214 失われた女神/魔女の肖像
千弦たちが18歳の誕生日を迎える数日前
サン・ジェルマン
シルヴァエ・オブスクラエ
「報告します!われらが保有する命の対貨の防壁機能の大部分が消失しています!」
「聖堂の結界が消失しました!これでは上から丸見えです!」
今、教会の本拠地であるシルヴァエ・オブスクラエでは信徒たちが異常事態の対応に追われている。
「・・・女神の恩寵が失われた・・・か?」
女神・・・すなわち妻の妹の魂を人柱としていくつかの聖遺物の魔力と術式を維持していたが・・・。
まさか、魂が完全に失われるようなことがあったのか。
あるいは、どこかで受肉したのか。
少なくとも、もうアテにはできぬ、ということか。
執務室で逡巡していると、不意に扉が叩かれる。
「入れ。・・・ワレンシュタインか。何の用だ?」
「は。主よ。魔女の所在はおそらくは日本、それも東京のどこかと。もはや猶予はありません。直ちに攻め入るべきかと。」
たしかに、十二使徒は残すところ5人。
三聖者はワレンシュタインのみ。
さらには中国、ソ連に浸透させていたわれらの信徒の多くが、先の日本への攻撃の失敗の責任を問われて失脚している。
だが・・・俺としては、教会や信徒たちがどうなろうと知ったことではない。
妻をこの手に出来さえすれば、後はどうなっても構わない。
「・・・そういえばバシリウスはどうした。奴の強化人間はそろそろ完成したのだろう?」
「は。すでに日本に上陸するころかと。しかし、あの男は快楽的に魔導を弄ぶだけの狂人です。」
「かまわん。バシリウスに呼応して全勢力をもって魔女をとらえよ。・・・ああ。そうだな。例の・・・フィロメリアも使うとするか。」
執務室の傍らに置かれた、子供の姿をかたどったガラスの像を指さす。
像の胸の中央には、オレンジ色に瞬く小さな魔石が封じられていた。
「バシリウスの失敗作・・・ですか。」
「失敗作なものかよ。こうして本体を手元に置いておけるんだ。万が一致命傷を負ったとしても、すぐさま代わりの身体に潜りこめば活動を続けられるなんて、理想的な駒ではないか。・・・裏切ることもできないしな。」
・・・いや、フィロメリアはバシリウスに元の身体を奪われているんだったか?
バシリウスがその身体すらも有効活用しているのであれば、何も言うことはない。
「では、お言葉通り、残りの使徒すべてに招集をかけましょう。しかし・・・魔女の正確な所在については・・・。」
ワレンシュタインの言葉が終わる前に、ドアをたたく音が響く。
「・・・入れ。ネズミか。何か分かったのか?」
「は。今代の魔女の身体を特定しました。こちらを。」
ヤマネを連想させるかのような小男が、一冊のレポートを差し出す。
そこには数枚の写真と名簿、そして何者かの行動記録が記されていた。
「・・・これが、今代の魔女の肉体か。・・・くくく、やるではないか。」
まさか、消息を絶って一年以上経つ蜘蛛神が、しっかりと役に立っていたのか。
あいつ、何者かに封印されたようだが、その前にやることはやっていたのだな。
今代の魔女は、その身が枷となり全力を出すことはできない。
手当たり次第にバラまいた毒餌にかかりおったわ。
ワレンシュタインにも同じレポートが手渡される。
魔女「ジェーン・ドゥ」と交戦した彼としては、すぐには信じられないようだ。
「クガミ・ハルカ、私立開明高校3年1組か。その他の身辺は調べたのか?」
「は。日本の警察組織と陸軍諜報部にその家族や親類、友人までもが警護されています。・・・また、友人の中には九重総理の孫が含まれています。」
ふむ。
しかし、この写真の少女は・・・。
なかなか美しいではないか。
ならば、その身体ごと俺のものにして見せようぞ。
