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254 奪われた身体と自由、そして名誉/千弦の決断

 南雲 琴音


 8月26日(火)


 一夜明け、昼過ぎまで寝ていたベッドを抜け出し、すっかり修復されたリビングで一人、テレビをつける。


「今日は・・・まだ姉さんもお母さんも帰ってきてないんだ。」


 昨日の騒ぎの後、姉さんはお母さんと二人ですぐに九重の爺様に会いに行ったらしい。

 ついていこうとしたけど、なぜかお母さんに止められてしまい、結局一人で留守番をすることになった。


 お父さんは、二三(ふみ)君を連れて(にのまえ)の家に向かったはずだ。

 (おさむ)君を取り返すにしても、ネズミ(スリーパー)を追うにしても、彼なくしてはあり得ないから。


 いつもは二号さんが丸くなっているクッションも、今日は誰もいない。


 ・・・私の肉盾になって青黒い肉塊になった彼は、すぐに再召喚されて、私のお礼の言葉に悲しそうに答えたあと、少し小さくなって仄香(ほのか)についていった。


 肉塊になってまで私を守ってくれたのに、たった一発、ネズミ(スリーパー)の攻撃が通っただけなのに、二号さんはものすごく申し訳なさそうだった。


 ふと、テレビに視線を戻す。

 たまたま1チャンネルになっていたが、通常はありえない内容のニュースがそこには流れていた。


 ・・・画面の中で、無機質な声が同じ言葉を繰り返している。

 その言葉に、リビングのテレビの前で思わず正座したまま固まってしまった。


「本日、政府および警察当局は、教会残党による『()()()()』の計画を確認したとのことです。これは、名誉を棄損する対象となる者に変身した上で破壊活動等重大犯罪を行うというものです。」


 ・・・ネズミ(スリーパー)・・・。

 思わず右足の膝から下を撫でてしまう。

 蛹化術式がなければ、私の右足は義足になっていたところだ。

 いや、二号さんがいなければ、右足だけではすまなかったのだ。


「・・・事前の発表によりますと、本件犯行の対象者は未成年であり、すでに安全な施設にて保護・監視下にあるとのことです。・・・まもなく、政府と警視庁の共同による記者会見が始まります。・・・警視庁より中継です。」


 安全な施設。

 対象の未成年者。

 ・・・(おさむ)君のことだ。


 でも、今そこにいるのは(おさむ)君じゃない。

 たぶん、二号さんが化けた(おさむ)君だ。


 切り替わった画面に映る警視庁本部の会見場。

 机の前に並ぶ警視庁の広報課長、都庁の危機管理監、官房副長官。


 その背後に掲げられた、政府と警視庁の紋章。

 カメラのフラッシュが絶え間なく光り、記者たちの声が重なり合う。


 いつだっけか黒川さんが連れて行ってくれた警視庁の大きな会議室で、何人もの人間がごった返していた。


 頭が禿げ上がった、でもかなりガタイのいい男性がマイクを取る。


「本日はお集まりいただきありがとうございます。本日、政府および警視庁は、国内に潜伏していた教会残党による『()()()()()()』について、重大な情報を入手しました。これに伴い、国民の皆様に注意喚起を行うとともに、準戦時特例法の適用、及び対応方針をお知らせします。」


 「変身犯罪」・・・一般人はおろか、魔法使いや魔術師の大部分すら知らない言葉に、ざわめきが会見場を走る。

 そんな、定義すら怪しい言葉を政府高官が口にするのは異例だろう。


 広報課長、とネームプレートに書かれた男性は、言葉を続ける。


「今回確認された計画は、教会の残党とみられるテロリストが特定の未成年者になりすまし、破壊活動等重大犯罪を行うというものです。なお、この未成年者は既に安全な施設で保護・監視下に置かれており、当該犯行に本人が関与することは絶対にありません。」


 姉さん、まさか九重の爺様を動かしたのか。

 これほど大きなことをさせるために、姉さんは一体どんな頼み方をしたのだろうか?

 一体、何を交換条件にしたんだ?

