286 三聖者の暗躍/浸透する悪意
南雲 千弦
レギウム・ノクティス 恩賜公園管理事務所
せっかく面白かった観劇の後、ノクト・プルビアを名乗る紫雨君の言葉に少し感情的になってしまい、超高級ディナーの味を楽しめなかった時から数えて約280年。
久しぶりにコールドスリープから身体ごと目を覚ます。
聖棺モドキの蓋を開け、しばらく使わなかった自分の身体を、まるで使い慣れないラジコンを動かすかのように引き起こす。
「・・・異常ありませんね、チヅラ様。お気分はいかがですか?」
聞きなれたセラフィアの声が頭上から降ってくる。
「光がまぶしい。寝起きのように身体がだるい。気を抜くとすぐに眠ってしまいそう。」
さっきまで何か不思議な夢を見ていたような気がするんだけど?
思い出せない。
誰かと会っていたような気がする。
「湯浴みの準備は整っています。それと、こちらが着替えです。・・・それとも朝食を先にとられますか?」
「・・・まずはシャワーで頭をさっぱりさせましょう。それにしても・・・老けたわね?」
「ふふ・・・。あれから288年ですよ?人間でいえば36年ぶりです。去年なんて私の下の娘に孫娘が生まれたんですよ?年月が流れるのは・・・早いんです。」
「そう・・・前回生身で会ったときは・・・112歳だっけ?そうすると・・・人間だと14歳?あの頃のセラフィアは可愛かったのになぁ・・・。」
セラフィアは今年でちょうど400歳。
人間でいえば50歳か。
いくら魔族でもアシェルナはもうなくなっているし、その娘さん、つまりはセラフィアのお母さんだってもう生きてはいまい。
つまり、私が顔見知りの相手は、今ではセラフィア以外にはいなくって、次のコールドスリープが終わったら、彼女もいなくなっていて・・・。
身体がブルっと勝手に震える。
「なんて顔をしているんですか。私の夫は人間ですし、友人もほとんどが人間で今では全員墓の下です。それに、父はハイエルフですが、もう母と同じ墓で眠っています。・・・別れは、出会いの数だけあるんです。だから・・・新しい出会いを願って、気のすむまで泣いてください。」
「うん。・・・ちょっと、あっちを向いてて。」
「だめです。チヅラ様、はい、どうぞ。」
しっかりと毎日仕事をしているからだろうか、弛みがないメリハリのついた身体に、石鹸が香るエプロンを着た彼女が、その胸で私を抱きしめる。
力強く、でも優しく。
エプロンに涙がしみこんでいく。
「・・・チヅラ様。久しぶりに背中を流して差し上げましょうか。ふふふ。まるであの時とは逆ですね。チヅラ様がこんなに小さく見えるなんて。」
あ、そうだっけ。
アシェルナがセラフィアを初めて連れてきたときに、一緒にお風呂に入ったんだっけな。
ハーブの匂いがほのかに香る湯船で、二人そろってゆっくりと身体を温め、背中を流しあい、そして彼女が作った朝食を食べ、久しぶりに自分の身体でレギウム・ノクティスを歩くことにしたよ。
◇ ◇ ◇
町を歩いていると、檻のついた馬車と時々すれ違う。
それらの檻には、決まって二足歩行のトカゲのようなものが積まれているのだが・・・。
あれって、竜人だよね?
