251 将を射んと欲すればまず馬にしてみれば大迷惑
久神 遥香
8月19日(火)
理君の手を取り、山手線に一緒に乗り込む。
時岡君が一瞬ついてきそうになったけど、美穂ちゃんが慌てて止めてくれた。
美穂ちゃん、グッジョブ。
「久神さん、突然どうしたんだ?」
「遥香でいいよ。名前で呼んで。『さん』もいらない。」
「う、それはちょっと・・・せめて遥香さんと呼ぶ程度にしておくよ。」
理君は、彼と千弦ちゃんが付き合ってるという事実を私が知っていることを知っている。
だから彼は今、きっと混乱しているだろう。
だって、二人でいるところを知り合いに見られたら、学校で噂になる危険性があるからだ。
千弦ちゃんが「理君が浮気した!」と騒ぐかもしれない。
最近は、周りから自分の容姿がどう思われているのか、なんとなく分かってきた。
私は人並み以上には可愛いらしい。
全然実感ないけど。
だから、私が彼と一緒にいれば、自然とそういう目で見て「浮気」と騒ぐ人がいるだろう。
そして、二人の仲が悪くなるかもしれない。
でも、そんな卑怯なことはしない。
結果として二人が別れることになれば、必ず千弦ちゃんは悲しむ。
たとえ、私が千弦ちゃんに振り向いてもらえなくても、彼女を泣かせるようなことだけはしたくない。
「大丈夫。ちゃんと認識阻害術式を使ってるから、学校のみんなに見られても問題ないよ。」
「そうなのか。・・・いや、すでに両手に花とか、騒ぎ立てるやつがいるからさ。」
「両手に花って・・・千弦ちゃんと琴音ちゃん?それは・・・ちょっとうらやましいかも。」
さて、彼が千弦ちゃんのことをどう思っているかをどうやって聞きだそうか。
そんな話をしているうちに、山手線は東京駅に近付く。
「・・・ねえ、家は横浜だったよね?東京駅で東海道線に乗り換え?」
「ああ、あとは横浜駅で市営バスに乗り換えるんだ。最近はバスの本数が減って大変だよ。」
「ふう~ん。ちょっと寄り道していかない?東京駅の中のお店でもいいからさ。」
そんな話をしながら東京駅で降り、階段を下って通路に出ると、駅の中とは思えないほどのお店が並んだエリアに出た。
「へぇ~。あまり東京駅に来ないから知らなかったけど、こんなにおしゃれなお店があるんだ。ねえ、あっちのほう、喫茶店とか入ってるみたいだよ!甘いもの、食べてかない?」
「え・・・まあ、暇ではあるからいいけど・・・誰も知り合いとかいないだろうな・・・?」
「ねえ、私と一緒にいるの、そんなにいや?」
彼の目をそっと下から見上げて、ほんの少し、魅了魔法の出力をあげる。
・・・若干の抵抗を感じる。
これは・・・抗魔力増幅機構の出力かな。
・・・悪いことをしてるのは分かっている。
でも、私は理君が千弦ちゃんのことをどれくらい好きなのか、理君が本当に千弦ちゃんにふさわしいのか知りたいのだ。
「う・・・そ、そんなことはないけど。じゃあ、そこの喫茶店でいいかい?なんで俺なんかに久神さんが・・・。」
理君は目線を切り、店の一番奥の席に腰を下ろした。
私も席に着くと、当たり障りないことから話し始める。
最初の内は警戒されているのか、千弦ちゃんの趣味やファッションについての話だった。
・・・へぇ。お出かけ用の可愛い服って、全部琴音ちゃんが選んでるんだ。
お化粧道具も?高校に入ってからしばらくは、琴音ちゃんに全部任せてたなんて。
羨ましい。
私も千弦ちゃんの唇にリップを塗ってみたい。
だけど理君は、いつの間にか千弦ちゃんと理君の馴れ初めから、私が転入するまでのことをパラパラと話し始めた。
理君はアイスティーを飲みながら、千弦ちゃんとのことを話している。
「・・・考えてみれば中一からずっと同じクラスだったんだ。初めて話したのは中二だけどさ。あいつ、昼休み時間に何してたと思う?いきなりエアガンの分解清掃を始めたんだぜ?それも、俺が弁当食ってる横でさ。」
いつの間にか、理君は警戒感もなく話し始めた。
でも、魅了魔法の影響下にあっても千弦ちゃんのことを考え続けているのは、二心なく彼女のことが好きだからだろう。
理君は私のことを口説いたりはしない。
「理君はそれを見てどうしたの?同じ趣味だったんでしょ?」
「ああ。同じ趣味ではあったけど・・・初めはドン引きしちゃってさ。だって、白い指先をガンオイルまみれにして一心不乱に部品を磨いてるんだぜ?で、思わず聞いちゃったんだ。なぜそんなことをしてるんだ、ってさ。」
