253 飛んで火にいるダイナマイト/休みがすべて吹っ飛ぶ
南雲 千弦
8月25日(月)
正午を少し回ったころ、勉強会に参加するはずだった人間がすべて集合する。
私と琴音、仄香(in遥香)、リリスさん(inジェーン・ドゥ)。
そして咲間さんのふりをした二号さん。
本物の咲間さんには悪いけど、戦闘力がないので今回は欠席してもらった。
今は父さんと母さんと一緒に、少し離れたところにあるコインパーキングに避難している。
そして二三君と紫雨君、そして星羅さんが二階に待機している。
二三君は、万が一取り逃がした時に備え、すでにナノゴーレムを散布済みで監視を始めているらしい。
紫雨君たちは二三君の護衛だ。
家の周りでは、陸情二部別調の高杉さんと三上さんが、師匠と一緒に車の中に隠れている。
ほかにも、見えないところに師匠の仲間が隠れているらしい。
《さて、準備できましたね。皆さん、最終確認です。》
仄香が念話のイヤーカフで確認する。
師匠に聞いたところによると、理君モドキ(仮称)はすでに高田馬場駅で乗り換えを済ませたようだ。
っていうか、高校生一人に陸軍の諜報部が動いてくれるとは・・・。
大変ありがたいことだが、できることなら私の手で助け出したい。
《手順は簡単です。理君のふりをした何者かを、この家に招き入れます。そのあと、いつも通りにマットを敷いたリビングに誘い込み、そこで私が強制睡眠魔法を使い、捕縛します。》
《ええと、もし相手に気付かれた場合は?例えば、リビングに入る前とか、家に入る前に気づかれた場合とか。》
琴音が詳細を確認してくれている。
私もしっかりと聞いておかなければ。
《それも考えてあります。玄関に入ってもリビングに入ろうとしない場合、直ちに強制倦怠魔法を発動します。その場合、念話で合図しますので、千弦さんと二階の皆さんは抗魔力増幅機構で防御をしてください。》
《ん?一階のみんなは?それに琴音は抗魔力増幅機構をつけてないよ?》
《琴音さんは極端に抗魔力が高いので、強制睡眠魔法も強制倦怠魔法も効きませんから。それに、私の眷属には、召喚主の強制系の魔法が効かないように設定されているんです。一部例外はありますが。》
へえ・・・初めて知ったよ。
っていうか、召喚主以外の強制系の魔法は効くんだね。
そういえば琴音が台湾で強制身体制御魔法を使ったとき、二号さんには普通に効いてたもんね。
《家の中に入らなかった場合は?》
《健治郎さんが庭に複数の術式を敷きました。術式が発動した瞬間、認証されていない人間・・・いや、生物はすべてその場から動けなくなります。》
《マスター。ボクたちはどうしたラいいデスか?》
《万が一戦闘になった場合、シェイプシフターは二人の肉盾になってください。リリスはある程度戦えるはずだから、肉盾になるだけじゃなくて攻撃もお願いします。でも、生かして捕まえたいからくれぐれも致死系の魔法は使わないでね。》
《了解シマシタ。》
《ウデが鳴りますね。》
・・・肉盾になれって・・・。
思わず二号さんの顔を見てしまうが、ケロリとした表情のまま立ち位置の確認をしている。
琴音も、仄香の言葉にドン引きしている。
「仄香。いくらなんでもそれは・・・。」
思わず琴音が声を出すと、仄香はただ、イヤーカフをトントンと叩き、念話で答えた。
《何事にも万が一があります。・・・欠片でもあなた方にケガをさせるくらいなら、私は眷属に嫌われても肉盾になるよう命じます。シェイプシフター。リリス。申し訳ないけど、よろしくお願いね。》
