24 再襲撃2/聖釘の誤謬
9月23日(月)
久神 遥香
病室で琴音の相手をしながら、千弦に張り付けた追跡術式の痕跡を追う。
どうやら、この大学病院から一駅ほど離れたところにある大規模な都市公園に向かっているようだ。
「遥香ぁ。私、入院してるから授業遅れちゃうかもしれないの~。だから、休んでいる間のノート見せてくれない?」
琴音が猫なで声で私のノートをねだってくる。
・・・そもそも魔女なんて存在がなければケガをすることもなかっただろうしな。
仕方ない、見せてやろう。
「ノートを作るのは得意ではないのですが、それでもよろしければ。明日から毎日コピーをお持ちしましょうか?」
「やふー!転入試験全科目満点の優等生のノート!これはもう家宝ですよ!」
「原本は差し上げませんよ。コピーだけですって。」
琴音がベッドの上で踊り狂っていると、彼女のご両親らしいお二人が目を丸くしている。
「え?あの高校の転入試験で満点取ったの?」
なんだろう。父親っぽい人のほうが悪だくみをしているような顔をしている。
まあ、体育以外の科目であれば何とでもなるのだよ。
お、追跡術式の聖釘の反応がさらに強くなった。
二本目の聖釘を持った連中が千弦に接触したか。
よし、そろそろ行こう。
「あまり長くお邪魔してもご迷惑でしょうし、私はそろそろお暇しますね。」
そういって席を立とうとすると、琴音がスカートの裾をつかんで離してくれない。
「えー。今日はお泊まりしていってよ~。」
パコっという小気味いい音が響き、琴音が頭を押さえている。母親に後頭部を叩かれたようだ。
「馬鹿なこと言わないの。久神さん、今日はありがとうございます。馬鹿な娘ですがこれからもよろしくお願いします。」
「いえ、私こそ転校してからずっとお世話になってしまって。こちらこそよろしくお願いします。」
名残惜しそうな琴音に手を振り、病室を後にする。
◇ ◇ ◇
幸い、追跡術式の生命反応は力強く反応しており、命にかかわるような大ケガや、体に直接聖釘を撃ち込まれた様子もない。
とはいえ、油断はできない。
病院のロビーを出たところで、千弦が戦っているであろう現場へ向かうため、複数の術式を起動する。
「術式束1307499を発動。」
不測の事態に備えて、普段使用している魔力隠蔽と認識阻害に加えて、直感鋭敏化と物理防御の術式を弱めにかけておく。
身体強化とフェイルセーフは使わない。
ここからだと千弦がいるところまで20分くらいか。
周囲に教会の連中の気配はないが、聖者の衣のような遺物がまだ残っている可能性がある以上は、魔力消費の大きな魔法は使えない。
・・・まったく、燃やし尽くしたと思って油断してしまった。
長距離跳躍魔法ならば、大した魔力消費でもないのだが、あれは一度行ったことのある場所にしか跳躍できないのだ。
「この体、一体どれだけ病弱なんだ・・・。」
たかだか20分程度の道のりを小走りに歩いただけで、動悸と息切れが止まらない。術式の併用なしでは歩くこともつらくなってくるとは。
元の持ち主には悪いが、終わったらすぐにカスタムする。
今夜は魔改造の夜だ。
息を切らしながら、千弦がいると思われる新宿御苑の四阿のあたりへ駆けつけると、モヤっとした光の幕のようなものが辺りを包んでいるのが見えた。
「人払いの結界・・・か。さすがにこれに侵入すると検知されるな。」
初級の結界魔法であり、電子機器をだますことができないため時代遅れ感は否めない。
だが、肉眼での視覚を完全に欺瞞することや、検知系の結界魔法の併用が可能で、かつ広範囲に認識阻害を行える割に魔力消費が少ないなど、非常に使い勝手がいいことからいまだに多くの魔法使いが好んで使っている魔法だ。
「仕方がない。デジカメの望遠で中を覗くか。」
ショルダーポーチから、本物の遥香がまだ病床にいたころ、香織がいつか旅行に行けるようにと願をかけて買ってくれたらしいデジタルカメラを取り出し、電源を入れる。
CASIO EXILIMと記された少し古いデジカメは、小さなモーター音を奏でながら光学10倍モードで千弦がいるであろう四阿を映し出す。
「お、いたいた。・・・あの銃、凶悪な威力だな。・・・すごいな。徹甲弾と成形炸薬弾の撃ち分けができるのか。術式を組んだ彼は相当のオタクだな。」
対魔女戦闘では、魔女とされた相手に止めを刺すことはあり得ない。
魂が体から離れてしまっては、封印できないからだ。
千弦については、生きてさえいればいくらでも治してやれるので、連れ去られることだけ無いようにしておけばいい。
