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285 狂気と絶望に染まる者

 ???


 フランス ブルターニュ地方


 三聖者がレギウム・ノクティスに向かい、死の砂漠を迂回しようとしているころ、あるいは千弦が長期のコールドスリープに入り、懐かしい未来の夢を見ているころ。


 フランス北東部の半島先端にある都市・・・イスの中心部の白亜の建物の前で、一人の若い男が二人の衛兵にすがりついていた。


「お願いです!(エレーナ)(ユリアナ)を家に帰してください!彼女は何も悪いことはしていないはずです!」


「うるさい!・・・お前は初夜税を納めなかっただろうが!翌朝になれば無事戻れるだろうからとっとと家に帰れ!」


(エレーナ)はともかく(ユリアナ)は関係ないでしょう!?」


「ああ?・・・利息だってさ。残念だな。結婚してから三年以内に税金をしっかり納めておけばよかっただろうに。脱税して利息だけで済むのだから温情的じゃないか。」


 彼は衛兵に突き飛ばされ、土の上に無様に転がるも、再び立ち上がり、衛兵につかみかかる。


「俺はこの街に引っ越してきたばかりなんだ!お願いだ!金貨25枚なんて払えるはずがない!それに、教会のお偉方には魔族だっているだろう!魔族に純潔を奪われたら子供なんてできなくなるじゃないか!」


 その言葉に、衛兵はチラリと同僚の顔を見る。

 そして、わざと周りに聞こえるよう、大きな声で言い放つ。


「・・・子を孕まないですむようになるなら、娼婦でもやらせたらいい。なんなら俺が娼館に口添えしてやろうか?常連だからよ。」


「まあ、絶対に無事じゃあ済まないだろうよ?かわいいお嬢ちゃんだったしな。」


 そういいながら二人の衛兵は槍の石突で彼の腹を突き、柄で(したた)かに背中を打つ。

 地に伏せたその髪をつかみ、小さな声で彼に耳打ちする。


「あきらめろって。もう何人目に抱かれてるかわからないさ。それに魔族はそう簡単に子供なんてできやしないって。・・・あんたがこれ以上騒げば、しょっ引かなきゃならなくなる。そうしたら・・・一家そろって縛り首だ。」


 衛兵の言葉に、彼は縋り付いていた手をゆっくりと放す。


「・・・な?おとなしく家で待て。それで・・・すべてが終わったら奥さんと娘さんにやさしくしてやれよ。・・・そうそう、これで美味いもんでも食わせてやれ。」


 衛兵はそういうと、彼の懐に紙で包んだ銀貨を一枚押し込み、元の位置に戻った。


「う・・・すまない、エレーナ。すまない。ユリアナ。ふがいない父親を許しておくれ・・・。」


 彼はしばらくその場にうずくまっていたが、雨に打たれ、泥にまみれながら這いずるように家に帰っていった。


「こんなことなら、あの山で羊を追う生活をしていたころのほうが・・・ずっと幸せだった。」


 男は、兄から譲り受けた数頭の羊を連れ、この街に引っ越してきたことを心底悔やんでいた。


 ◇  ◇  ◇


 いつしか雨は止み、雲も過ぎ去ったようだ。


 明け方、まだ空に星がちらほらと見えるころ、泥にまみれた服をはだけたまま、裸足の母娘がうつろな目をして歩いている。


 足取りはおぼつかず、娘は時々転倒するも、そのつど母親は娘の手を引き上げ、立たせ、家へと歩き続ける。


「ねえ・・・お母さん。もう、歩きたくない。もう、死んじゃいたい。」


「・・・家でお父さんが待ってるから。そんなことを言ったらお父さんが悲しむわ。」


 二人は足を引きずりながら家路を急ぐ。

 雨上がりの水たまりには、ポタリ、ポタリと少なくない血が落ちている。


 二人は赤く染まった下履きを露わに、歯を食いしばりながらも夫が待つあばら家へと、歩を進めるのだった。


 二人は家につき、重い扉を開くと、泣きはらした顔をした青年が飛び出し、その肩を抱きしめる。


「す、すまない・・・僕が、もっと働いていれば。もっと稼いでいれば。こんな思いをお前たちにさせなかっただろうに・・・。」


「アラン・・・金貨25枚の初夜税を払えるのは豪農か神職だけです。お隣の家も、向かいの家もみんな同じ目に合っています。それに、この街に来るまでそんな掟があるなんて知らなかったのは私も同じです。」


