225 泥濘から出て見えた空/日常と恋心
仄香
東京都西東京市 南雲家
7月9日(水)
明日から一学期の期末試験が始まるにあたり、テスト対策の勉強もいよいよ大詰めを迎えていた。
今日はリモートではなく、南雲家のリビングで勉強会をさせてもらっている。
理由は・・・勉強会が終わった後、やらなければならないことがあるからだ。
「ふう、仄香さん。あたしの方はいつも通りだね。・・・二人の様子はどう?」
琴音と千弦、咲間さんと遥香。
四人でテーブルを囲んで、それをジェーン・ドゥの身体に入った私が教えて回る、といういつものスタイルだ。
ちなみに、テスト期間中、遥香は仮想空間で同じ内容のテストを受ける予定だ。
最近はかなり努力しているようで、及第点は取れるようになったようだ。
「う~ん。ちょっと学校を休みすぎたわね。何とか追いついたけど、中間テストのときほど自信がないわ。姉さんは?」
「ん~?ま、何とかなりそうかな。ちょっと寝不足なのがつらいけど、テスト範囲は大体カバーできたと思うよ。」
そういえば千弦のやつ、右目を再生するときに魔女のライブラリに直結させてたっけ。
あの知識を効率よく使えば、大学入試くらいは寝ぼけながらでも合格できるだろうけど。
それに、ラジエルの偽書にも同期させていたけど、体調の方は大丈夫なんだろうか。
「・・・そういえば、姉さん、あれから毎日・・・。」
「言うなって。もう今更どうしようもない話だし、結局は自力で克服していくしかないの。それに、琴音だって時々うなされてるでしょう?だから、一緒に頑張ろう?」
「・・・相変わらず、姉さんには勝てないわ。でも、つらいときは遠慮なく言って欲しいかも。」
二人のことは母親の美琴から相談を受けているが、特に千弦は心的外傷後ストレス障害がひどく、強制睡眠魔法なしでは眠れないような状態になっているらしい。
同時に、琴音は抗魔力の高さゆえ、一切の魔法・魔術が効かず、千弦と同じベッドでないと眠ることができないらしく、二人は琴音の部屋で抱き合って眠っているそうだ。
沖縄で遺跡の発掘をしていた父親の弦弥は、空路と海路がやっと回復した日、つまりは千弦が家に帰った日に家に戻ったが、美琴を一人にしてしまい、肝心な時にいなかった自分を責めているらしい。
家族仲に亀裂が入ったらどうするんだよ。
・・・バシリウスめ。
無間地獄に叩き落しても、まだまだ足りない。
「ふっふ~ン、オヤツの時間デス~。今日のオヤツはグローリエルさんが作ったシフォンケーキですヨ~。」
私が思い出し殺気を発する寸前に、シェイプシフターが全員分と自分のオヤツを持ってキッチンから出てくる。
・・・相変わらず、できた眷属だ。
「あれ?でも五人分しかないよ?二号さんの分は?」
「ボクの分はあちらに用意してありマス。千弦サンが猫ちゅ~るの新味を買って来てくれたノデス。もう今から楽しみデ楽しみデ。」
「え。え?えぇぇ!?わ、私の顔でそんなの食べないでぇ~!せ、せめて千弦ちゃんか琴音ちゃんの顔になってからにしてぇ!」
遥香、気持ちはわかるが一言余計だ。
「ちょっと!遥香!私の顔ならともかく、姉さんの顔で猫ちゅ~るを食べろって、ひどくない!?」
琴音?自分の顔ならいいのか?
