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218 双子の絶望/魔女の激怒

 九重 宗一郎


 6月23日(月)


 東京都新宿区信濃町

 向陵大学病院 特別個室


「琴音、何か食べなさい。・・・あなた、眠れてないの?」


 美琴がベッドの上で動かない琴音に、病院食を食べるように勧めているが、琴音は虚ろな目で宙を眺めるだけで、何も返事をしない。


 千弦が攫われた後、琴音はずっと腕時計をにらみ続けていた。

 ・・・後でエルさんに聞いたら、千弦の健康状態や残魔力量などが分かる術式を組んでいたらしい。


 普通は双方が腕時計を腕に巻いている時だけしか分からないと思うよな。

 ・・・まさか、腕時計同士ではなく直接相手の身体に共鳴させている術式だなんて思わないじゃないか。


 最初は、琴音の驚きと少しの喜びの声から始まった。


 姉さんの魔力量が急激に減少した、と。


 きっと脱出のために魔法か魔術を使ったんだ、きっと長距離跳躍魔法(ル〇ラ)を使ったんだ、と淡い期待を抱いていたが・・・。


 千弦の残魔力量が完全に計測できなくなった後、琴音が悲鳴を上げた。

 姉さんが死んでしまう、と。


 叔母である和香(のどか)さんが慌ててその腕時計を奪ったが、すでにその表示器(インジケータ)に表示されていた健康状態、というか身体情報が目を覆うような情報だった。


 ・・・初めに、手指に大ダメージ。

 それも、切断を示す表示が何度も繰り返し、最低でも6箇所。


 次に、足指に大ダメージ。

 同じく切断、または鈍器でつぶされたかのような大ダメージが10箇所以上。


 前歯を含む歯牙の破壊、舌の損傷。

 顔への火、いや酸による破壊。


 ・・・間違いない。

 拷問を受けている。

 それも、千弦の身体に後遺症が残っても構わないレベルの拷問を。


 琴音にも美琴にもこれ以上見せてはいられず、和香(のどか)さんと二人で慌てて回収したが・・・。


 最終的に千弦は殺されることはなかったものの、身体的な損傷は、両腕の肘から先、両足の膝下をほぼ全損、さらには頭部・・・おそらくは右目と右耳は無事ではないだろう、というところまで進んだ。


