238 楽しい合宿と不穏な影(笑)
エルリック・ガドガン
8月8日(金)午前10時
東京都足立区
遥香の自宅
はるばるスイスのローザンヌから飛行機で日本まで戻り、仄香が憑依しているはずの久神宅を訪れる。
電話やメールだと枝がつく恐れがあるため、直接会って話をするしかないのだが・・・。
・・・たしか、警視庁の護衛兼監視対象になっているはずなので、正面から堂々といかざるをえない。
呼び鈴を鳴らし、しばらく待つと中からは見覚えのある金髪の女性が顔を出した。
「は~い、いま開けますよ~。・・・あれ?ガドガン卿?珍しいですね、わざわざ来るなんて。」
「なんで君がいるんだ、オリビア。それに・・・その恰好はなんだ?」
久神家の玄関を開けて顔を出したのは、かつての十二使徒末席にして身体強化魔法の使い手、オリビア・ステラ・・・フォンティーヌだった。
Tシャツにショートパンツ、その上にエプロンを着ているが・・・どれもこれもまるで少女趣味のフリル付きだ。
「それは仄香さんから留守を任されたからですが・・・もしかして家庭訪問ですか?もうすぐ遙一郎さんが帰ってきて子宮頸管長のチェックに行くんですけど・・・?」
「いや、そういうわけじゃあ・・・ちょっと待て。留守を任されたと言ったな?仄香はしばらく戻らないということか?」
・・・格好については答えたくないらしい。
そういえば、遥香君からお母さんが妊娠中だと聞いたな。
予定日は11月の初旬くらいだったか?
「遥香さんの高校の部活動で合宿だそうです。お急ぎでしたら連絡しておきましょうか?」
・・・仕方がない。
秘密であると同時に緊急を要する内容でもあるし・・・。
「すまないが大至急仄香と連絡が取りたい。だが、電話やメールはだめだ。何か方法はないだろうか?」
「・・・難しいですね。ちょっと考えてみます。上がっていかれますか?今確認を取りますので。」
そういうとオリビアは家の中にパタパタと走っていき、二言三言話すと戻ってきた。
「遥香さんの担任の先生が様子を見に来たと伝えたら、どうぞ上がってください、とのことです。・・・ああ、香織さんは仄香さんのこともガドガン卿のこともご存じですから。」
「そうか、それは助かる。だが、妊娠中の女性にあまりショッキングなことは言えないな。・・・まあ、それほどショッキングということでもないのだが。」
靴を脱ぎ、土間で揃えて家に上がる。
日本に初めて来た子供のころには少し戸惑ったものだが、仄香がしっかりと教えてくれたおかげで今では慣れたものだ。
むしろ、イギリスで靴を脱ぎそうになって何度困ったことか。
リビングに入ると、そこには妊娠20週後半から30週前半くらいの女性が一人、ソファーに座っていた。
「ごめんなさいね、こんな格好で。それで、ガドガン先生でしたね。ご用件をうかがっても?」
遥香君の母親の香織さんか。
柔らかい印象の人だが、遥香君とは方向性が違うタイプの美人だ。
「いえ、遥香さんではなく仄香・・・さんにお知らせしたいことがあっただけなのですが。ご不在のようでしたのでオリビアに連絡をつける方法を聞こうかと。」
「あら?電話やメールではダメな話なのね。どうしようかしら。」
聡い女性だ。
僕が緊急連絡網用のスマホの連絡先を知っているのに、そちらを使わず直接来たことからすぐに気付いたようだ。
「ええ。詳しくは申し上げられませんが、・・・シベリアでの出土品について見識を借りたいと思いまして。仄香さんのお戻りはいつごろになりますか?」
「困ったわね。来週の月曜の夕方にならないと戻らないわ。」
「・・・行先にお心当たりは?」
「ああ、それならわかるわ。長野県茅野市にある私の実家に行ってるわ。あそこには私の父母とその兄弟が住んでたんだけどね。ずっと無人だから放っておいたんだけど。今では仄香さんが桃を育てているみたいよ。そこで合宿なんですって。」
そういいつつ、香織さんはメモ用紙にボールペンで住所を書いている。
これはありがたい情報だ。
ここから長野まで・・・茅野市?とりあえずネットで調べてから行くしかないな。
でも、合宿?どこに泊まっているんだ?
