249 戦争の足音/いろんな意味で。
南雲 千弦
東京都西東京市 南雲家
8月15日(金) 午後1時
夏休みもあと2週間程度になってしまった。
前半は結構遊んでしまったし、後半も家族旅行が控えているので、毎日が勉強会で忙しい。
もちろん、今日も勉強会の予定だ。
リビングを片付けていると、人をフヌケにするクッションの上で丸くなっていた二号さんが、そそくさと二階に逃げていく。
今回参加するのは、私たち二人以外は仄香(遥香)、咲間さん、理君の三人だ。
まあ、仮想空間でやるからリビングではみんな揃って横になるだけなんだけどさ。
「姉さん、この前の模試の成績はどうだった?」
「ん~。第一志望でA判定は出てるよ。琴音は?私と同じ学部だっけ?」
「うん。私もA判定は出てるね。それより理君、本気で同じ大学を目指すの?」
「あ~。うん。そうみたい。でも判定はBとCの間を行ったり来たりだから、もうちょっと頑張ればなんとかなるんじゃないかと思うんだけど・・・。」
あの合宿の後、理君も仄香の勉強会に参加してるんだけど・・・少し勉強の範囲が違うから仲良く同じ問題を解いて・・・なんてことができてないんだよな。
いっそのことカンニングでもさせようかと考え始めたころ、玄関のチャイムが軽やかな音を立てる。
「はーい!今行くよ!」
琴音が玄関に走っていく。
元気だねぇ・・・と思いながらリビングのテレビを消そうとすると、そこには終戦80年の特別番組で、「いまだに残る終戦の謎」という、陰謀論的な番組が流れているところだった。
「・・・御覧の通り、大本営は沖縄上陸戦を経て、いよいよ本土決戦に備え、戦艦大和、軽巡洋艦矢矧、他、駆逐艦八隻からなる天一号作戦を発令しました。」
・・・ああ、あれか。
予想されていた米軍の攻撃がなくて、不可能と思われていた作戦が成功した、って話か。
「・・・一連の作戦は天号作戦と呼ばれ、陸軍と海軍で考えに相違があったようですが、いずれも沖縄を要衝と考えており、坊ノ岬沖で少数の魚雷を受けた戦艦大和は、速力が低下したものの、そのまま那覇沖に至り、座礁して即席の要塞となり・・・。そして奇跡の武勲艦、雪風の護衛の下、複数回にわたり夜陰に紛れて補給を受け・・・。」
画面には那覇・沖縄戦記念公園が映し出される。
いまだに座礁したままになっている戦艦大和は、周りをコンクリートで埋め立てられ、人工島になっている。
今では、沖縄の数少ない観光地の一つになっているのだ。
・・・よし、大学受験が終わったら行ってみようか。
長距離跳躍魔法でも行けるし、聞いた話ではジャッキアップして艦は水平になっているとか、内装は完全に修復されてサイダー工場や羊かん工場まで稼働しているという話だし・・・。
「この時期、米軍では原因不明の艦隊喪失が相次いでおり、いまだにその原因は・・・。」
・・・そう、これ・・・確か米軍が戦艦大和を含む日本の最後の艦隊が沖縄に向かうのに、何か別のものと戦っていたせいで十分な戦力を振り分けることができなかったとかいう・・・。
テレビの中のスタジオが暗くなり、重い音楽が流れ始めたところで、鈴の鳴るような声が後ろから響く。
「あら。天一号作戦ですか。ちょうどその時期だったかしら。紀一を殺した潜水艦や空母部隊を狙って半年近く暴れていましたから・・・。」
気付けば仄香が、遥香の身体でひょいっと顔を出している。
「え?まさか、あの時代の米軍相手に一人で戦ってたの?いや、出来なくはないだろうけど・・・。」
「いえ、艦隊相手だと光撃魔法の精度が足りなくて困ってたんですよね。ジェーン・ドゥの身体になるまでは二重詠唱が使えなかったから、戦艦や巡洋艦相手に近接戦闘をするのは結構大変でした。かといって一発で沈めちゃうと乗組員の中に子孫がいる可能性もあって・・・。」
相変わらずスケールがでかいな?
