265 突かれた背後/高速詠唱と熾天の白杖
南雲 琴音
私立開明高校3年1組
9月4日(木)午後
遥香と咲間さんが何か言いたそうにしているけど、あえて聞かないことにしている。
・・・二人とも隣のクラスで授業を受けている姉さんと理君が偽物・・・二号さんとドモヴォーイ・・・三号さんだって知っているからね。
英語の授業が始まり、ガドガン先生の代わりに来た男性教師が教科書をそのまま使って授業をしている。
クラスのみんなは明らかに落胆している。
それはそうだろう。
文法や慣用句に終始して、何一つとして心に残るものがないんだから。
ひどい生徒ともなれば、先生に指されて答えるときの受け答えを全部英語でやっている生徒すらいる。
そう、回答部分以外の受け答えまでも。
妙に満足そうな先生の後姿を見て、くすくすと笑う生徒もいる。
《ねえ、琴音ちゃん。千弦ちゃんは・・・大丈夫?》
耐えられなくなったのか、遥香が念話で恐る恐る切り出してきた。
そういえば、仄香もいないんだった。
大事な用事があるとかで、月曜から玉山の隠れ家にこもっているというが・・・。
次の中間テスト、大丈夫だろうか?
《大丈夫かどうかは分からないけど、一応家にはいるみたい。部屋をのぞいたら机に向かって何かを調べていたよ。》
《千弦っち、理君のことが大好きだっただからね。あ~あ。あたしにも何か魔法が使えたらなぁ。友達が大変な時に何もできないのは悔しいよ。》
咲間さんの言葉に、ふと疑問がわく。
そういえば、姉さんは何で理君のことがあんなに好きなんだろう?
《ねえ、琴音ちゃん。千弦ちゃんってなんであんなに理君のことが好きなのか知ってる?千弦ちゃんみたいな天才的な魔法使いが理君みたいな普通の男の子のことをあそこまで好きな理由って・・・?》
《そういえばなんでだろう?一度も姉さんから聞いてない。》
遥香も私と同じ疑問を感じたらしい。
姉さんから恋愛相談をされたことなんてほとんどなかったから、私も知らないんだけど・・・。
思わずそう答えてしまった私に、ほんの少しの沈黙の後、咲間さんは言いにくそうに切り出した。
《あたし、聞いたことがあるんだ。高校一年になったばかりのとき、隣の組の女子が話してること。あたし自身、まだコトねんと千弦っちのことを有名な双子だとしか知らなかったころなんだけど・・・。》
退屈な英語の授業が続く中、咲間さんはゆっくりと、そして伝聞だと前置きした上で私が知らない姉さんのことを話し始めた。
◇ ◇ ◇
《この高校に入学してまだ3日目くらいだったかな。新高(高校入学組)のあたしは友達なんていなかったからさ。手当たり次第に声をかける相手を探してたんだけど・・・その中に隣の組の女子グループがあったんだ。》
《隣、ってことは・・・姉さんのクラスの?》
《そう。あたしとコトねん、千弦っちはずっとクラスが1組と2組だったじゃん?それで、2組の女子が・・・千弦っちとコトねんの区別がつかないのは困る、って言ってたんだよ。》
区別がつかなくて困るってセリフは昔から言われ続けてたから慣れてるけど、なぜ隣のクラスの女子が?
不思議に思いながらも、咲間さんの話を黙って聞く。
《そんなに似てるのか、って声をかけようとしたら、その一人が、「おかげでシカトくらいしかできないじゃない?」って。その言葉に驚いて声をかけらなくなってさ。》
《シカトって・・・無視?千弦ちゃん・・・いじめられてたの?》
《はっきりとは言えないんだけど、露骨に嫌ってる女子が何人かいたみたいなんだ。でもさ。・・・コトねんって男子生徒だけじゃなくて女子生徒からも人気があるじゃん?》
《さあ・・・あまり考えたことなかったけど・・・?》
《ここまで似ている双子ならさ。ふつうは「双子であること」も人気の一つになるんだよ。でも、そういった話は三年間ずっと聞かなかった。つまり・・・。》
《千弦ちゃんだけはいじめられていた、と。何かして琴音ちゃんと間違えるといけないから、もっぱらシカトという形になった、そういうことなんだね?》
姉さんが、いじめられていた?