「おーい。あたしはコトねんの顔か千弦っちの顔か、ほとんど区別つかないんだけど・・・。」
「エェェ・・・でも、ママさんやパパさんが買ってくれる服だと、千弦サンや琴音サンに化けるとキツいんデスケド・・・。」
「「どこがキツいんだ言ってみろコラ!」」
遥香がシェイプシフターに飛びつき、さらに千弦と琴音がもみくちゃにし、いつの間にか千弦が遥香を、琴音がシェイプシフターをもみくちゃにしている。
「く、くすぐったイデス!う、うひゃア。」
「ちょ、ちょっと、私は遥香だよ!二号さんはあっち!」
「う~ん。役得役得。・・・あ。いいにおい。」
千弦のやつ、目的がすり替わってるし・・・。
この景色を見るために、守るためにどれほど彼女たちが泣いたか。
そして、私はどれだけ殺し、無駄な血を流したか。
あまりにも遠回りをして、あまりにも迷い、間違えて、それでもやっとたどり着いた。
・・・すでに、世界の半分は敵に回した。
たとえ、残りのすべてを敵に回しても、守って見せよう。
◇ ◇ ◇
期末テスト対策を万全に終え、中間テストの時ほどとはいえないまでも、しっかりと備えることができた。
抗魔力増幅機構を腕に巻き、新しい魔力貯蔵装置と緊急離脱術式、次元隔離結界術式、多次元通信術式が一式となったスマホケースを手に、咲間さんが帰っていく。
最初は咲間さんにも長距離跳躍魔法の術札を渡そうかと思ったんだが、宗一郎殿から「ポンポンと飛んでいると、そのうちそれ自体が敵を呼ぶ原因になる」と言われてこの形に落ち着いたんだよ。
・・・咲間さんが身につけた術式と装置は、すべて千弦の作品だ。
ほぼゼロからすべてを作る才能。
見ろ、私の子孫を。
これこそ私の自慢の娘たちだ。
しばらくすると、家の前に車が止まり、宗一郎殿とグローリエルがそろってやってくる。
「マスター。来た。大事な用って?」
「リビングに集まってください。まずは、説明から。」
あの事件にかかわり、心に大きな傷を負った人間が、南雲家のリビングにそろっていく。
生きながらにしてバラバラにされた千弦。
姉の痛み、そして絶望を共有し、自殺を図った琴音。
一度は二人の娘を失った、美琴。
友人の自殺を目の前で見てしまった、グローリエル。
胸に大穴が開いた琴音の、脳を冷やし、守り続けた宗一郎殿。
この五人は、その心と魂に大きな傷を負ってしまっている。
すべて、私のせいだ。
私が愚かで、傲慢で、自分勝手なせいだ。
数千年、何を積み上げても根っこが腐っていれば、こうなるしかない。
「仄香さん。全員揃いました。今夜は何をするんですか?」
美琴がいぶかしげな声で聞いてくる。
まず、何よりも大事なことがある。
リビングのフローリングに正座して座る。
「まずは、謝罪を。私が現世にしがみついているがために、皆さんに多大な不幸をもたらしてしまったことを、深くお詫びします。そして、私の不注意で千弦さんと琴音さんを命の危機にさらしてしまったことを、この通り、お詫びします。」
そして、額を床につけて謝罪する。
・・・玄関以外に土間がないのが惜しい。
「ちょっと!いきなり何言ってるの!魔女『南雲仄香』がいなかったら、私たちはそもそも生まれてすらいないんだよ!?」
「土下座とかしないで!!姉さんを元に戻してくれたのだって仄香じゃない!なんで仄香が謝らなきゃならないの!?」
