236 新発売!神話の桃、「吉備津桃」/英雄の帰還
仄香inジェーン・ドゥ
8月3日(日)
長野県茅野市某所
吉備津桃の試食を終えたあと、いよいよ本格的に九殿の助力と加速空間魔法を駆使して作り、見渡す限りに実が生った桃を、農業系の眷属たちが収穫している。
香織のやつ、大地主の娘じゃないか。
遠くに見える山のふもとまで自分の家の土地だったとか、聞いてないって。
・・・相続税、大丈夫だったんだろうか?
「信じられないよ!わずか3日で収穫できるなんて。何倍速にしたの?」
「360倍速です。加速空間の中では秒速1メートルで動くと音速の壁にぶつかりますから、かなり神経を使いました。次回からは10倍速くらいに落としましょうね。」
収穫の手伝いに来てくれた咲間さんが桃いっぱいの籠を手に驚いている。
・・・あの試食会の後、宗一郎殿が早速商標登録の申請をしてくれて、かつ川崎の農家から畑を借り上げる契約までしてくれたのだ。
よって今シーズンで、長野の桃畑は用済みになる。
かなりもったいないが、桃の木はすべて移植するので良しとしようか。
「ねえ、仄香。この桃、いつから販売するの?」
琴音が桃を凝視しながら聞いてくる。
・・・売り物だから食うなよ?
「明日の朝から店頭に並ぶ予定です。試食コーナーも設けますし、新発売の特価を設定しますからきっと売れますよ。」
実際、この甘さはほとんど麻薬みたいなものだ。
一度でもこの桃を食べてしまうと、他の果物なんて当分食べられなくなってしまう。
「で、この桃、一玉いくらにするの?一つ一つ見て回ったんだけど、モノによって出来が違うみたいじゃん?」
千弦がいくつかの桃を見比べながら、出来の良い順に並べていく。
「そうですね。咲間さんの店に卸すにあたり、卸値は1kg当たり、平均1000円を予定しています。売価については、新発売時の特価は一箱6個、約2kgで5000円、最終的には一玉5000円くらいといったところでしょうか。」
「安すぎない?あの味だと完全に超高級フルーツを超えてるよ?」
「ええ。ですが、まずは食べてもらわないと。匂いだけで客寄せをするのも限度がありますからね。」
千弦の言うとおり、売れ行きが安定するころには桃一玉で数万円でも売れるだろう。
琴音と遥香は、眷属たちがせっせと箱詰めをしている横で、よだれを何度も飲み込んでいる。
千弦は・・・咲間さんと二人で電卓をたたいているよ。
「とにかく、第一便は出発しました。明日の朝になればこの桃が店頭に並びます。・・・遥香さん、売り子さんをお願いしますよ?」
「う、うん!・・・ね、ねえ、仄香さん。この桃、試食会の時に食べた桃より美味しそうなんだけど!?」
「ええ。試食会の桃はただ育てただけですからね。ちょうど、野生に近い味だったんじゃないでしょうか。この畑の桃は、しっかりと気候から管理して、現在の桃の育成の技術で育てた桃ですから、あれよりは幾分か美味しいと思いますよ。」
まあ、味がよくなる分には問題ないだろう。
でも・・・琴音と遥香のよだれを飲む回数がえらいことになってるな。
ちょっと一休みして、桃の味見でもしてみるか。
◇ ◇ ◇
翌日
今朝未明、吉備津桃を輸送するトラックは事故を起こすこともなく、無事に咲間さんの店に到着した。
咲間さんのお店で夜勤を担当している、小此木と中原という二人の男性も、今日は出勤して陳列と試食コーナーを作る作業を手伝ってくれている。
彼らには手伝ってくれたお礼に、給料以外に一箱ずつ渡す予定だが・・・妙に目の色が変わっているな?
「一便はこれでおしまいかな?それにしても・・・6個入りの箱一つで2kg、それを200箱って・・・売れるの?」
琴音が心配そうな顔をしながら、桃の入った箱を運んでいる。
「ある程度は売れると思うよ。すでに行列してるし。・・・っていうか、なんで一人一箱までにしたの?もっとたくさん買ってもらったって良かったんじゃない?」
行列の後ろのほうから試食用の桃のかけらを配り終わった遥香が戻ってくる。
っていうか、試食用も桃も一人一口にしたけど、あっという間になくなっていく。
試食した者の中で、行列に並ばない者は一人もいないようだ。
同じように試食用の桃のかけらを配り終えた千弦が、次の試食用の桃を乗せたお盆を持ち、自信たっぷりに言う。
「大丈夫そうだよ。すでに100人以上並んでるし、試食が終わった人はスマホを取り出してどこかに電話してるんだよ。『一人一箱だからお前も来い』ってね。代表待ちができないようにしたから、後から呼び出された人がどんどん後ろに並んでいるみたいだね。むしろ整理券を配ったほうがいいみたいだよ。」
朝9時前だというのに、もう100人も並んでいるのか。
販売開始は10時の予定なんだが・・・入荷するときに桃の香りを嗅いだ常連が口コミでもしたのか?
