209 女神のサルベージ
仄香
6月6日(金)
戦争騒ぎで慌ただしかった1週間が終わり、いつも通りに学校から帰宅すると、家の前で紫雨が1人で待っていた。
《あ。紫雨君だ。仄香さん。どうしたんだろうね?》
「本当だわ。どうしたの?ここに来るなんて珍しいわね。とりあえず上がっていきなさい。」
玄関を開け、リビングでウトウトしている香織に帰宅を知らせ、同時に来客があることを伝える。
最近は香織もつわりなどなく安定しており、遙一郎の母、叶多の助けもあって安心して生活ができている。
運動会の後、大規模洗脳魔法を解除したあの日に私の存在を伝えてから、叶多のとりなしもあり、それなりにいい関係は築けていると思う。
「母さん、ちょっと大事な相談があるんだ。」
香織の許可を取り、紫雨を招き入れると、彼は神妙な面持ちで話を切り出した。
大事な相談・・・何だろうか?
「香織さん。紫雨が話があるというので、遥香さんの部屋で少し話をします。夕食の準備までには遥香さんに身体をお返ししますので。」
「あら。仄香さんだったのね。今日の夕食はお義母さんが来てくれるから大丈夫よ。ゆっくり親子水入らずで話してらっしゃい。紫雨君は夕食を食べていくのかしら?」
香織は起き上がり、背伸びをしながら立ち上がる。
19週目を超え、安定期に入りお腹が目立ち始めた。
鑑定術式を使い、時々異常がないか確認しているが、遥香の弟は健康そのものだ。
「いえ、お邪魔にならないよう、早めにお暇しますので。」
香織の許可を取った後、キッチンで2人分のお茶を淹れ、グローリエルからもらったバウムクーヘンを適当に切ってお盆にのせる。
《あ、あの時のバウムクーヘン。エルちゃん、すごいねぇ。まさか本当に再現できるなんて思わなかったよ。》
・・・これ、運動会の後の和彦たちとの会合で出たお菓子をグローリエルが再現したんだが・・・オリジナルよりおいしいんだよね。
後で遥香と交代してやらなければ。
《じゃあ、私は杖の中でアニメでも見てるね。ごゆっくり~。》
「あ、バウムクーヘン・・・遥香さん、いらないのかしら。まあいいわ。どうぞ座って。」
遥香の部屋でローテーブルの上にお茶と一緒に並べ、紫雨に座るように促すと、彼はほんの少しの沈黙の後、ゆっくりと話を切り出した。
「母さん。新宿のミトリで再会したとき、封印されるまで僕と一緒にいた叔母さんの話をしたのを覚えてるかい?」
「ええ。確かあなたを守り続けてくれた人のことよね。会ってお礼を言いたいんだけど、私たちじゃあるまいし、もう亡くなってるわよね。どんな人なの?」
私の手を離れた紫雨をずっと面倒見てくれた女性だ。
是非ともあってお礼をしたいが、もはやそれはかなわぬ願いだろう。
「それが・・・叔母さんは、初めから身体がなかったんだ。そう・・・いわゆる幽霊のようなものかな。最初のうちは名前もなくて、1000年くらいしてからやっと名前が付いたんだけど・・・それまでは『最初に花が咲いた朝生まれた女』と名乗っていたよ。」
・・・その名前は・・・!!
私の、最初の身体の時の妹だ!
「まさか、あなたと一緒にいた叔母さんって・・・あの子なの!?」
信じられない。
あの日、石板が砕けたその瞬間、石片で頭を砕かれて死んだあの子が・・・私の妹が、私の息子をずっと守っていたなんて!
「本人がはっきりとそう名乗ったんだけど・・・このペンダント、母さんが作ったのを教えてくれたのも叔母さんなんだ。」
紫雨はそう言いながら、胸元から玉石でできたペンダントを取り出す。
・・・いくらあの辺りで最も硬い石を磨いて作ったとはいえ、これほど時がたったにもかかわらず、そのペンダントの石は私の手で彼の首にかけたときと同じ輝きを放ち続けていた。
「あの子は身体を失ってなお、あなたを守り続けてくれていたのね。」
あまりのことに驚いていたが、ふと、最近のことを思い出す。
・・・あれ?
エルリックから変なことを聞いたっけな。
私の妹って、確か教会が崇める女神になってなかったっけ?
