270 エルフの戦士/追憶の回廊
南雲 千弦
石板の中を一団で進んでいるとき、オリビアさんか遥香のどちらかが魔法陣のようなものに触れた瞬間、ぐにゃり、と世界がゆがんだ。
「姉さん!」
琴音が叫び、私の左手をつかんだ瞬間、足元がなくなるような錯覚にとらわれる。
右手でフライングオールをつかみ、浮力を発生させるも、一瞬で足が土につく。
気付けば、そこは鬱蒼とした密林の中のような場所だった。
・・・いや、天井付きの密林が存在するなら密林なんだろうけどさ。
「今の感覚・・・仄香の定点間転移術式に似ていたけど・・・。」
「姉さん・・・近くに誰かいる。これは・・・何の臭い?」
琴音は相変わらず勘がいい。
オゾンのような臭い。
不自然な風の流れ。
そして、魔力検知にポッカリとあいた穴。
・・・魔力隠蔽術式?・・・まさか!電磁熱光学迷彩か!
「琴音!こっちへ!」
身を翻し、琴音をフライングオールに引っ掛け、そのまま大きく飛翔する。
直後、ズドンと大きな音がし、私たちが立っていたところに何か巨大なものが振り下ろされる。
「赤いゴーレム?いや、あれは・・・。」
琴音の声に後ろを振り向くと、そこには虹色の光を放ちながら姿を現した、全高6mほどの巨人が戦槌を振り下ろしている姿があった。
それは、感情を持たない赤い単眼をこちらに向けると、戦槌を握っているのとは逆の左腕をこちらへかざす。
パカン、と腕の装甲が割れ、中から複数の銃身を束ねたものが・・・ガトリングガン!?
琴音が一瞬のうちに白杖と業魔の杖を直列に並べ、魔力を叩き込む。
「自動詠唱!2−3−10!3−3−0!実行!続けて1−2−10。4−3−0!実行!」
「半自動詠唱!六連!風よ!吹き散らせ! 三連!岩よ!盾となれ!七連!水よ!押し流せ!」
琴音と私の言葉が重なり、稲光が走り、風が竜巻のように回り、大地がせり上がり、水が押し寄せる。
刹那、巨人は発砲する。
至近距離に大量の雷が落ちたような音を伴い、大口径の砲弾が飛来し、密林もどきの天井を穿ち、削っていく。
口径がでかい!
30mm!?
GAU-8か!?
「装甲機動歩兵!それも・・・今まで見たやつと全然違う!」
琴音の雷撃・・・いや、轟雷魔法以上の落雷の直撃をものともせず、押し寄せた水も意に介さず、まるでそよ風の中を進むかのようにこちらに歩み始める。
「魔導付与術式!術式装填、セット・ワン!光よ、集え!そして薙ぎ払え!術式装填、セット・ツー!雷よ、天下りて千丈の彼方を打ち砕け!」
人工魔石弾をsteyrl9a2から叩き込むが、装甲の表面・・・いや、その手前で弾かれる。
魔石が、発動しない!?
強制的に術弾が解除された!?
これは・・・なんだ?
まるで、光膜防御魔法のような・・・?
ソレは立ち止まり、顔の正面についた、外部スピーカーのようなところから割れた音声を出す。
『・・・バノブシャの仇・・・ではないようだが・・・魔女の娘か?ならば、俺の敵だ。』
仇?バノブシャ?何のことだ!
それに、この装甲機動歩兵・・・今まで見たのとはわけが違う。
「姉さん!装甲の表面に抗魔力の層がある!----(抗魔力干渉!術式分解!)うわ!?術式の修復が速い!?」
・・・そうか!
こいつ、装甲の上に対攻撃魔法用の結界を張り付けているのか。
まさか、こんな方法があるなんて!
それに、たしか、バイオレットにバノブシャと名付けた男がいたような記憶が・・・。
『我が名はギルノール。ギルノール・フェアラス!魔女に奪われしバノブシャの、その身体の仇をとる者なり!我が秘伝のゴーレムをもって!いざ!尋常に勝負!』
こいつ!
