268 作戦前夜/決意と企み
南雲 琴音
今、私は外気温が40度に迫る中、寒いほどの冷房が効いている部屋ですき焼き鍋の前に座っている。
「なんで真夏の昼日中にすき焼き鍋なのよ!しかも!なんでこんな奴と同じ鍋をつついてるのよ!」
「そりゃあ薙沢の身体の質量が小さかったからだけど?」
質量・・・ってことはコレ、薙沢を蛹化術式で治した時のあまりか!?
半ば強制的に姉さんに座らされ、取り皿で生卵をかき混ぜていると、羽虫がボソリと声を出す。
「ごめん。てっきり私たちをトリカゴにいれたり剥製にしようとした人間たちと同じだと思って・・・。悪いことをしたと思ってる。」
「はあ?咲間さんの人格情報を吹っ飛ばして人形みたいにしようとしたくせに何を言ってるのよ!殺人未遂よ!いや、殺人よりも残酷なことをしようとしたのよ!」
この羽虫!ふざけてるのか!
ぶっ殺して昆虫標本にしてやろうかしら!
「・・・琴音。薙沢の親や兄弟姉妹は人形どころか剥製にされたのよ。さらに、その剥製を人間たちはいまだにオークションで取引してる。人間そのものを敵視するのは理解できなくもないわ。」
「でも!もうちょっとで咲間さんは理君みたいになるところだったのよ!なんで姉さんは許せるのよ!」
「怒り狂う以上に、最高の情報を持ってきてくれたのよ。・・・ごめんね、琴音。今、私の心に情はないのかもしれない。でもね。私は、彼女の情報でもう一度理君に会えるのかもしれないのよ。」
一切の光がない瞳で姉さんはすき焼きを口に運んでいる。
・・・理君に会える?
会って、どうするの?
抜け殻みたいになって生成AIみたいな受け答えしか返さない彼を、どう愛するの?
「琴音さん。まずは落ち着いてください。詳しい話は食べながらゆっくりしましょう。それに・・・あのクソ男が何をしでかそうとしているのか、よく分かりました。くくくっ。最高のタイミングで横槍を入れることができます。・・・相変わらず、自分の足元が見えてない男だこと。」
よく見れば、仄香の瞳にも光がない。
その鬼気迫る食事で、二人に挟まれ、小さくなってすき焼き鍋をつついている羽虫を見て、変な感覚を覚えながら私は肉を溶いた卵につけたよ。
・・・小一時間くらい経っただろうか?
鍋や皿の洗い物に立った姉さんが戻ってきてからも羽虫・・・薙沢の話を聞いていた。
途中、仄香による注釈を何度か挟んだものの、彼女は聞かれたことに対しては全部正直に答えていった。
《う~ん?なんか、いくら何でも正直すぎない?これ、罠の可能性はないのかな?》
《・・・実は彼女、ほんのちょっとですが遥香さんの魅了魔法にかかってるみたいでして。ただ、敵意がなくなったのは本当のようですよ。》
・・・遥香の魅了魔法って・・・私は抗魔力が高いから効かないけど、半端ない効き目だな?
え?もしかして戦場でも使えるレベルなんじゃないの?
ってか、下手をしたら国が傾かない?
「・・・と、まあ、私の身の上話とサン・ジェルマンがこれからしようとしていることで知っているのはこれくらいかな?ほかに聞きたいことはある?」
「う~ん。ちょっと情報が多すぎるからなぁ・・・いったん整理したほうがいいかな。それより、アンタはこれからどうするの?教会に戻る?それとも仄香と一緒にいるとか?」
「う~ん・・・適当なところで戻る意思を示さないとマズいんだけどね。裏切ったことはまだ知られていないはずだし、何より私には1000年前に戻らなきゃならない使命があるからね。でも・・・あんたたちとドンパチする気はもうないんだよなぁ・・・。」
聞いた話によれば、サン・ジェルマンは6800~6900年前に戻るだけの魔力はすでにかき集めたというが、なぜか7000年前に行先を変更したのだという。
そのため、今も不足している魔力を集積しているということらしいのだが・・・。
他に会いたい相手でもいたのか?
