222 二人の千弦/ホムンクルスと人工魔女
水無月 紫雨
ワレンシュタインの最期を見届け、大きく一息をつく。
・・・叔母さん、相変わらず半端ないな。
あれは魔法のようでいて魔法ではない。
純粋な魔力の奔流でコチラ側とアチラ側に亀裂を作り、その狭間・・・どちらでもない世界にワレンシュタイン専用の地獄を作るなんて。
アイツは相当の年月、苦しみ続けるだろう。
・・・おそらく、狭い世界だ。
そう簡単に魔力の散逸なんて起きないはず。
ということは、僕が封殺されかかった以上の・・・。
次元隔離魔法を解除し、同行していたアメリカ欧州軍の中佐に声をかける。
「終わりました。状況の録画はここに。」
「は!お疲れ様です。おかげさまで最小限の被害で作戦が完了しました。お怪我はありませんか?」
「見てのとおりです。そちらは?」
「・・・死亡17、重症120・・・行方不明、多数です。あれが教会の三聖者筆頭、サン・ワレンシュタインですか。今思い出しても寒気がします。」
実際、遠目に見ていただけでも恐ろしい数の剣を振り回し、現代兵器をバッサバッサと切り裂いていた。
あれ、不意を打たず正面切って戦ったら、この戦力でも危なかったんじゃないか?
中佐と共に寝所のような施設に侵入する。
・・・ベッドの上に誰か横たわっている?
あれ?なんでこんなところに?
彼女はリレハンメルにいるはずじゃ?
【ケガ人は生命維持が可能であれば軍医へ。致命傷を負った者と死亡者は私のところへ。可能な限り治療、蘇生します。本格的な回復治癒はお姉さま・・・魔女に任せなさい。・・・紫雨?どうしました?】
「ん?ああ、あの女の子・・・千弦さんじゃない?」
【いえ、あれはホムンクルス・・・いや、確かに千弦さんの・・・これは・・・!魔族どもめ。私の名付け親になんということを!】
「とにかく、今すぐ保護しよう。ちょっとそこの人!彼女はこちらで保護する!すまないが着るものと靴を用意してくれないか?」
千弦さん・・・によく似た少女に近付き、様子を観察する。
一糸纏わぬまま、視線を宙に泳がせている。
せめて前くらい隠そうよ。
「・・・前マスターの絶命を確認。再起動モードです。」
「・・・君は千弦さん・・・だよね?でも・・・なんだ?この気配?」
それに、少し声が違う?
「チヅル・・・。現在私の名称は未定です。以降、私はチヅルと呼称されます。最終確認をお願いします。」
何だこれ?
この魔力波長、確かに千弦さんのものだし、顔も、おそらくは身体的特徴も千弦さんであることを示している。
・・・誘拐されて洗脳でもされたのか?
人格情報と記憶情報に障害でも出ているのか?
だとすると非常に厄介なことに・・・。
【紫雨。彼女は千弦さんではありません。・・・いえ、身体の大部分は千弦さんですが、大事な部分が・・・脳と、外装部分の一部がホムンクルスと呼ばれるものです。】
「ホムンクルス・・・まさか!だとするともう千弦さんは・・・。」
脳を・・・掻き出されて・・・処分されたとしたら・・・もう・・・。
「当義体は現在所有者が設定されていません。所有者設定の手続を実行するか、遺失物として行政機関への提出をお願いします。」
・・・これは、あんまりだ。
脳は魂の座だ。
それを奪われた彼女は、もう千弦さんではない。