仄香の幻灯術式の中で見た、カフカスの森のエルフか!
ソマリアでバイオレットが死にざまに呼んでいた、ギルノールってコイツのことか!
っていうか不意打ちしといて「尋常に勝負!(キリッ)」とか言ってんじゃないわよ!
地響きとともにギルノールが駆る真紅の装甲機動歩兵は大きく跳躍したかと思うと、背中にあるであろうロケットエンジンを吹かして一瞬でフライングオールに追いつく。
バーニア付きかよ!?
まるでロボットアニメね!?
「----(魔力干渉!慣性制御!)く!こいつ、速すぎる!姉さん!避けて!」
琴音が高速詠唱で力場を発生させ、器用に相手の攻撃をそらしていく。
「半自動詠唱!颶風よ!我に翼を!」
琴音の高速詠唱に重ねて、半自動詠唱で突風を発生させ、振り下ろされる戦槌から身をひねり、すんでのところで躱しきる。
小回りはこっちのほうが数段勝る!
『ええい、ちょこまかと!友を、彼女を奪われた俺を、重ねて愚弄するか!』
ギルノールは、ガトリングガンを真後ろから発砲し、天井や密林を砕き、破片がフライングオールの強化FRPをたたく。
ってか、グロでもエロでもどうでもいい!
どこの世界に戦車みたいなロボットで女子高生を襲うバカがいるんだっつうの!
襲うなら白いハイエースにしておけよ!
っと、琴音が聞いたら泣いて怒るかな。
・・・友を、彼女を奪われた。
そうか、彼は私と同じ気持ちなのかもしれない。
でも、境遇は絶対に同じじゃない!
ならば・・・。
いいだろう。
大事な人間を失った者同士、決着をつけようじゃないか。
「琴音。悪いけど、この戦い、私だけに任せてくれる?」
「姉さん・・・正気なの?戦車や戦闘ヘリを相手に戦うのよりもヤバい相手なんだよ!?」
・・・よく知ってるよ。
ってかこれ、前に戦ったやつよりかなり強いわよね。
「大丈夫。それに・・・アイツには一言、言いたいことがあるの。」
「・・・わかった。でも、危ないと思ったらすぐに手を出すからね。」
琴音の了解を得て、私はすぐにフライングオールを地面スレスレで飛ばしながら、弾帯から術式榴弾を取り出す。
「これでもくらえ!」
上空から襲い掛かろうとする装甲機動歩兵に対し、力いっぱい投擲する。
それは、真紅の装甲に備え付けられた赤い単眼の眼前で炸裂し、155mm砲から打ち出される照明弾すら上回る75万カンデラの光を解き放つ。
魔力波攪乱機能付きの術式閃光焼夷弾だ!
今まで使う機会がなかったけどさ!