「それで?千弦ちゃんはなんて?」
「カスタムパーツを組んだら動きが渋かったから、ってさ。そうじゃなくて、教室なのになんでそんな堂々としてるんだ、って意味で聞いたんだけどさ。ちょうどその時期、千弦は教室内で孤立しててさ。」
千弦ちゃんらしいというか、何というか・・・。
きっと術弾を撃つために改造したんだろうけどさ。
でも・・・。
「孤立してた?千弦ちゃんが?」
「ああ。ほら、そのくらいの歳になるとオタクとか厨二病、って言われるだろ?周りからそういう目で見られてさ。千弦自身も流行とかに全く興味がなかったみたいで、その年の冬に手品部を作るまでは休み時間中、ずっとノートに訳の分からない落書きをしてるってバカにされてたよ。」
「それで、理君はどうしたの?」
「俺は手品はよく分からないからさ。時々サバゲに誘って気を紛らわせたり、手品に興味ありそうな奴を紹介したりしてさ。ははっ。今思えば、あれ、手品じゃなくて本物の魔法だったんだな。」
彼はそう言うと、何かを思い出すかのように遠い目をする。
そこには、長い年月をかけて付き合いことになったかのような、千弦ちゃんを心から思う男の子の表情があった。
・・・・・・。
しばらく理君とそんな話をしながら顔色を見ていたけど、いつの間にか結構な時間が過ぎてしまったことに気付いた。
「ごめんね、結構時間をとらせちゃった。面白い話が聞けたわ。また千弦ちゃんの事、聞かせてね。」
・・・結局、理君が千弦ちゃんのことを大切に思っていることしかわからなかった。
「ああ。でも、久神さ・・・遥香さんも自分で聞けばいいのに。千弦なら気にせず教えてくれると思うけど?」
「そうだね。でもほら、男の子の目線で見る千弦ちゃんっていうのも結構新鮮だったかな。じゃ、また新学期ね。」
「おう。またな。」
喫茶店を出て理君と別れ、東京駅丸の内出口に向かって歩き出す。
・・・あ、いけない。
魅了魔法をかけたままだった。
私の魅了魔法は指向性無しで範囲発動するから結構使いにくいんだよね、と思いつつ、仄香さんの術札で解呪した瞬間、妙な感触を感じる。
まるで、ヌメっとした金属を触ったような?
いや・・・私の魅了魔法が効いていなかった相手が、近くにいる?
一瞬立ち止まり、周囲を見渡したけど、それがいったい何なのか分からない。
ただ、抗魔力増幅機構や琴音ちゃんの抗魔力のような抵抗ではなく・・・なんといえばいいか、まるで人形を相手に魅了魔法をかけているかのような、気持ち悪さを感じる。
「・・・なんだろう・・・嫌な予感がする。でも・・・オリビアさんが心配するといけないから、そろそろ帰らなきゃ。」
人ごみをかき分けながら、認識阻害術式、電磁熱光学迷彩術式の順で術式を発動し、空の見えるところで詠唱する。
「勇壮たる風よ。汝が翼を今ひと時我に貸し与え給え。」
最近は感覚が麻痺し始めたけど、私もいつの間にか魔法使いになってるなー、なんて思いつつ、オリビアさんが待っているであろう自宅に向けて、よく晴れた空を飛んで行った。
後になって、この判断を後悔するようになるとは、思いもよらなかった。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
8月20日(水)
今、私たちは一家そろって群馬県利根郡みなかみ町に来ている。
群馬県といえば温泉、温泉といえば群馬県。
草津温泉、伊香保温泉、水上温泉、四万温泉の四大温泉が有名で、今いる水上温泉は利根川の渓谷沿いに位置し、豊かな自然に囲まれた温泉地だ。
姉さんと二人、ホテルに備え付けの露天風呂で今日も朝から楽しんでいる。
「ふいぃ~。朝風呂最高~。あ、琴音、そこのドライヤーとって。」
「はい、姉さん。・・・それにしても・・・まさか、体重と体脂肪率が小数点以下まで一致するなんて。私、姉さんみたいに運動してないんだけど?」
脱衣所に備え付けのドライヤーを姉さんに渡し、自分はポーチから化粧水の瓶を取り出す。
・・・最近は紫雨君に見られることも多くなったし、今のうちから肌は大事にしておくのだ。
先ほど姉さんと一緒に朝風呂に入ったのだが・・・脱衣所にある体脂肪計付きの体重計に乗ってみたのだが、やはり二人そろって全く同じ数値になってしまった。
・・・姉さんが痩せているのはわかる。
この人、本当によく動くからね。
でも、なんで私まで痩せたんだろう?
