273 たった一人の文明人/未来への方舟
サン・ジェルマン/ガリンスタンゴーレムボディ
????年 冬の初め
太陽が中天から傾き始めたころ
なんという・・・ことか。
時間遡行先を指定したのは俺自身だ。
だから、そのことについては何ということはない。
だが・・・まさか、空気中に、いや、世界そのものに魔力が存在しないだと!?
あのメスガキに吹き飛ばされたボディをかき集め、何とか猫か小型犬サイズまで戻したが・・・。
ガリンスタン合金製の身体を動かすには、どうしても魔力を消費する。
だが、大気中から魔力を回収することも、そこらの小動物を捕らえて魔力を回収することも、どちらもできない!
このままでは肉体が維持できない!
誰でもいい!
人間の身体に潜り込まなくては!
もはや擬態に使う魔力すら惜しい。
俺は構わず鈍色の身体のまま、川岸を南に走り始める。
古い記憶を呼び覚まし、ここがドニエプル川・・・神なる河の川岸であることを思い出す。
・・・そうだ。
確か、川下にはあの忌々しい町があったはず。
あれほどの町だ。
100年やそこらではできるはずがない。
必ずこの川下にあるに決まっている。
この時期はどこかに黒髪の女がいる可能性があるが、この身体ならいかなる鉄壁の町でも侵入できるに違いない。
それに、黒髪の女がどれほどの化け物であろうとも、木の股から生まれた人間はいない。
必ず近親者が、場合によっては父親か男兄弟、あるいは息子がいるかもしれない。
・・・よし。
まずは黒髪の女の親族の男を探すか。
そして、その身体に魔石を挿し込み、完全に憑依したうえで黒髪の女の背中から刺しぬいてやろうではないか。
ふ、ふふふ・・・。
父か夫か、はたまた息子か。
信用する者に裏切られて絶望して死ぬ顔を見てやろうではないか。
行動の指針が決まったことで、俺は走る速度を上げ、一路、忌まわしきナギル・チヅラに向かい夜の河原を走り続けた。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
同時刻
あの後、私を助けてくれた親子に何とかお礼を言おうと身振り手振りで意思疎通を図ろうと努力したが、言語の形態が完全に異なることや、共通した文化基盤がないことからとんでもなく手間取っている。
頭を抱えながらポシェットを漁ると、誕生日に仄香からもらったシューティングラス型ヘッドマウントディスプレイが出てきたのだが、なぜか魔女のライブラリには一切つながらなかった。
仄香に何かあったのだろうかと心配になったが、どういうわけか念話のイヤーカフにも反応がない。
というより、そもそもイヤーカフの術式が完全に停止してしまっているのだ。
というかスマホは電波が一切つながらないし、GPSで現在位置を調べることさえできない。
仄香への連絡方法や現在位置の確認についてはとりあえず棚上げとし、フライングオールのコンテナを開ける。
緩衝材に包まれたケースを開けると、ありがたいことにラジエルの偽書が作動状態で収まっていた。
・・・ふふん。
こんなこともあろうかと、魔女のライブラリのデータはラジエルの偽書にコピーしておいたんだよね。
ま、まあ、コピーに半日もかかるとは思わなかったけどさ。
ってか、ラジエルの偽書って、データ転送速度は驚異の1.3Pbpsだよ?
1PBのデータのコピーに、7秒弱しかかからないはずなんだよ!?
それが、半日って・・・!
魔女のライブラリの容量って、どんだけなのよ・・・。
とんでもないデータ量に顔を引きつらせながらも、ラジエルの偽書を起動してヘッドマウントディスプレイに同期させる。
「あ、あったあった。言語ライブラリ。ええと、自動翻訳は・・・おおぅ、出来た出来た。とはいえ、字幕が出るだけか。まあ、何を言ってるのか分かるだけでも御の字だよね。」
改めて私を助けてくれた親子に向き直る。
原始人っぽい恰好をして髪を伸ばしているから気付かなかったが、この子はどうやら男の子のようだ。
「あなた、大丈夫?どこか悪いんじゃない?それに、変な恰好・・・言葉も通じないみたいだし、どこから来たのかしら・・・。」
「ねえ、お母さん!もしかしてお腹、すかせてるんじゃない?村まで連れてこうよ。採ったばかりのキノコがあったよね?」
あ、いや、お腹がすいているわけでは・・・。
そう思ったとき、「ぐぅ~~」と情けない音が私の腹から響き渡る。
やっぱりそうだ、という自慢げな顔をした子供を前に、私は思わず恥ずかしくなって、慌ててコンテナボックスを開く。
確か非常食が数回分、入っていたはず。
あ、あった。
チョコレート味のエナジーバー。
まあ、非常事態だ、味に贅沢なんて言ってられない。
二人の前で身振り手振りを繰り返しながらエナジーバーの包みを開け、一口かじる。
「うわ!なにそれ!すごい面白い匂い!それって食べ物なの!?石ころか木の枝みたいなのに!」
・・・チョコレートの匂いを知らない?
