255 敵味方識別機能くらいつけておけ/愚者は「み」より尾ひれを欲する
本作はフィクションです。
当り前ですけど、実在の人物・団体とは関係ありません。
ナーシャ(蓮華・アナスタシア・スミルノフ)
8月27日(水)
夏休みも終わりに近づき、まだまだ茹だるような暑さが続く中、あたしたちハナミズキの家の一行は九重宗一郎さんのご厚意で朝早くから大阪・関西万博の会場にいた。
「はい、そこ!列を乱さない!各班長はスマホ持った?絶対に無くさないように!誰かが迷子になったら必ず電話!いい!?班ごとに必ず動くこと!誰かを置いて行ったり、勝手に班から離れたりしたらゲンコツだよ!」
同僚の十さんや、ヘルプで来てくれたアリョーナ、そしてわざわざ東京から来てくれた時岡美穂ちゃんと、仄香さんから紹介されたアマリナさんの力を借りて、三十人からなる子供たちを引き連れて大きな木のリングをくぐり、万博会場の中を歩いていた。
「はーい!・・・なあ、これからどこ行く?俺、パナソニックのパビリオンに行きたいんだけど!」
「え~?私はフランスとかアメリカのパビリオンがいいんだけど。順番に回ればいいんじゃない?」
「俺、宗一郎さんに頼んで事前にモンスターハンターブリッジ(大阪ヘルスケア館)やガンダムNEXT FUTURE PAVILION、シグネチャーパビリオンnull2に予約を入れておいたんだ。それぞれ四人分予約したからそっちに行こうよ!予約なしだと絶対見られないくらい大人気なんだぜ!」
「マジ!?さすが蓮くん!やるじゃん!行こうぜ!」
「ちょっと!必ず一人、引率を連れて行きなさい!・・・もう、引率の頭数も数えず予約を取るなんて。勝手なことをするんだから。」
「・・・あ、ほんならウチが行くわ。宗一郎さんから全部のパビリオンの優先パスもろてるし、はぐれることもあらへんと思うで?」
美穂ちゃんはそう言い、蓮君の後をついていく。
美穂ちゃんは学年としては中学一年生なんだけど、実年齢は二歳ほど上らしく、かなり落ち着いて行動してくれるので安心だ。
それに・・・彼女はリッチという種類のアンデッドらしい。
・・美代さんの話によれば、心臓を抉られても、首を刎ねられても死なないらしい。
なんでも、人格情報と記憶情報を霊的基質の向こう側に保存し、かつきわめて強力な霊的基質を持つため、「死」の定義がかなり「魔女寄り」なんだという。
「美穂殿・・・元気でござるな。こう・・・燦々と日が射してはアンデッドにとっては辛かろうに。いや、魔女殿曰く、『生きてるアンデッド』でしたかな?」
アマリナさんが元気に走っている美穂ちゃんを見て、まるで若者を見守る年寄りのような目をする。
「アンデッドになるのは大ケガをした時だけだそうですよ。それに、身体を修復すればいつでも元通りになれるそうで・・・ところでアマリナさん?その恰好、暑くないですか?」
「うん?ふふふ・・・実は拙者、最近空調術式を使えるようになったのでござるよ。むしろ直射日光の方が問題でござってな。」
アマリナさんはそう言いながら、日傘をくるりと回し、赤と金のラインが入った黒ゴスのドレスをふわりとさせる。
彼女は急遽の参加だ。
なんでも、日本に来る予定はずいぶん前から決まっていたのに、急遽美代さんや琴音さん、千弦さんに予定が入ってしまったのだという。
まあ、美代さんの紹介だし、見た目と違って日本語がペラペラだから安心だ。
見た目を私が言うのはちょっとアレだけど。
そういえば、アマリナさんってエルさんと同じで、あたしたちよりかなり寿命が長い種族だって言ってたけど・・・耳も長くないし、目の色が妙に赤いのと瞳孔が縦に割れている以外は普通に見えるんだけどさ。
「あ、ナーシャさん。あとは俺たちが面倒を見るから少しゆっくりしたら?朝から動きっぱなしだよ?」
「あ、十さん、ではお言葉に甘えます。・・・いや、昨日の夜から何も食べてなくて。ええと、どこで何時に合流しますか?」
「あ、あはは・・・いくら何でも働きすぎだよ。ハナミズキの家がまるでブラック企業じゃないか。子供たちの集合時間までゆっくりしていていいから、ついでに楽しんできなさい。」
「でも・・・。」
「ナーシャ。私もいるです。大船に行った気で任せてください。」
「アリョーナ。それを言うなら『大船に乗ったつもり』ね。わかりました。じゃあ、お言葉に甘えます。」
「ではナーシャ殿。拙者は美穂殿を追いかけるでござるよ。」
私は十さんやアリョーナ、アマリナさんに後を任せ、近くのベンチに腰掛ける。
・・・暑い。
いや、アマリナさんの衣装を見てたからじゃないよ?
