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203 自らの仇を討つ者

 水無月 紫雨(しぐれ)


 ハナミズキの家の地下3階の階段を降りると、防火扉のような鍵のない大きな鉄の扉があり、それをゆっくりと押し開けると、ハナミズキの家が丸ごと収まるかのような広い空間が広がっていた。


「広いな・・・それに、術式や機械でいっぱいだ。とにかく、機械を停止するか破壊するかしないと・・・。」


 足元に散乱した実験器具のようなものや、使い道がわからない機械を乗り越えて慎重に奥に進むと、ヴァシレが1人でマニュアルを片手にコントロールパネルを叩いているのが見えた。


「くそ、なんだってボタン1つで動くようにできてねぇんだよ!ええと、設定方法は分かった、効果範囲もいい、じゃあ、タイマーの設定はどこだ!?・・・ふざけんなよ!くそ、くそ!」


 どうやら魔力抽出機構を暴走させるための入力をしているようだが、タイマー設定ができずに戸惑っているらしい。


 ・・・ゴーレムを作って時間になったら押すように命令をすればいいだけなのだが、こいつはそんな術式も使えないのか。


 ・・・後ろからいきなり光撃魔法でも撃ち込んでやろうか。

 いや、はずみで魔力抽出機構が再稼働でもしたら目も当てられないな。

 ならば・・・。


「おい!そこを動くな!・・・ゆっくりこちらを向け。」


 闇色の剣を構えたまま、ゆっくりと後ろから近づく。


「・・・っ!まさか!マフディを倒したのか?十二使徒第四席が負けただと?・・・お前、ただの魔法使いじゃないな?」


「さあね。世の中の魔法使いのレベルがどれほどか知らないから何とも言えないね。で、大人しくしてもらえるかな?それとも雷と炎でこんがりと焼かれたいかな?」


 僕の言葉にヴァシレは目を丸くしたが、鼻で笑うかのように息を吐くと、一足飛びに間合いを詰めてきた。


混沌(ティアマト)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!甘いんだよぉ!魔法使いなら後ろをとる前に詠唱くらい終わらせとけ!」


 ヴァシレは右手に光の剣を生み出し、目にもとまらぬ速さで間合いに入ってくる。

 粗削りながらも、まるで野生の狼か犬のように低い体勢から、連続して切り上げ、足を薙ぎ、そしてとびかかる。


 ほとんどの攻撃が腰より低い位置から始まる。

 まるで大型の肉食獣を相手に戦っているみたいだ。


「どうした!オラオラ!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」


 ヴァシレは光の剣を振るいながら、さらに呪縛の魔法を放つ。

 だが・・・。


「・・・自動(Automatic)詠唱(Chanting)()()(1対象)実行(Run)!」


 自動詠唱機構(オートチャンター)を口元に当ててそう唱えた瞬間、爆風のような風がヴァシレを襲う。


「うわっ!無詠唱だと!?ぎゃっ!」


 一瞬でヴァシレは風にあおられて舞い上がり、天井にぶつかった後、落下よりも速い速度で背中から床にたたきつけられる。


 よほど強く打ち付けたか、海老ぞりになりながらのたうち回っている。


 まだ殺しはしない。

 ヴァシレにはこの装置について、聞きたいことが山のようにあるのだ。


「そろそろ大人しくしてもらおうか。その装置は破壊させてもらう。それと、いろいろしゃべってもらうよ。・・・え?」


 装置に気を取られた一瞬のことだった。

 僕の後ろから小さな影が飛び出し、いまだに床でのたうち回っているヴァシレの身体に覆いかぶさる。


「ぐえぇっ!き、キサマ・・・マフディのアンデッド!?・・・なぜ、勝手に動いている!なぜ、俺を・・・ギャアァ!」


 ヴァシレの問いには答えず、その小さな影は両手でガラス片を握り、何度も何度も振り下ろす。


 3分以上刺し続け、床に大きな血溜まりを作り、全く動かなくなったヴァシレからゆっくりと離れた小さな影は、生気のないうつろな目をした、中学生くらいの少女・・・子供のアンデッドだった。


 ◇  ◇  ◇


 ヴァシレを殺したアンデッドの少女は、うつろな目をしたままその場に立ち尽くしていた。


「君は・・・アンデッド、だよね?なぜ、ヴァシレを?」


 我ながら馬鹿なことを聞いたと思う。

 アンデッドと会話ができるはずがない。


 それどころか、彼らに自由意志があるなど聞いたことがない。

 だが、完全に予想に反して、その少女型のアンデッドは舌足らずな言葉をその口から紡ぎだした


「・・・ウ、ウチは、この連中に殺さレてン。せヤかラ、自分の仇うっタンや・・・ウチ、まダ死にたナイ。ウチ、帰りたいンや。お兄ちゃンにも、お母さンとお父さンにモ謝らなアかンねン。・・・。」


 アンデッドが、しゃべっている!?

