271 遥かなる妖精の旅路/見えてきた彼の背中
最近、魔女があまり強くないような気がしませんか?
実はそれ、気のせいじゃないんです。
というか、そもそもバイオレットの身体はコピーですしね。
サン・ジェルマン
アンドレイ・ドルゴロフを操り、ソ連軍だけではなくエカテリンブルグ条約機構軍を陸、海、空で操り、あの女と娘たちの暮らす国を蹂躙し、灰燼に帰すべく指示を飛ばすが、不自然な事故が頻発する。
やれ、旗艦スラヴァが港湾を出てすぐ座礁しただの、将旗を移したアドミラル・クズネツォフの旗艦が火災を起こしただの・・・。
それどころか、キーロフ級はじめとする主力潜水艦隊にいたっては音信不通になっているらしい。
「人間風情が!俺を謀りやがって!」
面白くもない。
このままでは妻とあの娘たちに吠え面をかかせてやることができない。
ならば、いっそあの日に戻ることに注力するべきか。
俺はそう考え、執務机の上にある古い電話から受話器を手に取る。
「俺だ。そっちの進捗状況はどうなっている。・・・そうか。人工魔力結晶は予定通り貯まりそうなんだな?では、このくそ面白くもない世界からとっととおさらばするとしようか。」
俺が7000年前に戻った時、この世界がどうなるのかははっきり言って知ったことではない。
過去が書き換われば現在も変わるのか、それともパラレルワールドのように分岐して歴史が進んでいくのか、前例がない上に観測することすらできないのだから、はっきり言って無視をする以外方法がないのだ。
だが・・・俺が行く過去に繋がる現在には、あの娘たちは存在しないだろうし、妻も魔女ではない。
「ふん。今頃は俺の企みも知らずに国を守ることで精いっぱいになっているだろうよ。くくっ。お前らの望み通り、俺は消えてやろうではないか。7000年前にな。」
予定通りに人工魔力結晶が集まっているというのであれば、そろそろアイツらにも知らせておいてやろうか。
そう思い、もう一度受話器を持ち上げる。
メモを片手にウクライナ北部の研究管理を行う信徒に電話をかける。
「・・・俺だ。薙沢と穂村、それから瑞宝に知らせてやれ。旅行の準備がそろそろ整うと。一便しかないんだ。乗り遅れても待ってはやらんとな。」
ところが、電話の向こうから聞こえてきたのは・・・怒号と悲鳴だった。
「防衛線が持ちません!撤退後再編成を!・・・くそ!ヴァルキリーだと!?その名前を使うのはアニメの中だけで十分だ!」
「・・・おい、何が起きている。」
「警備3班と5班の消滅を確認!全滅ではありません!消滅です!くそ!1班と2班はまだ応答がないのか!」
「4班から緊急連絡!『ワレ、三つ首の犬と交戦中!残弾僅か!応援を乞う!』以上です!」
「こっちに余裕なんかねぇよ!うっ!?ドラゴンにヒュドラだと!?・・・くそ!これは・・・魔女の召喚獣か!ぐ、ぎゃああああ!?」
・・・ぶつっという音とともに、通話が途切れる。
別回線の番号を回してみるも、つーっ、つーっと無機質な音を繰り返すばかりで電話がつながる様子もない。
「くそぉっ!!あの女ぁ!・・・それほどまでに俺を拒むか!それほどまでに俺を憎むか!どこの誰がお前の心を奪ったのかは知らないが、必ず屈服させて俺の足をなめさせてやる!」
あまりの怒りに執務机を蹴り飛ばし、立ち上がる。
「・・・教皇猊下。入ってもよろしいか・・・ひぃっ!?な、なにが・・・?」
「今すぐヘリを用意しろ!人員輸送と対地攻撃ができるならなんでもいい!」
「は、はい!すぐにクラカヂール(Mi-24)を用意します!あの・・・行先は・・・?」
「石板だ!あの女!俺の三千年ごしの計画を台無しにするつもりか!・・・何をしている!とっとと行け!」
転がり出るように廊下へ駆け出す信徒を尻目に、俺は自分の杖を取り出しながら歯ぎしりが止まらなかった。
◇ ◇ ◇
九重 健治郎