 考えているうちにも、会見は進んでいく。


「・・・しかし、何らかの犯行が行われた場合、目撃証言や防犯映像が大変な誤解を招くおそれがあります。そのため、当該未成年者の安全と名誉の保全、そして社会不安の回避のために、『()()()()』の可能性をあらかじめ周知します。また同時に、各社には今後発生するすべての事件につきましては、別途発表があるまで容疑者とされる者を推測し得る一切の映像の公表を控えるよう、お願いします。」


 ・・・ここまでは健治郎叔父さんが言ってたとおりだ。でも、どうやって(おさむ)君の生命を守るつもりなんだろう?

 奴らに不要と判断されて殺されたりしないだろうか?


 続けて記者の質問が始まる。


 あまりにも異例なことだけに記者たちは左右問わず、次々に手を上げ、一斉に声を上げる。


「質疑は挙手してからにしてください!こちらで指名しますので社名と記者名を名乗ったうえでお願いします!一社につき質問は一つまでです!・・・はい、あなた、どうぞ!」


「毎朝新聞の千葉です!対象者は誰ですか?未成年というだけで具体的な情報がなければ市民は安心できません!」


 ・・・まだ事も起きていないのに、言えるわけないでしょうが。

 それに、あんたたちは火のない所でも煙を立てるでしょう?

 広報課長は冷静に切り返す。


「未成年であり、現段階においてはいたずらに名誉を棄損する可能性が極めて高いため、個人情報は一切公表できません。次の方。」


「東京クロックの西月です!総理大臣のご家族が関係しているという噂がありますが、事実ですか?」


 ウワサを根拠に質問しないでよ。

 そんなもの、左の連中が「こんなウワサがありますよ」って騒ぎたいだけじゃない。


 官房副長官がぶっきらぼうに即答する。


「個別の家族構成や人間関係についてはコメントを控えます。はい、そちらの方。」


「YABEMAタイムスの城崎です!犯人は魔法生物ですか?それとも人間ですか?」


 ・・・お、はじめて比較的マトモな質問が出た。

 都庁の危機管理監とネームプレートに書かれた男性が、回答する。


「・・・現時点では、何らかの技術を利用した人工生命体の可能性が高いと考えています。」


 ・・・政府の会見で公式に「魔法」という言葉が出たのって、もしかして初めてじゃない?

 あ、いや、はっきりと魔法って言ったのは質問側だけか。


「官房副長官!()()()()への対応策は?目撃情報は信用できなくなるのでは?」


「まず会社名と記者名をお願いします。」


「・・・プレス神奈川の西村です。誤魔化さずに質問に答えてください!」


 ルールを破ったのはお前だろうが。

 何を偉そうに。


「本件においては複数の検証手段を導入し、偽装を暴く準備を進めています。国民の皆様には、疑わしい場合は接触せず、ただちに通報していただくようお願いします。」


()()()()かそうでないかの区別は?もし何らかの事件が起きたら、その都度政府がコメントを出すのか?」


「一社につき質問は一つまでです。また、仮定の質問にはお答えできません。次の方。」


「みなと新聞の川島です。目撃情報はマスコミだけから流れるとは限りません。SNSなどの流出防止についてはどのようにお考えですか?」


「・・・当該未成年者に変身した者の情報が無断で公開された場合、その種類によりますが、平時でも当該未成年者に対する名誉棄損罪が成立する可能性があることを申し添えます。また、本件は教会の残党によるものです。各都道府県警察及び国防省の命令に従わない場合は、準戦時特例法・防衛機密情報統制事項が適用されますので各社、ご注意ください。」


