252 非日常、再び/さらわれた恋人(男)
南雲 千弦
8月23日(土)
「お土産よし!忘れ物なし!車の中で食べるお菓子、よし!」
「ご当地猫缶ヨシ!新味の猫ちゅ~るヨシ!お気に入りの焼ささみヨシ!」
「・・・二号さん。食べるのは車の中だけにしてね。お布団を敷きに来た仲居さんに食べてるところを見つかって大変なことになったんだから。それに・・・なぜか露天風呂に入らないし。」
妙な号令をかけている琴音を放置して、二号さんにやんわりと注意しておく。
っていうか、温泉宿にまでノートパソコンを持ってきたと思えば、まさか温泉にも入らずにドラクエをやってるとは思わなかったよ。
よかったね、無線LANが飛んでて。
まあ、混浴風呂がなかったから家族風呂に入るしかないのはわかるけどさ。
「いいわよね~。二号ちゃんは私と一緒にお風呂に入って幸せよねぇ~。」
いつの間に購入したのかわからないノートパソコンを背負った二号さんに、母さんが抱き着いて頬ずりをしている。
「ボクはママさんやパパさんと一緒にお風呂に入れたノデすごく幸せデス。露天風呂に入れナカッタ事は何とも思ってマセンヨ。」
ん?
ママさんと、パパさん?
あれ?母さんと一緒に入った?
「ちょっと待て。お父さん?二号さんと、一緒にお風呂に入った?まさか、遥香の裸、見たんじゃ・・・変態!何考えてるのよ!」
「ちょっとぉ!?僕が二号さんと一緒に入ったときは、ちゃんと男に変身してもらったよ!さすがに女子高生と一緒に入るわけないだろう!?」
琴音が絶叫し、慌てて父さんが釈明をしている。
・・・う~ん。
確かに二号さんは、父さんと一緒にお風呂に入るときは男子の姿になってたんだけど・・・。
どちらかというと、母さんと一緒に一緒に入ったことのほうが問題じゃないか?
まあ、遥香の姿だから大きな問題にはならないと思うけど・・・。
それにまさか、紫雨君の姿になるとは思わなかったからびっくりしたんだよね。
まあ、琴音は知らないみたいだし、面倒なことになるから黙っていよう。
「そういえば姉さん。旅行の間、理君からLINEの返事、来た?」
「あ、うん。普通に来てたよ。ちょっと返事が早すぎるくらいだったけど・・・もしかして?」
「うん、紫雨君からなかなか返事が来なくてさ。既読スルーならまだしも、なかなか既読がつかないからちょっと心配になっちゃって。思わず念話しちゃったわ。」
あ、そういえば仄香と一緒に大事な用があるとかで世界中の空を飛び回るって言ったっけ。
あれ、比喩でもなんでもなく、「空」を飛び回ってたらしいからね。
「それでいつ頃帰ってくるって?連絡、ついたんだよね?」
「うん。もう遥香の家に着いたって。念のために遥香や香織さん、それと、宗一郎さんやエルの無事も確認したってさ。」
「そう。まあ、仄香の周りの人間に手を出そうと思える人間がいたらそいつは狂人だと思うよ。」
「あははっ!今度はどこの国が海に沈むのかしらね?」
私の言葉にケラケラと笑う琴音と、なぜか二号さんに慰められている父さんを連れてチェックアウトし、みんなで西東京の我が家に向かい、走り出す。
「ふっふ~ん。楽しイ旅行でシタネ。皆サンの分の土産も買いマシタシ、写真もいっぱい撮りマシタ。マスターにお願いして魔女のライブラリに保存しておいてもらうノデス。」
二号さんがものすごくうれしそうだ。
でも、デジカメを見せてもらったんだけど、二号さんの姿はどこにも写ってなくて、やっぱり仮初の姿じゃ嫌なのかな、なんて思ってしまうと少し居た堪れなくなる。
そんな気分を振り払うかのように、真夏の太陽は車窓に映る緑を力強く、照らしていた。
◇ ◇ ◇
関越自動車道を南に向かい、大泉ジャンクションを超えて一般道に入ったころ、ポケットの中のスマホがピロリン、と軽快な音を奏でる。
「あ。理君だ。」
LINEには、「近いうちに二人だけで会えないか」と短いメッセージがあるだけで、場所や時間はかかれていない。
・・・まあ、理君には私が長距離跳躍魔法を使えることも話してあるし、一度行ったところならどこにでも行けるから、待ち合わせをしなくてもいきなり玄関先まで迎えに行くことも可能なんだけど。
「いいよ、と。・・・う~ん?どうせ月曜日にはまた勉強会をするのに。もしかして、そんなに私に会いたいとか?でも二人だけで会うのは火曜日以降かなぁ・・・。」
明日はお土産を三鷹のおばさんの家に持って行く予定だし、宏介君の様子も見たいし。
せっかくだから来週の水曜日あたりに理君の家にでも遊びに行こうか。
中学のころ行ったきりで、最近はほとんど行ってないんだよね。
ええと、理君の家は母子家庭だっけ?