いや、そんなことをするなんて、どんだけ命知らずな連中なんだ?
ああ、姉さんでもシカトだけならさすがにどうしようもなかった、ってことか?
それとも・・・あの人の事だから気付いてない可能性もあるかも。
《そう。ところがさ、同時にこんな話もあったんだ。理君や時岡君、近衛君や西園寺さんといった一部の生徒は、そのシカトに加わらなかったらしいんだけど、その理由がさ。全部理君のおかげなんじゃないか、って。》
そういえば・・・私自身、姉さんのクラスの人たちから遊びに誘われたことが何度かあったけど、必ず理君の姿があったっけ。
それに、今考えてみれば、妙に女子の参加者が少なかった。
考えてみれば姉さんはああいう性格だ。
同世代の女子と、明らかに価値観が違う。
それに・・・健治郎叔父さんにレンジャー顔負けの訓練を叩き込まれたり、大人でも難しい術式を扱ったりと、同世代の子供とは見ている世界がまるで違ったのだろう。
女子たちから見れば、さぞや異質なものに見えただろう。
小学2年生で3人の誘拐犯を殺した経験など、普通の女子には理解の範疇の外だろう。
《つまり、千弦ちゃんが普通の高校生活を送れたのは、理君のおかげってこと?それって・・・。》
・・・私は、魔法使いだ。
魔法使いは、その能力はほとんどが天性の才能で決まるといわれている。
その中でも、偶然手にした回復治癒魔法に適応する魔力回路を持つ私は、いわば宝くじを引き当てたようなものだ。
だから、さしたる苦労もなく、魔法使いと女子中学生、女子高生の二つの草鞋を履くことができた。
じゃあ、姉さんは?
姉さんは、元々は魔術師だ。
魔術師は、ほとんどが努力と修練で決まるといわれている。
姉さんは体内に魔力回路を構築することができず、術式を手作業で構築し続けることを余儀なくされてきた。
数少ない魔術書を探し、場合によっては頑固な師匠のもとについて修練し、複雑な理論の塊の術式を試行錯誤して組み立てる。
それが普通の魔術師で、だから魔術師といえばほとんどが大人。
いや、老人だ。
つまり・・・あの年齢で実用レベルの魔術を使うことができる姉さんは異常なんだ。
姉さんは、理君がいなければ普通の女子高生、いや、普通の子供でいることもできなかったんじゃ・・・。
念話での会話に沈黙が訪れたころ、終業のベルが鳴る。
「はい、今日はここまで。もう三年だから文化祭に参加するやつはいないと思うが、下級生の手伝いもほどほどにな。それと明日は小テストだ。・・・今日の日直はだれだ?」
生徒たちから「うげー」とか「えー」とかいった声が広がっていく中、一人の女子が手を上げる。
「は~い。わたしです~。起立。礼」
やる気のない号令の後、先生が出ていき、ガタガタと椅子から立ち上がる音が響く。
仄香もいない、姉さんは大学を受験する気はない。
小テストに備えて一人で勉強でもするか。
私はそう考え、席を立ちあがる。
「あ、咲間さん。今日は一緒に帰ろうよ。私、夕勤だから。」
「あ、そういえば今日は遥香と二人で夕勤だった。じゃあ、少し早いからどこかで時間をつぶそうか。コトねんはどうする?」
遥香と咲間さんを見て、じわりと寂しさのような感覚が胸に広がる。
「あ、じゃあ、私も行こうかな。・・・どうせ長距離跳躍魔法で帰ればいいし。」
我ながらマヒし始めたかな、なんて思いつつ、手早く荷物をまとめ、二人の後について歩きだした。
・・・・・・。
二人が夕方5時からの夕勤だということもあり、少し前の時間まで喫茶店で時間をつぶした後、咲間さんの店で別れる。
「・・・帰るか。明日は小テストだし。姉さん・・・もう、日常に戻るつもりはないのかな?」
最近やっと落ち着き始めた吉備津桃の売り場を見ながら店の外に出て、スカートの裏地に刻まれた認識阻害術式、電磁熱光学迷彩術式を順に起動したとき、ふわりと鱗粉のようなものが風の中にあることに気づく。