「そうだ!魔女『三好美代』がいなけりゃ、あのクソ親父だってガキのうちに横須賀線の車内で潰れて死んでたかもしれないんだ!仄香さんが謝ることなんて!」
「マスター。私は魔女『ジェーン・ドゥ』がいないと今頃は人工魔力結晶。」
「・・・仄香さん。久神家は、魔女『かぐや姫』がいないと存在すらしていない。私は、自分の存在を否定したくない。だから、私はあなたの存在を絶対に否定しない。」
「・・・二人を、千弦と琴音を、そして弦弥さんを私に与えてくれたのは、あなたです。『あなたさえいなければ』・・・私はそう言ってしまった。父を救い、私の命まで与えてくれた。そんな人に、ひどいことを言いました。私こそ、謝罪しなければなりません。」
その場にいた全員が口々に私に声をかける。
思わず、目尻に涙が浮かぶ。
「許して、いただけるのですか。私は、まだここにいていいのですか?」
「許すも何も、仄香はできることをやっただけ!悪いのは教会と魔族!むしろ勝手にいなくなったら許さない!」
千弦が力を込めて叫ぶ。
「あ・・・いや、千弦ちゃん、私、魔族にも一応、アマリナ・ダールさんっていう友達がいるんだけど・・・。」
「・・・じゃあ、悪いのは教会と悪い魔族だけ!」
琴音も叫ぶ。
そして、二人とも私に抱き着いて離そうとしない。
かわいそうに。
それほど不安だったのか。
「・・・皆さん。せめて、皆さんの傷をいやすために、和彦・・・九重総理からこの薬の使用の許可を取りました。・・・二人とも。そろそろ離して・・・ちょっと、どこ触って・・・。」
「すぅー!ぷはぁー!すぅー!」
「くんかくんか!すぅー!」
おい、やめろって。
いま、ホントに真面目な場面なんだって。
だから、揉むな!痛い!痛いって!
なんというか、ジェーン・ドゥの身体って・・・こんな扱いばっかりだな。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
仄香の謝罪が終わった後、彼女はどこかで見た覚えがある螺鈿細工の香箱を取り出し、ふたを開けた。
中には白い砂糖の塊のような、8mmくらいの玉が十個くらい入っている。
「これは蓬莱の秘薬と言いまして、禁薬(エリクサー)と神酒を一対三で混ぜ、意富加牟豆美の果汁を加えて丸めてから乾燥させて作った丸薬です。」
「オオカム・・・なんだって?」
「宗一郎伯父さん。意富加牟豆美。古事記で伊弉諾尊が黄泉比良坂の麓まで逃げてきた時に、予母都志許売や黄泉軍、八雷神に投げつけて撃退したっていう桃のことだよ。」
「姉さん、なんでそんなことまで知ってるのよ?・・・でもあれ?エリクサーもソーマも、その桃も今じゃもう手に入らないんじゃない?」
ふふん。
術式を組む時には世界各国の神話や伝承にも詳しくないと力を借りる先を決められないからね。
っていうか、蓬莱の秘薬・・・?
それ、どこぞの弾幕シューティングゲームのラスボスみたいに死ねなくなったりしないでしょうね?
「ええ。エリクサーとソーマはすぐにでも作れますが、オオカムヅミだけは絶滅してしまいましたので、ここにあるものが最後です。・・・この丸薬が残ったら遺伝子を取り出して培養してみようとも思いますが、私は専門家ではないので、それはまたの機会に。」
ふーん。
そういえば、九さんって、絶滅種の花をその蜂蜜から再生した、なんて言ってなかったっけ?
