264 教皇の野望/少女の妄執・愛の狂気
サン・ジェルマン
8月31日(日)
気づかないうちに眠ってしまったらしい。
俺は今、夢を見ているようだ。
今までなぜ忘れていた。
それとも、魂にも錆がつくのか?
神の河のほとりの村から妻が消えた後、俺は5年の歳月をかけ、やっとのことで川下の連中のねぐらに妻がいることを突き止めた。
分かったその日に、当時生まれたばかりの五の穴の上の娘との息子を放り出し、木をくりぬいて作った船をこぎ、河を下った。
今考えてみると明らかにおかしな連中だった。
当時はそういうものかと思っていたが、あの町は異常だった。
商人や漁師に紛れて街に入ろうとしたら、薄い板のようなものがないと入れないといわれた。
出入りする人間の一人を殺してそれを奪ったが、確かに血をふき取り、着ている服まで奪ったのに一瞬でバレてしまった。
文字・・・そして名前。
さらには、合言葉。
それがそろわなければ町に入れないという、厄介な町だった。
ならば正面から押しとおろうと原初の石板で手に入れた魔法を使ったら、一人目の門番を倒すどころか、恐ろしいほどの爆音と飛来する大量の礫の前に、あっさりと逃げ出す羽目になった。
・・・今思い返してみれば、アレは銃だ。
それも、マッチロックマスケットなどではない。
明らかに金属薬莢を用い、黒色火薬ではない、高性能な火薬を用いた自動小銃の類いだ。
しかも、後で分かったが、あの町は要塞都市・・・それも、大砲を備えているであろう星形城塞になっていた。
周囲を取り囲むのは大きな空堀。
さらにその外、人が歩ける可能性がある場所には有刺鉄線と地雷原。
大事な何かを守ろうとする・・・狂気ともいえるほどの・・・意志があの町には感じられた。
少数の人間がふるう、雷のような破壊をばらまく・・・おそらくは機関銃。
トンビが鳴くような声と同時に振ってくる、火をまき散らす岩、今考えればおそらくは・・・迫撃砲。
やむなく、夜陰に紛れて忍び込もうとしたら、顔に二つの筒を付けた、変な男たちにあっさりと撃退された。
アレは・・・まさか、暗視ゴーグルか?
6800年以上も前に?
数年の時を置いて、万全の準備をして襲撃をしたが、何度も襲撃に失敗した。
初襲撃から十数年が経過したころ、状況が突然変わった。
まるで、それまで感じていた狂気が嘘のように、町が変わった。
だから、俺は、生者を歩く病毒をまき散らす死者に変えて侵入させ、病毒に触れた者も同様になる魔法を使い、あの町を滅ぼした。
だが・・・まるでそれすら予知していたかのように、すべての建物が火と風を噴きだした。
あたかも町の中心に火山ができたかのように。
死者を、病毒に侵された生者を、一瞬で灰燼と化す火の風を。
しかもご丁寧なことに、住民の避難訓練までやっていやがった。
つまり、町を滅ぼすのは、黒髪の女によってすでに決まっていたということだ。
のちに、その町の住民の一人を捕まえ、生きたまま刻んで吐かせたが、あの町を作った女・・・黒髪の女は妻が町に到達するよりも前に姿を消していたことが分かっただけだった。
やつが何をしたかったのかは、今でもよくわからない。
あれだけの町を、文明を魔法も使わずに維持できるほどの知識と知恵を持ちながら、なぜ自分で滅ぼした?
下手をしたら、世界すら征服できるほどの力を持ちながら?
黒髪の女・・・一体、何者だ?
今思えば、その、黒髪の女に会ったことがあるような・・・気がする。
まだ妻が話せないほど幼いころ。
俺自身も、母・・・一の穴の女に手を引かれていたころ。
透き通った水を作る大きな壺を置きに来た女が黒髪じゃなかったか?
