266 攻撃魔術/不可視の弾丸・不可知の刃
南雲 琴音
羽虫相手に二本の杖を駆使して戦うも、なかなか決定打とならない。
純粋な魔力も、魔力回路数も完全に勝っている上、初手で相手の機動力を殺したにもかかわらず、だ。
「高貴なる光の精霊よ!我が身に集いて悪しき者を焼く吐息となれ!」
「----(気体温度層状展開。水分調整、空気冷却)。」
仄香に比べれば目くらましに毛が生えた程度の光の魔法だが、当たればそれなりに火傷する。
相手の魔法が完成する前に蜃気楼と霧を展開し、襲い来る光を捻じ曲げる。
「自動詠唱。1−2−1。4−2−0。・・・取り消し!・・・く、ちょこまかと!」
火炎旋風を起こそうとするも、遠ざかり、あるいは木造建築物を背にする。
この若さで放火犯にはなりたくないっつうの。
まただ。
巧みに距離を取り、私が近付けば目くらましを打ち、高威力の魔法を打とうと離れればこちらの間合いを犯してくる。
やはり経験値の差か?
それとも単純にいやらしい敵なのか?
早くコイツを何とかしないと、咲間さんのお店が大変なことになる。
いや、店舗なんて紫雨君に直してもらえばいい。
そんなことより、咲間さんが、遥香が殺されてしまう!
せっかくガドガン先生にもらった力を生かしきれてない。
それに、コイツにはいくつも聞きたいことがある。
でもこのままでは捕まえることはおろか、倒してあちらに駆けつけることさえできない。
「あんたって双子のどっちかしら?姉?妹?・・・この攻め方だと妹かしら?だって恋人を殺されたにしては必死さが足りないもの。それとも・・・もう新しい恋人を見つけたのかしら?大していい男じゃなかったようね!」
こ、こいつ!
姉さんと理君を同時に侮辱しやがった!
一瞬で頭に血が上りかける。
回復治癒魔法使いの拷問を舐めるなよ!?
殺してくださいって言うまで刻んで治してやる!
その首を、なめくじの胴体に接合してやる!
「姉さんを侮辱するな!お前なんて私が!」
そう、叫んだ時だった。
「琴音。私のこと、呼んだ?」
聞きなれた声。
でも、恐ろしく底冷えする声。
そんな声が、私のはるか頭上から、降り注いだ。
見上げれば、そこにはボートオールのようなものに跨った姉さんの姿があった。
◇ ◇ ◇
「ね、姉さん、どうしてここに・・・。」
「さっき咲間さんと遥香から念話があったのよ。あの二人、グループ通信のままで仄香に助けを求めたから、私にもその内容が聞こえたわ。」
そうか・・・グループ通信のままだったんだ。
仄香が念話のイヤーカフをたくさん作るようになってから、宗一郎伯父さんや健治郎叔父さん、オリビアさんも使うようになった。
だから間違えて全体通信にならないよう、デフォルトはグループ通信に設定されていたんだけど・・・。
「琴音。あなたは二人のところに。ここは私が引き受ける。あとは任せなさい。」
姉さんはそう言いながら、ひょいとオールから地面に降りる。
まるで魔法の箒のようなそれは、姉さんの身体から離れると衛星のように姉さんを周回し始める。
「あら?せっかく双子がそろったのに一緒に戦わないの?もしかしたら双子の片方が欠けるかも?あははは!」
「うるさい。」
姉さんがそう、短く言い放った瞬間。
轟音とともに、オールの先端が火を噴く。
・・・!?今、魔力をほとんど感じなかったよ!?
羽虫のすぐ脇にあった街路樹が、ガサガサ、と音を立てて崩れ落ちる。
「ひぃっ!?」
あわてて羽虫が飛び上がる。
羽の一枚が欠けても器用に飛ぶものだ。
「・・・原子振動崩壊術式はちゃんと作動した。でも・・・命中精度に難アリか。」
続けて姉さんが右手を前に差し出す。
前腕部に、一瞬で複数の紋様が現れ、電光掲示板のように流れていく。
今のは・・・まさか術式!?