 顔については重度の化学熱傷の反応もあり、もしかすると、二目と見られない姿になっているかもしれない。


 今は仄香(ほのか)さんにその時計を預けているが・・・遥香ちゃんの家の、机の引き出しに入れたままになっているらしい。


「宗一郎。きっとマスターが助けてくれる。だから・・・。」


 エルさんが途中まで言いかけて言葉を詰まらせる。

 助けて、以前の千弦が戻ってくるのか。

 いや、どうなっていたとしても取り戻す。


「・・・ああ。生きてさえいてくれれば・・・。」


 エルさんや琴音たちの話によれば、脳さえ無事ならば身体を完全に治せる魔法と、いやなことすべてを忘れさせてくれる魔法があるというが・・・。


 果たしてそれは解決になるのだろうか。

 思わず考え込んでしまう。


「あ、兄さん。エルさんも。・・・まだ帰ってなかったんですね。少し休んだらどうですか?」


 千弦と琴音の母親として泣きたいだろうに、美琴はよく頑張っている。

 我が妹ながら、これほど強い母親というのも珍しいのではないだろうか。


「・・・お前こそ休め。いや、何か食べに行くか。昨日から何も食べてないだろう?」


「そう・・・ですね。」


 美琴の目の下のクマがかなり濃くなっている。


「この病院のレストランは栄養バランスがいい。宗一郎。腹が減っては・・・なんだっけ。」


 エルさんが必死に元気づけようとしているのが分かる。

 美琴も頷いてエレベーターホールに歩き出そうとした時だった。


「ウアァァァァ!姉さん、姉さん!嫌だ!やめて、やめてヤメテヤメテ!姉さんを返して!姉さんを壊さないで!アアアアア!」


 それまで静かだった病室から絶叫が響き渡る。

 慌てて病室に飛び込むと、ベッドの上で琴音が頭を抱え、のたうち回りながら叫び声をあげていた。


「何だ!エルさん!和香(のどか)先生を!美琴!足を押さえろ!琴音!目を覚ませ!しっかりしろ!」


 それまでの様子と違い、完全にパニックになっている。


「姉さんが!あの姉さんが泣いてる!やだ、姉さんが!壊れてる!やだ、もう取り返しがつかない!やだ!行かないで!私を置いてかないで!」


「なんでもいい!口に詰められるものを!このままだと舌を噛むぞ!」


 琴音にのしかかかるように押さえつけ、その口にタオルを噛ませる。

 くそ、ものすごい力だ!

 身体強化魔法もなしにこんな力を出したら筋断裂を起こすぞ!


 呪病を使って眠らせるか!

 く、こいつ、なんて抗魔力だ!

 触れてるだけで呪病を発生させることすらできないだと!?


 和香(のどか)さんが男性看護師を連れて病室に飛び込んでくる。


「宗一郎!そのまま押さえて!鎮静剤を! ジアゼパム(ホリゾン)10mg筋注!く!?こいつ!薬剤耐性術式でも使ってるのか!?ハロペリドール(セレネース)も持ってこい!」


「姉さん!姉さんを助けに行く!離して!私の手足なら移植出来るから!離せ、離し・・・て・・・。」


 琴音の胸元を強く押さえたとき、何かチャリっという音がした。

 点滴が抜けた音か?

 どうでもいい、今はとにかく押さえなくては!


 俺だけではなく、男性看護士が複数人で押さえつけてやっと注射することができたが・・・。

 回復治癒魔法使い相手に鎮静剤を使うのがこれほどまでに大変だとは。


「・・・ふう。なんだっていきなり興奮したんだか。宗一郎、美琴。とりあえず眠らせることはできた。少し話がある。ちょっと来てくれるか?」


「あ、ああ。エルさん。琴音を頼むよ。」


「ん。まかせて。」


 何か分かったのだろうか。

 それとも、問題でも起きたのだろうか。

 和香(のどか)さんに従い、病室を後にする。


 琴音。

 辛いとは思うが、美琴やエルさん、それから俺がいるから、どうか早まったことはしないでくれ。


 ・・・千弦。

 どんな形でもいい。

 生きて帰ってきてくれるだけでいい。


 ◇  ◇  ◇


 仄香(ほのか)


 長距離跳躍魔法(ル〇ラ)で南シナ海のミスチーフ礁に向かい、少し手前で飛翔魔法に切り替える。


「どこだ、千弦はどこにいる!?・・・煙!あれか!」


 水平線の彼方にチラリと見えた煙に向かい、全力で空を駆ける。


 急いで辿り着いたその海の上には、被弾して海域から離脱する日本海軍の艦艇と、未だにミサイル攻撃を続ける十数隻の中国軍艦艇、そして横転して沈みかけた輸送船の姿があった。


 横転した、おそらくは中国船籍の輸送船の腹に降り立ち、慌てて全力で探知術式を発動する。

 千弦の、反応・・・。


 あった。だが、これは、なんでこんなに質量が小さくて・・・バラバラなんだ?

 まるで、一つあたりの肉片が、グラム単位の・・・。


「千弦・・・!・・・頭サイズの質量が、ない。嘘だ、嘘だ・・・き、貴様らぁ!!殺してやる!中国も、日本も知ったことか!全員、一人残さず皆殺しにしてやる!!」


 千弦が、殺された。

 もう、終わりだ。

 琴音が、ひとりぼっちになった。

 もうあの二人の笑顔が、二度と見れない!


 世界がぐるぐる回ってゲラゲラと笑っているような感覚。

 この感覚は、何年、いや、何千年経っても慣れることがない。


 ・・・許さない。

 教会(肥溜め)の味方をする中国軍も、千弦がいると知っていて攻撃した日本軍も、髪の毛一本、塵一つ残さず微塵にしてくれる!