「ここが見つかるのは時間の問題だ。先手を打つぞ。中国、ソ連、それから・・・アラブ諸国の連中も動員しろ。いよいよ人類は魔女の軛から解かれるべき時が来た、とでも言っておけ。」
全面戦争だな。
まずはここを引き払うか。
次はどこをねぐらにするか。
よし、せっかくだ。
妻と初めて会った、あの河のほとりがいい。
俺の準備はまもなく整う。
あと少し、人工魔力結晶が足りないが、また適当に戦乱でも起こして、混乱に乗じてかき集めようか。
人間が、魔族が何人死のうが知ったことか。
あの女さえ手に入ればいい。
ああ、せっかくだ。
戦乱は妻に起こして貰おう。
妻のお気に入りをいくつか壊せば、きっと頭に血が昇って暴れてくれるだろうからな。
くく。
その腹の中に聖釘を縫い込むか、あるいは屍霊術でその魂を未来永劫縛るか。
さあ、今から何人産ませようか。
必ず、俺のものにしてやろう。
◇ ◇ ◇
バシリウス・モルティス
6月18日(金)帰宅ラッシュ時間
横浜市西区
横浜駅構内
「セレナ。感情波動共鳴装置の出力をゆっくりと引き上げろ。リュシア。魔導兵装を展開。魔力干渉をせき止めろ。」
儂の言葉に従い、二人はゆっくりとそれぞれが内蔵した術式兵装を起動する。
ブンッ、というかすかな音とともに、目に見えない膜のようなものが横浜駅の中央地下通路内に広がっていく。
「ドクター。魔導兵装の活性を確認。指定範囲が現界より隔離されます。」
「うむ。セレナ。起動しろ。」
「はぁ〜い!今、起動したよ!うん。楽しいね。日本はご飯がおいしいし、空気も臭くない!」
セレナの柔らかな感情が波のようになり、帰宅ラッシュで疲れ切ったサラリーマンたちの間に広がっていく。
すると・・・それまで少し下を向いていたサラリーマンたち、スマホを見るばかりで楽しいことなど何もないような顔をしていた若者たちが、途端に顔をあげ、清々しいような表情に変わり、足取りも軽やかになる。
彼らは、リュシアが展開した幕を超えてもしばらくの間は、夢見がちな表情で足取り軽やかに家路を急いでいた。
「よし。完全に成功だな。あとは、魔女とその塒をどうやってみつけるか、だが・・・。」
「ドクター。まもなく、フィロメリアから報告を受ける予定です。指定の場所へ移動してください。」
「うむ。お前たちは先にホテルに帰って休め。」
リュシアたちをホテルに向かわせ、西口へ向かって歩き出す。
特にセレナをフィロメリアに会わせるつもりはない。
・・・面倒なことになるに決まっているからな。
そんなことより、教皇猊下直々に魔女についての資料を受け取った時は驚いたものだ。
この国の公安組織、陸軍の諜報部はおろか、政府中枢までもその掌中に収めているとは。
・・・だが、やはり交友関係の末端にまでは手が回らなかったと見える。
おかげで、仕込みは容易だった。
すでに暗くなり、かなりの時間が経過した駅前の、小さな交番の横で待つ一人の少女・・・。
身長170cmほどのセーラー服をまとった金髪の少女は、つまらなそうにこちらを見る。
「その身体の居心地はよいか?随分とかわいらしい身体で良かったではないか。フィロメリアよ。」
少女は髪をかき上げ、左手で左耳を触り、大きな緑の宝石があしらわれた黄金の、精緻な模様のイヤーカフをそっと外す。
そしてその顔に右手をやり、再びこちらを見たときには、右目だけ瑠璃色の瞳でこちらをにらみつけた。
それだけでコイツは少なくとも、我ら教会に完全に従っているわけではないとわかってしまう。
少女は一言、つぶやく。
「いい加減に自分の身体を返してほしいものだね。それに・・・この国は平和だし、新しい宿主はいいヤツだしさ。この仕事には結構、ココにキツいものがあるんだよ。」
そういってその胸をドン、と叩く。