スラタヤサーヤナとか。
「この秘薬はその効力を減じて久しいですが、強力な抗うつ作用だけは残っています。元は帝がかぐや姫への恋慕に心を焼かれないようにと私が作ったもの。今回のことで心と魂を痛めた皆さんを癒す力だけは残っています。どうかみなさん、私を信じてこの薬を飲んでいただけないでしょうか。」
う~ん。
仄香って、絶対に詐欺師にはなれないな。
っていうか、相手が仄香じゃなかったら、そんな怪しい薬なんて飲まないよ。
ま、死ねなくなることはなさそうだし、いいか。
「マスター。一人何錠?」
「一人一錠が適量です。肉体ではなく魂に作用する薬なので、年齢や性別にかかわりなく。」
「うん、じゃあ飲む・・・う、甘い。おいしい。」
かけらの迷いも見せず、エルは一粒を受け取り、水も飲まずに口に放り込む。
さすが、絶対の信頼を得ているんだね。
「ちょ、ちょっと。それ、賞味期限とか大丈夫かい?」
慌てて後を追うように、宗一郎伯父さんが薬をつまみ、目の前にかざす。
だが、思い直したようにそのまま口に放り込み舌の上で転がし、目を見開く。
「仄香。ありがとね。・・・さあ、姉さん。一息に飲んじゃおう!」
「うん。それにしても、まるで帝銀事件みたいな飲ませ方ね。仄香。少しやり方が物騒よ。ま、絶対に信じてるけど。・・・あら、甘い。美味しいじゃないの。」
横を見れば母さんも一粒受け取り、口の中に放り込んでいる。
口の中に桃のような芳醇な香りと、上品な甘みが広がっていく。
「う・・・肩こりが・・・一瞬で亡くなった!?それに、腰の痛みも!すごいわねこれ!」
なぜか、母さんが両腕を肩のところでぐるぐると回している。
・・・うん。
私の心の中にあった澱みのようなものが薄れていくのがわかるような気がする。
っていうか、ほんと、美味しいな。
飲み込まず、舌の上で転がすように舐めていると、あっという間になくなってしまった。
「マスター。もう一粒ちょうだい。」
「・・・だめです。いくら舐めても副作用はないけど、もう二度と作れない貴重な薬なんですからね。」
エルが手を伸ばすが、慌てて仄香が薬を引っ込める。
あれ、半分ぐらい残ってるよな。
・・・よし、期末テストが終わったら原宿にいこう。
九さんに仄香を会わせて、意富加牟豆美を何としても復活させるのだ。
そして、我が家専用のスイーツにするのだ!
いつの間にか私は、それまで本心から楽しいと思えない毎日が、これからきっと楽しくなっていくのだと本気で思い始め、ポロリと左目からこぼれた涙を琴音に拭かれるまで、笑い泣きをしていることに気付かなかったよ。
◇ ◇ ◇
7月10日(木)
私立開明高校 3年2組
期末試験が始まり、化学の問題用紙と答案用紙が配られる。
時間になると同時に、試験監督の先生が合図し、一斉に問題用紙を裏返す音が響き渡る。
よし。
昨日はしっかり睡眠を取ることができた。
それも、強制睡眠魔法なしで。
さらには久々に自分のベッドで眠ることができた。
琴音に毎朝「姉さん、寝相が悪すぎ。」と言われることもなくなった。
蓬莱の秘薬・・・マジでスゲーな。
昨日までの精神状態が嘘のようだ。
ふふ。
問題が解ける。
分からないことがほとんどない。
これは・・・順位一桁もありなんじゃない?
・・・半分以上、時間が残ってるのに終わってしまった。
う~ん。
ケアレスミスはないか?
・・・あ。せっかくだ。
仄香に治してもらった右目を使っちゃおうか。
まずは、魔女のライブラリ。
・・・よし。
化学式の解答は問題なし。
次に、遠隔視。
お・・・?
や、ヤバイ!仄香の答案が丸見えだ!
こ、これは・・・。
「うひゃ!いて、いててててて!」
右目の視界いっぱいに警告表示が!
「ズルはだめです」って!
不可抗力、不可抗力だから!
「おい!南雲!何をやっとる!・・・うん?目にゴミでも入ったのか?真っ赤だぞ?」
う、試験監督の先生が・・・!
ヤバイ!怪しまれる!
ってか涙が止まらない!