《琴音サン。ボクたち眷属は、例えミンチにされても再召喚されタラ元通りデスヨ。気にしないデクダサイ。それにボクたち、もう家族じゃナイデスカ。》
・・・いつもは人をフヌケにするクッションの上で丸くなっている二号さんが、得意げに胸を張る。
その言葉の中に温かいものを感じて、ほんの少しうれしくなる。
そんな中、イヤーカフから師匠の声が聞こえた。
《・・・仄香さん。聞こえるか?目標が東伏見駅を下車した。まっすぐ歩いてくる。装備は学生鞄と・・・土産物が入った紙袋のみだ。それと・・・魔力反応はない。》
《わかりました。では、配置に着きます。捕縛まではこちらで。バックアップ、よろしくお願いします!》
たった一人の人間・・・もしかしたら魔術師を捕まえるために、過剰ともいえる戦力をつぎ込んだ狩りは、たった今、始まった。
◇ ◇ ◇
無線機の代わりに用意した念話のイヤーカフから、通信が聞こえる。
《C1よりCP。目標が南雲家の敷地に入った。》
《CP、了解。A1、術式を活性化せよ。》
《A1、了解。術式の活性化を確認。これで敷地からはもう一歩も出られん。》
《全ユニットへ。目標、ドアチャイムを触った。作戦を第二段階へ移行。目標が屋内に入った時点で完全包囲する。》
これまでは純度の高い単結晶を大量に用意できなかったために作成に時間がかかっていた念話のイヤーカフは、紫雨君が作った各種宝石と立体造形術式により、作戦に参加する人数分があっさりと用意されたらしい。
・・・こんな事なら、理君にも一つ渡しておきたかった。
そんなことを考えながら、インターホンで答え、玄関のドアを開ける。
そこには一週間前と変わらない、少し汗をかいた理君が、優しい笑みを浮かべて立っていた。
「いらっしゃい。時間通りだね。暑かった?」
「外はカンカン照りだね。あ、咲間さん。例のものだよ。」
そういうと、彼は横浜名物の洋菓子の入った袋を咲間さんの姿の二号さんに差し出す。
「あ、ありがトウ。遠いのにわざわざスマナイネ。」
二号さんが警戒しながら紙袋を受け取ると、そこには咲間さんから聞いた通りの横浜名物の洋菓子が入っていた。
「ここまでくる間、暑かったでしょう?何か飲む?麦茶とカルピスくらいしかないけど。」
受け取った袋はそのまま咲間さんが持ち、私は理君モドキの手を取り、リビングへ連れていく。
「あ~。涼しい。エアコンがよく効いていてここは天国だ。あ、麦茶でお願い。・・・みんな揃っているみたいだね。あれ?今日、おばさんはいないのか。もしかしてまたパートを始めたとか?」
普段はキッチンにいるはずの母さんの姿を探して、理君モドキはキョロキョロしている。
「今日はちょっと昔の知り合いと食事に行ってるみたい。」
「ふ~ん。そうか、良かった。おばさんはもう大丈夫なのか。」
・・・六月の事件から母さんは私たちのことが心配でパートを辞めてしまった。
吉備津桃の売り上げのおかげでウチの家計は安定しているけど、私たちのせいで母さんの交友関係が一気に狭くなってしまったのは申し訳が立たない。
でも、偽物がそんなことまで知っているだろうか。
最初から二三君の勘違いということはありえないだろうか。
《ねえ、仄香。理君・・・彼って、本当に偽物なのかな?魔力密度可視化術式に反応がない。反応があったのは私が魔力を込めた人工魔石と、抗魔力増幅機構だけだし・・・。もうちょっと様子見ない?》
思わず作戦に水を差すようなことを言ってしまう。