それに、エナジーバーも?
結構有名なメーカーなんだけど、東側諸国では似たようなものはないのかな、なんて思いつつ、コンテナから二本取り出し、包みを開いて二人に差し出す。
「え!くれるの!?ねえ、お母さん!食べていい?」
「ええ、この人も食べてるみたいだし、食べられないものではないみたいね。・・・あら?私にもくれるの?」
そりゃあね。
子供だけ食べてて母親の分がないとなれば、ちょっと寂しい気もするしさ。
「うわ!おいしい!甘い!ハチミツよりも甘いものがあるなんて!」
「本当だわ!こんなにあまいものがこの世にあるなんて!」
騒ぎすぎだってば。
それに、このエナジーバー、甘さが足りなくて絶版になった商品だっていうのに。
二人の言動に若干の違和感を覚えながら、乾いた服を着て装備を整える。
さて・・・エナジーバー一本でどの程度魔力が回復するかな、なんて思いつつ。
自分の身体に残った魔力を確認しようとしたとき、ありえないことに気付いてしまった。
・・・魔力検知能力が・・・失われた?
周囲の、魔力が・・・一切感じられない?
そんな馬鹿な。
強く頭を打った?
それとも、何か呪いでもかけられた?
いや、ちょっと待て。
目の前にあるコンテナの魔力は詳細に感じられる。
それに、いまだに魔力を発信している、サン・ジェルマンのガリンスタン合金ボディの信号も分かる。
あっちの方角・・・たぶん北の方に、大体250km。
うん、遠いな。
じゃあ、なぜ?
・・・まさか!?
空気中に、一切の魔力がない。
風にも、土にも、そして目の前の親子にも。
生きとし生けるもの、すべてが放つ魔力の波動がない!?
「ここは・・・本当にこの世なの・・・?」
愕然とし、思わず立ち上がる。
「わーい!『コノヨナノ』!」
つぶやいた言葉が珍しかったのか、その親子は私の言葉を真似して繰り返していた。
私からの言葉は通じないが、何とか意思疎通ができるようになり、彼らの村に案内してもらえることになった。
母親によれば、私が倒れていたところはとてつもなく大きな水たまりの近くらしい。
・・・水たまり?
湖ではなくて?
彼らの言語に湖という言葉がないのか、それともそれほど大きくないのか。
不思議に思いながらも彼らの後に続き、30分くらいの道のりを進む。
すると、見晴らしの良い小高い丘の上に、妙にこじんまりとした村が・・・。
「えええぇぇ!?何、これ!竪穴式住居!?な、なんで!?ちょ、ちょっと待って!今、西暦何年!?いや、まさか、アトラクションか何かだよね!?」
思わず叫び声をあげてしまうが、男の子はキャッキャと笑い、母親のほうもニコニコとほほ笑むばかりだ。
・・・そういえば、一度も舗装された道を見ていない。
電柱もないし、車もない。
排ガスのニオイどころか、文明の音が一切聞こえない。
「まさか・・・そんな・・・。」
恐る恐る、ラジエルの偽書を開く。
何度も間違いながら、タッチパネルを入力する。
「い、今は、何年?ここは・・・どこ?」
お願いだ。
遡ったのは最大でも数か月、いや、数年で、場所は、地球であってくれ。
・・・何かを検索している間が、恐ろしく長い。
そして、長い沈黙の末、画面に表示されたのは・・・。
紀元前・・・4975年、11月3日。
現在地時刻、13時45分。
現在位置・・・北緯、46.4785。経度・・・不明。
他、一切情報なし。
・・・あまりにも残酷な・・・。
数字だった。
◇ ◇ ◇
「助けて、ドラ〇もん。」
・・・いけない。
あまりにも絶望的な数字に一瞬だけ知能が下がっていた。
いや、どうすんのよこれ?