『ぐぅっ!?目晦ましか!小癪な!』
ギルノールは叫ぶと、装甲機動歩兵の腕を顔の前にかざし、その場に急に立ち止まる。
その隙に、フライングオールを琴音に託し、私はいくつかの術式を用意し、彼の前に立ちふさがる。
「ギルノールといったな!私の名は千弦!南雲千弦だ!バノブシャを奪われた、友を奪われた、恋人を奪われた。そういったな!ならば問う!バノブシャは戦士ではなかったのか!戦い、敗れ、その身を失ったのではなかったのか!」
私は声を張り上げ、装甲機動歩兵の前で仁王立ちになる。
ギルノールは、ゆっくりと腕を下ろし、回復し始めたであろうカメラで私の姿を捉える。
『別に、バノブシャは恋人ではない。・・・たとえ彼女が戦士だからと言って、その命を奪った魔女を許せとでもいうのか。魔女に与する者は、皆殺しだ!』
やはり聞く耳は持たないか。
返答次第では・・・いや、何も変わらないか。
「私は、教会に!恋人を奪われた!彼は戦士ではない!ただの少年だ!戦いを求めたのでもなく、戦場に居合わせたのでもない!ただ、私の恋人だという、それだけの理由で平和な日常から攫われた!そして、魂を奪われた!」
『・・・それがどうした。お前は俺と同じ境遇だから、許してくれとでも言うのか?それとも、お前のほうが辛いから察しろとでも言うのか。』
「違う!お前は、ただの勘違い野郎だ!バノブシャがどのようにして生まれたか、なぜ死ななければならなかったのか、誰が彼女を戦いに駆り立てたのかを知ろうとしない大バカ者だと言っている!私は、恋人のすべてを知っている!そして、彼についての話なら誰だろうが耳を傾ける!」
・・・まあ、バノブシャについては私だってしょせんは伝聞だ。
それに、何を聞いてもサン・ジェルマンに対する復讐をやめる気は毛頭ない。
『ふん。恋人の自慢話はそれだけか。・・・魔法使い風情が。詠唱もせずにこのT-X25・・・騎士 (ヴィチャジ) に勝てるとでも?なんなら命乞いでもしてみたらどうだ?』
ふん。
エルフもどきには魔法使いと魔術師の区別もつかないのか。
それとも、なまじ高い魔力があるせいで、術式を使わないと戦えない魔術師のことを馬鹿にしているのか。
まあ、術式は支援に使うのが普通だけどさ。
・・・まあ、せっかくだから少し煽っておこうか。
「く、くく、くくく、あははははは!ヴィチャジ?そんなブリキの玩具を壊すのに魔法はいらないわ。耳が長いと視野が狭くなるのね!人の話を聞きたくないのは認知症で何を聞いてもわからないからかしら!?私の言っていること分かる?ねえ?お・じ・い・ちゃん?くすくす。」
『きさまぁ!何がおかしい!人間のガキの分際で!お前など俺がひき肉に変えてやる!』
ふ・・・相手が自分の前に出てきた時点で「降伏」か「交渉」しか考えないなんて、アドバンテームやルグズナム(人工甘味料)より甘いのよ!
似非魔法使いのエルフさん?
気付いてないでしょうけど、私の全身にはアンタの前に飛び出す前から3種8連唱、合計24発の攻撃魔術が詠唱代替術式でフルチャージ済みよ!
ギルノールは咆哮をあげながらヴィチャジとかいう装甲機動歩兵を駆り、全長が10mを超えるような鋼鉄の戦槌を振り上げ、私の眼前に迫る。
それを見上げながら、私は両腕を目線の高さに振り上げ、魔力を軽く両腕に、両足に、そして胸に集中する。
瞬時に両肘から先に七色の文字列、幾何学的模様が展開する。
そして、まるでフルカラーの電光掲示板のように流れていく。
両足の膝から下に紫色の光の粒子が噴出し、重低音を奏でる。
粒子は踊り、一瞬で複雑な模様を形作る。
そして、胸の中心に、紅い炎のような揺らめきが巻き起こる。
・・・すべての魔力回路、術式回路が活性化。
最後に、私は念じる。
ただひとつ。
・・・「行け」と。
耳を劈く爆音。
そして、目を灼く閃光。
ほぼ同時に、腹を揺さぶる衝撃。
右腕から解き放った原子振動崩壊術式がヴィチャジの戦槌を捉え、高らかな歌声とともにその両腕まで一撃で素粒子にまで粉砕する。
左腕から放たれた魔導浸食術式がヴィチャジの両足にまとわりつき、怨嗟の声を張り上げながら、刹那の間にその両足をボロボロになるまで侵食し膝まで溶解する。
そして、両足から放った過負荷重力子加速術式が、手足を失ったヴィチャジを、轟音とともに瞬きの間に真上から不可視の大槌で叩き潰す!
