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287 奪われた家族/女神が闇に堕ちるとき

 イルシャ・ナギトゥ


 竜人(ドラゴニュート)を制圧するためにノクトが出陣したため、静かに炎が揺れる居間で一人、透き通った身体をソファーに横たえる。


【・・・意味のないことをするものではないですね。どうせ、疲れもせず、眠くもならない。横になったからと言って心が休まるわけでもない。】


 思えば、私という存在が肉体をまとっていたのは何年前のことだろうか。

 思考を閉じれば、かつて姉さんに手を引かれ、丘の上で不気味な石板を目にしたことを思い出す。


 私が感じていた恐怖を再現するかのように石板は砕け、その破片は幼い身体の額と腹を撃ち抜いた。

 いや、破片は体内に残っていたようだけれど。


 おかげで、私は死ぬことができなくなった。

 肉体が完全に朽ち果てるまで、あの洞窟の壁の中で闇を見続けた。


 真っ暗な洞窟の中、姉さんが殴られ、犯され、すすり泣いている声が脳裏に閃くかのようによぎるたび、己の無力感に苛まれる。


 あの日、母さんが姉さんを逃がしてくれたその瞬間まで、私はあの洞窟の中にいたのだ。

 正確には、あの洞窟が母さんによって炎で清められるまで、私は腐りはてた身体の中にいたのだ。


 一の穴の男・・・。

 私の大事な人を傷つけ、家族を引き裂いたお前を決して許しはしない。

 この魂がある限り、もろともに地獄に引きずり込んでやる。


 だが洞窟から解き放たれ、無意識のうちに世界中を飛び回った末、はるか東の地であの子と出会ったのはまさに奇跡だった。

 私は姉さんに代わり、あの子が本当の幸せを・・・本当の愛を手に入れるまでは共にあり続けることを誓ったのだ。


【まあ、私の思考はあの子の脳の一部を間借りして行っているから、離れ離れになることはできないのですけどね。・・・さて、そろそろ終わったころかしら?】


 城のバルコニーから顔を出し、竜人(ドラゴニュート)たちの騒ぎが収まり始めているあたりを見渡す。

 半透明の私が街の中を歩くと怖がる人がいるから私はここを離れられないが、心配なものは心配なのだ。


 火の手も収まり、そろそろ帰ってくるだろうと部屋に戻ろうとしたとき、ふわりと風が動く。


【・・・ノクト?おかしいですね?思念波はまだずいぶん遠くにあるはずですが・・・。】


「おどろいた、本当にいたよ。セヴェリヌスの言うとおりだ。」


 声がしたほうを見ると、燭台の向こうで青髪の少年がこちらを興味深そうに眺めている。


 青い髪なんて初めて見た。

 それに、瞳の形が魔族のそれだ。

 ポンタス侯爵家の縁戚だろうか?

 迷い込んでしまったのか?


【ここは立ち入り禁止です。迷い込んでしまったなら近衛兵詰め所まで送りましょうか?】


 私は幽霊みたいなものだから、護衛はついていない。

 幽霊を殺せるような存在がいるとは思えないからだ。


 だが、その少年は深い笑みの形に唇を歪め、こちらに歩みを進める。


「初めまして。俺の名前はエドアルド。教会が誇る三聖者の一人、勇者サン・エドアルドさ。そして・・・貴女に大事な用がある。」


【勇者ごっこですか。普段なら付き合ってあげるところですが、もう遅い時間です。明日、またいらっしゃい。魔王役でも女悪魔役でもやってあげますから。】


 そう、やさしく声をかけたつもりだった。

 だが、その少年は半透明な私の身体に手を伸ばす。


「ふ、ふふ。魔王役だなんて失礼な。貴女は女神役をするんだよ。俺たちの教会で、俺たちのために。ずっと。」


【何を言って・・・きゃあぁっ!?私の身体を・・・つかんだ!?】


 少年の手は私の腕を・・・霊体の腕をがっしりとつかんで離さない。

 生きている人間がどうやって!?


「ふ、ふふふ。驚いただろう?俺は一人じゃない。もう、何人も食ってきた。何人も、何人も。この身体の中には数百人の命がある。小さな器に、入りきらないほどの魂が。つまり・・・俺たちはミッシリと詰まっているから貴女をつかむことも、取り込むことも・・・思いのままだ。」


 なんという・・・。

 初めてこの身に触れたものが、これほど(おぞ)ましいものだとは!


