235 実食!神話の桃と試食会
南雲 琴音
7月31日(木)
佐世保と佐賀の用事を終え、東京まで戻ってきた私たちは、再び九さんの店・・・神香堂に来ていた。
店の事務所みたいなスペースで、中央にあるテーブルを囲んでいる。
テーブルの中央には、縦30センチ、横50センチくらいの箱のようなものに白い布がかけられている。
姉さんと遥香(仄香)だけでなく、咲間さんと紫雨君、宗一郎伯父さんとエルも一緒だ。
「よう来てくれはったな。ホンマは昨日のうちに皆さんにお披露目するつもりやってんけどな。まずはこれや、うちで穫れた桃や。見てっておくれやす。」
九さんが、箱にかけてあった白い布を取り払うと、ブワッという擬音が似合うほどの勢いで上質な桃の香りがあたり一面に広がっていく。
「う、うわー!なにこれ!もうよだれが、唾液腺が開きっぱなしなんですけど!」
姉さんが叫び声をあげている。
「は、早く、料理、切って、食べる。」
エルの語彙がおかしなことになっている。
「これは・・・思っていたのとかなり違うじゃないか。これ、店頭に置いただけで奪い合いになるぞ?っていうか、麻薬とか幻覚成分が入ってないだろうね?」
宗一郎伯父さんが怖いことを言っているが、遥香と咲間さんは目を丸くしたまま、固まってしまっている。
「ほれ、見ての通りや。なるほど、こりゃ絶滅してまうのも頷けるわなぁ。こないな美味そうな匂いを撒き散らしてたら、桃食えるもんは黙って見逃すわけないわ。畑まるごと育てよう思たら、害虫に畑泥棒、そらもう戦いやで。」
ヤバい!さっきからお腹が聞いたこともないような音を立てて鳴ってる!
この匂いを前に我慢できるような人間がいるのか!?
「たしかに、この香りでした。ええ、間違いありません。1200年前に嗅いだ、忘れもしない匂い。・・・まさか、もう一度嗅ぐことができるとは。まずは皆さん。食べましょうか。」
仄香の言葉に一同は一斉に首を縦に振り、九さんの手で桃が一つずつ、皿に載せて配られる。
ゴクリ。
喉を鳴らす音が、響き渡る。
「では、いただきましょう。」
仄香の合図が終わらないうちに、一斉にみんなでかぶりつく。
「うま!うまぁ!」
「ん~!むー!」
一瞬で語彙が吹っ飛ぶ。
この味を、他の物に例えることができない!
《代わって!早く代わって、仄香さん!》
念話で誰かが騒いでるけど、もはやそれどころではない!
全員の目の色が変わっている。
唸るような声を上げながら、口もきかずに一気に食べ終える。
うー。幸せだぁ・・・。
口の中が天国だよ・・・。
「・・・私としたことが・・・遥香さんと交代せずに全部食べてしまいました。」
《代わってって言ったのに!もう一つちょうだい!私の分!》
「ああ、そうやったな。遥香ちゃんの分もちゃんと用意してるさかい、安心して食べてや。・・・で、どないやろな、これ。売りもんになる思う?」
「「売れるにきまってるでしょう!?」」
あ、姉さんとハモった。
「これ、マジですごいよ・・・こんな桃、食べたことがない。それに、一つ食べただけで、妙に身体の調子が・・・良くなってない?」
咲間さんが背中をそらせながらため息をついている。
「問題は、値段だな。これ、安く売るといろいろ問題が発生するんじゃないか?」
皿を舐めながら、宗一郎伯父さんが唸っている。
・・・皿を舐めるなって、はしたない。
え?私も舐めてるって?
・・・いつの間に!気付かなかった!?