まあ、世界最強の米軍が魔女の戦力を抑止力に組み込んでるくらいだからな。
気付けば私たち以外はいつもの位置につき、仄香の術式が発動できるよう、身体を倒している。
「と、とにかく、勉強会を始めようか。・・・あ、理君!こっちに座りなよ。どうせ仮想空間でやるんだし、横になるのは私の隣でさ。」
リビングの中をきょろきょろと見まわす理君の腕を取り、床に敷いたマットの、私の隣に座らせる。
スリムな体型なのに筋肉質な腕。
何度も私を抱きしめた、温かい胸。
勉強前だというのに跳ねる胸の鼓動を押し殺して、みんなと一緒に仮想空間に入っていったよ。
◇ ◇ ◇
時間にして4時間くらいだろうか。
かなり濃密な時間を過ごして仮想空間から戻ってくる。
「ふう、よく勉強した。理君、どうだった?」
「・・・ずっとこういう勉強方法をやってたのか。俺、マジで自信なくなってきた。」
理君はすっかり自信がなくなってしまったようだ。
でも、見ている限りでは一度やった問題は間違えてる様子はないんだけどな?
秋ごろまで同じ方法で勉強を続ければ、きっと同じ大学に行けますよ、と言う仄香の言葉を信じ、キャンパスライフを夢想していると、琴音が思い出したように声を上げた。
「ねえ、仄香。そういえば理君に記憶補助術式は教えてあげないの?あれなら悪用もできないし、なにより理君なら信用できるし。」
「ああ、そうでしたね。皆さん、普通に記憶補助術式を使っているから失念していました。理君。どうします?必要な魔力は私が供給しますよ?」
理君は一瞬だけ目を丸くしたけど、すぐに記憶補助術式を使いたいと言ってくれた。
でも・・・ちょっとだけ、私もわがままを言わせてもらって、理君の記憶補助術式の魔力は、私が込めることになったよ。
昼過ぎからずっと勉強をしていたので、そろそろおなかがすいてきたな、と思ったところで、キッチンからひょいっとエルが顔を出す。
「ん。みんな起きた。もうすぐ晩御飯ができる。手を洗って席について。」
気付けば、キッチンからはふんわりと美味しそうな匂いが・・・う、匂いに気付いた瞬間、ものすごくおなかが空いてきたんだけど!?
「ああ、今日はウナギですか。これは国産?」
「ん。浜松の。宗一郎が持ってけって。夏バテ防止。」
キッチンを覗けば、妙にでっかい俎板と目打ち、そして見覚えのない鎌型の薄刃包丁・・・まさか、ウナギを裂くところからやったのか!?
そして、台所に置かれた七輪?・・・なんだありゃ?
「あら、グローリエル。もしかしてそれも隠れ家から持ってきたの?重かったでしょう?」
「ん。ウナギはこれで焼くのが一番。ハイパワー。」
七輪のようなものの中では、真っ赤な魔力結晶が熱を放っていて・・・。
「ぅおおい!?なんてモノでウナギを焼いてるのよ!そ、それ、魔力結晶じゃぁ・・・!」
キョトンとするみんなの目が、私に向いている。
理君は知らないからいいけど、琴音も咲間さんもあれがなんだか知っているでしょうに!
