン・・・3年2組、南雲千弦さん。3年2組、南雲千弦さん。3年2組、石川(おさむ)君。3年2組、石川(おさむ)君。至急、職員室まで来てください。繰り返します・・・。』


 呼び出しか?

 今、私が千弦のふりをしていることを知っている人間は琴音と遥香、咲間さん(サクまん)とオリビア、そしてエルくらいか。

 健治郎殿にも、宗一郎殿にも話していない。


 となると、これは本当に千弦を呼び出したということか?

 それにしても、なぜ(おさむ)殿まで?

 まさか、私が千弦のふりをする前に彼らがしていた不純異性交遊がバレたか?


「おーい、千弦!もしかしてまたイケナイものでも持ってきたか!?それとも、どこか爆破でもしたのか!?いや、(おさむ)と一緒っていうことはもしかして・・・ゴムなら預かってやるぞ!」


「・・・明彦!あんた下品すぎなのよ!」


 近衛殿がはやし立てると、西園寺殿がその頭を張り倒す。

 その様子を見て、何人かがゲラゲラと笑いだす。

 一部の男子と、女子の半数を除いて。 


「・・・(おさむ)君。行こう。《おい、何か心当たりはあるか?》」


「ああ。《何でしょうね?マスターが千弦さんのふりをしていることは知られていませんが、俺が(おさむ)君のふりをしているのは政府上層部では周知の事実です。千弦さんが戻ってきた、ということでしょうか?》」


 ドモヴォーイの手を引き、小走りに職員室を目指す。

 途端にドモヴォーイの頬が緩み、だらしない顔になる。

 ・・・こいつ、なんでこんなに千弦のことが好きなんだ?

 

「失礼しまーす。」

 

 釈然としない感覚を押さえ、職員室の扉を開ける。

 担任の(みたび)先生がこちらに気付き、手を振っている。

 その横には健治郎殿が・・・。

 って、ええぇ!?


「お!来たな。・・・叔父さんが大事な用事があるそうだ。それより、すごいなお前?もう進学先が決まってるんだって?しかも陸軍中野学校とか・・・コネがあるのは羨ましいよ。午後は公休扱いにしておいてやるから。」


「おお、来たか。千弦。・・・それと、何と呼べばいいかな?」


 ま、まずい!

 健治郎殿は今、千弦のふりを私がしてることを知らない!


「チェロヴィク(あの人)でもデドゥシュカデドゥコ(おじいさん)でも。・・・健治郎殿。俺も呼んだということは・・・もしかして(おさむ)君の身に何か?」


「・・・では、琴音の呼び方に倣って三号さんと呼ばせてもらおう。三号さんの考えているとおり、(おさむ)君の人格情報が戻った可能性がある。ただ・・・本当に戻ったかどうか確認できなくてな。それに、精神的にかなり不安定で・・・千弦に彼を落ち着かせる手伝いをしてほしい。」


「え、えと、ししょー、(おさむ)君が戻ってきたって・・・どういうこと?《琴音さん!健治郎さんが来ています!非常事態です!今すぐ職員室に来てください!》」


 慌てて千弦の振りをするが、誤魔化せているのか?

 いや、とにかく琴音の助けが必要だ。


《え?叔父さんが?・・・分かった!今すぐ行くよ!》


 健治郎殿ほどの眼に対して、千弦のふりができるほど私は演技は上手くはない!

 いや、千弦の記憶は何度ものぞいているけど、アイツの性格までトレースできるか自信がない!


「・・・千弦?どうした?お前らしくもない。それとも・・・さすがに彼の事となると冷静ではいられないか?」


「あ、うん。じゃあ、すぐに彼のところに行こう。どこにいるの?」

 

 あ、いや、琴音を待たなきゃいけないんだけど!


「どこって・・・向陵大学病院の特別室だ。ああ、それと・・・仄香(ほのか)さんに連絡が取れなくてな。今は遥香さんの中か?せっかくだから一緒に校内放送で呼び出してもらおうか。」


「う、うん、そうだね。でも多分すぐに来ると思うよ。《遥香さん!すぐに職員室に来てください!ちょっと、いや、しばらく身体を貸してもらえませんか!?》」


《あ・・・うん。そんなことだろうと思って琴音ちゃんと一緒にそっちに向かってるよ。あとちょっとでつくから!》


 ・・・ちょっと待て。

 遥香に私が憑依したら、千弦のふりは誰がするんだ?

 ま、まてまて!

 ちょっと整理させて!

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