そうだ。
・・・子供ながらに恐れた、ウジ虫を見るような眼。
今にも踏み潰されそうな、あるいはその時宜を得られぬことを嘆くかのような悍ましい溜息。
響くような歯軋り、破裂音のような舌打ち。
俺が、この生涯で最も、いや、唯一恐れた目。
あの殺気。強大な気配。
地の果てまでも追い詰めて殺すという意思。
底が見えぬほど煮詰められた、どす黒い狂気。
幼子に対して持つような気配ではない。
今思い出しても、怖気が走る。
・・・・・・。
「教皇猊下。お時間です。準備が整いましたので、術陣中央にお進みください。」
信徒の声に目を覚まし、柔らかな椅子から立ち上がる。
もはや、黒髪の女などどうでもよいか。
・・・いや、俺の誇りを折った女を許すわけにはいかない。
よし、因果律に多少影響は出るが、かまわないだろう。
「予定変更だ。7000年に変更しろ。」
「はい?あ、かしこまりました。ですが、魔力が不足します。人工魔力結晶は・・・予備分を回しても1.2kgほど不足します。作戦を延期してよろしいでしょうか?」
「ああ。許す。それに・・・いや、何でもない。」
万が一実験に失敗した場合は、あの理とかいう少年の身体に潜り込めばいい。
その上で妻・・・いや、妻の依り代となっている美しい少女を犯してやろう。
さぞや可愛い娘が生まれることだろう。
「・・・作戦は最長で1か月、最短でも2週間は延長されます。本当に・・・。」
「くどい。許すといった。」
さて、少し暇になってしまった。
そういえば、退屈しのぎにソ連を動かし、戦火を放とうとしていたんだよな。
せっかくだからあの日に戻る前に、このくだらない世界の終わりを見てやろう。
「・・・くふふふ、あはははは!妻よ!お前は世界を守る存在ではない!では、世界がなくなったら娘たちを守れるか!?試してみようではないか!」
俺が中断させた術陣の中を走り回る信徒たちの姿を見ながら、俺は一人、野望のかなうその瞬間を、そして絶望した妻と娘たちを思い、興奮していた。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
9月1日(月)
「行ってきまーす。」
「行ってきマース。」
ハモるような声が階下から聞こえてくる。
琴音と、私の姿をした二号さんが玄関を出たらしい。
今日から二学期が始まる。
だというのに、私は自分の部屋で紫雨君からもらった高圧縮魔力結晶を片手にラジエルの偽書に張り付いていた。
「やっぱり、事前に人格情報のバックアップが必要か。そこだけはどうしようもない。それにしても、人格情報のバックアップだけは他人のモノでもできるのに、記憶情報は自分のモノでもできないのはなんでだろう?」
ラジエルの偽書から取り出した情報を、誕生日に仄香からもらったシューティンググラス型のヘッドマウントディスプレイに投影し、記憶補助術式で覚えていく。
「・・・!ああ、人格情報のバックアップを初めて成功させたのはつい最近じゃない。それも、遥香が私の情報で成功させたのが今のところ最初で最後なんだ。」
ふふ。
もしかして、遥香がいなかったらスタートラインにすら立てなかったのかもしれない。
部屋の中は術式メモや考察が書かれたルーズリーフが散乱し、足の踏み場もない。
でも、はっきり言って何から手を付けたらいいかわからない。
時間が、無為に過ぎていくような気がする。
身体の中で、ラジエルの偽書に流し込むための魔力が、魔力回路をきしませる。
治したばかりの右目が、キリキリと悲鳴を上げている。
とにかく、知識が必要だ。
何が役に立つか分からない。
役に立つ知識だけ覚えればいいというのは、当たる馬券だけ買えばいいという理屈と一緒だ。
「・・・術式の起動は・・・紫雨君がやっていた方式を応用して身体の中で術式回路を結ぶとして、魔力回路のない隙間?いや、皮膚を使えばいいか。制御はどうする?余裕があるのは霊的基質くらいしかないけど・・・。」
仄香がガドガン先生の遺書を読んだ瞬間、私は大学入試する気を失った。
はっきり言ってそんな「くだらないこと」に時間を使っている余裕はない。
なのに、琴音も母さんも父さんも、師匠や仄香までもが「大学受験をしないのはもったいない」と言っている。
・・・二号さんに至っては「ボクが代わりに受験しておきマスヨ。」だってさ。
合格しても行かないっつうの。
理君がいない大学になんか。
限られた時間と言う黄金の山で笊一杯の鶏糞を買う真似なんてできるか。
・・・お?
