224 戦い終わって/帰るべき家、癒される想い
南雲 千弦
7月7日(月)
私立開明高校3年2組
授業が終わり、二学期の期末試験が週末から始まるからか、みんな寄り道もせず帰っていく。
あの後、自分の身体を取り戻すことができた私は、周囲の人の助けを借りて何とか日常に帰ることができた。
琴音も、あの後すぐに仄香の手によって私の魂と分離され、自分の身体に帰還した。
・・・本当に大変だった。
生きたまま、切り刻まれた。
魂を犯されたような、おぞましい経験だった。
痛かった。苦しかった。
絶望した、諦めた。
自分の身体がなくなっていく恐怖が、今もなお、心の中にこびりついている。
あれから、毎日琴音に強制睡眠魔法で眠らせてもらっている。
そうしないと、あの時のことを夢に見る。
一度、リビングで転寝をしてしまったけど、気付いたら全身汗びっしょりで声が完全に枯れていた。
何を叫んでいたかは分からない。
でも、琴音も、母さんも、二号さんも、私を必死になって起こしてくれたみたいだ。
あの後、パクリウスの目の前で、私の身体に押し付けられたすべての魔導兵装を廃棄処分してやった。
まるで、いらなくなったティッシュを捨てるかのように。
アイツ、必死になって「儂の発明が、儂の傑作が!」って喚いてたよ。
そしたら仄香が、魔女の名に懸けて奴の全ての研究結果、名前も論文も未来永劫、どこにも残らないように、世界中から抹消してやると言ってくれた。
それと、アイツのために星羅さんが専用の地獄を作ってくれたらしい。
この世とあの世の狭間の世界で、半永久的に苦しむんだそうだ。
一応、私もお願いをしておいた。
1+1=2にならない世界を、3になったりー4になったり、あるいは数字にならないような世界を。
そして、パクリウスが思いつくことがすべて間違いになるような世界を。
・・・仄香は、遥香に憑依しなおした。
とはいえラジエルの偽書を使って得た情報で、遥香の霊的基質の修復が完了したため、日常では遥香が常に表に出られるようになったらしい。
・・・テストのときは全部仄香に丸投げらしいけどね。
私の身体といえば、かなりの部品が残っていたらしく、ほぼすべての臓器と手足を除く骨格、ほぼすべての脳神経、血管、そして筋肉と皮膚の大部分はそのまま使ったんだそうだ。
ただ、手足と右目、右耳は完全な新規で作ってもらうことになった。
足りない部品は、すべて琴音の身体の寸法で、私の遺伝子を使って作られた。
・・・つまり、一卵性双生児である琴音と完全に同じ設計になってしまった。
でも、同時に視力を回復させてもらったおかげで、眼鏡や双眼鏡なしで電子黒板が見えるようになったのはうれしかった。
・・・琴音まで視力が回復したのはなんでだろうね。
ま、まあ、右目にこっそりとつけてもらった鑑定能力は、魔女のライブラリだけじゃなくてラジエルの偽書とも同期させてあるから・・・。
それと・・・私は貞操の危機だったそうだ。
パクリウスが繁殖用と称して私の内臓を移植したホムンクルスをワレンシュタインに差し出していたらしい。
紫雨君が帯同したアメリカ欧州軍の特殊部隊がワレンシュタインの潜むコペンハーゲンの隠れ家を急襲してくれなかったら、もうちょっとでサレてしまうところだったそうな。
仄香によれば、魔族の因子に汚染された子宮と卵巣は、二度と人間の子供を作ることができなくなるという。
あとちょっとでアソコが完全な新品になるところだったよ。
いや、まだ新品だけどさ。
いっそのこと早く理君にあげてしまおう。
「千弦・・・大丈夫か?顔色が・・・。」
「うん、大丈夫。途中まで一緒に帰ろ。」
理君が心配そうに私の顔を覗き込む。
・・・あの日から世界は変わってしまった。
世界中の報道機関が、魔女の存在を報じた。
同時に、魔法や魔術の存在が知れ渡った。
リベラル派の論客は、魔法使いや魔術師は、国際管理をするべきだと騒いだ。
あるいは、魔法や魔術の知識は公開されるべきだ、と。
別の論客は、魔法使いや魔術師は、国家が監視するべきだといった。
こんなに危険なものを野放しにしておけるかと、血相を変えて叫んだ。
そして、一部の国家では魔女を国際管理するか、あるいは魔女に対抗できる戦力を国連が保有するべきだといった。
・・・馬鹿か?仄香を国際管理する?
