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204 生還した少女/6800年の妄執

 南雲 琴音


 5月21日(水)


 先週末までの忙しさが嘘のように平穏な日々が続いている。

 やっと中間テストも終わり、今日は遥香(仄香(ほのか))と姉さん、そして咲間さん(サクまん)と午後から打ち上げに行くことになった。


 今は仄香(ほのか)の用事が済むのを校舎裏で待っているところだ。

 合流次第、そのまま玉山の隠れ家(セーフハウス)に遊びに行くのだ!


 ちなみに、警護を担当している黒川さんや太田さんには、事前に予定を連絡してるから問題はない。

 さすがに国外に出るとは言ってないけどさ。


「そういえば琴音、4組の時岡君の話、聞いた?2年前に行方不明になってた妹さんが無事、帰ってきたんだよ。」


 仄香(ほのか)を待っていると、姉さんが思い出したように言った。


「あ~。やっぱり何とかなったんだ。さすがは仄香(ほのか)。あの状態から何とかするとは。」


 あの後、紫雨(しぐれ)君に頼んでナーシャの容態を診るために彼女の連絡先を聞き出し、佐世保まで往診したんだよね。


 そしたら、美穂ちゃんはすでに死んでいて、アンデッドにされていたこと、そして人間として蘇生しなおしたことを聞いたんだよ。

 仄香(ほのか)ったら相変わらず無茶苦茶なことをするな。


「え?知ってたの?・・・もしかして先週末から佐世保に往復してたよね。もしかしてそれと関係ある?」


「うーん。まあ、そうかな。それより、ちょっと会わせたい人がいるんだよね。そのうち連れてくるからちょっと会ってやってくれないかな。」


 一応は姉さんと情報の共有はしておくべきだろう。

 ・・・下手に隠し事をして、あんな目にあうのはもうコリゴリだよ。

 姉さんにナーシャを会わせるのは少し気が引けるけどさ。


「えー。もしかして男の人?アレクさんに振られて沈んでたのに、もう新しい人見つけたんだ~。」


「違うよ、女の子だよ。」


 姉さんたら何を言ってるんだか。

 ・・・アレクについては仄香(ほのか)が大規模な洗脳魔法を使っていたころに、私のことを完全に忘れた彼が、イギリスの有名な女優と不倫騒動を起こしたこともあって完全に冷めてしまっている。

 それを聞いたガドガン先生が慌てていたのは面白かったけど。


 ・・・それに、実は私と姉さんの区別が完全にはついていなかったこともわかったし。

 ついでに言ってしまえば、今は紫雨(しぐれ)君をどうやって落とそうか考え中だ。


 彼は私と姉さんの区別が完全についているだけでなく、なんといえばいいか、話しているだけで楽しいのだ。

 ん?そうすると仄香(ほのか)が義母になるのか?


「コトねん。なんかいいことあったの?もしかして恋?」


「え、やだなぁ、そんなことないよ。」


 まあ、姉さんは(おさむ)君と上手いこといってるみたいだし。

 今回も邪魔は入らないかな。


 ・・・それより、ナーシャのことだ。

 何度か彼女の傷の状態を確認し、回復治癒魔法で整復を行う過程で、彼女から「あの日」のことを打ち明けられたのだ。


 考えてみれば、強制忘却魔法で記憶を消すにあたり、彼女だけは「あの日」の半日分の記憶しか奪っていないのだ。

 つまり、私を誘拐する計画を立てている段階の記憶が丸々残っているということだ。


 それだけではない。

 強制忘却魔法を使った直後、私たち2人と遥香のことをしっかり認識していたのだ。

 まったく、仄香(ほのか)は相変わらず大事なところで抜けているんだよな。


 まあ、今回に限ってはナーシャ、つまりは半分頭が強く反省していたから、逆恨みをして襲われる心配もなかったけど。


 ・・・それにしても、彼女が眠っている間に紫雨(しぐれ)君からその生い立ちを聞いて思わずホロリと泣いてしまった。


 物心がつくかつかないかの頃に両親がなくなり、孤児院に放り込まれた上、男どもに(もてあそ)ばれ、心の拠り所だった幼馴染の父親に騙され、やりたくもない売春を強制され・・・。