彼女の周りは冷気が漂ってたくらいだし。
それに、もう半年くらい働いて、軽自動車くらいだったら現金で買えるくらいのお金が貯まってるんだし、今日くらいは外食してもいいか。
今朝はお弁当を作る時間、なかったし。
思い直してベンチから立ち上がり、どこか軽食でも食べられるところを探そうかと歩き出す。
そんなあたしの前をどこかで見たような制服を着た男の子が、なぜか「横浜」とデカデカと書かれた紙袋を片手に、美穂ちゃんやアマリナさんが行った方向に一人歩いていくのが見えた。
「はて?なぜに『横浜』?それに、あの制服って、まっちゃんの高校と同じ?」
まっちゃんといえば、千弦さんが誘拐された日に巻き込まれて死んだって言ってたよなぁ・・・。
殺されるほど悪いこと、してたのかなぁ・・・。
なんて、もう今じゃどうしようもないことに思いを寄せて逆向きに歩き出した瞬間。
真後ろから閃光、そして轟音。
振り向けばそこには、一人の少女だったモノが何かに覆いかぶさるかのような姿勢で身動き一つせずに倒れ伏し、傍らには面白くもないような顔をした少年が一人、静かにたたずんでいた。
◇ ◇ ◇
怒号と悲鳴がこだまし、爆心地となった広場からありとあらゆる人間が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
そんな騒ぎの中心で、まっちゃんと同じ制服を着た少年は、その氷のように無表情だった顔をつまらなそうにして、足元に転がった少女を足で蹴飛ばした。
うわ、あれ、美穂ちゃんじゃない?
すぐ近くには、アマリナさんがその少年に向かい身構えている。
「美穂殿!大事ないか!?」
彼女はそう叫ぶも、すぐに美穂ちゃんを助けに行かず、注意深くその少年を観察している。
ずいぶんな落ち着きようだ。
もしかして、彼女にはそういった経験があるのか?
いや、どう見ても大事ありまくりでしょう?
「・・・まったく、周りに友達か家族がいたのかもしれないけど、ずいぶんと立派な自己犠牲の精神をお持ちのようで。おかげで私が用意した爆弾が一つ、無駄になってしまったよ。・・・まあ、いいか。この顔の名誉を貶めるのが目的なだけだから。・・・だが、これほど早く政府が対策をするとは思わなかった。次回は双子の顔でも使うか?」
少年は、周囲を見渡し、その少女を放置したまま、今来た道へと歩き出そうとする。
だが・・・。
「ちょ、待ってや! あんた、ウチの大事な一張羅ボロッボロにしてんのに、弁償もせんと逃げる気なん?」
血まみれでところどころ肉が飛び散り、左腕はちぎれ飛び、腹からは内臓が、頭からは脳がこぼれかけているような状態で、少女はその少年の足をつかむ。
そして、次の瞬間、驚いたかのような言葉を発した。
「あれ?・・・石川・・・理やっけ?・・・いや、ちゃうわ。精気の流れ、全然あらへん・・・。あんた、まさか教会のアンデッドちゃうやろな?」
「なぜそれを!・・・いや、おまえ、もしかして教会のアンデッドか?それに、そっちは魔族?そうか、アンデッドを盾にしたのか。・・・なんだよ、よりによって味方を巻き込んで不発かよ。ったく・・・教会は横の連携が少ないとはいえ、こんな偶然ってあるか?」
「・・・ほな、あんたも教会の、なん・・・?」
美穂ちゃんは彼に見えない角度でニヤリ、とその顔をゆがめる。
アマリナさんは、それに応えるように大きく頷き、大仰に構えてみせる。
「いかにも私は魔族。で?おぬしは何者じゃ?まさか、魔女の手のものではあるまいな?」
・・・二人とも何をするつもり?
