25 夜 魔女の秘密/命の定義
人間の死の定義って何でしょうか?生命の定義って何でしょうか?様々なメディアで語られていますが、どれが正しいとは断言できそうにありません。
そこで便宜上、筆者はこの話の魔女と同じように考えています。もちろん、筆者もその周りの人間も不老不死ではないので、脳が壊れたらおしまいなんですけどね。
9月23日(月)
南雲 千弦
冷静になって考えてみたら、突然お邪魔したのにいきなりシャワーを使わせてくれだなんて、厚かましいにもほどがある。
でも、遙香の家族は誰も嫌な顔ひとつせず、むしろ当たり前のように迎え入れてくれた。
浴室を出ると、洗面脱衣所には新品のバスタオルと着替えが用意されていた。
すぐ横の洗濯機では、私の汚れたスカートと下着が回っている。
・・・至れり尽くせりにもほどがある。
少し大人びたデザインのショーツと、ゆったりとしたデニムパンツ。
下着の腰回りが少しきついなと思いつつ洗面脱衣所から出ると、キッチンで香織さんが夕食を作っているところだった。
「シャワーと着替え、ありがとうございました。着替えはクリーニングしてお返しします。」
「あら、いいのよ。ショーツは私のだけど新品だし、そのまま差し上げるわ。デニムは主人のだから、そのまま返してくれれば適当に洗濯するから。」
むう。母娘そろって私よりスリムだと。私はどちらかというと痩せている方だと思っていたが、ちょっとショックだ。
「ありがとうございます。デニムだけ洗ってお返ししますね。」
「晩御飯、まだ食べてないでしょ?今、千弦さんの分も作ってるから。」
「はい、いただきます。」
そういえば、母さんも師匠も今日は帰らないって言っていたな。
後でLINEでもしておこう。
「ただいまー。お、お客さんか?」
キッチンから出て、玄関横の階段を上がろうとしていると、遥香の父親の遙一郎さんが帰ってきた。
「お邪魔しています。遥香さんと同じ学校の南雲です。」
慌ててあいさつすると、遙一郎さんが私の顔をジ〜と覗き込んだ。
「君は・・・琴音さんだったっけ?千弦さんだったっけ?」
「あ、千弦のほうです。姉の。」
遙一郎さんはしばらく考え込むと、小さな声で言った。
「遥香が巻き込んだみたいですまないね。ともあれ、無事でよかった。」
・・・「巻き込んだ」、ね。
魔女が遥香に憑依するきっかけになったのは、この人の願いだったはず。
ならば、大体の事情を知っているのは当然か。
でも、私がそのことを知っていると知った上で話している・・・ということは。
「どこまでご存じなんですか?」
「君が魔術師で、遥香が勘違いして君の左腕を切り落としたことと、おそらくは今日、君が遥香の代わりに教会とやらと戦ったことくらいかな。」
全部じゃねーか。
思わず突っ込みそうになったがギリギリで飲み込んだ。
遥香・・・アイツ、かなり口が軽いな!?
「・・・奥様はどこまでご存じなんですか?」
「香織は何も知らない。今年の3月14日は本物の遥香の命日だが、香織にとっては奇跡のホワイトデーなんだ。くれぐれも、香織には知られないように頼むよ。」
口が軽いわりに、よくもまあ、本物の母親を半年も騙し切ったものだ。
もしかすると、魔法で洗脳でもしているのだろうか。
魔法や術式の気配はなかったが、魔女だ、それくらいのことはできるだろう。
それとも相当演技がうまいのか?
「ええ、私からは一切漏らさないことをお約束します。」
一瞬、これをネタに遥香を脅迫して何かしらの見返りを得ようと思ったが、そういうのは性に合わないし、何より本格的に魔女を敵に回すことになる。
アレと戦うのはもうこりごりだ。
考えただけで生きた心地がしない。
それに、教会の連中とはどうも反りが合わなそうだ。
成績は良いみたいだからそっちの方で役に立ってもらおう。友達としてね。
あ、そうだ。忘れるところだった。
「私も妹の琴音には何も伝えていません。内緒でお願いしますね。」
「ははは。それは難易度高いなぁ。」
まあ、そうだろうな。メガネ以外で琴音と私の区別がついた人間は、遥香が初めてだ。
・・・いや、そもそもアイツ、人間なのか?
遙一郎さんと約束をした後、LINEで母さんと師匠に連絡をすると、「しっかり勉強してこい」というメッセージが両方から帰ってきた。
さすが、姉弟なだけあって反応が同じだった。
それにしてもあの二人、ずいぶん仲がいいな?
「遥香ちゃん—。千弦さーん。晩御飯よー。」
キッチンから香織さんの声が聞こえる。
二階から遥香が降りてきて遙一郎さんを見るなり、かわいらしい声によく似合った口調で言った。
「パパ。ママがご飯できたって言ってるよ。早く着替えておいでよ。ママー。パパが帰ってきたよー。」
・・・は???