一同、何とか落ち着いて、話し合いを始める。
・・・箱の中に残った桃を、まだ一人当たり二個・・・いや、三個はいけるか・・・などと全員がチラチラと見ながら。
「宗一郎。この桃はいろいろ応用が利く。多分、ジュースにしてもワインにしても。」
エルがこの桃をどうジュースにするか、ものすごく楽しみだ。
「・・・そうだな。うちの食品部門で・・・いや、会社を一つ立ち上げるか。まずは咲間さんの店に安定供給して、そのあとは大々的に加工品を売り出すか。それならば咲間さんの店を安定させた上でさらに儲けも出せるだろう。よし、明日、朝一で咲間さんの店に行こう。」
「よっしゃ!じゃあ、いよいよ量産体制だね。遥香のお母さんの実家の畑、使えそう?」
《ええ。すでに農業系の眷属が開墾しなおしてあります。ただ、害虫や畑泥棒について、どうしたものか・・・。》
「その辺も俺に任せてくれ。土地さえありゃあ、その上に丸ごと工場を建てたってかまわないんだ。ま、大した支出じゃないさ。」
とんとん拍子で話が進んでいく。
・・・残った桃は、咲間さんのお母さんとお兄さん、そして宗一郎さんの会社で使うため、結構な量を持っていかれてしまったよ。
宗一郎伯父さんとエルが仲良く手をつないで店を出て行くのを見送った後、桃の残り香が香る事務所内で九さんに向き直る。
この場に残ったのは、九さんに紫雨君を紹介するためだ。
引き合わせておけば、あとは勝手に話が進むだろう。
「そろそろ来る頃でしょうか。」
「ほぉ、あの噂のノクト皇帝っちゅうのが、ほんまにあんたの知り合いやったんかいな?いやはや、自分の代でお目にかかれるとは・・・こらまた光栄なこっちゃ。」
「ええ。それと、四さんと十さんをお呼びしました。九さんがご存じの、十大公爵家の二人・・・クァトリウス家とデキュラス家の末裔です。」
実は、さっきまでウナヴェリス家の末裔がいたかもしれないんだよね。
あ、私たちも同じか?
「クァトリウスで四、デキュラスで十・・・ま、自分も人のこと言えんけど、こらまた相変わらずひねりが足りんというか・・・。あ、せやけどセプティモスとオクトヴェインはひねりすぎて、もはや訳わからんようになっとったなぁ、確かに。」
ん?セプティモスとオクトヴェインの所在を知ってるのか?
「お邪魔しまーす・・・あれ?誰もいない。奥のほうかな?」
「あ〜すんません、ワシがここの店主の九と申します、て・・・おぉぅ!?ホンマや!銀髪に紅い目ぇ!こら言い伝えそのまんまやないかい!・・・おっとっと、これは失礼。皇帝陛下、こりゃまたご機嫌さんで。」
慌てて事務所を飛び出していった九さんが、紫雨君に慌てて頭を下げている。
「あ、いや、普通に話してくれると助かるかな。もともと緩く国を治めてたからね。」
【少しは威厳というものが欲しいところです。まあ、本人に帝国を再興するつもりがない以上は、不要かもしれませんが。】
なんだ、星羅さんも来たのか。
ま、積もる話もあるだろうし、私たちは席を外すことにしたよ。
◇ ◇ ◇
咲間さんと一緒に、彼女の店に残りの桃を持って向かう。
彼女の母親とお兄さん、つまりオーナーさんと店長さんに、まずは試食してもらうのだ。
「そういえばこの桃、なんて銘柄にしたらいいと思う?」
「『オオカムヅミ』だとよく分からないよね。『桃太郎』とか?」
姉さんの問いかけに何げなく答えると、咲間さんから思わぬツッコミが入る。
「残念。桃太郎って品種は存在するんだよ。『暁』っていう桃の別名が『桃太郎』だね。」
「う~ん。いい名前だと思ったけど既に使われていたかぁ・・・。」
「吉備津桃というのはどうでしょうか?たしか、吉備津彦命の名を冠した桃はないはずです。岡山の桃全体をさして吉備津彦という名前を使われたことはありますが、正式名称ではないですし。」
さすがは仄香。
知識量だけでなく、センスもいいじゃない。
「うん。いいんじゃない?じゃあ、吉備津桃を第一候補にしよう。商標とかは宗一郎伯父さんに任せておけばいいや。」
姉さんも異論はないようで、あとは九さんや宗一郎伯父さん、エルに相談するだけでなんとかなりそうだ。
電車内で話していると、ほかの乗客が咲間さんの手元をチラチラと見ている。
珍しいな。
通行人が遥香の美貌をチラチラ見るのには慣れてきたけど、桃の匂いだけでこんなに人の視線を集めるとは。
渋谷で乗り換え、東急東横線で咲間さんの店の最寄り駅である新丸子に向かう途中でも、乗客が鼻をひくひくとさせた後、咲間さんの手元を凝視している。
「すごい効果だね。これはきっと売れるに違いないよ!さあ、いくらで売るか・・・!」
咲間さんが鼻息荒く、意気込んでいる。
きっと、オーナーさんと店長さんも喜んでくれるに違いない!