「め、目に、ちょっと大きめのゴミが!せ、先生。目薬を注してもいいですか!」
「ん・・・まあ、いいだろう。保健室にはいかなくてもいいのか?」
「て、テスト!まだ、終わってませんから!」
先生の監視のもと、机の下に置いてあったカバンから目薬を取り出し、右目に点眼する。
・・・ぐう。
ひどい目にあった。
《おーい。千弦。それ、私の術式だからな。言ってなかったが、お前が右目の遠隔視や透視を使うとその映像がこっちに分かるようになっているから、気をつけろよー。》
《仄香!先に言っといてよ!》
あ、テスト時間が終わっちゃった。
まあいいか。
全問埋めたし。
何とか初日のテストが終わり、理君と一緒に教室を出る。
途中で琴音達と合流し、ワイワイと駅に向かう。
理君は横浜の方に帰るはずだから、山手線は外回りだ。
咲間さんと一緒にホームへの階段を上っていくのを見送り、二人で家路を急ぐ。
「姉さん、テスト、どうだった?」
「うん。昨日よく眠れたからかな。調子よかったよ。琴音は?」
「今回のテストは姉さんに勝てそうね。ね、何か賭けない?」
う・・・琴音がこの言葉を使うときは絶対の自信がある時だ。
実際、賭け事で琴音に勝ったことは・・・ない。
「や、やめておこう、かな。でも、何を賭けるつもりだったのよ?」
「どっちが先に初体験するか。」
「ストップ。それ以上言わないで。っていうか、私は理君がいるからいいけど、琴音の相手は誰なのよ。」
「え~。聞いちゃう?それ、聞いちゃう?」
「あ、やっぱなし。どうでもいいや。賭け事はなしで。さあ、明日からも頑張ろう!」
どうせ、紫雨君だと思うけど。
っていうか、そんなの賭け事でやりたくないし。
なぜか必死になって食い下がる琴音をなだめながら、高田馬場駅で西武新宿線に乗り換えたよ。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
東京都西東京市 自宅への帰路
あの事件が終わり、姉さんと一緒に日常に帰還した後、姉さんは強制睡眠魔法なしで眠れなくなった。
そして、私も似たようなモノで、どんなに疲れてベッドに入っても、姉さんの気配が近くにないとすぐに目が覚めるようになってしまった。
だから、毎晩私のベッドに姉さんを引きずり込んだ。
これで中途覚醒なしで眠れる、と思ったら、今度は姉さんの寝相が悪すぎて腹は蹴られるわ、顔は舐められるわ・・・。
要するに、完全に睡眠不足になってしまった。
でも、昨日、仄香がくれた薬を舐めたことで、やっと一人で眠れるようになった。
おかげで今日のテストは万全の状態で挑むことができた。
これは、順位一桁もあるかもしれない。
家が見える頃になり、手を繋いでいた姉さんが声を上げる。
「琴音。あれ、紫雨君と星羅さんじゃない?」
「あ。ほんとだ。どうしたのかな?」
二人がこちらに気付き、紫雨君が手を振りながら走ってくる。
「あ、琴音さん。今帰り?ちょっと近くまで来たから寄らせてもらったんだけど・・・。」
【紫雨。「近くまで来たから寄った」ではなくて「わざわざ会いに来た」の間違いでしょう。このヘタレが。】
「う。・・・はい。叔母さんの言うとおりです。琴音さんにお話ししたいことがあってきました。」
【だから叔母さんと呼ぶなと。】
なんだろう?
あの戦いで何か忘れたものでもあったかな?
それとも姉さんの身体に関する問題?
「あー。琴音。私は先に帰ってるね。大丈夫、あと50mもないから。家の玄関もここから見えるし。」
【では、私は千弦さんの家にお邪魔します。紫雨。しゃんとしなさい。】
うん、と私が答える前に二人は家に向かって歩き出す。
「ええと、紫雨君。それで、私に話したいことって?」
なんでそんなに顔が赤いんだ?
そんなイケメンの顔だとこっちまで赤くなっちゃうじゃない。
「こ、琴音さん。高校の期末テストが終わったら、二人だけで遊びに行きませんか。僕はまだこの時代に慣れていないので、どこに連れて行ったらいいか、わかりませんが・・・。」
・・・。
・・・!!
もしかして私、デートに誘われてる!?
