231 エルの新たなる門出/小さな姉さん女房
南雲 琴音
7月25日(金)
あの事件・・・各国政府発表によると、東側諸国だと「非国家主体による対多国武力行使事案」とか、西側諸国だと「広域秩序変動事案」とか呼ばれているけれど、テレビ局やネット新聞では「魔女災害」とか「魔女事変」とか呼ばれているらしい。
国連の発表した「多国間対外非対称衝突事案」なんて何を言ってるのかよくわからない。
・・・魔女という名前を入れたくないんなら、教会の名前でも入れておけばいいのに、戦争を起こした側も、受けて立った側も入れないから訳が分からない名前になるんだよ。
・・・武漢肺炎をCOVID-19と呼んだみたいにさ。
そして、なぜか私たちは今、厚木の飛行場にいる。
たしか、エルがハワイで挙式するからと招待されたはず・・・なんだが。
あれ?学生は貯金がないからと、結構な額のお車代を事前にもらってなかったっけ?
「琴音。そろそろ私たちが乗る便が見えて来るよ。・・・ん~!これよこれ!C-130Jスーパーハーキュリーズ!航続距離はなんと五千km以上!・・・まあ、ミッドウェイで給油するらしいけどね。」
「・・・なんで私たちは厚木海軍飛行場にいるのかしら?」
一人舞い上がって踊り狂っている姉さんを、咲間さんと遥香、そして紫雨君がジト目で見ている。
「いいじゃない!琴音は行きも帰りもホテルでも紫雨君とイチャイチャできるんでしょ!私なんか理君を連れてこられなかったのよ!ルートぐらい私の自由にさせてよ!」
いや、エルの育ての親である仄香の実の息子を呼ぶのは当然だけど、理君とエルは面識がないから招待できないでしょうよ。
・・・まあ、飛行機には変わりはない、のか?
片道分の旅費が、全額浮く・・・のか?
「お!揃ってるね?ミス千弦。それと、ミス琴音。本日は我ら第5空母航空団をご利用いただきありがとうございます・・・ってな。」
「あ、お世話になります。・・・あれ?もしかしてフレデリック大将の・・・息子さん?」
「そうとも。そして、千弦さんをデートに誘うも、敢え無く撃沈された哀れなヴィンセントさ。」
あれ?遥香をデートに誘ったんじゃないの?
いつの間にか相手が姉さんになっている?
あ!遥香ってば姉さんに押し付けたな!?
「・・・ヴィンセントさん、せっかく海軍の大佐なんだからそっち系のデートに誘ってくれたらよかったのにさ。私は渋谷とか原宿には興味なかったんだよ。・・・あ~あ。空母ロナルド・レーガンに乗ってみたかったなぁ~。」
ロナルド・レーガンって・・・例の魔力結晶を使った魔導空母?
「ぐ・・・初めからそういうモノに理解がある女性だと知っていれば!艦長権限で無理やり寄港中の空母に乗せられたものを!とにかく!今日はリベンジだ!」
・・・大佐。
健治郎叔父さんと同じ階級か。
へー。大佐って空母の艦長さんになれるんだ。
「・・・千弦っち。大佐って、その、すごく偉くない?しかも、空母の艦長さん、なんでしょ?」
「そう!そうなんだよ!しかもヴィンセントさんは元戦闘機のパイロット!撃墜スコアが50の大台に乗ったエースオブエースなんだよ!色々聞けるのを楽しみにしてたんだよ?それなのに原宿とか渋谷とか・・・おかしくない!?」
「ねえ、千弦ちゃん。ヴィンセントさんは日本の女子高生とデートするつもりだったんだよ。一生懸命デートコースを考えてくれたんだからさ。そんなに邪険にしなくても。」
「う。それは遥香の言うとおりだと思う。でも・・・軍人ともあろうものが相手の分析と自分の装備を考慮して作戦立案できないのはねぇ・・・だから・・・ナシかな!」
朗らかな声でとどめを刺す姉さんを横目に、彼の部下と思しき人々が私たちの荷物を輸送機の中に運んでくれる。
いっそすがすがしいな。
でも、姉さんには理君がもういるでしょうに。
兵隊さんたちの案内に従い、輸送機の中に入ると、そこは・・・なんというか、倉庫?