「一応、午後の販売分が1時間後くらいに届く予定ですが・・・いっしょに売っちゃいましょうか?」
こういう商売ごとはあまり得意ではない。
特にSNSが発達した現代の商売ごととなればなおさらだ。
そうしているうちにも、ぞろぞろと行列が伸びていく。
「おい!割り込んでんじゃねぇぞ!」
「なあ、彼女と合流しただけなんだよ。コイツが並んでたんだからいいだろ?」
「なんでそこで列が分岐し始めてんだよ!こっちの後ろにちゃんと並べよ!」
「すいません!この列はこちらが正規の列です!最後尾はあちらです!代表待ちや後から来たご家族やご友人が合流するのは禁止です!間違えて並んだ方も最後尾にお回りください!」
「俺はトイレに行ってただけなんだって!1時間も前から並んでたんだよ!」
「ふざけんな!今初めて来たじゃねぇか!横入りするんじゃねぇよ!」
「順番を守ってください!一時的に列から出る場合はスタッフにお知らせください!カラーコーンを配置します!10分以内に戻らない場合は最後尾に並びなおしになります!販売開始時点でいらっしゃらない場合も同じです!」
近所の迷惑にならないようにと、最後尾のプラカードを用意し、咲間さんと店長の幸夫さんが行列の整理をしているが・・・案の定、横入りをしようとする者や、行列がまるで分岐したかのように枝を作る者まで出始めている。
そんなこんなで10時になり、販売が始まる。
「箱売りだと5500円です!バラの場合は990円です!」
「1万円入ります!はい、4500円のお返しです!お次の方、こちらのレジへどうぞ!」
「こちらのレジは一般のお客様専用となります!吉備津桃をお買い上げのお客様は2番3番のレジへどうぞ!」
・・・なんというか、さっきからバラで買っていく人間が・・・ほとんどいないな。
それに、この分だと足りなくなるんじゃ・・・?
《仄香!行列の末尾までカウントしたら400人を超えた!午後の販売分は何箱だっけ!?》
千弦が慌てたかのように念話を飛ばしてくる。
《午後の分は300箱です!困りましたね・・・この分だと足りなくなりそうですね。まさか、こんなに売れるとは・・・とりあえず、午後の分を売ってしまいましょうか。》
《ちょっと待って!そりゃまずいよ!午前10時と午後1時で販売時間の広報はすんでる。午後の部で並んだのに桃がないと聞いたら、お客さんが怒るよ!》
咲間さんから慌てたように念話が入る。
さて、どうするべきか。
迷っていると、オーナーさん、つまりは咲間さんの母親がひょいっと立て看板のようなものをバックヤードから持ち出した。
「まさか、これが役に立つとは思わなかったね。ちょっと行列の最後尾に行ってくるよ。」
その立て看板には・・・「吉備津桃 完売御礼 申し上げます。次回の入荷をお待ちください!」と、手書きのポップ体の文字が書かれていた。
◇ ◇ ◇
ギリギリで届いた午後の分を回し、何とか午前の分を販売し終えたが・・・。
バラで買っていく客が、3人しかいなかったよ。
しかも、3人ともすべて子供だった。
大人買いにもほどがあるだろう!?
「売り上げは・・・どうなったかな?」
咲間さんが燃え尽きたように椅子に座り、幸夫さんに問いかける。
「レジを締めてみないとわからないけど・・・カウントでは420箱とバラが少しだから・・・ざっと210万とちょっとだ。消費税含まずにな。」
「マジか。・・・ちょっと待って。仕入れ値は一箱いくらだっけ?」
「一箱2kgなので・・・2000円ですね。」
「は、84万で仕入れたものを210万で売ったわけ!?この1時間ちょっとで!?」
「そうなりますね。・・・ああ、午後の便なんですが、追加を発注しました。今から長距離跳躍魔法でとってきますよ。」
「ちょ、ちょっとまって。何箱持ってくるつもりなの?」
「明日以降の販売分もありますし、長距離跳躍魔法の運搬能力を考えると200箱くらいが限度だと思うますが・・・どうしました?」
「マジか。さらに儲かるのか。でも、長距離跳躍魔法の着地時の振動とかで桃、傷まないかな?」
そういえば気にしたこともなかったが、長距離跳躍魔法の着地時の衝撃ってかなり強いんだよな。
・・・ん?