「叔母さんとは1700年前、僕が教会に封印される直前までずっと一緒にいたんだ。レギウム・ノクティスではすでに『女神』として崇められていたんだけど、やつらに攻められる直前、突然、教会の連中にその魂を奪われたんだ。」
「・・・教会に奪われた?ちょっと待って。じゃあ、その前は名前を呼んでも暴れたりは・・・。」
「叔母さんの思考は僕の脳の一部を使っていたんだ。だから名前を呼ばれたくらいじゃ何もしないよ。でも、やつらの魔法で僕の身体から完全に切り離された後、叔母さんは完全に暴走し始めたんだ。・・・思考を行う部分を完全に失ったからね。」
私は少し思い違いをしていたかもしれない。
てっきり、あの子が頭を石で砕かれた直後から暴走が始まったんだと思っていたが・・・。
暴走し始めたのは約1700年前、古代魔法帝国が滅ぶ直前からか。
だとすると、初めて遭遇したのはその直後だったのか。
這う這うの体で逃げ出して、だいたい1年くらい後に半島ごと光撃魔法で薙ぎ払うまでの間、教会は女神を対魔女用の切り札みたいに使ってたからな。
おかげで魔女ユリアナの人生は真っ暗だったよ。
逃亡生活の中、必死で産んだ子は殺されるし、家族は殺されるし、恋人には裏切られるし。
本当にろくなことをしやがらない連中だ。
紫雨はお茶を一口飲んだ後、再び話し始める。
「僕も何度か叔母さんの身体を構築しようとしたんだけどね。絶望的に魔力が足りなかったんだよ。それで、大気中から魔力を集積する術式やそれを利用して高圧縮魔力結晶を作ったりしたんだけど・・・。」
確かに、エルリックに女神が私の妹であることを聞いてから、その蘇生に必要な魔力の計算を行ったのだが・・・あと一歩届かないんだよな。
教会が残っている以上、亜空間上のストレージのすべての魔力まで使い切るわけにもいかないし・・・。
「せめて、母さんと同じ程度の魔力を持った人間がもう1人いれば、何とかなったかもしれないんだけど・・・手持ちの魔力結晶で代用するにはとてもじゃないけど足りないし。」
紫雨と2人、黙々と必要魔力の計算を始めたものの、やはりほんの少し足りないのだ。
私の魔力と紫雨の魔力、そして遥香が入っている杖の魔力。
いや、杖に使われている「魔王の心臓」は使えないか。
必要としている魔力は琴音や千弦のそれとそもそも桁が違うから、お願いしても意味はないし、グローリエルやアマリナなどの人外を総動員してもあと一歩、届かない。
「具体的な数値をたたき出してみましょう。・・・多分、丸一日かかるわね。」
いっそのこと高魔力に耐えうる素体でもあれば違うのに。
それか、大量の魔力結晶とか。
なんなら魔王の心臓がもう一つあったらいけるかもしれない。
・・・高魔力に耐えうる、素体?魔力結晶・・・?心臓・・・?
「あ。」
「どうしたの、母さん?いきなり変な声出したりして?」
「いけるかもしれない。・・・人工魔力結晶。耐えうる素体。高魔力源。あった。あったわ!」
ダンバース精神病院で回収した人工魔力結晶。
ついこの前、捕獲した・・・自称聖女の身体。
そして、2つ目の破魔の角灯に使われていた「魔女の心臓」。
これにほんのちょっと私の魔力を足せば足りるんじゃないか?
「本当に!?ちょ、ちょっと待って?天文学的なエネルギーが必要なんだよ!?」
「・・・再計算してみるわ。ちょっと待って・・・。」
自称聖女を素体にするから、肉体をゼロから構築する必要はないものとして、女神の霊体は極めて強固だから、霊体の維持コストは最低限で済むとして・・・。
足りる。
1桁くらい余裕をもって足りてしまう!