◇ ◇ ◇
咲間さんのお店につき、バックヤードに向かうと、オーナーさんと店長さんがちょうど揃っていた。
「すみません、お休みの日にまで押しかけてしまって。その後、お身体の調子はいかがですか?」
「ああ、遥香ちゃん。いや、助かってるよ。二号さんがしっかり仕事を覚えてくれてね。もうあたしたち、いらないかもね。」
「はははっ。もし競合店に二号さんがいたら、俺たちの店なんてあっさりつぶれてただろうな。」
ふとレジを見ると、遥香の姿になった二号さんがレジに立ち、結構な勢いでお客さんをさばいている。
しかも、笑顔とあいさつを欠かさない。
でも、店内で品出ししている二人って・・・どこかで見たことがあるな?
誰だっけ?
「ねえ、母さん、兄貴。例の桃ができたんだ。試食してみてくれないかな。」
「さっきから匂ってるのはやっぱり桃か!う~ん。いい匂いだな。香水か何かと勘違いしそうなほど上品な香りだな。」
・・・香水。
そうか、その手もあったか。
九さんのお店はそもそも香水専門店だし、そっちの商品開発をお願いしてもいいのか!
「とりあえず、ナイフとフォークを用意しようか。で、あんたらはもう食べたのかい?」
オーナーさんが近くの棚から皿とナイフ、そしてフォークを出す。
「ええ。もう各自一つずつ食べてきました。とてもおいしかったですよ。」
・・・う、うん。
べ、別に食べ損ねたとか思ってないよ。
・・・。
完全に無言で食べ続ける二人を見て、少し考えてしまう。
この桃、ちょっと美味しすぎやしないか?
いや、美味しいのはいいことなんだけど・・・。
ああ、なるほど。
だから伊弉諾尊は黄泉平坂で追っ手を撒けたのか。
こんな桃が目の前にあったら、それまでろくなものを食べてない連中だったら飛びつくよ。
「くぅ~!美味かった!こんな桃、食べたことがない!」
「ああ!そうだね。ところでこれはなんていう品種なんだい?白桃系のようだが・・・?」
「ええと、新種、というか、もともとは絶滅種でして・・・名前はまだない、というか、古事記ではオオカムヅミと呼ばれていたというか・・・。」
姉さんが答えづらそうに答えると、店長さんのほうが目をむいて驚く。
「絶滅種!?っていうか、神話上の桃じゃないか!こうしちゃいられない。キャッチコピーを考えなくては!売値は・・・その前に仕入れ値だ!いくらで仕入れられるんだ!?」
「う、うわあぁぁあ!ど、どうしよう!まだ値段なんか決めてないよ!」
あははっ!姉さんが慌てている顏って初めて見たかも!
ゲラゲラとバックヤードに笑い声が響く。
「マスター。店の中まで笑い声が聞こえてますよ~。」
そう言ってバックヤードを覗き込んだ、中性的な顔立ちの人は・・・。
いつしか仄香の幻灯術式でみた、ザドキエルさん・・・つまり、マンハッタンでホットドックを売っていた、主天使のお兄さんだったよ。
あ、あっちはハシュマルさんか。
すごい戦闘力のコンビニだな。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
とりあえず何個入荷するか、どういった形で納入できるか、そして仕入れ値と売価はどうするかという話をするために、後日、宗一郎伯父さんに同席してもらって打ち合わせをすることにして、咲間さんと別れ、今日は帰ることにする。
「あ。そういえばさ。うちの高校って三年生は夏休みの宿題、ないよね?琴音ちゃんと千弦ちゃん、何か予定とか入ってる?」
「う~ん。一応は受験勉強をしてるけど、仄香の勉強会のおかげで志望校判定がAなのよね。たしか、姉さんもAだったよね。」
「うん。理系であればどこでも受かりそうだけど・・・一応勉強会は続ける予定だよ?どこか遊びに行きたいの?」
そういえば遥香からどこかに行きたいとか誘ってきたことってあったっけ?