網と金属のレール?
すごく整理整頓されているんだけど、快適さには程遠い、金属と布製の椅子が・・・。
「ねえ。千弦ちゃん。これでホノルル空港まで行くの?・・・お尻、痛そう。」
「うん。これは・・・僕の時代の椅子と大差ない座り心地だね。使われている技術はまるで違うけどさ。琴音さん、痛くなったら言ってくれ。いつでも回復治癒魔法をかけるから。」
「うふふ。ありがと。じゃあ、紫雨君のお尻が痛くなったら私が回復治癒してあげるね。」
やり返さんといわんばかりに姉さんの前でイチャイチャしてやる。
「むきぃーっ!琴音が紫雨君に寝取られた!きぃー!」
人聞きの悪いことを。
まあ、寝取られてはいるけどさ。
◇ ◇ ◇
日本の領空を出てから結構な時間が経過し、機内には延々と振動が続いている。
修学旅行で乗った旅客機とは大違いだ。
当然、機内サービスもない。
「琴音ちゃん、はい。」
遥香がひょいと小さなビニール袋を渡してくる。
「あ、ありがと。うわ、お茶とサンドイッチ。それにお菓子まで。」
「サンドイッチは卵とレタスか。ありがとね。さすが、気が利いてるね。」
遥香が人数分に小分けされたビニール袋をみんなに手渡し、少し早いながらも昼食の時間となる。
「千弦ちゃんがこういう経路で行くって言ってたからね。朝早く起きて作ってきたんだ。・・・・あれ?千弦ちゃん?何食べてるの?」
「もげ?・・・あむあむ・・・ごめんごめん、ヴィンセントさんがくれたんだけど・・・みんなも食べる?米軍のMRE。吐きたくなるほど不味くて遥香でも戦争したくなるよ?」
・・・姉さん。戦争したくなるほど不味い飯をそんなに美味そうに食べないでよ。
「ふうん・・・じゃ、ちょっとだけ。・・・うん。なかなか美味いじゃないか。ちょっと薬臭い気もするけど。」
紫雨君がひょいと手を伸ばし、姉さんからクラッカーのようなものを受け取って、ピーナッツバターのようなものを塗って食べている。
「・・・あんたら、もう遥香の手作りのサンドイッチはあげないからね。」
「え。あ、いや、ちょっと待って!あ、しまわないで!食べます!食べさせてください!」
ふん。
遥香の手料理は私のものよ。
姉さんと紫雨君はゲロ不味いミリ飯でも食ってなさい。
◇ ◇ ◇
なんやかんやあったけど、何とかホノルル空港に到着することができた。
・・・最悪な空の旅だったよ。
飛行機はずっと振動しっぱなしだし、まともな座席はないし、ほとんど外は見えないし。
トイレはカーテン一枚でしか隔てられてないし、うるさいから眠れないし・・・姉さんは興奮してしゃべりっぱなしだし。
すっかり暗くなった滑走路に止まった輸送機から、姉さん以外の全員がお尻をさすりながらぞろぞろと降りる。
「では!帰りもよろしくお願いします!ふっふ~ん!」
・・・姉さん。気は確か?
「・・・帰りは一人で乗って。少なくとも私は別ルートで帰るわ。」
「うん。あたしもそうしたい。」
「・・・千弦ちゃんには悪いと思うんだけど、私は仄香さんの長距離跳躍魔法で帰ろうかな。」
「えぇ?そんなぁ!」
なぜか追いすがる姉さんを振り払い、空港に迎えに来ている車に乗り込む。
・・・なんで軍用車両なのよ!しかも、入国審査は・・・あれ?やらないの!?
