217 失われた半身/日常の終わり
魔女がキレると、それまでの丁寧な口調ではなく、かつ女言葉でもなくなります。
この口調、普段は千弦と話すときにだけ見せる彼女の本性の一つですが、千弦にだけそれを安心して見せるのは、魔女にとって彼女がどれだけ特別かを示しているのかもしれません。
南雲 千弦
6月21日(土)
フィリピン海・東シナ海の境目付近
沖縄本島の沖合を航行中のRORO船(大型車両輸送船)上
大型トレーラのコンテナ内
「ふむ・・・追跡術式の類いはついておらぬな。よし、処置はこれでよし。ふん。麻酔なしでも悲鳴一つ上げないか。薬を使っても魔女のことも全く話そうとせぬし・・・。」
バシリウスは私の肩と腰の銃創の処置をし、縫合を終える。
・・・せめて麻酔ぐらいしろよ。
無茶苦茶痛かったぞ、クソ野郎。
それと、調べ終わったなら私のペンダントを返せ。
「・・・ふん。」
それに薬を使われたのは二度目なんだよ。
経験者を舐めるなよ?
バシリウス・モルティス・・・そしてリュシア・カルンシュタインとセレナ・グレイス、だったっけ?
ご丁寧に肩と腰に風穴があいた私を、後ろ手に縛りあげたうえで裸にひん剥きやがった。
ついでに猿轡?いや、ボールギャグ?口に何かが押し込まれてるせいで呪文も唱えられない。
・・・だがリュシアとセレナは女だし、バシリウスは年齢的に私に性的な興味はなさそうだし・・・。
とりあえずそっちの安心はしてもいいのか?
・・・パンツ一丁だからクーラーが効きすぎてちょっと寒いんだが。
目が覚めた時にはすでにここ・・・おそらくは船の中に囚われていた。
揺れの感じからするとかなりの大型船、それと、大型車両をそのまま積むことができるRORO船と呼ばれるタイプの輸送船だろう。
・・・外は見えない。
見えても、海の真ん中では現在位置もわかるまい。
だが・・・空の見えるところにさえ出られれば、長距離跳躍魔法で逃げられる。
すべての装備を奪われ、念話のイヤーカフもない。
自前の魔力は・・・四割くらいか。
これなら何とか不意を打てるか?
だがまずは逃げることを考えよう。
「ああ。これを忘れるところじゃった。リュシア。押さえろ。」
注射器?
また注射するつもり?
さっきさんざん自白剤・・・チオペンタールやらスコポラミンやらを注射したでしょう!?
アモバルビタールやら、しまいにはアルコールの静脈注射までしたのに!
「・・・安心しろ。これは自白剤ではない。逃げられては困るのでな。体内の魔力回路は一度初期化させてもらう。なに、わかりやすく言えばレベル1に戻るだけじゃ。おぬしのレベルがいくつかは知らんがな。」
マジ!?
こんの、クソ爺ぃぃぃ!
RPGじゃあるまいし、レベルなんてあるわけないでしょう!?
しかし・・・!
このままでは魔法が一切使えなくなる!
暴れた拍子にボールギャグがずれるが、口に指を突っ込まれる。
「動くな。リュシア。セレナ。もっと強く押さえろ。」
「やめて!くそ、こんのクソ爺ぃ!ぐ・・・!」
抵抗虚しく、左手にぶすりと注射針が刺さる。
痛いわね!?
っていうか静脈注射じゃないんかい!
「よし。あと五分もすればすべての魔法と魔術が二度と使えなくなる。・・・魔女直伝の長距離跳躍魔法もな。」
せっかく回復した魔力が散逸していく!?
今二度とって言った!?
一時的じゃないの!?
「う・・・やだ、やだやだ!私の魔力が・・・!よくも、よくも!」
全身を冷たい何かが循環しているのが分かる。
それが、右手に集まって・・・仄香が刻んでくれた魔力回路が消えていく!
「安心せい。向こうに着いたらもっと強力な魔力回路を・・・いや、改造して魔導兵装を搭載してやろう。おまえの脳を丸洗いしてからな。」
こうなったら自滅覚悟で!
「く・・・雷よ!敵を討て!・・・うそ・・・!うそ、うそ・・・!」
もう魔法が発動しない!?
どうしよう・・・もう逃げられない!?
私の魔法!ずっと積み重ねてきた魔術!
琴音の背中を追いかけて、やっと手に入れた力が!