「ちょっと、ママの実家に泊まりに行こうかと思って。そろそろママのお腹も大きくなってきたし、今のうちにママが育ったところを見ておきたいんだよね。」
そういえば遥香のお母さんの実家って、長野だっけ?
いま、仄香の農業系の眷属が開墾作業をしているとか・・・。
《いいですね。開墾作業もほぼ終わっていますし、遥香のお母さんのご実家もきれいにしてあります。上諏訪温泉も近くですし、みんなで行きましょうか。》
「よっしゃ!じゃあ、戦技研の連中も呼んでいいかな!?」
「姉さん・・・手品部はどうしたのよ。部長じゃなかったっけ?」
「んにゃ。もう部長は代替わりした。いつまでも先輩が顔を出すのも悪いと思ってさ。呼ばれたときにしか行ってないよ。琴音の剣道部は?」
「ま、まあ、もう代替わりしてるけどさ。」
宿泊施設で困ったらまたマヨヒガさんにお願いするのかな。
じゃあ、宗一郎伯父さんに頼んで建築系の書籍を何冊か用意しておかなくては。
目黒行きの東急目黒線に乗り、山手線に乗り換えて、高田馬場で遥香と別れる。
ちらりと後方を見ると、黒川さんの部下の・・・そうそう、池谷さんがついてきているのを確認し、手を振って別れる。
なんだかんだ言っても、遥香の身体は遺物の材料の塊だからな。
・・・まあ、仄香が憑いてるんだから危険性はないと思うけどさ。
ふふ、夏休みはまだ一か月以上残っている。
もうすぐ、仄香と会ってから一年か。
いろいろなことがあった。面白いことも、大変なことも、辛いことも。
でもまあ、総合評価では100点満点だったよ。
◇ ◇ ◇
家のドアを開け、母さんに「ただいま~」と告げると、キッチンの中から「おかえり~」という声が聞こえた。
食卓を見ると、お茶碗とお箸が四人分並んでいる。
・・・あれ?父さん、帰ってきたのかな?
まだ当分の間、出張だって言ってたけど。
琴音と二階に上がり、最近はあまり帰ってこられなくなった二号さんの部屋を覗くと、狭い部屋の中で吉備津彦さんがパソコンのモニターに向かって何かをしていることに気付く。
「・・・何やってるんですか?音も出さずに。」
「うわ!・・・なんだ、琴音さんか。いや、千弦さん?ええと、シェイプシフターが働いている間のドラクエのレベル上げを頼まれて・・・グローリエルはお嫁に行っちゃったし、玉山や精神世界でゲームしてると、オリビアや楽々森彦にからかわれるし・・・。」
うん。目が死んでるよ。
そんなにエルがお嫁に行ったのがショックだったのか。
なんというか、日本が誇る英雄がこんなことをやっているなんて、全国のちびっこが知ったら何と思うか。
ああ、そうか。
食卓に四人分の食器があったのは彼の分か。
「琴音~!千弦~!桃太郎さ~ん!ご飯ですよ~!」
その声を聴いた瞬間、がばっと立ち上がり、いそいそとセーブしている。
・・・なぜだろう?
桃太郎と呼ばれた瞬間、目の輝きが戻ったような?