「・・・もし、私の計算が間違えてたら言ってね。ええと、まずは玉山で保管してる人工魔力結晶が489kg、『魔女の心臓』が結晶1720kg相当で・・・。」
何度計算しても足りてしまう。
あまりにも上手く行き過ぎることに2人そろって黙り込んでいた時、階下から叶多の声が聞こえた。
「おーい!遥香!仄香さん!晩御飯ができたよ!紫雨君の分も作ったから食ってきな!」
・・・完全に時間が経つを忘れていたよ。
◇ ◇ ◇
6月7日(土)
衛星軌道上(高度2500km)
プシュパカ・ヴィマナ
グローリエルやオリビアにも協力してもらい、夜通し準備を続けたおかげで、必要な材料や機材をすべて準備することができた。
今回、妹女神の身体を再構築するにあたり、地上で行うにはいくつかの問題があったため、万が一の場合があっても安全な宇宙空間で作業を行うことにしたのだ。
「母さん。これが叔母さんの身体になるのかい?人間ではないみたいだけど?」
大規模な蛹化術式を刻んだ寝台の上に安置された、自称聖女の抜け殻の頭を紫雨がそっと撫でる。
「あくまでも素体にしかならないわ。外見どころか遺伝子レベルまで肉体構造を切り替えるから、魔族であっても問題にはならないわね。」
実際のところ、これほど高魔力に耐えられる素体が手に入っていたとは思わなかったのだ。
これを上回る性能の身体など・・・いたな。
ちょっと異常な性能の双子が。
もちろん、使うつもりは欠片もないけど。
「あとは魔女の心臓、それと人工魔力結晶ね。」
黙々と術式を刻んでいる紫雨の横に、インドラたちが段ボール箱を積んでいく。
・・・すべて、子供たちの命と引き換えに作られた人工魔力結晶だ。
あの日、教会から奪い取ってから、子供たちの命そのもののように考えていたために一切手を付けていなかったが・・・。
魔導装甲歩兵に使われていた人工魔力結晶と違い、これらには人格情報も記憶情報も残ってはいない。
ただのエネルギー源に過ぎないのだ。
「よし!術式が完成したよ!母さんのほうは?」
「準備できたわ。それにしても・・・すごい量の術式ね。これだけ複雑な術式を組み上げられるのは驚きだわ。」
目の前には広大なプシュパカ・ヴィマナを埋め尽くすほどの術式が広がっている。
「ははっ。右手が腱鞘炎になりそうだよ。でもこれでまた叔母さんに会えると思うと、楽しみだな。」
「そうね。私はお礼を言うだけじゃなくて謝らなきゃいけないことでいっぱいだわ。」
まず、開口一番なんて言おうか。
「おかえりなさい」?それとも「ありがとう」?いや、「ごめんなさい」か?
いよいよ女神のサルベージが始まる。
あとは、術式を起動し、女神の名を呼ぶだけだ。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
6月は嫌いだ。
1か月以上の梅雨、土日以外休みがない、めぼしいイベントがない。
せめてもの救いは中間テストや期末テストがないくらいか。
「姉さん。せっかくの土日なんだから理君と出かけたら?どうせシューティングレンジは屋内だから天気なんて関係ないでしょ?」
厳密にいえば、湿度とか気圧ってそれなりに弾道に影響するんだよ。
「そっちこそどうなのよ。紫雨君と上手くいきそうだとか言ってなかったっけ?」
テレビの通販番組を見ながら「人をフヌケにするクッション」の上でくつろぐ遥香の姿をした二号さんの髪を梳かしている琴音を突っつく。
「紫雨君は何か大事な用事があるとかで仄香と出かけてったよ。・・・ね、二号さん。今からどこかに遊びに行かない?」
「ふあぁぁ・・・。ボクは今日、ア〇ゾンで注文したゲーミングPCが届くノデ家にいなケレバならないノデス。」
あらら。
琴音のやつ二号さんにもフラれてやんの。
「そういえば二号さん、咲間さんの店でずっと働いてたよね。PCが欲しかったの?そんなの買わなくても、うちのリビングのパソコンを使えばいいんじゃない?」
そういえば二号さんはずっと遥香の格好でコンビニのアルバイトをしているんだけど・・・結構稼いでるはずだよな?
「ママさんとパパさんがボクのために部屋を用意してくれタノデ、千弦サン達に召喚されるマデやってた趣味を再開しようと思いマシテ。」
ああ、そういえば先週から母さんと2人で2階の納戸の荷物を屋根裏収納に黙々と片付けてたっけな。
あの納戸、3畳くらいしかないけどいいのか?窓もないし。
小さな空調はついてるけど。
「え?二号さんの趣味って何だろう?もしかして魔法?変化の術式を組むとか?」
琴音がものすごい勢いで食いついている。
でもたぶん違うと思うよ。
「ドラ〇ンクエストXデス。更新前にはレベルがカンストしてたんデスケド、しばらくやってナカッタカラ、そろそろ再開しようと思いマシテ。ストーリーも進んでマスシ。」
前から思ってたんだけど、仄香の眷属ってかなり自由だよな。
路上でホットドッグを売ったり、おもちゃ屋で着ぐるみを着たり・・・女児服のモデルをやってるっていう眷属もいたような・・・。