しかも一瞬で組み上げたの!?
その指で軽く音を鳴らした瞬間。
パチン。そんな音が鳴ると一瞬思った。
でも実際に鳴った音は・・・。
ドン!!
腹に響く、重低音。
見れば、羽虫が飛んでいた近くの電柱が・・・。
上から半分がない!?
破片は?切れた電線は?
「詠唱代替術式も空間消滅術式もちゃんと作動した。でも発動から着弾までタイムラグがありすぎる。実戦で使える場面は限定的ね。しばらくは半自動詠唱機構が手放せないか。」
「ね、姉さん・・・今のって・・・?」
「ああ、新開発の攻撃魔術よ。ラジエルの偽書に載ってない知識を一から作るのは大変だったわ。・・・でも、こんなんじゃまだ何の役にも立たないのよね。」
「ぐ、あ、あ・・・。い、いったい、何が・・・。」
気付けば、羽虫が両足の膝から下を失って路上に落ちている。
「あれ、とっ捕まえて吐かせればいいのよね。・・・人が集まってきたわ。琴音は早く二人のところに行って。」
「姉さんは・・・どうするの?」
「私は・・・コレをししょーのところに持っていくわ。陸情二部ならいろいろと便宜を図ってくれるでしょう?」
言葉が終わるや否や、姉さんはポケットから羽飾りのようなものを取り出し、魔力を流し込む。
フワリ、と姉さんの身体が舞い上がり、そのあとをオールが追いかけていく。
「今のは・・・長距離跳躍魔法?魔力の流れが、全然違ったけど・・・それも・・・術式だけで?それに・・・攻撃・・・魔術!?」
私はガドガン先生の力を得て強くなったと思っていたけど、まるで違う何かを見ているような気がした。
同時に、姉さんの目を・・・一切の光が見えない目を見て、その闇の深さに恐れ慄いていた。
◇ ◇ ◇
数分前
南雲 千弦
三日ほど寝てないことに気付き、食べかけのバナナを片手に椅子から立ち上がる。
この三日間でいろいろやってみたけど、まだ何の手がかりもつかめない。
「紫雨君の術式の使い方もいいんだけど、こっちの方が自由度は高い。制御は難しいけど、まあ、何とかなるか。」
新開発の詠唱代替術式は、皮膚に刻んだ術式回路に体内の魔力回路を直結し、詠唱の代わりに術式で構成した表示機を使うことで自動詠唱機構によく似た機能を持たせることに成功した。
「これで抗魔力増幅機構が併用できる。それと・・・攻撃魔法はあっても攻撃魔術がないのはこんな理由だったのね。ああ、確かにこれじゃあやる気にならないわ。」
魔術・・・術式を使って攻撃を行わないのは、事前に準備をしておかないといけない魔術と違って、その場でとっさに攻撃方法を選択できる魔法の方が圧倒的に有利だからとは思っていたけど・・・。
まさかここまで苦労するとは思わなかった。
だって、攻撃する目標までの距離とか目標の種類とか、全部設定しなけりゃならないんだもの。
なるほどね、概念精霊とか神格とかに丸投げしたくなる気持ちがよくわかるわ。
まあ、術式だって色々な精霊を介することがあるけどさ。
それと・・・新しく構築した魔術・・・血継術式。
こいつは作った自分でもよく分からないけど、要するに子々孫々、絶えるまで特定の術式を引き継ぐ、というシロモノだ。
術式を親から子、孫、ひ孫へと転写し続け、所定の条件を満たした瞬間、作動する。
それは、回復治癒だったり、防御魔法だったり、あるいは魅了魔法だったり。
場合によっては短命の呪いとか種絶の呪いとかも可能だったりする。
あと、結婚できなくなる呪いとかね。
この血継術式は、内容次第ではかけられた者にとっては祝福にも呪いにもなるんだけど・・・。
最大の特徴は、パスコード無しでは解呪できない、という点にある。
いや、我ながら何のために作ったのかよく分からん。
しかも、世代を重ねるほど強力になるから最悪、術者でも解除できないかもしれん。
ってか、パスコードを忘れたりしたらマジで笑えるんだけど。
三徹のノリで作ったからか、かなり変なものができてしまったよ。
「・・・脳が回らなくなってきたわ。1時間だけでも寝ようかしら。それとも・・・うん。シャワーでも浴びようか。」
階段を下り、着ていたパジャマを洗濯籠に放り込む。
フワリと臭う、ヤバそうな体臭。
「ヤバいヤバい。こんなんじゃあ・・・。」
途中まで言いかけて、言葉を飲み込む。
・・・理君に嫌われちゃう、と。
ただ嫌ってくれるならそれでいい。
だって、理君は「いる」ってことだもの。
でも、理君は、身体はあっても、「いない」んだよ?