【ぐ!放しなさい!この!ぐ!?】


「何か邪魔なものに紐づいているいるみたいだし、まずはそれを切り離そうか。へぇ・・・すごいね。他人の脳に寄生して物事を考えているなんて。きっと俺の中にたくさんの仲間がいるのと同じ方法なんだ。でも・・・ほら。千切れた。」


 ぶちっという、何か取り返しのつかないものから切り離された感覚が全身を駆け巡る。


【あぁっ!?身体が!私は・・・あの子を守らなきゃ・・・。】


 思考のすべてが一瞬で闇に飲まれていく。

 もし、身体があったなら。

 これほどたやすく自分を奪われることもなかっただろうに。

 あの子のもとに駆け付けることも、悲鳴を上げることもできただろうに。


 ごめんなさい、姉さん。

 私は、あなたの息子を・・・。


 ◇  ◇  ◇


 ノクト・プルビア三世(紫雨(しぐれ)


 謁見の間


 竜人(ドラゴニュート)たちの脱走はあっという間に片をつけることができた。


 ダスーン代用監獄の損傷については、何者かが監獄の看守詰め所に忍び込み、彼らを殺したうえで外部から大出力の攻撃魔法を一番壁が薄いところに叩き込んだということが分かっているが・・・。


 代用監獄の図面でもない限りは、看守詰所の正確な場所も、守りが一番薄くなる場所もわかるはずがない。


 そこで僕はダスーン代用監獄の設計と建設を請け負ったブロンタス・ド・ポンタス侯爵に出頭を命じたのだが・・・明らかに様子がおかしい。


「ポンタス侯?聞いているのか?貴殿には図面を漏洩した疑惑がかけられているのだ。秘密保持はどうなっていた!?釈明くらいしたらどうか!?」


「ウ・・・それがしは、漏洩など、してはおらぬ。この、命に、かけて・・・グ、ウ・・・。」


「だから図面の管理はどうなっていたと聞いているのだ!・・・くそ、話にならない!」


 普段はあれほど明朗快活で豪快な性格の侯爵が今日はまるで半死人のようで・・・それにその性格とは裏腹に繊細な仕事をする彼がこれほど重大なミスを犯し、それでいて何の対応もしていないことがあまりにも異常だ。


「ポンタス侯。貴殿、どこか調子が悪いのか?仕方がない。彼を医務室へ。しっかり静養したのち、後日改めて出頭せよ。・・・下がっていい。」


 僕は衛兵を呼び、彼を医務室へと連れて行かせようとしたが・・・。


「ぐ、が、ガァァァ!そ、ソレガシは、ドコも、ワルクはありマセヌ。く、かカかカか!」


 突然ポンタス侯が暴れ始める。

 真横にいた衛兵が二人、彼を押さえつけるが・・・。


「くそ、こいつ、なんて力だ!陛下!危険です!お下がりください!」


 両腕に取りついた衛兵を振り払い、あるいは引き倒し、吹き飛ばす。

 いくら領民とともに現場で汗を流しているからって、ここまで力があるなんて!?