『ぐっ!がぁ!?無詠唱だと!?』
手足を失い、装甲が砕け散り、ガラクタのようになった破片をぶちまけ、ヴィチャジは沈黙する。
ふふん。
プラモデルのロボットをベルトサンダーにかけた後、濃硫酸をぶっかけてから大ハンマーで叩き潰したみたいな状況になっているよ。
無詠唱・・・詠唱代替術式は私のオリジナルだからな。
そう見えても仕方がないよな。
だが・・・。
「ふん。ギルノール・・・だっけ?大した抗魔力だわ。それとも、その玩具のおかげかしら?」
殺す気で攻撃魔術を叩き込んだにも関わらず、ひしゃげた装甲の中でギルノールは生き残ったようだ。
ヴィチャジ・・・とんでもない生残性だな?
「わざわざ私たちを分断までしたのに、この程度の戦力しか差し向けられないとは・・・教会は相当の人手不足のようね。」
すでに動かなくなった彼をさらに煽りながら首根っこをつかみ、機体から引きずり出す。
・・・バイオレットと理君を一緒にするな。
バイオレットは自分の意思でその命をギャンブルテーブルにベットしたんでしょう?
借り物の命をね。
「姉さん!大丈夫だった!?・・・うわ・・・とりあえず生命維持だけでもしておこうか。」
いつの間にかフライングオールで戻ってきた琴音が、彼の下半身を見てすぐに処置にかかる。
・・・両足が大腿部からつぶれ、引きちぎれている。
普通ならもう長くないんだろうけどさ。
琴音の手を汚させないためにも、簡単には死なさないよ?
「琴音がいてよかったわね。少なくとも死ぬことだけはないわ。でも・・・琴音。止血と生命維持以外はしなくていいわ。どうせここは敵地よ。」
「あ・・・うん。まあ、ここまで治しておけば死ぬことはないと思うけどさ。で・・・姉さん?こいつ、誰?」
・・・琴音ぇ・・・。
気付いていなかったのか。
っていうか、顔を見たのは今が初めてだからね。
「ま、まあ、私たちには直接関係がない相手ね。ほれ、ギルノールだっけ?キリキリしゃべりなさい。」
琴音がモゾモゾと回復治癒魔法を発動し、同時進行で私が情報を引き出していく。
観念したのか、あるいはどうでもよくなったのか。
ギルノールは、足の痛みに顔を引きつらせながらも私たちの問いにゆっくりと答え始めた。
彼からこの石板・・・教会側の名称は「時の石板」というらしいが、内部構造やらトラップの所在と、その制御術式がある場所を聞き出し、そちらに向かって走り出す。
それにしても・・・バイオレットに無詠唱魔法を教えたのはコイツではなかったのか?
私が攻撃魔術を使ったのを「無詠唱」とか言って驚いていたみたいだけど?
それとも・・・そもそもエルフ自体、魔法に詳しくなかったのか?
「サン・ジェルマンが不在でよかったね。これなら仄香が術式の制御の奪取に集中できるわ。」
「そうね。それに、敵の数が少ない理由もわかったわ。」
ギルノールから聞き出した話によれば、サン・ジェルマンは今頃、アレクセイ・ドルゴロフの身体を使ってエカテリンブルグ条約機構軍で日本やアメリカなどの西側諸国に戦争を仕掛けている頃らしい。
それも、仄香や私たちに対する嫌がらせが目的というのだから始末に負えない。
まあ、今頃は慌ててここに向かっているところだろうけどね。
それに・・・私としてはアイツとは正面切って戦いたかった。
アイツが積み重ねてきたすべてを否定して、無明の闇に、私特製の地獄に叩き落したかった。