 横転して沈みかけた輸送船の腹の上で、魔力を振り絞る。


 まずは目障りな貴様らからだ!

 雁首揃えて馬鹿みたいにバカスカ撃ちやがって!

 目の前に自国の船籍の輸送船がいても、助けようともしやがらない!


 よくも、よくも千弦を!

 教会(肥溜め)(そその)された傲慢な猿どもが!

 そんなに戦争がしたいのか!

 ならば私が相手をしてやる!


九千連唱(ノナリアスペル)()()()元素精霊(エレメント)()()()()階梯(かいてい)()()()()()()()()()()()()()(ごと)()(きら)()()()万里三界(ばんりさんがい)()()()()()()!」


 詠唱が終わり、魔力を中国艦隊に向けて解き放つ。

 刹那、数十キロの範囲に展開した中国艦隊の直上に、直径四十数キロを超える、1億℃に達する白く輝く火球が形成される。


 概算、TNT換算で50メガトン。

 ついでに火力が集中するよう、千弦の全自動(フルオート)詠唱機構(チャンター)を使った魔法で全ての熱量を中国艦隊のいる範囲に閉じ込める!


 火球の真下にいた数隻の艦、おそらくは空母と巡洋艦、そして全ての海水が瞬時に蒸発してチラリと見えた潜水艦も蒸発する。


 小さな島々がある、水深二百から三百メートル程度の海底は瞬時に露出し、海底が一瞬で赤熱する。


 間近にあった、岩礁を埋め立てたらしい島々も次々に蒸発する。


 よくも、よくもよくも!


 水蒸気爆破、いや岩石蒸気爆破で立ち上がった水柱、そして衝撃波の水球と、あとを追うかのような、キノコ雲が成層圏の上層までせり上がり、続けてもはや音などとは呼べない空気の塊が、身体を貫いていく。


 いや、これだけじゃ腹の虫が収まらん!


 全ての中国艦隊と将兵、スプラトリー諸島の島々の全てを蒸発させても、まだまだ千弦の命の百万分の一にも足りない!


 次は、お前らだ!


 水平線の向こうの満身創痍の日本艦隊を睨みつける。


 よくも、千弦がいるのを知っていて、攻撃したな!

 きさまら、生きて、祖国の土を踏めると思うなよ!!


 殺してやる!殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!!!!


《仄香さん!ダメ!日本の艦隊は千弦ちゃんのことを知らされてないかもしれない!》


「そんなこと知るか!!知らなければ私が、千弦が許すとでも思うか!!」


《仄香さん!今の一言が矛盾してるって気付いて!》


 ぐぅ!ああぁぁぁ!

 分かってる、そんなこと分かってるんだよ!


 頭を押さえ、横転して沈み始めた輸送船の上でその船底を叩く。

 両手が擦りむけても、繰り返し、繰り返し。


 何分、そうしていたか。


「・・・ふぅ・・・なんとか、落ち着きました。ごめんなさい、貴方の身体なのに・・・。」


《仄香さん、そんなことはどうでもいいから、中島とかいう人に会いに行こう。琴音ちゃんに会う前に、全てのやれることをやろう。それに・・・。》


 一瞬、千弦の遺体を回収するべきか迷う。

 ・・・肉片を?

 回収して、琴音に、これがお前の姉だ、と伝える?

 身体を借りている遥香の目の前で、友達の肉片を拾い集める?


 そんなこと・・・出来るわけがないじゃないか。

 遥香の主観を切ってそれをしたとしても、友人の肉片や血で汚れた手を、遥香は何と思う?


