263 遺言/黒髪の女
8月31日(日)未明
ベッドから、鉛・・・いや、劣化ウランかタングステンのような重さの身体を引き起こす。
・・・トイレ、行かなきゃ。
・・・いや、どうでもいいか?
枕元のスマホを見ると夏休み最後の日になってから、一時間くらいが経過したようだった。
「・・・理君・・・うっ、うっ・・・あ゛、う゛、ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛・・・。」
スマホケースに貼られたプリクラのシールの中で理君が笑っている。
もう、笑いかけてくれないかと思うと、胸の中から何かがまだ漏れ出てくる。
喉がひりつくように痛い。
それに、ひどい声だ。
もう、一滴も涙が出ない。
部屋の扉をたたく声が聞こえる。
「千弦サン。大丈夫デスカ?うなされてマセンカ?」
「二号さん・・・ちょっとトイレに起きただけ。」
ぐちゃぐちゃになったシーツを払いのけ、部屋の扉を開ける。
そこには、母さんが買った可愛いパジャマを着た、遥香の姿の二号さんが心配そうに立っていた。
昨日、ソ連や旧中国対応で忙しい中、時間を作って仄香が来てくれた。
理君については仄香でも何ともならず、その魔力を使ってラジエルの偽書を使ってまで調べてもらったんだけど、やはりあの瞬間、すでに手遅れだったということが分かった。
・・・つまり、理君は死んだんだ。
私のせいで。
それからの事は、あまりよく覚えていない。
半狂乱になったらしい私は、仄香と琴音の二人がかりの魔法を受けて意識を失った。
夕方、目覚めたときには、身体中に自殺防止の術式を仕掛けられていて・・・。
おかげで、自分に向けて魔法を撃つことも、銃を咥えて撃つこともできなくなった。
・・・首を吊ることもできないなんて、あまりにもひどい魔法だ。
二号さんに手を引いてもらい、トイレに行き、用を足して部屋に戻る。
明日からしばらく二号さんは、私の姿で登校してくれるらしい。
そして、理君はドモヴォーイとかいう仄香の眷属が化けて登校するという。
無駄なことを。
もう取り返しのつかないことを、いつまで続けるのか。
いっそ、二人仲良く駆け落ちしたか、心中したことにしてくれたらいいのに。
ぼんやりとそんなことを考えながらベッドに戻ろうとすると、二号さんがシーツを取り換え、きれいに整えてくれていた。
床に散らばったゴミを片付け、脱ぎ捨てたシャツや下着をまとめて洗濯籠に運んでくれたようだ。
だが・・・。
「・・・なんで枕が二つあるの?」
「そりゃ、一緒に寝るカラデス。」
何を言っているんだ?
それとも、理君の姿にでもなるっていうのか?
そんなことを私は頼んだ覚えは・・・!
「マスターが言っていマシタ。千弦サンから目を離すナト。それにボクはアチラ側の住人デス。・・・ラジエルの偽書の弱点も知ってイマス。」
「弱点?・・・なんのことよ?そんなことどうでもいいから・・・。」
「まだ終わってイマセン。」
出て行って、と言いかけた時、二号さんが力を込めてそう言った。
「終わってないって、何が?」
「理サンのことデス。ラジエルの偽書には書いてない事がありマス。ラジエルの偽書は、たとえ人にとって未知だとしても、アチラ側に『今存在する知識』しか調べられないのデス。」
それは、そうだろうけど・・・何を当たり前のことを言って・・・。
言葉に詰まる私をよそに、二号さんは言葉を続ける。
「星羅サンが使う、法理精霊。ラジエルの偽書には載っていマセンデシタ。千弦サンが作った、自動詠唱機構。これも、ありマセンデシタ。魔導付与術式モ。でも、今は記載がありマス。そして、ラジエルの偽書にはなぜか『現存するすべての科学技術』も載ってイル。でも、まだ見ぬ新しい技術は載ってイナイ。なぜだと思いマスカ?」
いや、それはこちら側にもアチラ側にもない知識は載っていないでしょうよ。
でも・・・
「もしかして、これから新しい知識が載るまで待てというの?それって、何年かかると思っているの?私たちはあなたとは違う。百年もしないうちに死んじゃう、人間なのよ!?」
私は二号さんの問いには答えず、その先を読んで答える。
「千弦サンは既に三つも知識を更新してマス!それも、一つはラジエルの偽書デス!ここまでの力が、才能があるノニ!世界を変えられるノニ!何で諦めるンデスカ!」
そんな、夢物語みたいなこと・・・。
だって、もう、理君はいないんだよ?