・・・身体もない虫風情が。
誰のおかげで食ったりしゃべったりできると思っているのだ。
思わずその言葉が出そうになる。
いや、身体を奪ったのは儂だったな。
「我ら、教会を裏切ることは許さんよ。十二使徒第六席パラサイト・フィロメリア。・・・定時報告をしろ。」
その女の首には、シルバーの鳥の羽が放射状に3枚巻き付き、中心に丸く赤い宝石があしらわれたチョーカーが、怪しく光を放っている。
「寄生は簡単だったよ。酔っぱらいの身体からこの女に感染するだけだからね。その後は何もないよ。魔女も気付いてないし、平和なもんだ。」
「ふむ。では宿主を変えたらどうかね?そして、魔女を揺さぶってみたらどうかね?」
・・・宿主を変えるのは極めて簡単だ。
宿主の体は死んでしまうがな。
しかも、魔術的な痕跡は一切残らない。
近しい人間が原因不明の病で突然死ぬのだ。
きっと魔女は慌てるだろうよ。
「・・・悪いけど今の宿主が気に入ってるんだ。当分は変える気はないね。」
ふん。
お前が楽しむためにその力を与えたのではないのだがな。
まあいい。
魔女の手を一時塞ぐだけでも十分だ。
その時、ふわりとなにか、暖かいものが肌の上を流れていく気配がした。
「ぬ?何か魔力反応か?・・・気のせいか・・・?」
「さあ?。自然放射レベルを超えた魔力波長はないよ。」
周囲を見回すが、魔法、または魔術的な気配はない。
白いブレザーと紺のスカートを着た女学生がナンパに会っているが・・・。
それはどうでもいい。
「もういいか。そろそろ帰らないと宿主の記憶をごまかせない。」
「ん?ああ、まだいたのか。せいぜい潜んで暮らせ。フィロメリア。」
おそらく、こいつはすべてを話してはいない。
・・・まあいい。
どうせ廃物利用だ。
最初からそれほどあてになどしてはいない。
こいつは我らなしでは生きていくことはできないのだ。
せいぜいあがくといいさ。
◇ ◇ ◇
咲間 恵
川崎市中原区
いや〜、楽しいパーティーだった。
政財界のお偉方や陸軍や米軍の軍人さんたちが、それこそ頭から酒を浴びるかのようなどんちゃん騒ぎで結構面白かったよ。
あんまりにも楽しすぎて少し疲れてしまったのか、帰りの電車は寝過ごして横浜まで行ってしまったよ。
パーティーの前日も夕勤で酔っ払い相手に一悶着あったし、毎日が忙しくて、おかげで今日は少し寝不足だ。
いつもより少し遅れて教室に入り、自分の席に座ると、前の席に座るコトねんが振り返り、話しかけてきた。
「咲間さん、おはよー。あれ?少し目が赤いね?もしかして夜更かしした?」
「いや、昨日の帰りは寝過ごしちゃってさ。目が覚めたら東横線の上りに乗ってたから驚いたよ。」
「そう・・・わざわざ平日、しかも水曜日にやらないで週末にしたほうがよかったかな。それより、ありがとうね。ルームウェアとして早速使わせてもらってるわ。」
「そっか。うれしいね。・・・あれ?遥香っちは?荷物は・・・あるみたいだけど。」
「あ、職員室に呼び出されてたよ。ええと、ガドガン先生の友人の、フィリップスとかいう人が日本に旅行に来るから案内してほしいんだって。」
「ふ~ん。仄香さんならどこの国の言葉もわかるだろうけど。生徒に振らないで通訳くらい雇えばいいのに。・・・あ、戻ってきた。」
アホ毛が立っていないところを見ると、やっぱり中身は仄香さんか。
彼女が席に戻ると同時に、予冷が鳴りひびく。
さて。今日も一日真面目に勉強、頑張りましょうかね。
◇ ◇ ◇
本格的な梅雨に入り、どんよりとした空模様の毎日が続く中、やはり気圧の乱高下があったからだろうか。
頭の左側頭部がズキズキと痛む。
低気圧と高湿度が影響しているのだろうか。
これってあの日だから?それとも片頭痛?