《・・・そう、ですね・・・。千弦さん、私も先ほどから解析・鑑定術式を活用していますが・・・魔力反応がありません。術式が動いている気配もない。確かに、魔法使いでも魔術師でもないんですよね。》
《うーん・・・。私も解析・鑑定術式を使って全身をくまなく調べているんだけど、魔力回路の反応もないし、抗魔力もない。これ、もしかして二三君の勘違い、かなあ・・・?》
小さな戸惑いが、その場の全員の間を流れていく。
私はそんな中、平静を装って麦茶を入れたアルミ製の保冷タンブラーを彼に渡す。
なぜか一瞬彼は手を止めたが、すぐにタンブラーを手に持ち、麦茶を一気にあおった。
・・・ああ、そういえばこのタンブラー、三年も前に理君と一緒に行った朝霞の陸軍広報センターで買ったお揃いのタンブラーだっけ。
そんなことまで覚えてるのか。
《千弦さん。今日は作戦を中止しましょうか?先にエカテリンブルグの反応を確かめてからでも構いませんが・・・。》
《・・・いや、強制睡眠魔法で眠らせて調べれば、無実の証明にもなるでしょう。作戦はこのまま継続でお願い。》
私はそう言い、彼の左手の手首にある抗魔力増幅機構をそっと撫でる。
「あれ?設定が狂ってる。理君、もしかして裏面のディップスイッチ、触った?ちょっと直すから外してくれる?」
私はそう言って、彼の腕から抗魔力増幅機構を取り外す。
これで、彼は強制睡眠魔法に対する抵抗の全てを失ったも同然だ。
「え・・・いや、触った覚えはないっていうか、設定?そもそも使い方がまだよくわかってないんだけど・・・直りそう?」
彼の腕から完全に抗魔力増幅機構が外れた瞬間、仄香が軽くうなずき、全自動詠唱機構で強制睡眠魔法を発動する。
ふわり、と目に見えない魔力の波が部屋の中をかけていく。
私の左手首の抗魔力増幅機構が反応し、少量の魔力を吸い上げ、ヴン、と低い音を奏でる。
軽い眠気を覚え、顔を上げると、そこに表情の変わらないリリスさん(inジェーン・ドゥ)、咲間さんのふりをした二号さん、ケロリとした琴音、そして・・・変わらない笑みを浮かべた理君・・・モドキが立っていた。
◇ ◇ ◇
仄香(in遥香)
今、確かに強制睡眠魔法が発動した。
千弦が作ってくれた全自動詠唱機構が、私の詠唱を確実に代行した。
だが、目の前の理殿の姿をした何者かは、眠気を覚えるどころか魔法の発動にも気付いていない。
いや、強制睡眠魔法が素通りした、だと?
・・・なんだ、これは。
まさか、アンデッドの類いなのか!?
だが、アンデッドならば身体の中に屍霊術の術式があるはず。
さっきから何度も解析・鑑定術式を使っているが、術式の反応どころか、魔力反応すらない。
これは・・・一体・・・?
「・・・どうかした?勉強会、すぐに始めてもらってもいいんだけど。」
「あ、いや、外がものすごく暑かったでしょ?だからエアコンでガンガン冷やしてるんだけど、まだ理君、汗が止まってないみたいだし。それに、完全に汗が止まったら、温度を少し上げないと私たちが寒くて。だから、落ち着くまでちょっと待ってようかな、なんて。」
そういいながら千弦はリビングの片隅に積まれていたタオルを一枚差し出す。
「ああ、ありがとう。そうか、ごめん。気が利かなかったよ。」
千弦がごまかしてくれている間にもう一発、強制睡眠魔法を放とうとしたとき、チリっという感覚とともに、それまで口を開かなかった遥香が念話でつぶやいた。
《あれ?この感触、確か東京駅で・・・。魅了魔法を使った時に感じた、ヌメッとしたような金属みたいな・・・。》
感覚?
私の不在中のことか?
っていうか、普段から魅了魔法を使ってるのか?