 頭を振るい、泣く泣く千弦の遺体回収を諦める。


「・・・ええ。だったら、行き先は自由共和党の本部、永田町の一丁目ですね。」


 おそらくは・・・千弦の遺品になってしまった全自動(フルオート)詠唱機構(チャンター)に、絶対に壊さないように魔力を流し込み、長距離跳躍魔法(ル◯ラ)を使う。


 私は、沸騰した胸を握りしめ、術式で感受性を殺しながら空に飛び立った。


 ◇  ◇  ◇


 永田町、一丁目11番地。

 国道246号線に面した、半世紀ほどの築年数の、重厚なビルの前に降り立つ。


 入り口の守衛が私の姿を見て、慌てて走ってくる。

 ・・・ああ、拵袋(こしらえぶくろ)なんて持っているからテロだと思われたか。


「君!大丈夫か!あちこちスカートが破けてる!誰かに襲われたのか?・・・すみません!誰か救急車を!後、応援を!」


 ん?ああ、この格好か。

 南シナ海上での戦闘、いや、虐殺の余波を抑えきれなかったか。

 確かに、まるで誰かに襲われたようにしか見えないか。

 そんなことはどうでもいい。


「守衛さん。私は大丈夫。どこも怪我はしていないわ。それより、中にいる人、誰でもいいわ。『魔女が来た、中島に会いたい』と伝えてくれるかしら。ついでに、ものすごく怒ってる、ってね。」


「え?魔女?君は、いったい・・・?」


 ふん。

 面倒だ。

 力で押し通るか。


 いや、待てよ。

 確か、中島には新しく作ったジェーン・ドゥ(バイオレット)の名刺を渡したな?

 同席していた浅尾一郎が、御守り代わりに持って歩くと言っていたっけ。


 じゃあ、もしかして、中島もあのまま名刺入れに入れたままになっているか?


「・・・宏闊(こうかつ)()()()()()()()()()()銅鑼(どら)()()()()()()(ばち)()()()()()()()()()()()()(こだま)()()()()()()()()()()()()()()。・・・ふふ、ふふふ。」


「君、何を・・・頭を強く打ったのか?それとも覚醒剤でも打たれたか?」


 守衛が何か言っているが、そんなことはどうでもいい。

 私の名刺を持ったまま、時速2キロ程で移動中の・・・。


 見つけた。見つけた見つけたみつけたミツケタ!


《仄香さん?ちょっと、落ち着いて?》


「私は、もちつき、いや、落ち着いて、レイセイです。術式20番!方位354、仰角27、距離54で発動!」


《全然落ち着いてないよ!わ、うわぁ!》


 短距離転移術式を発動、一気に自由共和党本部内に殴り込む。

 さあ、中島。

 お前の言葉で私を納得させてみろ。

 いや、強制自白魔法でお前の脳から全てを穿(ほじく)り出してやる!


 ◇  ◇  ◇


 一瞬で視界が切り替わり、どこかの執務室のような空間に出る。

 目の前のデスクの横には、スマホを持ってどこかに連絡をしようとしていた中島が、目を丸くしてこちらを見ていた。


「君は!魔女『遥香』か!?警備は何を・・・。」


 その声を聞くだけで怒りが止まらない。

 すぐに殺したくなる衝動を止めるだけが関の山だ。


「もう、お前は喋るな。呼吸と心臓を動かすことだけしていればいい。」


 身体強化術式を全力展開し、中島の首をつかんで近くのローテーブルに叩き付ける。

 砕け、飛び散ったガラスの破片が、盛大な音を立てる。


「ぐあぁぁぁ!いきなり何を!」


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」


 構わず強制自白魔法を行使、その頭からすべての情報を引きずり出す。

 ・・・ん?

 ああ、改良前の強制自白魔法を使ってしまったか。


 うるさいな。

 声帯と顎をつぶしておこう。

 いや、切り取るか。


 念動断裂呪で暴れる中島の顎を叩き切り、ついでに声帯を(えぐ)り飛ばす。

 完全に無実だったら元に戻してやる。

 だが、そうでなかった場合は・・・!