私の知っている遥香じゃない。
まるで、小さな子供のような無邪気な声と甘えた口調。
私は思わず、横にいた遙一郎さんの方を見た。
彼はなんとも複雑そうな顔をしていたが、それを映した玄関の姿見には、私もまったく同じ表情をしているのが映っていた。
気づいた瞬間、吹き出してしまった。
・・・やっぱり、アイツは謎が多すぎる。
◇ ◇ ◇
夕食後、食器洗いなどの後片づけの手伝いを申し出たが、香織さんに「お客様なんだから気にしないで」と強く固辞されたので、食事の礼を言い、2階の奥にある遥香の自室に向かった。
正直、魔女の部屋だからといって、暗くて不気味な研究室みたいな空間を想像していた。
参考書や辞書の代わりに、分厚い魔導書がズラリと並んでいたり、怪しげな魔法陣が床に刻まれていたり――。
だけど、実際にドアを開けてみると、そこには私の想像とはまったく違う光景が広がっていた。
壁紙は白を基調にし、ピンクの縁取りがされた家具が整然と並ぶ。ベッドの上にはふわふわのぬいぐるみが並び、ローテーブルの上にはガラス製の小物入れが置かれている。
ははは・・・。女子力でも完全に負けてら。私の部屋なんか。
壁は打ちっぱなしのコンクリートだし、机もクッションもなくて、作業台の上にはレーザー刻印機とか3Dプリンター、部屋の壁には一面ガンロッカーが置いてあるくらいだしね。
・・・まるで工房と武器庫のハイブリッド。
自分で言ってて悲しくなってきたよ。
「何というか・・・。ずいぶんイメージと違うわね・・・。」
「当たり前だろう。この部屋は遥香の部屋であって、魔女の部屋ではないんだから。」
なるほど。もともとこの部屋は、生前の遥香が使っていたもの。
そのままの状態を維持しているだけということか。
ああ、それはそうだ。生前の遥香はどんな性格だったのだろうか。
・・・ん?
部屋の片隅に、コミックが沢山積まれている本棚がある。
それ以外にも複数の単行本がカーペットの上に積んであるのだが、その内容に何か違和感がある。
「・・・マンガは紙派?それとも電子派?」
「断然紙派だな。電子書籍は場所を取らないし価格も抑えられているが、各種特典は単行本を買わないとついてこないのだよ。何より『あれ、あのキャラクタはあの時なんて言ってたっけな?』と思ったときにパラパラとページをめくって探すのは電子書籍ではなかなか難しいからな。それから、古いマンガはそもそも電子化されていないものも多い。有名な・・・。」
遥香がいきなり饒舌になった。師匠が銃の解説を行い始めた時によく似ている。
・・・ここまで第一印象と違う性格の人間とは初めて会った。・・・人間?ぽくはあるなぁ。
「つまりこれはアンタの趣味だというわけね。」
部屋の片隅、窓を開けても直接光が当たらないところに置かれた、木製の飾り気のない本棚に並んだ単行本の一冊を手に取る。
本棚の上にはフィギュアケースがあり、中には魔法の杖を構えた少女のフィギュアが飾られていた。スカートを翻し、今にも魔法を放ちそうなポーズ。
「ふふん。そのフィギュアは100個の限定品でな。ネットで注文が殺到することが分かっていたからな。干渉術式で私以外のパソコンからの注文を遅延させてな。シリアルナンバー1を手に入れたんだよ。」
遥香が薄い胸を得意げに反らす。
それ普通に犯罪だぞ。電子計算機損壊等業務妨害・・・だったっけ?
「この趣味、生前の遥香の趣味ではないでしょう?ご両親・・・香織さんは何か言ってなかった?」
「いや、別に?むしろ喜んでたぞ。」
「そう。それならいいわ。それよりもっと大事な事があるんじゃないの?」
「ああ、そうだった。・・・いや、少し待て。」
突然、遥香が会話を中断して部屋の入口のほうを見る。
「遥香ちゃん、飲み物とお菓子、持ってきたわよ〜。」
ノックとともに、廊下から香織さんの声が聞こえた。
「はぁーい。今開けるよー。」
声色が変わった。
ころっと甘えたトーンに変わるのを聞いて、思わずゾワッとする。
この違和感にはなかなか慣れない。本人、疲れたりしないんだろうか?