 ・・・そういえば、千弦さんや琴音さんから、魔女狩りに随伴しているアンデッドがしゃべったという話を聞いた覚えがあるけど・・・。


「君は、自分のことが分かるのかい?名前は?住んでるところは?なんでこんなところにいるんだい?」


「時岡・・・美穂。13歳・・・。住所・・・帰る家は、東京・・・東京都北区赤羽・・・岩淵八雲神社の近くノ、青い瓦の家。2年前に・・・誘拐、されてン。家出スルって、手紙を書かさレタんよ。」


 ・・・驚いた。

 まさか、人格情報と記憶情報がほぼ完全な状態で残っているのか?

 ・・・っと、いけない。

 大事な用事を済ませなくては。


「ごめんね、ちょっと待ってて。この装置を止めたら、完全に破壊しなきゃならないんだ。必ず君の家に連れて帰ってあげるから。」


「ウン・・・。」


 美穂と名乗ったアンデットの少女は、短く答えると近くの箱の上に腰掛け、動かなくなった。


 まずは魔力抽出装置を安全に停止したうえで破壊しなければならない。

 停止のスイッチは・・・コマンド入力式なのか。


 どうしようか、と悩んでいたところ、ヴァシレのズボンの後ろポケットに折りたたまれた手帳・・・マニュアル?を見つけることができた。


 数分かけて手帳を読み込み、緊急停止の項目を見つける。


「・・・なんだ?緊急停止は小波コマンド?小波・・・?何の暗号だ?」


 教会の連中・・・やはり一筋縄ではいかないか。

 幸い、ヴァシレが死んでからまだ大した時間も経過していない。


 ため息をつきながら残存思念感応術式を使ってその頭から小波コマンドとやらを抜こうと立ち上がった時だった。


「ドコ行くン?モしかシテ小波コマンド、知らンノ?」


 それまで黙っていた美穂がひょいと立ち上がり、コントロールパネルのキーボードをポチポチと押す。


【緊急停止コマンドが入力されました。魔力抽出機構は完全に停止します。停止後、再起動をする場合は初期設定をする必要があります。このまま停止してよろしいですか?】


 硬質な機械音声が鳴り響く。


「なんでそんなことを君は知っているんだ?まさか、教会の・・・?」


 僕は思わずそう口にしてしまったが、美穂の答えはあっけらかんとしたものだった。


「エっ、小波コマンド知らンノ?日本の子ぉヤッタたらみーンな知ってルデ?ほンマにこのママ止めてエエん?」


 恐る恐る首を縦に振る僕をみて、美穂はキーボードのYを強く押し下げた。


 すると、ヒューン、と下がるような音がしてすべての機械が止まっていく。


 周囲に満ちていた、魔力とも生気ともつかないものが薄れていく。

 これで、地上の子供たちはみな目を覚ますだろう。


 急いでナーシャさんのもとに行かなくては。


 魔力抽出機構の本体に溶解術式を施した後、焼け焦げて骨組みだけになった階段を駆け上る僕の後を、美穂はテクテクとついてきた。


 ◇  ◇  ◇


 南雲 琴音


 アバルたちに連れられ、佐世保川に面したデザイナーズマンションの5階にあるナーシャ(半分頭)の家に上がり込む。


 入り口はオートロックだったし、玄関のカギはカード式だったり指紋認証が必要だったりと妙に厳重なマンションだったが、強制開錠魔法はしっかりと対応していたらしく、すんなりと入ることができた。


 間取りは1DKで、DKが6畳、居室が8畳ほどの小洒落たマンションだ。


 居室の一部分には、サラリーマンがリモートワークをするようなディスクトップパソコンとFAX複合機、そして大仰なヘッドマウントディスプレイが置かれていた。


「教科書と参考書?それと、通信高校の時間割表?・・・へぇ・・・真面目に高校生してるのか。それにしても・・・アルコール(けしからん水)タバコ(不健康草)もない。更生できたのか。」