仄香に対抗する戦力を保有する?
不可能なことを口にするもんじゃない。
タイムマシーンを作る方が簡単だっつうの。
だから日本もアメリカも、そんな国を全く相手にしなかったよ。
・・・それに、仄香が直接恫喝していたみたいだし。
ガドガン先生は、開明高校の英語教師を続けている。
自分が魔法協会の元協会長であることを隠して。
フィリップス・ド・オベールという、魔術結社の代表が世界に向けて宣言した。
魔術師の知識、技術は絶対に公開しないと。
同時に、魔術師に対し何らかの規制や差別、あるいは法律上の不利益や強制が行われた場合は、直ちに武力をもって報復すると。
また、ガドガン先生の後任の・・・名前は忘れた。魔法協会の協会長も、声明を発表した。
魔法使いは、完全な独立と自由を維持する、と。
そして、誰が魔法使いか、あるいは魔術師かという、ただそれだけの情報を国家機関や企業・団体が記録することも許さない、と。
もしそれが発覚した場合、直ちにその担当者を呪い殺す、とまで言った。
・・・言論の自由がない国家の国民はすぐさま黙った。
言論の自由がある国家も、ニュースやネットでコメンテーターやユーチューバーが勝手な反論をした後、ほんのちょっとの人数が行方不明になって終わった。
「千弦。期末テストが終わったらテスト休み期間にどこか遊びに行かないか?」
理君が一生懸命私のことを元気づけてくれている。
公式には、あの事件で誘拐された私は、警視庁の手で都内のどこかで保護されたことになっている。
その場所も、日付も秘密になっている。
そうしなければ、あの事件の被害の全てが私のせいにされる恐れがあるからだそうだ。
「うん。っていうか、そろそろ梅雨が明けるし、戦技研もオンシーズンなんじゃない?」
「よし!じゃあ、時岡や菊池、それから高橋にも声をかけよう。あ、新入部員が何人か入ったんだ。紹介しなくちゃな。」
・・・あれから、咲間さんや琴音、遥香と一緒に帰ってないなぁ。
無視されているわけじゃない。
学校にいる間、ずっと理君が離してくれないのだ。
・・・仄香に相談するべき、なのかなぁ。
でも、うれしくもあるんだよなぁ。
◇ ◇ ◇
家に帰り、靴を脱いで玄関を上がると母さんが慌てたように迎えてくれる。
「おかえりなさい。今日は何もなかった?変な人いなかった?」
「大丈夫だよ。あ・・・琴音は?」
「もう帰ってきてるわ。おやつができてるから着替えて手を洗ったらリビングまで来て。みんなで食べましょう?」
母さんは、かなり過保護になった。
それまで週3回ほどパートで働いていたけど、あの事件の後すぐにやめたらしい。
そして、家の周りには強力な結界が張られたままになっている。
・・・高校にも結界を張ろうとしたとか言ってたっけな。
・・・それと、琴音は母さんや宗一郎伯父さん、そしてエルに散々叱られていたそうだ。
とくに、エルは途中からロシア語と日本語が入り混じった言葉で、泣きながら琴音の胸を叩き続けていたらしい。
師匠は・・・あの後すぐ、陸軍情報本部に戻った。
激変した国際社会の中でほとんど無傷だった西側諸国は、そうではない国に狙われているらしい。
だから、休みなく世界中を飛び回っているそうだ。
宏介君は三鷹のおばさんに引き取られ、今、師匠の家はガランとしている。
九重の爺様は対応に追われ、野党や敵対派閥から総理の器ではないと叩かれるも、じゃあ、代わりをやる人間がいるかという話になると誰も手を上げようとはしない。
・・・魔女に直接物申すことができる人間などほかにいるだろうか。
中国をはじめとする東側諸国、そして産油国を中心とするイスラム諸国はその経済基盤や人口を大きく失い、ヨーロッパやアメリカ、そして日本に難民として押し寄せている。