それにしても、あまりにも重すぎない?
「咲間さん?・・・すごい脂汗。どこか痛いの?」
授業中にもかかわらず、心配そうにコトねんが私の顔を覗き込む。
「ん・・・いや、ちょっと頭が痛くて。低気圧のせいだと思うんだけど・・・。」
我慢できない痛みではない。
そう自分に言い聞かせ、授業に集中する。
しかし、痛みは増す一方で、仕方なく常備している痛み止めを取り出し、ペットボトルのお茶で流し込む。
・・・うん。やっぱりダメそうだね。
自分が保健委員だし、ちょっと保健室のベッドを使わせてもらおうか。
「先生・・・すみません。体調がすぐれないので保健室に・・・行ってもいいですか。」
「ん?・・・咲間・・・すごい顔色だな!?保健委員は・・・南雲か。付き添ってやれるか?」
「あ、いえ、あたし自身も保健委員なので・・・ひとりで行けます。」
心配するコトねんと仄香さんを手で制し、席を立つ。
う・・・めまいまでしてきた。
これは・・・。
教室の外に出たところで、ブツリ、と意識が暗転した。
◇ ◇ ◇
何分ぐらい経過しただろうか。
保健室のベッドの上で目を覚ます。
・・・あれ?
無意識のうちに保健室まで歩いて来れたのか?
脇坂先生はいないようだし・・・。
時計の針は・・・もう昼休みか。
それに、不思議と痛みが軽くなっている。
「何だったんだろ?・・・あ、コトねん。仄香さんも。」
ガラリと扉が開く音がして二人が保健室に入ってきた。
「咲間さん。具合はどう?仄香が回復治癒魔法をかけてくれるって。それと、お弁当持ってきたからここで食べちゃおう。」
見れば、コトねんの手には、あたしのお弁当と新しいペットボトルのお茶があった。
わざわざ買ってきてくれたのか。
「あ、ありがとう。でもかなり頭痛は軽くなったかな。痛み止めも飲んだしね。」
そういいつつも、仄香さんはあたしの左側頭部にそっと手を添える。
まだどこが痛かったかなんて言ってないのに、さすがとしか言えない。
ほんの少し残っていた痛みが、すうっと消えていく。
だけど、仄香さんの目は細くなり、少し冷たい表情になった。
「・・・これは?」
「仄香。何か病巣でもあったの?」
「・・・いえ。咲間さん。つい最近、身の回りで何か変なことはありませんでしたか?たとえば、通りすがりの人間が倒れてそれを救護した、とか。」
ん?救護?
店に来た酔っ払いのためにタクシーを呼んだことならおとといのことだけど。
まあ、いいや。
仄香さんの言うとおりにしていれば、何も問題なんて起きないだろう。
安心して目をつぶる。
そして、仄香さんの手のひらから温かい何かが流れ込んでくるのを感じた瞬間、あたしの身体は突然エビぞりになり、そしてベッドから跳ね上がった。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
咲間さんが片頭痛で保健室に行ったので、仄香の回復治癒魔法で治してもらおうと思ったんだけど・・・。
一体、何が起こってるんだ?