お母さんと一緒に暮らしてるけど、日中はいないんだっけ。
ということは・・・。
「でゅふふふふ・・・!」
「・・・姉さん、キモい。」
なんだと!?
琴音だって十分キモいよ。
デカすぎて近藤さんが使えないとか言って、和香大叔母様の病院で避妊薬を処方してもらってるくせに!
っていうか、毎回、回復治癒魔法で膜まで治してる理由が、「そっちのほうが締まりがいいから」とか、理解できないっつうの!
いっそのこと、ガバガバになっちまえ!
私みたいに、「いざというときに処女を主張できるから」やってるならいざ知らず、完全に変態の所業じゃないか。
・・・それに、紫雨君が相手なら、最悪でも九重の爺様が確実に味方に付くだろうしさ。
いろいろ言い返したいことは山のようにあるが、ここで何かを言えば父さんや母さんに理君とのことがバレてしまう。
我慢、我慢。
・・・よし、我慢できた。
いつの間にか車は家の前につき、トランクを開けて荷物を下ろす。
二号さんは途中から車の中で丸くなって寝ていたけど、目をこすりながら荷下ろしを手伝い、愛しの我が家に帰宅する。
「ただいま~デス!」
いつの間にか、二号さんは家に入るときに「お邪魔シマス」ではなく、「ただいま」と言うようになった。
そんな彼女・・・じゃなかった、彼を見て、何かいろいろどうでもよくなりつつ、残り少ない夏休みを楽しむことにしたよ。
◇ ◇ ◇
咲間 恵
8月24日(日)
今年の夏休みはこれまでとは違って、家族三人で旅行に行くことができた。
吉備津桃の利益のおかげでかなりの余裕がある。
それもこれも、コトねんや千弦っち、そして仄香さんたちのおかげだ。
あれから連日のようにウチの店には行列ができて、今までにもう三回もテレビの取材が入ってる。
さらには近隣の喫茶店や飲み屋などで吉備津桃を使ったメニューが開発され、そちらもまた大ヒットを続けているのだ。
「吉備津桃のおかげで人件費がまかなえて助かるね。というか、原価が低いからとんでもない利益率だよ。」
母さんはホクホク顔で電卓をたたいている。
実は、以前はあたしが夕勤に入っても、お小遣い程度しかもらえなかったけど、今では夕勤の中で一番高い時給を満額貰えているのだ。
それだけじゃなくて、人件費が足りないせいで母さんか兄さん、あるいはあたしのうちの一人が店にいなくてはならなかったが、今ではそれぞれが週に三回ほど出勤すれば足りてしまうのだ。
兄さんはその横でスマホを一心不乱に操作している。
・・・なんでも、ウチの店にしか入荷しないことに対して、いろいろなところからクレームにも似た陳情が押し寄せているらしいのだ。
「ふう、吉備津桃が欲しいんならウチの店から買えばいいだけの話なのに。なんだって入荷先との関係に割り込んでくるかな?」
兄さんはメールを送り終わったらしく、ため息をつきながら立ち上がる。
「・・・そういえばフランチャイズの本部の連中も、同じ看板で一斉に取り扱いたいって騒いでたっけ。それに、自由仕入れ枠ではなくで本部指定仕入れ枠に入れさせろってさ。」
母さんの言う通り、本部の連中は吉備津桃をほかの系列店でも取り扱いたいらしく、生産会社の社長に会わせろとか、契約書の一部を書き換えるとか、変な申し入れを二日と開けずにしてきているのだ。
それに、本部指定仕入れ枠にしたらロイヤリティで粗利益の45%も持っていくだろうに。
「恵、例の吉備津桃の会社って、誰が社長なんだっけ?いっそのこと、本部の連中に会わせてみたら?九重財閥の系列企業なんだよな?下手に怒らせたら、コンビニの本部なんて吹き飛ぶんじゃないか?」