身体があっても、心がないんだよ?
事前にバックアップでもしていない限り、助からないんだよ?
「・・・私に、タイムマシーンでも作れっていうの?」
「いいデスネ。タイムマシーン。ホラ、さっそく一つアイデアが浮かンダじゃナイデスカ。マスターに勝つよりモ簡単デショ?ボクは何年でモ、何世紀でモ付き合いマスヨ。」
二号さんは、遥香の姿で私のベッドにゴロリ、と横になり、私を上目遣いに見る。
・・・何としてもどかないつもりか。
まあ、タイムマシーンを作る方が仄香に勝つよりは簡単かもしれないけどさ。
「ボクたち、マスターの眷属ハ、マスターから命令を受けてこの世界にいマス。デモ、ボクがこの家にいるノハ、命令ではありマセン。頼ってクダサイ。」
「はあ、分かったわよ。ほら、隅のほうに行きなさい。私のベッドはシングルだから小さいのよ。」
そういえば二号さんは少し体温が高いような気がするんだよな。
まあ、エアコンの温度を少し下げておくか。
寝苦しい夜になりそうだな。
◇ ◇ ◇
翌朝、八時くらいに目が覚める。
階下が妙に騒がしい。
いまだに私の横で寝息を立てている二号さんを押しのけ、少し軽くなった身体を起こし、階段を下りる。
「母さん?琴音?どうしたの?」
二日ぶりに出す声は、まるでカラオケで絶叫した後のようにガラガラだったけど、不思議と普段通りのイントネーションだった。
「あ!姉さん!・・・いま高校から緊急連絡網が回ってきて。・・・新学期からガドガン先生の代わりの先生が来るって・・・。」
「え?ガドガン先生が?どうして?辞めちゃうの?」
宗一郎伯父さんの話だと、ガドガン先生もエルも、だれも命に係わる大ケガはしていないって・・・。
「おかしいわね。ガドガン先生、そんなに調子悪いのかしら。和香叔母様なら何か知っているかしらね?」
母さん?なぜそこで大叔母様の名前が?
「お母さん!・・・た、たぶん、日本に来たのは仄香に会いたかっただけだしさ。用が済んだから帰るんじゃないかな、って。」
母さんが何かを言いかけ、それを琴音が止めた。
・・・そういえば、ガドガン先生とはあの後、一度も会っていないし、念話もしていない。
理君は助けられなかったけど、お礼は言わなきゃならないのに、完全に意識から抜け落ちていた。
それに・・・なんだこれ?
琴音の魔力が・・・おかしい。
まるで、百年以上の研鑽を重ねたような、淀みも無駄もない、洗練された魔力。
私をはるかに上回る、どこかで感じたことがある、老練された気配。
それに・・・魔力検知が通らない。
抗魔力のせいでは・・・ないみたいだ。
まあいい。
ガドガン先生に謝らなくちゃ。
「ガドガン先生・・・和香先生の病院にいるのね。何があったの?」
「姉さん。会わせられないよ。姉さんにだけは、絶対。」
琴音の身体が一瞬で魔力に満ち溢れる。
何を、言ってるの?
何を 知ってるの?
何を、するつもり?
でも、私はもう、誰にも負けたくない。
対抗術式を全起動。
慌てて母さんが、部屋の中に結界を張る。
まさに一触即発になりかけたその時。
突然、リビングの電話が鳴り響いた。
「電話。出るよ。・・・はい、南雲です。」
琴音にそう言い、受話器を上げた瞬間。
和香大叔母様の悲しそうな声が聞こえた。
「琴音かい?ガドガン卿が今朝、息を引き取ったよ。幸せそうな最後だった。今から来れるかい?」
唐突に告げられた言葉に、私は受話器を取り落したまま、動けなかった。
◇ ◇ ◇
病院に慌てて駆け付けた時には、すでに病室の中が片付けられ始めていた。
なぜかカラになったパスタ皿と、フォークだけがサイドテーブルに残されている。
「エルリックは何か言っていましたか?」
いつの間にか来た仄香が、パスタ皿を手に和香大叔母様に声をかける。
「ああ。昨日の夕食代わりにペロリとそれを平らげて、『美味い。だがやはり塩が足りない。』って言ってたよ。すごく懐かしそうだったな。」
「そうでしたか。エルリックは幸せそうでしたか?」
「ああ。あれほど穏やかな死にざまは見たことがない。大往生だったよ。」
なんで?