・・・仕方がない。市内のホテルをしらみつぶしにするしかないか。
「では、直接そちらに向かってみます。お忙しいところすみません。お大事になさってください。」
そう言って席を立とうとすると、オリビアが冷たいお茶をお盆にのせて持ってきた。
「まあまあ、外は暑いですから少し涼まれていっては?学校でのあの子のことも聞きたいですし。」
・・・いかん、そういえば僕は遥香君の担任だったっけ。
期せずして家庭訪問状態になりつつも、外の炎天下と目の前の冷えたお茶を天秤にのせると、どうしてもお茶のほうに目が行かざるを得なかったよ。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
今日は朝からサバイバルゲーム三昧だ。
日が高くなるまでは野外フィールドで、日が高くなってからは半屋内フィールドで、そして、夕方からは野外フィールドで夜戦だ。
先行する理君がハンドサインで物陰に隠れる敵の数と位置を知らせる。
・・・前方20m、草むらに一人、タコツボに一人。
まあ、例のゴーグルを使ってるからね。
遮蔽物の向こう側だけでなく、ほとんどすべての敵がどこにいるか丸分かりなんだけどね。
「行け!行け! 」
理の合図で下級生たちが一斉に動いていく。
事前に決めておいた動きで足並みをそろえて、遮蔽の向こうの敵の頭を押さえ、その間に接敵し、誘うように射撃をやめた瞬間、頭を出した敵のヘルメットにBB弾を撃ち込む。
「ヒット~!くそ、全滅じゃないか!・・・10分小休止!今のうちに次のゲームの支度をしておけ!・・・なあ、そろそろチーム分け、見直さないか?」
最後に撃たれた時岡君が悔しそうに言っているが・・・。
「う~ん・・・そうだね。じゃあ、千弦。あっちのチームに行ってくれるかい?代わりに高橋をこっちのチームに。それでどう?」
「ああ。助かる。ってか、お前らが組むとマジで容赦がねぇな。勝ち筋がまるで見えてこねぇよ。」
「ふふん。私と理君の仲だからね。・・・っと。時岡君。下級生の子が呼んでるよ。」
「おおっと。じゃあ行ってくる。どうした~?また給弾不良か~?」
時岡君がいなくなった後、理君の横顔をそっと盗み見る。
数ゲームやってみたからわかるんだけど、理君は私の考えをまるでテレパシーみたいに読み取って動いてくれる。
日常生活でもそうならもっと嬉しいんだけど、贅沢は言うまい。
・・・しかし、なんでだろう?
理君の後ろにいると、心臓が跳ねるような感じがするのよね。
それほど激しい運動をしているつもりはないし、水分もとってるし、熱中症の気配はないし。
・・・もしや、これが恋?
んなバカな。
もうヤるとこまで行ったっていうのに。
「次のゲーム、始めるぞ~!千弦は紅組から白組へ!高橋は白組から紅組へ!マーカーを裏返したら各自陣地で集合!開始は3分後!急げ!」
理君の号令で、一斉にそれぞれの陣地に走っていく。
さて・・・どうしようかな。
理君にも教えてない切り札の電磁熱光学迷彩術式、使っちゃおうかな。
それとも、高機動術式と空間機動術式を使って速攻で片付けようかな。
◇ ◇ ◇
お昼休みになり、ヘロヘロになった下級生たちが昼飯を口いっぱいに頬張っている。ちなみに今日は金曜日なのでカレーだ。
しかもカツカレーだ。
・・・夕食は何が出るかは知らないけど。
「うま!美味い!遥香さんの手料理!美味い!最高!」
まるでカレーは飲み物だと言わんがごとく、大量にあるカレーが下級生たちの腹の中に消えていく。
「久神先輩!お、お替りお願いします!」
「美穂ちゃん!俺にもお替り!」
「琴音先輩!お替り、大盛りで!」
フィールドの確認をしていたため少し遅れて席に着いたが、すでに食堂はカレーのお替り争奪戦の様相を呈していた。
私は彼らを横目に、仄香が確保しておいてくれた席に理君と並んで座り、湯気を立てるカレーを口に運ぶ。