ウクライナは声明を出すと同時に、ソヴィエト連邦を即時脱退することになった。
この声明は、テレビ、ラジオ、インターネットを経由し、東西すべての陣営に同時中継される運びとなっている。
この声明に呼応して、バルト三国、すなわちラトビア、リトアニア、エストニアも一斉に連邦離脱の宣言を行う準備が整っている。
さらにアゼルバイジャン、ジョージアの連邦離脱が決定しているという。
連邦離脱における東西の混乱を避けるためのウクライナ陸軍の将校との打ち合わせを終え、握手して立ち上がる。
「ソヴィエト連邦は・・・ロシア・ベラルーシはどれほど迅速に軍を動かすでしょうか・・・?」
「それは私の口からは何とも。ただ・・・すでに仕込みはされているのでしょう?」
心配そうな将校に、あいまいな答えを返しておく。
とはいえ、すでに水面下で工作は完了しているのだが。
「仕込み・・・というほどのものではありませんよ。せいぜい、ヘリ一機追い返すのが関の山でしょう。貴国の優秀な防空能力がうらやましい限りですな。」
ふん。
ウクライナ北部作戦管区の第1129独立ミサイル高射連隊と第54独立偵察大隊がすでに配備を完了していることくらい知っているさ。
三上、高杉からも無線で連絡を受けている。
・・・ウクライナの全軍がすぐにでもモスクワまで攻め入りそうだ、と。
それにしても・・・この国ではソヴィエト連邦そのものに対する根深い恨みがあるからな。
ホロドモール・・・ウクライナ語で「飢え死に」を意味する言葉だ。
1932年から始まったスターリン政権下での農業集団化、富農撲滅運動、穀物強制徴発などが原因で数百万人が犠牲になったとされ、ウクライナを標的としたソヴィエト政府による人為的な飢饉、あるいは民族浄化であったとさえ言われている。
目の前で家畜を、農地を、そして家族を奪われ、畑には波打つような金色の麦穂が実っているのに、パン一つ、麦粥一杯食えずに死んでいった民衆の怒りが百年やそこらで消えてたまるか。
「それでは、私はこれで。貴国の平和と発展をお祈りします。」
適当に挨拶をして、政府庁舎を出る。
そろそろ千弦たちは目的地に到着したころだろうか。
それとも、すでに潜入を行っているところだろうか。
いつの間にか成人年齢が18歳に引き下げられたが、18歳などまだまだ子供だ。
そんな少女たちが、たとえ魔法や魔術による超人的な力があろうとも、世界を動かすような巨悪に向かい、その命を懸けて戦っている。
誰も、ほめてくれやしないのに。
「血は争えない・・・というやつかな。」
陸軍中野学校に入学したころの自分を思い出し、思わず苦笑する。
あの頃は入学自体が秘密だったから、完全に浪人生扱いでクソ親父は怒るわ、お袋には勘当されかかるわ・・・。
まったく、日陰者で散々だが、少なくとも姪っ子の頭の上に振る砲弾の一つでも減らせれば俺の人生にもいいことがあったといえるだろうよ。
あとは、二人が無事に帰ってくることを祈るだけだな。
俺はソ連製の安い車を、曇天のキエフ・・・いやキーウの町の中、仮宿に向かい走らせた。
◇ ◇ ◇
仄香
長い廊下を抜け、四つ角のようになったところでインドラが守るオリビアたち、吉備津彦が守る琴音と千弦たちと合流する。
どうやら、一人も欠けることなく合流できたようだ。
そのことにまずは胸をなでおろす。
「皆さん、どこもケガはありませんか?それと、毒や呪いは受けていませんか?」
「う~ん。多分大丈夫じゃないかな。合流前に琴音に診断してもらったけど、どこも異常はないみたいだよ。」
「じゃあ、オリビアさんと遥香さんのほうは、異常はありませんか?」
「・・・異常っていうか、薙沢がさっきからこんな感じで・・・。」
さっきから薙沢が遥香にベッタリと張り付いているのが気にはなっていたが、いつの間にそんなに仲良くなったんだろう?