「ふ。ふははは。魔女を取り逃がしたが、ずいぶんと質の良い材料が手に入った。まずはいくつか臓器を乗せ換えてやろう。それと、おぬしの卵巣を片方取り出してクローンでも作るか。ああ、いっそ魔族と番わせるか。」
「やだ・・・やだ!うあぁぁぁ!」
いやだ、そんなの嘘だ!
「あはは!すごい感情があふれてきたよ!聖釘弾が当たった時も、それを抉り出した時もこんな絶望なんてなかったのに!」
いやだ!もう琴音に会えないかもしれない!
誰か助けて!
母さん!父さん!
仄香!
師匠!
助けて・・・理君・・・。
「うっ・・・くっ。・・・うああぁぁぁん!」
感情が止まらない!
どうしよう、どうしよう!
ずっと我慢していた感情が、堰を切ったように溢れて・・・!
「はははっ。今のうちに泣いておけ。向こうに着いたら泣くこともできなくなるからな。・・・セレナ。ここは任せる。リュシア。魔導兵装を調整する。・・・全力運転の時間が長かったからな。」
「うふふ。ドクター。コレで遊んでいい?コレ、もう魔法も魔術も使えないんだよね。だったら猿轡を外して楽しんでもいいよね?」
「・・・ほどほどにな。」
「うふふ。じゃあ、どれだけ悲鳴を上げられるか実験だ。うふふ、あははは!」
「ひぃ!やだやだ!来ないで!いやーーー!」
◇ ◇ ◇
・・・何日、いや、何週間経った?
あの後、セレナは私を縛り上げたまま殴る、蹴る、そして・・・削るを繰り返した。
何グラム、いや、何キロ体重が軽くなった?
立ったまま数日放置され、そのあとはうつ伏せのまま放置された。
止血はされたけど、傷口を焼くとかガムテープを貼るとかで、ただ長く楽しむのが目的のようだった。
何度も意識が飛んで、水をぶっかけられて、マイナスドライバーで刺されて、目を覚まして・・・。
時々来るバシリウスがあきれながら最低限の治療はしていたようだけど、とうとう何をされても声を出す元気もなくなった。
口の中が・・・。
上も下も、前歯がなくてスースーする。
鼻が曲がって、呼吸がうまくできない。
よくわからないが、純潔だけは守れたけど・・・。
いつの間にか拘束を解かれたけど、指が・・・ほとんど残ってない。
そこらへんに変色して転がっているのは・・・私の指か。
前腕部は、何か所折れているのかわからない。
まるで、肘から先に紫色の肉塊がついているだけのようだ。
だから、コンテナに鍵がかかってないのにノブを動かせない。
それを分かっていてセレナは私を放置していった。
「ヒューヒュー・・・む・・・もご・・・。」
あれ?
視界が半分しかない。
恐る恐る、残った左手の親指で右目の下あたりを触る。
「ヒッ!・・・う、あぁぁ・・・。」
何かがぶら下がっている。
いや、何かじゃない。
これは、私の眼球だ。
膝から下も痛めつけられ、立つことはおろか起き上がることもできない。
アキレス腱は、切るんじゃなくて抉られた。
当然のように、足の指も欠けてるし、膝は両方とも逆方向に曲がってる。
これじゃ、もう逃げられない。
・・・っていうか、仄香の蛹化術式で、治るかな・・・?
「・・・意識はありますか?」
片方だけの耳が誰かの声を捉える。
ああ、右側は耳もやられたか。
耳朶は・・・やっぱりないか。
「・・・これは・・・ずいぶんと派手に壊されましたね。痛覚除去術式は要りますか?」
・・・いつの間にかコンテナの中にリュシアが立っている。
その手には洗面器とタオル、そしてスープが入った器がある。
「ヒッ・・・おあ・・・う・・・。」
そういえば、舌も縦に裂かれて・・・喋れないじゃん。
「これではスープでも難しそうですね。とりあえず痛覚除去の術式を。」
リュシアはそう言うと、私の身体を抱き起し、額に術札を押し当てた。
・・・ゆっくりと痛みが消えていく。
だが・・・寒い。
まるで凍えるように。
大量の血液を失ったからか、それとものたうち叫び体力を使い尽くしたからか。
「もうしばらくの辛抱です。リレハンメルに到着したら、ドクターが壊れた部品を取り換えてくれます。それに、すべてを忘れて私と同じになります。」
忘れる・・・。
考えてみれば、私の人生は結構辛いことばかりだったな。
子供のころには誘拐されるし、去年の夏ごろからは大ケガしたり、死にかけたり。
とうとう、理君とはキスしかできなかったっけ。
でも、こんなんじゃあ、もう好きでいてくれないかな。
多分、今の私の外見はゾンビよりも酷いだろうな。
・・・女としては終わりかな。
「ああ、これだけは返しておきます。追跡系の術式はかかっていないようですからね。」
リュシアはそう言って小さなサファイアのついたペンダントを私の首にかける。
・・・あ。誕生日に遥香がくれた琴音とお揃いの・・・。
