272 ある魔女の最後/遥かなる旅路の一歩
南雲 琴音
まさに、一瞬のことだった。
サン・ジェルマンの闇色の刃が私の胸に突き立てられたのは。
神格を降ろした仄香の魔法をかいくぐり、姉さんの術弾をはじき返し、オリビアさんの鉄拳を受けながらもなお、倒れない。
それに、コイツ・・・ここに来る前にもうボロボロだった。
だというのに、なんという、執念で!
「琴音!くそ!心臓をやられた!?」
「琴音さん!オリビア!カバーを!」
「任せろ!」
「星々を渡る煌めきよ!この石くれを以て彼の者を打ち倒せ!」
姉さんは両腕にまとった術式を使ってサン・ジェルマンに原子振動崩壊術式を乱射し、その隙に仄香が私を後ろに向かって引きずる。
なおも追いすがるサン・ジェルマンの足元をオリビアさんが踵落としで粉砕し、足が止まった瞬間を遥香が砲撃して牽制する。
って、遥香!?・・・いつの間にそんな魔法が使えるようになったのよ!?
「琴音!しっかりして!琴音!・・・琴音?」
姉さんが叫んでいる。
でも、不思議と・・・。
「・・・あれ・・・?どこも痛くない。なんで?確かに刺されたと、思ったのに・・・。」
確かに胸を刺し抜かれたかと思われたにもかかわらず、血の一滴も流れていない。
・・・あれは、呪術の類?
身体ではなく、霊体か、あるいは魂にダメージを負わされた・・・?
今すぐ、自己診断を!
全身が粟立つ恐怖が走ったその時、サン・ジェルマンの口から、低く、絞り出すかのような声が流れた。
「俺の、切り札を・・・貴様、黒髪の女・・・またしても、邪魔立てするか。俺が、貴様にいったい何をしたというのだ。」
ふわり、と空気が動く。
空間が震え、何もないところから長い黒髪の・・・白い仮面をつけた女が姿を現す。
「・・・手を出すつもりはなかったわ。でもこの瞬間だけは、私の出番。そう、はるか昔から決まっていたから。」
この瞬間だけは決まっていた?
はるか昔から?
どういう、こと?
それに、黒髪の女の左手にあるのは・・・サン・ジェルマンの闇色の剣?
そんな馬鹿な。
素手でアレをへし折ったの!?
吉備津彦さんの大太刀をへし折るような、アレを!?
彼女は気にもせず、背を向けて歩き出す。
「貴様はいったい何がしたいのだ!俺の行く先々で邪魔をしやがって!お前が、俺の、ここぞという時をすべて台無しにしやがった!逃げるな!卑怯者が!」
「・・・史上最悪の卑怯者がそう言えるなんて、ほんと、口は重宝なものね。それに魂も持たぬものと言葉を交わすつもりはないわ。・・・じゃあ、またあとでね。」
黒髪の女は、なぜか私たちにそう声をかけると、空間に溶けて消えていく。
その場にいる全員が呆然とする中で、なぜか私は一言、つぶやいてしまった。
「・・・姉さん?」
◇ ◇ ◇
サン・ジェルマンはしばらく黒髪の女が消えた場所をにらみつけていたが、右手の砕けた剣を放り出し、私たちに向き直る。
「・・・思わぬ邪魔が入ったが、あれは別にお前らの味方というわけでもない。お前らの命運は変わらぬよ。」
「・・・あら?そうかしら?」
ひゅん、と風を切る音。
一瞬でサン・ジェルマンの腹が真横に切り裂かれ、その場に臓物がぶちまけられる。
「ぐがっ!?な、なにが・・・!?」
「これほど時間があるのに私が何もしないでただ話を聞いていたと思う!?あなた、私を舐めすぎよ!」
思わず振り向けば、七色の光を身に宿した仄香が、バチバチと雷光をまといながら踏み出す。
「天照大御神。ゼウス。元始天尊。ダグザ。トリムールティ。・・・そしてアフラ・マズダ。ありったけの神格を降ろさせてもらったわ!」
ブン、と弦楽器を弾くような音がする。
次の瞬間、仄香はサン・ジェルマンの真後ろに立っていた。
「く!防御を!馬鹿な!?」
「武甕槌大神をはじめ、世界中の最高神を七組九柱も降ろしてるのよ!防御なんて許すわけがないでしょう!」
仄香の右手がぶれて見えた瞬間、サン・ジェルマンの頭をかばった左手が、水風船が弾けたかのように粉砕される。
「ぎゃぁぁぁっ!?」
圧倒的、なんてレベルではない。
おそらくは要塞のように堅固な防御障壁が、まるで濡れたトイレットペーパーのようにちぎれ飛んでいく!