「これって・・・!まさか!」
ガドガン先生からもらった魔力検知能力がなければ絶対に気付かなかっただろう。
空中にあるわずかな魔力粒子。
それも、見渡す限りの空間に、芥子粒のような魔力。
集中し、周囲を探る。
誰かが、魔術・・・いや、魔法を使っている。
それも、遥香の魅了魔法と同レベルの何かを。
カバンの中からガドガン先生の杖を取り出す。
分割されたそれは、ゴム仕掛けで一瞬のうちに一本の白い杖となる。
業魔の杖と違って携帯できるから本当にありがたいよ。
白杖、っていうと盲人用の杖みたいで勘違いしそうだけどさ。
「この気配は、あの時の・・・。」
まだ帰宅ラッシュの始まる前。
だけど、結構な買い物客がいる商店街の路上。
100m以上離れたところにある花屋の前に、誰かが浮いている。
身長、50センチくらい。
四枚の透き通った翅。
ピーターパンの絵本に出てきそうな外見に、きらきらと舞う、鱗粉のような金の粉。
そう・・・。あれはローザンヌであの男・・・サン・ジェルマンの魔石を持って逃走した妖精。
こちらに気付いていないのか、OLのような外見をまとってゆっくりと、歩くように偽装して近づいてくる。
「白昼堂々、何をするつもりかしらね?」
私はこれから襲撃がなされるであろうことよりも、おそらくは極めて強力な幻術を持ってもなお、ガドガン先生の魔力検知は揺るぎもしないということに、最大の驚きを感じていた。
認識阻害と電磁熱光学迷彩術式を使ったまま、その妖精に近づく。
彼我の距離が5mを切ったころ、彼女はめんどくさそうにつぶやいた。
「はあ、千弦とかいう女の恋人の次はその妹の友人?クリスのやつ、どんだけなのよ?ええと、術札を首筋の後ろに当てるんだっけ?で、転写した後起動条件を指定する、と。」
何を言っているんだろう?
何かの術札を使って誰かに術式を転写するということか?
「んと、起動条件は・・・前回と同じぃ?いや、その場にいなかったんだから知らないって。あ、指定したエリア外に出ることが条件ね。じゃあ・・・コンビニの敷地をエリアに指定すればいいか。ったく。爺さんの葬儀で手が離せないからって人任せにしないでもらいたいわ。」
妖精女は肩に下げた小さなカバンから二枚の術札を取り出す。
私はその模様をみた瞬間、思わず息をのんでしまう。
鏡合わせだから一瞬気付かなかったけど、あれって・・・理君の首についてたマークと一緒なんじゃ?
「ま、いいわ。私は千年前行きの切符が手に入ればそれでいい。ふ、ふふふ・・・。」
妖精女はそういうと、幻惑系と思しき魔法の出力をさらに高め、周囲の人間の認識を欺きながら、その姿を消していく。
だが、私の・・・いや、ガドガン先生の魔力検知は、それを見失うことはない。
姿を消し、周囲の誰もがその存在に気付かないと確信した妖精女は、咲間さんの店にゆっくりと足を踏み入れた。
・・・・・・。
遥香がレジに立ったからか、店の中は途端にごった返し始めている。
「いらっしゃいませ!はい、吉備津桃ですね?青果のコーナーにございます。贈り物ですか?」
不自然さのない丁寧な言葉と自然な笑顔で応対する遥香の顔を見た男性客が、信じられないほどデレデレしている。
一緒にいる奥さんらしき女性客も、そんな旦那のありさまを見て怒るどころか、一緒になって鼻の下を伸ばしている。
・・・信じられる?
あれでノーメイクなんだよ?
そんな遥香は後回しにするつもりなのか、妖精女は売り場で鮮度チェックをしている咲間さんの後ろからゆっくりと近づく。
「術式、安全装置解除。人間なんてみんな死ねばいい。まずはその魂から。」
やっぱりそうか。
姉さんから理君を奪うだけじゃ飽き足らず、咲間さんや遥香まで私たちから奪うつもりだったんだ。
たまたま私がここにいなかったらどうなっていたんだろう?