 エレーナは諦観で単調になり始めた声を、かすれるように絞り出す。

 そして、振り向きざまにユリアナに問いかける。


「ねえ、ユリアナ。お母さんとお父さんと、あの山に戻らない?義兄さんもきっと受け入れてくれるはずよ。」


「うん・・・もう、お隣のマティアス君のお嫁さんになれないんだよね。赤ちゃんもできないんだよね。・・・うっ、ひくっ・・・うわぁぁぁん・・・・」


 エレーナは娘の髪を優しく撫で、初めて青年に向かって感情のある声を出す。


「・・・アラン。明朝、すぐに支度をして街を出ましょう。もうこの街では暮らしたくない。この子の一番大事なものを奪った人間が治めるような街なんて、いくら働き口があったって冗談じゃないわ。」


「そう・・だな。羊は誰かに売り払おう。たった数頭だ。大した金額にはならないだろうが、路銀の足しにはなるだろう。」


 幼いユリアナは(エレーナ)の胸でひとしきり泣いた後、泣き疲れて眠ってしまい、アランの手でベッドに運ばれていった。


 ◇  ◇  ◇


 翌未明、まだ人の姿も見えないほど暗い中で、ユリアナが眠るベッドのある部屋の窓をコツン、コツンと叩く音が聞こえる。


「誰?・・・マティアス君?」


 ユリアナは毛布を払い、木窓をそっと開けると、そこには目尻が赤くなるほど泣いた跡のあるマティアスが背伸びをして立っていた。


「ユリアナ!・・・心配だったんだ。大丈夫か?」


「・・・だい・・・じょう・・・ぶ。」


 本当は大丈夫だなんて言いたくないのに、マティアスを心配させたくない一心でそう言ってしまう。

 すると、マティアスは何かを感じたのか、一束の花束を差し出しながら小さな声で言った。


「俺、親父に聞いたんだ。あの礼拝堂で何があったのかを。だから、俺・・・。」


 ユリアナはそっと花束を受け取る。

 薄紫色の花の中には、黄色い雄しべと赤い3本の雌しべがあり、ほんのりとした苦みの中に薬草のような、それでいてはちみつのような香りが漂っている。


 ・・・暗くてわからなかったけど、サフランの花だ。

 じゃあ、マティアスは私がされたことを本当に知っているんだ。

 でも、もしかしたら偶然かもしれない。


「ねえ、この花、飾るの?それとも・・・。」


「エレーナさんに渡して、それでハーブティーを・・・。」


「・・・帰って。もう、顔も見たくない。」


 ユリアナは乱暴に木窓を閉め、頭から毛布をかぶり、耳をふさぐ。

 そうだ、サフランは赤ちゃんが欲しくないときに使う薬だった。

 じゃあやっぱり、私が何をされたかを全部マティアス君は知っていて・・・!

 そう、心の中でユリアナは叫ぶ。


 だが、木窓を閉めたその外で、マティアスが一振りのナイフを手に礼拝堂に向かって走り出したことを、ユリアナは知る由もなかった。


 ◇  ◇  ◇


 木窓の隙間から入る朝日に、ユリアナはゆっくりと目を覚ます。

 昨日は悪夢を見たのか、枕がしっとりと濡れている。


 頭がぼんやりとしながらも、下腹部の痛みは悪夢が現実であることを否応なしにユリアナに突き付けてくる。


「羊の世話、しなくちゃ・・・。」


 毛布をはがし、ベッドから立ち上がり部屋を出ようとしたとき、玄関の扉が強く叩かれる。


「おい!アラン!エレーナ!いるか!?いるなら開けろ!」


 ・・・マティアスの父親の声だ。

 いや、母親も金切り声を挙げているように聞こえる。


 恐る恐る玄関に向かうと、そこにはマティアスの両親に詰め寄られる両親の姿があった。


「どうしてくれる!お前の、お前の娘のせいで!」


「そうよ!あんたが初夜税を踏み倒したせいでうちの息子まで巻き込まれたのよ!」


 どういうことだろう?