・・・もう、私を抱きしめて、貫いてくれないんだよ?
適当にシャンプーをかけ、ガシャガシャと頭を洗う。
ボディーソープは、そこら辺にあるやつを適当に使う。
時間がないから、得体のしれない歯ブラシで歯も磨いておく。
バスルームから出て鏡を見ると、そこには目の下に大きなクマがある、血色の悪い顔が映っていた。
「ああ・・・少し健康にも気を付けるか。残り時間が短くなっちゃうからなぁ・・・。」
だけど、シャワーのおかげで頭がしゃっきりした。
適当に乾燥系の術式を使い、髪を乾かす。
さて・・・眠くなるまで続きをやるか。
そう、思って適当な部屋着にそでを通した瞬間。
念話のイヤーカフから、咲間さんと遥香の声が響き渡った。
◇ ◇ ◇
新開発のフライングオールに跨って慌てて駆け付けた時、すでに琴音が羽のある女を追い詰めていた。
どこかで見たことのある杖を片手に、業魔の杖を持たずに制御して戦っている。
自動詠唱機構を使いこなし、短縮詠唱まで使いこなしている。
さらには、相手が詠唱を始める前に、対抗魔法を組み立て、展開し、さらには連唱に近い魔法を行使している。
魔力量だってほとんど減ってない。
やっぱり、琴音は天才じゃん。
あれなら絶対に負けることなんてないだろうね。
私が一睡もせずに理論を、・・・術式を組み立てている間に、普通に学校に通って勉強して、放課後に咲間さんと遥香のバイト先に遊びに来て、・・・それであれほどの魔法を操ることができるんだよ?
「もう、琴音だけいればいいんじゃないかな。・・・そのうち仄香も来るだろうし、帰って続きでもやろうか。」
そう思い、帰りの長距離跳躍魔法を発動させようと思った時だった。
「あんたって双子のどっちかしら?姉?妹?・・・この攻め方だと妹かしら?だって恋人を殺されたにしては必死さが足りないもの。それとも・・・もう新しい恋人を見つけたのかしら?大していい男じゃなかったようね!」
羽女がそう言った。
・・・だれが、新しい恋人を見つけただって?
だれが、いい男じゃなかったって?
「姉さんを侮辱するな!お前なんて私が!」
琴音がそう叫んだ。
息の切れた声で。
・・・ああ。
気分転換は必要だな。
それに、せっかく作った攻撃魔術を試す機会なんてそうそうないだろうし。
「琴音。私のこと、呼んだ?」
そう声をかけ、ゆっくりとその場に降り立った。
すでに満身創痍の羽女は、驚愕したかのような目をこちらに向けた。
・・・いいだろう。
お前の色を見せてみろ。
私の色で塗りつぶしてやる。
◇ ◇ ◇
時間にして十数秒だろうか。
あっさりと終ってしまった。
琴音が追い込んでくれていたおかげだね。
それにしても、原子振動崩壊術式は当たらなかったし、詠唱代替術式は魔力消費が大きすぎだし、空間消滅術式は時間がかかりすぎで範囲指定に難がありすぎた。
エフェクトだけは派手で好きなんだけどな。
相手に「当たらなければどうということはない(キリッ)!」とか言われちゃうよ。
昔、サバゲで理君に言われた言葉を思い出す。
・・・ああ、彼以外には言われたくないかな。
よし。
次からは射撃管制術式を併用しよう。
でもまあ、勝ったからいいか。
それに、いいモノが手に入った。
師匠のところに持っていく前にいろいろ試してみよう。
そういえばコイツ、魔族じゃないだろうな?
