221 魔女「琴音」/剣神vs女神
仄香
7月2日(水)
向陵大学病院の会議室を借りて尋ね人の魔法と、遥香の霊的基質の修復のための術式の構築に入る。
同時進行で遥香の霊的基質の修復も行うのは、遥香には言わないでおこう。
あと4年半はかかると思っていたが、これほど効率の良い方法があるとは。
本当にラジエルの偽書は素晴らしいな。
今回は琴音も千弦もいない。
だから、手伝う人間はなく、私一人で行うことになった。
ずっと一人でやってきたことなのに、なぜこれほどの寂しさを感じるのか。
そんな私の心を知ってか知らずか、遥香が念話を発した。
《遥香さん。あの・・・蜘蛛神の呪いって・・・。》
ああ、あのストーカー男の眷属か。
呪い自体は解呪済みだが、おかげで魔力回路側に後遺症が出てしまっている。
《ああ、あなたも読んでしまったんですね。呪い自体はすでに解呪済みです。・・・それより、お話ししなければならないことがあります。遥香さん、聞いてくれますか?》
《うん。でも、私は仄香さんの味方だよ。だからどんな内容でもいいから話して。》
遥香は間違いなく当事者だ。
すべてを知る権利があるだろう。
《ありがとう。では、全ての元凶、教会の教皇、サン・ジェルマンの正体を・・・。》
◇ ◇ ◇
ラジエルの偽書を片手に、かつて「神なる河のほとりの村」すなわち今のウクライナ北部、ドニエプル川のほとりで私が最初の身体で生まれ、物心ついたころからの話を始める。
・・・そう、まだ魔法などというものがこの世界にない頃の話だ。
私は、ある冬の朝、まだ日が昇らない時間に村の入り口から三つ目の穴で生まれた。
両親の顔は覚えていない。
だが、確かな愛情を受けて育ったと思う。
村には、一つか二つ前の秋に生まれた同世代の男が一人いた。
とにかく、まだ人間自体が少ない時代だ。
だから、私は兄弟のように育ったその男と夫婦になった。
はじめは優しく、思いやりのある男だった。
夫は・・・「もっとも実り豊かな秋に生まれた男」と呼ばれていたか。
人数が少ない村だ。
「あいつ」とか「おまえ」とか、「一の穴の母さん」とか「長」などと呼び合い、名前など必要なかった。
貞操観念などないような時代だから、夫との間にいつ、最初の性交渉があったかなんて覚えていない。
ただ、男が少なく、また同世代の男がいなかったことから、私は夫としか性交渉はしなかった。
たぶん、当時の私の年齢は今で言う15歳か16歳くらいだったろうか。
私が物心ついてから13回目の雨季に、それも一番ひどい雨が降っている日に最初の子供が生まれた。
そう、紫雨だ。
彼との別れは、妹の死亡とあわせて以前話した通りだ。
私は息子との別れと前後して魔力を手に入れたが、せいぜい日常の中で火をおこしたり、川の中で魚の動きを誘導したり、あるいは切り傷を治すぐらいしかできなかった。
実際、初めて攻撃魔法を使ったのは、少なくとも三人目の身体だったと思う。
それも、今思えば、豆鉄砲くらいの威力しかなかった。
息子を失った私は、大した力も持たずに彼を探そうと旅に出ようとした。
だが、夫は私を引き留めた。
・・・最初は私のことを案じてくれたのだと思った。
だが、次第に、夫は暴力を振るうようになった。
そして、すぐさま次の子供を求められた。
村の墓場・・・妹の亡骸が中途半端に埋められた洞窟に押し込められ、来る日も来る日も犯された。
このころはまだ魔法をうまく扱えなかった。
だから、洞窟から出る術もなく岩肌に押し付けられた肌をいやすのが精いっぱいだった。
後ろ手に拘束され、犯されながら頭を押し付けられた岩肌が、崩れて妹の遺体が見えていた。
その、砕けて腐っている顔と、遺体が放つ臭気、そして暗闇と湿度に気が狂いそうだった。
私は若かったこともあってすぐに妊娠し、一年ほどして娘を出産した。