 あとは記者の質問に、広報課長は「コメントできない」を繰り返すだけ。

 その度に、私の胸の奥がじわじわと焼けるように熱くなる。


 (おさむ)君が誘拐されたこと、私たちしか知らないんだよね。

 政府も、都も、警視庁も、まだ「ネズミ(スリーパー)」が彼の顔で何をするか知らない。


 そして、本物の(おさむ)君が今どうしているか、何をされているか、私たちにもわからない。


「・・・これ、絶対に世論が荒れるわね。」


 思わず口から出た言葉は、姉さんがよく使う冷めた言い回しに似ていた。

 でも、今はそういう気分だった。


 だって、ニュースのテロップの横に・・・

 「【速報】渋谷スクランブル交差点で爆発事件 死傷者多数 容疑者は高校生男子か」

 ・・・そんな文字が躍ってるんだから。


 映像に映った防犯カメラの犯人はモザイク処理はされていたけど、どう見ても(おさむ)君の背格好だった。

 ・・・知っている人間が見れば、それが彼だとわかってしまう。


 きっと(おさむ)君が戻ってきても、その人生で必ずこれは障害になる。

 それが分かった瞬間、胃がきゅっと縮む。


「やられた・・・姉さん。一歩遅かったの?それとも・・・。」


 声が震えていたのは、怒りか、恐怖か、悔しさか。

 でも涙は出なかった。


 泣くべきは私じゃない。

 姉さんが泣いていないのに、私が泣いてどうする。

 私の横でスマホが震える。


 LINEで姉さんから短いメッセージが届いた。

 「琴音、心配しないで。何とかなりそうだよ。」・・・と。


「姉さん。・・・私が足を怪我しなければ、すぐに追いかけられたかもしれないのに・・・。」


 テレビではまだ会見が続いている。

 広報課長が「本人は安全です。情報の取り扱いには細心の注意をお願いします。」と繰り返している横で、画面下には「渋谷爆発犯は都内の進学校に通う高校生か。」の速報テロップ。


 真実と偽物が同時に流れるニュース。

 世界がぐちゃぐちゃになっていく音が、テレビの向こうから聞こえる気がした。


 私はスマホをぎゅっと握りしめる。

 いつもは気軽に見ているSNSを見る勇気は、どうしても湧いてこなかった。


 ◇  ◇  ◇


 南雲 千弦


 私が今いる場所は、九重の爺様が普段過ごしている首相公邸ではなく、田園調布にある本宅の大広間だ。


 かつて、二葉おばあちゃんに左耳のピアスを付けてもらった、二十畳を超えるひとつづきの和室の下座で、座布団も敷かずに正座して九重の爺様の帰りを待っている。


 ・・・学校でもないのにわざわざ制服まで着て。


「千弦、本当に良かったの?今ならまだ私が言えば何とかなるかもしれないわよ?」


 上座に向かって正対した下座に座る母さんが心配そうに声をかける。


「大丈夫。必要ない。私が決めたことだから。こうすれば、九重の爺様も黙ってはいられないだろうから。」


 どのような形であれ、九重の爺様の力を借りるには、ほかに方法はない。

 ・・・それが、私の大事なものを失うとしても。


「でも・・・。」


 母さんが何かを言いかけたとき、廊下のほうから足音が聞こえた。

 障子の向こう、廊下から女性の声が聞こえる。


「ご当主様のお帰りです。」


 その声を合図に、母さんと二人、座ったまま畳に三つ指をつき、深く頭を下げる。


 ・・・時代錯誤と笑うなら笑え。

 九重の爺様がそうしろと言っているわけではないし、最近は爺様自身だっていい顔はしないが、これは二葉おばあちゃんから躾けられた私の意地だ。


 何一つ、恥ずかしいことなどない。


 障子が開き、九重の爺様が入ってくる。

 頭を下げたまま、姿勢は崩さない。


「お爺様、お待ち申し上げておりました。」


 爺様が上座の座布団に座ったのを確認し、頭を上げる。


「美琴、千弦。久しいな。元気じゃったか?」


「ええ。おかげさまで。お父様も御変わりなく。」


「千弦。学校は楽しいか?大きなケガなどないか?」


「はい。毎日が充実しております。目立ったケガは・・・少なくとも残っておりません。」


 ケガ、というか、生傷は絶えないんだよね。

 まあ、回復治癒魔法で全部治してるからいいけどさ。


「そうか。ならばよい。・・・昼飯はまだか?久々に食べていかないか?それとも、茶菓子でも用意させようか?」


「いえ、お気になさらず。さて、お忙しい中、貴重なお時間を賜り大変恐縮ですが・・・お願いがあってまいりました。」


 九重の爺様は二葉おばあちゃんと違ってそれほど礼儀にうるさくないし、家族として接するときは普通でいいんだけど、今回は家格にかかわる話になる以上は真面目に話すべきだ。


「・・・例の、同級生の少年か。石川(おさむ)君、だったか。おおよその話は聞いている。ネズミ(スリーパー)とやらに成り代わられているとか。それも、彼の顔でネズミ(スリーパー)が犯罪行為を行うなど、濡れ衣を着せられる可能性があるそうじゃな。」


 状況は正しく伝わっている、か。

 おそらく師匠が余すところなく報告してくれたんだろう。


(おさむ)君のことで関係各所へのお声掛けなどのご尽力を賜り、心からお礼申し上げます。つきましては、ネズミ(スリーパー)の捕獲または討伐まで同様にお願いするとともに、ネズミ(スリーパー)の捕獲後、彼の名誉の完全回復にお力添えをいただきたく・・・。」


「うむ。構わんよ。大事な孫娘の頼みじゃ。儂に任せておけ。」


 やった!