私が殺したの?
理君だけじゃなく、ガドガン先生まで?
ああ、私が見捨てたからだ。
また、私だ。
「遺書は残っていますか?」
「ああ。見るかい?大作だよ?」
和香大叔母様は笑いながら高級そうな革のカバンを開き、一冊のノートを渡す。
そこには、ヨレヨレになった表紙の大学ノートが一冊だけ入っていた。
仄香がノートをそっと開く。
どれほどの思いを込めて書いたのかは想像しきれない。
だが余白がないほどびっしりと、几帳面な文字で、日本語と英語で綴られた言葉は、内容を読む前に目が涙で滲んで見えなくなった。
「やっぱり寿命だったんですね。よく今日まで頑張ってくれました。千弦さん。琴音さん。彼は私の一番古い弟子です。笑って送り出してあげてください。」
笑えるわけないじゃん。
私の立場で、もし笑えるヤツがいたら、ソイツ、絶対にサイコパスだよ。
そして仄香は遥香の鈴が鳴るような声で、静かに、だけど力強く、ゆっくりと遺書の一説を読み始めた。
☆ ☆ ☆
・・・仄香。
とうとうこの日、この瞬間が来た。
君は僕の魔法の師であり、命の恩人であり、僕を母のように抱き、姉のように導いた人だ。
あの日、あの喫茶店の横で、君が僕に声をかけなければ、その隣の路地裏で僕の人生は終わっていただろう。
それだけでなく、もしも許されるなら・・・僕は君を、生涯ただ一人の恋人にしたかった。
だがそれは叶わぬことと分かっていたから、僕は弟子であり、後輩であり、そして君が守った伯爵家の者として君に恥じぬ人間であろうと努めてきた。
君に拾われたあの日から、百余年。
僕はいつか君の隣に立てると信じて、君の姿を見失った後も、修練を続けた。
結局、君の背には届かなかったが、それでも努力の果てに多くのものを守る力を持てた。
最後にその力を君の娘たちのために使えたのだから、僕の人生は報われている。
僕が生涯で愛したのは、ただ君だけだ。
そのことを隠すつもりはない。
けれど、僕が家族に与えた情も、また偽りではなかったことを理解してほしい。
最期の晩餐に、君が作ったナポリタンスパゲッティを食べられたことは、僕の最大の幸福だった。
美味しかった。だがやはり、塩が足りなかったな。
どうか長く生きてくれ。
そして来世で再び出会えたなら・・・その時こそ、一人の男として君に挑みたい。
魔女に敬愛と、一縷の恋情を込めて。
・・・千弦君、琴音君。
僕は君たちに全てを託した。
千弦君には勇気を。琴音君には優しさを。
そして、二人ともに、だれかを愛する喜びを。
千弦君。
君は姉として琴音君よりも前に立ち、傷つきながらも守ろうとする。
愚直に真理を探求し、闇を恐れず、光を見つける。
その愛情も不器用さも、強さの証だ。
どうか恐れるな。理君を救えたことは、決して消えない誇りとなる。
その誇りが、君をこれからも支えるだろう。
琴音君。
君は妹でありながら、時に姉のように傷ついた千弦君を癒し、支えていた。
冷静で、賢く、けれど誰よりも優しい。
ただ、心理戦はあまり上手ではないね。
初めから知っていたよ。
だから、例のモノを活用してくれると嬉しい。
君が姉と共に歩むなら、必ず困難を越えられる。
どうか互いを信じ、共に未来を作ってほしい。
君たちを守れたことは、僕の人生において誇るべき最後の戦果だ。
もしも僕を思い出す日があるなら、「厳しい教師」でなく、「不器用な祖父」のような存在だったと笑ってくれれば嬉しい。
未来と彼女は君たちに託した。
生きよ。そして、幸せになれ。
最後になるが、僕の寿命が尽きるのは初めから分かっていたことだ。
だから、二人とも自分を責めてはいけない。