夫は、娘を見るなり、「なんだ女か」と言ったと思う。
あの時、夫は何かにとりつかれていたのかもしれない。
出産後、後産も待たずに私は犯された。
泣いても喚いても、許してくれなかった。
最初の身体は、後産がまともにできず、腹の中で腐ったせいで、三人目の子供はできなかった。
たしか、娘は村の長老の住む五の穴で育てられていたと思う。
夫は娘を育てていなかった。
ある夜、洞窟の入り口の檻を壊して誰かが助けに来た。
そこで、幼い娘を探し、連れて私は村を飛び出した。
私が村を飛び出した後、私はいくつもの身体を乗り換えた。
まさか、同じことを夫がしているとは思わなかった。
なぜなら、私や紫雨に力を与えた石板には私と紫雨、星羅以外は触っていないし、あの時以降、この世にはなかったからだ。
だが、どのような方法を用いたのか、夫は私と同じ力を得たようだ。
・・・考えてみれば、執念深い男だった。
あの村には私以外、若い娘もいただろうし、私が一番美しかったわけでもない。
なぜ執着されるのかわからないが、どうやら今も執着されているようだ。
いまだに夫が私に執着しているのを知ったのは自称聖女と交戦した後だ。
気付いたとき、あまりの気持ち悪さに身体中の血を取り換えたくなるほどの怖気が走った。
だが、確信が持てなかった。
まさか、たかが十数年、寝床を共にした女のために、数千年にわたって追いかけてくるとは。
・・・いや、私も我が子を追いかけてこれほどの年月を重ねたのだから偉そうなことは言えないが。
話しているうちに心の底から不快感がこみ上げる。
《仄香さん・・・なんてかわいそうな・・・。》
「いえ、もう昔のことです。つまり、私の仇敵はかつての私の夫、そして・・・あなたたちにとって直系の先祖です。私たちがしでかしたことが、あなたたち子孫に多大な不幸をもたらしているかと思うと、頭が上がりません。」
《そう・・・でも、仄香さんは何度も自分の子孫の身体を使ったんだよね。そのサン・ジェルマンとかいう男はどうなんだろう?》
「おそらくですが・・・私が村を去ったあと、ほかの女との間に子供を作ったようです。そして、原因はわかりませんが、その血統が『魔族』と呼ばれているようで・・・つまり、アマリナさんたちの系統ですね。その系統の身体を使っていると思います。」
《たしか、身体の中に魔石があるんだっけ?・・・でもあれ?魔族からは魔族しか生まれないって・・・もしかしてその人の二人目の奥さんが最初の魔族?》
「いえ、おそらくは、夫が何らかの方法で私のような力を手に入れて、その時、魔石が生まれたのではないかと。・・・よし、準備が整いました。」
床に広げたシーツに、サインペンで描いた魔法陣が完成する。
詠唱の構築も終わり、あとは呪文を唱えるだけだ。
・・・同時に、遥香の霊的基質の修復が完了する。
これで、遥香は活動時間に制限がなくなる。
・・・すべてが終わったら遥香の中で眠りにつくのもいいか。
「行きます。・・・銀砂の海原に揺蕩う者よ。幽明の澱みに浮かぶ影よ。我は祈念の言霊を以て汝が心魂と交わりを紡ぐものなり。その慈悲深き御手により、我を彼の者の住処へと導き給え。」
ふわり、と足元の魔法陣が持ち上がる。
シーツとサインペンで作った魔法陣は役割を終え、インクが分解されて元の白いシーツに戻っていく。
やがて、脳裏に方位と距離、そして正確な座標、さらにはその場所の情景が映し出される。
「ノルウェー、リレハンメル、ローゲン川のほとり、今は使われていない自然保護団体の企業監視事務所の地下。・・・一緒にいるのは・・・魔族。そして、これは?ホムンクルスが・・・3体?いや、1体からは千弦さんの反応が・・・まさか!?」
千弦・・・何をされた?
それに、なぜか、弱いながらも千弦の反応がもう一つある。
こちらは・・・デンマーク、コペンハーゲン?
カステレット要塞近くの港湾施設?