そういえば・・・。
「琴音さん。少し身体をお借りしてもよろしいでしょうか?琴音さんの身体で長距離跳躍魔法を使ったとき、ほとんど衝撃がなかったんですよね。」
「ん~?いいよ~。・・・え゛?そうなの?着地の衝撃って、いつも『フワッ!』って感じだったけど、みんな違うの?」
「私は『スタッ!』って感じだね。仄香は?」
「ええ。ちょっと制御が甘いと『ズンッ!』って感じになりますね。」
それだけ琴音の魔力回路の制御能力が異常なんだろう。
・・・マジであの身体が欲しくなるな。
今度、こっそりとクローンでも作るか。
・・・・・・・・・。
なんやかんやあって、琴音の身体で追加の桃を無事に運び、すべての桃の販売を終え、夕方の勤務の人たちに挨拶をしてからみんなで打ち上げをすることになった。
もちろん、途中から参加した宗一郎殿とグローリエルも一緒だ。
「いや~。まさかこんなに売れるとは思わなかった。少しくらいは販売期限切れが出るんじゃないかって思ってたけど、足りないなんてレベルじゃなかったね。」
咲間さんのお母さんとお兄さんが先頭を歩き、ぞろぞろと近くの飲み屋に向かって歩く。
なんと、飲み代は全額おごりだという。
当然、未成年者にアルコールを飲ませるわけにはいかないのだが・・・グローリエルはどうするつもりだろう?
「明日以降は整理券方式にするんですよね?先着順?それとも抽選?」
「先着順だと何時間も前から並ぶ人が出るだろうから、時間を区切って整理券を配って、抽選って形にする予定だよ。」
・・・なるほど、それなら倍率次第で次回の入荷量を調整することも可能というわけか。
「ま、明日からは落ち着くんじゃないかと思うけど、少しアルバイトさんを多めに募集したほうがいいかもね。あ、アルバイトさんには桃を一箱だけ優先的に購入できる権利でも付けたらいいんじゃないかな?」
まあ、それぐらいなら問題ないと思うが・・・そんなことでわざわざ働きに来る連中なんているんだろうかね?
そんなことを話しながら、少し小さめの落ち着いた店内に入り、座敷に上がって各々が席に着く。
幸夫さんが馴染みらしい店員に声をかけ、ビールやジュースを持ってきてもらう。
・・・そうだ、グローリエルのことはともかく、私の外見も未成年だっけ。
中身の年齢は当然のことながら、ジェーン・ドゥの身体だってすでに半世紀以上経っていると思うのだが・・・。
グローリエルほど飲兵衛でもないからまあいいか。
「え~。皆さん。ウチの店のためにご尽力いただきましてありがとうございます。無事、初日の販売分が完売となりました。残念ながら買えなかったお客様もいたようですが、翌日も入荷することをお知らせしたらまた買いに来てくれるそうです。」
明日も朝から並ぶのは申し訳ないということで、整理券で抽選販売になることを告げたら残念そうに帰っていったんだよな。
「おかげさまでウチの店の売り上げは過去最高のものとなり、例の魔女事変以来・・・おっと、ご本人がいらっしゃいましたっけ。とにかく、この先も無事、乗り越えて行けそうです。では、咲間幸恵、乾杯の音頭を取らせていただきます!乾杯!」
「乾杯!」
乾杯の後は各々がバラバラに飲みたいもの、食べたいものを注文していく。
飲み会に参加しているのは結構な人数だと思うが、明日以降も桃が売れれば問題はなかろう。
いつの間にか席を立っていたグローリエルが、お店の人と一緒にお盆に何かを載せて持ってきた。
お盆の上に乗せられたグラスからは、日中に咲間さんの店で嗅ぎ続けたかぐわしい香りが広がっている
「マスター。吉備津桃で作ってみた。飲んでみて。」
・・・吉備津桃を使ったカクテルか。
料理・・・というか、口に入るものにかける情熱がすごいな。
「これは吉備津桃を絞った果汁と、ラムとアプリコットリキュール、ほんの少しのザクロシロップで夕暮れ色にした。こっちはスパークリングワインに吉備津桃のピュレを合わせた。それと・・・吉備津桃果汁とブルーキュラソー、ウォッカで味を調えて、半円状の桃を浮かべた。」
「わ~、きれいだね!・・・ノンアルコールはないの?」
「それなら、そっちのソーダがオススメ。ミントとレモンピールで味を調えて、吉備津桃のピュレをソーダで仕上げた。」