「あれ?・・・もしかして・・・あ、やっぱり。」
食堂の厨房に目を向けると、そこには笹穂状にぴょんととがった耳が金髪の中から飛び出し、揺れる後姿があった。
なるほど、美味しいわけだ。
遥香の手料理って、エルの手料理じゃないか。
いつの間に合流したんだか。
家庭的でありながらどこぞの高級店も顔負けの味のカレーライスを頬張っていると、自分の分を持った遥香と仄香が私たちの正面の席に座る。
「ふう、やっと一段落したよ。エルちゃんが来てくれたからすごく助かったな。明日と明後日のお昼ご飯はエルちゃんが作ってくれるんだって。」
「そうですね。遥香さんもよく動いてくれているんですけど、戦技研の人数が結構多いですからね。」
・・・そうなんだよな~。
遥香が今回の合宿に参加する話を聞きつけて、中学一年生が8人、二年生が5人。
そして中学三年生と高校一年生がそれぞれ2人ずつ。
合計、17人も新入部員が増えたんだよな・・・。
今までは私を含めても12人しかいなかった弱小部だったっていうのにさ。
慌てて自分のエアガンとゴーグルがない人は合宿に参加できないって言ったら、全員翌朝までに買ってきやがったし。
おかげでいつものガンショップの親父さんにお礼を言われてしまったよ。
ま、ちゃんとサバゲで使えるエアガンをオススメしてくれたから、こちらこそありがたかったけどね。
「午後は私たちも参加していい?」
遥香がカレーを食べながら突然そういうと、それまでカレーを食うことしか考えていなかった連中のスプーンの動きがピタリと止まる。
「そ、そうはいってもエアガンとゴーグルがないんじゃない?」
「ふふん。こんなこともあろうかと、健治郎さんにお願いして一式借りておいたの。ほら!」
遥香はそういうと、テーブルの下にあった段ボール箱を持ち上げ、中から迷彩服とゴーグル、ブーツとグローブを取り出した。
・・・銃は・・・MAGPUL PDRだと!?
なんというマニアックな選択をしているんだ!
いや、確かに遥香の体格にもあってるし、STANAGマガジンが使えるから使いやすいけど!
しかも、あのダットサイト・・・照準補正術式と射撃管制術式が組まれてる!
まさか!
「ええと、私も同じものを。これ、たぶん新品ですよね・・・。」
師匠・・・。
遥香だけじゃなく仄香の分まで・・・。
どいつもこいつも歓声を上げてるんじゃないわよ!
くっ!戦技研の名に懸けて負けていられないわね!
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
昨日のうちに紫雨君や仄香にお願いして召喚してもらったゴースト系の眷属を、マヨヒガさんの別館に集めて打ち合わせをする。
昨夜、試験的に本館を眷属さんの何人かにねり歩いてもらったけど、部員の中で何かがいることに気付いた人が数人いたのだが・・・。
「なあなあ!どうやってビックリさせるん!?やっぱ壁すり抜けとか!?それとも天井からブラーンって降りてくるん!?ウチもやってみたーい!」
・・・まさか元アンデッドがいるのを忘れていたとは・・・。
我ながらうかつだったよ。
「ええと、美穂ちゃん。あなたは生身だから、裏方の仕事をやってもらえると助かるんだけど・・・。」
「えっ?ウチ、幽体離脱くらいやったらできるで?見えるっぽくもできるし、見えへんようにもできるし。しかもそのままでも軽いもんやったら動かせるんやで?」
・・・マジか~。
こんなに有能な人材がいたとは思わなかったわ~。
でも危ないから美穂ちゃんはモニタールームにいようね。
錯乱した部員がエアガンとか乱射しないとも限らないし。
それに・・・菅原道真公だの平将門公だの、なんだってそんな有名どころを召喚するのよ!
そんな歴史上の偉人と一緒に、中学生の女の子をお化けの真似事なんてさせられないでしょう!?