全身が恐怖にさいなまれる。
同時に、私の中の誰かが叫んでいる。
ああ、これは姉さんの声だ。
・・・「こいつらは人間じゃない。人の言葉を使う・・・害虫だ」と。
彼女が赤紫色の魔力粒子をこぼす術札を咲間さんの首筋に近づけようとした瞬間、私は白い杖を水平に持ち、ただ一言、言い放つ。
「解呪。多重発動。」
パリィイン・・・・という、軽い何かを砕いたような音が響き渡った瞬間。
すべての魔法、すべての術式が砕け散る。
「な、なに!?いったい何が!?」
驚愕に目を見開く妖精女。
自分の認識阻害術式、電磁熱光学迷彩術式まで解呪し、憮然とした表情をさらしているであろう私。
そして、「あれ?何か忘れものでもあった?」と振り向く咲間さん。
ピンポーン、と入店チャイムが鳴り響いたその瞬間。
自動ドアが開いて、子供連れの女性が店の外に出て行ったあと、ドアが閉まる前に。
私は妖精女の翅の一枚を引っ掴み、そのまま店の外に向かってぶん投げた。
◇ ◇ ◇
「ぎゃあぁぁぁ!?」
可愛いナリしてずいぶんと野太い声をあげるんだね、と思いつつ、私は店の外に飛び出す。
咲間さんの店は医大モールという商店街の中にある、駐車場のないタイプの店だ。
たしか、中型店舗とか言っていたと思う。
標準店サイズはないとか何とか言ってたけど、ま、そんなことはどうでもいい。
駐車場のスペースもないし、人通りもある。
可能な限り、周囲に被害を出さないようにしなければならない。
ええと、人通りが少ないのは・・・医大のグラウンドの方か。
「ひ、ひぃ!?私の翅が・・・あんたいきなりなにすんのよ!」
手の中に残った、半透明の虫のよう翅のようなものをみる。
ああ、こいつ、教会の十二使徒の一人か。
「驚いた。虫がしゃべたわ。・・・それはこっちのセリフよ。でも、姉さんの気持ちの数万分の一くらいわかったわ。・・・十二使徒って、虫でもなれるものなんだ。」
驚くほど舌が軽い。
まるで高級潤滑油が回っているみたいだ。
「なんですってぇ!?くっ!?私の翅!返しなさいよ!」
「あぁ?じゃあ、お前は姉さんの恋人を返せるの?・・・----(着火・燃焼)。」
左手で白い杖を構え、右手にある翅を高速詠唱で焼き尽くす。
「っ!?よくも!私の翅を!」
なるほど、こういうことか。
姉さんがなぜ、敵対した相手と話さないか、よくわかったよ。
「自動詠唱。2−1−3。4−2−0。実行。・・・----(魔力干渉。詠唱阻害。術式分解)。」
激高した妖精女・・・いや、もう羽虫でいいか。
羽虫が何かを喚いているところに、かまわず自動詠唱機構で雷撃魔法と暴風魔法を叩き込む。
「!防御を!なんで?障壁が展開しない!?ぎゃああ!?」
当たり前だ。
羽虫が魔法を使う前に高速詠唱で魔力制御や詠唱などに割り込んだからね。
ふん。
こちとら46個も魔力回路があるんだ。
妨害専用で4~5個くらいの魔力回路を消費しても痛くもかゆくもない。
「コトねん!?今の何!?」
あわてて咲間さんが飛び出してくる。
狙われたのはこの店だけのようだ。
ならば、お客さんは店から離れさせた方がいいか。
《敵襲よ!咲間さん!抗魔力増幅機構をオンにして!遥香!お客さんを店の外に誘導して!魅了魔法を使ってもいい!》
《・・・分かった!琴音ちゃんは!?》
《手ごたえが浅かった!それに・・・次が来る前にとっ捕まえて全部吐かせる!》
仄香も姉さんもいない。
私一人で戦い、捕らえ、自白させるところまでやらなきゃならない。
虫相手に吐かせるって、我ながら変な言い回しだな?