魔族は長距離跳躍魔法の移動対象にならないんだよな。
ああ、面倒だ。
仕方がない。
アレの試験運用もしてしまえ。
私はポーチから定点間高速飛翔術式を刻んだ羽飾りを取り出し、魔力を流し込む。
・・・これ、長距離跳躍魔法を一度バラバラに分解して攻撃魔術を作ろうとしたんだけど、理解しきれなかったから、まずは一から長距離跳躍術式を作ってみることにしたのよね。
ま、これなら魔族に対する安全装置なんて初めから組んでないし、コイツが魔族でも問題ないでしょ。
◇ ◇ ◇
仄香
慌てて駆け付けた時には、すべて終わっていた。
・・・いや、悪い方にではなく、解決した、という方向で。
「それにしてもこれ・・・どういう状況なんですか?」
床に散乱した吉備津桃と、術式を完全に破壊され、ただの死体に戻ったアンデッド。
あたり一面に吉備津桃の香気が漂っている。
コンビニの入り口の自動ドアのガラスが割れ、破片が散乱しているのと、棚に置かれていた商品の一部が床に落ちているのを除けば、パッと見はほとんど被害などなさそうだが・・・。
「いや、私にもなにがなんだか・・・咲間さんを守ろうと事務所から飛び出したら、ゾンビがみんな倒れてて・・・。」
遥香の手には、いまだにデッキブラシが握られている。
咲間さんが近寄り、デッキブラシを受け取ろうとしたが、指が硬直して離れないようだ。
それほどの恐怖心を押して飛び出すとは。
いい根性をしてるじゃないか。
「あ!コトねん!大丈夫だった?ケガとかしてない?」
「・・・私は大丈夫。それよりお店が大変なことになってる・・・。」
「ああ、ウチはちゃんと保険に入ってるから大丈夫。自動ドアもダメになった商品も、営業できなかった時間分も保険金が下りるから。それより・・・警察が来たね。どうやって説明しようか。」
店の中と外には20体ほどの死体が不自然な姿勢で散乱し店舗前の道路の一部はめくりあがり・・・。
おそらくは琴音が戦っていた場所も無事ではないだろう。
「警察への説明は私が。それより、琴音さん。襲ってきた者は・・・逃げてしまいましたか?」
「あ・・・いや、それが・・・姉さんが来てくれたんだけど・・・。」
千弦が来た?私より先に?
あいつ・・・理殿を失って精神が病んでいたと聞いていたが・・・。
すべてを終わらせてから吉備津桃をもって様子を見に行ってやろうと思っていたんだが、やはり妹や友人の危機は見逃せなかったのか。
「詳しい話はあとで。琴音さんは帰りなさい。それと。咲間さん、遥香さん。あなた達は店が襲撃されたとき、怖くて店の中に逃げ込んでいた。相手が何だかわからなかった。それ以外は言わないように。」
いつのまにか、店の前に大量のパトカーが押し寄せ、機動隊のようないでたちの警察官がパトカーのドアを盾にして銃を構えている。
・・・それで?「犯人に告ぐ」とかいうつもりか?
私は構わず正面ドアから彼らの前に出て言い放つ。
「遅い。通報から何分経っていると思うの?事件ならもう終わったわよ。」
「動くな!手を頭の上で組み腹ばいになれ!」
・・・いきなり犯人扱いかよ。
いっそ犯人みたいに暴れてやろうか?
「ま、待て!彼女は犯人じゃない。君は・・・どこかで・・・。」
制服組ではない警察官が慌てて止めるが・・・おまえら、銃くらい降ろせよ。
「呆けている暇があるなら太田警部を呼びなさい。・・・どうせ近くの警察署で待機してるだろうし、事件の背景は全部知っているはずよ。」
「と・・・とにかくこちらへ!おい!彼女を保護しろ!」
あー。
めんどくさい。
こいつら、本当にどうにかしてやろうかしら。
でもなぁ・・・咲間さんには迷惑かけたくないんだよなぁ・・・。
・・・・・・結果。
なぜか管轄の警察署までパトカーで連れていかれて事情聴取を受けることになったよ。
・・・取調室に入るのって初めてじゃないか?