「陛下!お下がりください!・・・ポンタス侯!御免!」


 謁見の間に控えていたデキュラス(第十公爵)家の若い騎士が懐から水筒のようなものを手に飛び出す。

 フタを切った水筒からは一筋の水の(ムチ)が飛び出し、一瞬でポンタス侯を捕縛する。

 しかし・・・。


「ぐ、が!がガガガが!」


 バキン、ゴキンと鈍い音が響き、床に何かが散らばっていく。


「木片・・・なんだ、これ?」


 あたり一面に何かの破片が飛び散り、最後に軽い音を立てて橙色の石が床に落ちる。


「陛下!危ないですから触らないで!・・・これは、人形?糸?ですが、これはポンタス侯の魔石?・・・いったい何が・・・?」


 すでに動かなくなったポンタス侯・・・いや、ポンタス侯の姿をした人形が倒れている。

 魔石には大きな亀裂が入り、すでにその色を変え始めていた。


 その場にいる者は、お互いに顔を見合わせるも、この状況が正しく理解できるものはいなかった。


「・・・至急、ポンタス侯の屋敷に兵をやらせろ。侯爵家そのものに何かあった可能性がある。ケイン・デキュラス(第十公爵)。魔導騎士団を連れて行け。」


 これは、我が国に対する明確な攻撃だ。

 敵が何者かは知らないが、すでに浸透されていると考えて差し支えない。

 僕は素早く立ち上がり、執務室へと走る。


 朝から会っていないが、今の時間なら叔母さんがそこにいるはずだ。

 姿が見えない敵に対しては、こちらも切り札を切る必要がある。


 そう意気込み執務室の扉をあけ放つも、そこには叔母さんの姿はなく、ただ風に吹かれてカーテンが揺れているだけだった。


 ◇  ◇  ◇


 およそ一時間前


 セラフィア


 馬車で登城していくブロンタス・ド・ポンタス侯爵とすれ違い、やっとポンタス侯爵家の門へとたどり着く。


 チヅラ様がポンタス侯の土木工事の手伝いをしているおかげで、私はその使者として侯爵家の門をくぐることができるのだ。


 だが、今日だけは様子がおかしかった。


「カリーナ様は、お加減がすぐれません。誰も通さないよう、きつく命じられております。今日のところはお引き取りを。」


 見知ったメイドが抑揚のない声で、言い放つ。

 周囲を見回せば、顔見知りの使用人たちが私をジロリとにらみつける。


 ・・・おかしい。

 突然、態度が豹変するなんて。

 チヅラ様も私も、侯爵家に敵対するはずも力もないというのに。

 あ、いや、チヅラ様ならこの国を半壊できるくらいの力はありそうだけど。


 チクリ、と胸に痛みが走る。

 まるで、何かに干渉されているような気配。


「わかりました。今日のところは出直します。ですが、これをカリーナお嬢様にお渡しいただけますか?」


 あらかじめ用意しておいた封筒をメイドの一人に差し出す。


 何かあったときのためにとチヅラ様から受け取った特製の便せんと術式が刻まれた封筒、そして液化人工魔石で封蝋をした手紙だ。

 ・・・使い方は、チヅラ様と私しか知らない。


「わかりました。お渡ししておきます。・・・もうよろしいですか?」


 メイドはぶっきらぼうにそう言うと、手紙を乱暴にひったくる。


 何かが明らかにおかしい。

 ・・・これは、手紙が役に立ってしまう可能性もありそうだ。

 だが私には戦う力もなく、守るべきものが他にもある。


 私は後ろ髪をひかれる思いでその場を後にした。

 孫娘にとって数少ない同族の友人・・・カリーナ譲の無事を祈りながら。


 ◇  ◇  ◇


 南雲 千弦


 フライングオールに(またが)り、遥か南にある竜人(ドラゴニュート)たちの国、すなわち「ドラゴパレスト」に向かって飛翔する。


 竜人(ドラゴニュート)たちが築いた砦を眼下に見ながら、さらにフライングオールの速度を上げる。


 あれからいろいろ考えた。

 歴史を変えることだけはできない。


 タイムパラドックスが発生し、ほんのちょっとのタイミングがずれるだけで私は(おさむ)君と会えなくなってしまう。

 それどころか、仄香(ほのか)が南雲家の先祖・・・紘一さんと会えなければ、私も琴音もいなくなってしまう。


 だけど・・・薙沢が過去に戻って妖精(フェアリー)族の絶滅を回避した結果どうなった?