ギリ、と奥歯が鳴る音が聞こえる。
「姉さん・・・。私が、いるよ。理君がいなくても、みんながいるよ。」
琴音が私の顔を覗き込み、心配そうに告げる。
「うん。知ってる。だから私はまだ走ることができるの。大丈夫、心配しないで。死に場所を探しているわけじゃないから。」
密林を走り切り、岩のような壁に触れると、そこに扉がかくされていることがわかる。
「さあ、ほかのみんなが心配よ。早く合流しなくちゃ。」
私たちは手を取り、薄暗い廊下を二人で走る。
いつしか廊下の向こうから、吉備津彦さんたちの声が聞こえる。
「おーい!無事でしたか!」
懐かしい顔に安堵しながら、私は仄香や遥香、オリビアさんと合流すべく、フライングオールに跨った。
◇ ◇ ◇
仄香
琴音と千弦、遥香とオリビア、そして薙沢が掻き消えた瞬間、慌てて魔法陣に駆け寄るも、強力な転移系の術式により抵抗することを余儀なくされてしまう。
「やられた!・・・銀砂の海原に揺蕩う者よ!幽明の澱みに浮かぶ影よ!我は祈念の言霊を以て汝が心魂と交わりを紡ぐものなり!その慈悲深き御手により、我を彼の者の住処へと導き給え!」
全員の姿が消えたことを確認すると同時に尋ね人の魔法を発動し、全員の所在を確認する。
「見つけた!琴音さんと千弦さんは二層下、東寄りの空間!遥香さんとオリビア、薙沢は三層下の北寄りの空間!」
念話のイヤーカフを通じて全員の生存は確認できている。
だが、今、無事なだけだ。
「マスター!危険です!敵の襲撃前に合流しなければ!」
吉備津彦が叫ぶ。
当然、彼が言う危険とは彼女たちのことだろう。
実際、なぜか私は転移させられていない。
「ドゥルガー!インドラ!琴音さんと千弦さんを探して!吉備津彦たちは遥香さんとオリビア、薙沢を探して!」
「お待ちください!せめて、一人は残していくべきでは!?」
吉備津彦が再び叫ぶ。
・・・そう、聖釘か、破魔の角灯に類する遺物の可能性があるか。
「そうね・・・ドゥルガーはここに。インドラは軍勢を呼べるように召喚符を持って行って。襲撃から少し時間が経っているわ。最深部で直接合流するわよ。」
「承った。いやはや、かぐや殿のごとく美しき遥香殿を任されたかったのだが。いやいや、琴音殿も美しき方であるがゆえに・・・。」
ふうん・・・。
インドラは琴音のほうが好みなのか。
人外の連中は千弦を好む連中が多いんだがな。
吉備津彦とか、オリビアとか。
あ、いや、オリビアは人間だっけ。
ドゥルガーだけをその場に残し、眷属たちは一斉に走り出す。
「全員、無事でいて・・・!」
眷属たちを見送り、私はドゥルガーを連れて歩き出す。
足元に、罠となる魔法陣などがないことを確認しながら。
ええい。
時間遡行の術式さえなければ、丸ごと解呪してしまうものを。
まあ、解呪したら肝心の術式が吹き飛ぶからやらないけどさ。
下を向きながら歩いていたのがマズかったのか、後に続くドゥルガーが声を上げる。
「マスター。周囲の様子が・・・おかしいです。」
「え?・・・これは・・・幻惑の類いじゃない。じゃあ、いったい・・・?」
ふと目を上げれば、そこはしんしんと雪が降り積もる林の中・・・そう、紫雨と再会してからは見ることがなくなっていた、あの・・・私が最初に死んだ林じゃないか・・・!