「う~ん。あの後、コトねんが社長をやるってことになったんだけど、なんだかんだで宗一郎さんの会社の人が派遣されて社長代理をやってるからね。ええと、千弦っちも何か役職があるけど、そっちも代理だし・・・誰に連絡したらいいんだろ?」
九重財閥の系列企業、っていうよりも、仄香さんの息がかかった会社にケンカを売るバカっているんだろうか。
まあ、月曜日になったらまた勉強会があるんだし、その時にでも話せばいいか。
「お、もうこんな時間か。そろそろじゃないか?待ち合わせはどこだっけ?」
兄さんの言葉にハッとして時計を見ると、そろそろ家を出なくてはならない時間のようだ。
「そうだった、じゃあ、行ってきます!」
そうそう、日本に帰ってきてからよく会っているんだけど、二三君とは結構趣味が合うんだよね。
音楽とか。
二人でそろって歩くとまるで姉妹みたいだけどさ。
いつもと少しちがう、おとなしめのサマーブラウスに涼しめのスカショーパンという、ちょっと似合わないかな、とも思える可愛めの格好で立ち上がる。
さて、今日はどこに連れて行ってくれるんだろう?
初めて会ったときはちょっと男らしくないかな、なんて思ったけど、かわいい男子ってのもなかなかいいかもしれない。
◇ ◇ ◇
武蔵小杉駅北口にある交番前で待っていると、一分もしないうちに一台のオープンカーが目の前に止まる。
・・・車のことはあまり詳しくないけど、多分高い車なんだろうな、これ。
「ごめん、待った?」
「大丈夫、一分くらい前に来たところ。・・・車で迎えに来るって聞いてたけど、またずいぶん高そうな車だね。これ、なんていう車?」
「ああ、これ、アストンマーティンのヴォランテっていうんだけど、宗一郎さんが貸してくれたんだ。右ハンドルだから運転しやすいだろうって。・・・いや、ウインカーとワイパーが逆だから、実は結構運転しづらいんだけどね。」
「ふ~ん。それより二三君って免許持ってたんだ。てっきり運転手さんがいるのかと思ったよ。」
「えぇ~。高校卒業してからすぐ免許を取ったんだけど・・・それに自分の車だって持ってるし。」
「え?どんな車?普段はどんな車に乗ってるの?」
「・・・軽自動車だよ。さすがにデートに使う車ではないかな。」
「いいじゃん!小回りが利くし、屋根もあるだろうし、経済的だし。」
そんな話をしながら途中でコンビニにより、飲み物を買ってから高速道路に入る。
さすがにクーラーが効かないからということで、さっさとルーフを出してもらったよ。
オープンカーって格好はいいけれど、夏は暑いし冬は寒いし、雨が降ればずぶ濡れだし。
日本には向かないんじゃないだろうか。
金沢の八景島まで行き、駐車場に車をとめてからシーパラダイスに向かって歩き出す。
・・・駐車するときだけはオープンカーってのもいいかもしれない。
バックモニターなしでも自分の車の位置がはっきりわかるっていうのはありがたい。
それにしても・・・。
「二三君、なんでまたそんな恰好なのかな?」
車で隣に座っているときから気付いていたけど、なんで今日もスカートなんだろうか。似合ってるけどさ。
「ん~。僕ってあまり男っぽい服が似合わないんだよね。身長も160cm以下だし、ひょろっとしてるし。だったら開き直ろうかな、と。」
いや、もはやそれ、趣味だよね、とは言えず。
でも、まあ、面白いからいいかな、とも思えてきた。
「傍から見たらまるで姉妹だよね、あたしらって。」
姉妹、というか、年齢が逆転してるような気すらするけどさ。
・・・っておおい!?なぜそこで赤くなる!?