たしか、あの後紫雨君・・・じゃなかった、ノクト皇帝が出陣してあっという間に制圧したって言ってたけど。
「あ、やっぱり気になります?あれ、別に奴隷とか家畜とかじゃないですよ。レギウム・ノクティスと彼らの国、ドラゴパレストは戦争状態になっていまして。捕虜として監獄に送る途中だと思いますけど・・・。そろそろ監獄がいっぱいになるってポンタス侯が嘆いていましたっけ。」
ああ、そういえば結構前に代用監獄予定地の整地を手伝わされたっけ。
「捕虜交換とかはできないの?」
「竜人は捕虜をとらないらしくて・・・もし竜人と戦って負けると、殺されるか、偶然が重なってドラゴパレストに連行されても、訓練の的と称してなぶり殺しにされるそうです。そのせいで市民の間では捕虜にした竜人も同じ目に合わせろとか、餌代を税金で賄う必要はないとか、大騒ぎしていますよ。」
なるほどねぇ。
近代国際法が確立する前は、捕らえたり投降したりした敵兵は奴隷にしたり、役に立たなければその場で殺害、身なりが良ければ身代金要求が一般的だったからなぁ。
そう考えると、この国はかなり進んでいるといえるんじゃないだろうか。
私としては、相手が同じ扱いを心掛けないのに捕虜を厚遇する意味が分からなかったりするけどさ。
「あ、あそこに見えるのがダスーン代用監獄と呼ばれる施設で、捕虜を収容している施設ですね。・・・警備がものすごく厳重なので近寄らないほうがいいですね。」
おおう。
フライングオールやら術弾装填済みの銃を持ち歩いている私としては、あまりお近づきになりたくいない施設だね。
職質に会ったら一発逮捕だよ。
セラフィアに連れられて帝都を歩き、世話になっているデュオネーラ家に挨拶をし、新しいホムンクルスの身体をクインセイラ家に行って発注する。
今度のホムンクルスは思いっきりカスタムする予定だ。
いよいよ西暦の本番に入ったことだし、備えあれば患いなしってね。
大体の用事が終わり、いよいよ余暇を楽しもうと夕市に向かおうと帝都の大通りを横切ろうとしたときのことだった。
魔族らしき三人の男女が大通りを皇城に向かって歩いていく。
・・・うち二人はどこかで見た顔だ。
いや、直接見たのではなく、何かの写真、いや、映像で・・・。
思わずセラフィアの手を引き、物陰に飛び込む。
「あれは!ワレンシュタイン?エドアルド?もう一人は・・・マーリーではないようだけど・・・。」
「チヅラ様?どうされました?・・・確かに、魔族はそれほど多くはありませんけど・・・ただの旅行者ですよ?」
間違いない。
教会の三聖者どもだ。
もう、そんな時期なのか!?
この時代にはもう活動していたのか。
でも、マーリーだけは別人のようだ。
もしかして代替わりでもしたのか?
とにかく、対応しなければならない。
いや、私だけでは手に余る。
誰か戦える程度の魔力がある人間に高速情報共有魔法で魔法の知識を叩きこんでしまおうか!?
でも戦える素質があって、簡単に信用できる相手なんてそうそういないのよ。
ましてや、私が歴史を変えることができないことを理解してくれる相手なんているはずがない!
ええい、不意を打ってぶっ殺してしまおうか!
「セラフィア。私はデュオネーラ《第二公爵》家に戻るわ。あなたは今すぐ帰って家族に声をかけて大至急、旅装を整えなさい。最悪に備えて、いつでもこの国から出られるようにしておいて。」
「・・・チヅラ様。他でもない貴方がそう仰るのなら、疑問を挟む余地などありません。恩賜公園の管理事務所でお待ちしております。」
私は大きくうなずき、フライングオールに跨り、電磁熱光学迷彩術式と魔力隠蔽術式を発動したままデュオネーラ家に向かい、低空をかけていった。
・・・・・・。
時間にしてわずか20秒ほどでデュオネーラ《第二公爵》家の玄関に着陸する。
素早く電磁熱光学迷彩術式を解除し、その扉を叩く。
「千弦です!大至急お伝えしなければならないことが!誰か!」