それに、あれほどのダメージなのに、なぜ動ける?
アンデッドって、そんなにすごいの!?
その証拠に、アマリナさんは注意深くその少年を睨んでいるが、美穂ちゃんを助けようとはしない。
「ああ、十二使徒第七席、『隠剣』のネズミ。ああ、私はアンデッドじゃないぞ?魔導生命体だ。で、お前たちは何をしていたんだ?こんなところで。」
「申し訳ないがそれに応える権限は拙者には無いでござるよ。が、おぬしのおかげで続けることも出来なくなったでござるな。さて、何と上に報告するか。迷惑千万にござるよ。」
何とも上手い言い回しだ。
さも何かの作戦行動中のように聞こえる。
さらに、美穂ちゃんが追い討ちをかける。
「ふ、ふふ、ふふふ・・・ほな、あんた、ヴァシレとマフディの同僚、っちゅうわけや。」
それを聞いた少年の目が、すうっと細くなる。
「・・・?なんだ、マフディに作られたアンデッドか。・・・まいったな、アイツのアンデッドは術式が複雑すぎて私には治せないぞ?そもそも魔力もないし。仕方がない、回収して修理してもらうか。レシピぐらい残ってるだろう。おい、お前、歩けるか?・・・いや、吹き飛ばした私が言うのもなんだけどさ。」
それまでとは打って変わって申し訳なさそうだな。
「腰から下、動かへん・・・連れてって。・・・あんたがウチの脳の一部吹っ飛ばしたせいで、作戦の内容まで飛んでもたんや。責任、とってもらうで?」
「拙者も屍霊術は不得手でな。得手とする者のところへ連れて行っていただけるか?」
まるでアマリナさんと美穂ちゃんは阿吽の呼吸で・・・あ、念話のイヤーカフか!
「・・・ちっ、仕方がない。理に対するネガティブキャンペーンは一時中断だ。ついてこい、じゃなかった、連れて行ってやる。」
少年はアマリナさんと協力して美穂ちゃんを持ち上げ、さらに周囲に散らばった肉片を集め、適当なビニール袋に放り込む。
美穂ちゃんは呆然としているあたしと目が合うと、脳のはみ出た顔でニヤリと笑い、ウインクまでしてきたよ。
・・・う、グロ・・・夢に見そうだって。
◇ ◇ ◇
仄香(inジェーン・ドゥ)
8月27日(水)朝
長距離跳躍魔法で大阪に到着し、健治郎殿の部下の高杉殿と三上殿と協力して夜通し大阪を探したが、理殿の姿をしたネズミの行方は分からなかった。
考えてみれば、破壊活動等重大犯罪をするとき以外は理殿の姿を取る必要もないのだから、今この瞬間はどんな顔をしているかもわからない。
また、どれだけ至近距離にいても魔力も出さない相手を探すのは至難の業だ。
二三殿のナノゴーレムによる追跡が無ければ、今頃は完全に暗礁に乗り上げていただろう。
「すまん、三上。10分ほど仮眠をとる。」
「了解しました。何かあったら叩き起こします。」
陸情二部が用意した車の中で、高杉殿が座席を倒して目を閉じる。
せめて少しでも長く休ませてやりたいが・・・。
「高杉さん。よろしければ加速空間魔法でも少し長く眠れるようにいたしますが・・・?」
「いや、仮眠中でも直ちに行動を起こさなければならない場合がありますので。魔法の解除を要する場合などですぐに動けないと困ります。ご厚意だけ受け取っておきます。では。」
私の提案を丁寧に断ると、高杉殿は目を閉じ、すぐに寝息を立て始めた。
《素晴らしく訓練されているのですね。高杉さんも、三上さんも。》
高杉殿の仮眠を妨害することが無いように、念話で三上殿に声をかける。
《いえ、高杉中尉は九重大佐に比べればまだまだです。大佐なら、一週間くらい寝なくてもパフォーマンスが崩れることはありません。》
《・・・そう、ですか。健治郎殿はやはりすごいんですね。》
九重家の後継者問題や、千弦の結婚相手の名誉問題などでなし崩し的に求婚してしまったが、健治郎殿を第三者が褒めるのを聞くと、我が事のようにうれしくなる。
《九重大佐には私も何度かアプローチしていたんですけどね。まさか、仄香さんが恋敵になるとは思いませんでした。私に勝ち目なんてあるはずないじゃないですか。あ~あ。この際、高杉中尉で我慢するか。》
《あ、いえ、健治郎殿にはまだ何も返事はもらっていません。それに、私は年増女ですから・・・。》
《・・・年増って・・・身体がそれだけ若ければいいじゃないですか。もう。私なんてアラサーなんですよ?》
アラサー・・・?
