269 先制の一手/時の石板
南雲 琴音
9月7日(日)早朝
仄香の長距離跳躍魔法を使い、ベラルーシのヴェルフニエ・ジャニという町・・・いや村から南西に数キロ離れたグデ二という墓地があるところに着地する。
「日本とウクライナの時差は6時間、つまり、まだここは夜中です。全員、魔力を隠蔽したまま私に続いてください。」
全員が魔力隠蔽術式を展開し、姉さんが用意した入手元不明の暗視装置を顔につけ、舗装もされていない道を一路、歩いていく。
暗視装置って・・・結構な値段じゃなかったっけ?
姉さんが小さな声で仄香にささやく。
「あと何キロくらいあるの?」
「ここからですとおよそ10キロから12キロ程度かと。歩けますか?」
「うーん・・・私はともかく遥香と・・・琴音の体力が心配かなぁ・・・。」
失礼な。
姉さんほどじゃないけど鍛えてるってば。
「私は大丈夫。最悪でも到着後、魔力隠蔽解除と同時に回復治癒をすれば一瞬で回復するからね。それより・・・遥香。大丈夫?まだ1キロも歩いてないんだけど・・・。」
「ひ、ひぃ、ふぅ、はぁ、だ、だい、大丈夫、だよ、うぷぅっ!?」
そうなんだよね。
この子、身体を動かすことにはとことん向いてないんだよね。
「仕方がないな。私が背負っていくよ。ほら。」
オリビアさんが遥香をひょいと持ち上げ、脇に抱える。
まるで、巨人が家畜を盗んでいくかのようなその光景に、薙沢が声を押し殺して笑っている。
「ぶふ、ふふ、ひひ・・・なにそれ、まるで巨人が子豚をさらっていくみたい。うひひひひ・・・。」
「薙沢はうっさい!ほら、遥香さん。遠慮しないでおぶさって。・・・しっかし・・・無茶するね。ただでさえ身体が弱いのに。・・・どうやら奥の手はあるみたいだけどさ。」
憮然とするオリビアさんの背中に、慌てた様子で這い上がる遥香の姿が面白い。
相変わらずというか、オリビアさんはその身一つで戦うつもりらしく、余計な装備はしていない。
腰回りに一振り、どこかで見たことがある大ぶりなナイフと、小さな雑嚢があるだけだ。
それに比べて姉さんは・・・。
「何よ琴音。じろじろと見ちゃってさ。」
「いや、相変わらず変わらないなと思っただけ。」
・・・まるでハリネズミ状態だ。
背負子のようなものまで用意して背負っている荷物は、まるでどこかに行商に行くかのような量であることもさることながら、よく見ればいたるところに銃身や砲口が突き出している。
それに、弾帯のようなベルトを肩から掛け、そのすべてに色とりどりの術式榴弾がはまっている。
腰に下げられたショートソードのようなものといい、背中に背負ったオールみたいなものといい、何がしたいのかさっぱりわからないよ。
「いよいよウクライナとの国境です。・・・おかしいですね?空間線量が・・・変化しない?」
「くうかんせんりょう?何、それ?」
仄香の言葉に、遥香が反応する。
よく見ればオリビアさんもきょとんとした顔をしている。
「空間における単位時間当たりの放射線の強さを示す値です。通常は0.04~0.06μSvですが、この辺りは最小でも5μSv、場所によっては350μSvくらいには達しているはずなんですが・・・。」
「ふぅ~ん。だから魔力隠蔽中なのに放射線防護術式だけは作動させてあったというわけね。それにしても・・・放射線とか核物理学とかはさっぱりわからないけど、半減期も到来していないのに放射能を消す方法なんてあったっけ?」
姉さんは分かっているようだが、そもそもこの世界では原子核反応に関する研究が禁忌とされている。
下手に開発し、実験なんて行おうものなら、どこからともなく抑止力が現れて、研究者や研究結果が研究所もろとも闇に葬り去られるといわれているからだ。
・・・まあ、要するに全部仄香のせいだね。
「放射能汚染がさっぱりなくなっていること自体は悪いことではありません。しかし、ここまで完全に除染する技術も魔法も存在しません。それこそ、時間を巻き戻さない限りは。」