知能とか関係ないよね!?
え?マジで?7000年前?
絶対に帰れないじゃん!
まさか、ドクタース〇ーンみたいに一人で文明を作れっての!?
いやいや、元素精霊魔法を使えば石化回復液なんて、そこら辺の水と空気と枯れ木から何億トンでもジャブジャブ作れるけどさ!
石像になってる21世紀人なんて一人もいないのよ!
それともあれか!?
ス〇ーンワールドでタイムマシンを作れってか!?
せいぜい月行きのロケットくらいしか作れないよ!
・・・なんて小一時間、悶えまくった挙句。
初日は何もしないうちに、終わってしまった。
・・・真夜中。
藁を敷き詰めただけの寝床でモゾモゾと動き回る。
不思議と虫がいないのは、藁から香るこの匂いが理由か?
強い香りの木の煙で燻したような匂いがする。
真っ暗な寝床の中、スマホの明かりだけでもう一度装備を確認する。
・・・コンテナの中は、すべて無事。
腰につけていたポシェットの中身も。
まずはラジエルの偽書。
そして装備中の半自動詠唱機構や魔力貯蔵装置、抗魔力増幅機構。
高圧縮魔力結晶。
愛用のSteyr l9a2と、予備マガジンが5本。替えのCO2ボンベが2ダース。
それと、人工魔石弾が500発。
PDWと、予備マガジンが3本。術弾はすべて装填済み。
MASADA ACRと予備マガジンが6本。同じく装填済み。
PDWと、MASADA ACR共通の予備バッテリーは2本。
・・・たぶん、満充電。
それから、術式榴弾は、19本。
閃光焼夷術式4本、炸裂術式4本、衝撃術式4本。
術式封入前のものが、3本。
術式振動ブレードと、多目的ナイフ、各種工具。
術札作成用の付箋紙とメモ用紙、筆記用具。
・・・そして、あの日のための一式。
最後に、理君からもらったグレネードランチャーと、術式榴弾3発。
そして、蒔絵螺鈿細工のバレッタ。
まあスマホやらメイク道具、琴音の作ったネイルチップとか、その他雑貨は持ってるけど、出番はあまりないと思うからいいでしょう。
それに、これだけの装備があれば、しばらくは大丈夫。
そう、自分に言い聞かせて藁の中に頭を突っ込んだ。
なぜか、涙が出る。
もう、あの世界に戻れないのか。
琴音と、理君がいて。
母さんと父さん。
遥香や咲間さん
師匠がいて、宗一郎伯父さんがいて、エルがいる。
クラスのみんなは私にあまり話しかけないけれど、時岡君や近衛君、西園寺さんが私をサバゲに誘う。
そんな、当たり前だけど、もしかしたら、二度と手に入らないかもしれない日常。
退屈だったけど、必死になって守り続けた日常。
朝起きたらご飯があって、琴音と二人、仲良く登校する。
そして、教室の前で別れて、そのあと、理君と隣の席に座る。
授業は退屈で、でも近くに彼がいて、家に帰れば自分の半身が隣の部屋にいる。
遠い・・・当たり前に享受していた現実があまりにも遠い。
70年なら、おばあちゃんになっても、もしかしたらその光景を横から見ることができる。
でも、7000年なら、そんなこともあり得ない。
死んだとか、あの世で待っててくれるとか、そんなこともなくて、ただ純粋に、「存在しない」。
「う・・・う、うぇぇぇん・・・うぐ、ぐ・・・。琴音。仄香。母さん。父さん。遥香。咲間さん・・・理君・・・うっ、うっ・・・。ひくっ・・・ぐすっ・・・。」
声を押し殺し、泣き声を押さえる。
怖い、怖い!怖い!
もう、二度と誰にも会えない。
私のことを知っている、私を思ってくれる、私の大事な、そのすべての人が、私の・・・。
世界が、私の世界が、もうない!
・・・あきらめてたまるか。
私は、魔術師だ。
仄香の血を引く魔術師だ。
声を押し殺し、必死になって自分に言い聞かせる。
それでも涙は止まらない。
なんでもいいから、気の散るものを!