じゃあ、千弦や琴音が誘拐された小学二年生のとき、三上殿は何歳だったんだ?
ええと、11年前、だよな。
今ギリギリ34歳だとしても23歳?
いや、諜報機関所属だから、階級はかなり高くなるはずで、その場合だと今はまだ20代後半?そうすると、あの作戦の時、三上殿は高校生くらいの年代か!?
そんなくだらないことを考えていると、車に備え付けられた無線機に着信があった。
『三上、高杉。大阪・関西万博会場内で爆発発生。・・・死亡1、重軽傷0。使用されたのは渋谷と同じ、高性能爆薬と確認。マルタイの犯行と推定。直ちに現場へむかえ。』
『三上、高杉了解。現場に急行します。』
いつの間にか座席は元の位置に復帰し、完全に目を覚ました高杉殿が手元に地図を広げ、三上殿が素早く車を発進させて、車の流れに合流する。
「三上中尉。ROEは?」
「対象への危害射撃可、禁止事項以外自由。周囲の被害は『極力抑えろ』です。」
「そうか、ありがたい。そのまま運転を続けてくれ。俺は装備を変更する。」
助手席にいた高杉殿は素早く座席を回転させ、真後ろを向いてライフルやグレネードランチャーの選別を始める。
・・・そしてわずか数分後、車が此花通に入った瞬間、ピリっという感覚とともに、思いもよらない者からの念話が私の頭に響き渡った。
《あ~。仄香さん?聞こえる?美穂やで。今な、万博会場で自称・十二使徒の第七席とか名乗ってるネズミって奴と一緒におんねんけどな、ウチのこと教会のアンデッドや思たみたいやねん。でな、ウチの身体直すためとか言うて、今、ウチを担いで走っとるとこなんよ。》
《アマリナでござる。拙者も一緒でござるよ。お久しぶりでござるな。》
《美穂さん?アマリナさん?それに修復?どこかケガをしたんですか?それに、ネズミと一緒にいるって・・・?》
《そ。ネズミの爆弾で、ちょっとな。痛みないとこ見ると、けっこうダメージでかいっぽいわ。それにしてもコイツ、ウチのこと疑いもせんと、自分の隠れ家まで連れてくとかさ。アンデッド相手だと、ほんま優しいこっちゃなぁ。》
《痛みがない・・・では、完全にアンデッド、いや、リッチ状態なんですね。人格情報と記憶情報に異常はありませんか?それと、霊的基質に異常は?》
《全然問題あらへんみたいやわ。ま、ちょっとミソとワタこぼれてもうたけど。とりあえず、念話のイヤーカフで現在地知らせるさかい、こいつ捕まえるついでに迎えに来てくれたら嬉しいな。》
《わかりました。万が一、浄化系魔法の使い手と遭遇した時は、迷わずアマリナさんと一緒に逃げ出してください。》
《了解や。後できれいに治したってな。》
《承知した。任されよ。ふふ。いやはや、拙者の腕の見せ所でござるな。》
アマリナと美穂との念話のイヤーカフの通信を終え、彼女たち現在位置を確認すると、すでに万博会場を離れ、夢舞大橋を北上しているところだった。
◇ ◇ ◇
三上殿が運転する車は北から大阪・関西万博に接近していたこともあり、通信後すぐに夢舞大橋が見えてくるところまで近づくと、橋のこちら側で警察車両が一台の軽トラックを包囲したまま、にらみ合っている場所に出くわす。
軽トラックの荷台には理殿の姿をしたネズミが仁王立ちになり、小脇に美穂を抱えている。
アマリナは・・・助手席に乗っているようだ。
・・・運転席に座らず運転をしているとは、機械物に侵入して操る能力を使っているのか。
「いた・・・!あれか!よし、三上。榴弾狙撃の用意!弾種はテルミット!いいか、小脇に抱えている少女には絶対に当てるなよ?仄香さん!準備はいいですか!」
・・・美穂はアンデッドだから当たったとしても問題にはならないんだが、士気を落とすのは問題だからやめておこう。
っていうか、そんなもので狙撃するつもりなのか?