仄香の言葉に、一同が唾を飲み込む。
つまり、サン・ジェルマンは、部分的ながらも時間遡行の魔法を完成させているということだ。
私たちは、明かり一つない道を、星の光のみを頼りに歩き続ける。
その先に、仇敵が潜む何かがあると知りながらも、歩みは決して遅くならなかった。
◇ ◇ ◇
空が白み始める前に、複雑に入り組んだ川・・・プリピャチ川にかかる橋を渡り切り、廃墟のような街で右に曲がる。
そのまま北西へ進み続け、6キロほど進んだ時、私たちは白み始めた空を背に小高い丘の上に差し掛かった。
「・・・なに、あれ・・・。」
仄香以外の全員が言葉を失う。
それもそのはず、そこにあるはずの遺跡、遺構といったものは一切なく、ただ原生林のような林が広がり、不自然な形の湖の北には、恐ろしく巨大な一枚の黒い石板のようなものが横たわっていただけだった。
「ここにはあの有名な石棺・・・1986年の事故で爆発した4号炉を覆うためのコンクリート構造物と、さらにそれを覆うための構造物・・・高さ100m、幅約260m、長さ約160mに達する巨大なアーチ型シェルターがあるはず。なのに・・・その跡形もないどころか、先進技術実証発電所がたてられていた形跡すらないなんて。」
姉さんの言う通り、そこにそんなものはなく、ただ、幅40m、長さ90mくらいの石板が横たわっているようにしか見えない。
石板の厚さ、つまり、高さは8mくらいだろうか。
あっけにとられる私たちをよそに、仄香はそれまで抑えていた声を戻し、ゆっくりと宣言する。
「皆さん。いよいよ襲撃です。合図とともに、魔力隠蔽術式をカット。各自、戦闘態勢へ。私は眷属を一斉召喚します。よろしいですか?」
「ええ、いつでも。」
姉さんは背負子からフライングオールを切り離し、不敵に笑う。
「ふふふ、ハイキングも悪くはなかったんだがね。こうも同じ景色じゃ面白くもないというものだよ。さあ、いよいよだね。」
オリビアさんは遥香を背中からおろし、金属補強のついたグローブをカチンと打ち鳴らす。
「ほら、あんたはこっち。戦闘力が弱い者同士、陣形のど真ん中にいよう。」
薙沢は遥香の手を取り、私たちの真ん中に陣取る。
私は、背中の荷物の中から、ガドガン先生の杖・・・熾天の白杖を取り出し、同時に業魔の杖を突きたてる。
「準備よし。いつでもいいよ!」
「魔力隠蔽、解除!総員、戦闘配置!」
仄香の合図とともに、その周りにおびただしい量の光が走り、次々と人の姿、獣の姿、あるいは神々の姿を形作る。
おそらくは総勢数百、いや、千を超えるであろう神話の軍勢たちが、鬨の声をあげながら丘を下り、滑るようにその石板に殺到した。
騎馬武者の一団が木々の間を駆けていく。
吉備津彦さんや、その郎党たちだ。
その後を天馬にまたがった女騎士たちが舞い、西洋の鎧甲冑を身にまとった男たちが、馬を駆り、林を抜けていく。
さらにはグリフォン、ドラゴン、ワイバーン、ケルベロス、マンティコアといった神話や伝説に登場する怪物が林を耕していく。
「すげぇ・・・これ、正規軍でも止められるかどうか・・・。」
オリビアさんがあっけにとられている。
「私たちも行くよ!琴音!手を!」
「え・・・!うん!」
姉さんの手をつかみフライングオールに跨ると、それはまるで私たちの体重を一切感じさせないかのように滑り出し、石板の横の開口部に向けて滑り出した。
◇ ◇ ◇
仄香
オリビアが遥香を背負ったままスレイプニルの背に跨り、薙沢はヴァルキリーの天馬のしっぽをつかみ、私はペガサスに飛び乗って石板のもとへ駆け抜ける。
ふわり、と私たち以外の魔力が漂う。
気付けば石板の真横、その全長のほぼ真ん中あたりに開口部があり、そこから数体の何かが顔を出す。
・・・アチラ側の召喚獣か。
なるほど、召喚魔法は私だけの専売特許ではないからな。
だが・・・見覚えがないな。
既存の神話、伝承にある存在ではなさそうだ。
「GRYEEEEEEE!!」