でも、私の感情は、留まることを知らない。
いつしか泣き疲れ、すべてが消えていき、孤独になる悪夢を見ながら眠りに落ちる。
・・・翌朝、お腹が痛くなって、トイレを探す羽目になるまでは。
◇ ◇ ◇
トイレットペーパーがないのは水魔法で無理やりウォシュレットを再現することで解決した。
便器はそこら辺の石材を変形させて洋式を再現した。
・・・水洗じゃないのがものすごくツラい。
でも、そんな不便が私の心を癒す。
「おはよー、姉ちゃん。なあなあ、姉ちゃんて神様か何かなんだろう?昨日の夜は手に光を持ってたし、何もない所から水を出したりさ!あ!それともその棒がすごいのか!?」
・・・棒?
ああ、さっきからふよふよと私の後ろをついてくるフライングオールの事か。
今朝は朝早くから原子振動崩壊術式の射出口を修理してたからな。
触りっぱなしだったっけ。
「あ~。何と答えたらいいのか。私の言葉は通じないんだよなぁ・・・。」
返答に困っていると、村の中心辺りから女性の声が聞こえる。
「魚が焼けたわよ!黒髪の女の子にも声をかけてあげて!」
・・・そういえば黒髪の人が一人もいないな?
私のアイデンティティは髪が黒いことだけか?
そんな疑問を抱いていると、なぜか手を引いてくれる男の子が、キラキラした目で焚火に向かって私を引っ張っていく。
焼き魚はきっとごちそうなんだろうな。
まあ、師匠との訓練で川魚と野草を鍋に放り込んで食ったこともあるし、後で解毒術式をかけておけばいいか。
「わーい!ごちそうだ!今日は何かあったの!?」
「ええ!男たちが獲物をとってきたの!でも、まだ川で血抜きの途中だから、食べられなくて。代わりに魚が集まってきたからね。」
荒く編んだゴザのようなものに腰を下ろし、葉の上に乗せられた魚に男の子がかぶりつく。
私も勧められるままに焼いただけの魚を口に運ぶが・・・。
う・・・おぇ・・・。
く、臭い・・・。
というか、味が・・・。
塩も、何も使わずに焼いただけだと、こんな味になるのね。
こりゃ、食糧事情から改善が必要だわ。
◇ ◇ ◇
・・・あれから、約1週間が経過した。
毎晩、琴音や理君、家族や咲間さん《サクまん》、仄香に二度と会えない悪夢を見続ける。
いや、起きてからも続いている。
誰も、助けてくれない。
自分で解決しなきゃならない。
何度も死のうと思ったけど、仄香の術式がそれを許してくれない。
気を取り直して川の水で顔を洗うけど。
・・・結論から言うと、塩はなかったよ。
フライングオールでかなりの距離を移動したけど、海がない。
っていうか、大体の現在位置は判明したんだけど、黒海って・・・淡水だっけ?
だからやむなく、村人がとってきた獲物の血液を元素精霊魔法で分解して塩分を取り出し、食塩として再構築しているんだけど・・・。
それと、村人と意思の疎通を図る方法は意外と簡単だった。
何のことはない、仄香が使った魔法の中に、答えがあったんだよ。
「地の王の孫にして天の記録者よ。草木を編みて知恵を綴るナブーよ。我が魂の言の葉を、汝が石板に刻みて我が友のもとへ運び給え。歪まず、隠さず、偽らず。我が声を一葉の歌となせ・・・。よし、これで最後。」
二十数人の村人のうち、最後の男性に魔法をかけ終わる。
「あー、あー。・・・これが日本語というやつか。それに・・・不思議な気分だ。空と大地のことがこれほどまで鮮明に理解できるとは。」
・・・そう、高速情報共有魔法で無理やり日本語を教えてしまえばよかったのだ。
というか、妙に魔法の効きが悪いな?
本当なら今までの食生活に絶望したり、衛生環境に吐き気を催したりしそうなものなんだけど・・・?
「ねえ、これ、何か分かる?」
私はそう言ってスマホを取り出して見せる。
「ん?・・・スマホとか言う板だろう?何に使うかは知らないが。」
やっぱりだ。
日常の常識についてかなりの部分が共有化されていない。
というか、昨日までにいくつか検証してみたんだけど、概念精霊魔法や術理魔法は問題なく作動したんだけど、神聖魔法や黒魔法の類いが極端に効率が悪かったり、中には発動すらしないものがある。
・・・なぜだ?
まさか、まだ神格や悪魔そのものがいないのか?