 炎で焼くか、薬で焼くか。

 せいぜい千弦の苦しみの万分の一でも味わってから死ねばいい。


 ◇  ◇  ◇


 ・・・時間にしてわずか、30秒。

 千弦と、彼女をさらった輸送船を、沖縄艦隊与那国分遣隊の艦隊に襲わせた理由と経緯が、どんどん明らかになっていく。


 それにしても大した防音性だ。

 先ほどから誰も来ない。

 部屋の外から盗聴できないように、ということだろうか。


 ・・・なるほど。

 海軍の連中は、コイツの指示で輸送船を「中国の工作船」として追跡し撃沈したのか。

 それも、私が製造を禁じた「核分裂を用いた兵器(原子爆弾)」を搭載していると海軍には教えたのか。


 攻撃させた理由は・・・。

 こいつ!?教会(肥溜め)の連中を拉致、監禁して情報を得たのか・・・。

 教会(肥溜め)信徒(くそども)はどこだ!

 ・・・勾留中に自殺、か。


 そうか、教会(肥溜め)に千弦が洗脳されて、何かテロ行為にでも加担させられれば、九重政権、いや自共党にとって、あるいは将来自分が政権をとるときの逆風になると考えたか。


 今の内なら事故、または戦闘の余波で死亡したことにできるからと、敵ごと殺してしまえと。

 哀れ、九重和彦は自らの孫娘を敵の手で殺された悲劇の総理として、票集めに使えるからと。


 ・・・コイツ、千弦の命を何だと思っているんだ。

 間違いない。

 こいつは千弦の仇の一人だ。


 許さん。絶対に許さん。

 どうやって殺そうか。 


仄香(ほのか)さん。海軍の人たち、やっぱり何も知らなかったね。攻撃しなくて正解だったね。》


 遥香の声に、ハッと自分を取り戻す。


「ええ、そうですね。でも、この男は・・・生かしてはおけません。」


《・・・仄香(ほのか)さん。もしやるなら、私の主観を切らないで。》


 遥香の怒りが伝わってくる。

 この子にこんな怒りを、こんな優しい子に復讐心を持たせるなんて、なんてことをしてくれたんだ。


「わかり・・・ました。でも、気分が悪くなったら、夢に見るようになったら言ってください。」


 さて、中島。

 どうしようか。

 この、クソ野郎。

 

 ・・・中島。

 この部屋で、千弦の命が、お前の下らない決断一つで潰された?この机で書いたサイン?それとも電話一本か?

 千弦は、お前が殺したんじゃない。でも、お前が殺したも同じだ。

 お前が、彼女の道を閉ざした。運命に蓋をした。


 千弦はもう戻らない。お前のせいで。お前のせいで。お前のせいで。

 私の喉の奥で、凍りついた怒りが震える。


 指先に力がこもり、血のような熱が皮膚を這い上がる。

 冷たさと熱さが混じり合い、胸の奥で何かが軋む。


「許さん。お前は・・・ただ死ぬだけじゃ足りない。苦しめ。焼け(ただ)れろ。クソ虫に喰われ尽くせ。」


 大量の魔力で、足元の空間が、ぐにゃりと(ゆが)む。空気が粘りつき、息をするたびに肺がきしむ。

 千弦、苦しかっただろう、痛かっただろう。

 そして、自分を助けに来たはずの日本海軍に攻撃を受けたとき、どれほどの絶望を感じたか。


 私は指を天に掲げ、ゆっくりと、言葉を落とし込むように、詠唱を始める。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」


 中島の目が、苦痛に見開かれる。

 音を発することさえできない。

 いい気味だ。

 お前は、ただ生きながらにして、自分の罪を味わいながら、喰われ尽くせばいい。

 私があの子を奪われた痛みを、お前の骨にまで刻みつけてやる。


 壁が、天井が、床が、黒い闇に沈み始める。

 音も、光も、全てが湿った羽音に塗り潰されていく。

 空間は結界に閉ざされ、もう誰にもこの地獄は止められない。


「千弦の命を、あの子の希望を、未来を踏みにじったお前に、私特製の地獄をくれてやる。お前の鼓動が止まるその瞬間まで、無限の痛みを、無限の恐怖を、無限の後悔を、味わい続けろ。お前の魂が塵になるまで、虫の餌になるがいい。」