 この言葉があると無いとでは、これからのことに雲泥の差が・・・!


「・・・だがな。」


 ・・・!

 ・・・やはり、手放しで喜べるほど甘くはなかった、か。


「石川(おさむ)君とやらは完全な被害者だ。それは理解しておる。もちろん、儂の周りの真実を知るものはみな理解しておる。だがな、真実を知らぬもの、儂や儂の周りの者、家族や仲間などを(けな)したいだけの連中はその真実には目を向けん。むしろ嘘を積み重ね続け、あわよくば真実を無きものにすらしようともくろむじゃろうな。」


「わかって、います・・・。」


「そうか。では、彼が儂らと関りが無ければ、ネズミ(スリーパー)とやらに狙われることも、愚かな連中の槍玉にあがることもなかった、ということも、逆に彼がお前と深い仲になったからこそ、彼はありもしない罪で後ろ指さされるかもしれない、ということも理解しておる、ということじゃな。」


 ・・・分かっていた。

 理解していたはずだった。


 (おさむ)君は、私の告白を受け入れて、恋人になってくれたから、あんな目に会っているんだ。

 もし、ただのクラスメイトだったら、ネズミ(スリーパー)の標的にもならず、今頃は高校最後の夏休みの続きを楽しめていたんだ。


「お父様・・・千弦だってまだ高校生です。自由な恋愛くらいさせてあげたって・・・。」


「美琴。お前は婚姻を軽く考えすぎだ。九重は武門であり旧華族。お前は相手が美代(みよ)様の血筋であったから今では怪我の功名と言えようが、あの時声がかかっていた相手は旧宮家だったのだぞ?おかげで駆け落ち扱いだ。二葉はお前の結婚式にすら出席できなかったのだぞ?」


「しかし、あの時、お父様は笑って送り出してくれたではありませんか!」


「今回は話が違う!貧乏なだけの大学講師を指名手配中の快楽殺人者と一緒にするな!・・・ああ、千弦、すまない。本当の彼ではなかったな。」


 母さんがかばってくれている。

 でも、そうじゃないんだ。

 九重の爺様が何かをしようって言ってるんじゃないんだ。


 他の、私たちとは関係ない外野の連中が、あるいは九重の家を敵視しているような連中が、ただ足を引っ張りたくて騒ごうとしてるだけなんだよ。


「わかり・・・ました。石川君とは、もう、会いません。救出次第、別れを・・・伝えます。」


 そう、口では言った。

 本当にそう、するかもしれない。

 いや、私は・・・頭がぐるぐると回っている。


「うむ。それが彼のためになるだろう。・・・よし、理由付けと言ってはなんだが、儂のほうで適当な相手を見繕(みつくろ)っておいてやろう。」


 理由付け・・・。

 うん、それはあったほうがいいかもしれない。


 (おさむ)君に問題があるわけじゃなくて、私の家の問題ってことにしておけば。

 (おさむ)君。(おさむ)君、(おさむ)君!


 ・・・うっ・・・畳に、大粒の水滴が落ちてる。


 (おさむ)君・・・もう一度、会いたいよ。

 いっそ、あなたをさらって逃げたいよ。

 今すぐに会って、その胸に飛び込んで、「おかえりなさい!」って、言いたいよ。


 満足そうな顔をして部屋を出ていく爺様の、その後ろ姿がぼやけてはっきりと見えなかった。


 ああ、琴音には知らせておかないと。

 LINEのアプリを起動し、メッセージを入力する。

 ・・・「琴音、心配しないで。何とかなりそうだよ。」


 どうしても、それ以上の言葉は出てこなかった。 


 ◇  ◇  ◇


 仄香(ほのか)(in遥香)


 再召喚を行ったシェイプシフターと、ジェーン・ドゥ(バイオレット)の身体に入ったリリスを引き連れ、久しぶりに健治郎殿の家を訪れていた。


 ドアチャイムを押すと、短い返事とともに健治郎殿が顔を出す。


「やあ、遥香・・・仄香(ほのか)さん。この家で会うのは久しぶりだね。ええと、遥香さんの身体に入っているということでいいかな?それと、そっちは琴音かい?千弦かい?」