とにかく、高圧縮魔力結晶があるうちはいいけど、食事から魔力の回復ができない以上、無駄づかいができない。
今後は魔力ではなく科学に頼るべきなのか。
・・・はあ。
ラジエルの偽書を使うだけでも相当な魔力を要求されるというのに。
「あ、そうだ。ねえ、黒海・・・例の、とてつもなくでかい水たまりについてなんだけど・・・なんで淡水なのか分かる?」
「ん?日本語で言うところの『海』と言うやつだな?いや、『湖』に近いのか?・・・塩辛い水があるという話は、俺がかなり若い頃に爺さんから聞いたことがあるが・・・かなり南の方だと思うぞ?そう、満月の夜に出発して、次の満月とまた次の満月を見る頃には・・・そう、『二か月』と言うのか?それくらいかかるぞ?」
・・・うげ、60日前後か。
そうすると、一日当たりの歩行平均速度を10~20kmとして、600~1200km?
ここが黒海西岸の・・・オデーサ辺りだとすると・・・。
「ボスポラス海峡を越えちゃってるじゃない。・・・まさか、地中海まで行かないと塩って手に入らないの?最悪・・・。」
気軽に使える塩素とナトリウムがないとなると、出来ることがかなり減ってしまう。
というか、早くしないとお婆ちゃんになってしまう!
「なんなら、村の船を貸してやろうか?今なら黒髪のお嬢ちゃんからもらった知識でもっといい船も作れそうだしさ。」
「まあ、そのうちね。それより、ちょっと相談があるんだけど。村の力自慢を四人ほど貸してほしいんだ。お願いできない?」
「ああ。お安い御用だ。何よりお嬢ちゃんのおかげで飯がうまくなったからな。それに、また例のもの、よろしく頼むよ!」
「ええ。じゃあ、よろしくね。」
・・・ふ、ふふふ。
元素精霊魔法で炭素と水素と酸素からショ糖を作り、立体造形術式でわたあめを作ったからね。
この時代の人間にとっては麻薬並みの効果を発揮するってものよ!
なんたって糖分そのものだからね!
ほら、言うじゃん?
「旨いものは、糖と脂肪でできている」ってね。
おおっと。
余計なことを考えてないで、大事なものを作らなくては。
・・・そして、私は、何とか正気を保つことが・・・できているのだろうか。
◇ ◇ ◇
時間遡行から2週間目の朝
「うふふふふ!・・・できた!できたよ!人間やればできる!そう!やればできるのよ!」
徹夜明けでハイテンションになっている私の目の前には、明らかにこの時代にあってはならないものが鎮座している。
・・・チタン合金製の本体に、金メッキを施した怪しげな・・・棺。
それを神輿のように担ぐことができる4本の棒。
棺は二重構造になっていて、みっしりと刻まれた術式や数式。
そして、人工魔石弾を流用した、魔力供給システム。
「この棺を開けた人間に対しては、問答無用で原子振動崩壊術式が炸裂する!しかも、二重構造で外側の蓋を開けても中は見えないし、蓋は自動的に復帰する!ロボットを使って開けられても大丈夫!しっかりロボットを破壊した上で、操縦者を特定して攻撃する!・・・まるで聖棺のようだわ!」
・・・ま、まあ、間違って開けた人には申し訳ないけど・・・。
「ええと、パスワードの設定をしなきゃ。う~ん・・・どうしようかしら。面倒だから小波コマンドでいいや。あ、忘れないように蓋にも書いておこう。・・・『小波コマンドで開きます』・・・よし。」
私が慌ててこんなものを作った理由は、現代に帰還する方法が分かったからだ。
と言うより、ラジエルの偽書に聞いてみただけなんだけど。
とにかく、私にとってはたった一本の蜘蛛の糸だ。
これを守るためなら、世界の全てを敵に回す覚悟だってある。
ってか、考えてみたら簡単だったんだよ。
時間の流れは、過去から現在、そして未来に向かって流れるもので、逆に進むためには時間遡行術式レベルのエネルギーが必要だけど、未来に行くのは至極簡単だ。
ぶっちゃけ、こうして余計なことを考えている間も、未来に進み続けている。
問題なのは私の寿命が尽きるということだけで、それさえ何とかすれば簡単に未来に帰還できるのよね。
「おーい。黒髪のねえちゃん!これはここに置いておけばいいか?・・・なんだこりゃ?ぴかぴかで目に痛いな?また、妙なものを・・・。」
いつもは役に立ちそうな鉱石をかき集めてくれているおっちゃん・・・額に傷があるから早乙女主水之介、略してモンドと呼んでいるが・・・彼に、胸を張って説明する。
「これは私の寝床よ!この寝床で寝ると、いつまでも若くいられるのよ!」
「・・・うへぇ・・・。こりゃ寝心地が悪そうだ。せっかくベッドを作ったんだからそっちで寝ろよ。未来人は理解に苦しむな。」
そう、すでに彼らには私が未来から来たことを話してしまってある。
・・・そうしないと色々説明が難しいからね。
いや、自分の境遇を理解してくれる人間が欲しかったというのもあるんだけど。
で、この聖棺モドキの説明の続きだ。
これは、仄香の停止空間魔法を応用したもので、肉体に流れる時間を完全に停止し、ひと眠りで数百年~数千年を飛び越えることができるというシロモノなのだ!