「っておい。魅了されてるじゃない。琴音。解呪を打ち込んでやってくれる?」
「解呪。・・・まったく、敵の本拠地のど真ん中で何をやってるのよ。それに・・・遥香は何でそんなに泥まみれなの?そんなにヤバい相手と戦ったのかしら?」
「あー。うん。ちょっとね。」
魅了を解呪された薙沢は頭をぶんぶん振りながら悶えているし、遥香は恥ずかしそうにモニョモニョとしか話さないし。
敵陣のど真ん中でいかがわしいことでもしてたんだろうか。
とにかく、全員がそろったところで一番大きな扉に手をかける。
扉のすぐ向こうには、きわめて強力な術式・・・術陣の気配と、恐ろしいまでの魔力圧が漂っていることが扉越しにでもわかる。
重い音が響き渡り、ゆっくりと扉は開いていく。
そして、扉の向こうには・・・直径が100mに迫ろうかという円形の空間に、床や壁、そしてその空間そのものを包むような多重の円盤、あるいは輪が回り、そのすべてにミッシリと刻まれた術式回路、そして、膨大な量の人工魔力結晶が配置されていた。
「・・・これが、時間遡行の術式・・・。」
千弦が、それまで感情を失っていたかのような能面に、感情の色を戻す。
そして、一歩、また一歩と術式をなぞっていく。
「姉さん、分かるの?」
「・・・うん。これは・・・思いつかないわけだ。まさか、コチラ側の物理ではエネルギーが全く足りないからって、アチラ側を一度経由しようだなんて。しかも、身体を持ったままアチラ側に行くためだけに半分以上のエネルギーを使ってでもそれをしようだなんて。」
・・・アチラ側。
咲間さんの魂の中に潜った時のことを思い出す。
確か、四郎殿と再会したとき、ウィリアムズが言ってなかったか?
「こっちとそっちでは時間の流れが違う」って。
「とにかく、これから魔力をチャージします。千弦さん。薙沢を所定の位置に。術式の解析は私が行いますが、そちらのバックアップもお願いします。」
「りょーかい。じゃあ、琴音とオリビアさんは遥香を守って。それと、吉備津彦さんたちは・・・。」
「マスターとあなたを守ります。ドゥルガー。インドラ。部屋の外で外敵の侵入を防いでください。」
「おうよ。任された。」
千弦がラジエルの偽書を片手に、術式を解析していく。
私は魔女のライブラリを用いて魔力の流れを追い、不足している個所を見つけ、チャージをしていく。
作業を始めてから45分ほど経過しただろうか。
思いのほか手間取ったが、魔法陣全体がゆっくりと軋むような音を上げ、その後、ゴリゴリとこすれるような音とともに動き出す。
「・・・行先の指定は・・・薙沢。1000年前のどこがいい?」
「場所を選べるなら、トリーモア・フォレスト。モーン山地の麓からダンドラム湾に広がる森林地帯よ。そこまで設定できるなら、あとは自力で探せるわ。」
「了解。ええと、北緯54.2244、西経5.9403。およそ10メートルの範囲で指定できるみたいね。よし、行先は現在のトリーモア・フォレスト・パークの入り口に設定したわ。」
「そこなら分かるわ!まあ、1000年も前だと今の巨木も若木だろうけど。」
「・・・薙沢。もう二度と会えないと思うけど、元気でね。あと、できたら例のモノ、よろしくね。」
「あは。一度は殺しあった仲じゃない。そういうのは無くていいのよ。じゃあね。・・・ありがと。感謝してるわ。」
千弦が術式に干渉し、行先となる時代と場所を設定していく。
・・・薙沢の質量が軽いせいか、ほとんど魔力が減衰しない。
これでは全体の1%も消費しないではないか。
その場にいる全員が固唾をのんで見守る中、魔法陣は激しく回転をはじめ、術陣は大きく振動し、いつの間にか軋むような音が歌うような声に変わる。
「私、いつか戻ってくるわ!簡単よ!だって妖精は冬眠できるもの!それに、預かったものは・・・かならず・・・するから・・・!」
薙沢の声が術陣の音にかき消され、続いてその姿が消えていく。
紅い稲妻がパリッと光り、黄色い光が辺りを満たす。