やばいな、何か目覚めてはいけないものに目覚めそうだよ。
◇ ◇ ◇
水族館に遊園地、そしてショッピングに食事を楽しみ、結構な時間になってしまったが、お土産を持って車に戻り、一息つく。
「はあ~、楽しかった。二三君。夏休みが終わる前にまた誘ってよ。」
「うん、そうだね。・・・はあ。格好悪いところばっかり見せちゃったな。」
「あはは。まさか二三君がナンパされて私が助けるとは思わなかったな。でも結構面白かったよ。コトねんや千弦っちと遊んでるときにはそんなこと、ほとんどないからさ。」
実際、水族館で一回、ショッピングモールで一回、遊園地で二回の計四回もナンパにあっているんだよね。
・・・この子、いやこの人、遥香っちと二人並べたらとんでもないナンパ師ホイホイになるんじゃなかろうか。
「あ、千弦ちゃんの彼氏っていえば、・・・理君だっけ?夏休みだけ留学にでも行ってるのかな?」
「・・・へ?いや、普通に二学期から来る予定だと思うけど?明日だって勉強会に来る予定だし。どうしたの?急に。」
「あ、いや、そうすると・・・理君の現在位置が変なんだよね。先週の水曜日あたりに新潟に移動したんだけど、そのあと、船で日本海に出たんだ。土曜の午後にウラジオストックについて、そのあとは空路かな。今はエカテリンブルグ・・・ええと、ソ連の領内にいるんだけど・・・。てっきり社会勉強でもしてるのかと。」
・・・?
突然何を言っているんだ?
それに、エカテリンブルグって・・・ウラル山脈の南端近くにある町じゃなかったっけ?
いや、でも、千弦っちが誘拐されたときにその場所が分かったのだって二三君の能力だし、宗一郎さんの呪病によく似た、追跡特化の能力を持っているって言ってたし・・・。
「ちょっと待って。LINEでそれとなく本人に確認してみる。」
LINEのアプリに、万が一に備えて不自然ではないよう、文章を入力する。
・・・『明日の勉強会の開始時間、覚えてる?』っと。
お、すぐに既読になって返事が来た。
・・・『午後1時だよな、それがどうした?』か。
となると、今の時刻は午後5時半。
エカテリンブルグからではどうやっても千弦っちの家には到着できない。
あ、いや、長距離跳躍魔法っていう手があるか。
ならば、誰かに迎えに来てもらうのか?
それとも、長距離跳躍魔法が使えるよう、術札か何かをもらったのか?
よし、それなら聞いてみようか。
・・・『明日、どうやって来る?もし時間があるなら、途中で買ってきてほしいものがあるんだけど。』
これでどうだ?
ほんの十数秒後、返事があった。
・・・『いつも通りバスと電車だよ。何が欲しいか知らないけど、後で金払えよ。』と。
バスと、電車。
エカテリンブルグから、バスと電車では来られない。
これは・・・どういうことだろうか。
とりあえず、会話を違和感なく終わらせなくちゃ。
「ええと、横浜で売っているもので、違和感がないもの・・・。それでいて、ウチの近くでは手に入らないもの・・・。」
二三君が素早くスマホで検索する。
「馬車道十番館のビスカウトとか。あるいは横浜ハーバーワールドとかでいいんじゃない?僕と横浜に行ったのにお土産を買い忘れたとかいう理由で。・・・それより、完全におかしいね。だって今、僕が認識してる理君は睡眠中だ。スマホなんて触っているはずがない。」
二三君の追跡能力は、そんなことまで分かるのか。
もしかして、宗一郎さんの呪病より別方向でやばい能力なんじゃ・・・?