さらに、術式を組むときにちょっと工夫をして、「幽体の状態なら、短時間であれば棺の外で活動できる」と言うスペシャルな機能を盛り込んである。
当然、その幽体は電磁熱光学迷彩術式を逆用して「自分の姿を他人に見せる」と言う機能付きだ!
・・・さて。
後は・・・どうしようか。
一番の問題が解決してしまった。
あ、いや、解決、っていうか、たぶん解決、ってレベルなんだけどさ。
「とにかく、そのでっかい棺桶を例の場所に運べばいいんだよな。任せておけ!ほら!お前ら!持ち上げるぞ!」
「おおっす!・・・ありゃ!?か、かるい!?」
モンドが連れてきた男たちが聖棺モドキを持ち上げようとして驚いてる。
・・・まあ、チタンの無垢材じゃなくてハニカム構造だし、中身はカラだからね。
「そういえば例の場所って・・・よくあんなもん作れたな。未来人って・・・神様かよ。」
「またそれ?高速情報共有魔法で理解できたでしょう?それに、あなた達でもすぐに作れるようになるわよ、」
男たちは、軽い足取りで村の北にある岩山に向かう。
岩山、と言うか・・・もろピラミッドだけどさ。
地上にほんのちょっと見える部分は頂上部分で、二階建ての・・・西東京の自宅と同じくらいの大きさだ。
本体はその下・・・地下140mまである、高さ約146m、底辺の一辺約230mの巨大ピラミッドなのだ!
・・・いや、まさか、元素精霊魔法で作ったゴーレムがあんなに優秀だとは思わなかったんだよ。
だって、「ピラミッドを作って。でも、目立つのは嫌だからほとんどが地下で。あ、中は快適にしてエレベーターをつけてね?」って言ったら・・・本当に作っちゃうんだもの!?
ま、まあ、いい。
計画が順調以上なのは良いことだ。
私は、このピラミッドで現代に帰る。
帰るったら帰るのだ!
もし、本当に帰ることができるなら、悪魔に魂を要求されても「え、そんなにお安いの!?」と歓声を上げるだろう。
さて、それから・・・次は・・・理君の人格情報のバックアップをどうとるか。
狙った瞬間に目を覚ますか、それともだれでもできる仕掛けを作っておくか・・・。
寝過ごしたらどうしよう?