 ビニール袋を切り開いてシーツの上に敷き、その上に清潔なタオルを敷いてナーシャを寝かせる。


 もう一度その身体の状態を確認するが、体中歯形だらけで何ともひどいものだ。

 無事なのは顔と右腕くらいで、あとは何らかの形で欠損している。


 命に係わる箇所から順に処置を行い、投薬と輸液を行う。


 和香(のどか)先生に押し付けられた野外緊急手術セット、少し嵩張るからコンパクトにしようと思ってたけど、フルセット用意しておいて正解だったな。


「琴音殿。マスターは助かりそうか?」


「少なくとも生命の危機は脱したわ。一応輸血もしたしね。」


 魔法と術式を用い、私の血液から赤血球成分だけを抽出したものを彼女の身体に200mlほど輸血したせいで少しくらくらする。


 その他、不足した血液については代用血漿を用いたが、おかげで彼女のバイタルは安定しているようだ。


 それに、業魔の杖が彼女の枕もとで複数の魔法陣を展開しながら、明滅して浮いている。

 ありがたいことに血圧、脈拍、呼吸そして体温などを常時監視してくれているのだ。

 ・・・この杖、もう手放せないわね。


「かたじけない。琴音殿。なんとお礼を言っていいか。」


「気にしないでいいわ。・・・ところであなた達、ナーシャのことをマスターって呼ぶけれど、彼女に召喚されたの?そこまですごい魔法使いだとは思わなかったわ。まさか4体も召喚し続けていられるなんて。」


「あ、いや、(それがし)を含め、我ら4体を召喚している魔力はマスターのものではない。召喚符を作った者が込めた魔力を使っている。それに、そろそろ帰らなければならないだろう。」


「へぇ・・・そうなんだ。」


 召喚符を作った者・・・ナーシャと私の周りで召喚魔法が使えて、かつ十分な魔力を込められる人間なんて仄香(ほのか)くらいしかいない。


 ・・・仄香(ほのか)はナーシャのことを許したのか?

 まあいい。

 私は目の前の患者に集中するのみだ。


 時折、呻くように(うな)されるナーシャの様子を見ながら、額に乗せた濡れタオルを交換し、温まったタオルを氷水が入った洗面器に放り込む。


「はぁ。来週の月曜日から中間テストだってのに、また姉さんに順位で負けそう。っていうか適当なところで救急車を呼んだほうがいいんじゃないかしら・・・。」


 そんな風にぼやきながらナーシャの容態を見ていると、玄関のほうからガチャリとカギが開く音が聞こえた。


「琴音さん、ナーシャさんの容体はどう?」


 紫雨(しぐれ)君がダイニングキッチンと玄関の間の暖簾(のれん)をくぐり、顔を出す。

 なぜか彼の後ろに、中学生くらいの女子がぴったりと張り付いている。


「何とか安定したわ。後は様子見ね。ところでその子は・・・え?あなた、美穂ちゃん?時岡君の妹の美穂ちゃんよね?なんでこんなところに・・・?」


 時岡君といえば、戦技研(サバゲ同好会)の副部長で、(おさむ)君や姉さんがよく一緒にサバイバルゲームをしているそうだ。


 たしか中学2年の頃だったか、彼女が時岡君に連れられて文化祭に遊びに来たのを覚えている。

 残暑が厳しくて熱中症になりかけて、エアコンがよく効いた保健室で休ませてあげたっけ。


 それにしても・・・顔色が悪い。

 どこか悪いのだろうか?

 胸のところの血の染みも気になるし・・・。


「お兄ちゃンの知り合イ?・・・もしカしテ、保健室のお姉さンやんナ?えエト・・・琴音さンやっけ?」


 時岡君が連れてきた当時と同じように、彼女は愛嬌のある大阪弁で答えた。


「やっぱり美穂ちゃんだ。そうだよ。お兄ちゃんの知り合いの南雲琴音っていうんだよ。2年位前に行方不明になったってお兄ちゃんから聞いてたけど、無事でよかった。顔色が悪いみたいだけど、ちゃんと食べてる?今どこに住んでるの?」


「・・・ウチ、家に帰りタイねん。お兄ちゃンと、お母さン、お父さンに謝りたいンよ。」


 美穂ちゃんはそう言うと、目を伏せてダイニングキッチンの片隅に座り込んだ。


「琴音さん。美穂ちゃんのことは後で話すよ。それより、おかげでナーシャさんが助かった。本当にありがとう。」


「お礼なんていらないわ。それより、これからどうしようかしら。なぜか本人が仄香(ほのか)に治してもらうことを拒んでるのよね。私はさすがに欠損までは治せないし・・・。」