「姉さん。ほら、仄香がすることだから。気にしたら負けかな。」
「ぐ・・・いいわ。エル!ウナギはたくさんあるんでしょうね!?今日は思いっきり食べるわよ!」
「ん。食べきれるか勝負。」
気付けば、目の前には大量に重ねられた重箱。
う・・・勝負する相手を間違えたか。
そうそう、ウナギは大変おいしゅうございましたよ。
ゲフ。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
今日も一日勉強が終わり、おいしいウナギを食べてみんな帰っていった。
お母さんも満足げで、「エルちゃんにはもっと来てほしいわね。あのバカ兄貴にはもったいないほどのお嫁さんだわ。」と言っていたよ。
・・・バカ兄貴って・・・それ以前にエルちゃんって・・・下手するとお母さんの三倍くらい生きているんですけど・・・。
残ったウナギ、いや、数食分残ったウナ重は、重箱のまま仄香が停滞空間魔法をかけてくれたよ。
夜、少し遅くなったころにお父さんが紫雨君をつれて帰ってきたから、解呪して二人に出してあげたらすごく喜んでくれた。
ホカホカ出来立てのままだったよ。
「ふわあぁぁ・・・眠くなってきた。そろそろ寝ようか。」
姉さんが洗面所から出てくる。
もう歯を磨いたのか。
さっきお風呂に入ったばかりだと思ったのに。
「今日も平和だったね。あの『サン・ジェルマン』とかいうのが気になるけど、せめて大学入試が終わるまでは平和でいて欲しいかな。」
私の言葉に一瞬立ち止まった姉さんは、ギギギ、という感じで首を回し、私にジト目を向ける。
「琴音。でっかいフラグを立ててくれちゃって。・・・ま、あの事件の後、教会の残党には魔法協会と魔術結社が連名で懸賞金をかけたり、日米英豪がそろって国際指名手配にしたりと対策はしてるから一応は大丈夫だと思うけど・・・琴音もしっかり気を付けておいてね。私たちにできることなんてたかが知れてるんだから。」
うん、と答えかけて自分にできることって何だろうかな?と首をかしげているうちに、姉さんは自分の部屋に入って行ってしまった。
「お休み~!」
ドア越しに姉さんの声が聞こえる。
私もそろそろ寝なきゃ。
あ、紫雨君がまだ下にいるんだっけ。
お休みのキスだけしてこようかな。
◇ ◇ ◇
夜が明けて、ベッドの上でむっくりと起き上がる。
夏休み中でも規則正しい生活をしなけりゃ、と目覚まし時計をいつも通りにセットしているんだけど、授業がなくて緊張感がないせいか、起きるのがつらい。
顔を洗おうと思って廊下に出ると、なんだか階下が騒がしいことに気づいた。
階段を下りながら声をかける。
「姉さ~ん。何かあったの?テレビの音?」
返事を聞く前にリビングに下り、ひょいと顔を出すと、そこにはテレビの画面に見入っているお父さんとお母さん、そして姉さんがいた。
あ、二号さんもか。
人をフヌケにするクッションの上で丸くなってるから気付かなかったよ。
「あ!琴音!今ニュースで大変なことになってるんだよ!」
姉さんの声に従い、テレビの画面を注視する。
「・・・中継です!ご覧ください!こちら、セネガルの首都ダカール上空です!魔女事変において東側陣営に与した国家が壊滅的打撃を被ったことは記憶に新しいですが、セネガルは中立的立場を崩しませんでした!ですが!大地が赤く染まっています!比喩でも何でもありません!まるで絵の具をぶちまけたように!赤・・・。」
ヘリコプターに乗っているリポーターがそこまで言うと、突然カメラがひっくり返り、中継がつながったままヘリコプターはその制御を失う。
「新垣さん!?・・・映像が途絶えました。何があったのでしょうか?心配です。日本政府は外務省を通じてセネガルに邦人の安否情報を確認していますが、現在情報はありません。続きまして、シエラレオネのフリータウンの特派員、香川さんです。香川さん、聞こえますか?」
「・・・はい!こちらフリータウンは軍隊が出動し、戒厳令が敷かれました!ガンビア、ギニア、モーリタニアの支社とはいまだに連絡がつきません!いずれも魔女事変において中立を保った国です!ですがニジェール、チャド、中央アフリカなど、魔女事変において東側及び『教会』に理解を示した国家は今のところ異常は認められておりません!」
シエラレオネの特派員の肩越しに、何か赤い光が見えたような気がした瞬間、映像はスタジオに戻ってしまった。
