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274 神と呼ばれた少女、獣に堕ちた男

 現代 9月23日(火) 


 ウクライナ オデーサ郊外


 南雲 弦弥


「南雲教授!見つかりました!・・・この下の地層だけ周囲の堆積物と一致しません!」


 助手の山本君のうれしそうな声が響き渡る。

 紫雨(しぐれ)君は後から合流する予定だが、きっと彼も興奮するかも知れないな。


「そうか!幸先がいいな。まあ、初っ端から当たるとは思えないが・・・どれどれ?」


 今、我々砦南大学の考古学発掘チームが挑んでいるのは、幻の黒海沿岸文明、そして黒海洪水説の検証だ。


 黒海洪水説とは、コロンビア大学の地質学者、ウィリアム・ライアンとウォルター・ピットマンが提唱した地質学上の説で、紀元前4600年頃、ボスポラス海峡を通る大洪水が起こったというものだ。


 かつてボスポラス海峡は閉塞されており、海峡以北の氷河の溶けた水が黒海を巨大な淡水湖にした一方で、世界の海水面は氷河期で低いままであった。


 複数の淡水湖からの河川はエーゲ海に注ぎつつあったが、氷河が後退したので黒海に注ぐ河川は水量を減じ、北海に出口を見出し、水面は蒸発によって低くなった。


 やがて氷期が終わり海水面が上昇し、最後には地中海がボスポラス海峡の岩盤上(a rocky)の溝( sill)を通じてあふれたと、ライアンとピットマンは推測した。


 これにより155,000㎢の土地が水浸しになり、黒海の海岸線をはっきりと北方および西方に広げた。


 結果、当時黒海沿岸に栄えていた一大文明を滅ぼし去り、その痕跡すらも残さなかった、というのが、この伝説の概要である。


 一大文明の名は、ナギル文明。


 世の理の全てを知り、風に乗って山を砕き、地上に太陽すらも作り出すという、創造神にして破壊神である女神、最高神チヅラを信仰する者たちが作り上げた、唯一の超古代文明。


「先生・・・しかし、黒海沿岸文明の話ともなると、ほとんどすべての考古学者が相手にすらしないのですが・・・ええと、超古代文明でしたっけ?紀元前5000年に金属器や上下水道を持ち、文字や数学だけでなく、通貨経済や郵便制度、さらには一神教を基礎に民主主義国家を運営していたというのは・・・。」


「おかしいと思うかね?・・・ははは。それどころか伝説によれば、水力発電所や内燃機関まで存在した、そして電球や真空管まで実用化していたという説があるんだ。」


「う・・・今回の発掘調査、絶対うまくいかないような気がしてきました。そんな眉唾物の情報、どこから仕入れたんです?」


 山本君がはっきりとわかるほど目をしかめる。

 そうだろうな。

 僕だってそんな伝説、信じちゃいなかった。


 これを発見するまではね。


「・・・これさ。例の、リビアで発見した。ノクス・プルビア一世の墓所の壁画。そして、何とか持ち出したゴールドプレートさ。」


 山本君にそっと一枚の資料を差し出す。

 当然だが、現物は大学に保管してある。


「ええと・・・これ・・・なんです?『ナギル・チヅラの遺物』?『レギウム・ノクティスが誇る、千年に(わた)るすべての賢者の智慧を以てしても、その遺物の破片の正体すら知ることはかなわなかった』?・・・これ、まさか・・・?」


 お、いつの間にか古ラテン語が読めるようになったのか。


「・・・ああ。レギウム・ノクティスの時代に、黒海沿岸文明・・・その中核都市、ナギル・チヅラの存在は確認されていたんだ。それと・・・これ。レギウム・ノクティスの地下から持ち出した遺物の写真だ。」


「・・・これ、ひびが入ってますけど・・・真空管、ですよね?」


 そう、現在・・・いや、数十年前に作られたものと多少の形式は違うが、ドライバー管に分類される三極管だ。


 しかも、この真空管は、この時代にあるはずがないトリウムタングステン合金を用いていることが蛍光X線分析装置で判明したのだ。


「・・・これは考古学上の大発見になるかもしれない。いや、人類の文明が漸進的に進歩してきたのではなく、何らかの特異点により爆発的に進歩し、それが周囲の文明に波及し進歩性は薄れたが、人類の急進的な進歩が促された、という証拠になりえる可能性がある。」