「僕が何とか説得してみるよ。それより、そろそろ帰ったほうがいい。僕からも連絡しておいたけど、ご家族が心配しているから。」


 紫雨(しぐれ)の言葉にハッとして時計を見ると、短針はすでに4時を指している。

 一応、お母さんにLINEで連絡しておいたけど・・・。

 たぶん、かなり怒られるんだろうな。


 まあ、帰るのは一瞬だけどさ。


 ◇  ◇  ◇


 ナーシャ(蓮華(れんげ)・アナスタシア・スミルノフ)


 5月15日(木)早朝


 額に心地良い冷たさを感じながら、カーテンの隙間から差し込む日差しに重い(まぶた)を開ける。

 すると、見知った天井と安心できる顔が目に映った。


「ナーシャさん、目が覚めたかい?どこか痛いところは?気分はどう?琴音さんが手当てしてくれたんだけど・・・。」


 紫雨(しぐれ)君の声に、布団をめくって身体を起こそうとしたが、左手が不自然な感覚で空を切る。


「あ・・・。そうだっけ、左手、もうないんだっけ。・・・そっか、もう、ないんだ。」


 左手は二の腕の途中で切断され、きれいに縫合されているようで、痛みはもうない。

 自分が傷つけたであろう相手に手当てをされるとは、なんとも恥ずかしい限りだ。


 かろうじて無事な右手を使い、ベッドから這いずるように出ようとすると、紫雨(しぐれ)君が肩を貸してくれた。

 見れば、居室のローテーブルの上には義手や義足のようなものが並んでいる。


「義手・・・義足?ああ、足もなんだ。不便な体になっちゃったな。」


 不思議と後悔はない。

 そんなことより、ハナミズキの家の子供たちの安否のほうがよほど気になる。


「ナーシャさん。手足についてはそれほど心配しなくてもいい。ゴーレム式の義手と義足を作ったから、本物の手足のように動くはずだ。それに、母さんに頼めば元通りにしてくれる。」


 いつまでも美代(みよ)さんに会わないということはできない。

 どこかで自分の罪と向き合う覚悟を決めなければ。


「・・・ハナミズキの家は、子供たちはどうなってるか知ってる?今日明日は元々休みだったけど・・・。見に行ったほうがいいのかな?」


 カチャカチャと紫雨(しぐれ)君が義足や義手をつけてくれるのを見ながら、恐る恐る聞いてみる。


「ああ、先ほどモーロイ・・・僕の眷属に確認に行かせたけど、ケガ人は一人もいなかったみたいだ。それに、アンデッドや犯人たちの死体はすべて処理しておいたし、記憶干渉術式で子供たちの記憶を誤魔化しておいたから安心するといい。対外的にはガス爆発ってことになってる。」


「そうか、そんなことができるのか。便利なんだね。それと、事件前にケガして救急車で運ばれた子たちは?」


「ごめん、そっちは何も聞いてない。そういえば誰も何も言ってなかったけな。良ければモーロイに調べに行かせようか?」


「そっか。それならわざわざ調べなくてもいいよ。病院に運ばれたはずだから大丈夫だと思うし。・・・ところで、その子は?」


 気付けば、中学生くらいの女の子が一人、部屋の隅で(うずくま)っている。

 どこかで見たような気が・・・?


「ああ、彼女は時岡美穂ちゃん。襲撃してきたアンデッドの一人で、自我を取り戻したから保護したんだ。ナーシャさんのことがすんだら、親元に帰すつもりだったんだけど・・・どうしたものか。」


「どうしたものかって、どうしたの?」


 接続された左手の義手の動作を確認する。

 ・・・指先まで自由に動く。

 それに、驚いたことに触覚まで再現されている。


「・・・彼女、死んでるんだよね。心臓は止まってるし、呼吸もしていない。脳波も平坦だし、防腐処理をし続けないと多分、腐敗する。屍霊術(ネクロマンシー)は僕も母さんも使えないからなぁ。蘇生ができるといいんだけど・・・。」