琴音は何がおかしいのか、お腹を抱えて笑い転げているし。
まあいいや。桃の名前について、あとで吉備津桃の名前の使用許可を取っておかなきゃね。
◇ ◇ ◇
食事が終わり、じゃんけんで負けた琴音が食器を洗っていると、いつの間にか吉備津彦さんが手伝っている。
居間のテレビをボケーっと眺めていると、念話のイヤーカフからピリッという感覚が来る。
・・・これ、いきなり話しかけられるとビックリするから着信音代わりに使ってもらっているんだけど・・・。
やっぱりびっくりするな。
《千弦さん、琴音さん。先ほど宗一郎さんとエルさんとも話しましたが、桃の名前は「吉備津桃」で賛成だそうです。》
《そう。じゃあ、吉備津彦さんにも一応話しておこうか。目の前にいるからさ。》
《吉備津彦が?どこへ行ったかと思ったら、お二人の家にいたんですか。もう、グローリエルが嫁入りしたのがそんなにショックだったのかしら?》
《あ、姉さん!吉備津彦さん、さっきから何を話しても上の空なんだよ。もう、いつ皿を割られるか・・・おっとぉ!・・・あ、あぶないって!》
《と、とにかく、話しておくね。桃の名前は、吉備津桃にするよって。》
仄香との念話を終え、キッチンに向かうと・・・。
琴音が床すれすれで二枚の皿を受け止めたところに、しゃもじが落ちてコン、と小気味いい音を立てたところだったよ。
さすがに、ちょっと見てられなくなったので、吉備津彦さんをリビングに連れ出す。
「吉備津彦さん。エルが結婚しちゃってさみしいの?」
「いえ、僕はマスターの眷属で、ただ召喚されただけの存在ですから。そんな感情を持つこと自体、間違いなんですよ。」
「なんで間違いなの?眷属だからダメ、っていうのがよくわからないんだけど。」
眷属って、人間じゃないからだろうか。
人間じゃなきゃ寂しいと思っちゃいけないんだろうか。
「僕たちはまるで神話上の人間や怪物のようにふるまっていますが、実のところは精神世界に結像した、人間の想像上の産物です。ですから、この感情も偽物なんですよ。」
「・・・偽物のどこが悪いの?そんなこと言いだしたら私の右目も右耳も、両手足も偽物だよ?・・・ああ、そういえば私はリビアで一度死んだとき、人格情報を遥香のバックアップから復元したから魂も半分は偽物かもしれないね。」
私の言葉に吉備津彦さんは目を丸くしている。
さらに、私は追い打ちをかけるように言う。
「ルネ・デカルトが言ってたじゃん。『Cogito, ergo sum』、我思う、故に我あり。吉備津彦さんがその感情を持っていると自覚するんなら、吉備津彦さん自身は確実にそこにいる。だから、自信を持ちなさいって。」
・・・ん?
日本の古い英雄にラテン語の格言なんて通じないか?
それより、なぜ私はラテン語がわかるんだ?
・・・ああ、パクリウスのせいか。
「・・・千弦さん。あなたは強い人だ。きっと、マスターと同じくらい。」
「やだなぁ。褒めても何も出ないよ?」
「・・・これを。マスター以外には渡していないんだけど、僕の召喚契約認証だ。もし貴女が僕を召喚するだけの魔力を手に入れたら、僕は喜んで貴女のもとにはせ参じよう。」
そう言って吉備津彦さんは右手を差し出す。
握手のようだったので、私も反射的に手を出してしまう。
吉備津彦さんの右手が私の右手を強く握った瞬間、何か、詠唱のようなものが流れ込んできた。
・・・これは・・・召喚魔法!?
うわ・・・!?
まさか、吉備津彦さんの召喚魔法をもらっちゃったの!?
あっけにとられた私をよそに、すっかりと機嫌を直した吉備津彦さんは、再び琴音の洗い物の手伝いに戻っていったよ。
◇ ◇ ◇
仄香
桃の試食会を終え、残りの桃を持って遥香の自宅へと帰宅する。
「あ、お帰りなさい。遥香さん。もしかして仄香さんも一緒かい?」
オリビアが洗濯籠を持って洗面脱衣所から顔を出す。
「ただいま。遥香は今、杖の中よ。ところで、今日はオリビアの日だっけ?」
そろそろ香織の腹も大きくなってきたことだし、手が空いてる連中に家事の手伝いを頼んでいるんだが・・・。
「あ、星羅さんは何か大事な用があるとかでフィリップ?とかいう人のところに行ったよ。だから、今日明日は私が泊ってく。」
フィリップス?魔術結社の仕事が忙しいんじゃなかったのか?