『・・・琴音殿?われらは精神世界に結像した怨霊としての存在であるから、現実に亡くなった者たちの霊ではないのだが・・・。』
『しかりしかり。吉備津彦と同じく、実在人物をモデルにした別のモノと考えていただきたい。ワシが天満宮などに行けば『この偽物が!』と言われてしまうだろうよ。ま、吉備津彦は怨霊ではないから堂々としとるがの。』
落ち武者姿で自分の首を抱えた将門公と、雷をまとった祟り神のような姿の道真公が妙にやさしい。
「と、とりあえずお二人はラスボス、ということで。ええと、マートルズ・プランテーションの皆さんはメモにある通りの配置で、誰かが部屋の中をのぞいたら、フッと消えてください。バークリー・スクエア50番地の皆さんは・・・女性は廊下を横切っておどかす担当で。ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの人は、出会いがしらに驚かした後、誘導するように逃げる担当で。」
紫雨君がテキパキと役割を割り振っていく。
「泣き女さんは少し音量抑え目で。出来たら湿っぽくお願いします。・・・琴音さん。謎解きの小道具は?」
「あ、うん。出来てるよ。ええと、謎の日記と、お札、血まみれのベールに、歪んだ結婚指輪。それと・・・時々変な影が映る手鏡。」
【一度リハーサルをしておいたほうがいいんじゃないでしょうか。それと、ストーリーの確認をしましょう。】
それまでデスボイス・・・じゃなかった、恐慌効果のある念波の調整をしていた星羅さんが、シナリオを手に全員を初期配置に立たせていく。
今回のストーリーは、こうだ。
合宿二日目の夕方、民宿マヨヒガの玄関先にある額縁が落ちる。
そこには、遥香の実家がかつての地方豪族であり、徳川埋蔵金に匹敵する財宝がこの屋敷のどこかに眠っているということを示す暗号が見つかる。
何人かがその暗号を解いてしまう。
遥香も知らないという、その財宝に目がくらんだ部員たちは、民宿の中を探し回り、ついには封じられた別館への扉に気付いてしまうのだ。
その夜から、旅館のどこかから、誰かの声が聞こえるようになる。
夜な夜な廊下を歩く人影に気付き、どこかで泣くような声に思わず誘われてしまう。
隠された別館への扉は開き、一人、また一人と消えていく。
意を決し、別館に行ったものは、別館で行われていたという、禁忌の儀式の形跡を発見する。
・・・あとはお楽しみ、って感じで。
「ネタバラしはどの段階でする?本格稼働は三日目の夕方からだよね?」
「そうね。戦技研の合宿で疲れ切ったあたりでやるから、帰りの体力も考えて四日目の朝にはネタバラししたいわね。」
「よし、じゃあ、明日の昼からサバゲで体力を使い切った新入生あたりに幻覚魔法をかけていこうか。う~ん。腕が鳴るよ!」
紫雨君は結構な歳のはずだし、皇帝までやっていた人なのに、こんなにくだらないことにも付き合ってくれる。
・・・ヤバい。また好きになりそう。
◇ ◇ ◇
石川 理
午前中の野外フィールド、午後の半屋内フィールドのサバゲを終え、大浴場で汗を流してから和風の食堂で夕食を楽しむ。
・・・本当に豪勢な旅行だ。
思わず下級生を見て、来年からどうするんだろうな・・・などと考えてしまう。
夕食は昼食とまるで違う献立で、山の幸の天ぷらと海の幸の刺身、上品な味の漬物に、味の奥行きが深いお吸い物。
優しく上品な味がたまらない。
「はあ~。美味いな。高校最後にこんな合宿ができるなんて夢にも思わなかったな。ところで・・・石川。明日はどうするんだ?」
「ああ、午前中だけ顔を出す。午後は千弦と約束があるんだ。何か困った問題でも起きたのか?」
「ん?いや・・・ちょっと下級生の間で変な話が出ていてな。旅館の中で暗号が見つかって、宝探しをするとか埋蔵金があるとか・・・よく分からないんだが、妙に盛り上がってるんだ。そのくせ肝心なことは言いやがらない。」
旅館の中で暗号が見つかった?・・・っていうか、そもそもマヨヒガなんだからその暗号だって作り物だろうに・・・。
いや、何かのイベントか?
「ま、ありがちな子供の遊びだろう。俺のほうで千弦とも相談しておくよ。」
向こうのテーブルで琴音さんと仄香さん、遥香さんたちと仲良く夕食を食べている彼女を見て、そういえば夕食は男女別のテーブルにしたんだっけな、と席割を組んだ自分を少し恨めしく思っていた。
夕食が終わり、席を立って自分の部屋に向かおうとしたとき、千弦に声をかけられる。
「あ!理君、ちょっと話があるんだけど。時間ある?」
「うん、じゃあ・・・玄関横の多目的スペースでいいかな?」
千弦と二人、食堂を出て部屋には向かわず、電気が消え、人気のない多目的スペースに向かう。
ソファーの横には観葉植物や彫刻が置かれ、ゆったりとしたスペースが広がっているが・・・不思議とだれもいない。
おそらくは遊戯室のほうに行ってしまったのだろう。
卓球台やエアホッケー台、ビリヤード台にダーツまであったからな。
「それで、話って何だい?」
ふわりとリンスのにおいが広がる。
お風呂からあがってそれほど経ってないのか、ほんの少し髪が湿気ている。
「それがね、ちょっと説明しずらいんだけど・・・私の右目と右耳ってさ、あの事件の後、フルカスタムしたって言ってたじゃない?」
千弦はそういいながら、右目を大きく開いて俺の目をのぞき込んでくる。
・・・う。
石鹸とリンスの香りが。
昨日の露店風呂で見てしまった裸を思い出し、胸のあたりがムズっとしてしまう。
「そ、そうだったよね、ええと、遠隔視と透視、遠隔聴取だっけ?」
「そうそう。その遠隔聴取で変な話が聞こえたのよ。」
変な話?はて?