長身でサングラスをかけた男が、斧槍をふるって千弦に迫っている。
「相変わらずのアンデッドか。生命の神秘どころか冒涜だろうに。教会の連中の考えることは何世紀経っても変わらんな。」
アンデットとは本当に厄介なものだ。
強力な光撃魔法でその体を動かしている術式ごと消し飛ばすか、強力な物理攻撃で五体バラバラにして吹き飛ばさない限り、何度でもよみがえるのだ。
・・・いや、最近新しい対応方法を見つけたな。
聖釘を打ち込めば一発で浄化できるようだ。
私には使えない方法だけどな。
「術式束174262を発動。」
魔力隠蔽術式を術式強化、反復の上、二重にかけておく。ここまで隠蔽しておけばどんな方法でも私の魔力を検知することはできまい。
そうはいっても、魔力隠蔽のままで素早く対応できないのでは意味がない。
「よし。念のための保険をかけておこう。」
そうつぶやきながら、足元の土に靴のつま先で紋様を描いていく。
紋様の要所々々にそこらに落ちていた石や枝を置き、簡易的な術式回路を組み立てる。
「まあ、魔力さえ流し込まなければただの落書きだからな。っと。こんなもんか。」
土の上に描かれた術式はたった二つの複合術式だ。
一つ、慣性制御術式。運動エネルギーだけを直接作り出し、紋様の上の石を動かす。
一つ、ベクトル制御術式。紋様の上に発生した慣性系を、術者が指定したベクトルに揃える。
安全装置も起動遅延もなし。魔力を流し込んだ瞬間、動作する。
たったこれだけで、極超音速の狙撃ができてしまうのだ。
「うーん。初活力がたったの0.3MJか。
でもアンデッドを爆散させるのには十分だろ。」
教会が保有している聖釘はあと何本だったか。
確か、製造されたのは24本、これまでに9本破壊しているから、あと15本。
いや、「彼」の封印に4本使われているようだから残り11本か。
まったく、その場に存在するだけで私だけの魔法の詠唱や術式に割り込んでくるなんて、迷惑極まりない遺物、いや、呪物だ。
この機会に1本でも破壊出来たら、後々楽になるんだが・・・。
術式回路が完成したところで、あたりに遠雷のような音が響きわたる。
「お、雷撃魔法か。・・・おいおい、千弦のやつ、魔力制御もせず加減なしで撃ちやがった!」
あれではすぐに魔力が枯渇してしまう。
まったく、魔力制御もまともにできないとは。
・・・あれ?千弦に魔力制御、教えたっけ?
言いようのない焦燥感が募る。
デジカメの画面には、短機関銃のようなものを構えて立っている千弦と、足を焼かれた金髪ピアスの女性、そして胴体を黒焦げにして倒れた男性型アンデッドが写っている。
「いっそのこと不意打ちしてしまうか?・・・しかし、香織はどうする・・・。」
聖釘があっても不意打ちをすれば問題無く勝てるだろう。
とはいえ、あの女に対して光撃魔法をぶち込んでも、おそらくは聖釘による割り込みで照準を乱されるだろうから、逆に千弦に魔法防御をかけたうえで無差別広範囲型の空間衝撃魔法でもぶち込むか。
しかし、教会に私が魔女であると知られれば、少なくともこの生活の維持はできなくなる。
遥香が死にかけていた時の香織の顔を思い出すと、あと一歩が出ない。
逡巡しているうちに、目の前の結界が掻き消える。
「千弦・・・!」
肉眼で見えるようになった千弦は、短機関銃を構えたまま立っている。
そして、その場に焼け焦げた斧槍と一本の聖釘を残したまま、金髪の女性が男性型アンデッドに担がれ、その場から立ち去っていく。
それを見て、魔力隠蔽術式をかけたまま、動悸と息切れのおさまらない体を引きずって、千弦に駆け寄った。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
沼の底に沈むような疲労に全身が浸っていて、体が思うように動かない。
・・・ここは、四阿のベンチか・・・?
誰かの長い髪が顔に触れている。
重い瞼を開き、状況を確認しようとすると、顔のすぐ前に、肌の白い、切れ長の目を持った少女の美しい顔があることに気づいた。
その少女は、ちょっと冷たい、白魚のような両手の指を私の頬に添え、形の整った柔らかな唇を私の唇に重ねていた。
たしか、クドラクっだったっけ?サングラスの男性が黒川を担いで去っていくところまでは覚えている。
で、今なんでこんな状況になっているんだ!?
あ、いい匂い。遥香の匂いだ。ほんのりと花のような香りがする。
・・・じゃなくて!