 踏み倒したというなら、代わりにお役目とやらを果たしたじゃないか。

 それも・・・私まで。

 首をかしげながらも、ユリアナは物陰で彼らの話を聞く。


「だいたい初夜税なんて婚姻してから三年以内に収めるか、妻が礼拝堂に行ってお役目を果たせばいいだけなんだ!子供を作るなら三年以内にしっかり作っておけば誰も文句なんて言わないものを、あんたが何もしなかったのが悪いんじゃないか!」


「そうよ!いくらこの街に来てから日が浅かろうが、婚姻が三年以上前なら初夜のお役目に逆らうことなんてできないの!あんたが悪いだけでしょう!?それを、ユリアナったらうちの息子までたぶらかして!」


 話が見えない。

 ユリアナは意を決し、物陰から姿を現す。


「マティアス君に、何かあったんですか?」


「この・・・!あんたのせいでマティアスは衛兵詰め所に直談判に行ったのよ!それだけじゃない!代官のセヴェリヌス様に直訴まで・・・!」


 セヴェリヌス・モルタリエといえば、両親からくれぐれもその視界に入るなと釘を押された男の名前だ。

 確か、教会の十二使徒に列せられていて、不思議な力を持っているとか言ってたような・・・。


 朝からマティアスの両親が大声で騒いだおかげで、家の前には人だかりができ始めた。


「と、とにかく、妻も娘もお役目を果たした後で疲れているんだ。今日のところは帰ってくれ!」


 何とか、父親のアランが彼らを追い返すも、彼らはひとしきり家の前で大声を上げ続け、日が暮れるまでそれはやむことがなかった。

 家の玄関横に支度してあった旅支度は、いつしか家の奥にしまわれていた。


 ◇  ◇  ◇


 翌朝、空が白み始める前に目が覚める。

 木窓にはマティアスが置いて行ったサフランの花束が挟まったままだった。


 全身ずぶぬれになるようなほどの汗をかいているユリアナは、花束を持ったまま井戸に行き、先ほどまで見ていた悪夢を振り払うかのように冷水をかぶる。


 ・・・丸一日以上たったのに、まだ下腹が痛い。

 身なりの良い男たちが・・・瞳が縦に裂けた男たちがゲラゲラと笑っていたのが耳に残っている。


 彼らの下卑た声が頭の中で反響する。


「濡れてないから裂けるかもな。」

「もう入らないのか。お前の母ちゃんは全部入ったぞ。」

「見ろよ、血まみれだ。おかげで滑りがよくなった。」

「もう元に戻らないんじゃないか?みろよ、ガバガバだぜ?」

「こりゃあ、もう使えないな。・・・手足を押さえろ。印をつけておこうぜ。」


 今も下腹部に残る烙印が、肌を引き攣るように痛みを発する。

 乱雑に縫われた秘所はもはやまともに機能せず、当て布は血と尿で汚れ続けている。


「うっ、うっ・・・ひくっ・・・ぐすっ・・・。」


 痛みと流れる涙を冷水でごまかし、何とか落ち着いて家に戻ろうとしたとき、遠くから誰かの声が聞こえた。


「おい!礼拝堂の前!子供がつるされてるぞ!」


「こりゃあ・・・ひどい。だが動いてるぞ?だが、これで生きていられるはずなんて・・・。」


 濡れた髪を拭くのも忘れ、人の波に押されるかのように礼拝堂の前に立つと、そこには荒縄でつるされた少年・・・おそらくはマティアス・・・だったものが、五つに分けてぶら下げられていた。


「ウー!ギィー!」


 中央につるされた彼の胴体と首からは、人の声とは思えない声が響いている。

 そして左右には、引き千切られたかのような腕と足が、胴体に繋がってもいないのに、バタバタと音を立てて動いている。


 全身の血が抜けたせいか、肌は白く、ところどころに何か赤茶けたものがこびりついている。

 マティアスは、ユリアナに顔を向けるが、その眼は白く濁り切っていた。


「・・・こりゃあ、屍人にされたんだ。みろよ、ええと、マティアス?汝、神聖なる使徒に刃を向けた者よ。悔い改めよ。さすれば審判の日には、人に戻りて死を賜るだろう。・・・って・・・かわいそうに、腐り落ちるまでこのままかよ。」


 ユリアナは、全身の血が一斉に失われるかのような錯覚に襲われた。


 ・・・私のせいだ。

 私が、ちゃんと大丈夫って言わなかったからだ。

 花を受け取って、マティアスを部屋に招き入れて、笑ってあげればこんなことにはならなかったんだ。

 でも、こんな身体でどうやって?