だが、あの事件で無事だった国のほとんどが自国民保護政策を打ち出した。
国際経済が破綻したからだ。
特に中国は国連の保護地域となり、香港以外の窓口からの出入国は厳禁されているそうだ。
・・・そもそも、その国土の四割が、人間が住むことができないような環境になってしまったらしい。
日本では出入国管理及び難民認定法が改正され、難民ビザ・・・すなわち、海外の日本大使館が発行する難民ビザを取得せずに入国した場合、申請すら出来ずに追い返されることになった。
だから、日本に入国する外国人、そして在住する外国人の全てが、オーバーステイ発覚と同時に強制送還されると同時に、入国時には結構な金額の保証金を積まなければ空港のゲートを通過できなくなった。
船で密入国を試みた場合、海上保安庁の巡視船が警告を行い、日本の海域から離脱しない場合は撃沈も止む無しと宣言した。
現に、数隻が撃沈されているという。
日本を観光立国にしようとしていた勢力は最後まで抵抗していたが、意外なことに観光地の住民は今の状況を歓迎しているらしい。
すべてが日常に戻ることは、できなかったのだ。
ナーシャのように見た目が日本人と違う人たちは、身分証明書や戸籍謄本を携帯するようになったそうだ。
エルは・・・あの後、正式に宗一郎伯父さんと入籍した。
だから、名前はグローリエル・R・九重となった。
近く、身内だけで結婚式を行うらしい。
本人は日本国籍を手に入れたことより、宗一郎伯父さんと結婚できたことがうれしかったらしい。
エルフはなかなか妊娠しないと言っていたけど、もし二人の間に子供ができたらきっと九重の家を継いでくれるだろう。
「あ、姉さん。お帰り。もう仄香と遥香が待ってるよ。今日は期末前の追い込みだから、頑張ろう?」
琴音は・・・いつも通りか。
いや、傷付いていないはずがない。
「咲間さんは?」
「あ、咲間さんはリモートで参加するって。今頃準備してるんじゃないかな?」
「うん、分かった。着替えてくるね。」
・・・いつまでも引き摺ってはいられない。
みんなのためにも、自分のためにも早く日常に戻らなくては。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
姉さんが帰ってきた。
その心と魂に消せない傷を負って。
昨日もリビングで転寝をしたかと思ったら、次の瞬間、声が枯れるほど叫んで飛び起きていた。
見ているだけで胸が痛い。
あの後、みんなに叱られた。
私が、自殺したことを悲しまない人間はいなかった。
でも、姉さんが一人で苦しんでいた時に自分だけ楽になろうとしていたのが恥ずかしくてたまらない。
仄香のおかげで生き返った。
でも、私を一番守ってくれたのは姉さんだった。
「琴音さん。そろそろ勉強会を始めてもいいですか?」
仄香はあれ以降、遥香の身体に半憑依の状態になっているという。
普段は今みたいにジェーン・ドゥの身体を使い、国際社会でもその姿が魔女として定着している。
姉さんは魔女の姿はジェーン・ドゥ派と言っていたけど、私は初めて会った時の姿と立ち居振る舞いが目に焼き付いているからか、魔女「遥香」が見られなくなるのは少し寂しいかな。
「ごめん、待った?あたしが最後か。今回のテストの範囲は・・・うん、結構進んだね。これなら余裕そうだ。」
「え~。私はかなり休んでたから自信がないな。はあ。カンニングしちゃおうか。」
「姉さん。私だって結構休んでたんだよ。できるところまでやろうよ、カンニングはそのあとでもよくない?」
「ふふ、しっかり教えてあげますから安心してください。」
展開した仮想空間で咲間さんと合流し、勉強会を始める。
そういえば、宗一郎伯父さんが咲間さんに一二三君を紹介するとか言ってたっけ。
・・・だいじょうぶ、かなあ?