それに、いつも化粧水も使わないのに、姉さんは私と同じくらい肌がきれいなのってなんでだろう?
「ん~?言われてみればなんでだろうね?今度、仄香が帰ってきたら聞いてみよう。・・・あ、遥香からLINEだ。ええと、香織さんの出産予定日は11月8日だけど、双子だから10月中旬から下旬ごろになるんだって。香織さんの入院中はオリビアさんとエルが交代で来てくれてるって。」
「ふ~ん、オリビアさんはわかるんだけど、なんでエル?」
「・・・さあ?」
護衛、という点で考えるなら、オリビアさんがいるのはわかる気がする。
でも、エルって・・・魔法、使えたっけ?
非常用の魔力タンクにはなるだろうけどさ。
首をかしげながら部屋に戻ると、中から聞き覚えのない声が聞こえてきた。
「・・・いや、まさか弦ちゃんが宿泊してるとは思わなかったよ。俺に言ってくれればもっといい部屋を用意できたのにさ。」
「ははっ。ここが二の親御さんが経営するホテルとは知らなかったんだよ。それに、蟹は甲羅に似せて穴を掘るものさ。安月給の俺にはこれくらいがちょうどいい。」
・・・はて?
この話っぷりからすると、お父さんの知り合いかしら?
姉さんが浴衣の懐から愛用の銃を抜き・・・ってそれ、露天風呂にまで持っていってたんかい。
てっきり湯桶の中のリボルバーだけかと思ってたよ。
とにかく、警戒しながらふすまを開ける。
部屋の中には・・・どこかで見たことがある、ちょっと肥満体型の40代の男性がお父さんと楽しそうに話しながら、お茶菓子をボリボリと食べている姿があった。
「父さん、こちらの方は?」
姉さんが浴衣の懐に銃をしまいながら、でも警戒は解かずに確認する。
「ああ、俺の高校の時の友人でな。二五郎。結構有名な漫画家なんだ。ついでにいえば、このホテルはコイツの父親がオーナーなんだってさ。」
「やあ。久しぶりだね。って言っても覚えてないか。最後にあったのは小学校に入る直前だったかな?ええと、琴音ちゃん?千弦ちゃん?いや、逆かな?」
「・・・ああ!思い出した!二のおじさん!あれ?二五郎って、もしかして?」
それまで警戒していた姉さんが、まるでかつての友人を思い出したかのように警戒を解く。
そうだ、二のおじさんだ。
小学校に上がる前によく手書きの原稿を見せていてくれたっけ。
・・・ん?
二、五郎?
昔のペンネームって、banten・・・何とかじゃなかったっけ?
「もしかして!武装魔法少女ミスティの!え?二のおじさんって!え?本名でやってたの!?」
「お!もしかして読んでくれたのかい?最近はアニメ化も映画化もされてるからもしかしたらと思ったけど、だとしたらうれしいな。以前、前のペンネームでサインをあげったけな。何なら新しいサインでもしようか?」
「あ、いえ、色紙がありませんから。それに、どちらかというと私たちの友達が登場人物の一人の大ファンでして。」
姉さんが冷静に断っているけど、これ、仄香が知ったら顔色を変えるんじゃないだろうか。
仄香ったらアニメの主人公よりもはるかに強力で万能な魔法が使えるくせに、登場人物の一人、重装魔砲少女メルティの大ファンだからな。
ってか、後で知ったけど、遥香が入ってた杖ってメルティの杖とデザインがほぼ一緒なんだよ。
「おいおい、うちの娘をお前の変な漫画に引き込まないでくれ。それで、今日こっちに戻ってきたのは何か理由があるのか?おまえ、最近は取材と称して世界中を飛び回っていただろう?」
「ん?ああ、そうそう。こっちに戻ってきたのは昔の知り合いに呼ばれたからなんだが・・・っと、その前に。ええと、左耳にピアスをつけてるほうの子。ちょっといいかな?」
そういうと、二さんはひょいと立ち上がり、姉さんの左耳をじっと眺める。
・・・?