遥香と琴音、千弦にピンク色のソーダを渡し、それ以外の前には3種類のカクテルが並ぶ。
焼き鳥やホッケ、枝豆やお通しの冷奴が並んでいたテーブルの上が、一瞬で桃の香りで華やいでいく。
「ねえ、幸恵さん!このカクテル、うちの店の看板メニューにしたいんだよ!だからさ、吉備津桃を何箱か都合してもらえないかね?」
飲み屋の女将さんが咲間さんのお母さんに言い寄っている。
・・・そうか、幸恵さんというのか。
今まで知らなかったよ。
「ええと、ウチに入荷する分を回すとなると、売価になるし本部へのロイヤリティもかかって結構割高になるから・・・ええと、仄香さん?」
「私はどちらでも構いませんよ。ただ、吉備津桃は咲間さんのお店のために作ったものなので、必ず幸恵さんを通してもらえれば。」
吉備津桃の生産量からして一店舗で捌き切れる量でもないし、そのうち廃れてしまうくらいなら、こうやって知名度を上げるのもいいかもしれない。
「じゃ、じゃあ、桃をカクテルとかの飲料にしたもの限定なら・・・。」
話を聞く限りでは、幸恵さんとこの店の女主人は同年代で、結構仲の良い友人のようだが・・・。
まあ、青果の状態で転売されなければいいか。
「感謝するよ!じゃあ、明日から吉備津桃のカクテル始めます!って看板を出さなきゃ!」
そんな騒ぎを知ってか知らずか、グローリエルが再び厨房から何かを持ってくる。
「マスター。デザートも出来た。これは吉備津桃を皮ごと軽く煮て、ほんの少しのハチミツ、白ワインとバニラビーンズ、吉備津桃の葉で香り付けした。仕上げにエルダーリキュールを垂らした。そっちは吉備津桃とライチ・ローズゼリーと層にしてパルフェにした。アーモンドクリーム、フロマージュブランが下層に入ってる。てっぺんに飴細工で花と蝶を飾ってみた。」
・・・こいつ、加速空間魔法の術札を使ってるし・・・。
とんでもなく緻密な飴細工と、冷気が流れるデザートを前に、全員が唖然としている。
グローリエル・・・少しは自重しろよ。
「ちょ、ちょっと待って!飲料だけじゃなくてデザートも!ね、いいでしょ!高校で同じ料理部だった仲じゃない!なんなら私と娘も売り子を手伝うからさ!」
あ、再起動した。
飲み屋の女将さんが幸恵さんに抱き着いているよ。
娘さん・・・ああ、カウンターにいる20代の女性か。
「分かった!分かったから!・・・仄香さん、そういうわけで少し回してあげて。卸値は少し高めで。」
「え!?そこはほら、適正価格でと言ってよ!」
ゲラゲラとその場にいる全員が笑っている。
いつの間にか、他のお客もグローリエルのカクテルやデザートを欲しがり、グローリエルはお金だけじゃなく感想も欲しい、とモニターのようなことをやらせている。
明日からまた忙しくなるだろうけど、オオカムヅミ改め吉備津桃は大成功のようだ。
え?感想?
美味い以外の感想はなかったよ。
◇ ◇ ◇
フィリップス・ド・オベール
スイス南西部ヴォー州 州都ローザンヌ
シベリアの永久凍土から発見された女性を確認するために、エルリックを呼んだが・・・。
こいつ、見ないうちにかなり強くなったな。
「ふーむ。確かに見覚えのある魔力波長だ。・・・というより、僕はこの魔力波長を持っている魔法使いを一人しか知らない。」
「やはりであるか。やはり、この身体は魔女『アナスタシア』殿の・・・?」
「そうだね。僕はアナスタシアと会ったことはないけど、彼女が仄香の時も、ジェーン・ドゥの時も、遥香の時も・・・そしておそらくは美代の時も・・・同じ魔力波長を持っていることを知っている。」
魔力波長は、魔法を使う者にとっての指紋のようなものだ。
けっして真似はできないし、欺瞞するには恐ろしく繊細な魔力制御が必要となる。
「では、この身体は魔女殿のかつての身体ということになるのであるな。ということは・・・。」
「ああ。フィルの思っている通り、この身体は対魔女用の遺物、聖遺物の塊だ。しかも何者かは知らないが、制御用の魔石まで放り込まれている。・・・ここの結界は万全かい?」
「ああ。万全である。何しろ魔女殿が手ずから張り直した結界であるからな。追跡はできなかろうよ。」
だが、この身体を魔女殿に見せるのであれば一度ここから出さなければならないのだが・・・。