だからと言って人任せは嫌だなあ。
なんて思いつつ。
あまりにも感情がいっぱいいっぱいで、何か大事なことを忘れているような、不思議な感覚に首をかしげていたよ。
◇ ◇ ◇
村人たちに一通りのことを教え、町を作るように依頼し、一回目の停止空間魔法を行使した。
聖棺モドキの蓋が内側から開き、まるで星間飛行を行った宇宙船の乗組員のように体を起こす。
・・・ラジエルの偽書を起動。
仄香からもらったヘッドマウントディスプレイに年月日を表示する。
紀元前・・・4970年、6月18日。
現在地時刻、7時45分。
現在位置・・・北緯、46.528。経度・・・不明。
ピラミッド・コールドスリープルーム内。
外気温16℃。
天気 晴れ。
・・・よし。
およそ5年、寝ることに成功した。
いや、停滞空間魔法の発動と解除で体感時間は3分も経ってないんだけどさ。
これでみんなに会える。
あの日常に、帰還できるかもしれない。
あ、何があるか分からないし、私と同じように停止空間魔法をかけておいたフライングオールとコンテナも解除しなくちゃね。
「う~ん、まあ、この分なら人工魔石も余裕をもって足りそうだ。さて。私が眠っている間に何かあったかな、と。」
村人たちが粘土板で日誌をつけてくれているので、整然と並んだそれを眺めていく。
ふんふん、町の建築はほぼ終わった、か。
それと、人口が・・・おおう、50倍以上になってるよ。
5歳以下の子供の多いこと。
教育機関の設立が急務だね。
それから、残りはほとんどが移民か。
まあ、これは当然か。
コールドスリープルームには普通に人の出入りがあるので、ハンガーにある上着を羽織って外に出ようとしてふと気が付く。
「うわ!これ・・・シルクじゃん!そっか。養蚕に成功したんだ。へへ、やるじゃん!」
そう、聖棺モドキに入る前に近代産業を一通りレクチャーしておいたのだが、彼らは相当頑張っているようだ。
こりゃ、うまくすれば結構面白いことになるかな、と思いつつ。
何とか自分の精神を安定させつつ、私はピラミッドを出ることにした。
◇ ◇ ◇
ひょい、と扉を開け、ピラミッドの外に出ようとした時、粘土板を手にし、中に入ろうとしているモンドと出くわす。
「ああ、もうお目覚めでしたか。予定は今日であることは存じていましたが、時間をおっしゃられなかったので、今からお目覚めに備えようかと思っていたのですが・・・。」
「モンド・・・何そのキモい話し方。どした?お姉さんに言ってみ?」
「・・・あのなあ、お嬢ちゃん。おれはこれでも市長なわけよ。で、お嬢ちゃんは俺達に知恵を授けてくれた恩人なわけ。っていうか、新入りのほとんどはお嬢ちゃんを女神扱いをしてるんだよ。ぞんざいな扱いなんかできるかっつうの。」
あはは。
もう化けの皮がはがれてるし。
「まあ、喋り方については好きにするといいわ。で、どこまでできたの?」
「あー。戸籍に行政機構と徴税機構、上下水道は一応できた。っつか、水の浄水処理がこんなに面倒だとは思わなかったよ。」
ああ、戸籍ね。
名付けが大変だったよ、ネームレスどもめ。
「へえ?とりあえず上水から聞こうか?」
「まず、石、砂、炭、木炭を層にして濾過槽を作るのは簡単だった。次の粘土や砂鉄を使った凝集沈殿もな。」
「ふんふん、それで?」
「木炭を使った炭素吸着も、太陽光を使った殺菌もしたんだよ。それから、各家庭への配管は石管や木製の樋で何とかなったさ。・・・ただなあ・・・。」
「あ~。殺菌が足りなかったか。塩素が手に入らないからなぁ・・・。」
「まあ、住民には直接飲まずに煮沸してから使えとは言ってる。それに、煮沸済みの飲み水は配給してるから、上水の方はいいんだが・・・。」
「問題は下水ね。浄化槽がうまく作れなかったか、下水管や沈殿槽で失敗したか・・・。」
「違うんだよ。下水は、構造上は上水より何とかなってる。そうじゃなくて、汚水を道端に捨てる馬鹿が多くて・・・。せっかく作った下水が意味をなさないんだよ。」
げ・・・そっちか。
それは、住民に意識改革以外に解決方法がないな、と思いつつ、町に出る。
「うわぁぁぁぁ。たった五年でここまで・・・やるじゃん!見直したわ!」
「へいへい。まあ、黒髪のねえちゃんの記憶にある、『共和制ローマ』の街並みくらいまでは行ったか?」
いやいや、大したものだ。
というか、道が石畳で舗装されているし、竪穴式住居はどこにも見当たらない。
町を歩く人々はみな、清潔な装いをしているし、何より悪臭がない。
つまり、口を酸っぱくして言った入浴の習慣が身についているのだ!
よし、じゃあ次は金属の精錬でも始めるか。
この時代って・・・まだ金属器はなかったよな?
あ・・・金属の精錬に成功したら運搬可能な浄水装置でも作ってみるか?
「よしよし、じゃあ、次に寝るまでの1週間、みっちり内政チートを頑張りますか!」
うひゃひゃひゃ。
どこまでいけるか楽しくなってきたよ。
次は、幽体での活動試験かな?
・・・ん?何か忘れているような気が?
ええ。忘れてます。
サン・ジェルマンは、今何をしているんでしょうか?
ナギル・チヅラは見つかったかな?(まだない)
まあ、まだ魔力そのものがない世界ですから、大したことはできないんですけどね(盛大なフラグ)。