「ああ、皆さんの入国手続きは日本の外務省と我が国の国務省で全て済ませておきました。身体検査も手荷物検査も不要とのことです。・・・まあ、魔法使い相手にそんなもの、意味はないでしょうけどね。」
迎えに来た日系の米兵のお兄さんがシレっと言うが・・・。
姉さんじゃあるまいし、私はそんなに危険じゃないよ。
ハワイとの時差は―19時間、つまり、日本を出発したのが朝9時、フライト時間は約9時間だから、ハワイの現地時間は前日の23時、つまりは深夜だ。
兵員輸送車をホテルのエントランス前に横付けしてもらい、やはりお尻をさすりながら降りる。
「やっとついたぁ。明日の朝はこのホテルからリムジンバスでチャペルに移動して、参列。そのあとはホテルに戻って披露宴。終わったら私たちはそのまま観光、エルちゃんは新婚旅行。・・・いいなぁ。私もいつかウェディングドレス、着てみたいな。」
やっと文明の匂いが。
いや、輸送機も兵員輸送車も文明の産物なんだけど、何か野蛮な匂いが混ざるのよ。
「遥香のウェディングドレス姿・・・すごくきれいだろうね、でも相手は誰になるんだろうね。」
遥香の言葉に、姉さんが反応する。
すると、なぜか遥香は顔が真っ赤になってしまった。
「好きな人はいるんだけど、面と向かって好きって言えない相手というか、その人、もう子供がいるし、他に好きな相手がいるみたいで・・・。」
その条件に当てはまるのなんて一人しかいないじゃん。
しかも、ライバルは仄香だし。
「言わんでよろしい。くそ、あの戦争バカのどこがいいんだか。とにかく、明日は早いんだから早く寝るよ!」
◇ ◇ ◇
夜が明け、いつの間にか合流したお母さんやお父さん、三鷹の香音叔母さんや健治郎叔父さん、九重の爺様や和香先生に、南雲の音弥爺ちゃんと弦子婆ちゃん、そして宏介君、一 二三君といった親族が顔を並べている。
他にも、さすが現職の総理大臣の長男の結婚式というだけあって、政財界からの参加者もそうそうたる顔ぶれだ。
浅尾副総理をはじめとした、テレビで何度も見たことがある人たちが正装をしている。
見れば、佐世保からわざわざ来てくれたのか、ナーシャがこちらに手を振っている。
彼女はすっかり柔らかな表情が似合う、可愛い女の子になった。
親戚が一人もいないと思っていたが、叔母さんと二人の従兄妹が見つかったらしい。
今回、私たちは新郎の親族ではなく、新婦の友人・家族として出席する。
彼女の親友、そして家族として、一同揃ってエルを送りだすのだ。
「いつかこの日が来ると思っていました。でも、あと半世紀くらい後になるかとも思っていたのですが・・・。」
いつの間にか合流した仄香が、ジェーン・ドゥの身体で目に涙を浮かべている。
47年間、寝食を共にしてきた彼女は、エルの母親のようなものだ。
まるで自分の娘を送り出すかのように、嬉しそうに、でも寂しそうな笑みを浮かべている。
親族は揃ってホテルからリムジンバスに乗り、市内にある大きな教会へ向かう。
よく晴れた朝、私たちの親友が結婚することを考えると、自然と自分たちの将来を考え、緊張してくる。
そんな緊張をほぐすかのように、空には大きな何かが羽ばたいて花吹雪を撒いていく・・・。
ん?大きな何かが羽ばたいて?
なんじゃありゃあぁぁぁ!
「ああ。あれは玉山のゴールデンドラゴンですね。以前オリビアに絡んできたので駆除しようとしたら彼女が飼いたいと言い出しまして。オリビアが一発殴り倒したら懐いた、って言ってましたけど。」
・・・おいおい。
翼の付け根にちらりと・・・鞍がついてるよ。
オリビアさん、乗ってるよ!
しかも正装だよ!