「じゃ、じゃあ、私の行きたいところに連れてってくれるの?ええと、お金は大丈夫?」
あ。しまった。
我ながら馬鹿なことを聞いた。
せっかくデートに誘ってくれる男性に、いきなりお金のことを聞くか?
「ああ、それなら南雲教授のところのバイト代も入ったし、それに色付きの炭素結晶を売ったら結構な金額になって・・・。多分、新築のマンションくらいなら買えるよ?」
「ちょっと待て。まさか、あれ、売ったの?ネットで?まさかと思うけど、フリマサイトとかオークションサイトとかで?」
「え?いや、ネット上でやり取りはしたけど、現物は手渡しだったし・・・。一応、琴音さんも知っている相手だよ?浅尾一郎、って人なんだけど・・・。」
あ。浅尾のおじさんか。
九重の爺様の親友だし、紫雨君や仄香の事情は知っているから・・・。
「ふ、ふぅぅぅ・・・!セーフ、一応はセーフ、なのかしら!今度からそれを作って売るときは私たちか仄香に相談しなさい!・・・まったく、もう。」
「あ~。浅尾さんも同じこと言って税理士の先生を紹介してくれたっけな。今度から気を付けるよ。それより、まだ返事をもらってないんだけど・・・?」
「ええ。もちろんOKよ。でも・・・姉さんや仄香には内緒にしておきましょ。」
恐ろしく常識がない相手ではあるが・・・間違いなく玉の輿だ。
歩くダイヤモンド鉱山・・・。
それに、仄香や星羅さんが姑や小姑になるのであれば、むしろウェルカムだ。
お台場とかで遊んで、ちょっとお高いディナーを楽しんで、最後は夜景がきれいなホテルとかに泊まって・・・。
あ、ゴムも買っておかなきゃ。
いや、出来たら出来たでいいのか?
にゅ、にゅふふふふ。
これは、私の時代が来たわね。
姉さんには悪いけど、先に大人にならせてもらうわ。
・・・・・・・・。
・・・ええ、秘密にしていられると思ってました。
まさか、姉さんがすべて聞いてるとは思いませんでした。
っていうか、その右目と右耳、反則でしょう!?
遠隔視と透視、遠隔聴取って、完全に超能力じゃない!
もう!私も欲しいわよ!
◇ ◇ ◇
サン・ジェルマン
ウクライナ北部
プリピャチ川、ドニエプル川合流地点近く
打ち捨てられた都市 プリピャチ
人間が立ち入らなくなってから間もなく半世紀。
1970年の冬が終わる直前から人間どもが開発し、1986年の春、放棄した都市、プリピャチに立ち、周囲を眺める。
人が住まなくなって久しいが、鉄筋コンクリート製の建物が朽ちるにはまだまだ年月がかかるのか、繁茂する草や低木に包まれながらも在りし日の住民の生活を色濃く残していた。
「意外と簡単に来れるんですね。もっと警備が厳しいかと思いましたが。」
龍人の穂村が槍を手に周囲をうかがう。
「ねえ、さっきからガイガーカウンターがヤバい数値を示してるんですけど?」
妖精の薙沢が、自分の背丈の半分はあるだろうガイガーカウンターをぶら下げて騒いでいる。
「お前たち、なぜついてきた。教会はもう解体されたも同然だ。十二使徒の務めももはや果たせまい。」
そもそも十二使徒とは、ワレンシュタインとエドアルドが自分の手足となる魔法使い・魔術師を欲して作った、対魔法使い・対魔女戦闘を生業とする者たちだ。
実際、俺にとってはどうでもいい。
それに、彼らに魔女が俺の妻であることを知らせてはいない。
知っているのはおそらく俺のみだろう。
いや、妻自身もそろそろ気づいていてもおかしくはない、か。
だが、気付いているのであれば俺の元に戻ってきているはず。
妻は俺の、俺だけのものだ。
いったい何人の男と子をなしたのか、考えるだけで身の毛がよだつ。