「お久しぶりです。健治郎さん。彼は、シェイプシフター。そしてジェーン・ドゥ(バイオレット)の身体に入っているのはリリスです。」


 ・・・警視庁に(おさむ)殿として保護させているのは、急遽召喚した「ドモヴォーイ」だ。


 アイツ(チェロヴィク)はシェイプシフター並みの変身能力を持っているくせに家の守護霊としての特性が強すぎるから連れ歩くには向いていなかったんだが、こういう時なら問題ないだろう。


 それに、アイツ(チェロヴィク)と呼ばずに「ドモヴォーイ」と呼ぶと途端に態度が悪くなるんだよな。

 どこの「名前を呼んではいけないあのお方」だっつうの。


「そうか、どちらでもなかったか。ま、上がってくれ。ええと、全員、コーヒーはアイスでいいかい?」


「ええ。シェイプシフターは水か牛乳をいただけると助かります。・・・あら。宏介君がいないとこうなるんですね。」


 上がりこみ、居間の扉を開けると、ツン、とした臭いが鼻を衝く。

 ・・・ゴミ袋に入った何かや、食べ終わったコンビニ弁当のケース、空になったカップラーメンの容器が部屋の至る所に放置されている。


「ああ、全部が全部、俺ってわけじゃないんだよ。一時、別調の連中が入れ替わりで泊っていったからな。頻繁に緊急出動がかかるからゴミをどうにかする暇さえなくてさ。ゴミ袋に入ってるのはまだマシなほうさ。」


「・・・シェイプシフター。リリス。片付けますから手伝ってください。」


 私が号令をかけると、二人は黙々と片付けを始める。


「あ・・・すまん、助かるよ。」


 健治郎殿がコーヒーを淹れてくれている間に、二人と協力してゴミを分別し、市指定のゴミ袋に詰めていく。


 分別しきれないもの、電池や金属、小型家電、割れ物については面倒なので元素精霊(エレメンタル)魔法(マジック)を使って元素ごとに分解し、そのままインゴットにするか、不安定な元素は割れていたコップやいらなくなった一升瓶を加工して作ったガラスキューブに封入していく。


 ・・・やっと床が見えてきた。

 あとはシルキー(掃除妖精)でも召喚しておけばいいだろう。


 一息ついてきれいになった床に座り、腰を伸ばしていると、キッチンからコーヒーカップを持った健治郎殿が顔を出す。


「コーヒー、入ったぜ。リリスさんの分も。シェイプシフター君は混ざりものなしの牛乳だ。」


「こちらも終わりました。・・・あら、ありがとうございます。それで、そろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか?」


「ああ。それにしても恐ろしく手際がいいね。それで、大事な話って何だい?(おさむ)君のことなら警視庁と連携して全力で対応中だよ?」


 すっかり片付いたリビングで、きれいに吹き清められたテーブルにコーヒーを置き、席に着く。


「・・・千弦さんのことです。」


「千弦が・・・また何かの危険に巻き込まれているのか?」


「いいえ、危険というより・・・今日、朝から和彦・・・総理に会いに行ったようでして。(おさむ)君の件でしょうね。」


「そうだった。今、警察や陸軍が総力を挙げてネズミ(スリーパー)を追いかけている。だが、やつめ、(おさむ)君の顔でやりたい放題だ。さらにはコロコロと顔を変えるおかげで尻尾を捕まえることもできない。」


「そうですね。私も失せ物探しの魔法や尋ね人の魔法を使っているのですが、コロコロと姿を変えるせいで失せ物としては反応せず、かつ生命体ではないので尋ね人の魔法にも反応せず・・・今は二三(ふみ)君だけが頼りです。」


 二三(ふみ)君は現在、千弦たちの父親である弦弥殿とともに陸軍のどこかで保護されているようだが・・・。


「それで、何かいい案でもあるならぜひ聞きたいが・・・そういう話でもなさそうだな?」


「ええ。今のところは警察も(おさむ)君の顔写真を漏洩していませんし、防犯カメラの映像もすべて回収しています。オールドメディア(新聞・テレビ局)も理解はしているようですが・・・。」