重い体に活を入れながら、左手でその柔らかいけど薄い胸を押し、押しのけると、遥香はやっと唇を離してくれた。
「なななななにをすすするのよよ」
狼狽えているあまり、うまく言葉が出ない。
「やっと目が覚めたか。連中がいなくなってからもう3時間以上たっているぞ。」
遥香にそういわれて、あたりがすっかり暗くなっていることに気づいた。
「お前、魔力が枯渇したせいで、立ったまま気絶してたんだぞ。ここまで背負ってきただけで明日はきっと筋肉痛だ。」
そう言う遥香は、首と肩をコキコキっと鳴らした。。
「一体・・・何がどうなって?」
「とりあえず、あとで全部説明してやるから移動していいか?いつ教会の連中が聖釘を回収しに来るかと思うと、落ち着いて話もできやしない。」
遥香はそう言いながらスマホのライトで近くの芝生を照らした。
「あ、聖釘・・・。あいつら、回収しなかったの・・・。」
「正しくは、回収できなかった、だな。とりあえず、拾ってこの布で包んでおいてくれるか。ソレがあるだけで私はそこら辺の人間以下の力しか出せん。何より、気持ち悪くて触りたくもないからな。」
遥香から、また例の古い布を受け取る。
暗くてわからないが、きわめて複雑な紋様の刺繍が施されている。
おそらくは高度な術式が編み込まれているようだ。
言われるがままに古布で聖釘を包むと、包んだ瞬間それが急に軽くなったような違和感を感じた。
「よし。包んだな。それじゃあ移動するから手を出せ。」
手を出せって・・・。支えてもらうほどのケガはしていないよ。
と思いつつも差し出された遥香の手を握る。
「術式束、5,015,773発動。勇壮たる風よ。汝が翼を今ひと時我に貸し与え給え。」
遥香の手を握った瞬間、いきなり遥香が複数の術式の行使と魔法の詠唱を行った。
「え?今」
「歯を食いしばれ!舌を噛むぞ!」
フワッという風圧を感じた後、全身にものすごい加速度がかかる。
「ぐ、ぐえぇぇぇ・・・!」
数秒で安定したかと思うと、今度はジェットコースターの下りのような、胃袋が口から出るような浮遊感が襲ってきた。
「ギャアアアアアァァァァァァァァァァァァ!」
自分の口から出したことない声が出ているのが聞こえる。
あ。東京の街の明かりがきれい。じゃなくて。
富〇急ハイラ〇ドの絶叫マシーンでもここまでひどくはない。
だって、雲の上には出ないし、地球の丸さを感じたりしないもの。
◇ ◇ ◇
時間にすれば、たった数十秒だったのかもしれない。
足から地面にフワっと着陸した時には、完全に腰が抜けて、そしてスカートまで濡れていた。
「ついたぞ。私の家だ。」
「・・・。」
「どうした。どこか痛むのか。」
「下着・・・。あとスカート貸して。」
今日一日で、乙女として大事なものをたくさん失った気がする。
「別に構わないが、腰回りのサイズが合わないんじゃないか。ほれ、乾燥だけさせといてやる。」
「んがー!」
「術式束12,317発動。圧力制御と熱制御な。これで乾燥するだろ。」
なんというか、言葉にならない。
今、遥香が使ったのはあの長距離跳躍魔法か。
おとぎ話の中にしか出てこないような、全魔法使い憧れの魔法だが、実際に使われると地獄じゃないか。
それに、飛ぶ前といい着地した後といい、一体いくつの術式を並列起動しているんだ。
この化け物め。
「ただいまー。さっき電話でお泊りで勉強会するって言ってた千弦さん、連れてきたよー。」
まだ腰が抜けて動けない私を後目に、遥香は玄関の鍵を開け、打って変わってかわいらしい声で帰宅のあいさつをしながら家の中に入っていく。
ヲイ。いつの間に泊まることになってるんだ。
「おかえりなさい。あら、お友達は?」
「あ、まだ外にいるみたい。ね、ママ。スカート汚しちゃったみたいだから、シャワー使わせてあげてもいいかな。」
何とか持ち直した私は、生乾きのスカートの前と後ろを押さえながら玄関ドアから、都内にあるにしてはかなり大きい家の中を覗き込んだ。
「お、お邪魔・・・します・・・。」
「あらあら、まあまあ。女の子だもんね、そういう日もあるよね。お風呂は廊下の突き当りを右のドアね。今、タオルと着替えを持ってくるから。」
遥香の母親の香織さんがものすごく気を使ってくれるんだけれど、穴があったら入りたい。いや、穴を掘ってでも入りたい。
とはいえ、人様の家の庭に穴を掘るわけにもいかず、腰から外したポシェットとバイオリンケースを洗面脱衣所に置く。
「シャワー・・・浴びよ・・・。」
夜空には星が輝いていた。
私の人生の運命が、また大きく変わっていくのを感じながら・・・。