 遥香や私がされたことを許すつもりはないんだけど、あの時、「アタシは遅れてきたんだ!だからまだ何もしていない!」と言っていたのは真実なのだろう。


 それに、あの大ケガだって、自分が働いている児童養護施設の子供たちを守るためにアンデッドに立ち向かったせいで負ったものだ。


 周りの人間が悪の道に引きずり込むようなことさえしなければ、彼女は面倒見がよくて子供に好かれる良い保母さんになれるだろう。


 強制忘却魔法で記憶を奪われた遥香はもう許すことはできないけど、私は水に流すことにしようと思う。

 ・・・姉さんは、許してくれるかな。

 美穂ちゃんのことを話すときに一緒に話そうか。


 そんなことを考えていると、仄香(ほのか)が杖を持って校舎から飛び出してくる。


「お待たせしました。準備はよろしいですか。」


「大丈夫だよ。5分くらいしか待ってないし。もしかして先生に呼び出されてたの?」


「いえ、ちょっと4組の時岡君のことで黒川さんに用がありまして。それじゃあ、行きますよ。・・・()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」


 ああ、美穂ちゃんのことか。

 教会案件だから黒川さんや高杉さんとも連携してたっけ。

 じゃあ、警察のほうは大丈夫だろうな。


 そんなことを考えながら、玉山の隠れ家(セーフハウス)に向かって数分間、すでに慣れ始めた浮遊感を楽しむことにしたよ。


 エルも吉備津彦さんも、オリビアさんもルイーズさんも待っていることだし。

 さあ!ボーリング大会だ!


 ◇  ◇  ◇


 時岡 美穂


 5月24日(土)


 2年ぶりの帰宅から一夜明け、久しぶりのベッドで目を覚ます。

 起き上がり、すっかり血色の良くなった両手のひらをカーテンから漏れる光にかざす。


 次に、パジャマをはだけて胸の真ん中を触ってみる。

 背中まで貫通していた大きな穴は、跡形もない。


「ウチ、ホンマに生き返ったんやな。魔女さん、しばらく様子見や言うたけど・・・。」


 今からちょうど2年ほど前、中学校受験が終わり、お兄ちゃんほどではないけど第一志望校に受かって家族そろってお祝いムードだった時のことだ。


 あの春休み中、家で1人新学期の準備をしているとき、突然ドアチャイムが鳴った。


 インターホンに出たら宅配だといわれ、入学で必要になるものなどをネットで注文していたこともあり、何の警戒もせずに玄関を開けたのが運の尽きであった。


 あれよあれよという間に誘拐され、ご丁寧に家中の金目の物を根こそぎ奪われた。

 さらに、「勉強が嫌になったから家出します」という内容の手紙を書かされた。


 本当は文章の中に暗号くらい仕込みたかったんだけど、例文まではっきり提示されていたせいで何もできなかった。


 ・・・それからは地獄だった。

 言葉も通じない外国へ連れていかれ、よくわからない宗教の教義を暗唱されられ・・・。


 なかなか言葉を覚えないことに業を煮やした連中が、とうとうウチを売春宿に放り込もうとしたので本気で抵抗して逃げ出そうとしたら、短剣のようなものでいきなり胸を突かれたのだ。


 ・・・それからのことは、はっきりと覚えていない。

 まるで記憶に霧がかかっているかのように、ぼんやりとしている。


 覚えているのは、気持ち悪い男がウチの身体をまさぐり、呪文を唱えながら針のようなものを全身に刺したこと、そしてどこかの施設・・・孤児院?のようなところを襲うように強制されたこと、最後に鉄製の棚に押しつぶされて動けなくなったことだけだ。