そして、ゆっくりと術陣の音が低くなっていく。
「行った、みたいね。・・・無事、あっちに行けたかしら。」
千弦がぼそりとつぶやく。
今、それを確認する術は・・・。
「・・・ふう。じゃあ、次は、こいつをぶっ壊そうか。」
「普通に壊すのは危険だから、まずはすべての人工魔力結晶を使い尽くすのが先ね。大量の質量を送り込めば、それほど遠くない過去でも使い切ることができると思うけど・・・。」
オリビアの言葉に私が術陣の処理方法を話しているとき、千弦はなぜか、黒いタブレット端末・・・ラジエルの偽書を必死になって検索していた。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
私がここに薙沢を連れてきた言い訳の一つは、彼女の境遇を知って同情したからということもある。
だが、彼女は琴音の言う通り、咲間さんと遥香を襲おうとした敵であり、場合によっては二人がタダでは済まなかったことも理解している。
そりゃ妖精種が滅びるかどうかの瀬戸際で、サン・ジェルマンに縋る以外の方法がなかっただろうということも理解しているし、私だって琴音や家族、そして理君の命がかかっているならば、悪魔にだって縋るだろう。
彼女の気持ちはわかる。
でも、それとこれは別。
敵は、自分が死ぬか相手を殺すまで敵のままだ。
だから、普段ならどんな事情があろうとも、一度敵となった相手は殺すべきだと思う。
それを曲げてまで薙沢を助けたのは、もう一つの理由があるのだ。
仄香や琴音、オリビアさんに隠れて、そっとラジエルの偽書を開く。
・・・現在の、妖精種の人口数と、その分布を確認する。
祈るような気分で、震える手でタブレットに魔力を流し込み、検索ワードを入力する。
ほんの瞬きするような検索の後に、ラジエルの偽書には、彼らの人口とその分布が表示されていた。
・・・妖精種。
総人口、12500人。
人口比率、男、48%、女、52%。
主な生息域、アイルランド、イギリス全域。
幻惑系の魔法を得意とし、森林型魔力溜まりを主な拠点として観光と林業により生計を立てる。
多くの幻想種の中で最も人間に友好的である。
なお、トリーモア・フォレスト・タウンの姉妹都市は西東京市である。
・・・そして妖精女王という中二病に罹ったような二つ名とともに、Ⅴサインをしてポーズを決める薙沢の顔写真が表示された。
「・・・っしゃあぁ!!」
成功した。
そう、成功したのだ。
時間遡行は、確かに成功したのだ。
そして歴史を書き換え、かつ、パラレルワールドにもならずに、過去と現在をつなぐことができたのだ。
そう、薙沢は試金石としてしっかりと役に立ってくれたのだ!
では、薙沢に頼んでおいたアレは?
うまくいったなら、きっと記載があるはず。
メッセージを残すよう、頼んでおいたのだから。
薙沢の項目を恐る恐るめくる。
・・・生年不明。西暦1026年没。
死因は・・・病死!?
ちょっと待て。
向こうに行って、いきなり死んだのか?
頼んでおいたアレはどうなった。
発動したなら、絶対何かの痕跡が・・・!
私は何度も薙沢の項目を行ったり来たりするも、ソレが果たされた痕跡は、どこにもなかった。
「千弦さん?そろそろ術陣の魔力を使い切りましょう。対象物と行先の設定をお願いしてもよろしいですか?」
私の目論見を知らない仄香が、心配そうに顔を覗きこんでくる。
「あ・・うん、ちょっと・・待って?」
どうしよう。
このまま、終わりにする?
このまま、日本に帰っても、理君は元に戻っていないかもしれないよ?
いや、そもそも、どうやって確認するの?
人任せにしたツケが、今、私に決断を迫っている。
琴音がヒョイとラジエルの偽書を覗き込む。
「あ!妖精種の人口が12500人だって!男女比もほとんど半々じゃん!よかった。成功したんだね。」
いや、妖精種のことなんてどうでもいいんだって。
私は理君さえ助けられれば、薙沢のことなんてどうでもよかったんだってば!