ああ、姉さんの左耳のピアスか。
「あ、私は千弦です。姉のほうの。っていうか、さすがにそれ以外は区別、つきませんよね。」
「ん・・・ああ。よしよし。壊しても失くしてもいないね。ま、壊れる心配はしてないけど。さて、それじゃあ、そろそろ俺は行くよ。大事なことの確認も取れたからさ。」
二さんは姉さんのピアスをじっと眺めた後、荷物をまとめ始める。
「なんだ、せわしないな。ま、いいか。どうせまたあっちこっちを飛び回るんだろ?また日本に帰って来たら連絡くれよ。じゃあな。」
お父さんは座ったままヒラヒラと手を振り、二さんはそのまま部屋を出ていく。
まあ、仄香には悪いけど、サインはまたの機会かな。
それにしても・・・何だったんだろう?
今まで姉さんのピアスを気にした人なんていなかったのにな。
◇ ◇ ◇
ネズミ
横浜市保土ヶ谷区
昨日までにターゲットの周囲を確認し、魔女とその子孫以外の魔法使いがいないことが分かった。
同時に、あの少年・・・石川理とやらの身辺に、本人を含めて魔力持ちがいないことも。
私はありとあらゆる人間に化けることはできるが、その魔力までは真似することができない。
この身体はしょせん作り物。
魔力のかけらもなければ、当然、魔法も魔術も使えない。
だが、あの少年のように魔力を持たない人間ならば簡単になり替われるのだ。
昔ながらの五階建ての団地から買い物に出てきた理とやらが、汗を拭きながら近くのコンビニへと向かうのを確認し、そのあとをつける。
「あっちぃ・・・。ええと、卵と牛乳・・・それから・・・昆布だし・・・あとは練りワサビ。うげ、品切れかよ。仕方がない。ほかの店に行こう。近道近道。」
ブツブツとつぶやいている彼の後ろからそっと近づく。
彼は全く気付かず、人通りのない路地へと入り込む。
周囲の防犯カメラは確認した。
この場所は、2台のカメラしか映していない。
そして、それは今さっき、脆性侵入してデータを書き換えた。
擬態を解除し、真後ろから覆いかぶさるように襲い掛かる。
「うわ!なんだ!う、うわあぁぁぁ!」
一瞬でその全身を包み込み、反射的に息を吸い込もうとした口や鼻に滑り込む。
さらにガリンスタン合金の身体を使い、内側から理の身体に侵入していく。
彼は慌てて手持ちの人工魔石のようなもので何らかの術式を作動させる。
・・・これは、噂に聞いた抗魔力増幅機構か。
だが、私の侵入は魔法ではなく、完全な物理現象だ。
抗魔力などは一切関係ない。
その耳から、鼻から、そして目の裏から一気に脳を目指す。
壊さないように、血管をかき分け、神経をたどり、脳に根をおろし、ゆっくりと、だが確実にその電気信号を読み取る。
・・・ふん。同年代の男子に比べれば幾分か情報量が多いが・・・。
これなら複写しきれるな。
「ぐ、く、あ、ああぁぁ!」
痛みはないはずだが、身体の内側に無数の根を張られ、脳をかき回されるのだ。
その不快感は相当なものだろう。
時間にしておよそ3分。
意識を失った理の身体からすべてのガリンスタン合金製のボディを引きはがし、その体を構築していく。
「あ、あ~。俺は、石川理。私立開明高校3年2組。出席番号3番。・・・よし。あとは・・・コレももらっておこうか。俺には使えないけどな。」
足元で痙攣している理から、ブレスレット型の抗魔力増幅機構と人工魔石、そして家のカギとスマートフォンを奪い取る。
「・・・このまま殺して刻んで埋めてしまってもいいんだが・・・教皇猊下は魔女と同じ人種の男の身体が欲しいと言っていたな。よし、廃物利用だ。こいつを送っておこうか。」
くくく・・・。
確か、こいつは魔女の娘たちの内の一人の恋人だったはず。
私が偽物だと気付かれるか、それとも気付かずに愛の言葉でも囁くか。
いっそ、閨を共にするのも面白い。
命がけのチキンレースだが、最高だ。
懐から自分のスマホを取り出し、教会の信徒を呼び出す。
本物の理は新潟あたりから貨物船で運び出せばいいだろう。
日本海を渡るまでの辛抱だ。
ソ連領内に入ってしまえばあとは空路だろうが何だろうが使える。
魔女やその娘たちにとっては強力な人質になりえるだろう。