「いいなぁ・・・あたしも乗ってみたいなぁ・・・。」
咲間さん?そういった問題じゃ・・・。
「米軍の許可も出ていますし、所属は海軍で警備扱いです。まあ、ゴールデンドラゴンの防御を抜くことができる空中戦力は存在しませんから安心してください。・・・何発か同じところに戦車砲 でもぶち当てれば別ですけど。」
何人かがあんぐりと口を広げたまま、いつの間にかリムジンバスはチャペルに到着した。
◇ ◇ ◇
グローリエル・R・九重
日本では七月ともなれば暑いだけの風が、今日はやさしい。
海の匂いは、ふだんは苦手。
でも今日は、ぜんぜん平気。
むしろ、いい匂い。
あったかくて、うれしい匂い。
・・・たぶん、そういうのって、気持ちで変わるんだと思う。
髪が風でちょっと乱れても、気にならない。
宗一郎が、私を見る目は変わらないから。
まっすぐな目。
嘘が全くない目。
私を見失わない目。
胸が、ちょっと詰まってる。
苦しいんじゃなくて、なんか、あふれそう。
たぶん、これ、「しあわせ」ってやつ。
千弦と琴音が扉を開けてくれる。
あの日、失ったと思っていた二人が、私の左右で笑っている。
今日のために正装で召喚しなおされた吉備津彦が私の手を取り、教会の祭壇に向かって歩き出す。
47年前のあの日から、彼が私のお父さん。
そして、マスターがお母さん。
ちょっと不思議な、私の両親。
ドレスは、ちょっと重い。
でも、今日は好き。
琴音と遥香が選んでくれて、マスターも「似合う」って言ってくれた。
千弦も恵も、静かにうなずいてた。
みんなが、私のために時間をくれた。
・・・だから、これを着て、ここに立つって、決めた。
宗一郎は、少し不器用。
スキーも下手だし。
でも、すごくやさしい人。
手が大きくて、熱くて、声が落ち着いてて。
初めて会ったとき、私の料理をとてもおいしそうに食べてくれた。
そのとき、私は何も言えなかったんだけど、何を言いたいのかすぐ察してくれた。
私よりアルコールに強い人も、初めて見た。
遥香が、二つの指輪を白いクッションに乗せて、ついてくる。
あの指輪は、マスターが作った謎金属に、紫雨が作った人工ダイヤモンド。
指輪全体のデザインは琴音と恵で、千弦と遥香が作った術式が込められている。
指輪をはめてもらうとき、手がふるえてた。
けど、宗一郎は何も言わずに、ただ、そっと握ってくれた。
それだけで、安心した。
横を見たら、マスターが笑っていた。
・・・少し涙が出た。
でも、泣きたかったわけじゃない。
ただ、なにかが、胸の奥でほどけた。
「ありがとう・・・。」
言葉が、それしか出てこなかった。
でも、それで、足りると思った。
昨日までの私は、グローリエル・ルィンヘン。
今日から、グローリエル・R・九重。
入籍はちょっと前に済ませたけど。
式をして、名前が変わっても、私の中身は変わらない。
けど・・・心は、少し変わったかも。
やっと、誰かの隣に立てるって、そう思えた。
魔法が使えなくても、誰かに幸せにしてもらっていいって、教えてもらったから。
宗一郎のとなりで、私は笑った。
ちゃんと、笑えたと思う。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
厳かな空気の中、結婚式は続いていく。
隣の席では、吉備津彦さんが感極まって泣いている。
そして、なぜか二号さんまで泣いている。
・・・遥香の顔で泣くもんだから、反対側で泣いている遥香の顔と合わせてSAN値がゴリゴリと削られていくよ。
それにしても、エルが宗一郎伯父さんと仲良かったのは知っていたけど、結婚するほどに好き合っていたとは気づかなかった。
「姉さん。エル、本当にきれいだね。」
「うん、そうだね。私たちもいつか結婚するのかな。」
エルのドレスを選ぶとき、琴音と遥香、仄香と私の四人が一緒にいたけれど、バージンロードを歩く姿は試着の時とは比べものにならないくらいきれいだ。