ふうん・・・廊下に面しているんじゃなくて、刑事課のデスクの横にあるんだ。
へえ・・・奥側に座らせるのか。
それに・・・顔に当てる用のライトとかは使ってないのか。
思ったよりもずっと狭いし、檻がついている窓どころか、入り口以外に開口部がないし。
ドラマとはずいぶん違うんだな。
いかんいかん、ワクワクしてる場合じゃない。
とりあえず・・・二人は何をしてるかな。
《そっちはどうですか?何か変なこと、聞かれてませんか?》
《あ、仄香さん。あたしも遥香っちも事情聴取は終わったよ。完全に知らぬ存ぜぬで通したし、このイヤーカフのおかげで簡単に口裏を合わせられたからね。》
《それは良かった。嫌なことは言われませんでしたか?》
《それは大丈夫。婦警さんが優しく聞き取ってくれたよ。今、二人で店に向かっているところなんだけど・・・夜勤の兄さんが少し早く来てくれたみたいだし、規制線が張られたままでどうせお客さんは入れなかったみたいだしさ。店の方も大丈夫みたいだよ。》
《後で幸恵さんにも謝罪しなきゃいけませんね。保険で賄えないところもあると思うから、少し包ませてもらいますよ。余ったらおいしいものでも食べてくださいね。》
まあ、帯付きを10束くらい持って謝罪にいこう。
それよりも・・・。
「なあ、お嬢ちゃん。いい加減に本当のことを話してくれないか?・・・で?パスポートは?どこのホテルに泊まってるんだ?」
パスポートって・・・あるわけないでしょう?
そもそも私は・・・あれ?外国人であることは間違いないのか?
・・・いい加減、うざくなってきたな。
さては、襲撃犯を捕まえられなかったから、私を適当な罪状で捕まえて減点を少なくしようという腹積りか。
「ノーコメント。私に口を割らせたければ拷問でもなんでもしてみなさい。・・・ほら。綺麗な指と爪でしょう?剥がして、折って、千切ってみなさい。なんなら焼いてもいいわよ。ただ・・・百倍にしてやり返すけどね。」
「このクソガキ!警察を脅迫するつもりか!?俺たちを舐めるなよ!」
はあ・・・。
拷問でもなんでもしてみればいい。
世界を相手に屍山血河を作り続け、手足を千切られようが腹を裂かれようが歩みを止めなかった魔女を舐めるなよ?
「貴方は、自分の頭蓋骨で酒宴を開かれたことがある?・・・自分のハラワタを口に押し込まれたことがある?知ってる?脳は、上半分を失っても意識はまだ続くのよ?ハラワタって、苦いのよ?」
「ぐっ!?このガキ!狂ってやがる!」
・・・くだらない。
なんの武力の後押しもなく、取り引きすらなく、自白を強要しようとか・・・。
頭にチューリップでも生えてるのか?
っていうか私をガキ扱いするとか・・・。
私の百分の一も生きてない若造が言うなよ。
もう少しで洗脳魔法の詠唱に入りそうになった時、取調室のドアにヌッと男が顔を出す。
・・・おそいよ、太田警部。
「そこまでだ。井上。あとは俺が応対する。・・・それと、応接室。あと、美味いコーヒーを用意しろ。俺と彼女の分だ。」
「は?はあ・・・。ですがまだ取り調べ中で。」
「・・・聞こえなかったか?これはお願いでもアドバイスでもない。命令だ。」
「そんな命令があるはずが・・・!」
「・・・おい。彼の上司を呼び出せ。本庁と公安から直接指導と改善命令を出させる。・・・お前、もう昇進できると思うなよ?・・・それと。明日の朝の辞令を楽しみにしておけ。」
取調室の扉を開けて入って来たのは太田警部、そして黒川だった。
「あらぁ〜。これは珍しい場面に遭遇しちゃったかしらぁ?・・・魔女様?」
黒川・・・。
お前、随分前から見てただろう?