時間が、無為に流れていく。
重い身体を引き摺りながら、もう一度術陣の設定を確認する。
残魔力量は、250kg程度を7000年飛ばす程度。
遡行する時間の長さの四乗根×重量と、アチラ側への門を開く分が、消費する魔力。
つまり、ほとんどがアチラ側への門を開く分で、私にはそれだけの魔力を手に入れることなんて絶対にできなくて・・・。
いや、この術陣だって、私ひとりじゃ絶対に同じものを作ることなんてできるはずが・・・!
計算しているふりをしている私に、そっと遥香が近づく。
「・・・千弦ちゃん。後悔は絶対ダメ。だからたぶん、この瞬間しか言えないと思う。・・・私は千弦ちゃんが大好き。友達としてじゃなく、特別な存在として。でも千弦ちゃんは、理君を追いかけるんだよね?」
「遥香・・・突然、何を言って・・・。」
「何日遡るの?もしよければ、私もついて行ってもいい?」
海のような、空のような深い瞳で遥香は私の眼を覗き込む。
これは、魅了・・・ではない。
もっと他の何かだ。
「・・・大丈夫。これは、私の、私だけに許された権利だから。ごめんね、遥香。私も遥香のこと、大好きだったよ。」
「ふふ。その好きは、友達として?それとも特別な関係?・・・聞かないでおくわ。ほら、仄香さんや琴音ちゃんが待ってる。早く準備しちゃおう?」
遥香の言葉に背中を大きく押された私は、行先となる時代と場所を切り替えるため、薙沢が行った1000年前を一旦キャンセルし、デフォルト状態に戻す。
さあ、あの日、あの時。
理君の心を一度失った、あの瞬間に。
私は術式を切り替えるため、そっと手を伸ばす。
緊張で汗がぽたりと落ちたその瞬間。
先ほど入ってきた扉から、怒号とともに一人の男が飛び込んできた。
「キサマらぁ!それに手を触れるな!よくも、よくも!どこまで俺の邪魔をするつもりだぁ!許さん!許さんぞ!」
そう、クソみたいな声を張り上げた男。
ついこの間からニュースで顔を見ない日はなかった男。
アレクセイ・ドルゴロフ。
そう呼ばれていた男の身体で、サン・ジェルマンは絶叫し、へし折れた杖を振りかざしていた。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
「サン・ジェルマン!?外にはドゥルガーやインドラたちがいたはずなのに!」
「すべて蹴散らしてやったわ!ふ、く、ふぅう・・・。クソどもが。クソどもがぁぁ!」
彼が持つ特大の紅い宝玉をあしらった杖は半ばから折れ、かろうじてその先端を残している。
全身は返り血に濡れ、あるいは焼け焦げ、上等であるだろうスーツは返り血を浴び、いたるところが破れている。
肩口には、獣のソレと分かる咬傷が生々しく残っている。
あれほどまでにたくさんいた眷属の猛攻を潜り抜け、あるいは打ち倒し、ここまで乗り込んできたのか。
仄香と並ぶであろうその魔力に、思わず後ずさりをしそうになる。
だが・・・。
「よう。クソ男。あんたの野望を根元からポッキリと折りに来てやったわ。ねえ?これ、何年かかったの?ここまで支度するのに、どれだけ苦労したの?」
「うるさい!きさまごとき・・・。」
「最後まで黙って聞け!!!ふ、ふ、ふ。自分以外のモノに価値を見出せない哀れな男。魔女以外の人間を、路傍の石にしか思っていない愚か者。その石に蹴躓いた気分は?いえ、石が跳ねて、顔に当たった気分は?ねえ、いま、どんな気持ち!?ねえ、答えてよ!」
「ね、姉さん・・・!?」
姉さんが、恐ろしいまでの魔力と殺気をぶちまけながら、サン・ジェルマンに一歩も引かず、むしろ怒りで圧倒している。
「殺す!八つ裂きにして、無明の闇に沈めてくれるわ!」
「それは私のセリフだ!」