 歴史を変えたのに、それこそ蝶が羽ばたく程度ではないレベルの改変を歴史に加えたのに、私や琴音は何ともなかった。


「まさか・・・歴史には、タイムパラドックスが起きた時の修正力・・・あるいは周囲への干渉を少なくするような修復効果があるってこと?それとも・・・。」


 あらためてタイムパラドックスについて考えてみる。

 そう、例えば親殺しのパラドックスだ。


 自分が生まれる前の過去にさかのぼって、親を殺した場合、自分が生まれなくなる。

 自分が生まれないなら、過去にさかのぼる自分もいない。

 ゆえに、親を殺す自分もいるはずがない。

 結果、親は死なない。自分も生まれる。

 だが、ここまでの経緯を知らない自分は、やはり過去にさかのぼって親を殺すだろう。

 なぜなら、このループに外力は働かないから、それぞれの人物の動きは変わらないのだ。


 そこでパラレルワールド、つまり歴史が変わったその瞬間に、未来が分岐するという仮説が生まれた。

 親が殺されている未来と、殺されていない未来だ。


 ・・・だが、私は薙沢を過去に送った後、パラレルワールドが発生しないことを確認した。

 つまり、身をもってこの仮説を否定してしまったのだ。


 では、別のパターンを考えよう。

 ある家族の子供が誘拐されて行方不明になったとする。

 そこで、母親が過去にさかのぼってその子供が誘拐されないように犯人を殺したら?


 子供は誘拐されない。つまり、タイムパラドックスだ。

 ・・・ちょっと待て。


 もし、子供を誘拐したのが未来の母親だったら?

 そう、子供が誘拐されたという事実は変わらない。

 つまり、母親が過去にさかのぼる理由は、揺るがない。


 ・・・待て待て。

 別のパターンだ。

 もし、交通事故で子供を失った母親が、未来において寸分違わぬ子どものクローンを作り、過去にさかのぼって、事故の瞬間に我が子とすり替えたら?


 ・・・事故で我が子を失ったという事実が実は嘘だったという形にかわるだけで、原因と結果がきれいにつながらないか?


 つまり、過去にさかのぼった人間が認識している事実が変わらなければ、タイムパラドックスは起きない?


 親殺しのパラドックスも、実の親だと思って殺した親が偽物なら、パラドックスにならない?


「そうか・・・パラドックスを起こす理由は・・・時間遡行者の認識だけが問題だったのね。つまり、妖精(フェアリー)族が絶滅しないですんだことは、過去に行った薙沢は知らないし、ラジエルの偽書に記載されていた妖精(フェアリー)族の残り人数の情報は、薙沢本人は確認していないから・・・彼女にとっては、私の嘘として処理されたということなんだ。」


 と、いうことは。

 レギウム・ノクティスが滅んだ時に何人死んだかは、時間遡行前の私は知らない。行動の理由になっていない。

 つまり、何人助けても、タイムパラドックスは起こらない!


 となれば・・・。

 いくらでも準備ができる!


「まずは竜人(ドラゴニュート)をなんとかしよう。いかにレギウム・ノクティスといえども、二正面作戦はできないはず。それに・・・ドラゴパレストがどうなったのかを私は知らない。つまり、どういう結果になっても構わない!」


 私はフライングオールに残り3割を切り始めた高圧縮魔力結晶を挿し入れ、先端にある原子振動崩壊術式の出力を引き上げていく。


「ふ、ふふ。仄香(ほのか)の気持ちが少しわかったわ。誰かを守るために戦うのって、こんな気持ちなのね。」


 目標発見(タリホー)。間違いない。ドラゴパレストだ。


 私は遠隔視(リモートビューワー)でそれを視認し、透視(クレヤボヤンス)でそこに竜人(ドラゴニュート)以外、人間が一人もいないことを確認する。


「全術式、出力最大!補助術式束(パッケージ)、DA5C2Aを発動。フルファイア!!」


 私は射撃管制、反動制御、術式増幅、照準補正・・・ありとあらゆる補助術式を展開した上で、地平線のかなたに見える、森の中の切り立った岩場を加工しただけの・・・でも恐ろしく巨大な集落に向かい、私は持てる火力を一切の遠慮なく、たたき出した。


 ◇  ◇  ◇


 サン・ジェルマン


 エドアルドから伝書鳩で届いた金属製の筒・・・例の女の魂が入った封霊筒をセヴェリヌスに与えたところ、奴はすぐに作業に取り掛かった。


 制御を失った女の魂を使い、法理精霊(オルテア)に干渉するための術式の回路をこじ開け、時間に干渉する魔術を生み出すらしい。


 当然、法理精霊(オルテア)に触れた魂はただではすまない。

 施術が済めば法理精霊(オルテア)の制御方法が手に入るのと引き換えに女の魂は怨霊と化すらしいが・・・。


教皇(サン・ジェルマン)猊下。せっかくですから再利用しましょう。研究中の偽脳を使ってこの女・・・イルシャ・ナギトゥを調べてみたところ・・・面白いことが分かりましてな。」