「は、はい!・・・チヅラ様!?今さっき帰ったばかりじゃないですか!」
ついさっき、応接室でお茶を入れてくれたメイドさんが驚いた顔をしながら扉を開ける。
その後ろにはデュオネーラ家の衛兵や執事、さらにはデュオネーラ家の当主さんまで慌てて出てきている。
「・・・緊急事態です!帝都内に侵入者です。現在交戦中の竜人族ではない、魔法や魔術を使ってこの国を攻める可能性がある者を、この目で帝都内に確認しました。大至急、備えを!」
「な、なんですって!と、とにかく、軍、いや、警備兵に!」
「オクタヴァイン家に伝令を!敵の詳細は!」
私の唐突な言葉を信じてくれたのか、デュオネーラ家は全力で対応を始めてくれたよ。
だけど、私の存在は皇帝陛下には秘密とされているらしい。
いったいどこまで対応してもらえるのか、そして教会の三聖者は何をしようとしているのか。
対応が後手にならないことを祈るのみだ。
◇ ◇ ◇
同時刻
サン・エドアルド
レギウム・ノクティスの街の中を歩いてみたが、これほど発展しているとは思わなかった。
砂漠の中にありながらも何らかの方法、おそらくは魔法で地下水脈を操り、国のあらゆる場所を水場にして水源どころかその気温までも制御し、都市の外周ではゴーレムを使って大規模な農場まで営んでいるなんて・・・。
死の砂漠の中にありながら、この国だけは水と緑が豊かで別世界のようだ。
嫉妬深いサン・ジェルマンが知ったら、きっと悔しがるだろうな。
「エドアルド。何を見ている。物見遊山ではないのだぞ。」
「ああ、わかってるよ、ワレンシュタイン。それにしても・・・魔族であることを一切隠していないのに誰にも声一つかけられない。平和ボケがひどいねぇ。」
「そうではないようですよ。ほら、あそこ。魔族の女性が走っています。それをだれも止めようともしない。魔族を敵対種族としては認識していないんでしょうねぇ?」
北の海を越える前に通過した国々では、幻術まで使って魔族であることを隠したというのに。
・・・気になるな。
「ちょっとその辺の魔族を一人捕まえて、事情を聴いてみるとしようか。そうだね、少し身なりがいいほうがいいかな。」
夕暮れが迫る街中をゆっくりと進む一台の豪華な馬車を見つけ、中に乗っている親子が魔族であることを確認する。
おどろいた、御者まで魔族だよ。
「エドアルド。何をしようというのですか。」
「そうだね。ちょっとその馬車を止めるから手伝って。・・・奈落より滲み出ずる泥濘よ。仄暗き困憊の毒酒よ。我は鈍色の盃を掲げ、その穢れを振り撒く者なり。」
詠唱とともに空に掲げた俺の指先から、薄紫の波紋が広がっていく。
波紋は瞬時に馬車を引く馬と御者の身体に巻き付き、怨嗟の声をあげながらその活力を奪っていった。
「ん?どうした。何かあったのか?」
馬車の扉を開け、貴族のようないでたちの男が顔を出す。
・・・馬も御者も、鉛のように重くなった顔を向けるが、トロンとした表情のまま、口を開くことさえできない。
「強制倦怠魔法ですか。見事です。触れもせずに馬だけでなく御者まで脱力させるとは。」
ふふふ・・・本来これは相手に触れなければ効かない魔法だ。
俺のオリジナル魔法ではないが、俺以上の使い手など現れないだろうよ。
御者に声をかける魔族の男性に近づき、マーリーが声をかける。
「どうかされましたか?あら、これは・・・疲労がたまっているようですね。よろしければ私が治療をして差し上げましょうかしら。」
そして、馬のほうだけにゆっくりと解呪をかけ、御者のほうには何もしない。
「う、うむ。旅のお方か。彼も朝から働きづめだったからな。しかし・・・今日は娘の友人の誕生パーティーに出席しなければならないのだが・・・。」
ワレンシュタインが一歩前に出て、恭しく首を垂れる。