唐突に戦闘は開始された。
それこそ、サン・ジェルマンが何かを言い切る前に、完全に姉さんがキレていた。
「“Belial, tenebrae regnent super mundum!” (ベリアルよ、闇をもって世界を支配せよ!)」
「百連唱!光よ!集え!そして薙ぎ払え!」
サン・ジェルマンが杖の先端から闇を放ち、仄香がそれを一瞬で吹き飛ばす。
その間隙を縫って吉備津彦さんが斬りかかる。
「魔導付与術式!四連! 闇よ!暗きより這い寄りて影を食め!」
「強さ、勝利、暴力、鼓舞!ステュクスとパラースの子らよ!鍛冶神とともに勇者を磔にせし神々よ!我が腕、我が拳に宿りて神敵を滅する力を授けたまえ!」
一瞬で四人がフォーメーションを組み、続けて姉さんが空間浸食魔法を付与した弾丸を放ち、間隙を縫ってオリビアさんが身体強化をかける。
「ふん!馬鹿の一つ覚えなど効くはずが!“In nomine Pazuzu, venti rabidi solvuntur!” (パズズの名において、狂風を解き放て!)」
サン・ジェルマンは一瞬で突風による防壁を張り、そのすべての攻撃に備えようとする。
・・・だが!
「----(魔力干渉!詠唱阻害!術式分解!)。自動詠唱!E-E-1!」
「炎よ!万物の清め手よ!蒼炎となりて悪しき闇を打ち払え!」
輻射熱だけで大やけどをしそうな蒼い炎が、仄香の手から迸る。
蒼炎を追い、吉備津彦さんが大太刀を振りかざし、サン・ジェルマンに襲い掛かる。
「くぅ!?突風防壁が分解された!?"In nomine Asmodei, pestis et libido corrumpant!"(アスモデウスの名において、疫病と欲望よ、腐敗させよ!)」
「ぐぅっ!?」
赤茶けた煙が漂い、吉備津彦さんがそれを振り払うも、一瞬で大鎧が腐り始める。
蒼炎にまかれながらもサン・ジェルマンは反射的にすべての攻撃を折れた杖で叩き落す。
バチン、と嫌な音が響き、深紅の波動が仄香の蒼い炎を吹き飛ばすが、すぐさま飛来する術弾が展開する空間浸食魔法で食い荒らされ、それを追うオリビアさんの正拳が打ち払う。
「く、がぁぁぁぁ!」
そして、私が放った暴走回復治癒魔法が、その左手の甲に直撃する。
「く、一度ならず二度までも!くそぉ!くそぉっ!」
もはや肉塊と化した左手を振るい、その手で握りしめる折れた杖を振るってサン・ジェルマンは詠唱する。
「“Samael! fulgur cadat et inimicos percutiat!” (サマエルよ!稲光を落とし、敵を撃て!)」
「星々を渡る煌めきよ!この礫をもって彼の者を打ちのめせ!」
一瞬の間隙を縫って発動させたサン・ジェルマンの雷撃を、鈴が鳴るような声の詠唱とともに一条の光・・・いや、砲撃が薙ぎ払う。
甲高いような、重低音のような、もはや耳で認識できるレベルを超えた轟音が、その砲撃の威力を物語る。
・・・え?今、だれが魔法を使った?
とんでもない威力だったよ!?
しかも、平文で、ほとんど詠唱なんてレベルじゃない短文で!?
「魔女の依り代が、魔法を!原初魔法を使うだと!?く、ならば!」
一瞬でサン・ジェルマンは持ち直し、懐から何かを取り出す。
そして詠唱もせずにその杖に魔力を流し込み、それを持ったまま仄香に突進する!
瞬時にオリビアさんがその前に割り込み、防御魔法を展開する。
「させるかぁ!ヘパイトスが鍛えし円環よ!アキレウスを守りし万象の盾よ!我は汝が調和を守りし祝祭の担い手なり!なれば、ヘクトールが刃を払いしその力、今ひと時、我に貸し与え給え!」
だが、それは砕けながらも防御魔法を削り切り、その左手を串刺しにする。
・・・あれは聖釘!?
今更!?