エルと宗一郎伯父さんは誓いの言葉を述べ、指輪を交換している。
「あの指輪・・・なんの金属でできてたんだろ。金色なんだけどちょっと赤みがかってるし、超硬合金ドリルどころかダイヤモンドドリルまで欠けるし・・・。」
咲間さんがぼそりとつぶやく。
そういえば咲間さんにもデザイン決め用にサンプルが渡されてたっけ。
「・・・あれ、仄香が作った金属らしくて・・・魔力を限界まで圧縮し続けると、人工魔力結晶みたいになるんだけど、さらに圧縮すると金属みたいになるって・・・『オリハルコン』って呼んでたよ。」
「げ!?オリハルコン・・・?」
おかげで、顕微鏡下なのにフルパワーで立体造形術式を使わなけりゃならないわ、カットしたダイヤモンドをはめるのに、台座のせいでダイヤモンドが傷にならないように、と訳の分からない心配はするわ、石を止める爪が立体造形術式なしでは曲がらないわ・・・。
結婚式に間に合ったのは奇跡だね。
・・・まあ、いいか。
エルの幸せそうな顔を見ていたら、逆にうれしくなってきたよ。
「そういえば姉さん。その金属、インゴットでもらってたよね。いろいろ試さなきゃならないって。残りはどうしたの?」
ぎく。
「え?あ、うん、練習にいろいろ作ったかな。あは、あはははは。」
新作の術式振動ブレードの刃にしましたとは・・・言いづらい。
いよいよ挙式が終わり、ブーケトスの時間になった。
私や琴音、咲間さんや遥香だけでなく、列席しているちょっと歳のいった女性も、ぐぐっ、と身構える。
司会の人が合図する。
「それでは、ご列席いただいた皆様。幸せのおすそ分けの時間です。さあ、エルさん!ブーケを投げてください!」
エルが鼻息とともに、後ろ向きにブーケを放り投げる。
・・・おいおい、飛びすぎじゃね?
「おおっと。・・・いけない。私が取ってどうするんですか。」
何故か参列者から大きな歓声が湧き上がる。
ブーケを受け取ったのは・・・仄香だったよ。
◇ ◇ ◇
披露宴会場に移動するエルの手伝いをする。
私たちが泊まっているホテルの、一番大きなホールが会場だ。
披露宴会場はすでに準備されていて、みんな席次表に従って静かに着席していく。
七月のハワイは、空が青すぎる。
外は強い陽射し。中は冷房の利いた披露宴会場。
白と金のテーブルクロス、煌びやかなシャンデリア、控えめに花の香り。
司会者が、新婦の挨拶を告げる。
おずおずと、壇上に立つエル。
だけど、エルの立つ壇上は・・・なんだか、ずっと前からそこに彼女がいたような、不思議な場所だった。
「こ、こんにちは・・・グローリエル・・・九重です」
小さな声。息を吸ってから出すような、慎重な声。
・・・あ、ダメだ。
こっちが泣きそう。
私は琴音の隣で、グラスを持ったまま、ただ彼女を見つめていた。
あのエルが、あんなに震える声で、それでもマイクの前に立ってる。
それだけで、なんかもう十分だった。
けれど、エルは続きを話し始めた。
いつもどおり、少し言葉が足りなくて、どこかで迷子になるような話し方。
でも、誰にも似てない、エルの話し方だった。
「ええと・・・私は、この中にいる誰よりも、人間じゃ・・・なくて、・・・あ、ちが・・・実際に人間、じゃないんだけど・・・。」
琴音が笑いをこらえている。いや、たぶんみんな同じ気持ちだ。
エルは、どこまでも「真面目」なんだ。
完璧な言葉を探そうとして、逆にたどり着けない。
でも、それでいて、一番大事なことを、ちゃんと伝えようとする。
「私は、・・・昔、一千万ルーブルで売られました。」
一瞬、会場の空気が変わった。
グラスを持つ手に、無意識に力が入った。
でも・・・それでも、エルは言葉を止めなかった。
「ちゃんとここにいるって、言いたいから。」
それは、あの子の人生そのものだった。
ただそこにいることに、どれだけの努力と、どれだけの時間が必要だったか。