可変術式を使った代用詠唱なら術式=魔力回路の併用は可能なのか。
これなら私でも元素精霊魔法が使えるな?
ただ、指定した化合物を元素から組み立てる程度が関の山か。
「千弦・・・?朝ご飯、できたわよ?食べに降りてこない?吉備津桃も切ったから・・・。」
部屋の扉の前から、母さんの心配そうな声が聞こえる。
・・・ああ、確かに栄養補給は必要だな。
「持ってきて!いや、全部ミキサーにぶち込んで、ジョッキか何かに入れて持ってきて!」
味なんてどうでもいい。
理君は、食べる楽しみすら奪われているんだ。
私だけ楽しむなんてできない。
「ミキサーって・・・そんなこと・・・。」
母さんが絶句してる。
でも、歯で噛むより効率がいいじゃない?
「大丈夫!ミキサーなら刻むだけで加熱も加水もしないから!時間がないの!あと、たった80万時間しか!」
いや、この脳が正しく回るためには、実際にはその半分しかないかもしれない。
絶えることがない焦燥感にさいなまれながら、私は両手を動かし続けた。
・・・母さんが持ってきてくれたのは、ゼリー飲料と栄養ドリンクだったよ。
◇ ◇ ◇
九重 健治郎
9月1日(月)
国防省 陸軍局
情報本部
毎日毎日、陸軍情報部は休む時間もない。
当然、寝る間もだ。
「ソ連共産党は正気ですかね?それに、中国の残党も・・・。」
「せめてもの救いは中国が『残党』だということくらいか。それに、対地攻撃衛星があれから一度も軌道変更していないのもな。」
対地攻撃衛星は常温常圧窒素酸化触媒術式弾頭弾に比べれば圧倒的に被害が小さく、着弾地点から100m、場合によっては50mも離れればほとんど被害はない。
だが、厄介なことに、発射から着弾までが恐ろしく速い。
イージス艦のSM-3やPAC-3でも迎撃できなくはないが、発射とほぼ同時に迎撃を開始しなければ、絶対に迎撃できない。
それに、迎撃率だってかなり低いといわれている。
「本当にすべての対地攻撃衛星が破壊されたんですかね?かなりの数があったと聞いていますが・・・。」
「さあな。一機でも残っていれば、数千人が死ぬ可能性がある。・・・だが、俺は仄香さんのことを信じてるよ。」
彼女が召喚したツィツィミトルとやらがこの星を周回するすべての対地攻撃衛星を破壊・・・いや、故障させたと聞いたときは驚いた。
まあ、アメリカの対地攻撃衛星まで破壊したらしいから、あっちはかなりお冠みたいだがな。
「本部了解。・・・九重大佐。KGBの連中の情報の裏が取れました。アンドレイはやはり、傀儡・・・いや、人形のようです。となると、アレクセイが教皇ということになるのでしょうか。」
「断定はできないがな。だが・・・俺の弟子・・・いや、可愛い姪の恋人を人形に変えた奴だけは絶対に許さん。」
共産党書記長であるアンドレイは、あの少年・・・石川理君のように人形にされ、その息子は仇に身体を奪われ・・・。
被害者の家族は塗炭の苦しみを味わっているだろうに・・・。
それでもなお、俺は、アレクセイもアンドレイも、殺すことしか考えてない。
「それにしても石川少佐・・・顔色一つも変えずに・・・大した男だよ。」
「あれ?女じゃなかったっけ?・・・え?性別の記録ないの?」
だがな、石川の奴、あの後俺に「大佐は人格消去術式を防ぐ方法を知っていましたか?」なんて聞いてきやがった。
涙の一滴も流していなかったけど、拳は血の跡があったよ。
だからかな。
答えられなかった。
むき出しの術式なんて、線一本足したり消したりするだけで壊せるぞ、なんてな。
緊張感を保ち続け、モニターを睨む目が乾いて目頭をもむ回数も数百になったころ、状況が動き始める。