 好きな彼の前で肌を晒すこともできなのに?


 そう絶望した彼女は一目散に走りだした。

 サフランの花束を握ったまま、脇目もふらず、ただ走り続けた。

 その喉からは、彼女自身が聞いたこともないような声があふれ続けていた。


 そして、家の前の大通りに差し掛かった瞬間、何か大きな獣のようなものにぶつかり、一瞬だけ身体が浮いた後、回転する何かに巻き込まれた。


 パキ、ポキ、と何かが折れる音。

 バシャッと何かが割れて、液体が飛び散る音。

 ブチッと何かがちぎれるような音。


 それが、馬車にひかれた自分の身体が重い車輪につぶされて砕け散る音だと気づいた時には、彼女の視界には何も映っていなかった。


 ◇  ◇  ◇


 ???(魔女)


 ・・・。

 ・・・・・・。


 最近、行く先々で暗躍している怪しげな集団が気になり、ついその本拠地へ覗きに来たのだが・・・。


 目の前には、飛び出した子羊に驚いて暴走した馬にはねられ、御者が制御できなくなった馬車の車輪に巻き込まれた娘が、体を直角に曲げて転がっている。


「この娘・・・私の子孫よね?かなり近いような気がするけど・・・。」


 彼女の周りには、子羊が心配そうに泣きながらうろうろとしている。

 そうか、この羊は彼女の家で飼っている羊だったのか?

 獣使いの才能でもあったのか、とてもよくなついているようだが・・・。


 ・・・まさかこんなところにまで私の子孫がいるとは思わなかった。

 目の前で死にかけている少女を見ると、かなりの魔力に恵まれていることがわかる。


 もしかしたら助けられるかもしれないと思い、馬車の下から引き出した少女の身体を引き取ることにした私は、馬車の持ち主である聖職者のような男に袖の下を渡し、そのまま物陰に彼女を連れ込んだ。


「私の声が聞こえる?私の顔が見えるかしら?」


 返事がない。

 うつろな目をした少女は、目を閉じることもなく、ただ虚空を眺めている。

 脳は無事だし、心臓はかろうじて動いているのだが、話しかけても何も反応がない。


 また、損傷している個所は同時進行で治しているところだが、特にヘソから下部分は馬車の車輪に完全につぶされてしまっている。


 下腹部の内臓は新規で作り直すほかないようだ。

 大腸、小腸、膀胱、尿管・・・そして子宮と卵巣。

 すべて使い物にならない。

 本当にひどいありさまだ。


 つい最近作り出した術式を準備するため、近くにあった廃屋を使わせてもらうことにする。


「魔法陣と、術式はこれで良し。質量は・・・困ったわね、少し足りないわ。仕方がない。少し幼くなるけど仕方がないわね。」


 この少女の年齢は10代半ばといったところか。

 蛹化術式で10代前半になってしまうだろうが、質量が手に入ったら成長させてやればいい。


 魔法陣を用意し、魔力を循環させた後、門番代わりに眷属を召喚する。


「“Adesto,Morrígan,regina umbrarum,quae inter mortem et vitam saltas.Custodi corpus dormientis,donec anima nova resurget.”(()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。)」


 ヒベルニア(古代アイルランド)に伝わるケルトの女神、戦と変身、死と再生を司るモリガンは私の呼びかけに答え、妖艶な笑みをたたえ、漆黒の翼を広げて私の眼前に降り立つ。


「お()び頂き光栄です。マスター。」


「お久しぶりね。早速で悪いんだけど、今からこの娘を蛹化術式で治すから周囲の警戒をお願い。近寄る人間には幻覚を見せて。」


「かしこまりました。では。」


 モリガンは漆黒の翼を一瞬で黒いドレスに変え、空気に溶けるように消えていく。

 ・・・どうやら早速幻術を使ったらしい。

 まあ、カラスに変化されるよりはマシか。


「召喚魔法にもそろそろ慣れてきたわね。まあ、人間が夢想して精神世界に(アストラルサイド)に結像した存在しか呼び出せないのが難点ではあるけど。・・・さて、蛹化術式、発動。」