「仕方がない。じゃあ、僕が仄香を呼んで来よう。出来のいい弟子を持ってよかったな、フィル。」
「はは、まったくであるな。・・・だが、気を付けたまえ。サン・ジェルマンがどこから襲ってくるかわからぬ。念のため、吾輩の娘を連れていくがよい。カトルズ!カーンズ!エルリックを守ってやってくれ。」
隣の部屋に控えていた娘たちのうち、特に戦闘に秀でたカトルズと長距離偵察に優れたカーンズを呼び出す。
ドゥーズのようにならないことを祈りながらも、弟子の身に何かあってはならないと思い、彼女たちを帯同させる。
「・・・なあ、フィル。なんというか・・・もう少しまともな名前を付けられなかったのかね。名前が数字だけってのはどうも・・・。」
「それは君が無事帰ってきたら考えよう。では、良き旅路を。」
エルリックと二人の娘たちを送り出したのち、椅子に座る女性を眺める。
屍霊術と何らかの憑依術で、まるで生きているかのように動く、6千から7千年前の遺体。
本来であればその生を終えて安らかに眠り、大地に還っているはずの彼女を見て、考えてしまう。
・・・魔女殿。
貴女は一体、いつになれば真の安らぎを得られるのか、と。
◇ ◇ ◇
シェイプシフター(遥香の姿)
8月4日(月)
東京都西東京市(南雲家)
「ふんふ~ン。吉備津彦、ドラクエのレベルはどうなりマシタカ?」
ここのところ、咲間さんのお店の仕事で家に帰れない日が続いていたから、吉備津彦にドラクエのレベル上げをお願いしていたのだけど・・・。
あれ?家に帰るって・・・まるでここがボクの帰るところみたいに・・・?
「ああ、レベルはすべてカンスト、特訓スキルもカンストさせておいたよ。素材拾いと売却も言われた通りやっておいたから、ゴールドも一億を超えてる。それと、ストーリーは進めていないよ。」
「イヤッホゥ!・・・アレ?アクセサリの類いが理論値になっテル。新しいアクセサリも。」
「ああ、フレンドに誘われたからやっておいたけど・・・まずかったかい?」
「・・・吉備津彦。アナタも一緒にドラクエ、やりマセンカ?結構コツコツが性に合っテルんじゃナイデスカ?」
「いや、さすがにそれは・・・とにかく僕はこれであっちに帰るよ。」
吉備津彦はそう言いながらマスターに念話で送還の許可を取っている。
グローリエルさんがマスターのところに来てから、ずっと召喚されっぱなしだったのに・・・。
・・・あ。そうだ。
「吉備津彦。これ、グローリエルさんが作った吉備津桃の焼きタルトデス。ボクは木の実や草は好まないノデ・・・もしよかっタラっもらっテくれマセンカ?」
本当はママさんやパパさんに食べてもらおうかと貰ってきたんだけど、吉備津彦が食べたならきっとグローリエルさんも喜ぶだろうし。
「うん。いい匂いだ。あっちに戻ったらみんなで美味しくいただくよ。それじゃあ。」
箱いっぱいの桃の焼きタルトを手に、吉備津彦は光の中に消えていく。
・・・僕たち眷属は、人間と違ってものすごく寿命が長い。
精神世界に結像してから、人間たちがボクらを完全に忘れ去るまでずっと生き続ける。
それこそ、幻想種の中で最長ともいえる寿命を誇るハイエルフでも、その人生は僕たちから見れば、あっという間だ。
ボクはまだ新参者だから実感が足りないのかもしれないけど、吉備津彦はもう二千年くらいは経つのではないだろうか。
「・・・マスター。長生きしてクダサイネ。ボクたちは貴女以外トハ、一生を共に過ごすことは出来ないようデスカラ。」
しん、と静まり返った3畳ほどの空間が、妙に寂しく感じる。
「二号ちゃ~ん。ご飯よ~!」
胸に何かが迫る中、階下からママさんの声が聞こえる。
そうだ、今はママさんやパパさん、琴音さんや千弦さんが一緒にいてくれる。
だから、せめて彼らを大事にしよう。
「ハーイ!今行きマース!ふふん!今日のご飯は何カナ~!」
ママさんはいつも僕のためにスペシャルメニューを作ってくれる。
昨日は鱗を落とした生魚、おとといは解凍したザリガニだった。
きっと今日も美味しそうなものに違いない。
ボクは元気よく答え、階段を駆け下りていった。
次回「237 色と恋と夏合宿/怪しげな企み」
7月5日 12時10分 公開予定