間に合わなかったのか。
まるで抜け殻のように、ホムンクルスは虚な目でこちらを見つめている。
【いいえ、おそらくは・・・姉さんが追っている方が本物の千弦さんでしょう。・・・かわいそうに、生きたままバラバラにされて、死ぬこともできないなんて。】
「じゃあ、彼女の脳は生きているんだね。でも、どうして・・・。」
【分かりません。とにかく、大至急姉さんに連絡を取りましょう。これは・・・思っていたよりも状況が悪い。それと、そのホムンクルスを確保しましょう。彼女が無事戻った時、できる限り元の身体を返してあげるべきです。】
はらわたが煮えるような怒りが身体を満たしていく。
だが、今は母さんに念話を送るのが先だ。
「パスワードが未登録です。セクシャルセキュリティ上の問題を回避するため、所有者は直ちに設定をお願いします。なお、当義体は新品です。初回は出血を伴いますのでご注意ください。」
「・・・うん、君、ちょっと黙ろうか。とりあえず服を着て。それと、ほら、下着を先にはいて。」
う、丸見えだよ。
う~ん、目の毒だな。
この状況にも関わらず、双子だからか琴音さんの裸体を見ているような気がして少し前かがみになってしまう。
とにかく、母さんに連絡を。
《母さん!コペンハーゲンで千弦さんの身体の一部を保護した!・・・母さん?》
繰り返し念話を送るも、母さんからの返事はなく、念話のイヤーカフからはただ雑音が響くのみだった。
◇ ◇ ◇
仄香
ヨーロッパ上空に入る前に、琴音の身体の最終確認を行う。
魔力回路は私側と琴音側、合わせて52個が一切の無駄なく稼働しており、さらに最低でも30個分、新たに構築できる余裕がある。
何があるか分からない。
余裕があるのであれば、構わず魔力回路を刻んでいく。
よし、正味82個の魔力回路、これほどの物を運用したことはいまだかつてない。
・・・まるでこの身体はスーパーコンピュータのようだな。
あ。後で琴音に身体を返すとき、どうしようか。
ま、まあ、性能が下がったんじゃなくて上がってるんだから怒らないだろ、たぶん。
そして・・・天井知らずの抗魔力。
これ、私側よりも身体側の出力の方が高い!?18歳でこれだと?
続けて魔力操作を試してみる。
・・・驚いた。
以前、一時的に身体を借りた時は完全な憑依ではなかったから気付かなかったが、とんでもない性能だ。
魔力操作だけで術理魔法の全てが発動するぞ!?
術理魔法であれば、術者と魔力だけで完結するから、無詠唱でも精神汚染の危険性はない。
ただ、とんでもない処理能力を要求されるけどな。
それだけではない。
すべての術理魔法に言えることだが、基本的にすべてを自分の魔力回路で処理する必要があるんだが、逆に言えば魔力回路側の性能次第では何でもできてしまうのだ。
今まで使った身体の中で藻女・・・玉藻の身体が最強だと思っていたが、琴音の身体を使ったあとでは、それがまるで玩具のようだ。
目前にせまる地平線に、ヨーロッパの大地が見え始める。
全自動詠唱機構を用いて複数の概念精霊魔法を用意。
・・・やはりな。
概念精霊魔法の並列発動容量がジェーン・ドゥの身体の百倍を超えている。
おそらくだが、発動遅延詠唱は数百から数千をストック可能だ。
おそらく、未だ成功していない一万連唱以上も余裕で可能なんじゃないか?