それに、なんという大きさと強度!?
「猛き風よ!彼の身に集いて敵を討つ力となれ!堅き磐よ!彼の身を纏いて砦となれ!」
オリビアさんが一瞬で前に回り込み、それを迎撃する瞬間に、私は防御魔法と身体強化魔法をさらに重ね掛けする。
「助かった!う、おりゃぁぁぁあ!!」
「オリビア殿!合わせます!」
オリビアさんはそのまま押し返し、吉備津彦さんが斬りかかり、ほんの一瞬だけ間合いを稼いだ隙に、仄香が早口で何かを唱える。
「かけまくもかしこきたけみかづちのおおかみの・・・・きよきこころのまことをさきとし・・・たたえごとをえたてまつるこのさまを、・・・のびさいわいまどかにして・・・かしこみかしこみももうす・・・!」
とんでもない早口だな!?
なんて思いつつ、その隙を打たれないよう、彼女の前に回り込み、私も詠唱する。
「----(高電圧!高速脆化!)自動詠唱!E-B-1!実行!」
「半自動詠唱!七連!雷よ!焼き尽くせ!」
「天之尾羽張剣!天羽々斬剣!撃ち抜けぇ!」
私が高電圧を叩き込み、脆化をさせ、組織の異常化をし、姉さんがさらなる雷を叩き込む。
さらにそのあとを追うように仄香が二本の神剣を投げ付け、雷を纏いながらサン・ジェルマンの左右の肩口を深く穿ち抜く。
「これでもくらえ!」
それを追うかのように姉さんが両腕に術式を走らせ、轟音とともに目に見えないハンマーのようなものを真上からたたきつける!
詠唱もなく一瞬で足元が陥没し、衝撃が四方に抜けていく。
これが、攻撃魔術!
「俺が、このくらいで負けるかぁ!現世の陰に潜みし法理精霊よ!集いて彼の者の魂を断つ剣となれ!」
「来い!天叢雲剣!」
サン・ジェルマンの剣の前では仄香が全身に雷をまとい、一振りの神剣を喚び出すが・・・!
一瞬間に合わず、吉備津彦さんが強引に間に割り込む。
「マスター!なぁっ!?ぐっ!?」
金属が悲鳴を上げるような音ともに、吉備津彦さんの大太刀がへし折れ、大鎧が砕けて鮮血が舞う。
まさか、魔法使いが、桃太郎を剣で圧倒した!?
・・・!?
私の中の、ガドガン先生が叫ぶ。
これはまずい!
法理精霊だって!?
これはヤバい!
これだけは、普通じゃない!
仄香は、気付いてない!
反射的に私は飛び出し、背中のホルスターからフレキシブルソードを抜き放つ。
続けて、紫雨君に習った詠唱をそのまま刃に乗せる。
「"Spiritus tenebrarum placidarum! Convenite et ensis fiatis ad hostem perdendum!"(静謐なる闇の精霊よ!集いて敵を討つ剣となれ!)」
身体のいたるところを損傷しているとは思えないほどの速度で迫るサン・ジェルマンの刃を、フレキシブルソードは闇色の霧を吹き出しながら一合、二合と打ち返す。
刀だけではもたない!
魔法だけでも一緒だ!
ならば、その両方ならば!
だが・・・。
魔力が足りなかったのか、詠唱が不完全だったのか、それとも、フレキシブルソードが耐え切れなかったか。
重いガラスが割れるような音。
粉微塵に砕け散るフレキシブルソードの刀身。
そして、突き出される闇色の刃。
ゆっくりと、ゆっくりと。
すべてがスローモーションになる世界で。
サン・ジェルマンが振るう刃は、私の胸に吸い込まれていった。
魔女は大火力の攻撃魔法やさまざまな効果を持つ魔法を使うことが出来ますが・・・実は、近接戦闘があまり得意ではありません。
というより、今までは大火力で薙ぎ払うか、眷属にやらせれば良かったので必要なかったんですよね。
そして、お気付きでしょうが、サン・ジェルマンは近接・中距離戦闘に特化した魔法使いです。
つまり、このフィールドでの相性は最悪だったんですね。