「さて、そろそろ汗も引けてきたことだし、エアコンの設定温度を上げてもらって構わないよ。千弦。いつも通り、俺は千弦の横でいいかな?さあ、始めようか。」
そんなことを言っている間に、彼はタオルをたたんでいつもの場所に横になる。
だが・・・。
《待て。目標の質量が・・・350kg!?金属反応もある?・・・まさか!仄香さん!そいつ、武装してるぞ!気を付けてくれ!》
念話で健治郎殿が叫んでいる。
・・・いや、もちろん、この状況がおかしいことはわかっている。
だが・・・さすがにいきなり攻撃を仕掛けるのは・・・。
そんな、私がためらった瞬間だった。
千弦が素早く、左手で理殿モドキの肩をつかむ。
「理君、ごめんね。」
ただ、千弦はそう言った。
そう言った時には、すでにその右手に小さな拳銃が握られていた。
「え?」
理殿モドキが声を出した瞬間、千弦は、ためらう様子もなく、ただ、まっすぐに彼の眼を見て・・・。
・・・手を震わせることもなく、引き金を引き絞った。
◇ ◇ ◇
パン、と乾いた音がリビングに鳴り響く。
それも、一発ではなく、二発、三発と続く。
引き金を引き続ける千弦は、眉一つ動かさない。
「姉さん!・・・なんで、そんなに、冷静に・・・。」
「・・・誰だか知らないけど、舐めんじゃないわよ。私が理君のことを何年見てきたと思ってるのよ。本物と偽物の区別がつかないわけないでしょう?」
十数発を撃ち終わり、その小さな銃は遊底が後退したところで沈黙する。
「ぐ、ぐ・・・なぜ、分かった。擬態は、完璧だったはず・・・。」
理殿モドキは胸を押さえ、破壊された声帯を震わせ、耳障りな声を出す。
「完璧?はっ。笑わせんじゃないわよ。理君はそんな顔しない。そんなに積極的じゃない。・・・五年も一緒にいたのに、憧れの琴音と同じ顔の私に、私から言うまで指一本出してこないヘタレが、こんなにたくさんの知り合いがいる中で私の手を引いて、顔も赤くせずに隣に寝転がるわけ・・・ないでしょう!」
・・・千弦のやつ、本物だったらどうするつもりだったんだ。
あれ、確実に心臓を吹き飛ばす位置に術弾を撃ち込んでるじゃないか。
だが・・・銀色の体液が飛び散り、ほぼ死に体のように見えたソレは一瞬で体勢を立て直した。
「く・・・ふう。まさか、これほど早く見破られるとは思わなかった。・・・で、どうする?お前の恋人、石川理はすでに我々の手にある。ここで私と戦うか?まあ、それもいいだろう。だが生きて返して・・・ぐ!げ!?」
完全に本性を現した何者かは胸に空いた穴をふさぎながら話し始めるが、千弦は恐ろしく冷たい目のまま、返答ひとつせずに普段使っている拳銃を抜き放ち、その顔面、胸、腹の順に、きわめて正確に術弾を撃ち込んでいく。
「姉さん?ちょっと、ねえ、ねえってば!」
琴音が声を上げるも、千弦はただ無表情のまま、術弾を撃ち続ける。
轟音は続き、琴音の声も届かない。
二十数発を撃ち終わり、遊底が後退して止まった拳銃から弾倉を落とし、新しい《マガジン》を装填する。
「お、おまえ!私を殺してもお前の恋人は!ギャア!?は、話くらい聞けよ!」
さらに発砲。
様々な効果の術弾が入り混じっているのか、爆炎や雷撃、果てには強酸がまき散らされている。
リビングの中は、千弦が発砲する度に飛び散る理殿モドキの銀色の体液のようなものが飛び散り、見る影もなくなっている。
それでも千弦は引き金を引くのをやめない。
新しく装填した弾倉が空になるまで引き金を引き続け、それが終わると、さらに新しい弾倉を取り出す。
「千弦サン!・・・どうか、その辺りデ。どちらにしても、効いていないヨウデス。」
「・・・チッ。仄香なら殺してからでも聞き出せると思ったのに。」
シェイプシフターの言葉に、千弦の手がやっと止まる。
「ぐ、げ、げ、く、くくく・・普通の相手ならこれで終わりなんだろうがな、私はそんなものでは殺せないんだよ。ふ、は、ははは!」
千弦の暴走のおかげで、ソレは完全に正体を現していた。
部屋中に飛び散った銀色の体液が集まりだし、ゆっくりと部屋の中央で鎌首をもたげる。
銀色のスライムが人間を模ったようなソレは、顔の中心に当たる場所に空いた穴から、弦楽器か何かで無理やり人間の声を再現したかのような、甲高い声で高笑いをする。
「伏せ!・・・え?まったく効果がない!?」
琴音が強制身体制御魔法を発動するも、まるで効果がない。
いや、これは・・・初めから魔法の効果対象になっていない?