「せやけど・・・ホンマに魔法ってあるんやなあ。それに、まさかウチがゾンビになるなんて思てへんかったわ。」


 そんなことをつぶやきながらパジャマを脱ぎ、部屋着に着替えたところで部屋の外からお兄ちゃんの声が聞こえた。


「美穂。もう起きたか?朝ごはんができたってさ。それと、来週から学校だろ?新しい制服が届いたから、袖を通してみないか?」


 それにしてもお兄ちゃん、2年の間に標準語が上手になったな。


「うん!ちょっと待ってな!今行くで!」


 ウチが誘拐されていたことについては、警察はただの家出と処理していたらしい。


 だけど、佐世保で保護されてからは完全な誘拐事件として本格的な捜査が始まっている。


 なんでもウチと同じように誘拐された可能性がある子供が100人以上いることが分かったらしいのだ。


「あ、それと、今日の午後は警視庁の太田さんが来るって。この前の聴取で足りなかったことを聞きたいんだってさ。」


 ・・・太田さんか。

 多分、魔女さんも来るんだろうな。

 せっかくだからウチからも色々と聞いてみよう。


 ◇  ◇  ◇


 家まで迎えに来た太田警部の車に乗り、近くの警察署に移動し、会議室のようなところで聴取が始まる。

 内容が少し問題なので、お母さんとお兄ちゃんには別室で待機してもらっている。


 ・・・まさか、自分の娘が一度殺されてるなんて知りたくもないだろうし。


「・・・さて、誘拐された時のこと、誘拐された後のこと、それから・・・殺されてから生き返るまでのことは分かりました。この内容で問題なければ、署名をお願いします。」


 太田さんがパソコンで作成した調書を読み、その末尾に署名をする。


 ちなみに、アンデッドにされている最中にハナミズキの家を襲ったことや、ヴァシレとかいう男をガラス片でめった刺しにして殺したことについては、心神喪失どころか事件性すらないといわれてしまった。


 ・・・死体が動いても罪には問えないって。

 よかったよ、この年齢で殺人犯にならないですんで。


「はい、サインしたで。これで終わりなん?」


「はい。長い時間、ご苦労様でした。ところで、君から聞きたいことはないかい?今日は彼女も来てくれてるし、俺たちでは分からないことも聞いて構わないよ。」


 太田さんはそう言いつつ、横に座る魔女・・・ジェーン・ドゥさんに目配せする。


「太田警部?ついでに魔法や魔術についての情報を聞き出すつもりなんでしょうけど、悪用はしないでほしいわね。・・・ま、いいわ。美穂ちゃん、何か聞きたいことあるんじゃない?」


「えっと、それやったら、ウチの体のことなんやけど・・・一回死んだんよな?ほんで、生き返ったってことやろ?これから普通に暮らしていけるんかな?普通の人となんか違うとことか、問題あったりせえへんの?」


「前提として、生命と死を定義することは今の科学ではできないわ。だから、脳死や心臓死といった概念や全身の細胞死、いわゆるハードウェアの破損と、人格情報、記憶情報の揮発、すなわちソフトウェアの損傷という話になるんだけどいいかしら?」


「中学生でもわかるように、優しゅう教えてな?」


「そうね。なるべくわかりやすい言葉で説明するわ。まず、ハードウェア、つまりあなたの身体についてなんだけど、心臓は完全に止まり、脳はそのすべての機能を失っていたわ。」


「ウチ、やっぱり死んでもうたんやな。」


「難しい言葉は省くけど、完全に死んでいたと思ってもらっていいわ。だから、通常の医療技術で蘇生するのは不可能ね。でも大丈夫。全身の細胞のうち、ほんの少しの細胞が生きていたから、蛹化術式で丸ごと作り直したのよ。」


「えっ、ほなウチの体、全部クローンみたいなモンなん?」


「クローンとは違うわね。・・・生き残っている細胞を元に、死んだ細胞を材料にして全身を組み立てなおした、つまり、フルレストアしただけよ。意識も連続しているし、部品も材料も間違いなくあなた自身の身体だから安心していいわ。」


「そっか、そないいうことやったら・・・ウチはウチってことなんやな。」


 とりあえずは一安心だ、と思ったとき、魔女さんが思わぬ言葉をつづけた。


「それと、人格情報と記憶情報についてなんだけど、美穂ちゃん。あなた、この先何があってもそれが揮発することはなさそうね。」


「えっ?人格とか記憶の情報が消えへんって?それって、どゆことなん?」


「人間は主に3つの要素から構成されているわ。肉体、霊体、魂。肉体は分かりやすいわね。問題は霊体と魂なんだけど・・・あなたの場合、人為的に霊体が強化されているわ。たとえ肉体を完全に失っても、魂・・・人格情報と記憶情報が揮発しないよう、とても頑丈な殻のようになって守っているわね。」