「姉さん、何か楽しそうね。二号さんと一緒にネトゲでも始めるつもり?」
「ん~。もしオフ会するときはどんな姿で行くのかなって思ってさ。いいよね。どんな姿にでもなれるなんてさ。」
「ボクは実際に見たことあるモノにしか変化できマセンヨ。何でもは無理デス。それに極端に小さいモノには変化できマセン。」
そんな話をしているとドアチャイムが鳴る。
どうやら二号さんが待っていたものが届いたようだ。
二号さんはウキウキという感じでそれを受け取り、開封してセットアップを始める。
お、32型のモニターも買ったのか。
ゲームパッドは一般的な奴だな。
魔女の眷属がゲームをしていられるなんて平和だな、なんて思いつつ、何気なくテレビのチャンネルを変えると、そこには少し信じがたい光景が映っていた。
『・・・本日、現地時間午前10時、北京市内でクーデターが発生しました!人民解放軍、中方陸軍第81集団軍、82集団軍、および東方陸軍71集団軍が民主派に呼応し、陳国家主席の即時退陣と普通選挙を求めて北京市街全域および南京の一部を封鎖中です!』
あの国は国民に不満がたまりまくってたからな。
日本に流れてくる自称難民の数は年々増え続け、第三国を経由して送還するのもとんでもない予算になっていたし・・・。
まあ、ほとんどは日本海と東シナ海の荒波に揉まれて死体で漂着するんだけどさ。
大型の漁船だと海上保安庁が黙ってないしね。
それに、西側諸国から見れば鉄のカーテンの向こう側で、イギリスが租借している香港以外は人の流れがまるでないから、このニュースだってどこまで正確に状態を把握しているか・・・。
『こちらは中国本土と香港の境界を流れる深セン河を香港側から撮影した映像です!多くの人が中国側から川を渡ろうと殺到しています!あっ!今中国側から発砲が確認されました!発砲が続いています!』
大規模なクーデターが発生したことでパニックになった国民が慌てて国を捨てようとしているのか。
で、自国の国民を後ろから軍隊が撃ち殺すと。
・・・中華民国・国民革命軍の督戦隊がいたころと全然変わってないでやんの。
『香港共同特派員の倉高です。香港政府は今回のクーデターに際し、香港全島に本日12時をもって戒厳令を敷き、中国本土からの入島は全面的に禁止、駐香港イギリス軍は戦闘状態に入ったとのことです!同時に、イギリス海軍インド洋艦隊は母港である英連邦セイロンを出港、南シナ海に展開中とのことです!』
「やだなあ。また戦争なの?この間のミサイル騒ぎといい、ちょっと物騒過ぎない?」
琴音はそんなことを言っているけど、実際の戦争は国力を積み重ねる平時こそが本番、有事はただのお披露目会に過ぎないのだ。
たまたま魔女という超越的存在がこの国にいただけで、日本の積み重ねた力が足りていたかは知らないけど。
それに、この前のミサイル騒ぎで共産党は権威が大きく失墜した。
力で抑えることしか考えないあの国のやり方では必ずボロが出ると思っていたよ。
全軍の総力を挙げて日本に攻め入ろうと必殺の攻撃をしたら、横から魔女という「個人」が出てきてすべてを台無ししただけでなく、国家としてその恫喝に屈してしまっていたのだから。
むしろ最初の攻撃が失敗したときにすぐさま作戦を中止したのは英断というほかない。
それに、やたらと威圧的な報道官に「~べきである」調の声明を出させないことも少しはマシになったというものだ。
「ま、何とかなるでしょ。やつらのオツムがどの程度か知らないけど、少しでもマトモなら外に向かって攻撃することはないでしょうね。」
現状で私にできることは何もない。
だが・・・仄香には感謝しておかねばなるまい。
◇ ◇ ◇
サン・ワレンシュタイン
薄暗い部屋の中、念動の腕で刃をふるう。
我ら教会が保有する、大量の魔剣、聖剣、神剣。
「ふむ。・・・ほぼ調子を取り戻せたか。」
剣先は音の速さを超え、強靭な刃は岩をも切断する。
サン・エドアルドは日本に赴いたのち、完全に消息を絶った。
いけ好かない男だったが、奴の不死性は鉄壁だったはずだ。
だてに勇者を自称していたわけではない。
そして、サン・マーリー。
人間を道具のように考える傍らで人間を友にするなどと甘い考えをする女だが、類稀な瞬間移動能力を有しており、同時に恐ろしく先読みが鋭い、まさに戦うための才能を生まれ持ったような女だったが・・・。
カフカスの森、耳長どもの巣に行き、消息を絶った。
おそらく、エドアルドと同じように魔女に倒されたのだろう。
魔族の回復治癒を行える人間がいなくなったのは致命的ともいえる。
「アレは正真正銘の化け物。我の力とこれらの剣で果たして届くか・・・。」
部屋の中に突き立つ数千本の剣を一斉に抜き放つ。
念動の腕・・・剣をふるう以外に使いみちのない七千の見えざる腕に、ゆっくりと魔力を流していく。
「魔女。二刀を以て我が一刀を叩き折ったが・・・次は負けぬ。我が剣が必ずその心臓を打ち抜いてくれようぞ。」
名のある魔剣、聖剣、神剣・・・そしてその模造品。
来る日に備え着々とその本数は増されていった。