むしろ、最高の晴れ舞台をプレゼントされて気分爽快だったよ。
お返しに。
みんなに僕の秘密のプレゼントをあげよう。
でも、それは必要な時に、必要な場所で。
エルリック・ガドガン
☆ ☆ ☆
遺書は、彼の家族へ向けた言葉も綴られているのか、まだ何ページもある。
仄香が読んだのは、最後の二ページだけだ。
「・・・エルリック。いつかは、私もそちらに行きます。どうか、安らかに。」
仄香はそっとノートを閉じ、サイドテーブルに置いた後、ガドガン先生の頬をなでる。
まるで息子にするように、あるいは弟にするように。
『仄香姉ちゃん!僕、イギリスに帰ったら伯爵になるんだ!そしたら、必ず迎えに来るよ!』
ふいに、涙の中に仄香の手を引く少年が見える。
闊達に笑う、育ちが良く優しそうな男の子が、仄香を見上げ、憧れとも甘えとも違う、恋心を目に彼女を誘うような姿が。
・・・ガドガン先生、ありがとう。
そして、ごめんなさい。
私は、自分勝手な恋のためにみんなを巻き込み、そして、ガドガン先生の最後の時間を奪った。
・・・じゃあ、今からやめるか?
人形同然になった理君を捨て、新しい恋を探すか?
冗談じゃない。
死んでもそんなこと、するもんか。
そんなことしたら、ガドガン先生に顔向けができない。
ガドガン先生が遺した言葉、「理君を助けた誇り」が完全にウソになる。
「まだ、終わってない。私は、まだ全力じゃない。」
小さくつぶやく。
私の寿命がガドガン先生と同じだとして、120年。
今18歳だから、102年。
1年でたった8760時間。
100年だと876000時間。
1時間だって無駄にするものか。
必ず、理君の心を取り戻す。
そして、先生の写真を私たちの結婚式で飾ってやる!
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
ガドガン先生が死んだ。
・・・初めて会ったときは人の話も聞かず、いきなり攻撃してきたり、姉さんの腕を握りつぶしたりと散々な人だったが、学校の先生になった後はすごく優しくなったっけ。
・・・英語の授業は、まるでおじいちゃんが孫に読み書きを教えているような感じだった。
英語の歌のCDを再生して歌って聞かせたり、自作の絵本を使って場面を説明したり。
・・・私たちは高校生だよ?
それも大学入試を控えた進学校の。
そういう授業は、中学生相手にするんじゃないの?
はじめはそう思った。
でも、不思議と旋律と歌詞と、絵本の場面と言葉が忘れられない。
クラスの平均点は上がり、落ちこぼれと言われていた生徒は一人、また一人と及第点をとるようになった。
スペルが分からなくても、なぜか会話だけはできてしまう。
そんな生徒までいた。
ガドガン先生は、魔法使い、魔術師として世界最強、最高と評された。
でも、英語教師としても最高の先生だった。
「和香叔母様。この後は?」
お母さんが和香先生に確認する。
「ああ。午後にはご遺族が遺体を引き取りに来るらしい。琴音はあったことがあるだろう?アレックス・ガドガンさん。あとはクリスティーナさん、スカーレットさんだったかな?」
「そう・・・ですか。」
アレクとはあれから会っていない。
仄香の洗脳魔法で忘れていたとはいえ、ほかの女性と不倫していたような男だ。
それに、相手は有名バンドグループのギターボーカルだ。
もう二度と恋仲になることはないだろう。
「琴音。あんたはこのまま帰っていいわ。私が彼らと・・・。」
「千弦さんも帰りなさい。ここは私が応対します。」
仄香が、ぴしゃりと姉さんの言葉を遮る。