それ、サーメートって・・・テルミット焼夷弾か!?
そりゃあ、人間には当てられないな。
火葬されてしまうよ。
彼我の距離は約200m。
ならば。
「もちろん!・・・百連唱、世の果てで天空を背負いし巨人よ!リンゴを持ちて勇者を誑かせしアトラスよ!今一時、汝が背の苦しみの万分の一を彼の者に与え給え!撃って!」
素早く呪文を詠唱し、目標となる空間に上下左右から中心に向かって9.80665 m / s2の重力加速度を設定し、それを何重にも球状に発動する。
重力加速度制御魔法が発動した瞬間、軽トラックの上空に重力の井戸の底が出現し、ネズミは遮蔽物がない空中に磔になる。
これで少しは気休めになるか?
液体金属相手では変形して逃げられてしまうかもしれないが、その分理殿の疑惑は晴れるだろう。
奴は何かを叫んでいるが、周囲の音がうるさくて何も聞こえない。
少し遠すぎたか?
いや、それにしては身動きがとれていないように見えるな。
ぐにゃり、と変形して軽トラの荷台に触腕を伸ばそうとするも、なぜかうまく変形することができないようだ。
・・・そうか!
アマリナの念動力は流体に対してはほぼ完全な制御能力があるんだった。
液体金属ゴーレムともなれば、アマリナの念動力の影響下では身動きもできなくなるのは道理だ!
「186m、風速5、風向4時半からやや上昇気流!・・・今助手席の少女が離れた!撃て!」
ほぼ同時に、すぐ隣にいた高杉殿がフィールドスコープを用いて彼我の距離を正確に測り、それに応じて三上殿が発砲する。
くぐもった銃声、甲高い風切り音とともに、弾頭は光の尾を引き、飛翔する。
それは重力加速度コントロールの範囲に入ると、放物線の向きが変わり、落下するように加速する。
砲弾はわずかな誤差もなくネズミの胴体に着弾し、刹那の時をおき、その体内で激しく火花を散らしながら燃え上がった。
『うわあぁぁぁ!くそ、たかが砲弾ぐらいでこの私が!」
ネズミは美穂を放り出し、その場で胸を押さえて掻き毟る。
すでに人間としての形状すら保っていない。
銀色の触腕のようなモノを何本も振り乱し、顔以外をアメーバーのように変形させる。
「ぎゃああぁぁぁぁあ!ぐ、液体合金が!思い通りに変形できない!な、何だこの力は!それに何を撃ち込まれた!ぐ、があぁぁぁ!?」
弾頭が着弾したところを中心に白熱した閃光と金属の飛沫が飛び、その身体が高温で泡立ち、部分的に固化して剥がれ落ちる。
それでもなお、ネズミはその身をひねることもできない。
まるで目に見えない容器に入った水銀のようだ。
ガリンスタン合金の沸点は1300℃。
酸化鉄-アルミニウムのテルミット反応は理論上3000℃に達する。
ましてや、軍用のテルミット焼夷弾となればなおさらだ。
たとえ、ガリンスタン合金が溶解分離され、元の金属に精錬されてもなおゴーレムとしての制御性を失わないとしても、ガリウム(Ga)の沸点は約2204℃。インジウム(In)の沸点は約2072℃。スズ(Sn)の沸点は約2602℃。
・・・絶対に耐えられる温度ではない。
にもかかわらず、内側から沸騰を続けるも、飛び散ることもできずにその場に磔にされている。
「ふん!液体ならば拙者の得手にござる!何万気圧だろうと逃しはせぬよ!」
あそこまで加熱しているはずの流体すら、アマリナの念動力は完全な制御下におけるのか。
・・・もしかして、アマリナって、ネズミの天敵だったんじゃないか?