「ありがとう。ママ。でも晩御飯食べたばかりだから、お菓子は後で食べるね。」
部屋のドアを開けた遥香は、オレンジジュースの入った大きなペットボトルと氷とストローの入ったグラス二つ、そして京橋駅1番出口を出てすぐの有名店のケーキの箱を受け取り、ローテーブルの上に並べた。
「さて、どこから話そうか。」
遥香が参考書とノートを開きながら、話を切り出した。
「ちょっと待って。本当に勉強するの?」
私は思わず突っ込んだ。
「いや?琴音にノートを貸してくれと言われたから、とりあえず一教科、今から作るんだ。」
「あ、そうなんだ。後で私にも見せてよ。」
遥香は首肯したあと参考書を開き、見たこともない術式を展開して、ものすごい勢いで手書きでノートを作成していく。
「どうした。聞きたいことがあったんじゃないのか?」
手の動きに見とれていると、遥香が顔だけこちらを向けて怪訝そうな声で聞いてくる。
「やりながらでも説明できるのね・・・。」
「ん?ああ、これは術式による自動書記だからな。・・・両手が使えない。千弦、ジュース注いでくれるか?」
「はいはい。」
氷の入ったグラスにオレンジジュースを注ぎ、遥香のノートの横に置く。
「で、さっきの話なんだけど・・・、あなた人間じゃないのよね?」
遥香はストローをくわえ、オレンジジュースを吸いながら、じっと私を見た。
「いきなりひどいことを言うな・・・。私は自分のことを人間だと思っているよ。生まれも育ちもホモサピエンスだ。逆に聞くが、そもそも人間の定義は何なんだ?」
「・・・質問を変えるわ。『魔女』ってなんなの?」
「魔女とは、教会の信徒たちが作った聖典における彼らの神々の敵対者のことだ。一個体の名前であり、すなわち私を指している。」
「・・・魔女は私たち普通の人間とどう違うの?それとも同じなの?」
「『普通』の定義がどういったものかは置いておくとして、お前たち双子と私との違いでよければ説明できるぞ。・・・そうだな。最大の違いは『死なない』ことだな。」
いきなりすごいパワーワードが飛び出した。
死なない?不老不死ってこと?
「死なないっていうのは、どんなケガをしてもすぐ治ったり、歳もとらない、みたいな?」
「ん〜。ちょっと違うな。マンガによくあるような不老不死ではなくて・・・まあ、その気になれば魔法で似たような事もできなくもないが、肉体が完全に滅びても、私という個を構成する要素が消えない、といった感じだな。」
説明している最中も、ノートに記入している手は一切止まらない。
「個を構成する要素?」
「私が私であるために最低限必要な要素、だな。そもそも論なんだが、死とは何か、人間がどの瞬間に死ぬか、考えたことはあるか?」
急に哲学的な話になった。現代の科学では、まだ死どころか、生命の定義もできないんじゃなかったっけ?
「脳死・・・とか?」
「そうだな。魔女の不死性の概念にはかなり近いんだが・・・、例えばある人間が脳死したとき、肉体の外部、例えばコンピュータ上にその人間の脳内の情報をすべてバックアップしておいたデータを、脳だけを人工的に作った新品にして、古い体に戻したらどうだ?これは本人か?別人か?」
「体のほかの部分が本人の物でも、脳が丸ごと入れ替えられているなら、別人じゃない?」
「では、新しい脳の素材がすべて本人の肉体から作られていたら?あるいは、載せ替えた脳は、古い脳をいったん初期化して修理したものだったら?」
「・・・本人の脳をそのまま使ってるんだったら、一度記憶喪失になって、戻ったのと同じなんじゃないかな・・・?」
「では、クローンで培養した脳を使ったら、つまり本人のものではない素材を使った場合は本人のままではない?」
「素材って・・・遺伝子は本人由来のものだし、本人かな?まるでテセウスの船の話をしているみたい。」
「この手の質問に迷っているということはつまり、『死』を定義しようとする時、肉体に準拠して線引きをするしかないと考えているわけだが、それが一般的な人間の考え方だな。」
「アンタは違うの?」
「ああ、私は『死』を記憶データと人格データ、つまり魂が消滅した瞬間をもって『死』と定義している。通常は脳死と同時に揮発してしまうデータだが、常に亜空間上のストレージに保存して揮発を防ぐことができれば、私という存在はなくならないということだな。」
うーん。よくわからないが、亜空間上のデータというのが、魔女の本体なのだろうか?