「はあ・・・。まあ、確かに新石器時代の終わりから青銅器、鉄器へと至る流れに大きすぎるクリアパスがあることは知られていますが・・・ちょっと話が性急すぎませんか?普通に考えれば誰かが捏造したとしか思えないんですが。」


 山本君が訝しげに僕の顔を見た瞬間、現地スタッフの一人が大声を張り上げた。


「プロフェッサー南雲!見つけたぞ!地下20mにピラミッド状の構造物!これは・・・でかい!クフ王のピラミッドと同じくらいはあるぞ!しかも、形が恐ろしく正確だ!」


 スタッフの手元にある地中レーダー探査システムの画面をのぞき込むと、そこには見事な形の構造物がある。


「地下20m?そうすると・・・ここが海抜40m、かつての海面が70m低かったことを考えると・・・高さ90mのピラミッドか!よし!発掘作業を開始してくれ!」


「まずはバックホーで試掘溝(トレンチ)を掘るぞ!ここで本格的な掘削をする可能性があるから機材を回しておけ!急げ!お宝はすぐそこだ!」


「うっひょぅ!チヅラ神の神殿か?なら、トロイ遺跡の発掘レベルか、はたまたツタンカーメン王墓の発見レベルか?いや、ナギル・チヅラの実在を示す遺跡なら、絶対にそれ以上だ!」


 高校生くらいにしか見えない若者たちが機材を運び、足場を組み立て、そして掘削を開始する。


「ふう。・・・今回は遺跡を見つけても無事、日本に帰れるかな?リビアの時は散々だったからな。」


 ポケットからタバコを取り出し、そっと口にくわえる。


 ・・・このタバコケース、父の日に千弦と琴音が二人でプレゼントしてくれたんだよな。


 二人とも来年は大学受験だ。

 その前に今年の冬休みは帰れるだろうか。


 僕が世界中を飛び回るせいで、妻やあの二人とは一緒にいてやれる機会が少なかった。


 だから、この発掘が終わったらしばらくは日本にいよう。

 そして、できることならあの二人の卒業式と、大学の入学式には出席してあげたい。


 石室に届くのは、冬の初めになりそうかな?

 はははっ。

 千弦や琴音にも、この楽しさが分かるといいのだがね。


 親子で考古学者っていうのも悪くない。

 そう思いながら、ゆっくりと紫煙を風になびかせた。


 ◇  ◇  ◇


 南雲 美琴


 最近、千弦と琴音の様子がおかしい。

 あれほど仲の良い姉妹だったのに、帰宅するなり二人とも部屋にこもったきり出てこない。


 そういえば一昨日と一昨昨日は文化祭だったはずなのに、二人とも出かけもせず家にこもっていた。


 ・・・それに、仄香(ほのか)さんの姿を見かけることがなくなった。

 琴音だけは、久神さんとどこかに出かけているみたいだけど・・・。


 お手洗いに降りてきた帰りの琴音がリビングを通り過ぎようとしていたので声をかける。


「ねえ、琴音。千弦と喧嘩したの?何かしちゃった?それとも何かされたの?」


「・・・お母さん。私は姉さんと喧嘩なんてしてないてっば。大学入試までほとんど時間がないから、遊びに行ったりテレビを見たりする時間がないだけだよ。」


「そうなの?じゃあ、仄香(ほのか)さんが最近お見えにならないけど、彼女に何かあったということはない?」


「ん゛っ。・・・ん~。特に何も聞いてないなぁ。それに、そろそろ体を乗り換えるって言ってたから、ジェーン・ドゥ(バイオレット)の身体はそろそろ見納めかもね。」


「そう・・・じゃあ、仄香(ほのか)さんに何かあったのかしら?」


 本当に気にすることはないのだろうか?