ってか、過去にさかのぼって二度と戻ってこないでくれるなら、敵がいなくなって文句もないんだけど、アイツ、戻ってくる危険性があるからなぁ・・・。
それに、アイツがいわゆる「時間遡行術式」を使う完璧なタイミングを知りたいのだが、薙沢に連絡が来るのを待つ以外方法はないのか・・・いや、本当に連絡なんて来るのか?
こいつ、見捨てられたりしないか?
・・・あ。
「どうしました?琴音さん?」
「ちょっと思いついたかも。ねえ、不足してる魔力ってどれくらい?」
薙沢が思い出すかのように指を折り、計算する。
「ええと、人工魔力結晶換算で1.2kgくらいだったと思うけど?」
「・・・それって、仄香の魔力と比べるとどれくらい?」
「・・・1.2kg程度の人工魔力結晶なら、私の魔力総量の1%にも届きませんが・・・あ。そういうことですか。」
「・・・どういうこと?」
薙沢が首をひねっている。
そりゃそうだろう。
普通はこんな事、考えもしない。
「琴音。やっぱりアンタは最高だわ。よし。じゃあ、作戦会議と行きましょうか。それに・・・今度は万全な体制を整えるわ。ガドガン先生を失った時の二の舞はごめんだからね。」
姉さんも気づいたようだ。
・・・そう。
何のことはない。
いつ、時間遡行が可能になるのか。
そのタイミングが分からないのであれば、こちらで決めてしまえばいい。
そして、時間遡行の術式を仄香が乗っ取り、薙沢だけを過去に飛ばす。
それに時間遡行に必要な人工魔力結晶は膨大な量だ。
たとえ一部でも魔力を使われてしまえば、当分の間術式を動かすことはできなくなる。
さらに返す刀でサン・ジェルマンを倒せばいい。
初めての私たちから先手を打つための作戦と言うこともあって、その日は夜遅くまで話し込んでいたよ。
◇ ◇ ◇
おおよその作戦が決まり、健治郎叔父さんの家から自宅に向かって歩き出す。
薙沢は作戦決行までの間は仄香と一緒に、健治郎叔父さんの家にいることになった。
すでに姉さんが念話のイヤーカフで健治郎叔父さんに許可を取っていたらしく、空いている部屋を使って二人は寝泊まりするらしい。
「良かったデスネ。千弦サン。諦めないデ正解ダッタじゃないデスカ。」
「そうね。まさかタイムマシーンに相当する魔術の可能性があるなんて思わなかったわ。・・・敵の手によるものだっていうのが少し腹立たしいけどね。」
二人とも、何を言っているのかは分からないけど・・・サン・ジェルマンに一矢報いるのであれば、私としても是非もない。
自宅に戻り、着替えてから私の部屋でもう一度作戦を整理する。
作戦の要点は次の通りだ。
まず、長距離跳躍魔法と徒歩で時間遡行の術式が敷かれている場所の近くまで移動する。
仄香曰く、術式が敷かれていると思しき場所はすでに確認済みだということだ。
だから、完全に奴らの虚を突いて敵の本拠地のど真ん中で布陣することができる。
次に、仄香の眷属が周囲を警戒し、あるいは教会の敵を食い止める。
場合によってはサン・ジェルマン本人がいる可能性もあることから、最初から最大火力を以て制圧するくらいの戦力を展開するつもりらしい。
そして、敵陣に深くもぐりこみ、仄香が自分の魔力を時間遡行の術式に流し込む。
さすがに不足分すらも膨大な魔力量になるため、最短でも4分、最大で10分はかかってしまうらしく、今回の作戦はここがネックになるそうだ。
準備ができたらすぐ、時間遡行の術式を発動させる。
薙沢を術式の中に置き、きっちり1000年分、過去に飛ばした後、魔力の供給をカット。
最後に、そこら辺にあるもの、岩でも木でも、なんなら空気でもいい。
大量の質量を時間遡行させ、その場にある人工魔力結晶を使いつくす。
これで、サン・ジェルマンの企みを完全に止めることができるという。
・・・一つだけ気になったことがあって聞いてみたんだけど、いっそサン・ジェルマンを過去に行かせてしまえば、この世界から奴がいなくなるのだから危険性がなくなるのではないか、との疑問に、仄香はいくつかの危険性を示した。
まず、行った先の過去で何をするかによっては、現在につながる私や姉さん、遥香、ナーシャなどにつながるすべての血統が消滅する恐れがあるということ。