「でも、私のせいで・・・。」
「あなたのせいではない。断じて千弦さんのせいではない。もし、罪悪感を覚えたなら、そのエネルギーは今後の千弦さん自身の幸せのために使いなさい。エルリックは千弦さんのせいで死んだのではない。彼は、千弦さんのおかげで死に場所を得たのです。」
仄香は自分にも言い聞かせるように繰り返す。
震えた声を隠しながら。
うつむいたままの姉さんの手を引き、病室を後にする。
廊下に出て、エレベーターホールに向かう。
その後、病院から出て、お母さんの運転する車で家に着くまで、ずっと姉さんは黙ったままだった。
・・・ふいに、紫雨君の顔が浮かぶ。
そういえば・・・八月後半は忙しい、って言ってたっけ。
夜とか朝とか、LINEでやり取りはしてたけど、そろそろ顔を見たい。
会って、今までのことを話したい。
でもそんなことを言える状況でもなくて・・・。
私も黙って自分の部屋に戻り、新学期の準備をすることにした。
◇ ◇ ◇
日付を少し戻す。
水無月 紫雨
8月16日(土)
長崎市内
ホテルナインフォールド長崎
ロビー
おば・・・じゃなかった、星羅さんと二人、待ち合わせ場所のロビーで待っていると、十さん、九さん、四さん、そして三さん、一さんが集まった。
「初めまして、皇帝陛下。一零と申します。」
「どうも。三四五六です。」
一零さんは宗一郎さんの従姉妹、三四五六さんは琴音さんたちの高校の先生。
「いやぁ、十大公爵家もとうとう半分になってしもましたなぁ。一応、デュオネーラがおる場所は分かっとるんですけどな。せやけど、セプティモスとオクトヴェインは行方知れず、クインセイラとセクセリウスは血筋が途絶えてもうて。・・・いやはや、こらまた散々なこっちゃなぁ。」
デュオネーラ家の末裔については、現在「二五郎」という名前で活動しているということは聞いている。
同時にかなりの売れっ子作家らしく、年末まで一日も休みがない、ということも。
・・・まあ、デュオネーラは全く戦闘に向かない能力で、能力の効果も長期的に発揮されるものだから今はいらないだろう。
「クインセイラとセクセリウスが血統断絶した、というのは?誰か、その最後を知っているか?」
「クインセイラとセクセリウスが血統断絶した、言うてもな、正確にはちょっとちゃうんですわ。元々あわせても三人しか残っとらんかったんですけどな・・・まぁ、なんちゅうか、けったいな話でしてな。『何者かに召喚された』っちゅうて。我々の調べやと、まぁそんな感じやったんですわ。」
九さんが口ごもりながら一冊のレポートを取り出す。
「なんだ、こりゃ?召喚者不明、召喚先不明。つまり、行方不明。それも・・・五百年も前に?中央アジアで?う~ん。じゃあ、探すのは無理か。」
十さんが補足する。
「セプティモスとオクトヴェインについては、イタリアで『セタロ』、ドイツで『アクトヴァイン』と名乗っていたことが確認されています。・・・まあ、こちらも二百年前の情報ですがね。」
・・・あれ?あんまりひねってないな?
いや、ひねりすぎて一周したのか?
「まあ、連絡が取れないんじゃしょうがない。とにかく、今いるメンバーがそろっただけでもありがたいよ。それで、さっそくなんだけど。」
「はい。何なりとお申し付けください。」
「・・・なぜ、日本に、こんな極東の島国に十大公爵家のうち、五つも集まっているんだ?もっとこう、世界中に散っていると思うんだけど?」
一人や二人ならいざ知らず、五家もこの小さな国に集まるのは、さすがに偶然とも思えない。
何らかの意図があったか、あるいは僕の復活を予知した何者かがいたか・・・?