 心配になりながらも琴音を見送り、家事の続きを始める。


 すると、リビングにある「人をフヌケにするクッション」の上にいる二号ちゃんが、ムクリと顔を上げる。


「ママさん。何も心配することはないデスヨ。ボクがここにイルということハ、マスターに異常が起きていナイことの証明デス。それに、千弦サンも琴音サンも、最難関大学の理数系を受験するノデス。今から緊張しても仕方がないコトデス。」


「・・・そう。わかったわ。じゃあ、安心して晩御飯の支度にかかろうかしらね。あ、二号ちゃん。今日の晩御飯はエビとホタテよ。二号ちゃんの分だけ生で用意してあげたからね。」


「ワーイ!ママさん大好きデス~!!」


 クッションの上で跳ね回る二号ちゃん・・・娘たちの親友の姿に似た新しい家族の声を聞きながら、胸の内に湧き上がる違和感と心配を何とか押しつぶして、私は料理に取り掛かった。


 ・・・・・・。


 晩御飯になり、千弦と琴音が二階から下りてくる。

 二人はおそろいの部屋着を着て、だがあまり言葉も交わさずに食卓に着く。


「「いただきます。」」

「イタダキマース!」


 きれいにそろった二人の声と、二号ちゃんの鈴が鳴るような声が食卓に響き、美味しそうに、楽しそうに食べる二号ちゃんとは対照的に、千弦と琴音は黙々と食事を進め、そして終わらせる。


「・・・母さん。今日は私が後片付けの当番の日だったね。琴音。食器はそのままでいいよ。」


「うん。わかった。・・・・姉さん、あとはよろしくね。」


 千弦と琴音は短く言葉を交わすと、キッチンと二階へと、それぞれ別々に席を立つ。

 私にしてはめずらしく、どちらが琴音か分かってしまう。


「やっぱりおかしいわね。なんというか、あの二人・・・あんなに区別がついたかしら?」


 思わずそうつぶやいてしまうが、違和感の正体がつかめない。

 気を取り直し、食器を洗い始めた千弦を手伝おうとキッチンに向かうことにした。


「・・・マスター。お気持ちはわかりマスガ・・・いつかは言わナイト・・・。」


 二階の小さな部屋に向かう二号ちゃんの声が何と言っているのかはっきりと聞き取れなかったけど、たぶん二人のことを心配しているんだろうな、と少しありがたくなった。


 ◇  ◇  ◇


 仄香(ほのか)


 今、私は南雲家のキッチンで食事の後片付けをしている。

 すぐ真横には、食器を食洗器から取り出し、食器棚に戻している美琴がいるのだが・・・。


 ヤバいな。

 いい加減にバレそうだ。


 ジェーン・ドゥ(バイオレット)の身体を完全に失った後、遥香の身体を使い続けるわけにもいかず、どこかに私の血を引き、かつ魂の情報が入っていない身体がないかと探したところ・・・。


 普通に玉山に保管してあったんだよ。

 アストリッドとミレーナの母親・・・エレオノールの身体が。


 ずいぶん前にベオグラードで拾ってきたエレオノールは考えるまでもなく私の子孫であり、それに若干歳はとっていたが、蛹化術式で若返らせることは十分に可能だった。


 つまり、いま私が入っている身体はエレオノールの身体で、ミミックテイルで無理やり千弦の姿に化けているわけで・・・。


 う~ん、いくらなんでも無理があったか?

 やはり母親を騙すのは至難の業か。


《・・・仄香(ほのか)、聞こえる?》


《ええ、聞こえてますよ?どうしました?》


《お母さんが怪しんでいるみたい。それに、なんで変身できる眷属じゃなくて仄香(ほのか)が変身したの?別にプロテウスさんとかセリドウェンさんでもよかったんじゃない?》