・・・やっぱり、誕生日のある月は最悪だ。
せっかく、最高の誕生日だったのに。
まるで、私の誕生を、存在を世界が拒絶してるみたい。
じゃあ、もう楽になっていいかな。
ゆっくりと左目を閉じる。
その後再び目が覚めた時、何か船内放送のようなものが・・・英語、かなぁ。
途中まで何を言ってるのかわからなかったけど、救命具を装着しろ、みたいなことを言っていた・・・もう、どうでもいいか。
◇ ◇ ◇
仄香
6月19日。
痛恨のミスだった。
遥香の身体でなければ即座に光撃魔法で自殺するレベルの失態だ。
咲間さんを助けたあと、シェイプシフターの念話が通じないことに気付いた私はすぐさま長距離跳躍魔法で高校に戻ろうとしたのだが・・・。
なぜか本州上空に入った瞬間、長距離跳躍魔法の行き先座標がキャンセルされてしまった。
慌てて九十九里浜に着陸し、再度行き先を指定しなおして西日暮里駅真横の道灌山公園に着陸してみたものは・・・赤く染まった空の色、そして、何者かが張った結界の残滓が残る校舎だった。
まさか、教会が私の所在を知り、直接襲撃を行うとは。
校舎内に飛び込み、やっと回復した念話のイヤーカフの信号をもとに琴音と遥香、そしてシェイプシフターを発見することができたが・・・千弦はそこにいなかった。
残されたものは千弦の各種装備、そして念話のイヤーカフ。
私が誕生日に彼女に贈ったシューティンググラスも、琴音と贈りあった腕時計、リングシールドも、そして砕けた自動詠唱機構も、半壊したテニスコートに打ち捨てられていた。
全て、内蔵する術式を頼りに追われることがないようにということだろう?
・・・千弦に張り付けた追跡術式は・・・ご丁寧に聖釘弾で砕かれていた。
唯一、遥香が用意したペンダントだけは見つからなかったが・・・。
失せ物探しの魔法に反応がないということは身に着けたままか?
いや、鎖が切れて遠くに飛んでしまったか、完全に破壊されてしまったのか。
警察が到着する前に千弦のすべての持ち物を回収し、シェイプシフターに自宅に持っていかせる。
彼が去り際に、涙を流しながら「千弦サン・・・今朝、ボクに猫ちゅーるの新味を買ってくれる約束をしていたノデス。ママさんにこれが遺品だなんて言いたくナイデス。」とつぶやいた。
保健室に運び込まれた琴音と遥香が聞いていなくて良かったと心底思うとともに、初めてシェイプシフターを怒鳴ってしまった。
シェイプシフターの涙など、初めて見たのに。
彼は、何も言い返さず、ただ俯いていた。
私は、召喚主としてもふさわしくないのかもしれない。
祖父と、多くの友人、家族たちにその成人を祝われた少女は、わずか一日で完全に消息を絶った。
私の大事な友人、そして紘一殿との大切な忘れ形見は・・・私の手のひらを容易くすり抜けていった。
◇ ◇ ◇
6月23日(月)
東京都新宿区
陸軍 市ヶ谷駐屯地
大会議室前
私はしばらくの間、遥香の身体のみを使うことにした。
こうしておけば、私の不在で遥香が危険にさらされることはない。
同時に高校側と協議した結果、遥香と琴音、そして咲間さんの通学はあきらめ、授業は向陵大学病院が用意したそれぞれの特別室を用いてリモートで行うことになった。
当然だが、全ての特別室の場所は関係者以外知らない。
高校側にも教えていないし、病院でも一部の人間しか知らない。
遙一郎と香織は、公安が用意した別荘に移された。
念の為、シェイプシフターは、遥香の姿で香織に付き添っている。
彼が遥香に化けていることを、香織は知らない。
琴音たちの母親は陸軍情報本部が用意した別荘に移され、その他の友人などについては各都道府県警、あるいは警察庁直轄の部隊が常時10人以上で警護し、同時に全てをエルリックとフィリップスが魔法協会、魔術結社の総力を挙げて警護することになった。
《・・・仄香さん。琴音ちゃんに会っていかないの?琴音ちゃん、咲間さんも来てくれなくて昨日から泣きっぱなしなんだけど・・・。》
「どういった顔で会えばいいか分かりません。咲間さんも、二人にあわす顔がない、と。」
《仄香さんも咲間さんも悪くないよ。それに、きっと千弦ちゃんは大丈夫だよ。》
「・・・琴音さんの腕時計の表示器が・・・千弦さんの状態をモニターしてるんですが・・・かなりひどい状況だと・・・。興奮した琴音さんから主治医の和香先生が取り上げましたが、少なくとも五体満足ではいない、と表示されていました。」
《うそ・・・!?そんな!》
その腕時計は、私の手にある。
昨日の昼過ぎから一気に状態が悪化した。
表示器は、千弦の手足の大部分の機能の喪失と、頭部の感覚器官の半壊を示している。
・・・大量の麻薬類の反応があり、何より一切の魔力反応がない。
魔力回路にヒスイでも打ちこまれたか?