「やはりこの身体・・・不謹慎だが欲しくなってしまうな。おっと。もうすぐリレハンメルだ。・・・千弦。琴音。今すぐに助けてやる。」
長距離跳躍魔法の着地制御を行い、音もなくリレハンメル、ローゲン川のほとりに着地する。
聞いたこともない自然保護団体の、錆びた看板が掛けられた倉庫のような事務所を見上げ、魔力検知を行う。
「・・・やはりな。魔族1、ホムンクルス3。・・・ホムンクルスは・・・人間ベース1、魔族ベース1、・・・そして完全培養が1。人間ベースのホムンクルスが千弦か?だが・・・念のためだ。ホムンクルスは破壊せずに確保せねばならんな。」
これまで激情に駆られて破壊活動を行ってきたが、今は何よりも千弦と琴音の身体、そして魂の保護が第一だ。
バシリウスについてはこの世とあの世に存在するありとあらゆる苦痛、恥辱、そして絶望を与えてやりたいが、今はぐっとそれを押しとどめる。
「術式束・・・おいおい、この身体、常時全術式束を励起させられるのか。この性能、ほとんど麻薬だな。・・・よし、行くぞ。」
念じるだけで姿が消え、足音や呼吸音、体温による黒体放射まで欺瞞できる。
それだけではない。
この身体の制御能力と来たら、魔力隠蔽を完全に行いながら、熱核魔法クラスの魔力を安定して運用できるのだ。
廊下をゆっくりと進み、扉があれば強制開錠魔法も使わずに短距離転移で素通りする。
常時、身体を浮遊呪で浮かべることにより、感圧センサーにもかからず、同時に膨大な処理能力を使った干渉術式ですべての監視装置を素通りする。
いくつもの扉を抜け、いくつもの階段を降り、そして、とうとう薄暗い研究室のような部屋の扉に手をかける。
そして、意を決して扉を押し開ける。
「随分と厳重なことだ。だが・・・いた。あれか。バシリウス。・・・そして・・・あれは!」
ここまで冷静でいた。
冷静でいたつもりだった。
だが、目の前に突き付けられた真実を見た瞬間。
私の心は、瞬時に沸騰した。
「きさま!よくも、よくもよくもよくも!千弦に何をした!」
そこには・・・もはや原形を留めぬほどに改造された・・・顔の左半分にかすかに千弦の面影を残す・・・銀髪の生気のない少女が立っていた。
◇ ◇ ◇
銀髪の少女・・・おそらくは千弦だったものは、感情のない顔で興味なさそうに私を一瞥する。
悪夢だ。
私はコレを千弦とは呼びたくない。
「防犯装置は作動せんかったのか!・・・その顔・・・お前、コイツの片割れか。く、くくく。まさか新しい材料がのこのこやってくるとは。」
・・・片割れ?
・・・材料?
そうか、こいつ・・・私が魔女だって気付いていない?
それなら・・・。
「姉さんに何をした!お前、何者だ!」
琴音のふりをして、問いただす。
いかん、怒りで魔力を抑えるのが精いっぱいだ。
「くくくく。わしはバシリウス。魔導科学の開祖にしてそれを極めし者よ。・・・見ろ、わしの最高傑作を。優秀な素体の霊的基質をそのままに、肉体のみを改造し、儂が作ったすべての魔導兵装を搭載しておる。おぬし、コイツの妹か?」
「改造、だと?肉体を、改造した・・・?人格は、記憶は・・・どこまで、人間の尊厳を馬鹿にすれば気が済むんだ!?」
「ふうむ。もしや魂の構造を知っているのか?小娘のくせに大したものだ。安心せい。しっかりと魂は漂白しておいたでな。それに、余った部品はワレンシュタインにくれてやったわ。切り取った部品は捨てずに再利用したから、今頃はその子袋も役に立っているだろうて。」
・・・遅かった、か。
人格情報と記憶情報を漂白された。
千弦は、戻らないのか。
「ドクター。形式番号、H103、コードネーム『チヅル』。最終チェックを完了しました。いつでも起動できます。」
得体のしれない機材が並ぶ研究室内に、もはや懐かしい千弦の声が響き渡る。
・・・まるで、感情がないロボットのような声が。
そうか、チヅル、か。
「よし。早速稼働実験と行こうか。チヅル。侵入者を捕獲せよ。内臓と首から上は傷をつけるなよ。」
「命令を承諾しました。・・・モード、非殺傷。戦闘を開始します。」
「チヅル・・・千弦・・・!」
◇ ◇ ◇
戦闘態勢に入った千弦を前に、高速化された思考で状況を分析する。
この場にいるのはバシリウス、無表情で白衣を着た女性型ホムンクルス、そしてこの翼の生えたホムンクルス。
目前に迫る翼付きのホムンクルス、自称「形式番号、H103、コードネーム『チヅル』」を千弦と推定。
魔力回路を全開にしてその全身を魔力検知する。
オリジナルのパーツは・・・。
両手足の基部から先を除く骨格、声帯より上の気道及び首から上の食道。
左目、左耳、鼻腔より内側、脊椎より上の神経系、そして・・・全脳。
間違いない、コレが千弦だ。
まずはすべての脳が生き残っていることに安堵する。
だが、同時に最悪の事態が判明する。
・・・全身に残るコルチゾール、レナリン、ノルアドレナリン・・・そして、プロラクチン。
すべて強いストレスで分泌されるホルモンだ。
まさか、バシリウス。
千弦の意識が残ったまま改造したのか!