「都内で複数個所、停電が起きています。また、携帯キャリア各局、ネットワークの一部にダウンが確認されました。」
「各都道府県警察からです。各地の基地や空港前で大規模なデモが起きています!歌舞伎町では放火や発砲事件が頻発している模様!」
陸情二部内に緊張が走る。
「・・・来るぞ。」
誰が聞いているわけでもないのに、誰かが小さくつぶやく。
「来ました!エカテリンブルグ条約機構軍、演習海域から逸脱!複合偵察衛星『ツクヨミ』追尾開始!続けてレーダー衛星『ウズメ』『サルタヒコ』、間接照準を開始します!」
「西太平洋の自走機雷、自律魚雷筒、すべてアクティブ!いつでも撃てます!」
「千島絶対防衛線、所定の作戦を完遂!」
「対魔導ジャマー、オールグリーン!」
「力場干渉術式衛星『スサノオ』『タケミカヅチ』!光学迎撃術式衛星『アマテラス』!安全装置解除!」
「アメリカ第七艦隊、全艦に第一種戦闘配備を発令!戦闘体制に移行!」
「長崎艦隊、沖縄艦隊、横須賀艦隊に対し、防衛命令が発令されました!全艦隊、第一種戦闘配備!」
いよいよ、戦争か。
どちらが先に引き金を引くか。
あるいは、俺のクソ親父に相手を恫喝する度胸があるか。
いずれにせよ、俺は俺の仕事を果たさなくちゃならない。
「陸情二部は総員、所定の作戦を開始せよ。作戦開封コード、44F37EJ。各自、義務を果たせ。以上だ。」
俺は席を立ち上がり、三上、高杉とともに廊下を歩きだす。
・・・何十年ぶりの戦争、何年ぶりの現場か。
猛る心を押し殺し、復讐の炎で焼いていく。
千弦。
お前の恋人の仇は俺が討ってやる。
千弦の笑顔を奪った男。
そして、仄香さんを6800年の放浪に駆り出した男。
仄香さん。
確かに君の手は、すでに血で汚れ切っている。
だからといって、その血をぬぐう時を誰も与えないのは、絶対に間違っている。
「奴専用の地獄を作るぞ。」
「「はっ!」」
◇ ◇ ◇
九重 和彦
トルコ アンカラ
西側諸国と協力し、時にはソヴィエト連邦加盟国の政府にも仲介を頼み、交渉を続けていた。
驚いたことにほとんどの連邦加盟国が我が国に協力的であり、15ある加盟国のうち、ロシア、ベラルーシを除くウズベキスタン、カザフスタンなど中央アジア諸国や、バルト三国、そして南コーカサス諸国はエカテリンブルグ条約機構軍の動員に否定的だった。
特にエストニア、ラトビア、リトアニア、アゼルバイジャン、グルジアなどの国は、連邦からの離脱の意志すら示しているという。
ウクライナに至っては、即時の連邦脱退のための国民投票が週末に控えているそうだ。
アゼルバイジャンの最高会議幹部会議長、そして共産党第一書記と握手をして席を立つ。
「大変実りのあるお話ができました。ミーヨ=ジェーン殿にもよろしくお伝えください。」
「はい。貴国の勇気ある決断に敬意を表します。必ずや、お伝えいたしましょう。」
現在中立の立場をとっているトルコの大使を通じ、何とか用意してもらった首脳会談は、エカテリンブルグ条約機構軍の動員に否定的だった国々だけでなく、今現に軍を動員している国の外務省までもが会談の申し込みに来るような状態になっている。
要するに、どこの国も戦争なんてしたくないのだ。
そして、会談の最後には必ず、「ミーヨ(またはジェーン)様によろしく」と告げて帰る。
何のことはない。
誰だって最強の力が怖いのだ。
だが、儂は知っている。
知性に完全に制御された暴力こそが、平和を維持するのだ。
・・・まあ、美代様は必ずしも知性に制御されているとはいえないか?