「いつ視聴率欲しさに暴走するかわからない、か。それにSNSだな。あれだけはっきりと『名誉棄損』に該当するって言ったのに、ネットではパラパラと写真が出回り始めてるよ。まあ、ほとんどが関係ない人間の事件の映像みたいだがね。」


 実際、面白がった連中がSNSなどで未成年者の犯罪行為を「#変身犯罪」と称してネットに上げ始めたのだ。


 今はそのほとんどが(おさむ)殿の顔ではない、本件と関係ない情報にあふれているが、稀にネズミ(スリーパー)の事件現場で撮影されたものも含まれている。


(おさむ)君の顔が知れ渡るのは時間の問題かもしれません。そこで、私が三つほど対策を打とうかと思いまして。」


「対策?魔法でか?」


「いえ、一つ目は魔法を使いません。これは千弦さんと(おさむ)君の仲のことですから。」


「・・・ああ、そうか。あのクソ親父、まだ血筋とか家格とかほざいてるのか。まあ、いくら(おさむ)君が潔白でも、同じ顔をしたヤツがそこら中で暴れまわってるんだもな。そんな者相手に九重の娘を嫁にはやれんって思うだろうな。」


「和彦にとっては、九重の家を守る使命があるのは当然です。旧華族、古い武家の名門ですから。そこに『犯罪者』扱いをされる人間が婿として入れば、他家や上流階級の世界からは何を言われるかわかりません。」


「・・・で、どうするね?俺としては、かわいい弟子にはとっとと駆け落ちをさせようかと思っているんだが?」


 師匠公認の駆け落ちか。

 ま、それも悪くはないと思うが、千弦の才能をそんな形で野に放つのは惜しかろうな。

 ならば、だ。


「もっと大きな爆弾を放り込みます。それこそ、他家が何と言おうが問答無用で黙らせることができるものを。」


 ・・・健治郎殿は実直にして合理的、それでいながら家族への情も深い。

 薄い正義を語ることもなく、正道に(こだわ)ることもなく、その手を汚すことも(いと)わず、自らも犠牲にして国を守る男だ。


 本当にいい男だ。

 ・・・こんな形でこの言葉を言いたくはなかったが、まあ、役得ということにしておこう。


「・・・なんだ。爆弾って?」


「健治郎殿。私と婚約してください。」


「は!?いや、婚約って・・・遥香さんの身体でか?」


「いいえ。ジェーン・ドゥ(バイオレット)にも子供を作る能力はあります。・・・金髪はお嫌いですか?それとも、目の色は揃えましょうか?バイオレットの左眼は保管してありますし。」


「そういった問題じゃない。・・・確かに、それならあのクソ親父も一発で黙るだろうな。魔女本人がいる家系に表立って悪口を言える馬鹿がいるとは思えない。だが・・・少し考えさせてくれるか?」


 さすがに二つ返事で婚約は成立しないか。

 それとも、他に好きな相手でもいたか?

 私は別に(めかけ)でも構わないんだが。


「・・・分かりました。では、二つ目の対策を。これから大規模な干渉術式と洗脳魔法を発動させます。具体的には、『(おさむ)君の顔をデジタル信号で保存できない』という干渉術式と、『ネズミ(スリーパー)の顔が人間のそれに見えない』という洗脳魔法です。これなら、渋谷で起きてしまった事件さえどうにかすれば、彼の名誉がこれ以上傷つくことはありません。」


「・・・マジかよ、魔女の魔法って、そこまでできるのかよ。マジで魔法じゃないか。」


「ふふふ・・・だてに『魔女』とは呼ばれていませんよ。さて、三つ目の対策です。強制忘却魔法を使って、『(おさむ)君の関係者以外』から『8月18日以降の(おさむ)君』の記憶を消去します。・・・三つとも可能な限り早く行います。」


 特に二つ目と三つめは今すぐにでも行いたい。強制忘却魔法は、時間が経過すればするほど、消去対象の記憶の選別ができなくなっていく。

 場合によっては日本全体の記憶を事件が発生する前まで巻き戻す必要すらあるかもしれないのだ。


「・・・わかった。二つ目と三つ目の対策には今すぐかかってくれ。一つ目は・・・二つ目、三つ目の結果次第でクソ親父に相談するよ。」


「・・・分かりました。では明日にでも。」


 ・・・その後、現在のネズミ(スリーパー)の位置や行動を共有し、同時に渋谷での爆殺事件の被害者の状態について、共有していく。


 健治郎殿の話によれば、渋谷の爆殺事件では(おさむ)殿に化けたネズミ(スリーパー)は、山手線を渋谷で下車した後、ハチ公前で何者かと合流し、何らかの紙袋を受け取り、それを渋谷スクランブル交差点の中心に置き、そのまま爆発させたという。