 その言葉に、美穂と呼ばれた少女は顔を上げ、そして再びうつむく。


「ウチ、もウ死んデるんよ。お腹もスかなイし、眠くモならナい。・・・もウ、大人にモ、なれナいんよ・・・。」


 美穂は、表情を変えることもなくぼそりとつぶやいた。


 紫雨(しぐれ)君が両足の義足の接続を終え、工具をしまいながら首をひねっている。


「母さんの話によれば、人は人格情報と記憶情報が揮発しなければ死んだことにはならないって言ってたけど、この場合はどうなるんだろう?家に帰す前に一度母さんに合わせたほうがいいだろうね。・・・おおっと、ナーシャさん、いきなり動いたら危ないよ。」


 思わず立ち上がり、美穂ちゃんを抱きしめる。

 ハナミズキの家で剣鉈(けんなた)を持って襲ってきたときと違い、大人しく両手の間に抱かれている。


 ・・・冷たい。

 そして、少女特有の柔らかさがなく、身体が硬い。


紫雨(しぐれ)君。やっぱり美代(みよ)さんに連絡をするよ。この子をこのままにしては置けない。あたしの手足は後でもいいから。」


 あたしはまだ死んだことがないから分からない。

 でも、身体が死んでるのに意識だけ残ってるのって、地獄じゃないか。

 すぐにでも何とかしてあげないと。


 枕元にあったスマホを手に取り、アプリを立ち上げ、美代(みよ)さんへのメールを打ち始めた。


 ◇  ◇  ◇


 仄香(ほのか)inジェーン・ドゥ(バイオレット)


 朝早くにナーシャからのメールを受け取り、身体の制御を遥香に返してからジェーン・ドゥ(バイオレット)の身体で佐世保に向かうことにした。


 なんでも、昨日の深夜から今日の未明にかけてハナミズキの家が教会(肥溜め)の十二使徒に襲われたらしい。


 なぜか、彼女は私に会うことをためらっているようだが、気にすることでもあるのだろうか?

 それに、紫雨(しぐれ)と一緒のようだ。


 彼とはティリオンディア(みはらしの丘)で別れた後もずっと連絡を取り合っていたが、昨日と今日で随分と状況が変わったようだ。


 長距離跳躍魔法(ル〇ラ)でナーシャのマンションの前に降り立ち、マスターキーを使って中に入る。

 ナーシャの部屋のドアチャイムを鳴らすと、ガシャガシャという足音とともに彼女が飛び出してきた。


 ・・・ガシャガシャ?


「あ、美代(みよ)さん、急に呼び出してごめん。ちょっと困ったことになって・・・。」


 ナーシャは体中に包帯を巻いており、かなりのケガのようだ。

 顔にも首にも、大きな痣や縫合・・・魔法で癒着させた跡がある。


 見たところ顔色はいいようだが、後でしっかりと治療をしてやらねばならないだろう。


「気にしないで。どうせあなたのことだから子供をかばってケガしたとかだろうし。それで、困ったことって?」


 靴を脱ぎながらダイニングキッチンをのぞき込むと、顔色の悪い少女が一人、ダイニングテーブルの前に座っている。

 紫雨(しぐれ)が正面に座り、彼女から何かを聞き取りながらメモを取っている。


「この子、時岡美穂ちゃんっていうんだけど、なんというか、その・・・。」


 なるほど、ナーシャが言い淀むのもわかる気がする。

 美穂、といったか。

 この少女は、すでに死んでいる。


「この子は・・・ハナミズキの家の子供?アンデッド、いや、これはリッチね。子供のリッチなんて初めて見たわ。」


「リッチ?なにそれ?アンデッドとは違うの?」


「リッチとは、魔導に秀でた人間がアンデッドと化したもので、生前の全能力や人格を完全な形で引き継いでいる者を指す言葉よ。そのほとんどが年経た魔法使いや仙人、尸解仙(しかいせん)などと呼ばれる連中なんだけどね。」


 見たところ、まだ死んでから3日と経っていないようだ。

 おそらく、蛹化術式を応用すれば蘇生は可能だろう。


 ・・・だが、アンデッド相手に蛹化術式を使うのは初めてだ。


美代(みよ)さん。何とか助けてあげてほしいんだけど・・・。」


 ナーシャが伏し目がちに、懇願している。

 自分自身だってかなりの大ケガだろうに。


「いいわ。でもここでは無理ね。本来ならアンデッドの類いに回復治癒呪は禁忌だから、彼女が暴れないとも限らないわ。・・・紫雨(しぐれ)。私の隠れ家(セーフハウス)に連れて行くから手伝って。それと、ナーシャ。後であなたのケガも治すから、家で大人しくしていなさい。」


「う、うん。それと・・・後で聞いてもらいたいことがあるんだ。時間のある時でいいからさ。」


 聞いてもらいたいこと?人生相談か何かか?