っていうか、改めて考えてみるとおっそろしい能力だな?
千弦に黙ってエロ本とか読めないじゃないか。
「・・・ところで、その目と耳の有効距離ってどれくらい?」
「え?そりゃ、最大で数キロから十数キロ、ってところだけど・・・なんで?」
「・・・すげぇな!?っていうことは、サバゲの間ずっと・・・?」
危ない危ない。
何とかごまかせたが・・・。
絶対に浮気なんてできないな。
ってか、琴音さんと何とかして区別をつけなくては。
「サバゲじゃ使ってないわよ。・・・すでにチートアイテムは作ってあるしね。そんなことより、聞こえた内容なんだけど・・・このマヨヒガ、仄香の眷属のはずなのに、玄関先にある水墨画から財宝のありかを示す暗号が見つかったんだって。」
そういえばマヨヒガの玄関先にあった水墨画の額が一つなくなっていたな。
どこかの風景を描いたようだったが、そんな仕掛けがあったのか。
「そういえばさっき、時岡から似たような話を聞いたんだ。子供の遊びかと思って気にしなかったんだけど・・・それで、実際に宝探しをしている奴がいるのかい?」
「それがね・・・栗田君と山口君、それから秋山さんが戻ってないのよ。夕食にも来ていなかったみたいだし。ちょっと心配だわ。」
「・・・仄香さんは?琴音さんと紫雨さん、それから星羅さんなら分かるんじゃないか?」
「四人とも『広い館内だから探検でもしてるんだろう、夕食はラップをかけてとっておけばいい』って。みんな全然危機感がないみたいなの。」
・・・千弦は確かに問題が起きた時、過剰反応するところがあるが・・・。
せめて旅館から出たかどうかだけでも分かれば・・・。
「そうだ!マヨヒガさんに聞いてみよう!たしか、人型とかで管理人室にいたよね?」
「そうだったわ!完全に旅館そのものだったから、マヨヒガさんの中だということを忘れていたわ!・・・ごめん、理君。ちょっと慌ててたかも。」
千弦は大きく頷くと俺の手を引き、管理人室に向かって歩き出す。
・・・やっぱりイイ女だよなぁ・・・。
頭もいいし、優しいし、強いし。
◇ ◇ ◇
管理人室の扉をたたくと、中から女性の声で「どうぞ~」という声が聞こえた。
扉を開き、中に入ると・・・そこは思っていたのと違う空間が広がっていた。
体育館のような広さの空間に、いくつもの住宅模型が並んでいる。
その中には、今年の春先に千弦とキスをしたガゼボや、春先に行った豪華なホテルの模型もある。
グスタフやドーラの台車の上に乗った日本家屋の模型とか・・・どういう趣味をしてるんだろう?
「こちらへどうぞ~。・・・お久しぶりです。千弦さん。・・・琴音さん?」
春先に南国のホテルに泊まった時、最後に挨拶をした女性が、模型が立ち並ぶ部屋の中央にある座敷に座っている。
まさか、人間ではないとは思わなかったが・・・。
「千弦です。やっぱり昨日の貸切風呂、私たちの区別がついてなかったんですね。」
「ごめんなさいね。せっかく恋人と露天風呂で楽しみたかったでしょうに。・・・それならマスターに黙って、今から一部屋用意しようかしら?ジャグジーでも回転ベッドでも置けるわよ?それと・・・ゴムは必要かしら?」
「ぜひともお願いします!・・・じゃあなくて!いなくなった部員はどこにいるかわかりますか?もしかして外出したとか?」
・・・千弦?
今、普通に喜んでなかったか?
「ええと、栗田タケル君と山口タモツ君、それから・・・秋山マコさんでしたっけ。ええ、まだ館内にいますよ。ええと、今は西浴室にいますね。」
よかった、行方不明になったわけじゃなかったんだ。
どうせ長風呂でもしてるんだろう。
・・・ん?一人女子じゃなかったっけ?