「では、パーティーが終わるまでは我が御者を務めようぞ。安心してくだされ。我らは貴殿と同じ魔族。信頼してもらって構わぬ。・・・エドアルド。おぬしは御者殿をこちらのお方のお屋敷に送ってやってくれるか?」
・・・こいつは下卑た性格を隠すのが本当に上手いな。
「承りました。御者殿。お屋敷はどちらでございますかな?」
俺はそう言いながら、ゆっくりと御者の胸元にある魔石に手を伸ばす。
彼らがいなくなった後、身体ごと食らってしまえば尋問する手間もない。
馬車の中には着飾った魔族の少女が一人、座っているが・・・・
聖職者のような装いのマーリーが優しく状況を説明し、供の者が助力するとでも言っているのだろう。
く、くくく・・・平和ボケどもめ。
この程度なら、この国を落とすのも容易そうだな。
◇ ◇ ◇
サン・マーリー
夜遅くなり、どこぞの公爵家・・・ウナヴェリス家とやらの娘のデビュタントが終わったとかで馬車は魔族侯爵の屋敷に戻る途中なのですが・・・。
先ほどから、馬車の中から魔族の少女のくぐもった悲鳴や鳴き声が止まりません。
「ワレンシュタイン。静かにさせなさい。父親と同じように早く処分してしまえばいいでしょうに。」
御者台に座り、馬車を引かせている私の横には、首だけになった魔族侯爵が転がっています。
当然、魔石は抉り取ったうえで復活できぬよう、亀裂を入れてあります。
あとは私が用意した自動人形にそれを挿し込むだけです。
そうすれば、素晴らしい操り人形になってくれることでしょう。
「それにしても・・・ブロンタス・ド・ポンタス侯爵ねぇ・・・堤防侯爵、橋掛け候、親方侯爵・・・ずいぶんと領民に好かれていること。『俺たちは橋をつくってるんじゃねぇ。国の未来を作ってるんだ。』ですって。クサすぎて笑えますね。」
思わず吹き出してしまいます
自分の娘も守れないくせに。
しかし、ダスーン監獄とかいう竜人の捕虜を収容している施設の設計図がまるまる手に入ったのは幸いでした。
「いや、やめて!お願いします!私には心に決めた人が!」
「うるさい!人と慣れあった魔族などもはや魔族ではない!せめてお前の腹だけは我の役に立ててやろうというのだ!それともこの宝剣で貫いてやろうか!おとなしくしろ!」
「いや!痛い!裂ける!壊れちゃう!うっ。うわぁぁんっ!」
・・・何が千剣の使い手だか。
ワレンシュタインは己の股間の剣でも握っていればよいのです。
それに、あの娘・・・カリーナ・ド・ポンタスでしたっけ?
女に生まれてしまっては、我ら魔族は魔力が全くない男の子を孕む以外、子を作るすべはないのですから。
いえ、ワレンシュタインに犯されてしまっては、もう魔族以外の子を孕むことはできない。
となれば、実質的には無事に子を産むことはできないということですね。
「はあ・・・いい加減にしてほしいものです。」
澱んだ目で人っ子一人いない夜の大通りを眺めながら、ポンタス侯爵家への馬車を進めていく私は、はるか昔に将来を誓った一人の男の子のことを思い出していました。
・・・・・・。
馬車をポンタス侯爵家の正門から入れ、エントランスに横付けします。
邸宅の中は静まり返っており、エドアルドがすべての作業を終わらせたことが一目瞭然でした。
「あ、マーリー。終わったよ。邸宅内にいるのは人形だけだね。魔石のない人間は殺すしかなかったけどさ。」
「ふむ。そうか。ではこの娘も人形にしてしまおうか。・・・いや、もしかしたら我が子を孕むかもしれん。暇つぶしにもなるし、しばらくこのまま生かしておこう。」
「うっ、うっ・・・誰か、助けて・・・お父様、セラフィア・・・。」
父親は御者台で首だけになっているし、使用人たちはすべて魔石にヒビを入れたうえで自動人形の身体に換えてあるはずです。
貴族として何不自由なく育ったのでしょうが、すべてを失い、まともに子を孕むこともできなくなった少女を見て、思わず哀れに思ったのか、つい言葉が口からこぼれてしまいました。