「ふー!ふー!くそ!いつ気づいた!?隠蔽は完全だったはずだ!」
「・・・強いて言うなら、今この瞬間ですね。憑依・・・いえ、寄生かしら?」
ベッドから跳ね上がった咲間さんは、右手で顔を・・・右目を押さえているが・・・その隙間から瑠璃色の瞳孔がこちらをにらみつけている。
「くそっ!くそくそくそ!こんなに早くバレるなんて!」
「・・・魔族?あなた、何者です?」
「・・・あんたは魔女!そうさ!あたしは十二使徒第六席!パラサイトのフィロメリアさ!」
うそ。
咲間さんが?
教会の、十二使徒?
「琴音さん。アレは咲間さんではなくて、寄生するタイプの・・・え?魔族って寄生するの?知らなかったわ。」
おおい!?
仄香さえ知らないような相手じゃ、どうやって対応するのよ!?
「と、とにかく咲間さんそのものが教会の十二使徒とかじゃなかったんだよね。じゃあ、何とか寄生してるやつを追い出せば・・・。」
そんな私の言葉に、そいつ・・・フィロメリアは反応する。
「残念だったな。あたしは宿主の魂にまで癒着してるから剥がせないよ。あたしを殺すんなら、宿主ごとバッサリ行くしかないね。」
「そうですか。・・・どちらにせよ、私がこの身体に憑依していることが教会に知られてしまった。逃がすわけにはいきませんね。」
仄香はゆっくりと拵袋を開き、中から杖を取り出す。
パラサイト・フィロメリアと名乗った、咲間さんの身体を乗っ取った何者かは、じりじりと後ろに下がっていく。
・・・どうする?
私も業魔の杖を呼んでおくか?
「あたしが寄生する前から連中は気づいてたさ!あたしが寄生したのはあんたを揺さぶるためだけだってよ!どうせあたしは捨て駒さ!だったらここで宿主ごと死んでやる!」
ん?
こいつ、教会の十二使徒第六席って名乗ったよね?
なのに教会を「連中」って?
「捨て駒?あなた、もしかして無理やりやらされてるとか?」
自分でもなんでそんなことを言ったのかわからない。
咲間さんの危機だというのに。
「・・・魔石を・・・奪われた。あたしの魔石はシルヴァエ・オブスクラエの教会本部・・・身体だって奴らが作った人工精神体に奪われた。」
「ねえ、仄香。これ、どうする?・・・ってちょっと!?何してるの!」
気付けば仄香は、左手首の全自動詠唱機構を起動し、杖に膨大な魔力をチャージしている。
「リスクは冒せません。いつ寄生されたか、教会がどこまで知っているか、コイツがどこまでこちらの情報を伝えたか、すべてを自白させた後、殺します。」
「ちょっと!?ガワは咲間さんなんだよ!?私の親友を殺す気なの!?」
「説明している暇はありません!琴音さん、下がりなさい!」
慌てて仄香を取り押さえようと咲間さんの前に飛び出すも、あと一歩及ばず・・・杖から放たれた光の槍は、咲間さんの胸を正確に打ち抜いた。
◇ ◇ ◇
床に倒れ伏した咲間さんの身体を仄香が調べている。
ピクリとも動かず、呼吸をしている様子もない。
「・・・嘘は言っていませんでしたね。確かに魂が完全に癒着して区別がつかないレベルです。これは・・・私でも引きはがせない。さて、どうしましょうか。」
「・・・殺したの?」
「まだ殺してませんよ。今使ったのは、相手を一時的に仮死状態にする魔法です。言ったじゃないですか。『自白させてから寄生虫を殺す』って。」
「仄香・・・寄生虫を、とは言わなかった。コイツって言った。」
「・・・そう、でしたね。」
仄香のこめかみをツウっと一筋の汗が流れる。
ああ、慌てていたのか。
その判断が早すぎて気が付かなかったけど、仄香も慌てることがあるんだ。
あまりのことに次に何をするべきか判断に困っていると、背後でガラガラっと保健室の扉が開く音がした。
「琴音!大丈夫!?腕時計とペンダントで強烈な反応が!・・・なにこれ。咲間さん?仄香?どうなってんの?」
「姉さん・・・。実は、咲間さんが・・・。」
言いかけて、はっと言葉を飲み込む。
私だって状況がまだわからない。
魔族に寄生されていた?いつから?