なんて・・・ひどい、ことを・・・。
「魔導兵装を局所展開。音響魔導兵装を実行します。」
千弦、いや、チヅルは私の目前まで迫ると、その口を大きく開け、喉の奥から魔力を放射する。
はじめはキィィン、と甲高い音。
すぐにその音は消え、代わりに空気が、いや、直線状にあるものが一斉に振動を始める。
「音響魔法!?いや、これは!」
音響の中に詠唱を込めて風の概念精霊を強制的に励起しているのか!
「全自動詠唱!概念精霊よ!わが意に従え!」
全自動詠唱機構と琴音の魔力回路の演算能力、そして私の莫大な魔力で無理やり風の概念精霊の制御を奪い取る。
「く・・・余波を、食らった。なんという概念精霊への干渉力。だが、問題ない!」
沸騰しかけた体液を回復治癒呪で無理やり鎮め、チヅルに向けて名もなき杖を構える。
「・・・音響魔導兵装での無力化を断念。・・・解析・・・解析不能。不動縛鎖を行使します。ドクター。退避を。」
「く、くくく!構わん!リュシアがいる!素晴らしい、素晴らしいぞ!君はたしか、妹の琴音君だったか!姉より妹をさらうべきだった!チヅル、殺しても構わん!首から上だけ残ってれば何とでもなる!確実に確保しろ!」
「・・・命令を・・・承諾できません。再度命令を願います。」
「・・・何を言っておる?そこの娘、琴音を確実に確保しろと言ったのじゃ!・・・ちぃっ。疑似人格の設定が不完全だったか?」
「命令を承諾しました。不動縛鎖を行使します。」
・・・千弦?
今、なぜ命令を承諾しなかった?
まさか、まだそこにいるのか!?
私の逡巡を隙と見たか、チヅルはその両手をかざし、魔力を高めていく。
左右の手の肘から先に複数の裂け目が入り、まるで傘の骨のように展開する。
バチン!という破裂音とともに、複数の輪が部屋の中を飛び回り、光り輝く魔力の鎖で触れたものを絡みとっていく。
グレイプニル。
かつて、ドヴェルグが世界に存在するすべての「猫の足音」「女の髭」「山の根」「熊の腱」「魚の息」「鳥の唾液」を材料に作り上げたとされる、神狼フェンリルを縛るための足枷が、私に向かって重低音を伴って殺到する。
対抗術式の構築が間に合わない!
力ずくで振り払えば千弦まで!
だが・・・。
「く、くくく!琴音とやら!これでおぬしも儂のものじゃ!・・・何?・・・おぬし、何をした!?」
・・・その場にいる誰もが目を見開いた。
かつて、雷神トールの右腕を手首の関節のところまで食いちぎった、神狼フェンリルをも縛り上げた鎖の名を冠する魔法は、琴音の身体に触れただけで魔力に還元されていく。
・・・ああ。
そうか、そうだったよな。
なんという、抗魔力。
もしかして、これ・・・。私でも勝てないのでは?
「警告。対象の抗魔力の測定を完了しました。・・・970Tn。個体名『魔女・ジェーン・ドゥ』を大幅に超過。・・・即時退却を進言します。」
・・・っ!?
いけない、ここで逃がすわけには!
「逃がすかぁ!全自動詠唱!すべての概念精霊よ!敵を打ち据えろ!」
もはや詠唱でも何でもない、ただ全自動詠唱機構を通じた働きかけに、その場にいるすべての概念精霊が励起する!
風、火、土、水、光、闇・・・すべての概念精霊が瞬時にいくつもの攻撃魔法を形作り、バシリウスともう一人のホムンクルスに殺到する。
「・・・!魔導兵装全開、障壁を展開中。ドクター。敵の魔法が私の処理能力を大幅に超えています。」
殺しはしない、ただ殺すだけじゃ気が済まない!