・・・親殺しのタイムパラドックスに近い事象になってしまう危険性だ。
次に、サン・ジェルマンの不死性だ。
奴は、原初の石板の破片を核にした不死性を発揮しているために、下手をしたらさらに7000年近くの経験値を身に着けて現代に現れる危険性があるらしい。
だから、遠い未来に吹き飛ばすならともかく、過去に行かせるのは危険以外の何物でもない。
最後に、奴が当時の仄香の支配に成功した場合の危険性だ。
これが一番危険で、仄香そのものが敵になる可能性があるそうだ。
なんでも、原初の石板から魔力を得た直後の仄香では、サン・ジェルマンはおろか、私や姉さんの攻撃魔法、遥香の魅了魔法にすら勝てないというのだ。
つまり、奴が過去にさかのぼるのだけは絶対に阻止しなければならないということだ。
いや、知らないうちに過去にさかのぼっていたら最悪だったよ。
「琴音?・・・あまり深く考えないで。エカテリンブルグの時と違って仄香は最後まで一緒にいてくれるって言ったじゃない。」
「あ・・・うん。でも・・・私たちや仄香が不在なのを狙って日本を攻めてくる可能性はないかな?」
「紫雨君や星羅さんが対応してくれる約束だけど・・・心配?」
「紫雨君のことは信じてる。でも、あまり危険な目にあってほしくはないかなって思って。」
何気なく電源を入れたパソコンからは、ここ毎日のように流れるようになった国際的な武力衝突の危険についてのニュースや、左派のマスコミによる社会不安の扇動、あるいは陰謀論めいた風説が隙間なく表示されている。
まったくもって酔狂な連中だ。
自分の事しか考えないくせに、綺麗事に酔い、あるいは他人の言説に流されている。
「そういえばししょー、秘密の作戦なのか、全く帰ってこなくなったね。ケガとかしてないといいけど。」
「そうだね。それに・・・早く日常に戻りたい。」
作戦はサン・ジェルマンが人工魔力結晶を集め終わる前にやらなければならないということもあり、明日の夜から開始する。
月曜に登校できない可能性も考え、仄香のもう一人の眷属、セリドウェンとか言う人に私の代わりをやってもらう予定だ。
姉さんと二人、ローテーブルに肘をつき、あくびをする。
時計の短針は11と12の間をさしている。
・・・もうこんな時間だ。
作戦の準備は終わった。
少しでも睡眠をとらなければ。
胸のあたりに湧き上がる、不思議な熱い何かに、ベッドの中でなかなか眠りことができなかった。
◇ ◇ ◇
九重 健治郎
今、世界情勢は最悪の中の最悪と言っていい状態になっている。
だが、クソ親父の働きもあって、ソヴィエト連邦を構成する各国の足並みは完全に乱れている。
おかげでエカテリンブルグ条約機構軍の一部が演習海域から離脱したものの、進路を日本やアメリカに向けることもなく海域近くにとどまっている。
現場の将兵は命令違反を犯してまで踏みとどまってくれているらしい。
「海軍さんは寝不足らしいですね。栄養ドリンクの消費量が跳ね上がってますよ。それに・・・報告書の誤字がひどい。普段の海軍さんじゃありえないですよね。」
「高杉中尉。他人様のことを言う前にこの報告書。誤字が4か所もありましたよ。」
「うげ・・・さすがに三轍は集中力が下がるな。」
高杉と三上が陸情二部に転送する報告書を見直しているが、この環境ではどうしても簡易的なものにならざるを得ない。
先行する別動隊の報告書と合わせて戦況を常に報告し続けているが、状況は刻一刻と変化しているため、情報の確度よりも新鮮さが命になってしまうのは仕方がないと言える。
今、俺達はバルト三国の一つ、リトアニアの首都、ヴィリニュス郊外にある協力者が用意した屋敷に潜んでいる。
とはいえ、バルト海に面した港町であるクライペダからの陸路は戦時下にもかかわらず、警備も手薄で拍子抜けしてしまったが。
「いよいよ明日は先行する本体がエストニアのタルトゥから越境する。俺たちはミンスクに移動し、陸路で・・・ん?なんだ?」
今後の予定を言いかけたところで、ピリっと耳元に反応が・・・これは、念話か?