《どうしたの、仄香さん?わかったなら早く行こうよ!》
「え、ええ。それじゃあ、ラジエルの偽書を返したらすぐに行きましょう。」
会議室を飛び出し、琴音が眠る病室に駆け込む。
そこにはなぜか・・・円盤状の布がかけられたものを構えた健治郎殿が、何かを決意した瞳をこちらに向けて立っていた。
◇ ◇ ◇
九重 健治郎
遥香さんから届いたメールは、すぐさま分析に回された。
・・・何のことはない。
子供が作った暗号だ。
ものの数分で分析が終わり、それまでの仄香さんの行動や、遥香さんの帰還の時期、そして遙一郎さんへの聞き取りを経て方針が決まった。
あのメールは詩的表現を使った隠しメッセージになっていたのだ。
「上野の美術館、あの時の展示物」
すなわち、特定の過去イベントの符号。
暗号の起点。
「鏡に映った自分を、まじまじと見たのは、あのときが初めて」
・・・遥香さんは銅鏡をそれほど見ていない。
それに、年頃の、遥香さんほどの美少女が自分の顔を鏡でまじまじと見たことがないなんてあり得ない。
不自然さが際立つ。
「私の中では今も強く残っています。」
強く残る。
ただの展示物が?
つまり、継続して今も必要と明示か。
「何かが踏ん張れる気がします。」「私はちゃんと、ここにいます」
遥香さんと仄香さんの在り方の示唆。
おそらくは、憑依の在り方。
そして、「ママには大切なものを鏡越しに見ているように」
ママの大切なもの、それは遥香さん本人。
つまりは、この鏡を自分に向けろ、と。
おそらくは、魔女の憑依状態に何かの影響があるに違いない。
そう判断し、俺たちはただちに陸情二部の権限を用いて東京国立博物館から銅鏡を徴発した。
そして、遙一郎さんから、この銅鏡はおそらく遥香さんから魔女の魂を引きはがす可能性があるということを確認した。
琴音の眠る病室で鏡を構え、仄香さんを待つ。
兄貴の話の通りであれば、彼女は千弦を探しに行くための魔法を組み上げた後、一度ここによってから出発するはず。
原因はわからないが、遥香さん自身も自分の身体から魔女に出ていって欲しいと思っている。
遥香さんのことだ、仄香さんに害意があるとは思えない。
そして、陸情二部の分析によれば、ジェーン・ドゥの身体を使っているときに比べて遥香さんの身体を使っているときの魔力量が、かなり落ちるということが分かっている。
また、未確認だが、台湾旅行の時に遥香さんが体調を崩していたという報告がある。
前後して中台海峡で大型の怪異が観測された。おそらくは魔女の眷属が召喚されたと思われる。
・・・魔女が召喚魔法を行使した後に寝込んだ?そんな馬鹿な。
これらを総合して考えると、魔女が遥香さんの身体を利用していると、全力が出せないのではないか?つまり、千弦が助かる確率が減るのではないか?
さらに、以前千弦に聞いた、仄香さんに憑依されたときは恐ろしいまでの全能感があった、との言葉。
・・・もしかして千弦や琴音の身体のほうが、パフォーマンスが高いのではないか?
これは・・・分の悪い賭けだ。
仄香さんには悪いが、千弦の探索に割けるリソースはないと情報本部は決定した。
だから、仄香さんに頑張ってもらうしかない。
ガラリ、と音がして病室のドアが開く。
「お待たせしました!今すぐ・・・健治郎さん?お久しぶりです、どうしてここに?」
「すまない。だが千弦のため、ベストパフォーマンスで戦っていただきたい。」
「え?何を?」
構わず銅鏡の覆いを取り払う。
だが、銅鏡は光りもせず、音もならず。
ただ仄香さん、いや、遥香さんはその場で突然、しゃがみこんだ。
◇ ◇ ◇
《これは!遥香さんから完全に憑依が解除された!?まさか、あの時の銅鏡!なぜ健治郎さんが!まさか、あなた教会の!信じていたのに!》
すぐに遥香さんは立ち上がり、慌てて誤解を解こうとする。
「違うよ、仄香さん。健治郎さんにお願いしたのは私だよ。」
目の前で遥香さんと仄香さんが問答をしている。
見えない相手と問答をするってのは新鮮だな。
いかんいかん。そんなことより大事なことがあった。
《どうしてですか!これから千弦さんと琴音さんを助けに行くのに、なんでこんなことを!》
「仄香さん。私の身体、弱かったよね。本気が出せなかったり、あるいは出力の調整ができなかったりしたよね。それに戦った後、毎回寝込んでたよね。」
《それは・・・遥香さんの責任ではありません。私の問題です。》
「まさか、こんなに早く健治郎さんが私の意図を完全に読み取ってくれるとは思わなかったんだけど・・・。私の身体の面倒がなければ仄香さんはもっと強くなれるんだよね。例えば・・・ジェーン・ドゥとか・・・。」
《でも、私はあなたが死ぬまで一緒にいると約束しました。だから、今すぐ戻してください!》
「ごめん、でも足手纏いにはなりたくないんだ。ごめんね。こんなに弱くて。」
《何を言っているんですか!霊的基質の修復が終わってなかったらどうするつもりだったんですか!》
「え?霊的基質の修復、終わったの!?いつの間に!?・・・じゃあ、18時間経っても私、死なないの?」
《・・・まさか、死ぬつもりだったんですか?》
「・・・仄香さんには、私の命より優先して二人を助けてほしいの。」
《・・・分かりました。でも、すべてが終わったら必ず貴女のもとへ帰ってきます。》
・・・う~ん。
もしかして、結構ヤバい橋を渡ったのか?