「ふ、ふふふ。ねえ、今、どんな気持ちですか?カリーナ。貴女の味方はもう一人もいない。使用人も、家族も、すべて魔石にヒビを入れて自動人形に移しました。今日から彼らは私たちの傀儡です。そして、貴女は二度と子を生すこともできない。どうです?死にたくなりましたか?」
「え?子供が産めないって・・・何を言っているの?」
あら。
魔族の男に犯された女が魔族以外の子を孕めなくなるということを知らなかったのかしら。
それとも魔族の女が魔力持ちとの間に子を作ると流れてしまうということを知らなかったのかしら。
それとも、まだ赤ちゃんはコウノトリが運んでくるとでも思っている年齢なのかしら。
「まあ、細かいことはワレンシュタインにでも教えてもらいなさい。まだまだ抱いてもらえるでしょうから。さて・・・エドアルド。教皇猊下に連絡をお願いします。」
「うん、任された。・・・行け!」
エドアルドはすでに手紙をしたためていたのか、鳩を夜空に解き放つ。
魔法と人工魔力結晶の粉末を使い、帰巣本能とその距離、そして夜間の飛行能力を著しく向上させた黒いハトは、夜の闇に吸い込まれるかのように羽音を響かせながら、遠ざかっていった。
◇ ◇ ◇
ノクト・プルビア三世(紫雨)
ウナヴェリス家の長女が15歳になり、デビュタントパーティーを開催したので僕も出席していたのだが・・・。
「はあ、疲れた。ウナヴェリスの連中、いくら僕の今の身体が18歳だからって無理やり婚約させようとするとか、いい加減にしてほしんだよなぁ・・・。」
【それは仕方がないでしょう。貴方の今の身体はトレシリアの次男の身体なのですから、デケムナリウスの権力バランスというものも考えなくてはなりません。・・・はあ。せっかく二世の身体がクインセイラとセクセリウスの血筋だったというのに、最後まで妻を娶ることもしなかったせいで・・・。】
「いや・・・全員僕の子孫だからね?娘や孫娘に欲情するのっておかしくない?」
【何世代、間が空いていると思っているのです。・・・最悪、11個目の公爵家の創設も考えなくてはなりませんね。政務に余裕ができたら侯爵か、伯爵か・・・平民でもいいからガールハントにでも行ってきなさい。】
なんという無茶苦茶なことを・・・。
僕がいなくても国が回るんだから、十大公爵家の男子から適当に皇帝を選んでくれればいいのに。
叔母さんの言葉にそんなことを考えながら、侍女に湯浴みの支度をさせている時、遠くからズンっという音が響き、床が小さく揺れる。
「地震・・・いや、爆発?なんだ?どこかで火災でも起きたか?」
思わずそうつぶやいた瞬間だった。
バン、と言う音がして近衛兵が一人、飛び込んでくる。
「皇帝陛下!大変です!ダスーン代用監獄が爆破されました!攻撃魔法と思われます!捕虜として収容中の竜人どもが大量に脱走!皇城に向かって家屋を燃やしながら向かってきます!」
「なに!?竜人は魔法を使えなかったはず!監獄の壁の耐久性はポンタス侯が必要以上の強度設計をしたはずなのに!」
湯浴みをするつもりで履物を脱ぎ、上着を脱ぎかけていたが、素早くそれらを身に着け、部屋の外に飛び出す。
デケムナリウスや一部の貴族、兵には攻撃魔法があるだろうが、一般市民にはそんなものはない。
「とにかく避難を!皇帝陛下!?」
近衛兵の言葉を最後まで聞くこともなく、城のバルコニーへと踊り出す。
「"O ventus, pennis tuis mollibus mihi navem volitantem exstrue!"(風よ。汝の柔らかな羽毛を以て我に天翔ける船を誂えたまえ!)」
風の精霊の力を借りて空を翔ける魔法の小舟を作り出し、夜の空に踊り出す。
くそ、こんな事ならオクタヴァインが収集したという魔女の魔法をもっとしっかり読み込んでおくんだった!
長距離跳躍魔法とやらがあれば、目的地に直接飛んでいけたものを!
攻撃魔法の方が面白すぎて、それ以外の魔法の練習がおろそかだったよ!