《あの二人は、シェイプシフターやドモヴォーイほど変身が上手ではないですからね。外見だけ取り繕っても、すぐにバレてしまうでしょうし。》


《・・・まあ、セリドウェンさんは暴食で悪食、プロテウスさんはちょっと変態っていうか、あまり一緒にいたくないっていうか・・・。》


《そんなことより、琴音さんが私に対して念話で話さずに千弦さんと同じように話しかけてくれれば、もう少し怪しまれないと思うんですけど。》


《・・・う。まあ、努力するよ。》


 ・・・ま、仕方がないか。


 セリドウェンは有機物であればなんでも食おうとするし、プロテウスに至っては若い女の寝床に忍び込もうとするような眷属だ。


 まあ、あくまでも忍び込むだけなんだが・・・毎晩琴音のベッドにもぐりこまれても困る。


 はっきり言ってよほどのことがない限り召喚したくないし、万が一召喚したとしても同じ姿をしていることのメリットよりもデメリットのほうが大きすぎる。


 ・・・まあ、当分の間はこれで対応するしかないか。


 食事の後片付けを終わり、自室に戻ろうとすると、シェイプシフターが階段横の自室・・・納戸から顔を出す。


「マスター。大変ならボクが代わりマスヨ?それに、次の中間テストは何人分回答するんデス?」


「遥香さんと千弦さん、(おさむ)君の分だけよ。大丈夫、そんなに難しい問題が出るわけじゃないから。」


「・・・そうじゃナクテ、テスト期間中は脳を並列に3人分動かすってことデスヨネ?大変じゃないデスカ?」


「まあ、ね。満点を取るのは簡単なんだけど、それぞれの能力に合わせて適当な点数に抑えるってのが難しいかしらね。」


 ・・・いや、遥香の分だけは満点でもよかったっけ。


 心配するシェイプシフターを彼の部屋に押し込み、千弦の部屋に入る。

 彼女の部屋は主を失ったせいで心なしか寒々としている。


「あれから2週間。やはり、ダメだったのかしらね。」


 今のところ、サン・ジェルマンが過去にさかのぼったにもかかわらず、現代に何も変化がない。

 ということは、千弦が勝ったということだ。


 そして、千弦が何らかの手段で現代に帰還することができるなら、過去にさかのぼったその瞬間、すなわち、9月7日の夜、または8日の朝には帰還しようとするはずだ。


 つまりは、刺し違えたか、生き延びたが力尽きたか、あるいはあの時代で天寿を全うしたのか。


 新しい朝日が昇るたびに、千弦の笑顔が遠くなる。

 ・・・そして、美琴や弦弥、あるいは健治郎殿に真実を伝えにくくなる。


「そろそろ伝えるべきか、それとも墓の下まで持って行くべきか。・・・私は何をやっているのかしらね。」


 小さな嘘をつくと、それを隠すために次々に嘘をつかなくてはならなくなり、いつしか雪だるまのように嘘が膨らんでいく。


 長い人生の中で何度も嘘はついたが、これほど悲しく、つきたくない嘘はあっただろうか。


 また私は今日も一人、眠ることなくベッドの上に座り続けた。


 ◇  ◇  ◇


 南雲 千弦


 紀元前4965年(現代から6990年前) 初秋

 黒海沿岸(現オデーサ近辺)


 二回目のコールドスリープから目を覚まし、モンドの家にお邪魔する。


 さあ、今日も朝から張り切っていこう!

 そう意気込み、モンドの奥さん、キクジさんが作ってくれた朝食を食べる。


「う~ん。さすがはキクジさん。パンの焼き方が絶妙だね。まさかあんな石窯でこんなにおいしく焼けるなんて思わなかったよ。


「・・・石窯以外ですと直接火にかけるくらいしか思いつきませんが・・・?」


 おおっと。

 オーブントースターと比べちゃいけないか。

 でも、現代と違って肌寒いから、暖かい食事は本当にありがたい。


 でも・・・パンに、サラダに、ジャムに、スープに、紅茶・・・あ、いや、紅茶は栽培したハーブを使ったなんちゃって紅茶だから違うけど、柑橘の汁と私が合成したショ糖を使った贅沢な朝食だ。