 つい最近開発した蛹化術式はゆっくりと白い繭のようなものを形作り、傷ついた少女を包んでいく。

 私は同時に、この地で何が起きているのかを知るために少女の記憶を覗くことにした。


「“Per somnum et quietem animae,vocem tuam audiam ultra umbras. Memoriam tuam in corde meo servo, donec lumen iterum oritur.” (()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()宿()り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。)」


 この魔法は相手が眠っている場合や死にかけているときだけ相手の記憶の表層を読み取れる魔法だが・・・。

 そのうちに本格的な自白を強制できる魔法を作りたいものだ。


 とりあえずはこの少女を助けなければ。

 サフランの花束を持っていたところを見ると、つい先ほどまで恋人と逢引でもしていたのか?

 だとするとそれほど重要なことはわからないかもな。


 などと他愛もないことを考え、蛹化術式の中の少女に意識を向けた瞬間、ドバっという思念が私の中に流れ込む。


 大事な初めてを奪われた。

 痛い、苦しい、恥ずかしい。

 大事な彼を突き放してしまった。

 悲しい、寂しい、死んでしまいたい。

 彼は、私の代わりに怒り、そして殺された。

 いや、死ぬこともできない体にされてしまった。

 罪悪感で一杯で、大好きな彼の顔を見ることもできない。


「う!?・・・ぐ・・・!そう。そんなことがこの町で行われていたの。初夜税ですって?ふざけているの?魔族どもめ。人間を何だと思って思っているのよ!」


 あと数秒で終了する蛹化術式の繭の中から、すすり泣くような思念が漏れ出している。

 私の娘がこれほどまでの目にあわされていることを知り、私の怒りは沸々と、ゆっくりとたぎり始めた。


 私がお前の力になってやろう。

 お前の無念を晴らし、仇の首を彼の墓前に並べてやろう。


 そして今まで通り、羊を追いながら笑って暮らせる日常を取り戻してやろう。


 だが・・・蛹化術式による肉体の損傷修復が終了しても、一向に繭の中から少女がはい出してくる様子がない。


 それどころか思念の最後に、パチンっという衝撃を感じたのだ。

 私はあわてて蛹化術式の繭を裂き、少女の身体を取り出す。


「・・・なんと・・・そこまで絶望していたなんて・・・。」


 この少女・・・ユリアナは最後の力を振り絞って、自分の魂の情報・・・人格情報を・・・消し飛ばしてしまっていた。


 ◇  ◇  ◇


 サン・ジェルマン


 レギウム・ノクティスとかいう魔法帝国について、聖女サン・マーリーの手の者がいくつかの情報を仕入れてきたようだ。


 それによれば、その国では魔法を魔力がないものでも扱えるようにした魔術というものを開発しており、魔法における詠唱の代わりに術式という機巧(からくり)を用い、魔力を蓄えたものから力を引き出して現象を起こすのだという。


「ふむ・・・その魔術とやら、興味が尽きないな。つまり、己が持ち合わせている魔力を上回る現象が起こせるということか?」


「はい。さようでございます。教皇(サン・ジェルマン)猊下におかれましては、さらなる奇跡を呼ぶこともたやすいかと。」


 サン・マーリーは恭しく首肯し、俺が考えていることを見透かしたかのように付け加える。


 ・・・なるほど。

 これまでは人工魔力結晶を抽出するのは、ただ俺の魔力を補い、あいつに対抗する戦力を増やすことだけが目的だったが・・・。

 大規模な破壊を伴う魔法だけではなく、これまでは不可能であった魔法にも手を出せるということか。


「それと、この皇帝に付き従う女の霊とやらはなんだ?ノクト皇帝とやらは召喚魔法でも使っているのか?」


「いえ、もちろんノクト皇帝は召喚魔法を使えるようですが・・・その霊については正真正銘、ノクト皇帝の先祖の霊で間違いないようです。たしか、彼はその例のことを『叔母さん』と呼んでいるとか。名前は、『イルシャ・ナギトゥ』であると。」


 ナギトゥ・・・どこかで聞いた名前だ。

 ナギル文明に何か関係でもあるのか?