いい話にまとまり始めているんだけど。
とりあえず口を出そうか。
「あ~。仄香さん。聞こえるか。俺も、遥香さんの意見に賛成だ。ただし、自分の姪っ子を助けるのに他人様の娘さんの身体を使う気がないっていう点でな。まさか、そこまで思い詰めてるとは知らなかったが。」
《ええ。ですからここから先はジェーン・ドゥの身体を・・・。》
「使っちまえよ。」
《は?》
「だから、使っちまえよ、琴音の身体を。使えるんだろう?だったら、自分と自分の姉を助けるためだ。琴音にも責任を取らせればいいじゃないか。」
「ちょっと健治郎!琴音は、死にかけてるんですよ!なんてことを!」
ああ、姉さんはそういうだろうなとは思ったよ。
「死にかけてるんじゃねぇ。死んでるんだよ。そこから生き返るのに全部他人任せとはずいぶん調子が良すぎるじゃねぇか。兄貴はどうだ?」
「健治郎・・・おまえ、姪の身体をなんだと思ってるんだ・・・。」
兄貴。
ここでそれを言っちゃあだめだって。
「ふん。じゃあ、遙一郎先輩を連れてきてその目の前で言ってみろよ。うちの姪を、娘を助けるためにお宅の娘さんには命がけで魔女の器になってもらいます、ってな。」
兄貴も姉さんも、何も言い返せないようだ。
だが、遥香さんは言いよどむように口を開いた。
「健治郎さん、私は一人だけ助かりたかったわけじゃ・・・。」
そうだろうな。
霊的基質とやらの修復が間に合わなければ死ぬかもしれなかったんだよな。
まったく、千弦も琴音も、いい友達を持ちやがって。
《健治郎さんもわかってますよ。遥香さん。・・・健治郎殿、本当によろしいのか?》
おう。口調が変わったな。
本気モードってか?
「当然だ。上手いこと助けられたら琴音に身体を返してやってくれ。もし、無理なら・・・駄賃代わりにもらっちまえ。むしろクソ親父は喜ぶだろうよ。ああ、改造は自由にやっていいぞ。多分、千弦の状況から、琴音はむしろ喜ぶだろう。」
《・・・!どこまで、ご存じなんですか・・・。》
仕事柄ネタバレは絶対しないんだが・・・まあいいか。
「俺の従妹の息子で一二三っていうやつがいるんだが・・・兄貴と同じで呪病の・・・ああ、あいつはナノゴーレムとか呼んでたっけ。とにかく、追跡系の能力があるんだ。で、開明高校襲撃事件の前日、つまりはあのパーティの後な。咲間さんを追っかけて横浜駅にいたんだよ。」
《横浜駅?横浜駅で、何があったんですか?》
「彼女が会ってた男に枝を付けたのさ。・・・バシリウス・モルティス。教会の十二使徒第二席。まあ、そいつが千弦をさらった犯人だって気付くまでかなりかかっちまったらしいがね。」
ほんと、あのストーカー気質の二三君が役に立つとは思わなかったな。
まさか、文化祭のステージで歌う咲間さんに惚れてから、今までずっとストーカーをやってるとは思わなかったよ。
彼女に会っている男には手当たり次第に呪病を張り付けていたらしいからな。
まさか本人が寄生されているとは知らなかったようだが。
「・・・あのバカ。またストーカーまがいのことをやっていたのか。」
まがいじゃねえ。ストーカーそのものだよ。
「まあいいじゃないか。むしろ功労者だ。せっかくだ。すべてが終わったら咲間さんに正式に紹介してやれ。・・・さてと。いつまでもくだらない話をしていたいところだが、伝えておくことがある。ああ、早く琴音の身体に入っちゃくれないか?どこ向いてしゃべったらいいのかわからなくて困る。」
俺の言葉に仄香さんはあきらめたのか、一呼吸おいてすぐ琴音の目が開き、ベッドの上に身体を起こす。
「これ以上何を?まだ何かあるんですか?」
眠ったまま動かなかった琴音の身体が動いた瞬間、姉さんは口元を覆い、目を伏せる。
・・・仄香さんを恨んでいるのか?