後悔をしながらも全身の魔力を練り上げ、帝都の臣民を守るために魔法の小舟の速度を限界まで引き上げる。
そして20ほどを数えたころ、眼下に赤い龍の吐息を捉えることができた。
「あれか・・・ひどいな。町の中がまるで戦場じゃないか。竜人が幻想種の一種だからと捕虜にしたのは間違いだったか?それに、ダスーン代用監獄は奴らの腕力や吐息では壊れないようにポンタス侯がしっかりと設計したはず。・・・どういうことだ?」
魔法の船を空中に待機させ、どこで手に入れたかも分からないような棍棒や包丁、あるいは農具などで武装した竜人たちの前に降り立つ。
町の大通りは出店の屋台だけでなく商店のいくつかはすでに打ち壊されており、道にはいくつもの血痕が広がっている。
生きている人間はおろか、その遺体さえ見当たらない。
「ぐくく・・・人間・・・コロセ!」
「モヤセェェエェ!」
「くそ、間に合わなかったか!この戦争狂どもが!・・・ならば、望み通り相手をしてやる!」
いまだに暴れまわる竜人たちに右手を向け、オクトヴェインが収集した魔女の魔法のうち、最近になって再現できた魔法を詠唱する。
「"Luce, congregare! Deinde omnia abole!"(光よ、集え!そして薙ぎ払え!)」
目の前が一瞬、純白に染まり、直後に何かが爆ぜるような轟音が響き渡る。
「う、うわ・・・なんという火力。これが魔女の魔法・・・なのか?」
あれほどいた竜人が一人もいない。
文字通り、消し飛んでしまったようだ。
しかし・・・。
これが光撃魔法か。
立った一発の魔法で地面は抉れたように消失し、断面のところどころは赤熱し、あるいはガラス化している。
「・・・この魔法は思いっきり手加減をして撃つべきものなんだろうな・・・。」
そう、ひとりごとを言った僕の背中に、冷たい汗が流れていたことはだれにも言わないでおくことにしたよ。
◇ ◇ ◇
30分ほど前
セラフィア
普段ならばすぐに恩賜公園の地下で次の眠りにつくはずのチヅラ様はデュオネーラ家から帰ってくるなり、私にレギウム・ノクティスから他の国への避難の準備を勧めてきた。
それも、私と家族だけでなく親類縁者や友人に至るまで声をかけるように、とても強い口調で。
「何があったのです?これから何が起きるのですか?」
「恐れていたことが・・・ううん、知っていたことがこれから起きるの。この国は、もうすぐ滅ぼされる。自称勇者とその仲間たちによって。」
「滅ぼされる!?でしたら彼らと戦わなければ!私たちだけおめおめと逃げ出すなんてできません!帝都にいったい何人住んでいると思っているのですか!」
そう、敵がどれほど強くても、この国には魔法や魔術を利用した軍がある。
それどころか皇帝陛下やデケムナリウスの力をもってすれば、敵がどれほどの軍勢を率いてこようが、この帝都が陥落するはずがない。
「・・・そう、歴史では何人死ぬかなんてわからない。私が知らないということは、何人助けても歴史は変わらない。でも、この国が亡びるという歴史だけは、私は関与できない。」
チヅラ様はいったい何を仰っているのか!?
そもそも、私が幼い時に見せてくれた、ポンタス侯爵の土木作業の手伝いの時に使った魔法を使えば、万の軍勢だろうが一撃で消し飛ばせるだろうに!
「今から、私はするべきことを始める。セラフィア。もし、逃げる意思があるなら今すぐ逃げて。できないなら、私の邪魔をしないで。」
「チヅラ様。何をなさるおつもりですか?」
「手紙・・・いや、粘土板のほうがいいか。術式を刻む余地が大きいし。ウナヴェリス家に送るものがある。それと、これを。」
「なんです、これ?銀の粉の入った透明な筒?それから手紙?・・・これは銃?」
チヅラ様は恩賜公園の地下から一枚の粘土板を取り出すと、何かを刻み始めた。
ナギル文字のようだが・・・なぜ粘土板なのだろうか?