まあ、星羅は普通の魔法が使えないから魔術で何とかしようって話にはなったんだが。
「そう、迷惑かけるわね。ジェーン・ドゥの身体の修復が終わるまでよろしくね。」
リビングに行き、試食会でもらった残りの桃を冷蔵庫の中に入れる。
香織と、遙一郎の分、オリビアの分と遥香の分・・・。
とりあえず五つあるから足りるだろう。
夕食の後にデザートで出してやろうか。
きっと喜んでくれるだろうな。
さて・・・オリビアもいることだし、身体は遥香に返してジェーン・ドゥの身体の修復状況の進捗確認と・・・動かせそうなら長野の桃畑でも見に行くか。
◇ ◇ ◇
遥香に身体を返し、玉山に保管したジェーン・ドゥの身体の様子を見に行く。
霊体の状態で隠れ家の結界を抜け、ジェーン・ドゥの身体の修復を行っている研究室に入ると、そこにはメネフネをはじめとした数体の眷属が機械をいじっているところだった。
「アア、マスター。お帰りナサイ。いま先ホド、やっと全身の魔力回路の修復が完了しマシタ。・・・それにしても、ガタガタデスネ。」
「マイタロステで一度破壊されてるからね。一度は20mmで胸部を吹き飛ばされてバラバラになってるし、そのあとも蛹化術式で無理やり修復して使ってたから・・・治りそう?」
「もともと新品だったノデ、普通に使う分ニハ問題ありマセン。対マーリー戦程度なラ、後でメンテナンスをすれバ大丈夫でショウ。ただ、琴音サンの身体と同じ感覚で使うト、一度で壊れマス。」
う~ん。
琴音の身体の性能は・・・ちょっと異常なんだよな。
もう二度と使うことはないと思うんだけど、あれで性能の一割も出していなそうだったから・・・。
一瞬黙った私に、メネフネが言葉を続ける。
「思うに、ジェーン・ドゥの身体は魔力回路に記名されテイル名前が問題なノデハないでショウカ。ジェーン・ドゥという仮名のままでは潜在能力が出せナイと思われマス。」
「そうは言っても、その身体は・・・あ。そういえば名前、聞いたじゃない。」
そうだよ、アストリッドとミレーナ。
でもなぁ。
今さら「私の名前はアストリッドとミレーナです。」っていうのもなんだかなぁ。
それに、元は双子だから、どっちの名前を名乗ったらいいのか。
とりあえず棚上げでいいか。
メネフネが修復してくれた身体に憑依し、ゆっくりと起動する。
よし、ほとんど治っているな。
「ありがと、メネフネ。・・・とりあえず騙し騙し使いましょう。それで、隠れ家で何か変わったことはない?」
順番は逆になってしまったが、グローリエルがいなくなったせいで少し環境が変わってしまっているんだよな。
「玉山の隠れ家ニハ問題ありマセン。ただ、今朝方、南極の隠れ家から内線が入りマシタネ。そろそろ食料が尽きるそうデス。」
南極・・・?