 町は順調に発展している。

 国家として必要な国土、国民、主権はほぼ整い始めた。

 立法機関も行政機関も、司法機関も完成している。


 聞けば、物々交換だけど市場も完成したらしいし。


「チヅラ様。今週のご予定は?」


「あ~。うん。まずは港のほうに行ってサンプルの船を一隻作るのと、元素精霊魔法で使えそうな鉱脈探しかな。」


 まあ、忙しいことこの上ない。

 どこかの誰かみたいに「退屈じゃ退屈じゃと、退屈まぎれに(まか)()せばこの始末。」なんて言っている暇はない。


 諸羽流(もろはりゅう)正眼崩し( せいがんくずし)も使えないしさ。


 ・・・どうやら旗本退屈男のネタは通じなさそうなので、キクジが用意してくれたシルクのローブに麻の外套を着こみ、フライングオールに(またが)り町に出る。


 すこし高くなり始めた朝日を背に、町の人間はせっせと働いていたよ。


 ・・・・・・。


 土系列の魔法で作っておいた港に到着し、ラジエルの偽書の知識を使って大型の船舶の設計図を引く。


 続けて、あらかじめ準備しておいてもらった木材を魔術で乾燥させ、圧縮し、強度を上げたうえで立体造形術式を使って木材を切削加工していく。


「はい、これで大体の部品はそろったね。あとはその図面通りに組み立てればできるはずだから。・・・組み立て順を間違えないようにね。」


 まあ、全長が25mの帆船なんて、この時代にはないだろうしな。

 あ、さすがに帆だけは本人たちに作らせたよ。


 あとは釘、それから滑車や留め具、そして工具か。

 歓声を上げる住民をよそに石材所に行き、元素精霊魔法でモンドとその部下の人たちが集めてきた鉱石から金属を抽出、精錬していく。


 私が鉱石を握ると、彼らにはただの土や石ころに見えるものから、銀色の滴がドロリと流れ出る。


 鉄、マンガン、コバルト、錫、銅、銀、鉛、亜鉛・・・そしてアルミニウム。

 いやはや、電気精錬なしでアルミが作れるとは。


 最初は手に入れるのに苦労したチタンまでもが山のように。

 うひゃひゃ!ニオブにモリブデン、クロムにニッケル、タングステンにトリウムまで!


 しかも、川底の重い砂を大量に持ってこさせたら砂金がザル一杯出たし。

 あはは!プラチナにルテニウム、パラジウムだって!?

 希少なロジウム、オスミウム、イリジウムまであるよ!