 偽脳・・・人工魔力結晶を抽出した後の残りカスを再利用したアレか。

 相変わらず汚らわしい趣味をしている男だ。


「ふむ。珍しいモノだけに、ただ使いつぶすのは惜しいと思っていたところだ。で、何が分かったのだ?」


 セヴェリヌスが差し出した書類をめくり、その中の一枚に目が止まる。


「・・・なん、だと。この女、もしや・・・。」


 もう一度、初めから読み返す。

 だが、間違いではない。


「どうかされましたかな?・・・それにしても、5000年以上も前、神代の大洪水よりも前に生きていた女の魂を手に入れることができるとは思いませんでしたな。これも、教皇(サン・ジェルマン)猊下の日々の善行の賜物ですな。」


「・・・ああ。まったく、そのとおりだ。まさか、こんなところにいようとは。まさか、俺と同じように生きていようとは。」


 石板に触れた妻ならば、いまだにこの世界をさまよっているだろうことは容易に想像がつく。

 なぜなら石板の破片を飲み込んだ俺が、こうして生きているからだ。


 だが、あいつも・・・息子や妻の妹までもがいまだにこの世にしがみついていたとは。


 今、ハッキリと分かった。

 レギウム・ノクティスは、あいつが作った帝国。

 ノクト・プルビアとは、妻の息子。

 そして、コレ・・・イルシャ・ナギトゥとは、俺があの日、あの洞窟に葬った妻の妹。


「く、くくく。妻よ。一歩遅かったな。お前の大事な大事な息子を、俺からお前を奪い去った憎き息子を・・・俺が先に見つけたぞ。」


 作業を続けるセヴェリヌスに、念入りに女の魂を洗浄すること、そして可能な限り強力な怨霊とすることを命じる。


 さて、レギウム・ノクティスが奴の作った国であるならば、その国民のことごとくを殺し、屍霊術(ネクロマンシー)で死の都と化してやろう。

 そして、奴こそが魔王であるとしてその名誉を地の底に叩き落してくれよう。


教皇(サン・ジェルマン)猊下?どちらへ行かれるのですか?」


「レギウム・ノクティスだ。セヴェリヌス。俺が不在の間はお前に任せる。その女を使い、イスを守れ。」


「は。この命に代えても必ずや。」


 さて・・・エドアルドたちが歩いた道のりを俺も歩くとするか。どれほどの月日がかかるかわからぬが、この獲物は誰にも譲る気はない。


 ああ・・・今頃、妻は息子を探して世界中を放浪しているのだろうが、永遠に息子に会えないと知ったとき、彼女はどんな顔をするだろうか?


 今から楽しみでたまらない。


 ◇  ◇  ◇


 セヴェリヌス・モルタリエ


 教皇(サン・ジェルマン)猊下が数人の使徒と聖堂騎士団を率い、遥か南の海峡を越えるべく出撃したのを見送りながら、自分の作業へと戻る。


 目の前には、エレーナとか言う女が横たわっている。

 彼女は妊娠初期であるということが判明したため、もう少し腹が大きくなるのを待って胎児を人工魔力結晶として抽出するのだが・・・。


 胴体以外は不要だな。

 後で切り落としておくか?


「ふん。妊婦の方はあとでいい。そんなことより今はこっちだ。」


 振り向いて自分のデスクに座りなおす。

 デスクの上には封霊筒があり、その中には不定形な青白いモヤのようなモノが動いている。

 それにしても・・・イルシャ・ナギトゥ、だったか。

 恐ろしいまでの力を秘めている女の霊魂を前に、私は一人、身震いする。


 最初は、好奇心からだった。

 人は、どのような構造をしているのか。

 外的な攻撃に、どのように反応するのか。

 内的な病気に、どのように反応するのか。


 別に嗜虐趣味があったわけではない。

 だが、私が実験材料を欲しがれば、教会は様々な理由付けをして実験体を用意してくれた。


 最近は女性の胎内の研究が主で、ついに胎児の霊的基質を材料に魔力を得ることに成功した。

 人口魔力結晶の抽出はこれからが本番だが、命の対貨(スケープゴートコイン)はすぐにでも量産体制に移行できる。


 そんなことを考えながら女の魂の加工を行っていると、研究室の扉が不意に叩かれる。


「セヴェリヌス様。初夜税の支払いを免除してほしいっていう夫婦が来てますが・・・対応はいつもと同じでよろしいでしょうか。」


 最初の内は、処女の血を忌み嫌う風習や迷信があったため、出血の可能性がある処女喪失の際、これを回避できるのは神の代理人や悪魔払いが可能な聖職者や祈祷師、または神と同等と見なされた権力者だけだと考えたというが・・・。