あの赤い光・・・例の人工魔力結晶抽出時の光によく似ているような気が・・・。
それに、一瞬だけカメラに映ったリポーターの姿・・・ハナミズキの家でバタバタと倒れた子供たちと、同じ感覚があった。
「姉さん、これって・・・もしかして?」
「うん。まだ全然終わってないみたいだね。多分、教会・・・いや、サン・ジェルマンが何か企んでる。」
「よし、今日の勉強会は午後からだったけど、仄香に確認しよう。」
最近は完全につけっぱなしになった念話のイヤーカフを使い、仄香に念を飛ばす。
《・・・はい、琴音さん?どうかしました?》
《ニュース、みた?ええと、NHK。ほかの局も特番でやってる!アフリカの・・・ええと、セネガル?ギニア?なんか大西洋岸の国で異常が起きてるって!》
《・・・確認しました。これは・・・確かに異常事態ですね。何者かが大量に人工魔力結晶を抽出している?それにしてはあまりにも規模が大きすぎる。今すぐに向かいます。》
え?直接行くの?と思った瞬間、念話に姉さんが割り込んだ。
《ちょっと待って!・・・仄香。念のために確認するけど、あの時、仄香が滅ぼしたアフリカの国を挙げてみて。覚えている限りでいいから。》
《完全に滅ぼしたわけでは・・・私がその全土を対象に報復したのは参戦を表明した南アフリカ共和国、エジプト、リビアの三カ国だけです。何か不自然なことでもありましたか?》
《・・・くそ!やられた!》
うん?
それと今回の件がどう関係してくるんだろう?
《千弦さん。もしかして・・・。》
《そう、前回の・・・いわゆる魔女事変の被害者数よ。いくらなんでも20億人は多すぎない?っていうか、アフリカ諸国でほかにも滅んだって言われた国たくさんあったじゃない。》
《そう・・・ですね。考えてみればエジプト、リビア、南アフリカ共和国以外の直接参戦していない国のほとんどは、政府機能がある首都しか襲っていませんでした。なのに国が滅びているって、脆弱すぎるとは思っていたんですが・・・。》
う~ん?
あ、もしかして。
《教会が、何らかの理由で仄香のせいにして・・・おそらくは人工魔力結晶を集めてるのよ。仄香。何か心当たりはない?》
《教会にとって人工魔力結晶の量は戦力に直結するでしょうし、かき集めるのは分かるような気もしますが・・・自然揮発分を考えると、あまり割に合わない気もするんですよね。揮発しない高圧縮魔力結晶を作る技術は紫雨くらいしか持っていませんし。》
・・・もうちょっとで何かが出てくるような気がするんだけど。
《とにかく、これ以上人間を魔力結晶にされるのはまずいよ。それにいつ同じことを都心でやられるか分からないんだし。》
《・・・わかりました。仕方がありません。明日以降の勉強会はシェイプシフターに任せます。私は各国に人工魔力結晶抽出装置を無効化する術式を配布します。しばらく留守にするので身辺に気を付けてください。》
何かが頭の中でまとまりそうでウンウン唸っているうちに、仄香と姉さんは話をまとめてしまった。
もうちょっとで何かを思いつくところなんだけど・・・。
・・・って!ええぇ!?
二号さんに勉強を教わるの!?
「フンフ~ン。今日の朝ごはんはとっておきの高級猫缶デス~!いつものカリカリと合わせたラ~。」
いつの間にか襟周りや裾がダルダルになったパジャマを着て、ぼさぼさ髪のまま二階から下りてきた二号さんを見て、思わず目を丸くしてしまったよ。
◇ ◇ ◇
午後になり、いつものメンバーが集まる。
遥香、咲間さん、理君。
みんなそれぞれの自宅からかなりの距離があるんだけど、毎日通ってくれる。
やっぱり仄香の勉強会はすごくわかりやすいから・・・。
でも、今回は二号さんが講師なんだよね。
・・・大丈夫、かなぁ・・・。
大学受験は戦争なんだけど・・・。
私の心配をよそにいつも通り、仮想空間で講義が始まる。
「琴音?なんでそんなに身構えてるのよ。」
「・・・だって二号さんが講師なんだよ?どんな授業になるのか・・・。」
心配していると、仮想空間に作られた教室の中で二号さんが教壇に上がる。
よりにもよって遥香の姿で。
「あれ?遥香っちの姿?ジェーン・ドゥさんの身体じゃないんだ。」
咲間さんがびっくりしている。
あ、理君もだ。
ま、まあ、仮想空間なんだから、どんな姿でも問題ないんだろうけどさ。
心配をよそに授業は進んでいく。
・・・思いのほかわかりやすいな!?