雪の上にしゃがみ込み、そっと雪を触る。
・・・冷たい。
それに、独特の臭い・・・。
永久凍土に含まれる、腐敗することができなかった生き物の死骸が、手のひらの温度で腐敗し始める時の臭い。
慌てて空中の魔力粒子の密度を調べる。
この魔力粒子は、原初の石板ができた瞬間からゆっくりと密度が上がり、3000年ほど前に安定したもので、それよりも前のものであれば、かなり正確に年代を調べることができる優れものだが・・・。
「うそ。この林、幻覚でもなければ偽物でもない?それに、空気中の魔力量が・・・極端に少ない。」
まったくもって信じられないことだが、いま私は、あの石板が落ちてきた直後の、最初に私が死ぬ直前の林をさまよっているということだった。
◇ ◇ ◇
・・・結論から言えば、林があるエリアは端があった。
いや、正確にいうのならば、何者かが私の歩んだ歴史を本来の時間の歴史から切り取り、あるいは複製し、順に並べているようだった。
「マスター。敵の気配はありません。ですが・・・お加減がすぐれないようですね。大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫よ。・・・まったく、今思えば私はなんと愚かだったか。結果として紫雨に会えたから正解だったものの、とんでもない遠回りをしているわね。」
シベリアを東進し息絶えたとき、紫雨は黒髪の女のとりなしで、わずか十数キロ先の村で保護され、その村の娘との間に子をもうけていた。
初孫であるチーロの身体に憑依し、西へと逃げているとき、あのクソ男は私と娘を育んでくれた町を、灰燼と化していた。
いや、あの町は勝手に火を噴き出し、滅んでいった。
私がシュメールのニップルの町で羊の商いをしているとき、紫雨はウルクの町で麦を商っていた。
私が集めた羊の毛は、回り回って彼の麦と交換されたらしい。
・・・なんのことはない。
同時代を、すれ違いながらすぐ近くで生きていてくれたのだ。
そして、あのクソ男の牙は、私たちのすぐ近くにあり続けたのだ。
最初の身体を失った後は、中央アジア方面を探索。
テュルク系遊牧の源流、オビ川・エニセイ川・バイカル周辺を経て、南へ移動。
ウルク期のシュメール、アッカド、古バビロニア、中王国〜新王国期の古代エジプト。
バビロニアやヒッタイト、古代エジプトの宮廷に顔を出し、表向きは巫女や医術師をしていた時期もあったな。
今思えば、まるで馬鹿みたいに真面目に神託をしていたっけな。
だが、面倒になって逃げだした先は、殷だった。
本来の目的を果たそうと権力者に結び付き、人探しのために権力を借りていたら、あっという間に国が傾いた。
憑依した娘の身体で帝辛の寵姫になったのがまずかったのか。
それとも邪魔をする者を殺しすぎたのか。
私は、あの子の血統を追っていただけなのに。
ミケーネ、古典期のギリシャ、共和政〜帝政期のローマ。
ポリス社会では哲学者や神託の巫女に紛れ込んでいたっけ。
ローマ時代は属州の女預言者・皇帝の侍医として一時的に権力層に接近したけど、実際には散々な目にあったんだよな。
その後、北西ヨーロッパへ移動し、ブルターニュ半島に滞在。
イスの消滅はその頃か。
ふと、腕時計を見ると、この回廊に迷い込んでからまだ、3分と経過していないということがわかる。
ふと見下ろせば、ユリアナ・・・まだ私が憑依する前の少女が、楽しそうに羊を追っている。
どこまでも続く草原を、遠く数人の男女が見渡している。
母、父、そして・・・おそらくは伯父。
「・・・ユリアナ。この後、イスになんて行かなければ、あんな目に遭うことも・・・。」
そう、数頭の羊を連れて両親とイスの街に移住した直後、母娘共に辱められ、絶望の中命を失うことになったんだよな。
「・・・マスター。この回廊は、ただ通過することしかできないようです。でしたら、私が背負って一気に駆け抜けましょうか?顔色が・・・まるで土のようです。」
「大丈夫よ。別に辛くはないわ。ただ、一度だって忘れたことはないだけよ。・・・あら?」
先ほどから視界の端々に立っている、不思議な影がある。
誰だろう?
極めて高度な魔力隠蔽と、恐ろしく洗練された身のこなし。
一切の隙が見当たらない。
霊体?
いや、怪異?
それとも、魔法使い?