 時が過ぎればいつの間にか税を課すための言い訳に使われるようになり、金さえ積めば妻の処女性を買い戻せる形になっていった。


 いつしか税率は跳ね上がり、だが税収を求め初夜税の支払い期限を3年とすることにした結果、領民たちは3年以内に税額分を稼ぎ、あるいは無理なら子を作ろうと躍起になり・・・。


 下らんな。

 私が欲しいのは我が子ではない。

 新鮮な胎児だ。


「・・・ああ。適当に信者に抱かせておけ。それと、妊娠検知器を忘れるなよ。反応がなければいつも通り、反応があったら別ラインに回せ。・・・ふむ。やはり自家栽培よりも効率的だな。」


「わかりました。しかし・・・妊娠検知器の結果が出るのに時間がかかりすぎです。まあ、初夜権の行使の際に子を孕んでいれば、後から懲罰として連行するだけではあるんですが・・・。」


 台の上で眠るエレーナを横目で見て、もう少し腹が大きければ分かりやすいものを、とため息をつく。


 われら教会がこの地方を牛耳ったと同時に税を上げ、必死になって子づくりした女・・・つまりは妊婦から胎児の霊的基質を集めるに至ったというわけだ。


 それに・・・われら魔族は男しか子をなせぬ。

 ならば、胎児を持たない役立たずの腹を使って殖えることにもつながるという。

 なるほど、そう考えれば素晴らしく効率が良い。


 そう、感心しながら封霊筒に接続した偽脳を用いて女の魂の出力を上げていく。


「カラダヲ・・・アノ子ヲ守ル為ニカラダヲ・・・。」


 うわ言のように繰り返す女が周囲から魔力をかき集めて・・・いや、周囲の物質を魔力に還元していることに気付く。


「ほう・・・これは・・・素晴らしい。己が魔力とするために生命体だけなく、草木や土石までをも魔力に還元するか。ならば・・・望み通りその力を増幅してやろう。まさにこれぞ神のなせる業。ならば、お前はわれら教会の創造の女神そのものとなるがいい。」


 コレはわれらの武器となる。

 名前を呼ぶことを引き金に、世界中のどこにでも現れて、神敵ごとすべてを魔力に還元する女神として、われらが崇め奉ってやろう。


 暗い研究室の中、私は思わず笑い声を抑えることができなかった。


 ◇  ◇  ◇


 ユリアナ(魔女)


 蛹化術式で修復したユリアナの身体はその人格情報が完全に揮発してしまったがために、そのまま家に帰すことができなくなってしまった。


 それに、そろそろ新しい身体に乗り換える時期だったこともあり、私は古い身体を脱ぎ捨て、ユリアナに憑依することにした。


「よし・・・古い身体の処理はこんなものかしら。それにしても・・・栄養が行き届いてないわね。おかげで古い身体の肉を再利用する羽目になっちゃったわね。」


 おそらくは馬車に轢かれる前の状態まで戻ったユリアナの身体と、食い散らかしたかのようになってしまった古い身体を交互に見返すが・・・。


 古い身体をこのままにしておくわけにはいかない。

 廃屋とはいえ、この家の持ち主が戻ってきたときに女の死体が転がっていたとあっては、いくらなんでも迷惑すぎる。


「はあ・・・()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」


 私はため息をつきながら古い身体を蒼炎魔法で灰になるまで焼き尽くし、その場を後にする。


 ユリアナが馬車に轢かれてからかなりの時間が経ってしまった。

 太陽は高く上がり、空には大きな虹がかかっている。


 天気雨がちらつく中、ユリアナの記憶情報を頼りに彼女の家に向かって歩き始めるが、ふと礼拝堂に寄らなければならないような考えが頭をよぎる。


 はて?ユリアナはそんなに信心深かったのか?