それらは鳴き声とも金属音ともつかぬ雄叫びをあげ、口を大きく開く。
「全自動詠唱!すべての概念精霊よ!我が道を遮るものを悉く打ち倒せ! 総員、我に続け!」
私の声に応え、瞬時に励起した概念精霊が怒涛の如く押し寄せる。
青白い炎が突風に煽られて火炎竜巻となり、隆起した大地から大量の岩が宙を舞い、雷撃をまとってそれらに降り注ぐ。
「我が神槍はマスターの御為に!一番槍、頂きます!」
突風をまといながらクー・フーリンがゲイボルグを構え、異形の者を打ち抜いていく。
「我が刃は子らを守る母親のために!母子を分かつものよ!我が刃でその身を断つ!」
ドゥルガーがその10本の手に持った三叉戟を振るい、チャクラムを投擲する。
斧、槍、剣を振るい、異形の者を叩き伏せ、両断していく。
「石板の入り口を確保!これよりヴァルキリーは周辺上空の警戒に入ります!」
「エインヘリヤルは地上警戒の任につきます!ケルベロス、オルトロスは先行して石板内へ!」
「桃太郎とその郎党は先行して接敵次第、各個撃破を行います!」
あ、吉備津彦のやつ、ちゃっかりと自分のことを「桃太郎」って名乗ってるし。
犬飼健や楽々森彦、豊玉臣もまんざらでもない顔をしているよ。
石板の入り口をくぐった全員に、もう一度声をかける。
「ここからは何があるかわかりません。必ず、吉備津彦たちの後に続くように。彼らが倒れても、助けようとしないように。必要とあらば再召喚します。」
「応!みごと、先陣を果たして見せようぞ!何、我らのことはリトマス試験紙だと思えばよろしい!」
「インドラ、ドゥルガー。あなたたちは殿を。万が一の時は来た道をすべて吹き飛ばしてかまいません。
「ご安心を。ええ、何人巻き込もうが必ず道を開いて進ぜましょうぞ。」
彼らを率い、枝分かれのない曲がりくねった道を、進み始める。
奥からは絶えず得体のしれないうめき声が聞こえ、時に触手を振るい、粘液をまき散らし、あるいは剣山のような身体で突進してくるものもいたが、吉備津彦とその郎党は鎧袖一触、瞬きのうちにそれらを打倒していく。
途中、釣り天井や、針山に落とすような落とし穴、あるいは壁の穴から槍が突き出すような罠もあったが、すべての罠を眷属たちが潰し、あるいは事前にかかることによって無効化していく。
「・・・なんというか・・・これ、完全に軍団よね。それも、一人一人が神格クラスの軍勢って・・・陥とせない砦なんてあるのかしらね?」
琴音がつぶやく。
まあ、私一人でも陥とせなかった砦は・・・ああ、ナギル・チヅラは陥とせそうになかったな。
「・・・油断は禁物よ。何がいるかは分からない。適当に強い戦力をもって『圧倒的ではないか!我が軍は!』なんて言ってたら、即フラグ回収よ。」
千弦がピシャリとツッコミを入れる。
まあ、漫画やアニメだとお約束の展開なんだよな。
そんな言葉が本当にフラグになったのかどうかは分からない。
先行するオリビア、遥香、薙沢の三人が何かの魔法陣に触れたとき、ぐにゃり、と景色が変わる。
「くそ!眷属だけ無効の罠か!マスター!・・・マスター?他の方々は・・・?」
気付けば、そこに残されたのは私と眷属のみ。
琴音と千弦、オリビア、遥香、薙沢は忽然と姿を消していた。
◇ ◇ ◇
オリビア・フォンテーヌ
ぐにゃり、と周囲の景色が変わったように見えた瞬間、真横にいる遥香さんを抱きしめ、薙沢の翅に手を伸ばした。
「痛いわね!この脳筋女・・・あれ・・・ここどこ?」
「オリビアさん・・・薙沢さん・・・仄香さんは?琴音ちゃん?・・・千弦ちゃん?」
「落とし穴・・・?いや、違う。加速度は感じなかった。幻惑魔法?それとも・・・停滞空間魔法か何かで時間を飛ばされた?」
私の声に、遥香さんは手元の抗魔力増幅機構に目を落とし、ログを確認する。
「抗魔力増幅機構には魔法や術式に抵抗したログはないよ。それに・・・マッピングしてたけど、いくらなんでもこの広さはあり得ない。これは・・・もしかして転移罠?」
転移罠?