 見るがいい。

 私の大事な友人、そして子孫を奪おうとする者よ。

 これが、私の意志だ。


 中島の皮膚に群がる虫たちが、肉を裂き、骨を穿ち、喉の奥にまで潜り込む様を。

 潰れた目から、唇の裂け目から、耳孔から、蟲が溢れ、這い出し、再び潜り、蠢き続ける地獄を。


 喉の奥で溜め込まれた血が噴き出し、泡立ち、消えていく様を。

 身体が膨らみ、張り裂け、破れた皮膚の隙間から、虫たちがこぼれ出る様を。

 骨が露わになり、内臓が形を失い、筋肉が引きちぎられ、最期には・・・ただの肉塊に変わるまでを。


 ◇  ◇  ◇


 南雲 千弦


 夢を、見ていた。

 懐かしい、夢を。


 師匠・・・健治郎叔父さんをそう呼ぶようになってから半年ほどたったころ、小学2年生が終わるころ。


 その日は、師匠の元部下の人たちに混じって、やたらと重い装備や砂袋を背負って富士山の樹海を走り終え、車で帰宅して師匠の家で一風呂浴びた後、ドライヤーで髪を乾かしているところだった。


 身体を動かすのは好きだ。

 スポーツとか、武道とか、そんな理想論や精神論の入らない、ただ純粋な闘争のためのトレーニングが、私は好きだ。


 自分が強くなっていくのが分かる。

 自分の中にあるトラウマが、嫌な思い出が自分の強さで塗り消されていくような、不思議な感覚。


 そんな、今なら幼い妄想のような錯覚と分かる充足感を感じて、何とかその半年前に起きたつらい記憶を克服し始めているところだった。


「千弦。今日は母さんのところで晩飯だ。何か話があるらしい。身体を拭いたら、出かける支度をしろ。」


「うん。分かったよ、ししょー。」


 はて?

 二葉おばあちゃんが何の用だろう?