「・・・そうか!おまえ、液体金属のゴーレムか!だが、これほどまでに高性能なゴーレムが存在したのか!」
まさか、自由意志を持つゴーレムだと!?
誰かの魂を入れてあるのか、新たに合成したのか!?
「ふ、ふ、ご名答。キチガイ娘のせいで潜入工作は台無しになったが、せっかくだ。魔女以外は殺させてもらおうか。」
そんなくだらないことが頭をよぎった一瞬の間に、ゾルリ、という、なんとも形容しがたい音とともに、ソレは身体を持ち上げ、その表面に複数のコブができる。
これは・・・攻撃だ!
防御障壁を!
「琴音サン!ボクの後ろに!」
咲間さんの姿をしたシェイプシフターが琴音の前に飛び出し、同時にジェーン・ドゥの身体に入ったリリスが千弦の前に立つ。
「フン!」
まるで至近距離でタンカーの錨鎖が千切れたかのような音が鳴り響き、ソレはハリネズミのような銀色の槍衾を形作り、四方を穿ち抜く。
散乱した家具が舞う中、防御障壁で食い止めた槍衾の向こうで、同じように防御障壁を激しくこする音がする。
ただし、それが聞こえたのは・・・リリスのほうだけだった。
「千弦さん!琴音さん!無事ですか!リリス!奴を取り押さえます!シェイプシフター!援護を!・・・シェイプシフター!?」
シェイプシフターの返事がない。
代わりに、リリスの悲鳴のような声が響いた。
「マスター!シェイプシフターが!クっ!千弦さん!ハヤく離脱を!ココは私たちが!」
「琴音は!?二号さんは!?」
リリスの声に、千弦の声が重なる。そして、琴音の悲鳴がそれにこたえる。
「キャアァ!姉さん!二号さんが!うっ・・・足、足の中を何かが這い上がってくる!ひっ!?」
視界の片隅にぎりぎりとらえたそこには、槍衾でめった刺しになっているシェイプシフターの姿と、延長コードで自分の右ひざ下を縛り上げる琴音の姿があった。
「琴音さん!くっ!光よ、蜃が吐息たる遊糸よ!刃となりて敵を裂け!」
なおもシェイプシフターと琴音に襲い掛かろうとするソレに光刃魔法を叩き込み、引きはがす。
だが、本体から切り離されたはずのソレは、いまだに蠢き続けていた。
ソレの本体は再び理殿の姿を取り、ぐるりと周りを見回す。
「く、くふぅ・・・本来、私は戦闘用ではないのだがな。魔女は・・・お前だな。私は十二使徒第七席、『隠剣』のネズミ。く、くくく。さすがは魔女。一人しか殺せなかったか。まあいい。そろそろお暇するよ。ではな。」
「待て!理君を返せ!」
千弦が再び、銃を向ける。
だが、ネズミとやらの先ほどの動きを見て、発砲に踏み切れないようだ。
「・・・お前には貴重なこの身体を削られたっけな。じゃあ、お返しにお前の大事な恋人の帰る場所を奪ってやろうか。この顔がテレビに映るのを楽しみにしていたまえ。く、くく、ははは!」
そういうと、ネズミは一瞬でその姿を四つ足の獣に変え、玄関に向かって大きく跳躍する。
「逃がすかぁ!三連唱!雷よ!天降りて千丈の彼方を打ち砕け!」
千弦が轟雷魔法を解き放つ。
・・・驚いた。
魔力貯蔵装置も使わず、自動詠唱機構の補助もなしに自力で連唱しただと・・・!?