それって、昔ながらのRPGにあるような?
三人もの質量を無理やり転移させるなんて、いったいどれだけの魔力を・・・まるで仄香さんクラスの魔力量じゃないか!
暗闇から声が響く。
「よう・・・。オリビアじゃないか。そっちは・・・薙沢。十二使徒の末席二人がお揃いということは、もしかしてそこの娘を捕まえて連れてきたってことか?」
その声は・・・いや、死んだはずだ。
マイタロステで、吉備津彦さんがその首を刎ねて殺したはずだ。
「・・・こりゃあいい。遺物にするか、アンデッドにするか。新鮮な魔女の依り代が丸ごと一体手に入るなんてな。お前ら、よかったな。十二使徒の席は第一席と十席以外、がらりと空いているぞ。さあ、どの席が欲しい?」
目の前に立つ男は、あの日確かに死んだはずの男・・・李瑞宝。
十二使徒第一席。
一段高くなったそこには、神の弓とたたえられた、いけ好かない優男が皮肉たっぷりの笑みを浮かべ、まがまがしい弓を構えていた。
「貴様・・・瑞宝・・・あの時、確かに吉備津彦さんに首を落とされたはず。なぜ生きている!」
「く、くはははは!お前、俺のことをどこまで知っている?『神の弓』だっけ?ははは!弓の腕がうまいくらいで十二使徒第一席が務まるものかよ!」
「くっ!?・・・ヘパイトスが鍛えし円環よ!アキレウスを守りし万象の盾よ!我は汝が調和を守りし祝祭の担い手なり!なれば、ヘクトールが刃を払いしその力、今ひと時、我に貸し与え給え!」
身体強化をかけている暇がない。
構わず防御魔法を展開し、遥香さんと薙沢を手元に引き寄せる。
ゴウ、と突風のような衝撃。
周囲数メートル程度の広さで展開した防御魔法に、何本ものどす黒い矢が突き立つ。
「相変わらず良い勘してやがる!だがな!愛しい聖女様を殺したお前らを許すわけがないだろうが!きっちりと殺して、首を刎ねてやるから覚悟するんだな!」
絶叫する瑞宝の目に、天井の照明が当たってきらりと光る。
縦長に割れた右目。
それも、片目のみ。
「お前、まさか魔族・・・!?」
「おうよ!生まれつきじゃないけどなぁ!」
どういうことだ!?
魔族の子はすべて魔族。
ハーフはあり得ないはず。
生まれつきじゃない?後天的に魔族になったってことか!?
混乱する私に考える時間はなく、瑞宝は雨の如く、矢を降らせる。
遥香さんを背にかばいながら、十二使徒主席との戦いは唐突に再開された。
◇ ◇ ◇
「強さ、勝利、暴力、鼓舞!ステュクスとパラースの子らよ!鍛冶神とともに勇者を磔にせし神々よ!我が腕、我が拳に宿りて神敵を滅する力を授けたまえ!」
瑞宝が放つ闇色の矢を数回撃ち落とし、何とか呼吸を整えながら身体強化魔法を発動させる。
「相変わらず頑丈だなぁ!でも気付いてるか!?お前の防御魔法、同じところに複数発当たるとヒビが入ってるんだぜ!?」
確かに防御魔法の障壁の何か所かにヒビが入っている。
身をひるがえし、走り回る私の防御魔法に寸分たがわず、同じところに複数発命中させるとは・・・こいつ、本物の化け物か!?