と、とにかくLINEで返事をしておかないと。
ええと、『馬車道十番館のビスカウトと、横浜ハーバーワールドをお願い。二家族分。今日、横浜に行ったのにお土産を買い忘れちゃった。』・・・よし、これでどうだ。
ほんの少し間をおいて返事が返ってきた。
・・・『わかった。行きがけに横浜ポルタに寄って買っていく。千弦や琴音さんには内緒のほうがいいか?っていうか、お土産のあて先は南雲家か?』か。
よし、こちらが違和感を覚えていることについては気付いていないようだ。
ならば、先手を打てそうだ。
最後に、『そう。宛先の一つは南雲家。もう一つはウチの親戚。コトねん達には内緒にしなくてもいいよ。でも、3,000円以内でおねがい。』っと。
・・・お、『りょ』とだけ返事が来たよ。
「ねえ、恵さん。それって、どういうことかな?念のため、千弦ちゃんにも話しておいたほうがいいかもしれない。それと、魔女・・・仄香さんにも。」
「ああ、そうだね。私たちが気付かないところで何かが進行しているのかもしれない。・・・それと、二三君にも協力してもらうよ。まずはその能力。詳しく教えてもらえるかな?」
「う・・・まあ、恵さんならいいか。でも、他の人には言わないでよ。能力だけでストーカー呼ばわりされるのはあまりうれしくないからね。」
二三君はきょろきょろとあたりを見回すと、エンジンをかけて車を走らせ始めた。
◇ ◇ ◇
二三君は少し渋ったけれど、運転しながらその能力について話し始めた。
基本的には、宗一郎さんの呪病と同じ系統の能力であること、だが、得意とするものがかなり違うことも教えてくれた。
まず、二三君の呪病・・・いや、本人はナノゴーレムと呼んでいるようだが、ナノサイズのゴーレム・・・ロボットのようなものを作り、それを魔力で操るという点はほとんど同じらしい。
周囲から魔力を吸い上げて勝手に増殖する点や、予め入力した命令に従って行動すること、そして極小の世界において様々な化学・物理的現象を引き起こすことも同じようだ。
だが、宗一郎さんとは違い、誰かを病気にしたり、あるいは病気やケガを治したりといった方向性はあまり得意ではないのだという。
どちらかというと家電製品やスマホのような性能、例えばGPS情報を拾ったり、超長距離で通信をしたり、視神経や聴覚神経にアクセスして映像や音声を送受信したりといった能力に長けているんだそうな。
しかも、MP4やAVIなどの動画ファイルにしてパソコンと連携できるとか、防犯カメラがいらないレベルじゃないか。
「なるほど、これはほかの人に知られたくない能力だね。探偵、いや、諜報機関員向きの能力だ。いや、覗かれる側にはたまったもんじゃないね。」
「・・・ストーカーとか覗き魔とかは言わないんだね。結構嫌がられる能力なんだけどさ。」
「まあ、あたしは見られて困るような生き方はしていないしね。っと、そんなことより、今回の話、どう思う?」
いつの間にか高速道路から出て一般道を走り始めた車の中で、今起きていることについて考える。
「・・・さっきまでLINEでやり取りをしていた相手は、絶対に石川理君ではないと思う。僕のナノゴーレムは、一度相手に張り付いたら相手が死んでも外れない。それに、勝手に監視対象者を変えることもない。」
「GPSが狂っている可能性は?」
「それも、ありえないと思う。一人に付着するナノゴーレムは一体や二体じゃない。数万体が一人の監視対象者に付着するんだ。そのすべてを同じように狂わせる方法なんて、ちょっと思いつかないかな。それに宗一郎さんの呪病と違って、僕のナノゴーレムには有効期限がない。それこそ、僕が死んでも解除されず付着しっぱなしだ。」
「・・・じゃあ、ナノゴーレムがすべて剥がれ落ちる条件は?」
「強力な火炎、それこそ火葬場レベルの炎に包まれるくらいかな。ナノゴーレムの頑丈さだって宗一郎さんの物よりずっと上なんだ。だけど、生まれてこの方、ナノゴーレムを剥がされたことはその一回しかないよ。」
「その一回って・・・?」
「九重の家の二葉お婆ちゃんのお葬式の時だね。あとの問題は・・・そう、極めて強力な抗魔力で包まれている相手には、最初からナノゴーレムが付着できないくらいかな。」