いや、二号さんの説明、数学も英語もヤバいくらいよくわかるんですけど!?
あまりにもスムーズに流れていく授業と、理君や姉さんの質問に的確に答えるその姿に、思わず彼女・・・じゃなかった、彼の日頃の姿を重ねて苦笑いを浮かべてしまったよ。
・・・もしかして二号さんが替え玉受験したら、どこの大学も簡単に合格するんじゃないだろうか、と。
・・・・・・・。
四時間の講義を終え、我が家のリビングに復帰する。
理君と咲間さんは気付いていなかったみたいだけど、さすがに遥香だけはアレが仄香ではないことに気づいていたよ。
仮想空間で作った全員のノートのコピーが、我が家のリビングのプリンターから出力されている。
自分の分を取り、持参したカバンに入れて三人は帰っていった。
「どうしマシタ?琴音サン。鳩が豆鉄砲を食ったヨウナ顔をシテ。なにかボクの講義で変なトコロがありマシタカ?」
「まったくないから驚いてるのよ。普段、人をフヌケにするクッションの上で丸まってたり、夜通しドラクエをやってたりする人があんなに頭がいいなんて思わないじゃない。どちらかというとただの愛されキャラだと思ってたわ。」
キョトンとしている二号さんの横で、姉さんがクスクスと笑っている。
・・・もしかして姉さんは知ってた?
「やだなあ、琴音ったら。二号さんといえばSL9の迎撃とかで一瞬で座標の計算をしてたじゃない?それに世界中で様々な人種に変身しなきゃならないんだよ?数学とか語学とか、完全に実用レベルだよ。」
「う・・・そういえばそうだった。でも・・・不思議なのよね。そういうのって精神世界で勉強できたりするの?それに、シェイプシフターってかなり新しい存在だと思ったけど?」
そう、シェイプシフターという存在・・・怪異は決して古くない。
むしろつい最近、生まれた概念ですらあるのだ。
「ウ~ン。困ったナ。ボクはそう在るだけデ、自分の意志でそう在ろうとしてイル訳ではないんデスケド・・・デモマア、数学だけは頑張りマシタネ。語学のほうハ・・・いつの間にか使エルようになってマシタケド。」
「なにそれ。羨ましいんですけど?」
遥香の姿でポリポリと頭を掻く二号さんを見て、一瞬そう言ったけど、いつの間にか私たちは、彼を挟んでケラケラと笑っていた。
◇ ◇ ◇
久神 遥香
今日からしばらくの間、勉強会は仄香さんではなく二号さんが講師をやるようだ。
ほんのちょっとだけ心配になって仄香さんに聞いてみたら、二号さん・・・つまり、シェイプシフターという存在について詳しく説明をしてくれたよ。
記憶補助術式があるから全部理解できたけど、いくつか興味深いものがあった。
まず、一度でも見たことがあるモノにしか変身できないこと。
・・・でもこれ、すごく範囲が広いんだよね。
仄香さんによれば、直接本人に会っていなくても、写真でも映像でも構わないんだって。ただ、全身が写っている必要はあるらしいんだけど。
一応は身長と体重の下限・上限があるのと、他の眷属には変身できないという制限があるそうだ。
次に、その人の肉体に由来するものを完全にコピーできるらしいこと。
これは特に驚いた。
だってオリビアさんをコピーしたら、オリビアさんと同じ力が出せるってことらしい。
すごいじゃん!
素手で25セントコインを四つ折りできたりするんだって!