覚悟を決め、いまだ雷に打たれ、風に飛ばされたまま、路上で動かない羽虫の前に立つ。
・・・北の空から何かが飛来する。
ああ、ありがたい。
業魔の杖か。
アスファルトを砕き、その場に突き立った無骨な杖は、ふわりと舞うと私の周りを回り始める。
「く・・・魔女じゃない方もしっかり化け物じゃない・・・!」
羽虫め。
私の友人にたかる不快害虫め。
情報だけ抜いたらすぐに駆除してやる。
「----(高電圧)。」
立ち上がる暇なんて与えない。
高速詠唱で数百万ボルトの電流をたたきこむ。
業魔の杖が瞬時に増幅し、熾天の白杖が詠唱を繰り返す。
「くっあぁ!?」
安心しろ。
アンペアだけは思いっきり下げておいてやった。
・・・それに・・・。
伏兵がいないとも限らない。
意識の一部は、店の中にいる咲間さんと遥香に向けておく。
「さあ・・・全部話してもらうわよ?あいにく私は強制自白魔法なんて使えない。でもね。回復治癒魔法使いの拷問をなめないでもらおうかしら。」
高電圧でマヒしかけた痛覚神経だけを優先して治療する。
まるで試運転をするかのように、ダミーの信号を波のように流しながら。
「くぅ!?ぎ、ぎゃあ?!げうぅ!?あぁ!ひぃ!?」
目の前で触れてもいないのに羽虫が躍っている。
まるで陸に打ち上げられた魚のように。
さあ、何から聞こうか。
そう、一歩を踏み出した瞬間だった。
羽虫が一枚の金属板に魔力を流したのは。
ちぃっ。
邪魔が入った。
やっぱり伏兵がいたか。
近くに停車していたトラックの荷台から、あるいは路駐した車のトランクから。
段ボールを突き破り、あるいはブルーシートをはぎ取り、突き出される腕。
壊れた声帯で無理やり出しているかのようなうめき声。
「アンデッド・・・それも、こんなにたくさんとか。よくもまあ、揃えたものね。」
いつの間にか踊るのをやめた羽虫は、アンデッドに対し魔力で指示を出す。
「く・・・まさか、こんな街中で奥の手まで使うなんて・・・思わなかったわ。」
腐臭と腐肉をまき散らし、怨嗟の声を張り上げた死者の一群は、骨の見えた腕を振りかざし、咲間さんの店に向かって殺到した。
◇ ◇ ◇
アンデッドをどうにかしたいところだが、この羽虫に逃げられては意味がない。
「ほら、早くアンデッドを何とかしないとお友達が危ないわよ?」
「・・・虫がしゃべってる。いえ、最近の羽虫の鳴き声は人の声そっくりなのね。」
「・・・っ!?このクソガキ!」
羽虫は激高したのか、背中の翅を振動させ、あたり一目に薄く鱗粉のようなものをまき散らす。
次の瞬間、ガドガン先生の魔力検知が羽虫の鱗粉を一瞬で解析する。
・・・おどろいた。
これ、姉さんが作ってた魔石弾によく似た性質を持ってるんだ・・・。
「吸った瞬間に肺の中まで腐らせてあげる!いつまで呼吸を我慢し続けられるかしら!」
ふん。
私の抗魔力を打ち破るには魔力圧が足りなすぎるよ。
「----(可燃物調整。散布。着火。)
右手の熾天の白杖を振るい、私を周回する業魔の杖に増幅させ、高速詠唱で火炎をばらまく。
ドン!っと大きな爆発音。
「ひぃっ!?な、なによこれ・・・!?。」
「ええと、あなた、日本語はちゃんと理解してる?それとも、人間の声を真似しているだけの九官鳥と一緒なのかしら?」
姉さんなら、こんな風に煽るだろうか?
◇ ◇ ◇
久神 遥香
琴音ちゃんの念話に従い、魅了魔法を全力で解き放つ。
そのうえで声を張り上げる。
「お客様!お会計前の商品はその場において結構です!危険ですから店の外に避難してください!」
「遥香っち!誘導はあたしがする!」
ふわり、と広がっていく蠱惑的なピンクの波に触れたお客さんは、一瞬でトロンとした表情になり、私の言葉に反応する。
まるで操り人形のように、未会計の商品をその場に置き、恍惚とした表情で店の外に向かって歩き出す。
ん?あれ?魅了魔法って・・・こんな使い方ができたんだ。
「危ないですから医大方面には行かないで!他の道へ向かってください!」
琴音ちゃんが妖精みたいな人を吹き飛ばしたのは医大のグラウンド方面。
咲間さんは千弦ちゃんがつくった抗魔力増幅機構をフル稼働させながら、逆方向にお客さんを誘導する。
落雷や爆発のような音の中で、琴音ちゃんが二本の杖を巧みに操り、戦っている。
「すごい・・・!千弦ちゃんみたい・・・。」
多分、相手は教会の信徒だ。
それも、オリビアさんクラスの。
それを、一方的に打ち負かして、さらには手加減までしている。
琴音ちゃんも、あんなに強かったんだ。
その姿に思わず見とれてしまった瞬間。
《遥香!咲間さん!店に逃げ込んで!施錠してバリケードを!この害虫!ゴキブリ未満じゃん!》
「え!ちょ、うちの店はカギがないんだよ!」
あ。
そういえば咲間さんのお兄さん・・・幸夫さんから聞いたことがあった!