半世紀前、浅尾太一総理時代に苦心して改憲に成功した、いまだ悪名高き「憲法第九条」・・・。
のちに、九条教と揶揄される者たちがいまだに復活をもくろんでいるあの悪法がもし、今も残っていたら・・・。
綺麗事という毒酒に酩酊した国民が、我が娘を犯す侵略者を笑いながら迎え入れ、あるいは国を守ろうとする若者を、平和を語ったその手で後ろから刺す。
考えるだけで寒気がする。
「総理。グルジアの駐トルコ大使がお見えです。」
「ああ。今行く。」
儂らは、知性で完全に制御した暴力を盾に、友好という剣で国を守る。
そのどちらが欠けても、国を守ることはできない。
「・・・この世界を地獄にはしない。」
ここは儂の戦場。
命をかけて、日本の未来を勝ち取る。
心に決めて一歩を踏み出した。
◇ ◇ ◇
仄香
玉山の隠れ家内 大広間
また、始まってしまう。
戦争が。
これまでの戦いでは私が初戦を制し、あっさりと終わらせていた。
国民の代表たる者が、国民の命を賭け金に、戦争と言うギャンブルに挑む。
そして国民は、腹に子がいる女までついて行く。
ならば、徹頭徹尾、手加減など無用。
だが、今回の戦いは少し毛色が違う。
・・・明らかに、教会・・・いや、あの男が操っている。
ほとんどの国が、国民が戦争を避けようとしている。
現場の将兵は、そのほとんどが戦いを避けようと行動している。
魔女を擁した国家に一矢報いようとなど考える者はほんの一部。
最前線の者は兵役を課され、やむなく戦場に赴いた者たちだ。
この前のように、己の国威に酔っていた馬鹿者ばかりの戦争ではない。
各国の新聞を見ればわかる。
各国の世論は反戦一色だというのに、エカテリンブルグ条約機構の代表、アンドレイ・ドルゴロフ、いや、サン・ジェルマンに急かされ、あるいは騙され、引きたくもない引き金に指をかけている。
それだけではない。
サン・ジェルマンのクソが。
ご丁寧に、わざわざ私の血を引く子孫を前線に配置したという。
基本的に私は、私の子孫が私に殺意を向け、銃をとった場合でも殺さない。
彼ら自身が私の子孫であることを自覚していようがいまいが。
母が子の暴力を受け止めてやらないでどうする。
だが、彼ら自身が私の子孫であることを認識し、同じく子孫であることを認識した相手に銃を向けた場合は・・・。
・・・殺してきた。
守るべき子に、優先順位を・・・つけてきた。
実際、私には一貫性なんてものはない。
風見鶏のようにくるくる回る。
その時の気分で殺したり、殺さなかったり。
実際のところ、その子らをかわいそうだと思えば許し、許せないと思えば殺した。
そんな私の話を聞いて、健治郎殿は言った。
・・・「殺したくないことに理由なんかいらない。殺したいことには理由が一つ、あればいい。風見鶏なんて思わないさ。」
私の娘たちは日常にいる。
学び舎で、あるいは孤児院で幼き子を守り、働いている。
・・・いや、千弦だけは自宅にいるか。
・・・こんなくだらない戦いはもうこりごりだ。
ならば・・・斬首作戦だ。
だが、はずみで町一つくらい吹き飛ばすかもしれないけどな。
完全武装の吉備津彦が私に声をかける。
「マスター。準備が整いました。いつでもどうぞ。」
グローリエルがいなくなり、すっかり寂しくなった隠れ家も、今日に限っては眷属たちであふれかえっている。
「・・・ええ。もしかしたら、負けるかもしれない。紫雨のように、封じられるかもしれない。その時は・・・お願いね。」
「・・・この身に代えましても。どうぞ心置きなく。」
広間を埋めるのは吉備津彦をはじめとする桃太郎の郎党。
犬飼健、楽々森彦、豊玉臣。
クー・フーリンをはじめとする、ケルト神話の神々。
モリガン、ヴァハ、バズヴの三女神。
アリアン・ロッド、マナナン・マリクル。
バルキリーをはじめとする、北欧神話の神々、そしてエインヘリヤル。
インドラの軍勢。ヴァルナの軍勢。
すべて術札で召喚したが、召喚維持に要する魔力が自然回復量を超えている。
キリ、キリと魔力回路が軋んでいる。
・・・おそらく、この戦いでジェーン・ドゥの身体は焼き切れる。
ああ、そういえば、この身体もエルリックがいなければ手に入ることもなかったな。
「さて・・・。あの男はどこにいるか・・・銀砂の海原に揺蕩う者よ。幽明の澱みに浮かぶ影よ。我は祈念の言霊を以て汝が心魂と交わりを紡ぐものなり。その慈悲深き御手により、我を彼の者の住処へと導き給え。」