当然だな。
だが、彼女ほどあの二人のために命を張っている人間はいないんだよ。
とにかく必要なことはすべて伝えておかないと。
「フレデリック大将以下、アメリカ合衆国特殊統合軍の全軍が『約束を守るため』千弦の救出作戦を開始した。ドイツ、ベーブリンゲンのアメリカ欧州軍は全軍の出撃を開始した。陸海空、すべてが全力でだ。また大西洋第二艦隊のすべて、つまりはアメリカの大西洋側の総力が間もなくノルウェーに殺到する。」
実際には宇宙軍も全力稼働中なんだがね。
「うそ、それって・・・千弦ちゃんを助けるためだけに?」
「ああ。やつら、魔女に恩を売りたくて必死なんだよ。それに安心していい。ノルウェー政府は国内で米軍が自由に活動できるよう、全面協力するってさ。・・・屈辱だろうがな。」
だが・・・だが、おそらくはもっと厄介な状況だ。
二三君が盗聴盗撮した記録によれば、千弦はむしろ・・・米軍の敵になる恐れすらある。
ベッドから降りた琴音・・・いや、仄香さんは、遥香さんが入っていた杖を握り、病室内の装備をかき集めている。
「ああ、行く前に市ヶ谷によってくれ。いいものがあるからな。高杉が待ってる。」
「え?ええ、寄らせていただきます。」
使えるモノはいくらあってもいい。
それが国宝だろうが正倉院の御物だろうが。
しかし・・・まさか御伽噺の中に登場するものが実在するとは思わなかったな。
「仄香さん。これを。千弦と琴音を、よろしくお願いします。」
姉さんが一度は返してもらったラジエルの偽書を仄香さんに差し出す。
・・・あれ、間違いなく政府で管理するべきシロモノだよな。
だが・・・正しく使えるのは仄香さんだけか。
「行ってきます。かならず、二人を連れて帰ります。では。」
大きく窓を開き、仄香さんは琴音の姿で宙に踊りだす。
そして、光の尾を引きながら一瞬で見えなくなった。
◇ ◇ ◇
サン・ワレンシュタイン
デンマーク、コペンハーゲン
バシリウスから一人の少女・・・いや、一体のホムンクルスが送られてきた。
外見は日本人のようで、黒目黒髪、少し目つきが悪い釣り目の少女を模している。
はじめは試し斬り用の人形かと思ったが、同行したネズミによれば、捕獲した少女の子宮と卵巣をはじめとする脳以外の臓器を移植したものだそうだ。
「ふん。バシリウスめ。考えることは同じか。」
少女のホムンクルスは、その大部分の臓器を元の少女から移植されているせいか、、ホムンクルスにしては珍しく人間の匂いがした。
身長は160cmくらいか。標準体重程度で、年齢は・・・日本人は若く見えるからな。少なくとも18歳は超えていないだろう。
腰回りは十分な太さがありつつも、全体的に均整のとれた良い身体つきをしている。
オリジナルがそうなのか、あるいはそう作っただけか。
「来い。早速、我の子を孕んでもらう。」
「・・・はい。」
少女型のホムンクルスは無表情のまま、頷く。
ふむ。
会話モードは日本語か。
あまり扱いなれない言語だが、いいだろう。
そのうちバシリウスに変更させればいい。
寝所に引き入れ、寝台の上に座らせる。
ふむ。ホムンクルスにしては女性の所作をうまく再現している。
「脱げ。そして寝台に横になって足を開け。」
魔族の繁殖には、処女であることが欠かせない。
人間の男との行為を経験した個体は、妊娠の確率が著しく低いのだ。
バシリウスが初歩的なミスをするとは思えないが、念のため確認する。
逆に、魔族と行為に及んだ人間の女は、子宮内膜に魔石を保護する被膜ができることにより、二度と人間の子を孕めなくなるが。
・・・ホムンクルスにそんな心配は不要か。
うむ。処女であるな。
「よし。問題ないな。では始める。」
少女型のホムンクルスに覆いかぶさり、いざ挿入をしようとした瞬間のことだった。
「空襲警報です!ワレンシュタイン様!敵航空機が!」
「・・・我の繁殖を邪魔するとは。許せぬな。ネズミ。このホムンクルスを見張っておけ!だが指一本触ることは許さん!」
「は、はあ?ええ、分かりました。」
素早く衣を着て寝所を躍り出る。
・・・人間風情が!