「こちらでしょうか。観覧車?・・・それと、ゴーカート?ここは遊園地みたいですね。でも、未完成のまま放棄されたようにも見えますが・・・。」
「さあな。人間のすることなどどうでもいい。こっちだ。」
向かう先には巨大な棺のような建築物が不気味に影を落としている。
ソ連が革新的発電設備として作り、妻にその存在が知られるまで無理やり稼働させ、のちにその秘密主義が災いして効率的な安全策がとられず、人類初にして最後の原子力発電所事故を起こしたという。
・・・あの下だ。
あの下に、俺が、妻が、そして俺たちの娘が生まれた穴があった。
そして、俺から妻を奪った、忌々しい息子が消えた、石板の丘も。
やはり、何も残っていないか。
もしやとは思ったのだが・・・。
忘れもしない、今から6874年前の冬の朝。
妻は、息子に石板を触れさせた。
どうやったかは知らない。
息子は何らかの力で石板を砕き、はるか彼方へ飛び去った。
その日から、俺の地獄が始まったのだ。
恨みを果たす機会は、五千年以上たってから訪れた。
魔法帝国、レギウム・ノクティス。
紀元前数世紀に、南方大陸・・・今のリビア南部に突然現れた帝国。
しばらくの間、特に気にもせずに様子見をしていたが、その帝国の皇帝が金銀宝石で彩られていた王冠や腕輪をつけていたにもかかわらず、胸には粗末な「水滴が描かれた石片のペンダント」をつけていたと聞きつけ、思わず人をやって調べさせたのだ。
・・・まさか、本人とは思わなかった。
まさか、妻や俺のように身体を乗り換えて、意地汚く現世にしがみついているとは思わなかった。
しかも、妻の妹と思しき幽霊を女神と称して、玉座の横に侍らせているなど。
ましてや、妻が現世に留まる理由があいつだと、絶対に認められるものか!
次は海の底ではなく、地の底か空の彼方へ追放してやる。
「教皇猊下。ガイガーカウンターの示す数値がそろそろ限界です。戻りましょう。」
「ふむ。穂村。薙沢・・・いや、ドレイク。ルーナ。十二使徒としての役目を果たせ。命令だ。ルーナ。ソビエト連邦最高会議幹部会議長、アレクセイ・ドルゴロフのもとに行け。ドレイク。カザフ共和国のセミパラチンスク−21に向かえ。ソ連の新兵器が開発中だ。進捗を確認しろ。」
「アレクセイ・・・例の傀儡ですね。お任せを。」
「新兵器・・・ですか。完成していれば世界中で暴れられたのに。」
「俺は今からここでやるべきことがある。俺に構わず行け。」
俺はこの場所、すべての因縁が始まった場所で、妻を取り戻すための魂の旅を始めなくてはならない。
「は!では。」
二人は命令に従い、素早くその場を去っていく。
その後を見送り、俺は一人、あの丘で初めて妻と結ばれた日を思い出しながら、何も変わらない空を眺めていた。
傷付いた心を癒す方法はいくつかあると思いますが、筆者は心療内科にかかることを強くお勧めします。
ですが、この心療内科というシロモノ、本当にピンキリなんです。
それだけではなく、担当する医師との相性も重要になってきますし、患者の職業によっては明かせない悩みもあるんです。
ですから、抗うつ作用のある薬を処方してもらえばいいや。
そんな軽い気持ちで行くのもありだと思います。
今回は、心に大きな傷を負った琴音や千弦たちを、伝説級の薬を使って癒します。
まあ、心療内科の医師に「私、実は魔法使いでして・・・。」とは言えませんからね。
そして・・・宗一郎、グローリエル、琴音、千弦。
それぞれ、もっと確かで確実な方法で心の傷を癒していくでしょう。
何って?そりゃ、ナニですよ。
次回「226 恋模様と生活の悩み/戦いの余波」
6月21日6時10分公開予定。