抗魔力、ということは二三君がどうにもならないのは仄香さんか、コトねんくらいか。
つまり、今理君の家にいる相手は、理君ではない、ということは確定か。
「とにかく、急いでみんなに知らせなきゃ。」
急いでアプリを起動して、コトねんや千弦っちに連絡を取ろうとしたとき、二三君が慌てたように声を上げた。
「待って!・・・相手の能力が分からない。確かにLINEのトークや通話はLetter Sealingという暗号化技術で保護されていて、送信者と受信者以外は内容を閲覧できない。でも、不正ログインや乗っ取りの可能性、あとは端末に対するウイルスの感染・・・いくらでも付け入るスキがある。むしろこのまま南雲家に向かおう。直接会って話をしたほうがいいと思う。あとは・・・仄香さんをネットワークを使わずに直接呼び出す方法があればいいんだけど・・・。」
二三君の言葉に、思わずごくりと唾をのんでしまう。
六月の終わりに私の見えるところでコトねんが自殺したときと同じような、ねっとりとした感覚が肌を撫でていく。
いざ、忍び寄る危険に気付いてしまうと、楽しかったデートの余韻は消え去り、漠然とした恐怖にただ、包まれていた。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
夕食が終わり、姉さんより先にお風呂に入った後、ドライヤーで髪の毛を乾かしていると、突然ドアチャイムが鳴った。
「ん?なんだろう?こんな時間に。姉さん、また何か銃の部品でも頼んだの?」
「いや、頼んでないけど・・・とりあえず出てくれない?まだ頭を洗ってる最中なんだよね。」
お風呂の中から返事が聞こえる。
二号さんは・・・もう自分の部屋でネトゲをやっているのかな?
お母さんは洗い物をしているみたいだし。
姉さんの言葉に、自分の左手の中指にリングシールドがあることを確認し、対応をすることにした。
・・・まあ、この家にはお母さんが仕掛けた強力な結界が張ってあるから、例え玄関が開け放たれていても、攻撃は跳ね返せるんだけどさ。
「うん、分かった。・・・はーい、今いきまーす。」
返事をしながらインターホンカメラを見ると、そこには相変わらず少女趣味な服を着た二三君と、いつもと少し違う感じの咲間さんが、少し困ったような顔をして立っていた。
「え?こんな時間に?どうせ明日来る予定なのに、もしかして急ぎの用?」
思わずそう言いながらドアを開ける。
庭先には、宗一郎伯父さんのガレージで見たことがあるオープンカーが止まっている。
伯父さんは見当たらない。
たしか、二三君は免許を持っているはず。
とすると、この二人、もしかしてデートでもしてたのか?
「誰だった~?」
姉さんが洗面脱衣所から顔を出し、玄関のほうをのぞき込んでいる。
髪にまだシャンプーの泡がついているところを見ると、首から下は素っ裸なんだろうな。
「千弦っち。二人だけで大事な話があるんだ。ちょっと、部屋で話せない?」
そう、咲間さんは真面目な顔で言ってきた。
・・・私に向かって。
私は琴音だってば。いい加減、慣れたけど。
・・・・・・。
とりあえず四人で姉さんの部屋に移動する。
姉さんはまだ髪も乾いていない。
「千弦ちゃんの部屋は相変わらず色気がないね。むしろ僕の部屋のほうが女の子っぽい部屋だよ。」
「うっさい。このオカマストーカー。またコイツを入れることになるなんて思わなかったわ。」
二三君の冷やかしに対して姉さんは適当に返しながら、せっせと部屋の中を片付けている。
っていうか、リビングか私の部屋を使えばいいのに。
3Dプリンターのフィラメントやら電動工具が床に散乱している部屋で何の話をするっていうのよ。
姉さんを手伝って何とか四人、座れるスペースを確保し、私の部屋からちゃぶ台と座布団を持ってくる。
「それで、こんな時間に、それも念話のイヤーカフも使わずに来るなんて、もしかして仄香の身に何かあったの?」
「あ・・・そういえば絶対に傍受されない通信手段があったんだっけ。忘れてたよ。」
・・・咲間さんがそんな初歩的なことを忘れるなんて珍しいな。
もしかしてこれ、かなり厄介な問題なんじゃない?