まあ、あくまでもフィジカルで格闘センスとかダンスの上手さは全くダメらしいんだけど。
夕食の少し前に家につき、ただいまと言ってからハッと気づく。
そういえば、昨日からママはお腹の張りが原因で管理入院が始まったんだっけ。
宗一郎さんの紹介で琴音ちゃんや千弦ちゃんが入院していた向陵大学病院に入院することになったんだ。
新生児集中治療室があるし、いざというときには仄香さんが飛んでいくから心配はないって話だったけど・・・明日、勉強会に行く前に寄ってみようかな。
しん、とした家の中が、とても広く感じてしまう。
「誰もいない家って結構寂しいんだよね。・・・私が死んだと思っていた間は、ママも寂しかったんだろうな。ママやパパを危険な目に合わせないためとはいえ、やっぱり正しい判断じゃなかったのかなぁ・・・。」
珍しく一人になった瞬間、四方から漠然とした不安が襲い掛かる。
そうだ、私はいつも誰かと一緒にいたっけ。
家にはママが必ず待っていてくれたし、最近は仄香さんが一緒にいてくれる。
それに、学校では琴音ちゃんや咲間さん、千弦ちゃんがいつも一緒だ。
そこまで思いが至った瞬間、不意に、ローザンヌから長距離跳躍魔法で帰ってきたときに私を後ろから抱きしめていた千弦ちゃんの・・・細いながらも力強い腕のことを思い出す。
細くて逞しい腕。ふわりと香る石鹸の匂い。
キリリとした目。迷いのない声。そして、優しい口元。
・・・どうしたんだろう?
胸がドキドキする。
頭の中が千弦ちゃんのことで一杯だ。
・・・なんだろう、この感情は。
胸の高鳴りと、下腹部の甘い疼き。
千弦ちゃんの家で、二号さんはいつも私の姿でいるらしい。
ということは、千弦ちゃんはいつも私の姿を見て・・・。
誰もいない部屋の中で、私の右手は自然とスカートの中に伸びていた。
◇ ◇ ◇
玄関のほうでガチャっと音がして、続けて「ただいまー」という声が聞こえる。
・・・パパだ。
慌てて飛び起きると、家に帰ってきてからかなりの時間が経過していることに驚いてしまった。
どうしよう、晩御飯、何も支度してないよ!
・・・うわ、下着とスカートがベチャベチャだ。
私ったら本当に何をやってるんだろう!?
「遥香、帰ってるのか?・・・明かりはついてないし、食事の支度も・・・してない。ということは誰かの家で夕飯をごちそうになっているのかな?」
パパは独り言を言いながら二階に上がってくる。
慌てて汚れたスカートと下着を交換して廊下に飛び出すと、ちょうど部屋の前でばったりと鉢合わせをしてしまった。
「あ・・・おかえりなさい、パパ。ええと、これはね・・・。」
パパは無言で私の部屋をちらりと見た後、ふう、とため息をついた。
・・・シーツがぐちゃぐちゃになっている。
「・・・眠ってたのか。まだ身体に戻りたてで完全でもないのに、大学受験やら香織の妊娠やらでかなり疲れているんだろう?今日は外食にしようか。それと・・・電気代を気にしないでエアコンを使いなさい。汗だくじゃないか。」
・・・よかった、寝汗だと思われたんだ。
変なにおい、しなかったかな?