《ししょー?千弦だよ。ドルゴロフ・・・いや、サン・ジェルマンの居場所はつかめた?》
《知っててもお前に言うわけないだろうが。子供は大人しく高校で勉強してろ。全部終わったら術式でも何でも教えてやるから。》
言っておいて、今さら千弦に教えられる術式なんてあったかな、と考えてしまう。
アイツは魔術の面では俺をはるかに超えている。
いつの間にか魔法まで使えるようになっているのだから、師匠と呼ばれても面目もないのだが。
《そうなんだ。じゃあ、一つ情報提供を。サン・ジェルマンの作った大規模な術式・・・術陣がチェルノブイリ先進技術実証発電所跡地にあるんだけど、その術陣に使われる人工魔力結晶の量は、何と驚異の5t以上!ヤツの切り札に違いない!なんてね。・・・ということで私や琴音、仄香はその術陣に向かいます。》
《ちょっ!?おまえ、何を勝手なことを!エカテリンブルグの時の二の舞になるぞ!》
いくら魔法使い、魔術師として有能でも、千弦はまだ18歳だ。
大学受験で悩みながら、色恋沙汰に悩んでいていい年齢だ。
決して何度も命を懸けて戦うような年齢ではない。
《・・・ししょー。もう二の舞にはならないよ。それに、これだけは譲れない。たとえ、師弟の縁を切られても、誰にも邪魔はさせない。これは私の、私だけの戦いだ。》
《仄香さんは何と言っているんだ?》
《最初は家で待ってろってさ。でもね。サン・ジェルマンは理君の仇なんだよ。これだけは相手が誰であっても譲る気はないわ。》
《まさか、差し違えるつもりじゃないだろうな?》
仄香さんの話だと、千弦には自殺ができないような術式を組んであるというが・・・。
戦いの中で死ぬことを望んでいるのか?
《大丈夫だよ。パクリウスの時だってエカテリンブルグの時だって、私は生きて帰ってきた。だから、今回も必ず生きて帰るよ。》
《仕方がないやつだ。誰に似たんだろうな。・・・で?俺は何をしたらいいんだ?どうせ何かしてほしいんだろう?》
《・・・ははっ!さすがはししょー!話が早い!ええとね、明日、9月7日の日曜の夜・・・日本時間の9月8日午前零時以降、サン・ジェルマンはハッキリ言って「戦争どころじゃなくなる」。ソ連軍の上層部がどこまで奴らに従い続けるかは知らないけど、そっちで何かできるんじゃない?》
おいおい・・・今日明日で何ができるんだよ!?
もっと早く聞いていればいくらでもやりようがあったものを!
だが・・・千弦がやると決めたのだ。
ならば、俺は、俺のできる範囲で助けてやるべきだろう。
《・・・了解した。ウクライナ、チェルノブイリ先進技術実証発電所跡地だったな。ソ連軍の砲弾は一発も飛んでいかないよう、俺が何とかしてやる。・・・その代わり約束しろ。サン・ジェルマンの首を必ず取れ。そして、必ず生きて帰れ。》
《やった!ししょー!大好きだよ!交信終了!》
それだけ言うと、千弦は念話を打ち切った。
「くそ・・・特大の爆弾を放り込んできやがった。」
「大佐。どうしました?今のは・・・念話ですか?」
三上と高杉が俺の顔を覗き込んでいる。
この二人が部下で助かったよ。
「・・・ああ、少し状況が変わった。いい方にな。だが、仕事が増えたぞ。今すぐ動かせる人間は何人いる?」
「ええ、それなら・・・。」
三上が出すタブレットを確認し、即座に作戦を立案していく。
さあ、一分一秒たりとも無駄にできない。
お前が師匠と呼ぶ男の本気を見せてやろうじゃないか。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
西東京市 南雲家 自室
9月6日(土)深夜
何か月ぶりになるだろうか。
部屋の中を片付け、すべての工具、すべての銃を箱に入れ、あるいは棚に戻し、所定の場所に収めていく。
脱ぎ散らかしてあったシャツや下着、靴下は洗濯籠に入れ、洗濯が終わった服は、畳んでタンスに収める。
次に、一枚の便せんを出す。
万が一、私が帰ってこなかった場合に備え、ネットで毎月料金が発生するサブスクリプションの解約方法とパスワードを一覧にしていく。
ゆうちょ、銀行などの口座情報とパスワードも、記載しておく。
そして、日記の整理と術式ノートの整理。
これらの知識は、万が一の場合は琴音に役立ててもらいたい。
要するに・・・遺書だ。
仄香や琴音にも言っていないが、今回私が帰って来れられる可能性は・・・実はあまり高くない。