廊下からお前らの気配がずっとしてたぞ?
「遅いわよ。・・・それにしても・・・出前でカツ丼くらいとってもらえるかと期待してたんだけど・・・ドラマと違いすぎね。」
「いや、利益供与になるようなことするはずないでしょぉ?・・・で。私たちには話してもらえるのかしらぁ?」
まあ、この二人は和彦の息がかかっているし、魔法や魔術が存在するものとして対応している連中だ。
今後の連携のこともあるし、話しておいて損はないだろう。
「そうね。・・・じゃあ・・・とりあえず。カツ丼を用意しなさい。食べ終わったらゆっくり話してあげるわ。」
そんなに驚いた顔で見るなよ。
一度は取調室でカツ丼を食べてみたかったんだよ。
◇ ◇ ◇
美味くもないカツ丼を一人前たいらげた後、先ほどの取調室とは比べ物にならないほど座り心地の良い応接室のソファーに座り、食後のコーヒーを楽しむ。
・・・ま、75点だな。
「それで、先ほどの話の続きですが・・・襲撃者は教会の十二使徒、『幻蝶』こと薙沢菫・・・ええと、漢字はこれで合ってますか?」
ミドルネームに教会の聖名が入るんだが・・・ルナだったかルーナだったか覚えてない。
「ええ。それでいいわ。」
太田警部と黒川・・・警視だっけ?
二人に大体のことのあらましを説明したが、千弦が乱入した話はしていない。
あくまでも琴音が単独で撃退したことにしてあるのだが・・・。
なぜそんなに悩んでいるんだ?
相手は重傷で再襲撃の可能性がないと伝えたのがまずかったか?
琴音に「過剰防衛だ!」とかいう気なんじゃなかろうな?
「う~ん・・・困ったわねぇ・・・これ、どうしようかしらぁ・・・。」
「何か問題でも?」
「あ、いえ・・・この薙沢って・・・妖精なんですよね?まいったな。そうするとこれ、事件っていうか、扱いが害獣対策になりそうなんですよね・・・。」
「害獣・・・対策・・・?」
だれが、害獣だって・・・?
その後、双方の認識がズレていたこともあり、認識合わせをした結果、思っていたのと違う問題が発生してしまった。
古くから日本では幻想種が目撃されてきたが、その中に「妖精」や「竜人」もいたそうで、一応はその存在が文献にも登場するものの、最後に目撃されたのは千年も前のことらしい。
そのため、幻想種に関する法整備の中でも、この二種は見落とされてきたらしいのだが・・・。
「困ったわねぇ・・・諸外国でもこの二種は人間扱いされてないのよねぇ・・・。っていうか、妖精にも名前があるのね・・・。」
「竜人はどうか知りませんが、妖精は人間と交配できないと聞いています。法律上、人から生まれない限りは人ではない。ということは、基本的人権もなければ逮捕して裁判にかけることもできない。これ、どう対応します?」
おいおい、あの二種は幻想種であって怪異ではないぞ?
それに、奴らが人間と交配できないのはサイズの問題であって遺伝学上の問題ではないし・・・。
ヤバいな。
あいつ、この国だと駆除の対象なのか?