さすがに何をしていたかをパパに知られたら、明日からどんな顔をして会えばいいのかわからなくなっちゃうところだったよ。
急いで着替えた後、汚れ物を洗濯機に放り込んでから顔を洗う。
・・・洗面台の鏡に映る顔が、ほんの少し上気している。
「・・・はあ。千弦ちゃんが男の子だったらなぁ・・・。」
我ながら何を言ってるのか分からないけど、こんなことはだれにも相談できない。
いや、仄香さんならもしかすると・・・。
・・・ダメ。
仄香さんに変に思われたら、もう立ち直れないような気がする。
「着替えたか?今日は何を食べようか。」
パパの声が聞こえる。
もうすぐ弟と妹が生まれるのに、こんなんじゃだめだ。
もっとしっかりしていかないと。
◇ ◇ ◇
久しぶりに仄香さん抜きの二人だけの食事ということで、パパはかなりお高めなレストランに連れて行ってくれた。
メニューには値段が書いてないし、広い部屋の中で一つしかないテーブルに、ウェイターさんが直立して待機してるようなお店だ。
「この店は香織にプロポーズするときに使ったんだが、まさか娘と食べに来ることができるとはな。元気に育ってくれて何よりだ。」
「ねえ、パパ。突然こんなにすごいお店に連れてくるなんてどうしたの?今日って何か特別な日だっけ?」
パパはワインを口にすると、にやりと笑いながら言った。
「おまえ、好きな相手ができただろう?剛久君の時よりも本気と見た。違うか?」
「えっ!?そんなこと!・・・なくは、ないんだけど・・・。」
好きな人、と言われて千弦ちゃんの顔が頭の中一杯に浮かぶ。
・・・どうしよう。
女の子、同士なんだよ・・・。
私にそんな趣味なんてなかったのに。
「話してみなさい。もしかして相手は他に彼女とかいるのかな?それとも年上だったりするのか?何、心配はいらない。遥香のことだ。選んだ相手に間違いはないだろう。パパの知っている相手かな?」
「・・・ちゃん。」
「どうした?もしかして年下なのか。」
「私が好きなのは、千弦ちゃんなの。・・・パパ。どうしよう。私、どうしたらいいと思う?」
言ってしまった。
言葉に出して言うと、はっきりと自分の気持ちがわかってしまう。
そう、私は千弦ちゃんのことが大好きなのだ。
千弦ちゃんが男の子だったら、なんて言ったけど、女の子でも千弦ちゃんを愛してると気付いてしまったのだ。
私の言葉にパパが目を丸くしている。
すると、テーブルの横に控えていたウェイターのお兄さんがパパに近寄り、そっと耳打ちをする。
「すまない。・・・そうだな。君は席を外してくれるか。」
部屋を出ていくウェイターさんのチラリとした視線と、目が合ってしまった。
言いようのない恥ずかしさが全身を駆け巡っていく。
「・・・遥香。千弦さんのどこを好きになったんだい?」
それに気づいたのか、パパは私の羞恥心を断ち切るような穏やかな声で、私を落ち着かせた。
「・・・千弦ちゃんは、・・・優しくて、どんな時でも明るくて面白くて、どんな相手でも立ち向かって、どんな時も迷わないで冷静な答えを出すの。それに自分の判断を後悔したりしないの。・・・もちろん、失敗したときはちゃんと反省するし、忘れることもない。一時の感情に流されることもないし、だからと言って誰かの感情を無視することもない。いつも努力してるし、天才なのに偉ぶらないし、何より周りの人をすごく大事にするの。・・・だから、千弦ちゃんはすごいの!」
言葉を並べてみて、自分の中の気持ちが彼女に向いているのがはっきりわかる。
千弦ちゃんを見ていて危ないな、と思ったことはあるけれど、それも含めて好きになってしまっている。
「・・・そうか。どうやら本気なんだね。それで、遥香はどうしたい?パパができる限りの協力をしてあげよう。」
・・・でも、千弦ちゃんには理君という彼氏がいる。
琴音ちゃんと紫雨君がああいうことをしているように、千弦ちゃんも彼とそういうことをしているかもしれない。
胃に煮えた鉛が落ちるような感覚に襲われる。
・・・嫉妬。
信じられない。
私は嫉妬をしている。
「パパ。ごめんなさい。私、どうかしてる。千弦ちゃんは女の子なのに、その彼氏に嫉妬してる。どうしよう、私、おかしくなっちゃった。」