磨き上げられた術式制御能力は私をはるかに上回り、それこそ一万年くらい修練を重ねてやっと追いつけるほどの修練を重ねたような気配が・・・。
「アレは黒髪の女・・・!あの時も、この時も!ずっと、見ていた・・・なぜ、私を、見張って・・・?」
過去を見ている私たちの視線に気づくはずもないのに、彼女はチラッとこちらを見て、黒髪と黒い外套を翻し、ローマの街の人混みに一瞬で消えていく。
ちらり、と見えた、黒髪を後ろで束ねている髪留めに、朝顔のような、どこかで見た覚えがある飾りが、陽光にきらりと光る。
「・・・それにあの髪留め、どこかで見た記憶が・・・一体・・・?」
「マスター。あの女、監視するというよりも、見守っているかのような気配が・・・まるで・・・娘が母親に声をかけたくてたまらないのに、それを必死に押しつぶしているような・・・。」
黒髪の女・・・。
ナギリに、私を救うよう、前金を渡して言いつけた女。
私が、紫雨を、我が子を探して旅立つ後押しをしてくれた女。
そして、最初の娘であるユーラを、安心して育てられる町を作った女。
・・・史上最強の鉄壁の城塞都市、ナギル・チヅラを作り、そして・・・おそらくは滅ぼした女。
石版以前から存在した魔法使い?
・・・そんな馬鹿な。
彼女は敵ではないと思う。
でも知り合いでも、ないと・・・思う。
じゃあ、いったい誰だ?
そんな私の疑問をよそに、周囲はグプタ朝後期〜ヴァルダナ朝、仏教の衰退とヒンドゥー復興期のインドにきりかわり、そして中国唐代の都・長安を経て、日本の平安京に到達。
懐かしい四郎殿の横顔がちらりと映る。
平安京から再び大陸へ。
シルクロードを経て中央アジア、あるいは中東へ渡る。
私の行動指針の一つ、息子や子孫の痕跡を求めるため、必ず大河・交易路・文明の中心を辿ること。
そして、息子の血脈が生き延びている可能性を探すため、衰退する文明より、勃興する文明へ向かうこと。
最後に、痕跡の消失確認のため戦乱や災害の場に立ち会うことが多いということ。
11世紀には再び日本へ戻ったが、宋代・遼代の動乱の中で追跡していたことと、教会との対立が深刻化していたため、それまで以上に足取りが不安定になっていった。
いつしか焦燥ばかりつのり、諦観へと変わっていき、年月を数えることも忘れた。
・・・でも、私はあの子・・・紫雨と再会することができたのだ。
唐突に、世界の様子が切り替わる。
黒髪の女の気配だけは、薄く、だが確かにその場に留まり続けた。
気付けば、そこはあの石板の中、色気のない石造りの壁と、コンクリート打ちっぱなしの床の廊下が、深く深く、続いているだけだった。
これまでにない謎が大きく口を開いているような、漠然とした不安と、これはきっと大丈夫、となぜか楽観的な予感を感じながら、私は最後の扉を押し開けた。
・・・この時、私の遥か後ろに気配を殺し、誰かがついてきていることなど、まったく気が付く由もなく。
◇ ◇ ◇
???
長かった。
いや、永かった。
まさか、これほどまでとは。
これほどまで、彼女の旅は長かったのか。
数字にすればわずか四文字。だが、恐ろしく重い四桁。
千数百年ぶりに動かした身体を、慣れないラジコンのように操作する。
幾星霜を数えただろう。
何人の魔女を見送っただろう。
それも、もうすぐ終わる。
いや、終わって、待ち侘びた新しい日常が始まる。
極めて強固な停止空間魔法を施したバレッタを、後ろ手にそっとなでる。
今もなお、朝顔からちょこんと顔を出したカエルが、変わらずに微笑みかけているはずだ。
私は、帰ってきた。
この時のために、すべてを賭けて。
もうすぐ、もうすぐだ。
きっと、上手くいく。
いや、絶対に上手くいく。
だって、私はそれを知っているんだから。
あの瞬間まで、絶対に気付かれてはいけない。
この場にいる誰にも。
あと、何時間だっけ?
いや、何分?
千里眼が、彼女を捉える。
遠隔聴取がその声を捉える。
心の底から、抑えられない感情が沸き上がる。
会いたかった。
抱きしめたかった。
私はここだよ、と叫びたかった。
でも。
ここまで積み重ねたすべてを台無しにするわけにはいかない。
あと少し。もう少し。
来るべきその瞬間を、私は待ち続ける。
私は、黒髪の女。
でも、私の本当の名前は・・・。