「その魔石ごと粉微塵に砕いてあげるわ!私の前に二度とその顔を見せないで!」
仄香が両腕を動かすたびに衝撃波が踊り、サン・ジェルマンの質量が減っていく。
サン・ジェルマンが慌てて展開するすべての防壁が、発生するとほぼ同時に引きちぎられていくのが見える。
いつの間にかソレは防壁を展開することもできず、魔力を練ることもできなくなった。
床に落ちた彼の杖は、完全に砕けて宝玉のみが転がっていた。
とうとう、その身体が肉塊のように崩れ落ちたところで、やっと仄香は手を止める。
・・・まるで、ミキサーにかけられた挽肉のようだ。
足元には、粉微塵に粉砕された「橙色」の魔石が散らばっている。
あの驚異の攻撃を、いったい何発入れたのだろう。
数十発を超えたか、あるいは数百発か。
やっと、終わった。
だが。
「・・・ぐぶっ。」
唐突に、仄香が膝をつく。
口から、大量の鮮血をぶちまける。
「くっ・・・ジェーン・ドゥの身体も、ここまでか。騙し騙し、使ってき゜たけ゜ど、最後に、無茶を、させす゜ぎたわ。」
「・・・仄香さん?大丈夫?・・・ひぃっ!?」
遥香が仄香に手を伸ばし、肩を貸そうと左手をつかんだ瞬間、ボロリ、と左腕が根元から崩れ落ちる。
「ごめんな゜さい、ね。怖い、思いを、さ゜せた゜わ。大丈夫、壊れたの゜は、身体、だけだ゜から。それ゜に、千弦、さん。琴音、さん。大事な、お願い・・・。」
それまでの透き通っていた声とは完全に異なり、ごぽごぽと水のような音が混じる声で仄香は何かを言いかける。
「・・・お願い、って何?」
《千弦。すまないが、お前の魔術でこの身体を原子のチリにまで返してくれ。・・・もう、教会も終わりだろうが、念のため、な。・・・琴音さん。人工魔力結晶の消耗と術陣の破壊は遥香さんの身体で行います。手伝ってくれますか?》
「・・・それは、もちろんだけど・・・。」
・・・念話だ。
もはや、話すこともできないのだろう。
仄香は懇願するような目で、私と姉さんを見上げる。
「私に、仄香を、もう一人の母親を殺せというの?・・・それって・・・ヒドくない?」
そう、姉さんにとっても私にとっても、仄香はもう一人の母親のようなものだ。
《大丈夫だ。もう、肉体からの離脱の準備はできている。・・・遥香さん。申し訳ないけど、しばらくはその身体にお邪魔してもよろしいでしょうか?》
「・・・うん。それはもちろんだよ。・・・でも、健治郎さんと結婚したいんじゃなかったの?」
《それは・・・そうですね。どう・・・しましょうかね。》
仄香の念話に、恥ずかしそうな、でも残念そうな思念がふわりと混ざる。
・・・仄香ったら、健治郎叔父さんのこと、本気で好きだったんだ。
姉さんと理君が恋人でいられるようにっていうのは言い訳だったんだ。
「・・・私の身体、自由に使っていいよ。それに健治郎さんのこと、ちょっと良いなって思ってたし。なにより千弦ちゃんたちと親戚になれるしさ。」
・・・健治郎叔父さん。
二人のこと、絶対に泣かせるなよ?