我ながらもっともな疑問だと思う。
だが、十大公爵家の血を引く全員からは、思っていたのとはまるで違う反応が返ってきた。
「ん?・・・あれ?もしかして・・・ご存じない?」
「・・・だから、何の話だ?」
十さんが、おもむろに古い文書のようなものを取り出す。
だが、そこに書かれているのは・・・日本語と、古代黒海沿岸文明で使われた、今は完全に失われた文字。
すなわち、ナギル文字だ。
だが、日本語は・・・現代語・・・口語だ。
「この文献も粘土板の写しにすぎません。原本は1500年以上前に失われているものです。それに・・・当時は言葉の意味も分からなかった。一言一句、というより、原本に書かれた文字、いや汚れに至るまで正確に写し取られた複写を何度か重ねて現代にまで届いたものです。」
差し出されたものを手に取る。
これ自体、写本のさらにコピーらしく、A4のコピー用紙に印刷されているのもだったが、そこに書かれた文字に一瞬、すべての細胞が止まるような思いがした。
書いている内容は、日本語も、ナギル文字も同じようだが・・・。
古代魔法帝国時代においてなお、幻の超古代文明であるナギル文字を、僕は長文では扱えない。
『あなた方の皇帝は、失われていません。今ははるか海のかなたで眠りについているでしょうが、1700年の時を経て、「日本」と呼ばれる国で必ず蘇ります。そして、幸せな家庭を築くでしょう。だから、その日に備えなさい。私は黒髪の女と呼ばれる者。遥かな昨日の彼の妹。そして、遥かな明日の、彼の恋人の生き写し。』
なんだ、これ?
僕の恋人の生き写し?1700年前の?
・・・一体、誰だ?
それに、なんで、現代日本語なんだ・・・?
いや、日本という国家ができたのは、確かに古代魔法帝国と同時期だけど・・・。
「この粘土板は、レギウム・ノクティスが滅びる直前、ウナヴェリス家に届いたらしいのです。莫大な魔力を帯びた何かの破片とともに。長らく解読することができませんでしたが、1000年前ごろ、解読に成功しました。・・・今じゃ、解読すら必要ありませんがね。」
「そないして、粘土板を信じる者と信じん者に分かれて、世界に散っていったっちゅうわけですわ。
結果的には、粘土板が正しかったっちゅうんが証明された、いうことになりますなぁ。」
あまりにも唐突すぎて考えがまとまらない。
だが、この「黒髪の女」が敵ならば、教会以上の難敵だ。
1700年後の未来を読むことができ、かつナギル文字を操る女・・・すなわち幻の超古代文明があった6800年前から、1700年前まで生きていた、だと?
これ、下手をしたら今もまだ生きているかもしれない。
それどころか、母さん以上の魔法使いの可能性すらあるぞ?
「すこし、考えさせてくれ。」
この世界には、まだまだ分からないことがたくさんあるのは知っている。
だけど、これほど近くに、ここまで得体のしれない者が、それも僕をまるで監視しているかのような・・・あるいは見守っているかのような立ち位置でいたなんて、思いもよらなかった。
◇ ◇ ◇
翌々日
ウクライナ・へルソン
ドニエプル川 河口付近
夏の太陽が、黒海の海面に反射して光っている。
そんな中、僕、星羅さん、ナーシャさん、四さんの四人は、ドニエプル川の河口を眺めていた。
【紫雨。またずいぶんと大きな探し物ですね。でもちょっと古すぎるんじゃないかしら?】
「うん。でも、ものすごく気になってね。」
ここはかつて、古代黒海沿岸文明の首都として栄えた町があったといわれる場所だ。
その町は、ナギル・チヅラといったらしく、僕や母さんが生まれる前に完成し、僕が一週目の人生を終える前に消滅したそうだ。
今では、考古学を学ぶものからは眉唾扱いされてしまうほど幻になっているが、少なくとも僕がレギウム・ノクティスを作った2700年前には、多少なりともその時代の遺物や知識が残っていた。
複数の金属を混ぜ合わせ、合金を作る技術。
猛毒を使って、ほかの金属の表面に金の膜を作る技術。
燃える水を加工して、弾力のある造形物を作る技術。
らせん状に掘った穴と、らせんを施した棒を組み合わせ、モノを固定する技術。
ガラスの筒に、針金を封入した用途のわからないもの。
閃光を放ち、火炎とともに消える綿。
ほかにも、用途がわからない杖のような鈍器のような、複雑な機功や、ガラスと何かの板を組み合わせた、用途すらわからない筒などもあったが・・・。
それらの特徴は当時、「一切、魔法を使っていない」ということ以外は全く理解できなかったものばかりだった。
・・・金メッキ。合成ゴム。ネジ。真空管。ニトロセルロース。
そして、銃、迫撃砲。顕微鏡に、望遠鏡。
銃などにいたっては、ものによっては金属薬莢にベルトリンク機構までついていたような記憶がある。
今にして思えば、なぜそんなものがあの時代にあったんだ?