いや、人間の身体って六割から七割が液体だろう?
体重比で、血液が約7〜8%、細胞外液が約20%、細胞内液が約40%。
あ、アイツ、実はかなり凶悪的な能力じゃないか!
その身体は完全に流動性を失ったのか、バタバタとのたうつように銀色のしずくをまき散らすも、アマリナの能力と重力加速度制御魔法に囚われ、まともに身動きもできなくなり始める。
「く、あ、あ、き、消えて、しまう、私・・・の・・・から、だ・・・。」
「もう終わりでござるか!不甲斐ない!十二使徒が聞いて呆れる!」
徐々に小さくなる声。
勝ち誇るアマリナの声。
いや、アマリナじゃないとそう簡単にはいかないからね?
だが、その声が掻き消える寸前、その銀色の液体の中に、キラリと金色の輝きが光った。
「・・・命の対貨!?まさか、生物でもないのに使うというの!?く!全自動詠唱!次元隔離を!」
至近距離にいるアマリナや囚われている美穂のことを考えて次元隔離を行わなかったのが裏目に出たか!
ぎりぎりで発動した次元隔離魔法はネズミの身体の約半分をえぐり取り、その場にとどめるも、半分に満たない程度の銀色の液体は、ゆっくりと掻き消えながら、はるか北の空に飛んで行った。
◇ ◇ ◇
コトがすんだ後、大阪府警が素早く規制線を張るも、マスコミや野次馬が現場に殺到する。
そんな中を私たちが乗った車がヤツの残骸に向け、近寄っていく。
「陸軍情報部の者です!場所を開けなさい!」
「報道関係者はその場を動くな!野次馬もだ!準戦時特例法・防衛機密情報統制事項に基づき、全員のカメラ・スマホ類を没収する!提出が終わったらプレートの前に立て!」
三上殿と高杉殿は現場に素早く車を止め、銃を構え、警戒する警察官に身分証明書を提示する。
「え・・・!?陸軍情報本部!?・・・お、お疲れ様です!で、ですが、我々だけの判断では・・・。」
右往左往とする警察官、騒然とする野次馬、抗議の声を上げるマスコミ関係者。
二人は素早く指示を出すが、その場は騒然とするだけで警察官は動かない。
「ならば上に確認しなさい。すでに連絡は行っているはずです。・・・もたもたするな!貴様、それでも公権力を行使している自覚はあるのか!」
「は、はい、おい、確認しろ!急げ!」
三上殿は現場の警察官に対し、すぐに上に確認するように言うが、高杉殿はそれに構わず現場にいたマスコミ関係者、そして野次馬に向けて銃を構える。
「全員その場から動くな!手を頭の後ろで組んで腹ばいになれ!そこ!次に動いたら射殺するぞ!」
高杉殿は、慌ててその場から去ろうとした野次馬の一人に向かい怒鳴りながら上空に向けて発砲する。
「か、確認しました!捜査本部からです!・・・お二人に従うように、と・・・。」
「では、仕事をしなさい。直ちに現場を封鎖!全員にカメラ、スマートフォン等を提出させ、暗証番号を聴取。映像データはクラウドまで含めて全消去。終わった者からこの車のプレートの前に立たせなさい。ペースメーカー等医療機器を埋め込んでいる者は自己申告を。」
三上殿は次々に指示を出しながら、車の中から取り出した一畳ほどのプレートを立たせ、電源を入れる。
「このプレートは一体・・・?」
「あなたにはそれを知る権利はない。指示に従いなさい。」
「は、はあ・・・。」
警察官たちは戸惑いながらも現場の指示に動き始める。
だが、年若い一人の警察官が三上殿に直接文句を言おうとした瞬間。
「ふざけるな!陸軍がなんだっていうんだ!市民に銃を向け・・ギャア!?」
彼女は表情も変えず、その警察官の脛に向け、正確に発砲する。
銃弾は脛を貫通し、その場に鮮血をまき散らしながらアスファルトで音を立てた。
「・・・国益のためです。準戦時特例法違反、国防省戦時通達第145号に基づき、執行妨害を確認しました。そこの巡査。彼を確保、全権限を剝奪しなさい。後日、陸軍情報部が尋問を行います。・・・分かったら全員職務を全うしなさい。」
・・・たいしたものだ。
わずか一発の銃弾で、民間人に犠牲を出すことなく、その場にいた全員が押し黙り、指示に従い始める。
まあ、馬鹿な警察官が一人、犠牲になったけどな。
あれ、職務上の傷病扱いになるんだろうか?