ついでに、可能ならあんな危険な仕事はやめてしまえ。
「仄香。じゃあ、やるよ。原子振動崩壊術式を使うからみんな離れて。」
姉さんが紫色になった唇を噛みしめ、ゆっくりと右手をかざす。
いつまでたっても仄香がジェーン・ドゥの身体から出ないのは、鹵獲されれば新たなる遺物を作られてしまうからか、それともその身体に愛着があるからか。
どちらにせよ、私たちが心を決めるまでの時間が長ければ長いほど、仄香は苦しんでしまう。
「姉さん・・・ごめん。いつも損な役回りばかりさせて。」
「そんなことない。私は、これを誇りに思ってる。」
姉さんは短く答え、右前腕部の詠唱代替術式を発動させる。
・・・姉さんの身体の中で、まるで歌うかのように術式は踊り、右手から虹色の光があふれ出るのが分かる。
「・・・千弦。きれい、だな・・・。」
「そうだね。姉さんは、すごいよね。」
エメラルドグリーンとバイオレットの瞳が、私たちの顔を見てから閉じると同時に、仄香の口からその言葉が流れ、姉さんは魔力を解き放つ。
目を灼く閃光。
ドン、と腹に響く重低音。
世界を相手に立ち回り、その四分の一を滅ぼしたという魔女にしては、あまりにもあっけなく。
1978年のあの日、ハバロフスクの郊外で魔女と出会い、双子が一つになり・・・そして、仄香が遥香の身体に入ったときに、魔眼を残して一度は失われた。
そして、悪意を持った者が作り、魔女に単身、正面から挑み、破れ、流れ流れてガドガン先生の手で仄香の元に戻ってきたジェーン・ドゥの身体は・・・とうとう赤い霧となった。
・・・霧が、消えてゆく。
その中に、うっすらと二人・・・いや、三人の姉妹が見える。
『あはは!アストリッド!すごく面白かったね!人生死んでからのほうが楽しいだなんて!』
エメラルドグリーンの瞳の少女の言葉に、サファイアブルーの瞳の少女が笑いながら振り返る。
『そうね!死んでからもこんな経験ができるなんて思わなかったわ!ミレーナの言う通りよ!ねえ、あなたもそう思わない!?』
少し離れた場所にいた、二人にそっくりな少女が小さくうなずく。
『僕は・・・いや、そうだね。こんな人生の続きがあるなんて思わなかったよ。』
『じゃあ、またね!みんな元気でね!ほら、一緒に行こう?それにしても、死んでから姉妹が増えるなんて思わなかったわ!うふふ!あはは!』
三人目はすみれ色の瞳を二人に向け、おずおずとついていく。
霧が晴れ、赤みがかった空中に虹がかかっている。
いつしか彼女たちは姿を消し、耳の中には楽しそうな残響が残っていた。
◇ ◇ ◇
私たちは疲労のあまり、その場にしゃがみこんでしまっていた。
姉さんもさることながら、あれほど体力に際限がないオリビアさんでさえ、肩で息をしている。
「ふう。みんな、水でも飲む?ただのミネラルウォーターだけど。」
姉さんがフライングオールのコンテナからペットボトルを取り出し、みんなに配る。
・・・本数が、余っている。
あれは、薙沢の分と、ジェーン・ドゥの身体の分か。
魔女「ジェーン・ドゥ」は、完全にこの世から去った。
今、仄香は遥香の身体に憑依している。
姉さんはペットボトルの水をあおると、ため息をつきながら声を出す。
「・・・あ~あ。私はジェーン・ドゥの身体の魔女が一番好きだったんだけどなぁ・・・。」
「そういえば、姉さんはジェーン・ドゥ派だったわね。でも魔女といえば妖艶さがないと。ね、遥香。」
・・・仄香が死んだわけではない。
そう、言い聞かせるも、抑えられない喪失感が大きくなっていく。
《妖艶さって言われても、どうふるまえばいいかわからないよ。ねえ、仄香さん。魅了魔法でも使えばいいのかな?》
「今の遥香さんの力で魅了魔法を使ったら国が傾きます。・・・あら?蜘蛛神の呪いが・・・解けていない?」
久々に遥香の身体に入った仄香が、その両手の平を開いたり握ったりしている。
「アトラク・ナクアって・・・姉さんが停滞空間魔法で磔にしたやつ?」
「ええ。あれは蜘蛛神の眷属の一柱で、サン・ジェルマンが放った召喚獣の一つです。私が憑依する可能性のある身体を無差別に弱体化していたらしいんですが・・・おかしいですね?術者が倒れたら契約は解除されるはずなんですが。」
サン・ジェルマンは、先ほど仄香がジェーン・ドゥの身体を使い潰してまで打ち倒した。
なのに、なぜ呪いが解けない?