「・・・う~ん。難しいなぁ。仄香さん、これ、どうやって解くの?」
「遥香さん、まず1回目の試行でAの袋から赤を取り出す可能性は・・・つまり1つずつ試行のたびに減って・・・つまり階乗すると・・・」
うーん。
平和だ。
でもこの平和にたどり着くために姉さんは・・・。
そして、ゆっくりと勉強会は進んでいった。
◇ ◇ ◇
勉強会が終わり、仮想空間から現実世界に戻ってきた。
咲間さんはリモートで参加していたから、今頃は自宅で目が覚めているころだろう。
起き上がると、すでにキッチンではお母さんが夕食の支度をしているところだった。
「お疲れ様。遥香さんと仄香さんは晩御飯は食べていきます?」
「いいんですか!?やったぁ。じゃあ、ママとパパに電話します!あれ?仄香さんは?」
「・・・私がご一緒してもよろしいんですか?美琴さん。」
ああ、そういえばお母さんは私たちが死んだり死にかけたりしたことを仄香のせいだと思っているかもしれないって宗一郎伯父さんが言ってたっけな。
でも、それほど物分かりが悪い人でもないと思っていたんだけど・・・。
「ぜひ食べていってください。それに、お礼もまだでしたから。」
・・・うん。大丈夫そうだね。
「あ、母さん。私も手伝うよ。・・・琴音、テーブルの上を片付けておいて。ふっふ~ん。今日のご飯は何かしら~。おおお!?チキンソテータルタルソース!いいじゃんいいじゃん!」
そうだね。
ここが私たちの家、そして姉さんと仄香が守った景色。
もしこの次に同じことがあったら、私は絶対にあきらめない。
◇ ◇ ◇
九重 和彦
参院の定例本会議が終わり、官邸に戻って一休みをする。
今日は大事な来客があるので、副総理の浅尾一郎とトチの木の応接室で待機していなければならない。
「和さん、どうするね?中島の件、遺族が大騒ぎしているみたいだぜ?」
「どうするもなにも、真実を明らかにできない以上は黙っているしかないな。・・・しかし、今思い出しても腹が立つ。儂の孫娘を見殺しにするどころか、率先して殺そうとしおった。あんな男を腹心だと思っていた儂が馬鹿だったよ。」
浅尾副総理が数枚の書類をローテーブルの上に放り出す。
どうやら中島官房長官の遺族が、彼が変死したことをどこからか聞きつけたらしい。
さすがに遺体をそのまま遺族に見せるわけにはいかず、火葬してから引き渡したのだが・・・。
「ま、お嬢ちゃんたちのこともあるから、このまま闇に葬り去るしかないな。健坊にでも頼んでみたらどうだ?」
「陸情二部か・・・確かに健治郎ならこういったことは専門だろうが・・・とりあえず様子も見るか。それより、国連難民高等弁務官事務所がうるさい。難民の受け入れを今の百倍にしても足りないとさ。」
「なんじゃそりゃ?ったく、アチラさんは難民の専門家だろうに、難民の定義すら忘れてるのかよ。」
一郎の言う通り、67年難民議定書において、難民は人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するという理由で、自国にいると迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れ、国際的保護を必要とする人々と定義されている。
よって今回のように魔女による報復を受けた国家、あるいは同じ経済圏に所属しているために困窮しただけでは、難民とは言えないのだ。
そもそも彼らが迫害を受けていると主張している相手方が存在しているかすら怪しいのだ。
「とにかく、我が国だって難民・・・いや、彼らを受け入れる余裕はない。・・・っと。そろそろお見えのようだな。」
官邸の職員から彼女が到着したとの報告を受け、席を立って出迎える。
「お待たせ。あら、二人だけ?」