「とりあえず、場所を移しましょう。それと・・・午後の授業は遥香さんとシェイプシフターに任せます。お二人ともよろしいですか?」
姉さんと顔を見合わせ、うなずく。
咲間さんを巻き込みたくはなかったけど、仕方がない。
魔女のノウハウで何とかならないような事態を、どう解決したらいいんだろう?
そんな心配をよそに、仄香は身体を遥香に任せ、咲間さんに化けたシェイプシフターを授業に出席させて行ってしまったよ。
◇ ◇ ◇
仄香inジェーン・ドゥ
南極 ドロンニング・モード・ランド 地下 隠れ家
午後の授業を遥香とシェイプシフターに任せ、咲間さんを南極の隠れ家に連れてきた。
玉山の隠れ家はその場所が既に知られている恐れはあるものの、あそこにはオリビアとグローリエルが住んでいる。
あくまで念のためだが、こちらの隠れ家のほうが教会に知られても攻められにくいからな。
「母さん。咲間さんに何があったんだい?言われた通り、おば・・・星羅さんも連れてきたけど。」
【また叔母さんと言いかけて。いつになったらセーラの名前になれるのでしょうね。それで、姉さん。この子に魔族が寄生したって言っていましたね?】
今回、さすがに私だけの手には余る事態だ。
というか、今までであれば相手が自分の友人であっても、迷わず宿主ごと殺していただろうからな。
だが、琴音たちの親友を殺す訳にはいかない。
はっきり言ってどうしたらいいのか、さっぱりわからない。
とにかく、紫雨と星羅に一通りの状況を説明し、協力を仰ぐことにしたのだ。
一通りの説明を終えた後、紫雨が彼女を診察した後、何かを思い出すようなしぐさをしている。
「お・・・星羅さん。これって、同じようなことがずいぶん前にあったよね。」
【人間対魔族の夫婦間魔石融合症と似ていますね。母子間魔石拒絶症に比べると数は少なかったですけど。紫雨。霊術の手順は覚えていますか?】
魔石融合症?
そういえば、魔族とみれば皆殺しにしていたからな。
いちいち奴らの病気なんて気にもしなかったよ。
「もちろんさ。・・・ええと、母さん。彼女の症状は、人間と魔族が婚姻した際に人間側に起きる、魔石の人格情報の自動転写に係る症候群に酷似しているんだ。・・・その症状と、治療法なんだけど・・・。」
咲間さんを寝かせたまま、紫雨の話に耳を傾ける。
そして、今咲間さんの身に起きていることについて、おおよそのことを理解する。
すなわち・・・
一つ、安定しない魔石を持った魔族が、何らかの方法で自分の魂の情報を人間の魂に転写してしまうことがある
一つ、転写された情報は、オリジナルに問題が発生しない限り、活性化しない。
一つ、活性化してしまった情報は、魔法・魔術的に取り除くことができない。無理に取り除くと、人格情報・記憶情報が破損する。つまり、宿主は死ぬ。
・・・ただし、霊的な方法であちら側からアクセスすることができれば、元の人格に影響を与えずに寄生した魂の情報を削除できる。
アチラ側?
一体どこのことだ?