「なあ、仄香さん。とりあえず、これ、ぶっ壊さないか?サン・ジェルマンがいなくても、危険なものには変わりないんだろう?」
オリビアさんが術陣を指さす。
・・・そうだ。
サン・ジェルマンそのものを倒したから失念していたけど、元々はこれを何とかするために駆け付けたんじゃないか。
「そうだったね。じゃあ、さっそく魔力を使い切っちゃおうか。それからゆっくり解体しよう。・・・まあ、さっきの黒髪の女性も気になるけど、敵じゃなさそうだし放っておいてもよさそうだしね。」
私はそう言って術陣の制御をおこなっているであろうところに歩き出す。
でも、姉さんは術陣の中央から動こうとしなかった。
・・・姉さん?
なんで、そんなに思いつめたような顔を?
「千弦さん?どうかしましたか?」
「・・・うん。ちょっと、ね。」
姉さんは、仄香の言葉にハッとするかのように顔を上げ、ゆっくりと制御術式に手を伸ばす。
「はぁ~。つかれた。明日は平日だよ。いっそ予定通りに二号さんたちに任せて休んじゃおうかな。あ。マヨヒガさんに頼んで温泉に入りたいかも!」
「ええ。それもいいですね。一日と言わず半月分くらいの遅れなら取り戻せるくらい勉強していますからね。」
《みんなすごーい。私なんて高校の授業についていくだけで必死なのに!》
いや、一年も経っていないのに超進学校の授業に追いつくのも大したものだと思うよ?
そんな、何気ない会話を、日常の匂いを感じ始めた瞬間だった。
しゅるり、と視界の端で銀色の何かが光る。
「琴音!危ない!」
ソレが何であるかを理解する前に、姉さんが一瞬で間合いに入る。
バチバチと、障壁のようなものを展開しながら。
「これは・・・!?流体金属!まさか、ネズミ!?」
仄香がそう叫ぶとほぼ同時に。
ソレは雄叫び上げて鈍色の触手を周囲にばらまいた。
≪ぎゃははははは!まだ終わらぬ!俺はまだ終わらぬぞ!≫
この割れたような声!まさか!?
「サン・ジェルマン!?まだ生きていたのか!」
一瞬でオリビアさんが間合いに入り、触手を叩き切る。
触手は彼女の肌に突き刺さろうとするが、波紋のようなものが現れるだけで傷一つ付けられない。
この人、身体強化魔法も防御魔法も切っていなかったのか!
私なんて完全に油断してたのに!
「く!術式の基部に侵入された!術陣が動いてる!解除できない!」
「全員離れて!時間遡行に巻き込まれる!」
仄香が叫び、全員がその場を飛びのくが・・・。
「く、放せ!この、クソ野郎!」
オリビアさんの身体から触手が離れない!
力ずくで引きちぎっているのに、液体だからすぐに元の形に!
≪ぎゃはははは!女の身体は憑依できんからな!向こうに行ったらアンデッドにして使役してやろう!この勝負、俺の勝ちだ!≫
「ガリンスタンゴーレムに自分の魔石を入れたのか!くそ!魔石は確かに壊したはず!」
≪ぎゃは、ぎゃははは!お前が壊したのは李 瑞宝の魔石だよ!あやつめ、おめおめと命の対貨で逃げて来たからリサイクルしてやったのだ!はははは!≫
術陣に、莫大な魔力が供給されていく。
薙沢が行った時とは比べ物にならないほどの、莫大な魔力が!