「そのデータを遥香の体にコピーしたの?」
「コピーとは少し違う。このデータは移動することしかできないんだ。移動元のデータは移動先が消えるまでは二度と動かない。実際、これまで何度も試したが同時に二人以上の私を作ることはできなかった。それに移動先の肉体に、元の人格情報のデータがある程度以上残っていると、はじかれて移動できない。」
なるほど。魔女が死にかけている人間ばかりに憑依するのはそのためか。それと、データは複数用意しておいてバックアップに使うということはできないということか。
「遥香の体を選んだ理由は?女じゃなきゃいけない理由は?霊安室かどこかで新鮮な死体を仕入れたり、自分でクローンか何か作ったりすればいいんじゃないの?」
「私の最初のボディと同年代で、かつ直前まで生きていた体にしかデータが適合しないからだ。クローンていうがな、あれはすでに人格が宿っていることがほとんどだぞ。当然だが、体の動かし方についてのデータも一致する必要があるんだ。死体やタンパク質から構築した肉体はそもそもまともに動作しないし、男の体は構造がかなり違うだろ?・・・ああ、今回に限っては遙一郎に頼まれなければ、この体がそこにあることには気づかなかっただろうがな。」
大体わかった。魔女は自分の記憶と人格データを、脳が死んでも失われないようにしたんだ。そして、サイズの合った古着を着替えるように肉体を着替え続けてきたんだ。
「アンタの本当の名前は?」
「ない。あえていうならば、『三つ目の穴で冬の朝生まれた女』だな。」
「ない?捨て子か何かだったの?」
「いや、時代が古すぎて名前という概念がなかったんだ。あと、『川でたくさん魚を捕る女』なんて呼ばれたこともあったな。」
「・・・アンタ、いったい何歳なの・・・?」
「さあ?5000歳くらいまでは数えたが、そこからは知らん。古すぎて覚えてもいないよ。ああ、当時は土器くらいはあったかな。・・・いや、まだなかったかな?」
どうしよう。藪をつついたら蛇どころか、ティタノボアが出てきた気分なんだけど・・・。コイツ、間違いなく人類最高齢だ。それどころか、下手したら全生物中最高齢の可能性も出てきた!?
「まあ、私は今の名前が結構気に入っているんだ。旅路遥か、って感じで似合ってるだろ?だから、遥香と呼んでくれたらうれしい。」
・・・5000年以上だなんて、はるかどころか悠久の彼方じゃない。それより、そんな昔から魔法ってあったんだ・・・。
「そんな昔から魔法ってあったの?」
「さあ?ほかの穴で生まれた連中は知らんが、物心ついた時には普通に使ってたよ。はっきり覚えてはいないが、さわっただけで色々な知識や力が手に入るでかい石板が穴の近くにあってな。多分そのせいだろう。」
…なんだそれ?そんな話聞いたことないぞ?
「ふう、話を変えるわ。魔女の魔力って相当でかいのよね?」
「ああ、そうだな。魔力総量だけなら君たち双子より・・・10桁くらいはでかいかな。いろいろと食ってきたしな。」
なん・・・だと・・・千倍や一万倍ぐらいは覚悟していたけど・・・十億倍だと・・・?
魔術師や魔法使いになりたての初心者によく勘違いされるのだが、魔力は寝ても回復しない。
何かを体に取り入れて、例えば食事などをするときに、栄養分の一部を魔力として摂取することにより、魔力を回復するのだ。
だから、満腹になってしまうとそれ以上魔力を摂取することができないし、逆に食べたものをすべて魔力として摂取してしまうと餓死してしまう。
つまるところ、人間が一生の間に、体に取り入れられる魔力には限度というものがあるのだ。
「なんでそんなに魔力がでかいのよ・・・。」
「質量を魔力に変換する術式ってのがあってな。自分の体の中にあるものだけが対象だが、E=M×C二乗、ってやつだな。でも変換に失敗するとかなり危ないから教えてはやらんぞ。」
「化け物・・・。」
「ああ、勘違いしないでくれよ?でかいのは魔力総量だけだ。さっき言ってた亜空間にジャブジャブと保存し続けているだけだからな。一度に使える魔力量は、せいぜい君たちの千倍ってところだな。」
どちらにしてもスケールが違いすぎて気分が悪くなってきた。
◇ ◇ ◇
「さて、一教科分のノートの作成も終わったし、片腹すいてきたころだ。香織が持ってきてくれたケーキでも食べるか。」
出来立てのノートをパンっと閉じた遥香の両手の小指側が黒く汚れている。
「遥香、手、洗ってきたら?鉛筆の粉で真っ黒だよ?」
「おお、気づかなかった。すまんすまん。ところで千弦、トイレは大丈夫か?」
「・・・お借りするわ。」
ふと時計を見ると、短針は11と12の間を指していた。
緊急連絡網やLINE、そして高校の連絡掲示板では、まだ授業再開の連絡は来ていないので明日も休校だろう。
二人で一階の洗面脱衣所に降りると、ご両親はもう寝る準備をしていた。
香織さんが来客用の歯ブラシとヘアブラシのセットをくれたのでお礼を言って受け取る。
そういえば、今日、琴音にお泊りセット一式渡しちゃったんだよな。
あ、まだケーキ食べてないや。後で歯を磨きにもう一度降りてこよう。
・・・部屋に戻ったら、遥香が布団を敷いてくれてあって、あわててケーキを食べたよ。
うん、銀座の有名店だもんね。とってもおいしかったよ。