本部合併前の店舗だから、24時間営業をやめるなら入り口のドアを直さなきゃ、って。
うちの店は、シャッターもなければカギもない、つまり閉店できないんだよって。
「ど、どうするの!?自動ドアの電源を落とせばいいの!?」
「自動ドアの電源はバックヤードなんだ!」
慌てる私たちを前に、路駐しているトラックや自動車の荷台からあふれたゾンビが襲い掛かかる。
「きゃあ!?かまれたらゾンビになるの!?」
もう!死体だから魅了魔法が効かないよ!
「とにかくバックヤードへ!金庫のある事務所なら内側からカギがかかる!」
咲間さんが伸ばす手をつかみ、バックヤードに滑り込む。
青果コーナーに積んだ、吉備津桃が床に転がり、芳醇な香りが広がる中、私と咲間さんは、事務所に飛び込んで慌ててカギをかけた。
「遥香っち!警察に電話!」
鍵のかかった事務所の扉を押さえ、咲間さんが叫ぶ。
・・・ちょっと待って?
コレ、警察がどうにかできる問題なの?
「咲間さん・・・コレ、たぶん警察じゃどうにもならない。仄香さんを呼んだ方がいいんじゃない!?」
事務所内から自動ドアの電源を落としたおかげか、店内にはゾンビは入ってきてはいないみたいだけど・・・。
「そ、そうか、じゃあ!《仄香さん!大変なことが!》」
《どうしました!?咲間さん?それに遥香さんも!》
《て、敵襲、ゾンビが咲間さんのお店に!それに、羽の生えた妖精みたいなのと琴音ちゃんが戦ってる!》
《分かりました!今すぐに行きます!15分くらいかかりますが持ちそうですか!?》
15分・・・!?
そんなにかかるの?
仄香さん、今どこにいるの!?
そんな疑問を挟む余地などもなく、ガッシャーン・・・と店内からガラスが割れた音が響き渡る。
「入ってきた!だ、だれか!すぐ来れる人!それか武器!~~!スイカ用の包丁しかない!」
「咲間さん!出ちゃダメ!私が出る!」
咲間さんは魔力がない!
でも私なら!ほんの少しだけど魔力がある!
咲間さんを押しのけて事務所から飛び出す。
何か、何かないか!
あたりを見回すと、オリコン箱が積まれている横にモップとデッキブラシがあるのが目に留まる。
モップで素早く事務所のドアにつっかえ棒をして、その前にオリコン箱をひっくり返し、即席のバリケードを作る。
「ちょっと!遥香!開けなさい!開けて!」
琴音ちゃんや千弦ちゃんだって戦っている。
私だって仄香さんの子孫だ。
それに魔力だってある。
「いつまでも守られてばかりじゃ、生きてけないよ!」
デッキブラシを手に、店の中に踊り出る。
だけど、必死になって琴音ちゃんたちが使っていた魔法の詠唱を思い出そうとしていた私の目に映ったのは、なんというか・・・拍子抜けするような光景だった。
◇ ◇ ◇
仄香
長距離跳躍魔法を使い、ウクライナ北部、プリピャチの南に降り立つ。
最後に来たのはいつ頃だっただろうか。
いや、先進技術実証発電所が事故を起こしたのを聞いて駆けつけたのが最後だから、1986年4月末の真夜中だったか。
数千年ぶりに訪れた故郷で未曽有の人災が起きていたのを聞いて、大変驚いたものだ。
その後、人類最初にして最後の原子力事故を起こしたそれは、全住民の退去や大量の放射能汚染、そして多くの犠牲者と莫大な労力、そして時間をかけて巨大なコンクリート製の塊に封じられることになった。
そして、それはいつしか「石棺」と呼ばれるようになった。
だが、数歩歩いて違和感を覚える。
そろそろ町が・・・いや、何かが見えてきてもいいころなんだが・・・?