やられた!
止められなかった!
そう、私があきらめかけた、その時。
「どっせぇぇぇい!」
姉さんが、フライングオールに跨り、鈍色の身体を振り回すソレに、オリビアさんを拘束するソレに体当たりをする。
交通事故のような残響音を残し、衝撃でオリビアさんが吹き飛び、術陣の外に転がり出る。
「姉さん!?」
姉さんは鈍色の合金に、迷うことなく右足を叩きこむ!
その足は、紫に光り輝く術式に覆われていて、流体金属は一瞬で床にへばりつく!
「過負荷重力子加速術式全開!つぶれろおぉぉぉ!!」
≪ぐ!脆性侵入できない!?これしきのことで、あきらめはせんぞぉぉぉ!≫
「お前を一人で行かせるかぁぁぁあ!私は、もう一度理君に会うんだぁぁぁぁ!」
そう、姉さんの絶叫が聞こえた次の瞬間。
間近に落雷を受けたような衝撃。
瞼を閉じても見えるほどの赤い閃光。
そして、大勢の女性が絶叫するような甲高い音。
それらが私たちの身体を吹き飛ばす。
私の身体が宙を舞い、オリビアさんがそれを受け止め、その前に立った遥香の身体が大量の防御障壁に包まれる。
「千弦!」
仄香の叫び声に、慌てて術陣の中央を見たとき・・・。
そこにはもう、誰もいなかった。
そして、その場に積まれていたすべての人工魔力結晶は・・・欠片も残ってはいなかった。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
やってやった。
どさくさに紛れて、やってやった!
目まぐるしく色が流れる空間で、上も下もわからないのに、私は全力で魔力を使い続ける。
これが「アチラ側」か!?
だがやることなんて決まってる!
「過負荷重力子加速術式!金属精錬術式!空間消滅術式全開!!砕け散れぇぇぇ!!」
≪このメスガキがぁぁぁ!どこまで俺を邪魔するかぁぁぁぁ!≫
「地獄の底でも宇宙のかなたでも!お前だけは、絶対にお前だけは許さない!」
大量の魔力を使ったからか、目の前がチカチカする。
・・・ヤバい、もう、とっくに限界を超えている!
何か、何かないか!
すでに回帰不能点は通り過ぎた!
今更装備をどうにかすることなんてできない!
・・・それに、もう仄香も琴音もいない!
私しかいない!
なのに、残魔力が一割を切っている!
反射的に、フライングオールに手を伸ばす。
・・・原子振動崩壊術式の射出口を・・・。
・・・っ!?
さっきの衝突で壊れてる!?
≪いい加減に・・・はなせぇぇぇ!≫
目の前で、サン・ジェルマンが、ガリンスタン合金に入ったクソ野郎の残滓が喚き散らしている!
「く!このままじゃあ・・・っ!?これは!?」
ふわり、と懐かしい魔力の気配がする。
【千弦君・・・君には困ったものだ。だが、よくぞ琴音君を守った。そして、仄香までも。僕が力を貸そう。】
今のは・・・ガドガン先生!?
ミキサーにかけられているような空間で必死になって伸ばした手に、何かが触れる。
コンテナは空いてないのに。
誰かが、そっと渡してくれたかのように。
そして、なぜかほんの少しだけ、魔力が回復する。
これは・・・理君がくれた、グレネードランチャー!?
術式も何も刻んでない、ただの筒だけど・・・!
なぜか術弾が一発だけ装填されている!
弾速が遅すぎて当たらないから半ば諦めていたけれど!
この距離なら当たる!
それに、魔力ならグレネードに目いっぱい詰まってる!
≪く、ぎぃ、ぎゃはははは!そうか、魔力が尽きたか!ならば、殺して手駒にしてやろう!その前に苗床にするか!≫
「クソ野郎が!これでもくらえ!」
目の前で不規則に動き回るソレに、ステンレス製の銃口を叩きこむ!