「ぐ、なんじゃと!この魔力、短縮詠唱!貴様、まさか魔女か!リュシア!一旦ここを退くぞ!チヅル!そいつはもういい!」
逃げるだと!?
あれは・・・命の対貨!
それも・・・4枚!?いや、6枚!?
「甘いんだよ!七千連唱!"O dea momenti,Verdandi invisibilis!Ego vitam meam prehendo crinem tuum.Appareas, precor."(おお、刹那を司る女神よ。姿なきヴェルダンディよ!我は命を賭して汝の後ろ髪を掴まん!願わくばその御身を顕し給え!)」
紫雨の次元隔離魔法を七千連唱で発動し、無理やりその場の空間を隔離する。
同時にバシリウスの握る命の対貨が一斉に白熱し、次元隔離魔法の障壁をガリガリと削っていく。
「ドクター!魔導兵装がもう持ちません。自爆許可を願います!」
リュシアと呼ばれたホムンクルスが初めて顔色を変え、苦しそうにバシリウスに進言する。
だが・・・自爆装置だと!?
まさか、千弦にも仕掛けてあるのか!?
「やむを得ん!リュシア、今までご苦・・・」
「全自動詠唱!停滞空間!最大出力!」
「労だ・・・・つ・・・・・た・・・・・・・・・・」
くそ!ぎりぎりだった!
だが、チヅルの術式処理による解呪で次元隔離も停滞空間も、ガリガリとその魔法が削られていく。
琴音の身体を使ってなお、ここまで・・・!
千弦!なんという、術式処理能力。
今のうちにバシリウスを・・・いや、間に合わない!
ならば!
「・・・停滞空間魔法がもう、持たない!リュシアだったわね。あなたがどんな経緯でバシリウスに改造されたか知らないけど、千弦を取り戻すため、死んでもらうわ!」
停滞した世界で、高速化された思考をフル回転させながら、泥のように抵抗を増した空気をかき分け、やっとの思いでリュシアの首に手を触れる。
魂の構造、肉体の構造、そして・・・すべての魔力回路を解析する。
これは・・・完全なホムンクルスを元に作成された、強化人間か。
はやる気持ちを抑え、そこに千弦の部品、千弦の情報が一切含まれないことを確認し、一気に魔力の出力を引き上げる。
細心の注意を払い、全自動詠唱機構で元素精霊に働きかけ、リュシアの体内の元素を制御する。
リュシアの抗魔力を琴音の膨大な抗魔力で無理やり引きはがす。
彼女の肉体を構成する、すべての第6と第8の元素精霊の、その他の元素精霊との化学結合を強制的に解除する。
その肉体に刻まれた術式、彼女が押し付けられた魔導兵装だけを残し、その身体は一瞬でその形を失い、床に赤い泥か油がぶちまけられたかのように、崩れていく。
停滞空間魔法が解除され、世界が動き始める。
「・・・な。うん?・・・リュシア、どこに行った?・・・なんだ、これは。これは、リュシアに搭載した・・・まさか、今、お前が、何を、何をした・・・!」
・・・次元隔離魔法はかろうじて生きている。
6枚あった命の対貨は、すべての魔力を失い、黒ずんで崩れ始めた。
少なくとも、バシリウスがチヅルを連れて逃げてしまうことだけは、防げている。
「ハァ、ハァ、ハァ・・・逃がさない。千弦を、返してもらう!」
「魔女・・・!これほどまでとは!だが・・・あいにくだったな。チヅルはもともと対魔女用決戦兵器にして人工魔女ともいえるもの。・・・チヅル!全武装の使用を許可!儂にかまうな!魔女を殲滅しろ!」
バシリウス!
千弦を、魔女に・・・!
私と同じ地獄に落とすつもりだったのか!?