「くそ!遥香さん!薙沢!どこか物陰に!」
遥香さんと薙沢は慌てて近くの瓦礫の陰に飛び込むも、瑞宝の放つ矢は宙で向きを変え、瓦礫を迂回するように二人に襲い掛かる。
「きゃあぁぁっ!?」
すんでのところで遥香さんがリングシールドの防壁を展開し、漆黒の矢をそらす。
だがリングシールドの防御力では、瑞宝の矢をこれ以上受け続ければ持たないだろう。
「ふん!さすがは魔女の依り代!身体だけでも魔法を使うか!」
いや、それ、マジックアイテムなだけなんだけどさ。
思わずそうツッコミそうになった瞬間、遥香さんの身体からフワリ、とピンク色の波のようなものが流れ出る。
「今のは!?抗魔力増幅機構が抵抗した?まさか!?」
蠱惑的な香りがする魔力の波動は一瞬だけあたりを染め上げるが、瑞宝も薙沢も全く気付いていない。
それどころか、薙沢は遥香さんを守るような位置に立ち、瑞宝が放つ矢の命中精度は瞬時にガタ落ちになる。
おいおい、これって・・・。
「く、くふふふ・・・魔女の娘たちはすべて同じ血液型と聞いている。ならば!魔族の血を輸血してやろう!ゆっくりと同族にしてやる!そして我が妻となれ!」
瑞宝!?
目がハートマークになってるよ!?
まさか、今、あの一瞬で魅了したのか!
ちょっ!?
マジで怖ぇな!?
「あんたに遥香さんは渡さないわ!これならどう!?」
お前も魅了されたのかよ!?
薙沢がその翅から鱗粉をまき散らし、同時に幻術を展開する。
周囲には薙沢や遥香さんの幻影が一斉に浮かび、それぞれが別々に動き出す。
いや、すごいよ!?
でも私の分の幻影は?
私だけ自力で何とかしろってか?
なんとかするけどさ!
混乱する瑞宝の矢は、幻影と魔力の粒子を次々に打ち抜いていく。
・・・薙沢の幻影だけを。
これは・・・そうか!
対象の魔力を追尾する矢を放っていたのか!
「くそ!ジャミングに幻惑だと!これだから羽虫は気に入らなかったんだ!ならば・・・オリビアと一緒に吹き飛ばしてやる!」
瑞宝は弓を放り出し、左手を前に突き出し、右手を・・・まるで弓を引き絞るような形で構える。
「狩人と山野の守護者よ!疫病の矢筒を携えし処女神よ!我は月無き夜に松明を掲げるものなり!なれば汝が黄金の弓を以て我が敵を穿ち貫き給え!」
恐ろしいまでの魔力がその両腕に集約する。
「冗談じゃない!こんな閉鎖空間で!」
反射的に全魔力を防御魔法に叩き込む。
くそ、私はもともと魔力量が多くないんだよ!
正面切っての押し合いで勝てるわけないだろうが!
きらり、と瑞宝の両腕が光を放つ瞬間。
私の真横、防御魔法の障壁から一本の白い手が差し出される。
同時に、鈴が鳴るような美しい声が響き渡る。
「勇壮たる風よ!この礫を以て、彼の者を打ち据え給え!」
そう、遥香さんは短く叫んだ。
瞬間。
閃光と爆音、一瞬遅れて全身をたたく衝撃波が私に襲い掛かった。
◇ ◇ ◇
久神 遥香
私は魔法が使えない。
いや、正確に言うと、魅了魔法に特化しすぎていて、さらに持ち前の魔力も少ないらしくて、長距離跳躍魔法2回分の魔力しかない。
今だってオリビアさんと薙沢さんに守ってもらっている。
完全に足手まといだ。
敵が放つ矢をかろうじてリングシールドの防壁でそらす。
その一回で防壁はゆがみ、砕けそうになる。
・・・己の無力が恨めしい。
私にも力があれば。
千弦ちゃんを守るほどの力があれば。
彼女は、私を見てくれるだろうか。
眼前に、矢が迫る。
・・・力が欲しい!
敵を、すべてを思い通りにできる力が!
ザワリ、と周囲で何かが沸き立つ気配がする。
(愛しき魔女の娘よ。私たちは、あなたのそばにいます。)
「これは・・・誰!?」
何かがいる。
いや、何かが、在る。
これは、概念精霊?
・・・違う。
誰かの眷属だ。
(あなたは、私たちに何を望む?)