私は恋人を奪われたことに気付き、かつこちらに手も足も出ない時の娘の顔を想像して軽い興奮を覚えながら、近くのコンビニに練りワサビを買いに行くことにした。
◇ ◇ ◇
仄香
あれからしばらくの間、南アフリカ共和国の大都市、ヨハネスブルグ上空にプシュパカ・ビマナを停止したまま、眼下の様子を調べ続けた。
敵襲があったかと思われたが、それからは何も音沙汰がないので再度調査に取り掛かることになったのだが・・・。
まるで分からない。
当然、他の眷属に命じて人工魔力結晶抽出妨害術式を世界中に敷設することも続けている。
そろそろ集中力も切れそうになってきたころ、交代で監視を行っていた眷属が驚きの声をあげた。
「マスター。らせん式空力偵察ゴーレム24号が南アフリカ共和国の北端、リンポポ州、ムシナの町で異変を確認しました。・・・これは?泥濘が、毒の沼が戻り始めました!」
「ハウテン州ヨハネスブルグ上空のらせん式空力偵察ゴーレム37号からの映像です!・・・ネルソン・マンデラ国立博物館が消滅!FNBスタジアム、ウィットウォータズランド大学、センテックタワーもです!すべて泥濘に沈んでいきます!」
「メインモニターに回して!・・・これは・・・何?まさか、時間の流れが元に戻り始めているの!?」
「マスター!らせん式空力偵察ゴーレムの映像が次々に途絶しています!自爆信号を送ってよろしいでしょうか!?」
「ええ!すぐに自爆信号を・・・。」
「ちょっと待って!母さん、ムシナの町で途絶した信号が一部回復した!・・・何だ、これ!?魔力残量が・・・2か月分も消費されている?どういうことだ?」
紫雨の声に自爆信号を送るのを止め、様子を見ていると、一度途絶したはずの信号が再び回復していくのがわかる。
それも、途絶した順番に。
【・・・!通信途絶前のすべてのらせん式空力偵察ゴーレムを長期録画モードに!急いで!】
星羅が何かに気付いたかのように、眷属に指示を出す。
「了解!長期録画モードに切り替えます!」
眷属がらせん式空力偵察ゴーレムのすべてを録画モードに切り替えた直後、南アフリカ共和国の上空を紫色の雲が覆っていく。
すべてのらせん式空力偵察ゴーレムの通信が途絶え、そして復活した時には、紫色の雲は晴れ、代わりに眼下のすべてが毒の沼地に沈んでいた。
◇ ◇ ◇
その場にいても、これ以上の情報は得られないと判断した私たちは、プシュパカ・ビマナと眷属たちを送還し、情報の整理を行うことにした。
「ふう、久しぶりの地上だ。やっぱりしっくりくるな。ねえ、母さん。」
「そうね。それに少し疲れたわ。まずは何か軽く食べましょうか。」
長距離跳躍魔法で玉山の隠れ家に戻り、星羅が作ったサンドイッチを片手に、回収したらせん式空力偵察ゴーレムのデータを整理する。
・・・なぜか私が料理をしようとすると星羅が作りたがるんだよね。
誰か好きな人でもできたんだろうか?
まあとにかく、数が多かったが、三人で協力して解析を続けていくと、いくつかの事実が判明した。
「すべてのらせん式空力偵察ゴーレムが二か月分録画している?どういうことしら?」
「内容は・・・どれも似たり寄ったりだね。母さんがあの国を滅ぼした時の様子をそのまま記録しているみたいだ。それ以降は・・・毒の沼地を映してるだけみたいだね。」
【まるで、一時的にあの国だけを二か月巻き戻したかのような・・・どういうことでしょう?】
特定範囲の時間を巻き戻して、その後元の流れに復帰したかのような・・・。
だが、らせん式空力偵察ゴーレムは巻き込まれて過去にさかのぼっている?
「まるでタイムマシンね。でも、これほど大規模な現象を引き起こすとなると・・・どれほどの魔力が必要になるのかしら。」
自分で口に出してから、そのあり得ない魔力量に一瞬、めまいのようなものを覚える。
・・・超光速逆行攻撃魔法でたった数秒の過去を攻撃するだけで、いったいどれだけの魔力を消耗したか。
「う~ん。これは・・・高圧縮魔力結晶を使っても200kgは必要になる量だね。ちょっとあり得ないかな?何か他の現象、魔法ではない何かなのかもしれない。千弦さんあたりにでも聞いてみるか。」
術式に長けた紫雨でも答えが出ないとなると、これは魔術ではないのか?