ネズミは雷に打ち据えられ、幾分かの固化した金属片をまき散らすも、意にも介さずそのまま庭に飛び出す。
庭一面に敷きつけられた術式が瞬時に発動するも、いくつかの術式はネズミを認識できず、発動した術式もネズミの身体をすり抜けていくものまである。
「術式が効かない!?撃ち方はじめ!遠慮するな!弾は一発も残すな!すべて使い切れ!」
健治郎殿の声が響き、千弦のような術弾ではなく、実弾、おそらくはライフル弾が四方八方からネズミを撃ち抜く。
だが・・・。
「効かないって言ってるだろうが!ああ!ウザいことこの上ない!・・・くそが!こんな術式、私に効くと思ったか!」
ネズミは足元に設置された術式による呪縛を引きちぎり、銀色の体液をまき散らし、全身を穴だらけにしながら庭を駆け抜ける。
くそ、すべての作戦、すべての術式が、液体金属ゴーレムを想定して作られていない!
これでは、逃げられてしまう!
「全員下がって!停滞空間魔法で・・・!」
停滞空間魔法の範囲に味方がいないことを確認し、詠唱に入ろうとした瞬間、琴音が更なる悲鳴を上げる。
「う、あ、うあああ!」
「・・・琴音!大変!仄香!右足が!琴音の右足が内側から壊されてる!」
だめだ、琴音の生命のほうが優先だ!
停滞空間魔法の発動をあきらめ、琴音のほうを振り向くと・・・。
そこには、ミキサーにでも巻き込まれたかのように、膝から下がズタズタになった右足を延長ケーブルで縛り上げた琴音が、脂汗を流しながらうずくまっていた。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
理君モドキ・・・ネズミを見失ってからおよそ三時間が経過し、健治郎叔父さんが主導で現場の片付けを行っていた。
近所の人が通報したらしく、あっという間にパトカーや消防車に取り囲まれたけど、国防省の偉い人が来て「M号案件だ」と告げると、一部の刑事を残して帰っていったよ。
「琴音。右足の様子はどう?違和感はない?」
庭に置かれたベンチの上で靴下を履き替えていると、姉さんがビニール袋を抱えて声をかけてきた。
「あ、うん、大丈夫そう。・・・リビアで一回切断されてるけど、あの時は何とかつながったからね。まさか丸々新造する羽目になるとは思わなかったよ。ズタズタになったけど、使えないほど汚染されてるとは思わなかったなぁ・・・。」
仄香の話によれば、ネズミの身体の一部は私の右足の脛を撃ち抜いただけでなく、複数の金属毒をまとった金属製の棘が筋繊維だけでなく骨までもズタズタにしていたらしい。
おかげで、目の前にはかつて私の右足だったモノが鎮座しているんだけど・・・。
これ、どうやって捨てようか?
家庭ゴミだと医療廃棄物の分別はない・・・よなあ?
「そう、よかった。絶対に無理はしないでね。」
いつも通りの優しい言葉をかけてくれているんだけど、さっきから姉さんの顔が能面みたいだ。
普通に声をかければ返事をしてくれるし、適当にあしらわれることもない。
だけどその眼は冷たく、何を考えているか、まるで分らない。
「琴音さん、千弦さん。ちょっとよろしいでしょうか。」
先ほどまで健治郎叔父さんと話していた仄香が戻ってきて、私たちに声をかけた。
「うん。何?」
・・・やっぱり、姉さんの様子がおかしい。
まるで機械的な動きをしているような、心ここにあらず、という感じだ。
「ネズミについては健治郎さんと陸軍情報部で追跡をしているそうです。幸い、二三君が完全に捕捉し続けています。それと、非常に言いにくいことなんですが・・・。」
「ええ、知ってるわ。・・・ねえ、仄香。二号さん以外で、長時間変身していられる眷属っている?出来たら二人ほど貸してほしいんだけど。」
「・・・!・・・そう、ですね。それが一番確実だと・・・思います。」
どういうことだろうか。
さっきから二人だけで分かっているみたいで、少し怖い。
「姉さん、私も何かできることを・・・。」
「私をこれ以上、惨めにしないで。・・・おねがい。」
ふいっと姉さんは後ろを向き、そのまま家の中に入っていく。
ポタっと私の頬に水滴が当たる。
だけど、空は青く澄み渡っていて、雨を降らすような雲は、ひとかけらもなかった。
なぜ、「惨め」なんて言うんだろう?