 やっぱり比重選鉱を教えたのはやはり正解だったようだ。


「ああ、そういえばこれ、遥香が誘拐されたときに仄香(ほのか)が私の身体でやってたのと同じだっけな。」


 ふと、1年近く前の・・・いや、7000年近く未来のことを思い出す。


 あの廃工場で、アイツ等が遥香の左腕を乱雑に巻いて止血していた針金を溶かした魔法が、いま私の手で再現されているのは、なんともくすぐったいものだ。


 気を取り直し、それらの金属を精錬し、合金にし、そして立体造形術式で鍛造して工具の形にする。


「うおおお!チヅラ様が手ずからお創りになったノコギリは俺のものだ!」


「俺はカンナを授けられたぞ!」


「俺はノミとゲンノウを!ありがたやありがたや!」


 バカみたいなテンションで仕事にかかる連中は置いとくとして、次は黒海沿岸の探索をしなければ。

 塩は一体どこにあるんだか。


 まあ、帰りは長距離跳躍魔法(ル〇ラ)が使えるから、片道で済むんだけどさ。


 ・・・・・・。


 ついつい遠出をしてしまった。

 気付けば、太陽が西に傾き始めている。


 南南西に向かい、およそ700km。

 おそらくはブルガリアを超え、トルコ=ギリシャの国境を超えたころだろうか。

 やっと色の違う海・・・らしきものが見えた。


「まさか、移動だけで7時間もかかるとは思わなかったわ。っていうか、フライングオールの速度、遅すぎなんだよなぁ・・・。」


 仄香(ほのか)が修学旅行時に作った魔法の箒(マジックブルーム)に比べると、はっきり言って話にならない。


 おそらくは第一次世界大戦時の複葉機並みの性能しかないだろうな。

 火力と射程だけはB29どころかB52でも一撃で撃墜できるけどさ。

 仕方がない。

 寝る前に少し改造するか。


 海岸線に着陸し、波打ち際で息を吸い込むと、懐かしの潮の匂いで胸がいっぱいになる。


「エーゲ海だぁ~!・・・はぁ・・・まあ、塩でも集めるか。」


 一緒に騒ぐ友人もなく、波打ち際の見えるところ以外は獣がいるか、はたまた石斧を持った原始人が息をひそめているか。


 実際、私を助けてくれた村以外では私が女だと見るや否や誘拐して強姦しようとした連中すらいるし。

 はっきり言って感傷に浸る理由もスキもない。


 空に赤みが差し始めたころには長距離跳躍魔法(ル〇ラ)の移動限界ぎりぎりの量の塩が生成できたので、モンドからもらった麻袋に詰めて一人、寂しく詠唱する。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」


 空に飛びあがった瞬間、ポタリ、と顔に当たった水滴が流れ、口に入る。


「雨かな。・・・そう、雨だね。」


 妙にしょっぱいその水滴を舌の上で転がしながら、私は自分の震える声を押し殺した。


 ◇  ◇  ◇


 住民たちにいろいろ教えるためにかなりの時間が過ぎていく。


 現代知識や科学に触れた原始人たちは、もはや原始人などとは言えず、世界の理に目覚めたかのように貪欲に、そしてスポンジが水を吸い込むかの如く、知識を蓄え、あるいは自ら生み出していく。


 吸い込む水が汚水でないと良いのだけど。


 この時代に来てから、主観視点でおよそ一か月が経過してしまった。

 客観視点では20年以上経過している。


 ・・・実際のところ、ただ未来に帰還するだけなら、こんなことをする必要はない。


 あれから、自分の装備や能力について何度も棚卸をし、その上で何度も方針の修正を繰り返し、かろうじていくつかの作戦を立てることができた。


 まず、何としても現代に帰還する。


 そのために、コールドスリープを行うための停止空間魔法を施した聖棺(アーク)もどきを作成し、それを安置するためのピラミッドを作った。

 私の計算が正しければ、最大でも7か月、最低だと3か月で帰還できるはずだ。


 次に、(おさむ)君の人格情報を保護する。


 そのために例の血継術式を用い、現代、それも(おさむ)君の人格を消去させられるその瞬間まで、彼の人格情報のバックアップを取り続ける方法を編み出した。


 具体的に言うならば、私はこの時代の人間を可能な限り、かき集める。

 そして、高速情報共有魔法のどさくさでその全員に血継術式を使い、「(おさむ)君の人格情報のバックアップをとる」という術式を打ち込んでいく。


 7000年の間に、私が血継術式を打ち込んだ人間の子孫は増え続け、あの忌まわしい瞬間、(おさむ)君の魂が殺された瞬間の、できる限りの直近で彼の人格情報のバックアップを彼に触れた誰かが保存し、クラウドのように共有し、更新し続ける。


 そうすれば、私が現代に帰還したときに血継術式がかけられた人間を探せば、きっと誰かが彼の人格情報のバックアップを持っているに違いない。


 ・・・恐ろしく不確実な方法だが、これ以外に私ができる方法はない。

 だから、とにかく人間を集める必要があるのだ。 


 いつしか人が集まり、大きな町を構成し、そして食糧事情を維持するために近隣の村と貿易のようなものを始めるようになった。


 結果、私はいつしか「チヅラ様」と呼ばれるようになった。

 ・・・チヅルと言う発音は難しいのか?