「だんだん難しい話になってきましたね。もしかして屍霊術(ネクロマンシー)とやらの影響ですか?」


 それまで黙っていた太田警部も疑問を口にする。


「私自身、屍霊術(ネクロマンシー)は使えないから断言はできないんだけど、おそらく屍霊術(ネクロマンシー)は人間の霊体と人格情報を加工する魔法らしいのよ。それこそ、肉体が滅んでも霊体からの魔力で無理やり動かせるほどにね。」


「霊体と魂については我々常人には理解するのが難しそうですな。ですが人格情報と記憶情報が揮発しないということは、美穂さんは不死身ということですか?」


「そんなことはないわ。この世に不滅の存在などありはしないのよ。まあ、認知症にはならないでしょうし、人より健康に長生きはできるでしょうけどね。」


 数千年を生きる魔女さんの言葉と思うと重いなあ、とおもいつつ、長生きと言われて人生設計を考えてしまう。


「ほな、ちゃんと年金払わなあかんってことやな」


 ウチの言葉に太田警部も魔女さんも、吹き出すように笑い出した。


 もしかしたら生きたまま死人にでもなったのかと心配になったが、ボケずに健康で長生きができるというのであれば特に問題はない。


 そのあと、普通に結婚して子供ができるのか、病弱になってはいないかなど、いろいろと教えてもらったが、どれも全く問題ないとのことだった。


 まあ、寿命が少しメンドイことになっているらしいけど。


 中学については、本人に責任はないということで合格した学校に通えることになった。


 もちろん、中学1年生からの編入扱いなので2歳年下の子たちと一緒に勉強することになったが、2年間の地獄を思えばどうということはない。


 心機一転、ウチの人生はこれからだ。

 そう意気込み、お兄ちゃんとお母さんに連れられて、警察署を後にした。


 ◇  ◇  ◇


 スイス・イタリア国境付近

  

  シルヴァエ(Sylvae)オブスクラエ(Obscurae)(暗き森)


 深い谷、昼なお暗き森の中に建てられた闇色の神殿の奥深く、玉座の間のような空間で一人、華美な法衣をまとった壮年の男が座ったまま眠りに落ちていた。


 その男は年齢の割に筋骨隆々としており、髪はすでに白髪となっているものの、肌は若々しく、歳不相応な活力に満ちている。


 彼は、背もたれに寄りかかりながら、はるか昔の記憶を夢に見ていた。


 ◇  ◇  ◇


 ???


 俺がかつて暮らしていた村は、緑豊かな森の近くにあり、肥沃な大地、多くの獣、そして大きな川に恵まれていた。

 一年のうち春から秋にかけて多くの雨に恵まれ、木の実や飲み水に困ったことはない。

 いや・・・それはどうだったか?


 老若男女合わせて20人くらいの村にあって、俺は最も力強く、長に次ぐ立場にあった。


 村の他の男よりも常に多く、そして大きな獲物をしとめ、みなから尊敬されていたと思う。


 また、妻となった幼馴染の娘は優しく美しく、強く聡明で、嵐のような大雨の中でも、大きくそして健康な息子を生んでくれた。


 ・・・すべてが順調だった。

 あの忌々しい石板が空から落ちてくるまでは。


 雷の音とともに村の近くの丘に現れたその石板は、今思えば石どころか木や金属、あるいはガラスでもなかったようだ。


 息子が生まれた次の冬のことであった。


 村の人間は、気味悪がって誰もその石板に近寄ろうとはしなかった。

 あるいは、場所が場所だけに俺たち以外は気付かなかったのか?


 だが、ある日、妻が俺の知らぬ間にその石板に触れた。


 妻は、その日から神のような力を使い始めた。

 触れるだけで傷が治り、言葉を発するだけで火を灯す。

 念じるだけで川の水が逆巻き、網を使わず魚を取って見せた。

 大の男が3人がかりでも動かせない大岩を、吐息一つで砕いて見せた。


 いつしか、あの村においては妻がリーダー、いや、神のようにあがめられた。

 そして、彼女はその力が石板によってもたらされたことを、夫である俺以外には話そうとしなかった。


 ・・・自分は信用されていたのだろう。

 だが、得体の知れない石板に触れる気にはならなかった。

 