私の思い通りになればなおさらだ。
いや、何としても帰ってくるつもりだけど。
「半自動詠唱機構よし。予備の自動詠唱機構よし。抗魔力増幅機構よし。・・・ラジエルの偽書も持って行くか。それと・・・新開発のフライングオールよし。高圧縮魔力結晶よし。」
なんだかんだ言っても戦場での機動力は生死を分ける大きな要素だ。
仄香の魔法の箒のことを棒切れだのガラクタだの言っていたけど、似たようなモノを作る羽目になるとは思わなかったなぁ・・・。
高圧縮魔力結晶は・・・たいしたものだ。
9割9分以上残っているよ。
「そういえば、九重の爺様の家から持ち出したショットガン、カスタムパーツを戻してこっそりと返しておいたけど・・・バレてないのか?それとも気付いているのに黙ってくれてるのか?ま、いいか。」
その他、Stayerl9a2、P90。
追加で購入した予備マガジンに作り溜めた人工魔石弾。
いくつもの種類の術式榴弾。
術式振動ブレード。
そして、理君の勧めで買ったグロック42。
今回はバイオリンケース型のガンケースは持って行かない。
「Stayer l9a2ともずいぶん長い付き合いだね。ああ、これも持って行こうか。」
6月の誕生日に理君からもらった謎のエアガン・・・。
もらってすぐに誘拐されちゃったからほとんど触れなかったんだけど、まさか理君がフルスクラッチしたとは思わなかったなぁ・・・。
エアガン・・・と呼んでいいのかどうかは謎だけど、これは擲弾発射器に類するモノで、40mmのガスカートリッジなどを撃ち出すことができる・・・いわば、ただの筒だ。
撃発機構はついていないし、装弾数は1発のみ。
ようするに、カートリッジの尻を押すピンがついている筒に過ぎないのだが・・・。
似たようなモノを私も持っていたんだけど、ガスカートリッジは嵩張るからあまり使っていなかったんだよね。
それに弾速が恐ろしく遅いし。
でもこれ、信じられないことに銃身もフレームも金属でできてるし、ストックはウォールナットでできてるし、照準器は本物のリーフサイトが搭載されてるし・・・。
いままで気付かなかったけど、術式を刻めるスペースが無茶苦茶大きい。
その気になればありとあらゆる術式を刻めるんじゃないの?
いや、今からじゃ遅いけどさ。
「まあ、フライングオールのコンテナボックスに余裕はあるし、お守り代わりに載せておこうか。40mm術式榴弾の製作は4発しか間に合わなかったけどさ。」
バチン、と心地よい音をたて、コンテナボックスを閉じる。
明日はいよいよ、この国を出る。
自分の意思で、大事な人を取り戻すために。
ベッドにもぐりこみ、理君からもらった蒔絵と螺鈿細工のバレッタを枕元に置き、はやる気持ちを押さえながら、私はゆっくりと目をつぶった。
◇ ◇ ◇
同日深夜
久神 遥香
私は、千弦ちゃんが好きだ。
琴音ちゃんや咲間さん、仄香さんも好きだけど、その好きとは違う。
「また、何もできない。また、置いて行かれる。」
私は琴音ちゃんや千弦ちゃんのような魔法も、魔術も使えない。
仄香さんの依り代としての性能も、最悪だ。
はっきり言って何の役にも立たない。
「使える魔法は、魅了魔法と、たった二回の長距離跳躍魔法のみ。こんなんじゃ何の役にも立たないよ。」
私にはラジエルの偽書もない。
先祖伝来の魔導書もない。
ついでに言ってしまえば、ガドガン先生の遺書にも私のことは書かれていなかった。
「私って何なの?モブキャラでいることは別に気にしないけど、もしかして存在することがみんなの足を引っ張ってるの?そんなこと、絶対・・・。」
自分の無力さが恨めしい。
きっと明日は、激戦になるに違いない。
そんななか、私は布団をかぶって震えて待つのか。
翌日、誰も帰ってこなかったら、笑顔を張り付けて千弦ちゃんたちがいない高校に一人、通うのか。
漠然とした恐怖が遅い、目がさえて眠れず、スマホのSNSをただ流すように見ていた時、いつもとは違う感覚・・・ピリっ、いや、パリッという感覚をイヤーカフをつけていないほうの耳に覚える。
《やっと念話が通じた。これはハイエルフのオリジナル術式。遥香。聞こえる?》
《・・・エルちゃん!?どうしたの、こんな時間に?》
《明日のこと。私も知ってる。でも、何もできない。》
《うん、そうだね。私たち、無力だね。・・・悔しいよ。》
《そこで朗報を一つ。私が魔法を使えない理由が分かった。》
・・・ん?それって、朗報なの?