尋ね人の魔法を発動し、その場所を探知する。
意識の外で、波紋がたつ。
・・・抗魔力による抵抗。
込める魔力を増す。
はっきりとわかる、人工魔力結晶による抗魔力の抵抗。
・・・逆探の波長。
くだらない。
今更逃げも隠れもするものかよ。
だが、何を思ったのか。
すぐに抵抗が失せ、まるで誘うようにその場所があきらかになる。
「・・・ここは!そう。誘っているのね。あの日、私を組み伏せた場所。私たちの決別が決まった場所。受けてやろうじゃない。」
北緯51度23分。
東経30度5分。
そして、私が唯一、核の炎を消す前に自滅した町。
プリピャチ。
チェルノブイリ先進技術実証発電所跡地。
かつて、神なる河のほとりの村があった場所。
そして、妹・・・星羅の最初の身体が葬られた場所。
腐臭漂う闇の中、最初の娘を産んだ場所。
この世で最も深い地獄。
すべての始まりの地で、あの男は待っている。
◇ ◇ ◇
咲間 恵
9月1日(月)午後
始業式が終わり、迎えに来てくれた二三君の車に乗り、家まで送ってもらう。
・・・最初のころはその見た目から二三ちゃんと呼んでいたけど、さすがにまずいかと思って君付けにすることで落ち着いたよ。
夏休みが終わる前あたりから、インターネットや携帯電話、電子マネーのシステムなどのネットワーク関連や、私鉄や地下鉄などの交通インフラに様々な問題が発生し、同時に「大規模な災害が起こる」や、「もうすぐ戦争が始まる」と言った流言飛語が飛び交っていた。
また、社会不安からなのか、それとも扇動者がいるのか、国会議事堂前や最高裁判所前ではデモ行進を見かけることが多くなった。
中には無許可でデモを行い、警察に取り押さえられているのを見ることもある。
「そういえば二三君、大学の新学期はまだ始まらないの?」
「ああ、ウチの大学は9月下旬からだね。・・・でも、本当にこの車でよかったの?」
二三君は軽自動車のハンドルを握り、自信なさそうにしているけど・・・。
「あたしはこの車、結構好きだな。MobiQ Duoだっけ?色も可愛いし、静かだし。」
「町乗り用の電気自動車だからね。実際、運転はしやすいんだけどさ。」
二三君が運転するこの車は、外装はローズピンク、流線型で低重心。
丸みを帯びつつ、前後に軽く張り出したフェンダーでスポーティ感があるデザインだ。
内装もバケットシート風でスポーティかつ体にフィットしているし、ブラックにローズのライン、ブルーのアクセントがあり、足元はゆったりしているし、何よりハンドル周りに必要操作系が集中しているおかげでセンターコンソールがとても小さい。
九重自動車の車だから、宗一郎さんのところで作っているんだろう。
「ところで・・・二三君はどこまで知ってるの?」
「・・・どこまで、か。まあ、大体のことは知ってるよ。」
何を、と聞き返さないということは、本当に大体のことを知っているのだろう。
「・・・ツラくない?」
「恵さんは・・・優しいね。そこ、ふつうは『キモい』っていうべきところだよ?」
「能力に善悪はないでしょ?それで、相談なんだけど。」
「うん。じゃあ、お昼もまだみたいだし、どこかゆっくりできるところにでも入ろうか。何食べたい?」
「ファミレスでもファーストフードでも。あ。でも座れるところがいいかな。」
二三君はハンドルをひねり、近くのファミレスの駐車場へと車を入れる。
お昼休みが終わり、客の流れがおさまったころ、私たちはコーヒーが美味しいと人気のファミレスに入っていった。
◇ ◇ ◇
少し高いパーテーションが特徴のファミレスに入り、他の客から見えない席に腰を下ろす。
同時に店内のBGMのおかげで私たちの話は他の客に聞こえなさそうだ。
「それで、二三君。さっきの話なんだけど・・・。」
彼は、一呼吸おいてから話し出す。
「・・・千弦ちゃんと琴音ちゃんに何が起きたのかも。健治郎さんがどんな仕事をしているのかも、九重の爺様・・・総理が今トルコでエカテリンブルグ条約機構加盟国の首脳と何の話をしているのかも。すべて知っている。・・・そういう能力だからね。」
そういえば、追跡に特化した能力だと聞いていたけど・・・実際には追跡だけじゃなく、情報収集に特化した能力だったってことか。
宗一郎さんとは別方向で驚異的な能力だね?