「・・・恋は、いつも戦争なんだ。そりゃ、失恋したぐらいじゃ人は死なないっていうけれど、パパはそうは思わない。心のどこか、大事なところが死ぬんだよ。だから、後悔しないように戦いなさい。・・・大丈夫。ママの心を見事射止めたパパの娘だ。遥香が本気を出したら好きになってくれない相手なんていないよ。」
パパはそう言いつつ、左腕にはめた抗魔力増幅機構をそっとなでる。
私の本気・・・。
いけないと思いつつも、千弦ちゃんが作った抗魔力増幅機構・・・あれがなければ、私の魅了魔法と千弦ちゃんの抗魔力・・・どっちが上なんだろうと黒い感情が沸き立つのを抑えられなかった。
◇ ◇ ◇
仄香
アフリカ西部で起きている問題に対し、日本の外務省や国防省、アメリカの大使や国防総省に助言を得て、急遽、人工魔力結晶抽出装置に対する妨害術式を組み、世界各国に配布する目途が立った。
事態が発生してから僅か半日で各国が術式の受け入れを表明したのだ。
・・・各国とも相当慌てているようだな。
今回作成する術式は、人工魔力結晶抽出装置の出力を逆利用する形式だから、起動用の魔力は一切いらない。
だが、解析して悪用される恐れがないわけではない。
そもそも人工魔力結晶にかかわる技術だ。
下手に解析されれば何に使われるか分かったものではない。
そこで、紫雨の協力を仰ぐことにしたのだが、彼は魔術については恐ろしい才能を持っているんだよな。
・・・実際、この世界で使われている魔術は、その基礎技術はすべてノクト・プルビア一世が打ち立てた基礎理論から外れていないのだ。
我が息子ながら素晴らしい才能だ。
千弦と二人で研究所を作ったら、できないことなんてないかもしれないな。
国立駅で降り、しばらく歩くと紫雨の住むアパートが見えてくる。
宗一郎殿に用意してもらったらしいが、琴音と結婚したら手狭かもしれない。
もし引っ越すなら、星羅は私が引き取ればいいか。
などと考えつつ、ドアチャイムを押すと、中から念話が聞こえてきた。
【紫雨。姉さんが来たようです。スマホから手を放しなさい。】
「あ、ちょっと待って。あと一言だけ送るだけだから。」
・・・すっかり現代に染まっているようだ。
LINEの相手は琴音だろう。
少し間をおいて玄関が開き、物が少ない家に招き入れられる。
「こんばんは。もしかしてお邪魔だったかしら?」
「だ、大丈夫だよ。琴音さんには母さんが来たから、LINEの返事が止まるってちゃんと伝えたし。」
・・・やっぱり相手は琴音か。
ちょっと拘束しすぎじゃないか?
「ほどほどにね。あのバカ男の真似だけはしないように。・・・それでね、さっき伝えた術式なんだけど・・・。」
紫雨は血統でいえば、あのバカ男に一番近いのだが・・・性格はまるで違うから心配はないだろう。
「あ、いや、なかなか琴音さんの返信が途切れなくて。術式の方は準備できてるよ。ええと、暗号化は流動性暗号術式と言って・・・。」
拘束してるのは琴音の方か?
実際、LINEはどのタイミングで終わるかが難しいものではあるからな。
六畳間に置かれたローテーブルには、すでに術式を書き込んだ紙が無数に置かれている。
それらの説明を受けながら、その横顔に空に消えた時のあどけなさをほんの少しだけ感じ、思わず顔が綻んでしまったよ。
・・・・・・。
途中休憩をはさみながらも、あっという間に人工魔力結晶抽出妨害術式が完成する。
名前が長いのはそのうち何とかするとして、まずはテストを・・・。
「母さん、どうしたの?」
「困ったわ。試験稼働したくても内容が内容だけに試験なんて行えない。・・・どうしようかしら?」
「う~ん。人工魔力結晶抽出の対象は人類だけだし、まさかモニターを募るわけにはいかないし・・・だれか極端に霊的器質が頑丈な人でもいれば・・・それこそリッチクラスのアンデッド・・・う~ん?」
まあ、理論上は完全に動作するはずなのだ。
紫雨を信じるしかないだろうな。
【・・・私の霊的基質なら、人工魔力結晶抽出術式くらい屁でもないんですけどね。】
・・・星羅が何か言ってるが、聞こえないことにする。
っていうか、お前は仮にも元女神だろう。
そもそも魂の在り方が違いすぎて試験にもならないよ。
対人の人工魔力結晶化術式程度で倒せるならイスでも京畿道でも私は苦労してないって。
いや、倒さないでよかったけどさ。