「・・・まあいい。ところで、セヴェリヌスの研究はどうなっている?」


「セヴェリヌス・モルタリエですね。つい昨日、胎児からの人工魔力結晶の抽出に成功したとの報告がありました。人格情報や記憶情報が含まれていない分、かなり純度の高い人工魔力結晶が作れるとのことです。」


 なるほど、子供がある程度育ってしまうと抽出される人工魔力結晶の純度が下がってしまうことを考えれば、圧倒的な収穫量になるというものだ。


「そうか。では・・・そうだな。イスに住まうすべての女に労役を課すとの触れを出せ。・・・子を作れる年齢に達したものはすべてだ。」


「・・・魔族の女性もですか?そもそも魔族の女性は、妊娠したらすぐに流れてしまいますが?」


「・・・ならば魔族以外のすべての女だ。くくっ。これで人工魔力結晶の生産がさらに捗ろうというものよ。・・・それと、セヴェリヌスを呼べ。術式とやらの研究も同時進行でさせる。」


「は。直ちに。」


 サン・マーリーは深々と頭を下げ、部屋を出ていく。

 魔族などという出来損ないといえど、数がそろえばそれなりに役に立つというものだ。

 奴らが教会などという集団を作ろうとしたときは無駄かと思ったが、これは本腰を入れたほうがいいかもしれない。


 ◇  ◇  ◇


 しばらくの時を置き、セヴェリヌスが部屋の扉をたたく。


「セヴェリヌスにございます。教皇(サン・ジェルマン)猊下に置かれましてはご機嫌麗しく存じます。」


「ああ。人工魔力結晶の増産につながる研究に一定の成果を上げたと聞く。大儀である。」


「これはこれは。お褒め頂き、恐悦至極にございます。して、この老骨の力をさらにお求めになっておられると伺いました。わたくしめに出来ることでしたら、いかなることでもお申し付けください。」


 好々爺の面構えをしているが、この男は人間の女が魔族の男どもに犯されているのを見て興奮するという、どうしようもない性癖を持っていることを俺は知っている。


 とくに、その時の女の涙が大好物だという。

 女を泣かせるためならば、秘所に焼いた鉄の棒を差し込むこともいとわないような下種野郎だ。

 だが、魔法の知識は魔族の中でも指折りだ。


「セヴェリヌスに命じる。魔術を己がものとせよ。そして時を遡る術を作り出せ。必要なものは俺がそろえてやる。」


「・・・時間遡行の魔術・・・ですな?承りました。それではひとつ、用意していただきたいモノがございます。」


「なんだ?言ってみろ。」


「・・・生きの良い、不死の魂を所望いたします。聞けば、遥か南方の帝国には古代より生き続ける魂があるとのこと。それを捕らえてわたくしめに賜りたく存じます。」


 生きの良い、不死の魂?

 ノクト皇帝とやらに付き従う女の霊の事か?


「その魂の使い道は?」


「魔法の触媒でございます。あちら側にのみ存在すると噂される法理精霊(オルテア)・・・人の魂と無限の時を司る精霊に触れるための火種として使います。残念ながら、わたくしめといえども、命ある身では法理精霊(オルテア)に触れることはできませぬ。となれば、魂のみであることができる者にやらせるほかないのでございますよ。」


「ふむ・・・では、法理精霊(オルテア)とやらに触れることができたら、どうなる?」


法理精霊(オルテア)は、無限の時を司る精霊・・・もし、かの精霊を騙しおおせたなら、時を遡ることも不可能ではないかもしれない、ということですよ。ふ、くくく。」


 屍霊術(ネクロマンシー)を扱う最大の問題の一つとして、世界には監視者ともいえる存在があり、それをいかに騙すかが屍霊術(ネクロマンシー)のキモであることは俺もよく知っている。


 それが法理精霊(オルテア)であることは、一部の屍霊術師(ネクロマンサー)の間で仮説となっていたが・・・やはり真実であったのか。


「ならば、その不死の魂を持つ者を用意しよう。・・・うわさに聞く、魔法帝国の女の霊でよいな?」


「はい。マーリー様から伺っておりますが、触媒としては十分すぎるものですな。可能でしたらうわさに聞く魔女の魂でもよかったのですが、魔女はいまだに肉体を持っておりますゆえに、不安定になるかもしれませんし。」