むしろ、場合によっては国家間の戦争の勝敗を分けるんじゃない?
「じゃあ、これから起こることも知ってるの?」
「僕の能力は追跡や情報収集に特化しているけど、情報処理はそこまで得意じゃない。というか、あまり好きではない。だから、この予想は正しいかどうかわからない。・・・それでもいい?」
「・・・うん。」
思わず、ごくりと唾をのむ。
「もしかしたら、本当の戦争が起きるかもしれない。・・・それと・・・こっちはもっと不確定だ。仄香さんや琴音ちゃん、千弦ちゃんは僕より抗魔力が高いから、ナノゴーレムを直接貼り付けての追跡や情報収集ができないからね。その上で言うなら・・・あの三人は本当の敵、『サン・ジェルマン』を追っていると思う。」
戦争が起こる、と聞いて思わず絶句してしまう。
そんなことになれば何人死ぬか。
「戦争については・・・九重の爺様や浅尾のおじさんあたりが必死になって外交をしているから、もしかしたら止まるかもしれない。でも、ソ連の上層部は戦争をすること自体が目的のような動きをしている連中さえいる。ドルゴロフとかね。・・・そこまで分かったのは、この前、宗一郎さんや理君を通じてナノゴーレムを大量に散布できたからだけどね。やっと中枢までナノゴーレムが浸透したよ。」
二三君はそう続ける。
「その情報って・・・。」
「誰にも言ってないよ。情報っていうのは・・・大きな機械の部品みたいなものだ。何を意味しているのかほとんど分からない。それ単体では良いように見えても、悪い兆候の一部だったり、その逆もある。あるいは、重要に見えた情報が、実は何の意味もなかったり、逆もある。・・・僕は人よりも多くの情報に触れることができるけど、すべてのピースに触れることができるわけじゃない。」
もしかして、二三君はその情報を信じて行動して失敗したことがあるのだろうか。
あるいは、知り得た情報を誰かに話したことによって何かひどい目にでもあったのだろうか?
しばらく無言になり、注文したランチプレートが運ばれてくる。
店員さんは不思議そうな顔をしていたけど、別にケンカしたわけじゃない。
そのまま食べ進め、残り僅かになったとき、彼はぽそりとつぶやいた。
「今度は間に合うかな。余計なお世話なのかな。それとも僕はまた、間違うのかな。」
「誰の・・・情報?」
「僕は、サン・ジェルマンが今どこにいるのかを知っている。彼が理君に何をしたかも。そして、おそらくは仄香さんが戦いに行くことも。今、千弦ちゃんが何をしているかも。」
・・・彼は迷っている。
それはそうだろう。
サン・ジェルマンは千弦っちから見れば理君の仇だし、そうじゃなくてもコトねん達から見れば許せない相手だろう。
きっと戦いに行くに決まっている。
でも、返り討ちにされたら?
あるいは、仄香さん一人では力が足りなかったら?
コトねんや千弦っちが、理君と同じ目にあわされたら?
サン・ジェルマンの居場所を二三君が知っていることを言うべき?
私自身も答えが出ないまま食事が終わり、彼の車でそのまま家に送ってもらうことになった。