「え?フィロメリアって、もしかして生きてたの?すっかり忘れてたわ。」
マジか。
教会の本部を吹き飛ばしたせいで完全に忘れてたよ。
ま、まあ、セレナの身体を手に入れたから許してくれるだろ、たぶん。
◇ ◇ ◇
南極 ドロンニング・モード・ランド 地下
隠れ家内 居住区画
「もう・・・見捨てられたのかと思ってたよ!この体を捨てて逃げ出そうにも、この辺りには生きてる人間どころか、草木一本ないだろうしさ・・・。」
目の前には半泣きになったフィロメリアが、エレオノール・・・アストリッドとミレーナの母親の身体で泣きついている。
たのむからいい歳した女の身体で泣くなよ
いや、マジで悪かったよ。
てっきり死んだものと思っていたから・・・。
「と、とりあえず、身体を持ってきたんだけど・・・これ、あなたの身体じゃない?」
そう言ってセレナの身体をフィロメリアの前に立たせる。
一応、制御はリリスがやっているが、バシリウスに改造されている部分は全部修復した・・・はず。
「あ!あたしの身体!取り返してくれたの!そっか、だからこんなに時間がかかったんだ。・・・ごめん、そうとは知らずに・・・。」
う~ん。
本当は忘れてました、とは言えないよなぁ。
それに、この身体、修復して分かったんだけど、まだ子供じゃないか。
「・・・ねえ、ところであなたって、何歳だっけ?」
「ええと、その身体に入ってからでいい?脳みそがないからどうも記憶がはっきりしないんだよね。・・・うわ。魔石が・・・ないじゃん。ってことは、本体はまだあのクソ野郎に捕まっているままなのか。」
フィロメリアがエレオノールの身体からセレナの身体に移るサポートを注意深く行う。
そうしないと、魂と接続を切られた身体側が、死んだと錯覚して生命活動を停止してしまうからな。
魔石はないものの、何とか自分の身体に戻ったフィロメリアは、セレナの口を動かして答える。
「う~ん。よし、動く。は、ははは。何年ぶりだろう?こうして自分の身体で息を吸えるのは。ええと、あたしの名前はセレナ・グレイス。1969年、9月23日生まれ。・・・よし、頭がはっきりしてきた。」
魔族で1969年生まれと言ったら・・・人間の年齢でいえば・・・十歳にも満たないではないか!
「あ、あなた、まだ子供じゃないの!?あのクソ男!自分の子孫の、しかも年端もいかない子供に何をやらせてんのよ!」
なるほど、自分にとって最初の子供であるはずの紫雨にあんなことができるわけだ。
「あ~。よくわからないけど、あたし、そろそろここを出たいんだけど。っていうか、ココ、何もないじゃん?いい加減飽きたよ。ついでに、どこか住めるところがあったら住まわせてくれるとありがたいかな、なんて。」
・・・し、仕方がない。
玉山の隠れ家で空いてる部屋があるからしばらくはそこに住まわせてやるか。
それにしても・・・アマリナといい、セレナといい、魔族との付き合いが増えてきたな。
短期間の間にガラリと変わったものだ。
◇ ◇ ◇
フィリップス・ド・オベール
スイス南西部ヴォー州 州都ローザンヌ
娘の一人が死んだ。
トレーズによれば、ドゥーズはサン・ジェルマンを道連れにと、最後の力を振り絞って自爆したらしい。
吾輩のホムンクルスは、魔法協会や教会が作っているホムンクルスもどきとは違い、疑似人格ではなく合成霊魂を宿らせてある。
一世紀半にわたる研究の結果、やっとの思いで生まれた合成霊魂の、最初の死者がドゥーズになってしまったのは痛恨の極みだ。
「マスター・フィル。お姉さまは最後まで笑顔でした。どうか、お気になさらぬよう。」
・・・トレーズは顔色一つ変えずに、吾輩を慰める。
表情を作れるようになるほど、長く生きることもできなかったドゥーズを、無表情の中で悲しく思っているのだろうが・・・。
「残念である。せめて、ドゥーズの魂に安らぎのあらんことを。ところで、おぬしら二人が保護した女はどこにおるか?」
六~七千年前の女の凍った女の死体がシベリアの永久凍土の下から発掘されたという話は聞いていた。
ソ連が経済的に困窮して、美術品や歴史的遺物を西側諸国に売り払い、何とか外貨を稼ごうとしている中で、ルーブルにそれが運ばれると聞き、娘たちを確認にやらせたが・・・。
安全な仕事のはずだったのだ。
まさか、それをサン・ジェルマンが屍霊術を用いてまで奪おうとするなどとは・・・。
「こちらに。・・・何者かの魔石を放り込まれております。屍霊術というより、憑依術に近いものかと思われます。」
・・・ふむ。
複数の魔力回路の気配。
それも、かなり単純で古い形式の・・・。
「これは、もしや人類最古の魔法使いの遺体であったかもしれぬな。さて、どうするか。・・・魔法となればエルリックの専門であるな。良くできた弟子に少し、手を貸してもらうことにするか。」
そうと決まれば話は早い。
急ぎ、航空機のチケットを取り寄せようか。
まったく便利な世の中になったものだ。
次回「236 新発売!神話の桃、「吉備津桃」/英雄の帰還」
7月4日 6時10分公開予定。