 村の中で、妻はそれまでと同じようにふるまった。

 おかげで、みなが抑圧されることもなく、平和に暮らしていたと思う。


 それからいくばくかの月日がたった時、妻は乳以外の物を食べ始めた息子と、走り回るようになった自分の妹を連れてあの丘に行った。


 彼女は、なぜそんなことをしたのか。

 きっと、妹や息子に、石板に触れさせることで神の如き力を授けようとしたのだろう。


 だが・・・結果は最悪となった。

 息子は石板を砕いた挙句、光の中、はるか遠い空へと飛び去り、妹は頭を砕かれ、胸に石板の破片が刺さり、息絶えた。


 それからの日々は、悪夢だった。


 妻は、口を開くたびに「あの子を探しに行きたい」と泣き続けた。


 言葉もわからぬ幼子が、見知らぬ土地に放り出されて生きているはずがないというのに。


 そして彼女の力なしでは、もはや村は立ち行かなくなっているというのに。


 訳が分からない理屈をこねつづける妻を、俺は村の男たちと協力して暗い洞窟に閉じ込めた。


 彼女とは意味のある会話は成立せず、思わず「なぜそんな危険なところへ息子を連れて行った?」と(ののし)ってしまうこともあった。


 洞窟は、村の墓場でもあったため、妹の亡骸は妻のそばに埋葬した。


 長老に相談したところ、次の息子を孕めば妻の気が休まるだろうといわれ、その通りにしようとした。

 洞窟に檻を作り、妻を力ずくで組み伏せた。

 一年ほどして生まれたのは、娘であった。


 男の少ない村だ。息子でなくてはならぬ。

 村の中で確固たる発言力を維持し、かつ優しく聡明な妻をこの手に取り戻すためには、息子を孕ませなくてはならぬ。


 その一心で出産直後の彼女を抱き続けた。

 いつしか、俺の腕の中で妻は一言も発しなくなった。


 娘が生まれてから初めての雪が積もったころ、妻は娘とともに忽然と姿を消した。

 冬の朝、雪の上に点々と、赤黒い足跡だけが残っていた。


 村の人間からは、神を失ったのはお前のせいだと(ののし)られた。


 妻の力を失った村は、やっとの思いで元の生活を取り戻そうと必死になった。

 そんな中、俺は長老の孫娘を新しい妻としてあてがわれた。

 ・・・妻以上の女などいるはずがないのに。


 新しい妻を抱いたとき、そっと耳打ちされた。

 あの女の力の秘密を知っているか、と。


 ハッとした。そうだ、石板だ。

 石板に触れれば、彼女と同じ力が手に入る。


 俺は抱いていた女を放り出し、丘に走った。

 ・・・やはりというべきか、石板どころか、その破片一つ、見当たらなかった。


 しかし、寝床に戻りふてくされていた時、突然ひらめいたのだ。


 そうだ。彼女の妹は、石板の破片が刺さって死んだのではないか。

 埋葬するとき、石板は取り除かなかった、ならば腹の中に刺さったままになっているはずだ、と。


 俺は思ったことをすぐに行動にうつした。


 洞窟の中、松明(たいまつ)を片手に彼女の妹の墓を暴き、あばら骨の中に納まった半透明の赤黒い破片を見つけたときは歓喜の声をあげてしまった。


 恐る恐る、破片に触れた。

 破片は、まるで鼓動しているかのようだった。

 