・・・魔法が使えないってだけで。
それだけで、人工魔力結晶にされかけた。
エルは何も悪くないのに。
私は、自分の中にわきあがる感情を飲み込んだ。
ここで泣いたら、だめだ。
いま、彼女は自分の足で立ってる。
それを見てあげるのが、私たちの役目だ。
「私は、宗一郎が好きです。・・・ほんとに、ほんとに。それで、きょう、結婚できて、すごくうれしいです。ありがとうございます。・・・これから、がんばります。ゆっくり、でも、ちゃんと。」
拍手が大きく広がった。
壇上のエルは、顔を真っ赤にしながら、一礼した。
ドレスの裾がふわりと揺れて、その姿は・・・ほんとうに、綺麗だった。
琴音が、隣でぽつりとつぶやいた。
「・・・あの子、本当に、よかったね。」
私は黙ってうなずいた。
涙はこぼれなかったけど、代わりに、胸がいっぱいになった。
それは、たぶん、仄香の近くにいた者だけが知っている、あの深い孤独と、そこから立ち上がった光を・・・誰よりも、強く感じていたから。
◇ ◇ ◇
九重 宗一郎
ハワイ オアフ島
ホテルナインフォールド ロイヤルスイートルーム
同日 夜
生まれてこの方、遊び以外でまともに女性と付き合ったことはなかった。
モテないわけじゃない。
クソ親父のおかげで我が家は名家だし、政治家の子息であり続けたし、死んだお袋の家も相当な資産家だったし。
自分でも見た目には気を使ったし、いろいろとスポーツにも励んだりした。
体は鍛えてある。
健治郎ほどじゃないけどな。
ラブレターの枚数はもはや覚えていないし、大学時代には俺がいるだけでそのサークルは女子の割合が増えたりした。
だが、すべての女性が俺のことをまるで自分のアクセサリーか何かのように考えているのが、呪病を通して分かってしまったのだ。
呪病・・・。
俺がこの能力を「呪病」と呼ぶのには訳がある。
この能力は、ある程度だが相手の考えと感情を読むことができる。
そのおかげで、余計なことを知り続けた。
目の前にいる女性が、本当は自分を好いてなどいないことを。
あるいは、金の匂いに誤魔化されているだけで、場合によっては金持ちのボンボンくらいにしか思っていないことを。
まさしく、これは俺にとっての呪いとしか言えなかったのだ。
おかげで、俺のことを一人の人間として接してくれるとわかる女といえば、妹の美琴か、姪の千弦と琴音くらいしかいなかったのだ。
・・・遥香ちゃんは例外だったか。
ただ、父親の大学時代の後輩としか言っていなかったからな。
仄香さんが憑依する前に俺のことを詳しく知っていたらどうなっていたか。
怖くて言い出せなかったよ。
一の家に伝わるこの力は、伝承通りなら古代魔法帝国の遺産であり、いつか復活するというノクト皇帝を支える第一公爵家の証であるという。
・・・皇帝ね。
子孫の人生を縛る鼻持ちならないやつかと思ってたけど、まさか仄香さんの息子さんとはなぁ・・・。
個人的にかなり助けちゃったけど、ま、結果オーライってことで。
本人にも言ってないけど、まあいいか。
俺は一の家の人間じゃないし。
「宗一郎。今夜は初夜。・・・初めてじゃなくても初夜?」
「う~ん。結婚してから初めて、ってことでいいんじゃないか。そんなことより疲れただろう?」
「私はエルフ。だからまだ若い。宗一郎こそ疲れてるんじゃない?」
「・・・君を抱くくらいの体力はまだまだ残っているよ。」
エルさんは、今まで会ったどの女性とも違う。
巧みに心を隠す女はいた。
自分を上手くだます女もいた。
初めから打算を隠さない女もいた。
馬鹿みたいに何も考えない女もいた。
彼女はそのいずれとも違う。
自分の心の弱さも隠そうとしない。
俺のことが好きだという心も隠さない。
打算ができるほどの悪意がかけらもない。
馬鹿どころか知識は多く、素晴らしく知恵がある。
「ん。少し汗をかいた。シャワーを・・・一緒に浴びる?」
そして、性的には成熟していないながらも、一生懸命、俺のことを気遣ってくれる。