「よかろう。では、急ぎ、レギウム・ノクティスに三聖者を派遣し、その女の霊とやらを捕らえてきてやろうではないか。」


 俺はあの日失った、今はどこにいるかすらわからぬ我が妻を再び手に入れようとさまよってきたが、時を巻き戻すという新たな技を手にすることができる可能性を思うと、全身が不思議な震えに包まれる。


 く、くくく・・・。

 もう一度お前を抱く日が、待ち遠しくてたまらないよ。


 ◇  ◇  ◇


 南雲 千弦


 薄いまどろみの中、私は手を伸ばす。

 半透明な腕が、何か柔らかいものに触れる。

 

 真っ白い世界の中、私の眼は視界の中にいる誰かを認識している。

 ああ、そういえば夢を見るように設定したんだっけ。


【君は誰だい?ずいぶんと長い間、身体から離れているみたいだね?でも、それでいて死んでいない。不思議な人だ。それに・・・君、この世界の人間ではないよね?】


 ふいに誰かの声が聞こえる。

 男でも女でもない、中性的で幼い声が。


 でも、この世界の人間ではないって・・・ああ、時間遡行したから異物扱いでもされているのか?


「私は・・・千弦。チヅラとかクロとか色々名乗ったけど、私の名前は南雲千弦よ。一応はこの世界の住人のつもりだし、まだ死んではいないわ。あなたは?人間ではないみたいだけど・・・精霊?それとも精神世界(アストラルサイド)の神格?」


 異物として排除されてはたまらないな。

 大人しく丁寧に話しておこう。

 嫌な感じはしないし。


【そう・・・いい名前だ。僕の名前は・・・オルテア。僕の存在を知っている人間はそう呼んでいる。そちら側の住人でもないし、精神世界(アストラルサイド)とやらの住人でもない。でも、君らがいつか来るところをはるか昔から預かっている・・・そう、管理人とでも思ってほしい。それに、生きてる人間とまともに話したのは、今回が初めてかな。】


 はて?私たちがいつか行くところ?

 (おさむ)君のところに戻る以外に、どこかに行く予定なんて今のところないんだけど・・・。


 まあいいや。

 不思議と落ち着く声色だ。


「それで、私に何か用かしら?こっちから触っちゃったみたいだし、お詫びがてら何かして欲しいことがあればするわよ?まあ、私のできる範囲だけだし、やりたくないことは無理だけど。」


【そう・・・だな。じゃあ、時々でいいからこうやって僕と話をしてくれると嬉しいかな。代わりに僕の力を貸してあげるからさ。】


「じゃあ、私たちは友達ってことでいいのかしら?」


【ははっ。そうか、友達か。そりゃあいい。僕らは今日から友達だ。いつか、君の家族にも紹介しておくれよ。】


 オルテア・・・どこかで聞いた気がする。

 誰だっけ?

 大事な名前のような気がするんだけど・・・。


「いいわ。自慢の妹がいるから、いつかきっと紹介するわね。でも、私からあなたに呼びかけるときにはどうしたらいいの?」


【僕の存在を思うだけでいい。それだけで僕は優先的に力を貸してあげる。】


「それは・・・あなたには何をしてもらえるのかしら?私、あなたのことをまるで知らないんだけど?」


【じゃあ、最初のうちは僕の力が役立ちそうなときは、僕から声をかけるよ。・・・おっと、そろそろ時間だ。また会おう。原初の石板に導かれし少女たち。】


 原初の石板ねぇ・・・。

 まあ、魔法が使えるようになったのも、魔術が使えるようになったのも石板のおかげだし。

 そもそも石板が存在しなければ仄香(ほのか)は存在しないわけで、私が生まれて(おさむ)君に巡り合えたのは石板のおかげとも言えなくもないけどさ。


 何か引っかかるのよね?

 などと思考が逸れると同時に真っ白な世界がぼやけはじめる。


 ああ、もうすぐ目が覚めるのかな、とおもいつつ。

 私はゆっくりと意識を散らしていった。



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