「魔法と魔術が通用しないんじゃ、私はお手上げね。でも、紫雨と星羅なら何とかする方法を知っているんでしょう?」
もしあの時、新宿のミトリで紫雨と再会していなければ、そして星羅を取り戻していなければ、咲間さんを助けることはできなかっただろう。
まさに、紙一重。
己の運の良さに思わず感謝してしまう。
だが・・・。
「う~ん。言いにくいんだけど、僕たちだけでは何ともできないんだよね。僕も星羅さんも復活したばかりで霊的に安定していないし・・・。」
【姉さん自身がアチラ側からダイブする必要がありますね。法理精霊との魔力のやり取りとバックアップは私が努めます。紫雨はやることがないなら、千弦さんや琴音さんの身辺警護でもしていてください。】
「いや、さすがに僕も手伝うよ!?」
紫雨が慌てて否定している。
私はいい家族に恵まれているな。
だが、それより・・・。
「・・・法理精霊?ダイブ?アチラ側?精神世界ではなく?」
法理精霊なんて名前、初めて聞いたが・・・?
概念精霊や元素精霊、根源精霊とは違うのか?
【大丈夫、姉さんなら何も問題はありません。ただ・・・当然ですがアチラ側では一切魔法が使えません。注意してくださいね。】
「母さんなら大丈夫だよ。知り合いとかたくさんいるでしょう?迷ったら誰かを呼べばいいよ。きっと力になってくれる。」
紫雨たちの言葉に首をかしげながらも、彼らの言うとおりに魔法陣・・・いや、祭壇のようなものを組み上げていく。
しばらくして、小さなピラミッド状の石組みの上に、一畳ほどの石板を乗せた祭壇が完成する。
【せっかくのアチラ側です。姉さん。ゆっくり楽しんできてください。こちらの準備ができたら声をかけますので。】
楽しむって・・・?
仰向けに横たわり、星羅の歌声を子守唄に、まるで泥の中に落ちるかのように、ゆっくりと瞼が重くなっていった
◇ ◇ ◇
誰かの声が聞こえる。
懐かしく、そして安らぐ声だ。
ふと目を覚まし、起き上がると、そこは見渡す限りの稲穂に囲まれた、どこかの村のようだった。
「・・・ここは・・・まさか・・・?」
「おお。目が覚めたか。かぐや殿。お久しゅうござるな。」
すぐ横には、四郎殿があの日のままの姿で笑いかけている。
いや、天寿を全うした時の姿ではなく、初めて契った時の若々しい姿だ。
「四郎殿!?ここは、いったい・・・?」
「うむ。ここは、そちら側の言葉で言うならば『常世』。今風の言葉で言うと『あの世』であるな。」
思わず自分の手足を見る。
見慣れた、遥香の腕より・・・少し筋肉がついているか?
そんな私を見て、四郎殿はそっと鏡を差し出す。
遥香の姿に良く似ているが、血色が良く、胸が大きい。
「この身体は・・・かぐや!?いったい、なぜ!?」
「かぐや殿は、まだこちらに来る時ではないが・・・せっかく来たのだ。讃岐殿や媼殿と会っていくとよかろう。はは。彼らのおかげで吾も今風の言葉を覚えたしな。」
四郎殿の目線を追うと、そこには30年ほど前に亡くなったウィリアムズ、そしてアルバートの姿があった。
二人とも若いな?
「ジェーン。こっちとそっちは時間の流れが違うのさ。だからほれ、この通りさ。」
「ミーヨ様。おかげさまで、リザにも孫ができたと聞き及んでおります。よき青年と巡り合わせていただけたこと、感謝してもしきれません。」
「ボリスはリザにベタ惚れだったからね。リザがいい女だってことよ。・・・つまり、ここはあの世だというわけね。」
身体が軽い。
まるで、背中に羽でも生えているかのように。
だが、一切の魔力の流れを感じない。
当然、魔法も使えないだろう。
「かぐや殿。友人を助けたいということ、聞き及んでおる。案内しよう。慌てることはない。ここは悠久の時が流れているゆえな。」
まさか、四郎殿に再び会えるとは思わなかった。
・・・はて?こうしてみると、健治郎殿にその面影があるな?
それにしても、あの世が本当に存在するとは。
というか、ここは天国か?
不謹慎にもはやる気持ちを押さえて、四郎殿に手を引かれ、歩き出した。