「ええ。他の者は不要です。・・・というか、呼んでも来ないでしょうな。」
美代様・・・魔女「ジェーン・ドゥ」殿をトチの木の応接室の裏の会議室に案内し、秘書官が淹れたコーヒーを並べる。
「うん。美味しいわね。さすがは首相官邸で出すコーヒー。なかなかこの味はないわね。・・・それで、今日、来た理由なんだけど・・・。」
「はい、いかなるご要望でも伺います。一郎。法案の提出の準備を。」
この激変した世界において日本が餓死者を大量に出すなどなく、侵略されることもなく、困窮していないのは我が国が魔女を擁する唯一の国家として国際社会に認められているからだ。
ましてや孫娘たちの生命の恩人。
美代様に報いるためであれば多少のごり押しなど屁でもない。
「いや、法案って・・・どんな暴君よ。そうじゃなくて、私が出撃前に市ヶ谷で受け取った物についてなんだけど。」
そういえば宮内庁から提出された御物を健治郎が美代様に渡した、と言っていたな。
たしか、蓬莱の秘薬、だったか。
「例の、かぐや姫の実在を示す証拠の品でしたか。お使いにならなかったのですか?何でも、どんなケガもたちどころに癒し、永遠の命を与える秘薬だと伺っていますが?」
「流石に永遠は無理ね。人魚の肉じゃないし、寿命だって500歳くらいが限度よ。製作者が言うんだから間違いないわ。」
そう言いながら美代様は肩から掛けたショルダーポーチから螺鈿をあしらった漆塗りの香箱のようなモノを取り出す。
「製作者、ですか?」
「ええ。そもそもコレを作ったのは私だしね。それに、かなり劣化してるわ。二千年は持つかと思ったけど、保存環境が悪かったみたいね。」
まさか、かぐや姫に蓬莱の秘薬を作って渡したのは美代様なのか?
歴史の生き字引だとは思ってはいたが・・・。
「それにしても、懐かしいわね。父様と母様に渡した薬は使われてしまったけど、帝に渡した薬はこうして代々伝えてくれていたなんて。『いまはとて 天の羽衣 着る時ぞ 君をあはれと おもひいでぬる』・・・我ながらなんとも、気恥ずかしい歌を詠んだものね。」
ん?んん?
製作者っていうか、本人なのか?
「魔女さん、製作者、っつうか、かぐや姫本人・・・なんじゃねぇか?っつうことはもしかしてかぐや姫の血筋が今も残ってる、なんてこたぁ・・・さすがにないか。」
一郎、相変わらずお前は怖いもの知らずというか・・・。
「あら、気付かなかった?私がついこの間まで使ってた遥香さんって、かぐやの直系の子孫よ。そうね・・・当時使ってた身体の映像、見てみる?」
「え?まじか!それって平安時代の映像か!是非見せてくれ!・・・うわ、すげぇ・・・でも十二単をいつも着てるわけじゃないんだな。それに、化粧が思ったより薄い?」
会議室内に浮かび上がった魔法陣の中で、まるで当時の人間がそこにいるかのように周囲の景色と合わせて立体的に描写される。
「絵巻物に描かれる人物描写は人間の脳の記号化と復号化を挟んでいるからね。そう、漫画みたいなものかしら。」
・・・たしかに、遥香と呼ばれる娘と瓜二つだ。
「へぇ~。こりゃ新発見だ。ん?というか、魔女さん、自分の子孫の娘にしか憑依できないって言ってたよな。っていうことは、かぐや姫も南雲の娘さんたちも親戚ってことか?」
「千弦さんと琴音さんはかぐやの子孫ではなく藻女・・・玉藻の身体を使っていた時の子孫ね。玉藻の前、ってわかるかしら?」
玉藻の前・・・白面金毛九尾の狐は実在したのか。
なるほど、美代様の力であれば、かの大妖の力も納得できるものだ。
「玉藻の前、するってぇと、九尾の狐か。またずいぶんな落差だな。」