引き絞るように引き金を引き、撃発する。
ガス圧で発射された榴弾は、サン・ジェルマンの身体の中の、何かに当たって術式を解き放つ。
≪ごばっ!?≫
不意に、景色が変わる。
空の上?
足元に広がるのは、森?川?
今はそんなことどうでもいい!
轟音とともに解き放たれたグレネードの魔力は、サン・ジェルマンのガリンスタン合金の身体を木っ端みじんに砕いていく!
だが!
こいつは逃げるにきまってる!
「絶対に、逃がさない!」
腹に力を入れ、自分の左小指の爪を、噛みちぎる!
「術式束!AA4D1B!発動!」
こいつの体はいまやガリンスタン合金・・・ガリウム、インジウム、スズの塊だ!
人間じゃないから尋ね人の魔法は意味がないし、失せ物探しの魔法はコロコロ形が変わるから効果がない!
だったら、その身体に直接、発信術式をぶち込めばいい!
ガリンスタンの金属格子には生物由来のたんぱく質が混ざることもないから、血液は血液のまま付着する!
≪おのれ!おのれ!メスガキが!くそ!くそ!!≫
私の血がべったりと付着した鈍色の液体が、落ちていく。
それをにらみつけるが、直後、緑の何かに盛大な音を立てながら私は突っ込む。
「ぐぅっ!?」
ガサガサ、バリバリと葉や枝をへし折りながら木々の中を転げまわった私は、最後に派手な水しぶきを上げて川面に激突した。
・・・。
・・・?
・・・!!
「ここは!・・・どこ?」
どれだけ意識を失っていた?
どれだけ流された!?
信じられないほど冷えた身体を持ち上げ、周囲を見渡す。
あたりはすっかり暗くなってしまっている
・・・ここは・・・川のほとりだろうか。
少なくとも水はしょっぱくはない。
服をすべて脱がされ、麻布のようなものをかけられ、なめした動物の皮のようなものに寝かされていることに気付く。
すぐ近くには雑に積まれただけの焚火があるが、全体的に空気が冷え切っている。
「・・・装備は・・・ああ、よかった。同行機能は生きていたんだ。」
焚火の近くにはさっき使ったグレネードランチャーと、先端部分を損傷したフライングオールが置かれている。
それに、しっかりと閉まったコンテナも。
水に濡れたのだろう、脱がされた服は焚火に当てられて乾かされ、身に着けていた半自動詠唱機構や魔力貯蔵装置、高圧縮魔力結晶はまとめて置かれている。
「・・・誰かが、助けてくれた?ということは、人が近くにいる?」
ズキズキと痛む左手を見ると、小指には何かの葉が巻かれている。
心なしか、痛みが少し和らいでいる。
「薬草・・・かしら。手当もしてくれた?少なくとも、敵ではない?」
それにしても今どき薬草って・・・。
手持ちのお金がなかったのか、それともドラッグストアが近くにないのか・・・。
とにかく、装備の確認と点検をしなくてはならない。
そう思い、麻布をどけて立ち上がろうとしたとき、草むらからガサガサと音がする。
「〇×%△$$*?」
そこには小さな子供の手を引いた、まるで原始人のようないでたちの女性が・・・くすんだ金髪の少女ともいえる年齢の女性が心配そうにこちらを見つめていた。
◇ ◇ ◇
仄香
なんという、ことだ。
なんと・・・いう・・・。
千弦が消えた術陣の前で、思わずペタンと座り込んでしまう。
「姉さん・・・姉さん?どこ・・・?姉さん!?ねえ!姉さんはどこ!?」
琴音が術陣の敷かれた床を叩いている。
オリビアは、魔力を使い果たして気を失ってしまった。
だだっ広い空間に、琴音の声だけが響き渡る。
私は、力の抜けた首をまわして術陣を見渡す。
・・・確かに発動した。
そして、薙沢の時を上回る光が、術陣から放たれた。
ということは、千弦は、過去に・・・飛ばされた?
一体、何年前に?いや、何百年、何千年前に?