 まあいい。

 遥香に身体の制御を任せっぱなしだから、早く片付けないと遥香の帰宅後の自由時間を奪ってしまう。


「母さん、準備できたよ。美穂ちゃんには追跡系の術式もブービートラップも仕掛けられていないことは確認した。いつでも大丈夫だよ。」


 紫雨(しぐれ)の準備を確認した後、まだ具合が悪そうなナーシャをベッドに寝かせ、美穂と呼ばれるアンデッドを連れて一路、長距離跳躍魔法(ル〇ラ)で玉山へ向かって空を駆けていった。


 ◇  ◇  ◇


 隠れ家(セーフハウス)に到着し、そのまま研究棟横の実験場に向かう。


 隠れ家(セーフハウス)の実験場であれば、美穂が暴走するなどの最悪の場合でも問題なく制圧が可能であり、周囲の影響を気にする必要もない。


「母さん、随分と手が込んだものを作ったんだね。これは・・・魔力溜まり(ダンジョン)を改装したのか。」


「ここを作ったのはそれほど昔でもないのよ。500年ほど前までは玉珠峰、崑崙山脈の東部の魔力溜まり(ダンジョン)を改装した隠れ家(セーフハウス)を使ってたんだけどね。ちょっと魔力災害を起こして閉鎖しちゃったのよね。」


「魔力災害って・・・もしかしてわざと?」


「えへ。」


 紫雨(しぐれ)がジト目でこちらを見てきたので、舌を出して誤魔化しておく。


 結構長く使った隠れ家(セーフハウス)で、広くて気に入っていたのだが、教会(肥溜め)信徒(クソども)にその場所を知られてしまったからな。

 人為的に魔力災害を起こす良いサンプルになったよ。


 そんな話をしながらも、蛹化術式の準備を進めていく。

 今回はアンデッドの蘇生という、今までにないケースだ。


 土系の魔法を使い、実験場の中央で簡単な寝台を作り、美穂を寝かせる。

 その横で紫雨(しぐれ)がいくつもの術式を組んでいく。

 特に、人格情報と記憶情報が揮発しないように細心の注意を払う必要がある。


「ウチ、ほんまに生き返レルん?元気に『タダイマ』って言えルん?」


 リッチとなった美穂は、ほとんど表情を変えることができない。

 おそらく、比喩でもなんでもなく、表情筋が死んでいるのだろう。


「大丈夫、任せなさい。お姉さんが何とかしてあげるから。紫雨(しぐれ)。準備はいいかしら?」


「準備完了。いつでもどうぞ。」


 さすが、すべての魔術師の祖と言われるだけのことはある。

 魔術の引き出しの多さでは、彼に勝てる者はいないだろう。


「じゃあ、いくわよ。・・・蛹化術式を発動。続けて霊的基質の保護を開始。・・・よし、保護を確認。」


「魔力流入量は±1%を維持。屍霊術(ネクロマンシー)の解析、分解を開始。母さん、順調だよ。」


 寝台の上の美穂の身体を、絹色の繭がゆっくりと包んでいく。

 繭の周りには100を超える魔法陣が展開し、紫雨(しぐれ)が彼女にかけられた屍霊術(ネクロマンシー)をゆっくりと引きはがしていく。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」


 蘇生魔法・・・本来は人格情報と記憶情報が揮発する寸前にそれらを保護し、新たな身体に移し替えるための魔法だが、アンデッドから生きた人間へとそれらを移し替える形で流用する。


 グワリ、と寝台から闇が流れ出る。

 それを紫雨(しぐれ)が術式で回収していく。


「人格情報、記憶情報ともに安定。霊的基質の浄化を確認。よし、定着を確認した!母さん!成功したよ!」


 実験場の照明に照らされた繭の中で、美穂の身体がふわりと浮かんでいる。

 あとは屍霊術(ネクロマンシー)を解析して、彼女への影響を調べるだけか。


 終わったらすぐにナーシャの様子も見に行ってやらねば。

 まったく、中間テスト直前というのに忙しいことこの上ない。

 乗り掛かった舟というが、港に帰るまでどれだけ漕げばいいことやら。

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