我の密やかな楽しみを邪魔したこと、万死を以て贖わせてくれようぞ!
◇ ◇ ◇
「なんだこの物量は!現代兵器でこれをするか!」
コペンハーゲンの街、いや、カステレット要塞に流れ弾が着弾する。
それも、雨のように。
一発一発はそれほどの威力ではない。
だが、とにかく数が多い!
「ぐう!ダインスレイヴ!クトネシリカ!ハルベー!クラウソラス!」
念動の腕を操り、稼働させられる剣から順に振り払う。
くそ、どこの軍隊だ!
空中で航空機と衝突し、いくつもの爆炎の花が咲く。
ちっ!無人機か!
遠く、腹に響く音がこだまする。
遠視の術式を展開し、雲の合間を飛ぶ敵航空機をにらみつける。
なんという量!
目算で50を超えている!
そして、スターアンドストライプスだと!?
「アメリカ空軍、だと!?宣戦布告なしに、それも、NATO加盟国をアメリカが空爆するだと!?」
一瞬の驚きを突くかのように、何かが風を切って飛来する。
宙を舞うクトネシリカに着弾し、甲高い音を立てる。
「なんだこの威力は!それに、何という精度!まさか、砲撃で狙撃だと!くそ!撃ち落とせ!アス・サイフ=アル・ヤマニ!」
クトネシリカとアス・サイフ=アル・ヤマニ、すなわちアイヌの神剣とイスラムの正義の剣を振るい、飛来する砲弾をはじき落とす。
続けて砲弾のもとにその他の剣をたたきこむ。
主力戦車だと!?
いつの間に接近された!?
爆発、轟音。
だが一向に砲弾がやむ気配がない。
まるで我が丸見えのように!
どこだ!敵はどこから見ている・・・。
そうか!上か!
「撃ち抜け!ブリューナク!ゲイボルグ!」
念動の腕を十本以上使い、二条の槍を渾身の力を込めて真上にたたき出す。
だが、ほぼ同時に直上から何か、恐ろしく重いものがそれらに当たり、はるか上空で轟音を上げて砕け散る。
「これは・・・対地攻撃衛星か!人間め!そこまでするか!」
くそ、魔女でもないたかが人間風情に!
我が退くだと!?
逡巡している間にも、恐ろしいほどの密度で砲弾が撃ち込まれる。
まるで目がついているかのように、正確に我に向けて飛んでくる。
はるか遠くから飛来した砲弾が空中で炸裂し、破片と爆風が襲う。
神剣リジルが風圧をおこし、はじき返す。
曳火射撃、そうだ、これは曳火射撃だ!
ならば頭上に防壁を!
だが、まるで蛇のように防壁を避け、数発の砲弾が飛来する。
「ちぃぃ!なぜその角度から曲がる!人間風情が!グラム!ユルターナ!打ち崩せ!」
耳障りな金属音が響き渡る。
ダインスレイブとハルベーが砕けただと!?
轟音とともに砕け散る、神話・伝説の剣、槍の複製たち。
複製とはいっても、魔術的に完璧に複製された、真に迫る贋作だというのに!
「ネズミ!ここを放棄する!ホムンクルスを連れてついてこい!・・・くそ、こんなところまで侵入されているのか!」
気付けば、寝所につながる廊下に敵兵が忍び込んだのか、散発的に銃弾が飛来する。
「焼き払え!カラドボルグ!薙ぎ払え!グラム!」
カラドボルグから放たれた炎が数人の兵士を包み込み、グラムが巻き起こした爆風が数人の兵士を吹き飛ばす。
だが・・・なんという数だ!