「命令を承諾しました。モード、殺傷。聖釘波動増幅装置、最大出力。対魔女戦闘、開始します。」
チヅルはこちらに向き直り、それまで背中にあるだけだった翼を・・・4枚の白い翼を大きく広げる。
ゾクリ、と気持ち悪い気配とともに、目に見えるほどの光の波動が、周囲に耳に聞こえないほど高い音を伴って広がっていく。
「ぐ!?これは・・・まさか、聖釘!それも、一本や二本ではない!貴様、千弦に聖釘を!?」
「くはははは!せっかく作った強化人間、魔女に憑依されてはつまらんでな!せっかくだ!魔女を倒してしまえ!」
このくそ野郎!
貴様だけは、貴様だけは許さない!
「対象の弱体化を確認。続けて感情波動共鳴装置の記録を再生します。」
チヅル!?なにを、再生するって!?
と、とにかく防御を!
・・・ぐ、こ、これは・・・!
念話?念話なのか?これ!?
「ギャァァァァァ!く、う、アアアアアアア!」
なんだ、これ、ユリアナの時と同じ、腹を、胸を、かき回されるっ!
それどころか、家族、恋人、友人、すべてに見捨てられた絶望が!
痛い、苦しい、魂が焼けるっ!
「く、全・・・自動・・・詠唱・・・!雷よ・・・!くそ、魔法が、作動、しない!杖の、拵袋を!」
無名の杖を包む拵袋が、ぎちぎちと音を立ててきしんでいる。
グローリエルの人工魔力結晶から、魔力を引き絞り、全自動詠唱機構に叩き込む。
「光よ!風よ!」
だが、不可視の幕に遮られ、チヅルの身体に届かない!
「対象を完全に無力化できません。魔導兵装を連続展開。続けて魔導砲を充填。」
なんという、防御能力!
グローリエルの魔力と全自動詠唱機構で作った光撃魔法が、轟風魔法が一瞬でかき消された!
ならば、これでどうだ!
「全自動詠唱!幻灯魔法を範囲展開!これでっ!指向性のある攻撃はできなくなるはずっ!」
・・・チヅル、こいつは私との相性が最悪だ!
接近戦での火力、防御力が恐ろしく高いし、魔女としての魔法と魔術を片っ端から無効化してくる!
いや、術式解析速度が恐ろしく速い!
これではもはや遠距離から大出力の魔法で薙ぎ払うくらいしか対応方法がない!
「・・・対象、光学系の欺瞞魔法を展開。多次元魔導走査探知 システムを作動。目標を完全補足。魔導砲、全力発射します。」
この痛み、この絶望!
チヅルが、千弦の記憶を再生しているのか!
「く、集中できない!千弦、どうしてお前がこんなに苦しまなきゃならないんだ!どうして私は守れなかったんだ!」
はらわたが引きずり出される!
胃が、肺が、心臓が、子宮が奪われる。
これは、ユリアナの時以上の・・・!
早く何とかしないといけないのに、聖釘が邪魔をする!
やはり、ユリアナの呪いからは逃げられないのか!
私が、その名と身体の尊厳を守れなかったから!
《・・・わたしは、常にあなたとともに。わたしは、一度もあなたを恨んだことはありません。》
「今のは何!?この声、まさか!ユリアナ!?聖釘の波動が!一瞬で消失した!」
「・・・注意。発射します。衝撃に備えてください。」
目の前に迫る閃光。
京畿道で女神・・・星羅が顕現しようとしたとき、彼女が打ち出した純魔力砲を上回る光が目前に迫る。
「魔力障壁!全力展開!」
全自動詠唱機構を最大出力でぶん回し、眼前に24枚の障壁を構築する!
魔導砲の着弾個所から順に次々に障壁が蒸発、または粉みじんに砕けていく。
なんという威力!そしてなんという持続力!
そして、最後の1枚が砕け、直接琴音の身体に魔導砲の最後の光が照射されたとき、琴音の抗魔力が・・・それを打ち払った。
「・・・目標、健在。戦略的退却を推奨します。・・・ドクター。ご命令を。ドクター?」
「・・・なぜだ。儂の最高傑作が!ええい、この出来損ないめ!お前は魔女を足止めしろ!セレナ!どこにいる!来い!」
「・・・逃げるつもりか!貴様!」
次元隔離魔法の効力が切れている!
戦闘の余波に耐えられなかったのか!