後で三上殿に聞いてみようか。
状況次第ではこっそりと治しておいてやろう。
・・・それから後は、ほとんど単純作業になった。
応援に来た数人の陸軍下士官が二人の作業を手伝い、全員のカメラやスマホを没収、データを抽出し、理殿・・・ネズミの姿を記録した情報を消去していく。
中にはパスワードを話したがらない者もいたが、それは私が強制自白魔法と干渉術式で対応した。
ネズミの身体も回収が完了し、美穂も遺体として収容される。
彼女については三上殿にお願いして私が引き取ることの了承を得たが・・・ひどいありさまだな?
「いや、おかげで手間がかからずに済みました。その・・・強制自白魔法ですか?陸情二部でも使いたいですね。間諜の尋問が楽に・・・いや、人道的にできそうです。」
「高杉さん。・・・この魔法を秘匿するつもりはないんですけど、消費魔力と制御にかなり問題があるんですよね。下手をすると使った方も使われた方も廃人になる可能性が・・・それでも良ければお教えしますが。」
・・・廃人が量産されるような魔法は、はっきり言って人道的とは言い難いと思うが・・・。
「え・・・使った方も廃人に?困ったな・・・その技術があれば絶対に上は使えって言うだろうし、現場に負担が増えるだけか・・・まあ、必要になったらお願いするってことで。」
そんな話をしている時、バチっという音とともに、プレートの前に立った一人の男性のポケットから火花が飛び散る。
慌ててポケットから何を取り出す男を、陸軍の下士官の一人が取り押さえている。
「こいつ!スマホを隠していやがった!くそ!クラウドにデータを保存しているかもしれない!すぐに尋問に回せ!全員よく聞け!電子機器は余すところなく提出しろ!ここから情報を持ち出すことは許さない!」
・・・ああ、あのプレートは電磁パルスで情報機器を焼くためのモノだったのか。
それに、気付けば妨害電波も発生させているようで、軍用無線以外は通じなくなっているようだ。
だが、何らかの方法でクラウドにデータを保管されている可能性もあるのか。
素晴らしい念の入りようだな。
そんな陸軍の行動を見て、警察官の一人が吐き捨てるようにつぶやく。
「けっ・・・何が準戦時特例法・防衛機密情報統制事項だよ。国民の知る権利を何だと思ってるんだ。戦前の特高警察でもあるまいし。支倉の足まで撃ちやがった。」
この男、その「権利」とやらが一人の無実の人間を、ただ平穏に暮らしていただけの少年を、ネズミの思惑も知らず、真実を見ようともしない群衆の「知る権利」という娯楽の生贄に差し出すということが理解できているのか?