あのクソ男の気配もない。
だが、同時に莫大な量の人工魔力結晶も・・・ない。
《仄香さん?ねえ、仄香さん!千弦ちゃんはどこ!ねえ、千弦ちゃんは!!》
恐る恐る、術陣の中央に這いずり寄る。
魔力の痕跡を・・・術式の履歴を、呆然とした頭で解析する。
「時間遡行術式が・・・起動した跡が・・・行先は・・・七・・・千・・・年・・・前・・・。」
《いや・・・いやだ・・・うそだよ・・・ねえ、仄香さん・・・うそだと・・・言ってよ・・・。》
遥香の言葉に、目の前が真っ暗になりそうになった時、ドサリ、と鈍い音が響く。
「琴音さん・・・?琴音さん!しっかり!」
気付けば、琴音は術式が刻まれた床に意識を失って倒れていた。
やられた。
やられてしまった。
ジェーン・ドゥの身体を使い潰してまで倒したはずのクソ男は、私たちの不意を打って本懐を果たしてしまった。
そして、最悪なことに千弦を・・・琴音から完全に奪ってしまった。
せめて上半身だけでも残っていたら。
あるいは、記憶情報だけでも残っていたら。
遥香が定期的に保存しておいたバックアップで、蘇生できたものを!!
「・・・そうだ!ラジエルの偽書に何か書かれているかもしれない!千弦さんの荷物は・・・。」
《千弦ちゃんは・・・装備ごと突っ込んでいったから・・・ラジエルの偽書も、持って行っちゃったみたいだよ。・・・いやだ・・・いやだよ・・・!もう会えない。もう、う、う、うえぇぇぇん!》
頭の中に響き渡る遥香の泣き声を聞きながら、あの日、千弦と琴音を喪った以上の喪失感を私は味わっていた。
◇ ◇ ◇
血だまりに倒れていた吉備津彦と、部屋の外で炭化していたドゥルガーを再召喚し、何時間たっても目を覚まさない琴音と気を失ったままのオリビアを背負わせて歩き出す。
石板を出ると、外はすでに夕暮れだった。
ここに来たのが真夜中だったから、かれこれ18時間以上、戦っていたのか。
私だけならともかく、琴音や遥香には相当な疲労がたまっているだろう。
実際、先ほどから遥香の念話の反応がない。
また、超人的な体力を誇るはずのオリビアも、なかなか意識が回復しない。
いや、これは魔力欠乏症か。
「・・・サン・ジェルマンは、7000年前に行ってしまった。千弦を連れて。そして、千弦は、どうあろうと7000年は生きていられるはずがない。・・・だって、魔女じゃないもの。」
先行する吉備津彦とドゥルガーの後ろで、一人、ボソリとつぶやく。
千弦がどれほど長生きしても、6900年以上前に寿命で亡くなっているだろう。
・・・いや、まて。
もし、サン・ジェルマンがしたのと同じ事が出来たら?
数トンの人工魔力結晶と、あの時間遡行術式が再現出来たら?
彼女を、迎えに行ってやれるのではないか?
往復分だから、必要な人工魔力結晶は10tか?
それとも、術陣そのものを持って行く必要があるから、もっと必要か?