「私を助けて・・・いや、私の力になって!」
胸の奥をたたく、不思議な波動。
その瞬間、周りにいる誰かは、完全に私の虜になったことが・・・本能的に認識できた。
フワリ、と力強く、かつ蠱惑的な波が広がっていく。
それは一瞬で薙沢さんと敵の男性にまとわりつき、その身体の奥までしみこんでいく。
これは・・・魅了の力!?
相手の筋線維、血流に至るまで、まるで操り人形にテグスを結ぶかのように私の指先とつながっていく。
だけど・・・まだ甘い。
魔力に押し切られるかのようにテグスが切れていく。
「くそ!ジャミングに幻惑だと!これだから羽虫は気に入らなかったんだ!ならば・・・オリビアと一緒に吹き飛ばしてやる!」
敵の男性はそう叫び、弓を放り出し、左手を前に突き出す。
一瞬で魔力が高まり、オリビアさんに殺意が向けられたのが分かる。
「狩人と山野の守護者よ!疫病の矢筒を携えし処女神よ!我は月無き夜に松明を掲げるものなり!なれば汝が黄金の弓を以て我が敵を穿ち貫き給え!」
そう、彼の詠唱が終わる前に、反射的にオリビアさんの防壁から、手を前に出す。
そのあたりに落ちていた、手のひらに収まる大きさの瓦礫を握って。
(さあ、唱えなさい。)
「勇壮たる風よ!この礫を以て、彼の者を打ち据え給え!」
なぜ、そう詠唱したのかはわからない。
とっさに、口からその言葉がこぼれた。
いや、そう、叫べと耳元で誰かが言っていた。
彼の詠唱が終わるとほぼ同時に、私の言葉も完成する。
刹那。
私の手のひらから瓦礫が掻き消える。
否。
瓦礫は、「長距離跳躍魔法」の原理で加速され、一瞬で音速の数十倍まで加速される。
彼らが、それを教えてくれる。
閃光、そして轟音。
遅れて、衝撃波。
わずか十数グラムの瓦礫の破片は、彼の渾身の魔法・・・光り輝く矢を爆散させ、その向こうの分厚い壁を何枚もぶち抜いていった。
「な、なんだ、今のは・・・砲撃!?いや、攻撃魔法か!」
彼・・・瑞宝とか言ったっけ。
驚愕に目を見開いている。
(次は、ここ。魔女のライブラリのここを読んで。大丈夫、あなたの声はただの呼びかけ。詠唱ではないから暗号化はいらないわ。)
その声に従い、魔女のライブラリの一ページを読み、理解し、彼、または彼女たちを召喚する。
「・・・星々を渡る煌めきよ。この石礫を以て、彼の者を叩きのめせ。」
キュン、という音がした。
一瞬で足元の瓦礫が加速し、莫大な運動エネルギーと慣性系をまとい、瑞宝のいる方向へ打ち出される。
その速度、実に音速の72倍。
第三宇宙速度を大幅に上回った石礫が、一条の光となり、壁を、天井を、そして空気をたたき破っていく。
「く・・・あ・・・。」
白い輝きの中で、誰かの声が一瞬だけ聞こえる。
だが、すべて一瞬で消えてしまう。
音、なんてレベルじゃない。
全身を押しつぶすような衝撃が四方八方から襲い掛かる。
「ぐ、ぐうう!?なんという衝撃!防御魔法が・・・!持たない!」
オリビアさんが渾身の魔力で防御魔法を展開している。
これ、生身で撃ったらこっちまで死んじゃうだろうな。
なんて思いつつ。
喚びだされた者に、帰ってもらう。
今、はっきりと分かった。
長距離跳躍魔法は、術理魔法でも概念精霊魔法でもない。
これは・・・召喚魔法だ!
運動エネルギーと、慣性制御そのものの制御を行う眷属を、跳躍の都度、召喚して使役してるんだ!
そう、私が理解したとき。
カクン、と膝の力が抜ける。
「・・・ああ、エルちゃんの魔力、ちょっと圧力、高すぎだよ。」
右胸が熱い。
新たに形作ったであろう魔力回路を酷使したせいで、身体が悲鳴を上げていることがよくわかる。
建物の中にいるはずなのにはっきりと見える空を仰ぎながら、プツリと意識が切れた。
・・・瑞宝とかいう人は、もうどこにもいなかったよ。