私は千弦が作った全自動詠唱機構を作動させ、その警察官に歩み寄る。
「・・・国民の知る権利ね。じゃあ、与えられた情報に真摯に向き合う国民が何割いると思う?人間てね、物語を作りたがる生き物なのよ。嘘か本当かなんてどうでもいい。彼らにとって大事なのは『面白い話』であって、真実なんて興味がないの。」
「しかし、我々警察官は多くの国民の権利を守るべきで・・・。」
「一度、面白半分で広がった話は、もう止まらない。アレに化けられた少年がどれだけ否定しても、社会に動かぬ証拠を突きつけても、民衆は尾ひれしか覚えていない。彼の名は永遠に汚れる。愚者が面白がる権利のために、一人の少年の未来全てを犠牲にするのが正しいと思うなら・・・。」
「・・・そう、だな。すまない。俺が間違えていた。彼らは権力者の汚職や不正を守るために行動しているわけではなかったな。・・・おし!気合を入れなおすか!」
・・・ふう、分かってくれたか。
もう少しで殺すところだった。
あ、いや、それは言いすぎか。
視点を変え、霧が晴れたかのような顔をした警察官は、同僚に声をかけ、三上殿や高杉殿に協力し、現場を整理していく。
一時はアマリナが逮捕されていたが、事情を話して開放してもらう。
こんな警察官を千弦が見たら、彼女は何と言うだろうか。
とにかく、ネズミに理殿の名誉を汚すことは、もう出来なかろう。
ならばそろそろ洗脳魔法と干渉術式を使えそうだ。
ああ、あの残骸・・・完全な液体金属だからアマリナに回収と解析を手伝ってもらおうか。
そんなことを考えながら、私は地面に広がるネズミの残骸に向かい、歩き出した。
◇ ◇ ◇
同時刻
サン・ジェルマン
エカテリンブルグ郊外
旧ロシア帝国・貴族邸宅
おそらくは命の対貨を使って逃げてきたのであろうネズミの残骸を見て、ため息をつく。
「所詮は魔導生命体か。命の対貨の離脱機能も正しく使えないとは、中世の錬金術師の傑作とやらもたかが知れている。・・・これでは再利用もできんな。だが、自律機能は喪失したが、ゴーレムとしての機能は残っているか。まあ、処分するほどではないか。」
かろうじて人型を保っているネズミの成れの果てを見て、もはや人間に擬態することもできなくなったことに落胆するも、失われた技術・・・すなわち霊魂の合成を再現する能力は、俺にはない。
ネズミを液体に戻し、大瓶に放り込んでいると、不意に扉をノックする音が響く。
「クリスティーナです。よろしいでしょうか。」
「入れ。なにかあったか?」
「教皇猊下。例の少年が暴れています。とりあえず殴っておとなしくさせましたが、いっそ水牢にでもぶち込んでおきますか?」
「うむ。・・・。ネズミを使って奴らに揺さぶりをかけることができなくなった以上は、それもまた一興か。理、だったか?生きていればよい。心までは要らぬ。せいぜい、苦しめてやれ。・・・ああ、身体には傷をつけるな。後で使うからな。」
「は。かしこまりました。」
水牢の進言をした信徒の女は恭しく頭を下げたあと、嗜虐的な笑みを浮かべて退室する。
殺さない程度なら何をやっても構わんが、大きな傷をつけてもらっては困る。
水牢、か。
カビの生えた拷問方法だが、心理的圧迫の度合いを調整しやすいので都合がいい。
それにしても、平和な国の高校生風情が良く頑張るものだ。
ここ、エカテリンブルグに連れてきてからしばらくは、地下室で完全な暗闇・静寂状態で隔離していたはずだが・・・感覚遮断の拷問に耐性でもあったのか?
水牢でも効果が薄いようであれば、不自然な拘束姿勢で数日放置するか、音響拷問・騒音暴露で精神を痛めつけるか・・・いや、睡眠剥奪で幻覚や錯乱を引き起こすか。
入れ替わりで入ってきた信徒が、書類を片手に進言する。
「教皇猊下。人工魔力結晶の総量が目標に達しました。抽出は終了する予定でしたが、設備にはかなりの余裕があります。引き続き、抽出を続けますか?」
「うむ、そうだな。ネズミも失ったし、十二使徒も残り二人だ。戦力は多いほうがいいだろう。許す。だが、くれぐれも彼女に奪われることのないようにな。ああ、例の術式はどうなってる?予定では完成までしばらくかかると聞いているが、可能であれば予定を繰り上げたい。」
「申し訳ありません、進捗率は予定プラス2%にとどまります。急ぐよう、指示を出しますか?」
「いや、遅れてないならそれでいい。万が一でも失敗する可能性があれば、そちらの方が問題だ。遺漏なく進めるように。」
「は。そのように伝えます。」
うん、まあ、順調だな。
妻をこの手にできる日が、待ち遠しい。
すべてをやり直す。
そして、俺は目を一度閉じ、夢想する。
あの日の、景色を・・・。
ふふ、さて、そろそろドルゴロフを使って本格的に戦争を始めるとするか。
仄香が三上中尉に確認したところ、執行妨害を行った警察官は職務上災害休暇どころか、最低でも命令違反で免職、下手をすれば通謀利敵罪(この世界では旧刑法第83条~89条は削除されていない)として実刑もありうる、とのことでした。
ちょっとやりすぎなんじゃ・・・?と仄香がドン引きしていたのは秘密だそうです。