・・・これは、呪病に感謝だな。
きっと、エルさんに会うために、ほかの女を寄せ付けなかったんだろう。
「このホテルはバスルームが自慢だからね。シャワーだけじゃなくてしっかり入っちゃおうか。」
このホテルはウチの会社の系列だからな。
っていうか、ちょっと豪華すぎて料金を安くできなかったんだよ。
「お。この部屋の風呂は大きくて丸い。・・・変な装置がたくさん。」
「大型円形ジャグジーだね。スイッチ一つでバブルバスにもなるんだ。ホテルのウリになるかと思って導入させたが、まさか最初に使うのが自分になるとはな。」
「すごい。早く入ろう。」
「ああ、せっかくだから入りながら一杯やるか。」
よく冷えたワインと、グラスを二つ持ち、すでに裸になった彼女を連れてジャグジーに入る。
・・・一面がガラス張りになった大きな窓から、街の明かりと星空が見える。
俺は何歳まで生きられるかはわからないが、この星空と同じように、エルさんはずっと変わらないだろう。
◇ ◇ ◇
身体を拭いてキングサイズのベッドに横になる。
すでに何度か抱きしめた、エルさんの細い身体を引き寄せる。
ガラス細工のように思えるほど細く、脆そうな身体を壊さないように丁寧に、やさしく触れる。
「宗一郎。怖がらないで。私はそう簡単に壊れない。」
「ん?・・・ああ、つい、な。」
「仕方がない。じゃあ、今夜は私に任せて。私のほうが人生経験豊か。」
そりゃそうだろう。
エルさんが仄香さんと暮らし始めたころ、俺はまだ生まれてもいなかったんだぜ?
でも・・・エルさん、初めてだったじゃないか。
こっちの経験は俺のほうが長いぜ?
なんてったって女に騙された回数は・・・自慢にもならねぇな。
細く小さな身体で一生懸命なエルさんを、思わず力強く、抱きしめてしまった。
◇ ◇ ◇
翌朝、すっかり痛くなった腰をさすりながら目を覚ます。
・・・あのまま眠ってしまったのか。
「おはよう。宗一郎。朝ごはんを作った。」
「え?・・・いや、スイートだからキッチンはついてるけど、材料はどうしたんだ?」
「玉山のパントリーからとってきた。片道13分もあれば行ける。ヴイ。」
そうか、長距離跳躍魔法で・・・。
「・・・ん?かなりの距離があると思ったけど?どれだけの速度が出ているんだよ・・・。」
「・・・長距離跳躍魔法の最大対地速度はおよそ毎秒10,880m。地球は赤道半径6378.137km、極半径6356.752km。今回は浅い角度だから赤道半径を地球半径Rとする。この時、同半径の球体上を地点1、北緯21.384604,西経158.003008から地点2、北緯23.537483, 東経120.846478へ移動する。それぞれの緯度経度をX1からY2とした場合、二点間の最短距離、すなわちここから玉山までの大円距離Dは次の公式によって計算できる。・・・D=R×acos{sinX1sinX2+cosX1cosX2cos(Y2-Y1)}・・・およそ8,230km。加減速を含めれば・・・ほら、大体13分。」
・・・そうなんだよな。
エルさんはポヤヤンとした表情をしているから勘違いされそうになるんだけど、俺たち人間よりもずっと頭がいいんだよな。
「ハイエルフって・・・すげーな。」
「・・・?得手不得手があるのは当然とマスターが言ってた。それより、朝ごはんができた。運ぶから手伝って。」
エルさんはエプロンをしたまま、料理を持ってくる。
白いご飯に、みそ汁、漬物、焼き鮭に出汁巻き卵。
ハワイで純和風料理が食べられるとは思ってなかったな。
「うん、おいしい。・・・ただ、裸エプロンは危険だからやめような。」
「う・・・喜ぶかと思った。」
ケラケラと笑いながら穏やかな時間が過ぎていく。
俺たちの新婚旅行はこうしてゆっくりとはじまった。
次回「232 古い血の記憶/ハワイ旅行」
6月29日 12時10分 公開予定。