《仄香さん。何を考えているかわかるよ。でも、それをするのに何年かかるの?何人の人間を殺すの?千弦ちゃんと会った時、絶対に「どうやって迎えに来たんだろう?」って思われるよ?》
「・・・遥香さん!起きていたんですか・・・。でも、ほかに方法が・・・。」
《千弦ちゃんはね。仄香さんには何も言わなかったけど、魔女事変の後、泣いてたんだよ。仄香さんの手が自分のせいでさらに汚れた、それも、あまりにも多すぎるって・・・泣いてたんだよ。》
・・・そうだ。
どれほど千弦が強くても、18歳の女子高生だ。
自分が誘拐されたせいで二十億人の命が奪われたなどと知って、悲しまないわけがないのだ。
「・・・じゃあ、どうするんです?」
《信じて、待つの。仄香さんが紫雨君を見つけ出したみたいに。きっと、千弦ちゃんは帰ってくる。・・・だって、仄香さんの娘なんだよ?》
遥香は泣きはらしたような声で、私にそう言った。
まるで、自分に言い聞かせるかのように。
◇ ◇ ◇
九重 宗一郎
9月22日(月)
ここ半月ほど、エルさんの様子がおかしい。
初めは俺が何か気に入らないことをしてしまったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「宗一郎。・・・いや、なんでもない。」
今日も朝からこんな感じだ。
彼女は毎朝早くに起きて、俺が仕事に出る前に弁当を作ってくれる。
最初はとにかく美味いだけの弁当だったが、いつの間にかキャラ弁になり、社長室では秘書たちにからかわれる毎日だったのだが・・・。
いつの間にか普通の弁当に戻ってしまった。
いや、あれほど美味い弁当を普通というのであればだが。
いや待て。
まさか、出来たのか?
だとすれば、戸惑うのもわかるような気が!
「宗一郎。今日は早く帰れる?」
「あ、ああ。今日は、視察が終わったら直帰できるから。じゃあ、行ってくる。」
「いってらっしゃい。」
そういえば、千弦の恋人の理君に面会に行く用事もあったっけ。
まさか、うちの系列の病院に入院することになるとは思わなかったが・・・。
まあ、昼過ぎの予定だから帰宅に影響はないな。
◇ ◇ ◇
午前中の仕事を終わらせ、水道橋で元KGBのソフィアさんと合流し、行きつけのカフェに入る。
ま、行きつけというか、うちの系列店なんだが。
「いや~。まさか日本で再就職をされるとは思いませんでしたよ。それで、今日はどんな御用で?」
「権謀術策に明け暮れるのは疲れたんですよ。それに・・・なんというか、この辺が騒ぐんですよ。もうあんな仕事はごめんだ、いい加減に地に足をつけて生きろ、ってね。で、今日はその導きに従って縁がある人にご挨拶を、と思いまして。」
・・・なんというか、この人、ソ連人だよな?
ものすごく日本語が上手いんだけど・・・。
何か国語しゃべれるんだ?
「それはよかった。それで、新しいお仕事というのは何です?」
「翻訳です。まあ民間の、それも中小企業相手の細々とした仕事ですよ。」
ああ、そういえばアレクセイ・ドルゴロフが行方不明になって、アンドレイ・ドルゴロフが病に倒れた影響でエカテリンブルグ条約機構が空転した挙句、機構本部事務局に教会の残党が大量に隠れていたとかで、大ニュースになってたっけな。
テレビでは連日その話題で持ちきりだ。
鉄のカーテンの向こう側の闇が一気に晴れ、魔女事変の被害者の半分以上が教会の手によるものだったことが分かって大騒ぎになっている。
「それで、今日はどちらを回るんですか?」
「日本への亡命でお世話になった関係各所へのお礼回りは昨日までに済ませましたから、今日は知人を訪ねようかと。それで、石川理君に面会したいんですがとりなしていただけませんか?」
ああ、そうだった。
この人は彼が魂を失ったとき、現場に居合わせたんだっけ。
彼を日本に引き渡そうとしたのは魔女とのパイプを作るのが目的であって、決して人道的な観点があったわけでもないのに、結果として綺麗事で祖国を裏切った形で亡命という運びになってしまったからには気になるところではあるんだろう。
「ええ。もちろんです。実はこの後、私も面会に行く予定だったんですが、ご一緒されますか?」
「はい。ぜひ。」
念のために呪病を付着させて様子を見ているが、悪意や害意はないようだし、何より武装していない。
それに、彼にはもう利用価値はない。
何しろ、自発的に動く事が出来なくなってしまっているんだから。
会わせても問題ないだろう。
俺はそう考え、青木君の運転する車で理君のいる病院に向かうことにした。
晴れ渡る空を眺め、ただ、あれから一度も千弦が彼に会いに来ないことを残念に、だが納得する思いを抱きながら。
この後しばらく、千弦と琴音の掛け合いは休止です。