「とにかく、恵さんの話を聞いてあげてよ。今回は彼女が気付かなければ、僕も見落としていたかもしれないことなんだ。」
二三君が見落とす?
何を言っているんだ?
首をひねっていると、早速咲間さんが質問を始める。
「ええと、千弦っち。最後に理君に会ったのは、いつ?」
「え?ええと、旅行に行く前の日曜日だから・・・17日かな?それがどうしたの?」
たしか、秋葉原にある理君の従兄弟の店に行ってシューティングレンジでデートしてたんだよね。
姉さんが得意げに射撃管制術式と照準補正術式を見せたらびっくりしたって言ってたっけ。
理君が「俺もその術式、使ってみたい!」っていうから、術式を刻むために彼の身体を改造できないかって姉さんから相談を受けたんだよな。
身体を改造って・・・仮面〇イダーかよ。
まあ、できなくはないけどさ。
仄香に蛹化術式も習ったしさ。
恋人の身体を改造って・・・相変わらず何を考えてるのかしらね?
「そのあと、理君はどこかに旅行に行くとか言ってた?例えば、海外とかに。」
「いや、そんなことは何も言ってなかったと思う。たしか、先週は勉強の遅れを取り戻すために、ずっと自宅でカンヅメだって言ってたと思ったけど?」
「最後に連絡を取ったのはいつ?その内容は?」
「ええと、さっきお風呂に入る前だから・・・40分くらい前かな?内容は、明日の勉強する範囲と、明後日出かける予定の話。・・・理君に何かあったの?」
咲間さんと二三君は顔を見合わせると、ほぼ同時にうなずき、ゆっくりと声を出した。
「理君が誘拐されたかもしれない。」
・・・と。
◇ ◇ ◇
あれから三十分ほど、二三君の追跡の話を聞いた。
ご丁寧に、彼が誘拐される前後の映像まで記録していたなんて。
「・・・冗談じゃない!私たちが狙われるならともかく、なんで理君なのよ!?理君は関係ないでしょう!?それに、誘拐される現場の映像があるのに、なんで二三君は今まで気付かなかったのよ!?」
思わず声を荒げてしまう。
「琴音ちゃん・・・僕のナノゴーレムが録画している映像はデータ量が膨大すぎて、常時すべてを監視できるものではないんだよ。今回だって検索するだけでかなりかかってるし。」
さっきから姉さんは黙っているけど、理君が姉さんのような目にあわされていると思うと、やっぱり胃が捩じ切れるような気分になる。
「コトねん、これ、あたしがフィロメリアとかいう奴に憑りつかれた時と違って、理君自身にはまだ直接の危害はまだないんじゃないの?」
ぐ・・・咲間さん・・・姉さんが誘拐されたとき、どんな目にあったと思って・・・。
最後のほうは魂が完全に混線していたから、姉さんの痛みが、苦しさが、己のことのようにわかってしまう。
あ、いや、姉さんがどんな目にあったかなんて、咲間さんには知らせてはいなかったっけ。
それに、二三君のナノゴーレムのおかげで外傷はないことは分かっているみたいだし。
「琴音。今、仄香を呼んだ。もうすぐ来てくれるから、まずは落ち着こう?」
なぜ、姉さんはそんなに冷静なの?
いや・・・下唇に、強く噛んだ後が・・・
血が、滲んでいる・・・。
「う、うん、分かった。・・・姉さん、ちょっと唇を見せて。」
姉さんの口にそっと手を当て、自動詠唱機構と無詠唱の術理魔法を併用して治療する。
そう、そうだ。
まだ彼の身に何があったのか、敵は誰なのか。
あるいは、二三君の勘違い・・・それはないだろうけど、何かの間違いの可能性が・・・。
重く、空気が沈み始めたとき、ドアチャイムがそれを打ち破るかのように鳴り響く。
「仄香!」
姉さんと二人、揃って階段を降り、玄関に向かって走っていく。
扉を開けたそこには、遥香の身体に入った仄香が、可視化されるほどの魔力を身にまとった状態で立っていた。