なんか、哀れになってきたよ。
◇ ◇ ◇
警察署を出て太田警部の運転する車で咲間さんの店まで車で向かうも、あたりはすでに真っ暗になってしまっている。
念のため、遥香は自宅まで長距離跳躍魔法で帰らせたが、咲間さんの母親である幸恵さんには挨拶をしておかなければならない。
途中、メネフネと合流し、玉山の金庫室から持ってきてもらったカバンを受け取る。
店舗入り口に近づくと、破損した自動ドアは外されており、ガラス片も倒れた棚や商品も、すべて片付けられていた。
「幸夫さん、お忙しいところ失礼します。幸恵さんはいらっしゃいますか。」
「ん?ああ、仄香さんでしたか。母は自宅にいると思いますよ。明日は休みなのでまだ起きていると思いますが・・・呼び出しましょうか?」
「あ、いえ・・・お店を壊してしまったことのお詫びに来たんですが・・・ではご迷惑でなければ後日、ご自宅のほうに伺ってもよろしいでしょうか?」
「はい。仄香さんがいらっしゃるのであれば後日と言わず今日でも。あ、ちょっとお待ちを。電話しちゃいましょう。・・・ああ、今からお越しいただいても大丈夫だそうです。」
幸夫殿は素早く電話すると、幸恵さんに私の訪問の約束を取り付けてしまった。
店に出勤していたらとは思ったけど、こんな時間に訪問するなんて失礼じゃないか、なんて思う暇もなく。
気を取り直して5分ほど歩き、少し古いアパートの前に立つ。
101号室。
ドアチャイムもインターホンもないのでドアを軽くノックする。
ややあって扉が開き、中から咲間さんと幸恵さんが顔を出す。
幸恵さんの頭には、なぜか今年の正月に咲間さんに譲った管狐がちょこんと乗っている。
「この度は私怨私闘に巻き込んでご息女を危険にさらし、店舗を破壊されてしまい、誠に申し訳ございませんでした。どうか、これをお納めください。」
開口一番、まずは謝罪する。
「え!あ、いや、お詫びの品なんてそんな御大層なものを持ってこなくてもよかったのに。とにかく、狭い家ですが上がってください。恵!お茶を入れて。あ、コーヒーのほうがいいですよね。恵!やっぱりコーヒーで!」
「はいよ!あれ?もしかして仄香さんがウチに来るのって初めてじゃん?うわ!緊張するかも!」
咲間さんは私が差し出した包みを受け取り、そのままなぜか冷蔵庫に入れる。
金庫がないのか。
まあ、茶だんすに入れるよりはマシか。
それに、管狐もいることだし、空き巣狙いは心配しなくてもいいだろう。
「重い・・・カステラかと思ったら羊羹?コーヒーには合わないよね。じゃあ、お茶うけは吉備津桃スイーツの新商品でいいか。」
咲間さんはそんなことをつぶやきながらコーヒーを淹れ始めた。
彼女の家は2DKの小さなアパートだ。
6畳の和室に通され、ちらりと見えるのは兄妹が一緒に暮らしている洋間だろうか。
二段ベッドと机が見える。
和室は応接室と寝室を兼ねたような構造になっており、ベッドは見当たらず、押入れがあるところ見ると、幸恵さんは布団で眠っているらしい。
「わざわざありがとうございます。お気になさらなくても結構でしたのに。それに、店舗破損などの損害はすべて保険で対応できますから。」
「いえ、私がいなければ恵さんも幸夫さんも危険にさらされることなどなかったはずですので。本当に申し訳ございませんでした。」
もう一度謝罪し、深く頭を下げる。
「・・・実は、吉備津桃がなければあの店は潰れるところでした。そして、私も幸夫も、恵もそのまま路頭に迷うところでした。ですから仄香さん。あなたと琴音さんたちは私たちの命の恩人なんですよ。」
「しかし・・・。」
「一度命を救ってもらった以上、何があってもそれ以上のことはありません。ですから、謝罪は結構です。それより、せっかく来てくださったのですから高校での恵の話でも聞かせてください。」
「・・・感謝します。もし、保険で賄えず金銭が不足することがあったら私にお声がけください。」
なんというか、非常に泰然とした女性だ。
見習わなくてはならないな。
その後、小一時間ほど話し込んだ後、なぜか夕飯までごちそうになり、あまり遅くなるのもいけないと思って家を出たが、謝罪しに来たのか、もてなされに来たのか分からなくなってしまった。
なんとも、気持ちの良い御人だった。
ああ、そうそう。
今後、同じようなことが起きないように二人には護衛代わりの眷属を召喚しておいたよ。
ムーシュカの眷属の二体で、インド神話におけるガネーシャ神の従者である大鼠であり、いかなる障害でも噛み砕き、主人に幸運や財貨を運ぶという・・・まあ、縁起の良い連中だ。
外見は少し大ぶりなハムスターなんだが、それなりの火力がある。
管狐はただの怪異で私の眷属じゃないし、とりあえずはこれで安心だろう。