各種薬物の投与、内分泌物の攪乱、そして精神状態は限界値を完全に超えている。
・・・意識は残っているようだ。
それは、むしろ残酷さを増すだけなのだろうが・・・。
それを見て半狂乱になった琴音に、鎮静効果のある術式を使ったが・・・。
彼女の抗魔力の高さにより、跳ね返されてしまった。
お陰で魔法ではなく、化学的な方法で落ち着かせるしかなかった。
・・・なんでこんなものを作ったんだ。
もし遥香の贈ったペンダントを千弦が首にかけたままならば、琴音は壊れていたかもしれない。
琴音からペンダントを奪うことはできなかった。
だが、なにも反応がないということは、もう片方のペンダントは破壊されたと考えていいだろう。
《助けに、行きたい。ねえ、仄香さん。私、助けに行きたいよ。》
「ええ。もうこの身体のことが教会にバレてしまっている以上、この身体で助けに行きます。ですので遥香さん。よろしくお願いしますね。」
《うん。いくら壊しても構わない。最悪、死んじゃっても構わないからガンガン使って!》
・・・それは・・・香織との約束に反する。
だが、この身体は私の管理下に置いたほうが安全だ。
むしろ、そうしなければ教会は新しい遺物の材料にと、最優先で奪いに来るだろう。
「あなたのことも守りますよ。・・・そろそろ時間です。行きましょう。」
ぞろぞろと軍服を着た日米の軍人が大会議室に入っていく。
私は陸軍士官の一人に促され、会議室に入る。
そしていくつもの視線の中、リリスが操るジェーン・ドゥの身体と並んで、中央の椅子に着席した。
◇ ◇ ◇
各国担当者に自己紹介を行い、魔女の依り代の存在を明確にしたところで各担当者の報告が始まった。
「・・・以上が本事件のあらましです。続きまして、各方面隊の担当者からの報告を・・・。」
「・・・東シナ海には現在中国東海艦隊及び南海艦隊、そしてフィリピン海北部にはイラン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン海軍が展開中。エジプト、エチオピアは海軍の出向を確認。南アフリカ海軍はインド洋を東進中です。演習の名目で・・・。」
「ソ連太平洋艦隊はベーリング海峡を通過。各国呼応して海上封鎖を実施する可能性が・・・。」
「在日米軍及び太平洋艦隊は現在BMD体制を準備完了。シーレーン確保は日本海軍横須賀艦隊及び沖縄艦隊が要所を確保。空軍はすべての航空機の出撃体制を完了。」
次々に現在の状況が報告される。
状況は芳しくない。
各国、本気で戦争を始めるつもりのようだ。
・・・私はなるべく自分から手を出すのを避けてきた。
だが・・・。
腑が煮えくりかえる。
教会も、それに容易に唆される国も、手をこまねいている国も、もはや堪忍ならぬ。
「日米両軍の皆様。発言してもよろしいか。」
私が手を上げ、それほど大きくない声を発すると、それまで様々な声が飛び交っていた会議室内は、まるで水を打ったかのように一瞬で静まり返った。
「・・・どうぞ。」
この一言で世界が変わる。
だが、もう我慢できない。
「これより、私は討って出る。各国に警告しろ。まずは敵国全土で大規模な天候気象制御魔法を使う。砂漠の国だろうが洪水で町を押し流す。海を凍らせ、山を焼き、あるいは大地を裏返す。油田はすべて掘り返し、焼き尽くす。・・・手始めに、そう、手始めに最低でも一億人は覚悟してもらう。最低でも国を二つ、一切合切残さず消し飛ばす。これは、絶対に譲らない。・・・私の大事なものに手を出した者は当然殺す。庇い立てする者も、見て見ぬふりをする者も、あるいは私の敵に気付かなかった者も、近くにいるだけで、私の視線を遮っただけでも殺す。・・・ただし、警告後、私に選ばれぬために行動する者のため、若干の猶予は与えよう。どれだけの猶予を与えればよいと思うか?」
それまで冷静に話していた軍人が、絶句したまま静まり返る。
気付けば、私の全身から可視化された魔力が漏れ出ている。