 爆発の規模は小さいながらも、紙袋の中には殺傷力を高めるためかガラス片や釘、パチンコ玉などが満載されていたらしく、至近距離にいたサラリーマンと主婦、男子学生が破片を全身に浴びて即死、周囲にいた子供を含む十数人が重軽傷を負ったということだ。


 ・・・これは、非常にまずい。

 千弦たちが事前に対策を打たなければ、(おさむ)殿はその社会的生命を絶たれていたところだった。


 ・・・明治十七年太政(爆発物)官布告第三十二号(取締罰則)・・・だっけか?


 「治安を妨げ又は人の身体財産を害せんとするの目的を以て爆発物を使用したる者及び人をして之を使用せしめたる者は()()又は()()若くは七年以上の拘禁刑に処す。」


 ・・・どう転んでも一発でアウトじゃないか。

 事前に(おさむ)殿ではないという鉄壁のアリバイを作っておかなければ、彼が日常に帰還する方法は残されていなかった。


 愚かにもネズミ(スリーパー)が予告してくれたおかげで対応できたが、予告なしでやられていたらと思うとぞっとする。


 だが、(おさむ)殿の顔を事件現場で見ている人間がいる。

 あるいは、目の前で近親者を爆殺された者がいるかもしれない。

 しかも、死者が出ているなど、もはや世論が黙ってはいない。


仄香(ほのか)さん、現在二三(ふみ)君から得ている情報によれば、ネズミ(スリーパー)は大阪に向かって移動中らしい。彼が傍受した内容によれば、次は大阪万博の会場が標的(ターゲット)のようだ。」


「わかりました。私も移動して備えます。・・・ところで、この話は千弦さんたちには?」


「教えていない。あいつのことだ。絶対に戦いに行くにきまってる。ところで、ネズミ(スリーパー)の正体についてなんだが・・・。もうわかっているのか?」


「ええ。アレは、ゴーレムの一種です。それも、人工的に霊魂を合成された、魔導生命体の一種です。」

 

 まさか、ラジエルの偽書にその記載があるとは思わなかったが・・・。

 ラジエルの偽書はこちらが質問しなければ何も答えない。

 日頃からもっと読み込んでおいたほうがいいだろうか。


 とにかく、千弦には絶対に教えるわけにはいかないだろう。

 妹の右足を奪い、恋人である(おさむ)殿を攫い、そして(おさむ)殿の名誉を傷つけようとした相手など千弦が許すはずがない。


「・・・マジか、あんなもん量産されたら、はっきり言って対応しきれないぞ?それに、液体金属って何なんだ?水銀か何かか?琴音の右足をやられたのはそのせいか。猛毒じゃないか!」


 健治郎殿の恐れもよくわかる。

 むしろ、アレは私だって合成してみたいレベルの傑作ゴーレムだ。

 だが・・・。


「アレの制御コアを作る技術はすでに失われています。できるのは、せいぜい液体金属を補充することくらいでしょう。それに、水銀ではなく、おそらくはガリウム、インジウム、錫の合金・・・ガリンスタン合金だと思われます。それ自体は無毒ですが、非常に合金を作りやすい特性上、様々な金属と合金を作り、その毒性を蓄えていると思われます。」


 液体金属ゴーレム・・・。

 一切の物理攻撃が効かず、かつ1300℃まで耐えるという耐熱性能。


 対処法はないわけではない。

 だが、周囲に壊してはいけないもの、あるいは人間がいると使えない。


 ・・・今回は封印するくらいしか方法はないか?

 それに、自在に動き回る液体をその場にとどめる方法・・・。

 はっきりいて思いつかない。


 可能な限り、迅速に、かつ、これ以上周りに被害が出ない方法でヤツを仕留めねば。

 いくつもの案が出るが決定打となるものは少なく、ただ時間が過ぎていく。


 気付けば、すでに外は暗くなり始めていた。



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