しかし、なぜ千弦?
母子そろってウンウンと唸っていると、星羅が何かを思いついたかのようにパン、と両手を合わせる。
【そうでした。ラジエルの偽書。あれがあればわかるかもしれません。・・・千弦さんがいなかったら今回の件は迷宮入りでしたね。】
なるほど、ラジエルの偽書か。
あれなら、例の現象が魔法や魔術、あるいは既知の科学で説明がつく現象であればたちどころに答えがわかる。
ラジエルの偽書でわからないのは、「地球上に存在しない技術」のみだ。
・・・千弦のやつ、自分がどれだけヤバいものを開発したか気付いているのかな?
「そういえば琴音さん、今頃何をしてるんだろう。群馬県の水上温泉に家族旅行で行ってるらしいんだけど・・・帰りは23日か。」
紫雨は背伸びをしながら懐からスマホを取り出し、画面を見つめている。
きっと琴音の写真だろう。
「紫雨。琴音さんのことを大切にしてくださいね。泣かせるようなことがあったら許しませんから。」
「もちろんだよ。琴音さんは僕が必ず幸せにする。どんな手を使っても。」
紫雨はニヤリと笑うと、再びらせん式空力偵察ゴーレムの記録映像の解析に取り掛かった。
◇ ◇ ◇
サン・ジェルマン
エカテリンブルグの高級ホテルの一室
アレクセイ・ドルゴロフの身体に入った状態で、その父親であるアンドレイの到着を待っていると、扉をノックする音が聞こえる。
「・・・入れ。」
そう声をかけると、ガタイの良い、少し頭がはげ始めた60歳前後の男が扉を開けて入ってくる。
そのすぐ後ろに、顔色の悪い30代前後の女が付き従っている。
「薙沢。ご苦労だった。変わりはないか?」
女に声をかけた瞬間、ぐにゃりと姿が一瞬で変わり、翅の生えた小さな姿に変化する。
「はい。党中央委員会ではドルゴロフが魂のない傀儡であることに気付いている者は一人もおりません。書記局と政治局にそれぞれ一名ずつ、違和感を持った者がおりましたが、いずれも不慮の事故と突然の病に倒れています。」
「うむ、そうか。・・・どうせこの国は使い捨てる予定だ。そこまで気を張らずともかまわん。それで、地上軍の例の秘密兵器の開発はどうなった?少しは役に立ちそうか?」
「カザフ共和国のセミパラチンスク−21は魔女にその所在を知られているため、チェリャビンスク-65にすべての業務を移管しました。先日、一部の機体を用いてローザンヌで試験的な運用を行った模様ですが、魔女の光撃魔法に対してもある程度の防御が見込めたとのことです。」
「そうか。部隊への配備はどうだ?予定ではそろそろではなかったか?」
「すでに八割方が完了し、六つの部隊が直ちに出撃可能とのことです。月末までに予備部隊を含めて九つの部隊への配備が完了します。」
ふむ。
人間どもにしてはなかなかやるではないか。
それに新型の機動走行歩兵は対魔女用としてではなく、雑魚狩り用として使うから、十分すぎる戦力だろうよ。
「他には何かあるか?」
薙沢にそう尋ねると、彼女はニヤリと笑い、一枚の写真を取り出した。
「教皇猊下がご所望の『魔女と同じ人種の身体』をネズミが手に入れたとの事です。なんでも、魔女の娘たちの一人、千弦とやらの恋人だとか。」
「・・・くくっ。そうか、ならばせいぜい有効活用してやろう。アレクセイのように、魂を消すのは最後にするか。それとも、魂だけ人工魔力結晶にして送り付けてやるか。」
その身体に入った俺を、魔女が攻撃したら・・・母娘の間で骨肉の争いでも起きるかもな。
「うふふふ・・・その時はぜひ同席したいものです。」
「よし、すべての準備が整い次第、作戦を開始せよ。・・・くははっ。しっかりと準備させろよ。いよいよ総力戦だ。世界大戦だ。そして、俺はあの安寧の洞窟にあいつを連れ戻す!」
「私たちとの約束も、お忘れなきよう。」
「ふん、わかっておる。穂村と二人、しっかりと途中で降ろしていってやるさ。そのあとは知らぬがな。」
「はい、それだけで結構です。」
妖精族と竜人族。
何をするつもりかは知らぬが、そんな些事などはどうでもいい。
約束通り、途中下車だけさせてやろう。
微調整はできぬがな。