バシリウスは7枚目の命の対貨を取り出し、魔力を流し込む。
くそ、貴様だけは!絶対に逃がさない!
私の目の前で、その姿がゆっくりと掻き消えていく!
だが、その時・・・遥か東の空から一条の光が飛来した。
◇ ◇ ◇
雷光とともに目の前に突き立ったそれは、寸分たがわずバシリウスの両手を撃ち抜き、命の対貨ごと爆散させていた。
「ぎゃあああ!わ、儂の手が!魔導科学の未来を紡ぐ儂の手が!」
両手を掲げてのたうち回るバシリウスの前に、ごつごつとした背骨があしらわれ、いくつもの金属製の円盤が光りながら回る、木製の杖が浮かび上がる。
クソ野郎が!自分の痛みは分かっても他人の痛みは分からないのか!
「よくモ、ヨくモ私ノ子供たちヲ・・・!」
あれは・・・業魔の、杖。
業魔の杖が、しゃべった!?
「逃サナイ・・・!」
業魔の杖は一瞬で変形し、近くにあった、リュシアの血肉を含むありとあらゆる有機物を吸い上げて、人の形に近づいていく。
「・・捕マエた・・・魔女殿・・・心置きナク、続きヲ。我らの子孫ヲ・・・救いたまエ。」
「お前・・・まさか、藻女か・・・!?」
業魔の杖、いや、藻女の姿をとったそれは、枝か根かわからないものをバシリウスに絡ませ・・・いや、鼻や耳、口に差し込み、同一化するかのように脈動している。
「儂が!儂が積み重ねてきた魔導科学が!やめろ!儂の頭に入ってくるな!儂の頭脳は人類の・・・もがっ。もがぁぁ!」
「・・・愚者ヨ。ワタシは何もシナイ。殺しもシナイ。我が魂にかけテ、ただ魔女殿の支えニ。魔女殿。ココはワタシに任されヨ。」
バシリウスは耳や鼻、口から侵入された枝を、必死になって両手首から先がない腕で懸命に振り払おうとしているが、それすらも枝が絡めとり、縛り上げ、止血する。
「お願いするわ。藻女。そしてありがとう、ユリアナ。・・・千弦。いま、助ける。」
「ドクター?ご命令を。・・・再試行。ドクターの命令を確認できません。」
「さあ。もうバシリウスの命令に従う必要はない。一緒に帰ろう。私がすべて元通りにしてやるから。」
チヅルは私の言葉に一瞬、ポカンとした顔をする。
私の言葉が届いたのか?
「自律戦闘モードに移行。緊急モード、『Eli, eli, lema sabachthani(エリエリ レマ サバク タニ)』を発動。」
「なぜ!自律戦闘モードだと!千弦!目を覚ませ!」
だが、もうバシリウスの身柄は押さえた、そして聖釘は無力された。
ここからどうするつもりだ!
「・・・O rex temporis, qui hunc mundum regis, Magnum Domine, salvator generis humani. Inclino caput meum, nomen tuum gloriosum laudans. Procumbens veniam peto. Ergo, per misericordiam tuam infinitam,
Nos absolve, et terram promissionis ostende. (時の王、現界を統べる者よ、人の世を救いし大いなる主よ。我は首を垂れ、その誉れ高き名を称え奉る。ただ伏して許しを請う。されば、汝の遍く無限の慈悲によりて我らを許し給え。そして約束の地を示し給え。」
チヅルは高らかに歌うように、流れるように言葉を紡いでいく。
・・・詠唱?暗号化もなしで?
いや、これは・・・讃美歌?
コウッ・・・という軽い風のような音がした次の瞬間、雷鳴と閃光がチヅルに降りかかる!
なんだ、この魔力の高鳴りは!!
ちょ、ちょっと、おい、まじかよ!
千弦のやつ、偽神を降ろしやがった!
次回、「223 戦いが終わる時/少女たちの帰還」
6月17日12時10分公開予定。
今回から試験的に次話公開予定日、及び時間を予告します。
書き溜めが出来なくなったり、予告を守れなくなりそうな場合は予告を中止するかもしれません。