いや、話は最後まで聞かなきゃ。
《使えない理由って何?》
《父様と母様から聞いた。黒髪の女の祝福。ハイエルフは、一定の魔力総量を超えると一切の魔法が使えなくなる。・・・安全装置らしい。》
祝福?呪いの間違いじゃない?
《なにそれ・・・ひどい。なんでそんなことを・・・。》
《あ、いや、一定以上の魔力圧で魔法を使うと本人が危険だから。魔術は普通に使える。》
《あれ?でもエルちゃんは魔術も使えなかったけど・・・?》
《・・・それは単に苦手なだけ。で、本題。私の魔力のパスを、遥香につなぐ。何万キロ、何億光年離れてても、遥香は私の魔力を使える。これも、黒髪の女の祝福。》
《・・・それって!》
《そう。そして、遥香は魔女のライブラリを見放題。どう?そそらない?》
黒髪の女・・・いったい誰のことだろう?
そういえば、仄香さんの昔話の中にも登場していたけど・・・。
たしか、粘土板で仄香さんの背中を押した張本人。
そして、世界史の授業で習った新石器時代に似合わない文明を、街を作ったとされる謎の女。
敵か味方か、それどころか実在したかすら分からない。
でも、今はそんなことはどうでもいい。
エルちゃんの魔力。
魔女のライブラリを見る私の力。
この二つがそろえば、とりあえずは戦う力になる。
《そそってきたじゃない・・・!エルちゃん、力を借りるよ!》
《ん。私は宗一郎と二人、全員の帰りを待ってる。気を付けて。》
《ありがと!必ず全員を連れて帰るよ!たとえ国を丸ごと一つ魅了してでもね!》
そうと決まれば身支度だ。
とにかく動きやすい服を。
足回りもしっかりした靴を。
簡単には裂けない生地の服を。
部屋中をかき回して出てきたモノは、いつかみんなでサバゲを楽しんだ時の衣装、そのままだった。
「動きやすい服。・・・なるほどね・・・なる・・・ほど・・・?」
とにかく、明日は遅れないようにみんなについていかなきゃならない。
着替えることもせず、私はそのままベッドにもぐりこんだ。
◇ ◇ ◇
仄香
健治郎殿の家で薙沢と二人、コーヒーを飲んでいる。
明日は朝早くから長距離跳躍魔法でベラルーシ=ウクライナ国境付近に移動し、陸路でチェルノブイリ先進技術実証発電所跡地に向かう。
・・・もはや、二度と訪れることがないと思っていた故郷・・・いや地獄に、私は最愛の子孫、そして親友である琴音と千弦を連れて向かうことになる。
「プリピャチ・・・いえ、神なる河のほとりの村、か。」
当然、私一人で行くという選択もあった。
だが、千弦のことを思うと、その選択肢は出てこなかった。
私も、何度も夫、そして恋人とした男を失ったことがある。
病気で、事故で、そして戦争で。
当然、失うたびに半身を抉られるような悲しみを感じたし、可能であればこの身を削ってでも救おうとしてきた。
だから、千弦の気持ちが分かってしまうのだ。
この判断が、死地に娘を連れて戦いに行くという判断が、私にとってどのような後悔につながるのか、それとも彼女たちの無念を晴らすことにつながるのか、今はまだ分からない。
「なあ、仄香さん。今回、一緒に行くのって私と薙沢だけでいいのか?紫雨さんや星羅さんにも手伝ってもらったらいいんじゃないか?」
オリビアが缶ビールを片手に、つまみをぼりぼりと食べながらつぶやく。
「二人にはこの国を守ってもらうようにお願いしました。場合によっては、私自身も危ないですからね。」
そう、帰ってきたときに家も、家族も一人もいませんでした、では意味がない。
エルリックがいない今、あの二人以上に信頼できる魔法使い、魔術師を私は知らない。