攻撃がやまない!
ホムンクルスはあきらめざるを得ないか!
「く、くそが!我が退くだと!覚えておれよ人間ども!」
はらわたが煮えるほどの怒りとともに、命の対貨を起動しようとした時だった。
【痴れ者が。逃がすと思う?】
「・・・"O dea momenti,Verdandi invisibilis!Ego vitam meam prehendo crinem tuum.Appareas, precor."(おお、刹那を司る女神よ。姿なきヴェルダンディよ!我は命を賭して汝の後ろ髪を掴まん。願わくばその御身を顕し給え。」
念話のような、不思議な声と・・・1700年ほど前に聞いた耳障りな男の声・・・ノクト・プルビアの忌々しい声が響き渡った。
◇ ◇ ◇
周囲は先ほどとは打って変わったように静かで、砲声もせず銃弾も飛来しない。
これは、風に聞いた次元隔離魔法か!
命の対貨で逃げる機会を完全に奪われた。
だが、この手の魔法は術者を殺せば解除できる。
目の前にはあの忌々しい男・・・かつて、我がその心臓を抉り、四本の聖釘で封殺したはずの男が、一人の少女・・・いや、幼女を連れて立っている。
亜麻色よりもやや濃い髪色に、抜けるような白い肌。
形の整った鼻筋、少し釣り目のアイスブルーの瞳。
身長は・・・130cm前後だろうか。少しやせ型の幼女だが・・・。
妙なことに見知った匂いと気配がする。
・・・これは、魔族の匂い?いや・・・マーリーの匂いか!
「ノクト・・・プルビア。貴様、まさかマーリーを?」
マーリーを殺した?いや、洗脳して作り替えでもしたのか?
「へえ?ただの脳筋野郎だと思ったらそうでもないんだ?ねえ、叔母さん。ネタバレしてもいいかな?」
【だから叔母さんと呼ぶなと・・・まあいいでしょう。この外道を前にあなたも昂っているのでしょうから。さて、ワレンシュタイン。私がだれかわかりますか?】
目の前にいる幼女からは確かにマーリーの気配がする。
だが、それ以上に何か、非常にまずいものの気配が・・・。
「まさか、女神・・・女神、イルシャ・ナギトゥ・・・なのか?」
【ご名答。では、ご褒美にあなた専用の地獄を一つ、作って差し上げましょう。】
反射的に、その場にあったすべての魔剣、聖剣、神剣、魔槍、神槍を振りかざす。
「くそが!我がこんなところで!」
一撃で山をも砕く刃を持つ剣・槍が殺到するにもかかわらず、幼女は眉一つ動かさない。
【開け。常世の門。】
幼女は短く何かをつぶやいた。
いや、念を発しただけで、すべての槍、剣が瞬時に塵と化す。
「なっ!なん、だと・・・?」
【私の力を忘れたのか。・・・閉じよ。現世の門。】
塵と化した伝説の剣、槍は、可視化どころか質量をもった赤い奔流となって我に迫る。
「があぁぁぁ!」
砕けた槍、折れた剣を振り回し、赤い奔流を薙ぎ払う。
だが・・・すべての槍、剣が赤い奔流に触れた瞬間、爆発するように砕け散る!
「なんだこれは!なぜ!なぜだ!」
もはや逃げ場がないほどに赤い奔流が四方から、いや、頭上からも迫ってくる!
【・・・私の大切な甥の1700年。きっちり利息をつけて返してもらいましょう。そうね、十一でいいわ。】
「うわ。それじゃあいつまでも元本が減らないんじゃない?」
【しかも私は優しいからリボ払いにしてあげるわ。この魔力が尽きるまで地獄を楽しみなさい。現世でも常世でもないところに地獄を作ってあげたわ!アハハ!出口はないけどね!】
身体が、我の手足が分解されていく!
痛い、苦しい、熱い!
だが、いつまでたっても死の気配が来ない!
幼女、いや女神の高笑いが耳に残り続ける。
そして、目の前のすべてが赤く染まり、意識は続いたまま激痛が押し寄せた。