「・・・?西浴室?あれ?西に浴室なんてありましたっけ?貸切露天風呂は東だし、大浴場はその手前だし・・・?」
「あ。しまったわ。ええと、今のは聞かなかったことに。」
マヨヒガさんの慌てた声を合図に、一瞬で空間が閉じていく。
「ちょっと!知ってるなら教えてよ!ねえ!」
「マスターから伝言です。『危険性は全くないから楽しめ。』では~。」
そんなマヨヒガさんのセリフを聞き終わったころには、俺たちは管理人室前の廊下に二人、立っていた。
・・・目の前にある管理人室は・・・ただの無人の事務所に変わっていた。
◇ ◇ ◇
???
民宿 マヨヒガ 別館(肝試しの会場)
誰もいないはず廊下を、誰かが足を引きずるような音が響いている。
そんな中、浴室の脱衣所のような場所で、電気もつけず三人の中学生男女が息をひそめていた。
「な、なんでこんなことに・・・!」
「ほ、ほんとに、ゆ、ゆうれい、幽霊がいるなんて・・・。」
背の低い女子が肩を抱えて震えている。
背の高い男子は、積み上げられたバスタオルに頭を突っ込んだまま、出てこようとしない。
事の始まりは、午後のサバゲから宿に帰り、一番風呂を浴びて玄関横の多目的スペースで、仲の良い三人がそろって雑談していたときに、突然玄関先でガシャン、と音がしたことだった。
玄関先で聞こえた音は、額に収められた水墨画だったが・・・。
額の裏から一冊の古文書のような冊子が転がり出たのだ。
三人には、古い時代の言葉は読めなかったため、ただパラパラとめくっていたのだが・・・はっきりと書かれた一文に思わず目が留まってしまった。
そこには、「金百二十三万両右ノ塚ニ隠シ候」の文字と、その場所を示す地図のようなもの、そして、この旅館の別館の見取り図が描かれた別紙が添えられていたのだ。
結果、この三人は、「この旅館の別館は財宝がある塚の上に建てられた」ということと、「塚は祟りを恐れて、撤去せずにそのまま上に建築された」と誘導されてしまったのだ。
・・・建築基準法を知っていれば「あれ?おかしいな?基礎の杭はどうやって打ったの?」と疑問に思うはずだが、中学生にそれを要求することは難しかったのだろう。
三人はスマホのアプリなどを活用し、冊子を読み解き、旅館に隠されていた通路を通り、別館にたどり着いた。
だが・・・別館に一歩立ち入った瞬間、本館と別館をつなぐ廊下は消失した。
そして・・・見えざる者に追われ、這う這うの体で冷え切った浴室に逃げ込んだのだった。
「お、おい!マコが誰にも言わずに行ってみようとか言うから!」
「だって二人のどっちがカッコいいか見たかったんだもん!」
「・・・タケル、今ので減点な。マコ。俺が守ってやるよ。」
「と、とにかく何とかして帰らないと!誰かスマホは持ってるか!?」
「持ってはいるんだが・・・圏外だな。それに・・・古文書の冊子がない。落としたはずはないんだが。」
「さっき、タモツが持ってたけど、掻き消えるように消えたの。すう・・・って。」
マコと呼ばれた少女が、冊子が入っていたはずのタモツの後ろポケットを指さすが、そこには何の痕跡も残ってはいなかった。
「完全に心霊現象だな。・・・とにかく、いつまでもここにいるわけにはいかない。たぶん別館、ということなら地下じゃないんだし、出口くらいあるはずだ。あるいは、屋上に出られれば電波が届くかもしれない。タケル、電池の残り残量は?」
「7割といったところだ。よし、マナーと低電力モードに切り替えた。マコ。動けるか?」
「・・・二人とも急に調子が良くなっちゃって。さっきまで久神先輩のことばかり言ってたくせにさ。はい、懐中電灯。一階受付の非常灯のところに刺さってたよ。」
三人は恐る恐る、脱衣所の暖簾をくぐり、外に踏み出す。
不思議と気配は消えている。
タケルとタモツは、マコを前後に挟むように守りながら、暗い廊下を奥へと進んでいった。
次回「239 「本物」たちのお化け屋敷/チヅル・ザ・スペクター・スマッシャー」
7月9日 6時10分 公開予定。