 それとも、だれか知り合いでもいるのか?


 召喚しておいたモリガンをカラスの姿に変化させ、周囲を警戒させながら礼拝堂にたどり着くと・・・。

 そこには恐ろしく趣味の悪いモノが吊り下げられていた。


「・・・ひどいわね。・・・マティアス。ユリアナの恋人。将来を誓い合った、大事な少年・・・。屍霊術(ネクロマンシー)で死ぬことすら許されないなんて。」


 ユリアナの人格情報が揮発したとはいえ、記憶情報は丸々残っている。

 この惨状をみて彼女は慟哭し、行く先も考えずに走り出し・・・馬車に轢かれたのか。


 周囲には多くの人間がひしめき合い、うめき声を上げながらのたうつ少年の遺体を見上げている。


 ・・・ユリアナには、両親がいたはずだ。

 まずは、彼らと合流しよう。

 ユリアナの記憶によれば、親子三人でこの街を脱出するつもりらしい。


 私は踵を返し、ユリアナの自宅へ向かう。

 途中、モリガンの目を使い、ユリアナを追う者がいないかを確認する。


《マスター。よろしければ、私が彼の遺体を下ろしますが・・・。》


《ああ、頼むよ。だが、ユリアナとその家族が無事、この街を脱出できてからにしよう。死んだ恋人より、生きている家族を優先する。それまでは彼の遺体の監視を頼む。》


《かしこまりました。では。》


 モリガンはカラスの姿のまま、マティアスの身体の監視に戻る。

 うごめき続ける身体にはさすがに他のカラスも(たか)れないのか、遠巻きに見ているだけのようだ。


「本当に、哀れね。・・・敵を討ってあげたいところだけど・・・。」


 まるで我がことのように唇をかみながら、細い路地を抜け、井戸の横を通り過ぎ、自宅の扉を押し開く。

 だが、そこには・・・。


 血まみれになったユリアナの父親・・・アランが息も絶え絶えに、倒れ伏していた。


「お父さん!大丈夫!」


 慌てて助け起こし、回復治癒呪をかける。


「う・・・ユリアナか。ケガは、ないか?お前は、無事か?」


「うん、大丈夫だよ!ねえ、お母さんは?一体何があったの?」


 部屋の中を見回すと、おそらくはこの街から逃げ出すための旅支度がされており、うち一つはまだ荷造りの途中だったようだ。


「あいつらが来たんだ。エレーナはあいつらに連れていかれてしまった。腹に子供が・・・お前の、弟か妹がいると言って・・・初夜税取り立ての時に腹に子供がいるのはけしからん、流してやると・・・言って・・・。」


 アランはそこまで言うと、ガクッと力が抜け、その場に倒れたまま動かなくなった。

 どうやら血を流しすぎたか。

 死ぬことはないが、しばらく動かすことはできそうにない。


 そういえば・・・エレーナもユリアナも魔族に犯されたらしいな。


 魔族に犯されたとなれば、もう人間の子供を作ることはできない。

 つまり、アランにとってはエレーナとの間に新しく子供を作ることもできず、一人娘のユリアナも子を作る力を奪われてしまったということになる。


 そんな中、エレーナの腹に子供がいることを知ったアランは、一筋の光を見ただろう。

 だが、魔族どもはそれすらも踏みにじろうとしているのか。


「許せないわね。・・・本当に、許せないわね。」


 気が変わった。

 ユリアナと両親の平穏な人生を最優先し、アランとエレーナが天寿を全うするまで娘でいようと思ったが・・・。

 あわよくば、奇跡的に子を授かったことにして孫を抱かせてやろうと思ったが・・・。


 ユリアナ。マティアス。

 お前たちの敵を討ってやる。

 そして、エレーナと、腹の子を助け出してやろう。


 私はアランを抱えてベッドに寝かせた後、ユリアナの全身に魔力回路(サーキット)を刻んでいく。


 ・・・6個か。

 十分だ。

 それに、新開発の魔術を・・・あの黒髪の少女、クロの魔術を参考に開発した術式束(パッケージ)もいよいよ完成を迎えたのだ。


 私はこぶしを握りしめ、礼拝堂・・・そして聖堂に向かい、本降りになった雨を浴びながら歩きだした。


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