ほんの数秒立った時、議場の正面に座る浅尾副総理が言葉を絞り出す。
「・・・その、猶予というのは・・・数日、あるいは、数時間、我々に与えていただければ。事態の収拾と、無辜の民の被害を最小限に抑えるため、あなたの意志を最大限尊重したい。」
猶予は教会に与するつもりの馬鹿な国に与えているのだ。
我ながら素晴らしく温情的であるとすら思うよ。
「交渉など不要だ。一億人。そして国二つが最小限だ。それ以上を覚悟してもらう。私は確実に見せしめにする。そちらはどうか。」
浅尾副総理の対角線上に座る在日米軍の総司令官が、青い顔をして言葉に詰まっている。
「・・・我々はあなたの警告を厳粛に受け止める。だが、これ以上の犠牲を出さぬため、理性的な対話を求めたい。あなたの譲れないものが何かを知り、それを守るために、我々は協力を惜しまない。」
「理性的。そうか、理性的か。実に5000年。数えていない期間を含めれば、おそらくは6800年。その間に、理性的な国など存在したと思うか?いつ人間が獣から理性的などという大層な存在に進化したか?・・・それに、千弦は、私の友人は、世界に守られていたのか?」
「・・・しかし、無作為に一億人を、国二つを滅ぼすことは承服できない。」
ふん。
アメリカの意地か?
それとも立場上の建前か?
「お前たちの承服などいらん。それと、消し飛ばす、だ。国土どころか影すらも残らぬと思え。・・・安心しろ。無作為ではない。日本とアメリカ、そしてその同盟国には手は出さんよ。この状況で敵国内にいる阿呆は知らぬがな。」
私はその場にいる全員を一瞥し、席を立つ。
阿呆らしい。
何か大事な情報が得られるかと思ったが、とんだ無駄足だった。
そう思い、会議室の外に出ようとした時。
血相を変えた海軍の士官が、殴り書きのメモを持って飛び込んできた。
「大変です!沖縄艦隊与那国分遣隊が!艦載砲と対艦ミサイルで民間の大型船舶を攻撃中!・・・おそらくは、千弦さんを誘拐した犯人たちの船です!」
ざわざわ、と会議室内に軍人達の声が響き渡る。
ある者はよく見つけた、と言い、またある者は胸を撫で下ろす。
・・・何を言っているのだ?
何故安心しているのだ?
まさか、これほど人間は愚かなのか?
「マジかよ・・・中島・・・何てことしてくれたんだ・・・。」
浅尾副総理の吐き捨てるような言葉が耳に触る。
「大至急攻撃をやめさせろ!海軍は何をしているのか理解しているのか!?」
聞きなれた声が響き渡る。
健治郎殿か。
・・・この二人はさすがに気付かないはずがないか。
だが、中島・・・ああ、官房長官の中島か。
万が一にでも千弦に何かあったら、いや、違うな。初めから許さん。
生きたまま消し炭にしてやる。
だが、とにかくそこに行かなくては。
私は飛び込んできた士官からメモを奪い取り、千弦の全自動詠唱機構を用いた光撃魔法で近くの壁を消し飛ばす。
「勇壮たる風よ!汝が翼を今ひと時我に貸し与え給え!」
悲鳴と混乱の中、メモにあった座標めがけ、梅雨の曇天を雲を裂き、跳躍する。
場所は・・・南シナ海、スプラトリー諸島近海か。
ずいぶんと思い切ったことをしたじゃないか。
今行くぞ、千弦。
どうか、生きていてくれ。
生きていてくれさえすれば、私はそれでいい。
全てを忘れさせて、全てを元通りにして、日常に引き戻す。
なんなら一億人と言わず、五千万人くらいで我慢しても構わない。
・・・ただし、敵国は滅ぼすけどな。
千弦は拐われただけでなく、通常であれば二度と普通の生活に戻れない傷を負わされ、かつそのアイデンティティでもある魔法を奪われました。
幼少期から琴音だけが使えていた魔法が自分も使えるようになったこと、そして琴音を守る力が自分にある事が彼女の誇りでした。
それら全てを奪われ、千弦らしくない絶望感に包まれている中、さらに彼女を追い詰める事態が発生します。
次回は、千弦と魔女が完全に日常世界と決別する事態が描かれる予定です。