「一郎。失礼だぞ。それに両方とも美の化身であることには変わりはない。ところで、話を遮ってしまって申し訳ないのですが、蓬莱の秘薬は返却されるのですか?もし役に立つのであれば、お持ちいただいたほうがよろしいかと思いますが・・・。」
もちろん、彼女が制作者なのだから、同じものが再び作れるのだろうが・・・。
「それなんだけど、このまま使わせてもらおうかと思って。この薬、父様や母様に渡した薬と違って魂と心に効く抗うつ作用のある成分が入っているんだけど、原料が今は手に入らないのよね。つまり、全くの私用で日本政府の財産を使わせてもらってもいいか、と許可を取りに来たんだけど・・・ダメかしら?」
「何をおっしゃいます。元々は貴女様がかつての帝に贈ったものでございます。それに、皇室からその薬を拝領した際に、この歌を預かっております。」
秘書官に命じ、一通の手紙・・・すでに経年劣化が激しく、もはや素手では持てないほど崩れ始めた手紙を撮影して復元した写真を手渡す。
そこには・・・「よそに去り 影もとどめぬ かぐや姫 たまのを断たで 君を待ちけり」・・・と読むことができる歌が記されている。
・・・意味は、「天に去り、姿の影さえ残さぬかぐや姫よ。それでもなお、魂の糸を断ち切ることなく、あなたの帰りを待ち続けております。」と聞いている。
つまりは、帝は薬と手紙を密かに正倉院へ納め、もしも未来に天より降る姫、またはその血を引く者が現れたなら、この薬を渡してほしいと遺したのだ。
今、その願いは果たされた。
ならば、その薬は間違いなく、受け取るべき者が受け取ったということに違いない。
「そう、あの帝が・・・勝手で強引で、女心が分からない男だったけど・・・見直したわ。じゃあ、遠慮なく使わせてもらうわね。」
美代様ほどのお方が必要とする薬・・・そういえば抗うつ作用がある、と言っていたか。
「つかぬことを伺いますが、その薬を誰に使うですか?」
「千弦さんと琴音さんよ。・・・うん。抗うつ作用は未だに健在ね。あとは・・・ちょっと寿命が延びるのと老化を防止するくらいの効果しか残ってないわね。でも、十分。」
やはり、儂の孫娘のために使うのか。
このお人は、私欲のために何かを欲することは、ないのだろうか。
一通りの話を終え、なぜか一郎とワイン談義を始めたかと思えば、チョコレートに白ワインと赤ワインのどちらが合うかで論争になり・・・そしてなぜか二人で飲み比べをすることで話が付いたらしい。
・・・それにしてもこの二人、妙に相性がいいな?
「いまはとて 天の羽衣 着る時ぞ 君をあはれと おもひいでぬる」・・・。
これは実際に竹取物語に登場する歌で、かぐや姫が不死の薬を嘗め、羽衣を着る直前に帝に送った歌として竹取物語の中に記されている歌です。
意味は、「最後だと、天の羽衣を着るまさにその時に、ふとあなたをしみじみと思い出してしまうものね。」という現代語訳が一番近いのではないかと。
その手紙に、薬を添えて頭中将へ渡させたとありますが、これが今、蓬莱の秘薬として様々な作品に登場する不老不死の薬となっています。
その後、帝は何も食べず、詩歌管弦もできず嘆き悲しみ、つきの岩笠という男に不死の薬を富士山の頂上で燃やすよう、言いつけます。
本作では、帝がかぐや姫の思い出の品を燃やすはずがないと思い、御物(皇室財産)として正倉院に保管されている架空の品として登場させました。
「よそに去り 影もとどめぬ かぐや姫 たまのを断たで 君を待ちけり」・・・。
これは全くの創作ですが、もし、何度も生まれ変わっても貴女のことを待っています、と帝が思っていたのならば、この歌もあり得たかも知れません。
これにて「一線を超える/世界変容」は完結です。
次章から「神話の桃と恋模様」編が始まります。
次回「225 泥濘から出て見えた空/日常と恋心」
6月20日6時10分公開予定。