当時は何の機械かすら分からなかったぞ?
明らかに文明のレベルが違いすぎる。
そして、そこまでの文明を誇りながら、なぜ滅んだ?
それも、伝説上では一夜にして滅んだ、とある。
・・・まあ、それはいくら何でもないとは思うが。
「皇帝陛下。て、手を離さないでくださいね。日本が遠すぎて私ひとりじゃ帰れない・・・。」
距離の問題じゃないよね?
「四さん。別についてこなくてもよかったのに。それに、ナーシャさんも。」
「あたしは戸田園長先生に『そろそろ有給と代休の消化をして来い』と言われただけで・・・もう。労働基準法だか何だか知らないけど、一か月あたり100時間くらいの残業や週一回の休日出勤くらいでとやかく言わないでほしい。・・・子育ての大変さを知らないのかな?」
幸い、ウクライナはロシア語に単語も文法も近いらしく、ナーシャさんはロシア語が使えることもあり、通訳代わりについてきたもらったけど・・・。
危ないことに巻き込まないよう、細心の注意を払わなくては。
「こ、皇帝陛下。ええと、これからどこに行くんですか?」
「ああ。地元の博物館に行く予定だ。黒海沿岸文明を専門に調べている学者がいるんだ。ちょっと話を聞いてみたくてさ。」
考古学の世界では、黒海沿岸文明の話をするとかなり馬鹿にされるらしい。
まあ、古代魔法帝国も似たようなものだけどさ。
◇ ◇ ◇
結論から言えば、空振りだった。
黒海沿岸文明の研究者は中国系、またはその属国の出身らしく、終始、黒海沿岸文明の発祥は自分たちの国が起源であることを主張するにとどまった。
「なんなんだろうね、アレ!?『黒海沿岸文明は私たちの国が起源だ!』って、6800年前に滅びた国の起源が自分たちの国だって、数字の大小も分からない人が研究者だなんて思わなかったよ!」
「ごめん、ナーシャさん。せっかくの休日をふいにさせちゃって。でも、まさかこのメッセージを知らないどころか、ナギル文字すら知らないとは思わなかったなあ・・・。」
ナギル文字・・・考えてみれば、この文字は不思議だ。
すべての文字が、子音・母音の組み合わせでできている表音文字だ。
さらに、数字だけが全く別系統の概念で構成されているのも特徴だ。
最大の特徴は、0がある。
さらに言うならば、少数と、分数。
そして、無理数や虚数、指数・対数まで存在するというのは驚きとしか言えない。
これで表意文字まであったらまるで日本語だな、と思いつつ、同時にさっきの研究者にはナギル文字の解読に成功していることは言わないでよかったと、胸をなでおろしていた。
「さて・・・これからどうします?このまま帰ります?」
四さんはどうやら帰りたいらしい。
本人は方向音痴であることを頑として認めていないが、日本までの距離を考えたら、生きた心地がしないだろう。
「えぇ・・・?せっかくに海外旅行なのに、このまま帰っちゃうの?」
ナーシャさんは、ロシア語の翻訳で活躍できたことがうれしいらしく、もう少しこの国にいたいようだ。
「う~ん。キエフまで行ってソフィア大聖堂でも見るか、アンドレイ教会、ペチェールシク大修道院というのも・・・でもなあ・・・琴音さん以外の女性と旅行、というのも色々問題があるんだよなぁ・・・。」
「なにそれ?紫雨君ってそんなこと気にしてたの?安心しなさい。あたしは子供には興味はないから。ガタイばっかり大きくなっちゃって。」
・・・いや、僕はこの中では最高齢なんだけど・・・。
もしかして、ハナミズキの家で会った時のままの年齢で考えてるのか?
ま、まあ、そういうことなら浮気になることもない、のか?
【・・・このヘタレ。まあ、琴音さんを裏切るんじゃなければ良しとしましょうか。それに・・・その上流には私たちの本当の故郷もあるようですし。】
「うるさいな!?僕はもうヘタレじゃないよ!?」
なぜかゲラゲラと笑う女性陣を尻目にヘルソン駅に向かい、キエフ行きの切符を四枚、買うことにした。