「お~い!チヅラ様!今日は何を教えるんだ?みんな教室で待ってるぜ!」


「ええ、今行くわ。今日は・・・金属器の製造についてよ。」


 いよいよ、金属の精錬・・・鉱石からの抽出と還元、そして精錬と合金についての技術を伝える。


 これにより、爆発的な文明の進歩が起こるだろう。

 そして、この町にさらなる人間が住み着くようになるだろう。


 あとは、何を作ろうか。


 そうそう、初等教育から専門教育までのすべての教育機関を作らなくてはならない。

 それから、もっと優秀な官僚機構。

 あとは、精錬を開始した金属を利用した貨幣と、通貨経済か。


 ・・・はあ。

 いっそのこと、蒸気機関でも作ってやろうかしら。

 発電所でも作って、もう一度、みんなの度肝でも抜いてやろうかしら。


 老若男女問わず、多くの人間がひしめく公会堂ほどの大きさの教室に、私はゆっくりと歩いて行った。


 ◇  ◇  ◇


 少し時を遡る。


 サン・ジェルマン(in 原始人の少年)


 ガリンスタン合金製のボディを維持する魔力を節約するため、ドニエプル川中流に面した小さな村にいた少年の身体に魔石を挿し込んだが・・・。


 やはり、魔力が回復しない。

 通常であれば、この世界には魔力が満ち溢れており、極端な話、河の水を口にしただけでも魔力が多少は回復するはずなのだが・・・。


 確認のために魚や獣を口にしたが、やはり回復しない。

 ならば、死骸ではなく生きたまま喰らえば違うかと試してみたが、やはり結果は同じだった。


「坊や。そろそろ帰るわよ。・・・またそんなに散らかして。この子ったら変なものばかり食べて。」


 この身体の母親と思われる女が心配そうに俺の顔を覗き込む。

 俺の足元には、バラした魚や小動物が散乱している。

 ・・・もしかしたら、生きた人間ならば、あるいは?


 だが、物事には順番がある。

 この女は、俺に食料を運んでくれている。

 ならば、喰うのは最後でいいだろう。


 確か、村にはこの身体より小さなガキが3人いたはずだ。

 ・・・よし、戻り次第、メスガキから順に喰っていくか。


 くそ。

 こんなことなら、ナギル・チヅラを探して南に走るんじゃなかった。

 

 延々と探し続け、ガリンスタン合金のボディを維持するために余計に魔力を使うハメになった。

 もはや、人間の身体で攻撃魔法を使うのが精いっぱいだ。


 俺がまだ最初の身体を使っていたころ、鉄壁の防御を誇ったナギル・チヅラの町。

 かつて、現代のへルソンあたりに栄えた世界最強の要塞都市は、その影すらなかった。


 まさか、時代を間違えたか?

 そういえば、俺が子供のころからあったアオガネ(青銅器)を一度も見ていない。

 それに、この村の連中は農耕すらしていない。


「まさか、遡りすぎた・・・のか?」


 幸い、俺は胸の魔石を砕かれない限り、死ぬことはない。

 いや、それどころか、この魔石が欠けたことはいまだかつてない。

 ならば、この世界が魔力で満ちるまで待てば良いだけのことだ。

 だというのに、漠然とした不安がこの胸を満たしていく。


「・・・南雲、千弦・・・いや、琴音か?この時代に流れ着いたのがどちらかは知らんが、奴ならまだ魔力を持っているはず。殺して喰らうか・・・いや、犯して孕ませてから、そのガキもろとも・・・。」


 俺の方から奴を探すすべはない。

 だが、奴がもし、まだ大量の魔力を有しているのであれば・・・。


「・・・よし。やつを殺してその魔力を取り込むことにするか。」


 ならば極限まで魔力の出力を絞り、この身体が大人になるのを待つとしよう。

 そのためならば、このつまらない村で人間のふりをするのも苦にならない。

 だが、村のメスガキは戻り次第、食ってみようか。


 俺の手を引きながら村に戻る女の顔を見上げて、何百年ぶりかに足の裏に感じる土の柔らかさを楽しむことにした。



実際の黒海洪水説についてはWikipediaなどでお調べいただけばわかると思いますが、コロンビア大学の地質学者、ウィリアム・ライアンとウォルター・ピットマンの研究によると紀元前5600年頃のことだと言われています。

本作では金属器の出現やその後の文明との整合性を保つため、1000年ほど時代をずらしました。

フィクションって、本当に気が楽ですね。

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