やはり、姉さんは私より先を見ているんだろうか。
気を取り直して家の中の片付けに向かうと、紫雨君が例の術式で片っ端から修復しているところだった。
「あ!琴音さん!・・・ごめん、二三君の護衛でそっちまで手が回らなくて。それに、おば・・・星羅さんが・・・。」
後で分かったのだが、あのネズミがハリネズミみたいになった時の攻撃は、天井を突き抜けて二階にいた三人にまで届いていたらしい。
紫雨君がとっさに防御障壁を展開したため、彼と二三君は無傷だったらしいけど、間に合わなかった星羅さんは床ごと左足の甲を撃ち抜かれたそうだ。
その攻撃には毒と侵食性があることがすぐに分かったために、紫雨君がすぐさま彼女の左足のくるぶしから下を切除したらしい。
ただ、質量・・・冷蔵庫の中の鶏肉が不足していたせいで、蛹化術式による回復が後回しになってしまった。
ひょいっと健治郎叔父さんが顔を出す。
「俺としたことが、不意を打ったはずなのに不意を打たれるとは・・・まさか、相手が人間じゃないとは思わないじゃないか。で?ケガ人の治療は?リビングはすっかり片付いたみたいだが?」
・・・そういえばとんでもない量の弾幕を張っていたっけな。
今は紫雨君がすっかり直してくれたけど、ウチの壁が穴だらけだったよ。
「ああ、叔父さん。紫雨君がほとんど直してくれたし、壊れて困るものは初めからベランダ側に移動しておいたからね。ケガのほうは・・・あ、いま星羅さんの治療が終わったみたい。」
健治郎叔父さんの部下の人が庭に設置したテントの中で、バリバリと繭を破る音が聞こえる。
ひょい、とテントから顔を出した星羅さんは、叔父さんにペコリと頭を下げ、念話を発した。
【左足の修復が終わりました。わざわざテントの設営をしてもらってありがとうございます。そちらにケガ人は出ませんでしたか?】
「ん?ああ、ウチは誰もケガしてない。役にも立たなかったけどな。弟子に頼られて結果を出せない師匠なんてこんなもんさ。ま、この後の仕事で汚名返上ってところだな。」
汚名返上?この後の仕事?
・・・あ。
「叔父さん。もしかして姉さんに何か頼まれた?」
「ん?ああ、石川君の名誉を守るために、これから大芝居をうつのさ。しっかし、誰の顔にでもなれる奴らがこうポンポンと現れちゃあ、警察さんも大変だろうな。これ、現行犯以外だと逮捕できなくなるんじゃないか?」
そう言いながら叔父さんは私の隣に座ると、これから起こるであろう・・・恐ろしいことを、一つ一つゆっくり、かつ丁寧に教えてくれた。
理モドキが麦茶を入れたアルミ製の保冷タンブラーに一瞬反応したのは、それが理君と千弦との思い出の品であることが理由ではなく、ネズミの身体の特性によるものです。
アルミニウムは、ガリンスタン合金が接触するとかなりの勢いで脆性破壊され、発生した合金がニョキニョキと、まるで生物のようにうごめくという現象を起こします。
ネズミは、自分の身体を制御して変な合金が発生しないように調整していた、ということなのでしょう。