 二葉おばあちゃん、っていうか九重の家って苦手なんだよな。

 何か、偉い人がたくさんいて。


 それに、たまにおばあちゃんの妹の(にのまえ)のおばちゃんが来るんだけど、「(しずく)」お姉さんって呼ばないと怒るんだよな。


 身体を拭き、師匠が用意してくれた、ちょっとキレイでカワイイ服を着て、靴を履く。

 師匠の息子の宏介君は・・・ああ、奥さんのところか。

 たしか、奥さんの実家に連れて行くって言ってたっけ。


「準備できたよ。ししょー。」


「よし。ジャスト、40秒。早くなったな。合格だ。」


「えへへ。千弦はお姉ちゃんだからね。すぐにししょーより強くなるよ!」


「そいつは頼もしい。さ、行くぞ。」


 師匠の運転するステーションワゴンが、家の前の通りを抜けて大通りに入っていく。

 九重の家は苦手だけど、ご飯はすごくおいしいんだよな。


 そんな子供っぽいことを考えながら、夜の国道を走る助手席に座っていた。


 しばらくして九重の家に着き、重厚な門を抜けて屋敷に上がり込む。

 出迎えた使用人に挨拶をし、廊下を進もうとした時、突然二葉おばあちゃんが廊下の先から歩いて来るのが見え、慌てて挨拶をする。


「こ、こんばんは。千弦です。お邪魔しています。」


 二葉おばあちゃんも私たちの区別はつかないけど、他の人と違って私と琴音を同じように扱わず、私には姉として振る舞うよう、かなりうるさいことを言う。


 そして、私から自分がどちらであるかを必ず名乗るよう、言われている。


「・・・ようこそ。健治郎も。すぐに夕食ですが、千弦。お前だけこちらに来なさい。渡す物があります。」


「はい。伺います。」


 ここで何故とか何をとか言うことはできない。

 厳格なこの人は、そんなことに返事はしないし、不興を買えばロクなことにならない。


 叩き込まれた作法に従い、障子をあけ、部屋に入る。

 所定の位置を踏みながら、畳の縁を踏まないように気をつけて、二葉おばあちゃんの正面、下座に立ち、許可を得てから座る。


「千弦。貴女に渡す物はこれです。美琴と宗一郎から聞きました。良く琴音を守りました。これは九重家からのご褒美です。」


 二葉おばあちゃんはそう言いながらも、小さな桐の箱を私に差し出した。


「頂戴します。・・・開けてもよろしいでしょうか。」


 二葉おばあちゃんが頷くのを確認したあと、ゆっくりと箱を開ける。

 そこには、切手よりもやや小さな、片方だけのピアスが入っていた。


「お祖母様。こちらは・・・ピアスのようにお見受けしますが。コレは一体・・・?」


 純金のように重く、けど少し血で濡れたかのように光を放つそれは、何か恐ろしく複雑な術式が組まれている気配がした。


 二葉おばあちゃんは私の質問には答えず、ただ私の髪を掻き上げ、左耳に触る。


「貴女は琴音を守るために無理をしすぎです。もっと冷静に判断して自分の安全にも気をつけなさい。」


「は、はい。じゃあ、ありがたく頂戴いたします。」


 怖くなってきた私は、話を早く終わらせたくなる。

 それをみてため息をついた二葉おばあちゃんは、ふ、と軽く息を吐き、少し優しい顔で言葉を続けた。


「このピアスはお前が妹をその身を挺して守った勲章です。そして、私の実家・・・(にのまえ)家に伝わる■■の石板の、地上に残された最後の破片を加工して作られた、希望のかけらです。お前や琴音程度の力ではほんの少しの幸運を呼ぶのが関の山でしょう。だけど、いつか、必ず出会う人に伝えるために大事になさい。・・・早速、耳につけますか?」


 私の勲章!

 そうか、これは私にとっての勲章なのか!


「はい!お願いします!」


「そう。じゃあ、こっちへ。・・・ピアッサーは・・・畳針があるわね・・・。」


 ゆっくりと夢が終わっていく。

 ・・・ああ、この時の二葉おばあちゃん、すごく顔色が悪かったんだよね。

 ピアスを付けてもらってすぐあとの冬の朝、眠るように息を引き取ったって聞いたけど・・・。


 ◇  ◇  ◇


「・・・起きなさい。チヅル。まもなくチューライ空軍基地に到着します。」


 ここは・・・車の中?

 あ、ああ。

 ヘリコプターから海岸で乗り換えたのか。


「・・・チューライ。ベトナム軍の空軍基地。クアンナム省に位置する官民共用の空港でもある。」


 ・・・これは?

 私の声か?

 こんな声・・・聞いたことがない。


「ふむ。修復した顎は問題なく動いているようじゃな。睡眠学習も問題なく成功したようじゃ。安心しろ。ここからは先は空路じゃ。」


「セレナがあそこまで壊さなければチヅルは自分の足で歩けたのに、おかげですべて車いすです。罰としてあなたが車いすを押しなさい。」


「え~。じゃあ、またチヅルで遊んでいい?」


「セレナ。どこで遊ぶつもりだ?・・・切り取られた肉片を片付ける身にもなってくれ。手足が壊死しないように根本から切除する手間までかけおって。」


「・・・遊ぶ・・・?私と・・・?」


「ふむ。人格抑制機構もしっかりと作動しておるな。そのままでは魔法は使えぬから向こうに着いたら一度取り外す必要があるが。」


 リュシアとセレナ、そしてバシリウス。

 こいつら、誰だっけ?

 っていうか、なんで私はこんなところにいるんだ?


 早く帰らなくちゃ。

 それに、梅雨が明けたら(おさむ)君と海に行く約束をしたんだ。

 琴音とお揃いの水着を買って、(おさむ)君をからかって。


 ・・・あれ。

 琴音の顔が・・・思い出せない。

 (おさむ)君の顔も。


 それより、私の顔って・・・。

 こんな顔だっけ?


 車の窓ガラスに映る顔は、リュシアとセレナとほとんど同じ顔で・・・。


 不思議と冷たく沈んだ思考の中で、私はゆっくりと目を閉じた。



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