「そうか。じゃあ、もしまた聖釘を打たれたら、私があの時と同じようにすればいいんだね。」
「ええ。でも・・・出来たら琴音さんと千弦さんを守ってあげて。私は、私の眷属がどうにかするように言ってあります。」
実際のところ、眷属は命令なしで私を傷付けることはできない。
だから、吉備津彦にも、クー・フーリンにも、事前に命令をしておかなければならなかった。
・・・嫌がられたなあ・・・。
この首を確実に落として、さらにバラバラになるまで踏みつぶすように命令したら、吉備津彦なんて泣いてたもんな・・・。
「・・・眷属・・・家族ね。あ~あ。うらやましい限りだわ。ってか、妖精種の国内のコミュニティなんて100年くらい前に壊滅してるし。」
薙沢は小さなクッションをマット代わりに、フェイスタオルを布団のように腹にかけ、不満そうに声を出す。
コイツはラジエルの偽書で同族の残り個体数を調べたとき、青ざめてたもんな。
「そうね・・・なんだかんだ言っても私は子供たちに恵まれているから。自分のことを独りぼっちだと思った事なんて一度もない。・・・そう、一度もないわ。」
「仄香さん・・・。大丈夫。私がみんなを守るよ。それと薙沢。お前は言葉を選べ。人間と見れば片っ端から噛みつきやがって。」
「あ~ん?やるっていうの!?この脳筋メスゴリラ。悪いけど私はあんたのことを人間だと思ってないから!」
薙沢、やめろって。
オリビアに掴まれたら、簡単にクチャっていくぞ?
っていうか、人間だと思ってないってのは、むしろ褒め言葉なんじゃないか?
やんやと騒ぐ二人を前に、私はゆっくりとコーヒーカップを傾けた。
◇ ◇ ◇
9月7日(日)早朝
一睡もせずにオリビアと薙沢の寝顔を見つめ、徐々に明るくなってきた部屋のカーテンをそっと開く。
薙沢が小さく「おかあさん・・・」とつぶやく。
妖精種は冬眠するからその年齢がよくわからないが、彼女が母親と別れたのは何年、いや、何百年前のことだろうか。
「とうとうあの男との因縁にケリをつける日が来たわね。・・・正面切って戦うのは初めてかしら。でも・・・ラジエルの偽書にはあの男が使う魔法や魔術の記載がなかった。気になるところではあるけれど・・・。」
キッチンに立ち、冷蔵庫から食パンと卵を取り出す。
健治郎殿が不在の間はこの家にあるものは自由に使ってよいとの許可は貰っているが、何らかの形で埋め合わせをしなければならないだろう。
そのためには、私自身も生きて帰ることを目的の一つとしたい。
「おはよ~。仄香さん、早いね。もしかして・・・寝てないとか?」
背伸びをしながらオリビアがキッチンに入ってきた。
「私はそれほど睡眠を必要としませんから。」
相変わらず、神経が図太いというかなんというか。
それともこれもオリビアの強みなのか。
朝食の支度が終わり、薙沢を起こしに行こうとしたとき、ドアチャイムが軽快な音を立てる。
インターホン越しに、千弦と琴音が立っている。
いよいよ、勝負の一日が始まる。
さあ、気合を入れていこうじゃないか。
・・・ん?
あれ?遥香がいるのはなんでだ?
しかも、迷彩服にジャングルブーツって・・・。
これから戦争にでも行くつもりか?
「私も行くよ!一人だけ留守番なんて許さないんだから!」
琴音と千弦は・・・。
首をすくめて笑っているだけか。
まあ、いいだろう。
一人だけ残していって何かあることを考えれば、目の届くところに置いたほうが安全かもしれないな。
ポリポリと頬を掻いている私をよそに、琴音と千弦、遥香とオリビアは気勢を上げていたよ。