 なぜかは分からない。

 自然とその破片を口に運び、ゆっくりとかみ砕いた。


 石の硬さを持つそれは、不思議と口の中で柔らかく砕け、するりと喉に落ちていった。


 その後、胸の中央に熱いものが集まり、いつしかそれは橙色の宝石のような形となった。いつしかそれは、魔石と呼ばれるようになった。


 そして、俺は人ならざる力を手に入れた。

 新しい妻から生まれる子供たちも、種類は違えど、何らかの力を持っていた。


 のちに、その力を恐れた者たちに「魔族」と呼ばれることなった。


 だが、それらの娘や孫娘たちは、無事子を産むことができたのはわずかだった。


 腹の子は流産するか、胎内でそのまま死に、母体まで腐らせた。


 のちに、母子同士で魔石が拒絶反応を起こしていると知るまでは、「魔女の呪い」と呼ばれ続けた。


 すべては石板を砕いたあいつのせいだ。

 だから、長い長い時の果てに奴を見つけたときは、狂喜して石棺に封じた上で海の底に沈めてやった。


 足音が聞こえる。

 夢からゆっくりと意識を引き上げていく。


「・・・教皇(サン・ジェルマン)猊下。ご機嫌麗しく存じます。ワレンシュタイン、御前に参上仕りましてございます。」


「・・・ワレンシュタインか。傷はもういいのか?」


「は。我ながら情けないところをお見せいたしました。肉体、魔石ともに万全でございます。」


 2人目の妻との間に作った子供たちは、みな魔石をその胸に持ち、人ならざる力をふるうことができる。

 ・・・だが、まともに子供を孕めぬ血筋など欠陥品ではないか。


 やはり、最初の妻との間に作った娘こそ我が正当な血族。

 そして、その中で輪廻を繰り返す魔女こそ、俺の真の妻だ。


「魔女の所在は分かったか?」


「は。おそらくは日本かと。ですが、我ら教会の使徒の多く、そしてエドアルドを失いました。今は勢力の立て直しを図るべきかと。」


 使徒・・・どうせ使い捨ての道具だ。

 何ならソ連や中国を動かしても構わないだろう。

 奇跡や神秘をぶら下げれば、奴らはいくらでもいうことを聞く。 


「そうか。任せる。・・・マーリーはどうした。何かあったのか?」


「マーリーはフェアラス(コモンエルフ)氏族の町で魔女と戦闘して以降、足取りが分かりません。おそらくは倒されたものかと。」


「ふむ・・・ということは残る聖者はお前だけか。一方的に人間の女に負け続けるとは、聖者の名が(すた)るな。」


「恐縮です。汗顔の至りでございます。」


 我が妻を迎えに行かせるには、こいつらでは荷が重すぎたか。

 まったく、6800年もの間、あっちに行ったりこっちに行ったり、その所在をとらえるだけで至難の業だ。


「それから、ノクト・プルビアはどうなった?封殺しきれずに封印を破られたと聞いたが?すぐに所在を見つけて、なんとしても捕らえて再度封殺しろ。どのような手段を用いても構わん。」


 ・・・最悪、禁忌の科学を使ってでも必ず封殺してやる。


「まだ調査中です。ですが、マフディが交戦した相手がノクト皇帝の可能性が高いかと。恐れながら、なぜ猊下は彼をそれほどまでに憎まれるのですか?」


「・・・奴さえいなければ、俺は妻を失うことも、出来損ないどもの面倒を見ることもなかったのだ。つべこべ言ってないで行動しろ。」


「は。かしこまりました。全身全霊をもって取り掛かります。」


 恐縮しながら退出するワレンシュタインを尻目に思案する。


 奴が解き放たれていることを考えると、不快なことこの上ない。

 妻の妹の加護を引き剝がし、女神として人格を奪ってやったがまだ奪い足りない。


 万が一、俺の娘の血筋に近づくようなことがあると思えば、(はらわた)がよじれそうになる。

 見つけ次第、今度はコラ半島超深度掘削坑(地下12,262m)の底にでも埋めてやろう。


 ・・・気が滅入るな。もっと楽しいことを考えようか。


 そう、各国に放った蜘蛛神(アトラク・ナグア)の眷属どもは仕込みを続けているだろうか。

 あれから音沙汰がないが、妻が、奴らの仕込みで死にかけた娘の身体にでも憑依してくれていれば儲けものだ。


 そうだ。再び我が妻を迎えることができたのなら、さっそく子を作ろう。

 きっと忌々しい魔石などない、健康な息子が生まれるに違いない。

 いや、この際娘でも構わぬ。


 そうすればきっとまた平穏な毎日が戻ってくるに違いない。

 そのためにも俺の娘(妻の器)たちを出来損ないどもから守ったのだ。


 そうと決まれば、俺自身が行動を起こさなければ。


 意気込み、玉座から立ち上がる。

 あの日から何度も身体を乗り換えたが、その都度、外見をあの時のままに保ち続けてきたのだ。


 この姿を見ればすぐに俺だと気づくだろう。

 もし、拒むようであればあの日のように力ずくでも組み伏せてやろう。


 魔女と呼ばれ、いい気になっている妻を組み伏せることを思うと、仄暗い愉悦が腹の中で鎌首をもたげることに、小さな感動を感じていた。



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