手紙ではダメなのだろうか?
そんな疑問をよそに、チヅラ様は銀の粉が入った透明な筒に目を落とす。
「それは常温常圧窒素酸化触媒術式といって、レギウム・ノクティスが敵の手に渡るのを防ぐためのお守りよ。最後の時には、それを使って。この帝都だけじゃない。近くにある領地まで含めて、すべてを灰にできる火力があるわ。」
一緒に渡された紙には、その筒と『手紙』の使い方が詳細に記されている。
そして、恐ろしいまでの魔力が筒に封じられているのが分かる。
レギウム・ノクティスのすべてを灰にできるような火力があるなら、敵に使うべきなのではないか?
チヅラ様は悲痛な顔のまま後ろを向き、ゴーレムを起動して彼女が聖棺モドキと呼ぶ金色の箱を背負わせ、恩賜公園の地下から運び出させる。
「帝都の人間を逃がすなら、この前制圧した竜人の砦でいいか。それと、デケムナリウスは助けなければならない。そう、決まっているから。・・・くそ、情報が少なすぎる。とにかく、動くしかないわね。」
チヅラ様はフライングオールに跨り、風切り音すらさせずに夜の空に舞い上がる。
「どちらへ行かれるのですか!」
「竜人の砦へ!ドラゴパレストは私に任せて!セラフィアは家族を連れてデュオネーラ家へ!急いで!」
その言葉を最後に、夜の闇に消えるかのように彼女の姿はかき消えた。
◇ ◇ ◇
チヅラ様から預かった筒と手紙、そして銃を手に娘と孫娘の住む家に行き、二人を連れてデュオネーラ《第二公爵》家へと走る。
「おばあちゃん!何があったの!?ねえ、おうちには戻らないの!?」
孫娘のエリシエルが不安そうに私の顔を見上げるが、しっかりということを聞いて、母親の手を握って走ってくれている。
「そうよ!お気に入りのお人形も、ぬいぐるみも持ったわね?お菓子はまた買ってあげるから!」
「うん分かった!お母さんも急いで!」
大荷物を背負った二人に先を走らせ、私はそのあとを銃を構えながらついていく。
デュオネーラ《第二公爵》家の方や皇帝陛下には内緒だけれど、チヅラ様から拳銃というものの使い方は習っておいた。
だから、今では動くものでも人間サイズまでなら胴体に命中させることができるようになっている。
「セラフィアさんとご家族方か!早くこちらに!」
デュオネーラ《第二公爵》家の裏門につくと、すぐに衛兵が門を開け、二人を中に誘い入れてくれた。
「あ・・・おばあちゃん。カリーナちゃんも逃げられたかな?」
カリーナ・・・ポンタス侯爵家の一人娘か。
エリシエルの数少ない友人の一人で、魔族で唯一の同じ年頃の友人だ。
しかし・・・ポンタス侯爵はウナヴェリス家令嬢のデビュタントに出席した後、皇帝陛下に挨拶もせずに引き下がってしまったらしい。
理由は体調不良とのことだったが、あの豪快な方が急病になるだなんて何か強い違和感がある。
それに、ご令嬢の様子もかなりおかしかったようで・・・。
「・・・少し様子を見に行ってきます。エリシエルをお願いします。それと・・・チヅラ様からこちらを。ウナヴェリス家へ送るようにとのことです。」
チヅラ様の書いた粘土板と銀の粉の入った筒、そして説明書を門番に託す。
「・・・承りました。しかし、ウナヴェリス家にはチヅラ様の存在を知らせていません。ですので、あくまでデュオネーラ《第二公爵》家からという形でお渡しいたしますがよろしいでしょうか?」
「ええ。では、行ってまいります。」
思い過ごしならいいのだけど、何か胸の中がざわつく。
だが、老い先短い私としては、孫娘のために良き友人を残してやりたい。
そう心に決めて、私は衰え始めたこの身体をポンタス侯爵家に向けて走らせた。