「・・・吉備津彦。敵の気配はある?」
「いえ、不気味なほど静かです。それに・・・生き物の気配がない。」
「鳥や獣どころか虫もいませんね。・・・マスター。魔力圧はいかがでしょうか?」
後に続くマナナン・マクリルが複数の攻撃魔法を構築したまま私に尋ねてくる。
「・・・おかしいわね。魔力の気配もない。少し上空から見てみましょうか。」
「では私が。」
ヴァルキリーの一人が天馬に跨り、空高く飛び上がる。
そして上空で旋回した後、不思議そうな顔をして降下する。
「・・・何か見えた?」
「いえ・・・何も。見渡す限り、森が続いています。・・・おかしいですね?北に数キロのところにある川岸に石棺のような大きな建物があるはずなのですが・・・。」
ここに来る前に眷属たちには地理的な情報はすべて伝達済みだ。
それも口頭ではなく、高速情報共有化魔法を使ってだ。
それに・・・確か打ち捨てられた遊園地もあったはずだ。
観覧車のような大きなものが、たとえ老朽化して崩れていたとしても全く見えないはずはないのだが?
「マスター。斥候を出してはいかがでしょうか?待ち構えられていた・・・にしては様子がおかしいと思います。」
「ええ、そうね。じゃあ・・・ハルピュイア。ヴァルキリー。空からの探索をお願い。ヘルハウンド。ケルベロス。オルトロス。魔力の匂いを探して。ほかのみんなは偵察チームの護衛を。」
まさか逃げだした?
長距離跳躍魔法でここに来るだけの一瞬で?
その後も、数時間かけて周囲を調べるも、延々と続く原生林が広がるだけで教会はおろか文明の足跡すら見当たらなかった。
「いったい、どういうことなのかしら・・・。」
教会の連中がいないのはまだいい。
奴らが私に恐れをなして逃げ出したことなど、数え切れるものではない。
だが・・・事故を起こした発電所すら見えないのはどうしてだ?
「マスター。嫌な予感がします。まるで、キツネにつままれているような・・・。」
私をつまむような狐ならぜひ会ってみたい気もするが。
そう、言いそうになった時、念話で連絡が入る。
《こちら、ハルピュイアリーダー。チェルノブイリ先進技術実証・・・石棺の跡地に妙なものを見つけました。・・・映像、送ります。》
念話の機能を使い、ハルピュイアが映像を送ってくる。
「・・・なに、これ・・・。」
一瞬、森の中に黒い沼があるのかと思ってしまう。
あるいは長方形の巨大なプールのような。
だが、よく見ると違うことに気付く。
それは恐ろしく大きな黒い一枚の石板が、森の一角をまるで長方形に切り取るかの如く、大地に敷かれているかのような状態だった。
「とりあえず、あそこまで行きましょうか。・・・ん?」
チリ、という感覚がして念話が・・・これは、咲間さんからか?
《仄香さん!大変なことが!》
この慌てようは・・・まさか!
これは私をおびき出すための罠だったのか!
咲間さんの周囲には遥香の気配もある。
《どうしました!?咲間さん?それに遥香さんも!》
この時間なら遥香も咲間さんの店でアルバイト中のはずだ。
《て、敵襲、ゾンビが咲間さんのお店に!それに、羽の生えた妖精みたいなのと琴音ちゃんが戦ってる!》
ゾンビ?アンデッドか!
羽の生えた妖精・・・十二使徒の「幻蝶」か!
《分かりました!今すぐに行きます!15分くらいかかりますが持ちそうですか!?》
長距離跳躍魔法を駆使しても、プリピャチから川崎までは13分前後かかってしまう。
くそ、行動を急ぎすぎたか!
「吉備津彦!日本へ戻ります!作戦は中止です!」
「承りました、マスター。我々はこのまま送還していただいて結構です。」
「ええ!勇壮たる風よ!汝が翼を今ひと時我に貸し与え給え!」
吉備津彦への返事も適当に、私は長距離跳躍魔法を唱え、はるか上空へと舞い上がっていた。




